「奇妙なイ_ア人の食嗜好(2)」(2022年09月20日)

社会が白飯を一生懸命食べる種族は、貧困のためにコメを十分買えないひとびともコメを
食べようとする。そこに出現した価値観のゆえだ。そんなひとびとのためにnasi akingが
世の中に流通する。ナシアキンとは食堂やレストランで売れ残った白飯がアヒルなどの餌
として販売されているものだ。ところが貧困者はアヒルに成り代わって、変質しカビが生
えたナシアキンを洗って食べている。キャッサバやイモ類の方がはるかに健康的だと言う
のに、かれらは自分の身の丈に応じたコメの飯を食べずにはいられないように見える。


その昔、米国のとあるファーストフードチェーンがインドネシア進出を計画した。まずは
市場調査だ。インドネシアにあるサーベイ会社を通して、そのブランドの標準プロセスで
作った製品を50人に食べてもらい、その意見を集めることが行われた。インドネシアの
顧客ターゲットになるであろう諸階層諸区分を代表すると考えられる50人に謝礼を渡し
て来てもらい、米国で、いや世界的に著名になっているそのブランドの標準製品を試食さ
せてそれに関する意見を聞こうというのである。

4時間にわたって行われたその催しで、50人はただ出されたものを食べ、それに関する
質問用紙にレ点を入れ、さらに意見を紙に書いた。みんなのよく知っているアヤムゴレン
から、揚げた肉を丸いパンにはさんだものまで、かなりの種類に渡ったようだ。もちろん
ハラルフードが配慮されたのは言うに及ばない。


催しは終わり、集められた用紙の集計作業に移り、最終的な集計結果がインドネシア担当
の米国人フランチャイザー代表者に提出された。味覚に関してはおおむね、美味しい、陶
酔に誘われる、といった好評で満ちていた。ところが、意見欄を読んだ米国人代表者は頭
をかきむしった。

「ケチャップとサンバルを添えると、もっと良くなる。温かい白飯と一緒に供すれば、も
っとおいしい。」というようなコメントがマジョリティを占めていたのだ。ここで言うケ
チャップはインドネシアのケチャップであって、トマトケチャップではない。

このインドネシア人の味覚に関する感覚はいったい何なのか?世界中で受け入れられてい
るわがブランドの味付けよりも、ケチャップとサンバルの方が良いと言うのか?特別種の
ジャガイモを使ったフライドポテトや厳選された小麦粉で作った柔らかいパンよりも、ホ
カホカの白飯のほうが良いとは何ということか。インドネシア人の食感覚と食嗜好はとて
も奇妙だ・・・・

だが結局のところ、インドネシアで食べ物ビジネスを行うときにその国民性に合わせなけ
れば仕方がないことを、その米国人も十分に心得ていた。ほかの国ではメニューの多様化
をはかるときに出てくるバリエーションが、インドネシアでは事業開始時から既に取り揃
えられていたのである。

外国のどんな食べ物であれ、サンバルと温い白飯を添えてやればインドネシアで必ず売れ
ると極論するひとさえあるくらいだ。


料理評論家ウイリアム・ウォンソ氏はインドネシア人の味覚嗜好について、「われわれは
一般論として、口の中でさまざまな味が混ぜ合わさっているのを好む。」と語る。

昔から五味という観念があって、人間の舌は5種類の味を感じ取ると考えられてきた。酸、
苦、甘、辛、咸の5つだ。現代ではそこに更に渋みや旨みが加わり、反対にわたしがよく
辣と書いている辛が除外されている。(「辣い」は「カライ」とお読みください)

従来、味覚と見られていた辣は口腔内痛覚受容器官が受けた刺激に対する反応であり、本
来的な味覚に該当しないと結論されたようだ。そのとき、五味さんという姓の方が四味さ
んに変わったかどうかは良く分からない。自画自賛になってしまうが、痛感覚であるなら
辛の文字よりも辣の方がふさわしい印象を与えるかもしれない。[ 続く ]