「グラメラ(4)」(2022年11月24日)

成熟したサトウキビはおよそ7カ月間手に入る。この作業所の稼働期間もそれと歩を合わ
せる。特にサトウキビの熟成が最高に達する8月〜10月がレンデメンのもっとも高まる
時期であり、生産者はその時期の生産量を普段から倍増させようと頑張るのが通例だ。

サトウキビ栽培農民にとっては、この伝統的な小規模民衆製糖業界が大型製糖工場の好不
況のクッションになっている。砂糖の市況によって製糖工場のサトウキビ買い上げ価格が
ダウンしたとき、そのような影響をあまり受けないグラメラ市場にサトウキビを流すこと
が可能になるからだ。

製糖期間が終わると、各製糖作業所で働いていたひとびとはそこから去って、それぞれが
自分の稼ぎ場所に移って行く。養鶏場で働いたり、観葉植物を育てたりしているそうだ。


西スマトラ州アガム県のマニンジャウ湖西北丘陵地帯にプンチャッラワンが位置している。
そこにはサトウキビが一面に生えていて、グラメラ製造の作業小屋がたくさん散らばって
いる。壁がなく、柱が支えている屋根は草ぶきで、てっぺんに穴が開いている。床はもち
ろん土間だ。そんな小屋が百軒を超えて散在しているのだ。

朝になると、男や女がやってきて、ほんの数人で製糖作業を始める。たいていは午前8時
ごろに仕事を始め、夕方17時ごろ片付けて帰宅する。水牛を連れてやってくることが多
いのは、サトウキビ搾りを牛力で行っているからだ。水牛の首に長い棒をつけて円周歩行
させ、その棒が円筒形の搾り機を回転させる。ふたつの円筒の間にサトウキビの幹を通し
て汁を搾り取る。半球状のヤシ殻で左右の目を覆われた水牛は歩き出すと止まらないから、
水牛に付いて歩く人間はいなくてよい。

今や二代目の時代に入ったこの地域のグラメラ生産者は依然として水牛を仕事の友にして
いる。先代がこの仕事を始めたころは、5〜6人の大の大人が木の棒を押していたそうだ。
搾られたサトウキビ汁は大鍋に入れられて炉で熱せられる。濃くドロッとなったグラリは
木製の型に移される。すると2分も経たないうちに固まって赤茶色のグラメラが出来上が
る。

たいていの作業小屋では、一日に3〜4百本のサトウキビを搾り、40キロのグラメラが
生産される。それが流通網に載せられて州内のすみずみまで行き渡る。一軒の作業小屋が
得る一日当たりの収入は10万ルピア前後になる。


西スマトラ州タナダタル県パンダイシケッ村でもグラメラ作りが盛んだ。ここでもサトウ
キビ搾りは水牛が動力源になっている。マラピ火山の麓にあるこの清涼な空気の村には、
サトウキビを原料にするグラメラ作り集団が30以上ある。村民の一部がグループを組み、
先祖代々その仕事を行なってきた。

グループ内では公明正大に分業が行なわれて、成果の分配も公明正大になされている。土
地所有者、サトウキビ伐採集荷役、サトウキビ搾り役、加熱作業や仕上げ工程の担当など
が分業でなされているのだ。ひとびとは作業小屋にやってきて、その日の自分の職務を誠
実に果たす。

伐採集荷役は良く育ったサトウキビを伐り、葉を落として搾り作業の行いやすい長さに切
る。搾り役は水牛を歩かせて搾り機を回転させ、キビの幹を搾って汁を取る。汁が煮詰め
られて赤茶色のグラリになると、それが半球状にされたヤシ殻に移されてグラメラになる。
最高の効率が上がった日には、一日50キロのグラメラが生産されることもある。パンダ
イシケッのグラメラは県内から県外にまで、流通網に乗って流れて行く。[ 続く ]