「グラメラ(6)」(2022年11月28日)

グラクラパはスラカルタやヨグヤカルタで、グラジャワあるいはグラメラという名称の方
がよく通る。ジャワの伝統文学の中にもその製法が登場する。マスガベヒ・プラウィロ・
スディロが著して1897年にラデンマス・ジャイェンクスモが複写本を遺したパカムタ
ルゴノの書にもグラクラパの作り方が紹介されている。


1755年のギヤンティ協定がマタラム王国をスラカルタのスナン王家とヨグヤカルタの
スルタン王家に分裂させたときでさえ、グラクラパはずっと昔から王家と領民の日常生活
必需品になっていた。グヌンキドゥルは16世紀にグラクラパの生産センターになってい
たとデ・フラーフは書いている。

ヨグヤカルタ特別州クロンプロゴ県で産するグラクラパは、ヨグヤカルタのブリンハルジ
ョ市場でも、ソロのパサルグデでも、人気のある商品になっている。クロンプロゴ県コカ
ップ郡ハルゴレジョ町では、ニラクラパを煮詰める甘い香りが日々の町の空気を醸し出し
ている。

町中の一軒のお宅では、台所でご夫婦がグラクラパ作りに励んでいた。ご主人のストリス
ノさんは長い竹筒に入ったニラを30本集めてきて、一度濾してから大きな鍋に入れてい
る。奥さんのカルシナさんは粘土製の炉に掛けられた大鍋を熱し、煮られた液体が沸騰し
てきたらかき混ぜて塊ができないようにしている。加熱作業に4時間かけるのだそうだ。

ニラが茶色いドロッとした液体になったら火からおろし、ヤシの実の殻を割ったものを並
べてそこに液体を注ぐ。あとは自然と冷えて固まるのを待つばかり。冷えたものを殻から
外して集荷人に売る。

このお宅では一日に60〜90リッターのニラを消費して6〜7キロの製品を作っている。
ストリスノさんはだいたい三日ごとに20キロを大手流通業者に販売している。やってく
る集荷人に売ると値が良くない。量をまとめて大手業者に売る方が、値段が良くなる。


ストリスノさんはヤシの木に登ってニラを採集する仕事をしない。このお宅は採集者が持
ってくるニラを買って製品に加工しているのだ。もちろん、生産者の中には自分でニラを
採集する家もある。各生産者が独自のスタイルでビジネスを行い、関係するひとびとの間
でさまざまに関係が結ばれ、それぞれが自分の仕事を成り立たせている。そんなあり方で
グラクラパ生産の大きな歯車が世の中で回っているのである。そして関係者はそれぞれが
自分の身の丈に応じた繁栄を味わっているということだ。

だからこの歯車の中で関係を結んだひとびとは、何世代にもわたってその人間関係を続け
てきたし、またこの先も続けて行くだろう。かれらがその仕事を通じて関わっている相手
との人間関係は決してビジネスライクでドライなものにならない。ウエットで感情的なつ
ながりがそこでの人間関係の基本になっている。


この町で著名な生産者カルト・ウィヨノさんのお宅の作業場は一般家庭の台所の比ではな
い。このお宅は何代も前から大型生産者として「ウィヨノプトロ」という自己ブランドを
付けてマーケティングを行ってきた。現事業主のリニさんは、祖母の時代から続けられて
きた、と家業の歴史を語る。

ヤシの木に登って採集するひとびとからニラを買い集めてくる仲買人でこの家の仕事場に
出入りする者は20人を超える。もちろん一斉に始まったわけではあるまいが、いつの間
にかそれだけの人間関係ができあがっていた。

製品を仕入れにやってくる流通業者もやはりそのくらいの人数がいる。たいてい毎日仕入
れにやってきて、製品を10キロくらい持ち帰る。かれらの商売のスタイルは、相手に損
をさせてでも自分が得をしようという雰囲気があまり感じられない。まるで同じ陣営の仲
間が一緒に商売している雰囲気が濃い。

リニさんの母親の時代には、県内ウォノサリに流れて行く製品が5日間で1トンに達して
いたとかの女は物語っている。ウォノサリから買い付けに来る流通業者がそれほど多かっ
たということなのだろう。[ 続く ]