「留学史(44)」(2022年12月02日)

ある月明りの夜、スパルトは父王の妻のひとりとベランダに座って黄金の光を浴びている
夜景を楽しんでいた。そのとき突然、背中をびりびりと戦慄が走り、ぞっと寒気がした。

その話をすると義母は「怖がらなくてもよいのです。あなたの守護者が後ろに来ているの
だから。」とかれに教えた。スパルトが後ろを振り向くと、人間の姿はないものの何かの
影が自分のすぐ後ろにあった。かれが立ち上がって影に近付くと、影はさがる。スパルト
が下がると影は近寄って来る。数回それを繰り返してから、スパルトはちょっとさがり、
突然影に飛び掛かった。その瞬間に影は消滅した。

翌日の日没ごろ、かれは王宮の中でドラムの音をはっきりと聞いた。マンクヌゴロ王家の
軍隊、マンクヌゴロ軍団は今スラカルタにいない。軍団は総出でオランダ植民地軍と協働
し、日本軍と戦っているのだから。これはいったいどういうことなのだろうか。

スパルトはその疑問を義母に尋ねた。義母は説明した。あのドラムは開祖マンクヌゴロ1
世が反オランダ闘争のさなかに手に入れた家宝のドラムであり、王家の変事や敵の襲来を
ああやって教えてくれるのです。敵がもっと接近してくれば、またドラムの音が聞こえる
でしょう。

そのあと夜になり、しばらくしてから伝令が王に報告を届けに来た。日本軍がサラティガ
の町に入ったそうだ。夜9時になる少し前、またドラムの音がした。待ち構えていたスパ
ルトは宝物蔵の扉の鍵を開いて中に入った。人気のない蔵の中は、あらゆる蔵置物がひっ
そりと置かれたままの姿で居並んでいた。人間がドラムを鳴らした痕などどこにも見られ
なかった。


スパルトにとって、王宮内での生活慣習の中にある不合理な点を受け入れることは容易で
なかった。一般庶民の生活論理に親しんで育ったかれにとって、儀式張った振舞いの中の
不合理性は看過できるものでなかったようだ。まだ年若い王子は父王にこんなことを尋ね
た。
「一般庶民が高貴な人間に対して行っている拝礼というものは、いったい何なのですか?」
「あれは挨拶なのだ。」
「挨拶なら、話の最初と終了時にすればよいのではありませんか?口を開く都度拝礼をす
るのは、多すぎませんか?」

「また何かを言上しに来るとき、遠くの方から腰を落としてしゃがみながら歩いてくるの
は、能率が悪いし、本人を疲れさせているだけではありませんか?しかも、部下や地位の
低い者はみんな地べたに胡坐で尻を付けて座っています。地面の汚い場所でもお構いなし
です。」
「それらは規則があって義務付けられているものではないのだ。それらは下の者が王に対
する服従と忠誠を示したいために行っているものなのだ。」

父王の説明はそれだけで終わった。だが数日後、王宮内での作法に関する新たな命令が出
された。王への拝礼は対面したときと辞去するときだけでよい。腰を落としてしゃがみな
がら貴人に近付く作法は、近くに来てから行えばよい。王に仕える者たちが侍るときの待
機姿勢は、地べたに胡座せず、立ち姿で両手を丹田の下で組むこと。ジャワ語のガプラン
チャン姿勢がそれだ。


スパルトは王宮内で、異分子であり続けた。それは誰の目にも明瞭に映った。体内に入っ
た異分子を排除して有機体が円滑で調和のとれた活動をしようとするのは、生理学的に当
然の反応である。その良し悪しなど誰にも言えない。異分子の存在そのものが間違ってい
ることになるのだから。[ 続く ]