「グラメラ(12)」(2022年12月07日)

ジャワ島の西部はスンダ地方だ。ジャワ島のインド洋側を東から西に旅してみれば解るが、
それまで坦々たる平地を走り続けていたというのにだんだんと高度が高まり、山越えをす
るようになってからは山岳地帯の中を上り下りしながら山道を走るようになる。ジャワ海
沿いのジャワ島北岸部ではそんな印象がほとんど感じられないというのに、南部にだけ見
られるこの違いはいったいどうしたことなのだろうか?

ジャワ島はすべて平坦で、あちらこちらに単山や数個の山の群れがそびえているだけとい
う印象を抱いているひとは、スンダ地方南部をバンジャルからチアミス経由でバンドンま
で走り抜けてみればその印象が塗り替えられるにちがいあるまい。ジャワ人の中にジャワ
文化域内を平地ジャワ、スンダ地方を山地ジャワと呼ぶ人もいるそうだ。ただその視点に
はどうも文化差別意識が感じられないでもない気がする。


チアミス県の山中にあるクタ慣習村の朝は早い。住民のひとりアルナさん70歳はまだ暗
い中を3本の巨大な竹筒を背負って森に向かう。森の中にある7本のアレンの木からニラ
を集めるために。

家からおよそ3百メートル離れた場所にアレンの群生があった。それらはアルナの所有物
なのだ。高さ20メートルを超えるそれらの木は、樹齢がどのくらいなのか見当もつかな
い。20年は超えているだろうとアルナは言う。木に登るための梯子は一本の長い竹の棒
だ。足の親指を入れて身体を支えるための穴が点々と開けられてある。それをアレンの幹
に縛り付けると、まるで身体が覚えているかのように、かれはするするとその梯子を登っ
て行った。

順番にアレンの木に登って上に溜まったニラをロドンと呼ばれる巨大な竹筒に移す。およ
そ20リッターほどのニラが3本のロドンに充満した。かれは帰り支度を始める。すぐに
持ち帰ってグラアレンを作らなければならない。ニラは2時間くらいで傷んで使えなくな
るのだから。

家に帰ると、妻のラニさん65歳が炉に大鍋をかけて待ち構えていた。炉には火が入って
いて、大鍋は焼けている。そこに20リッターほどのニラを注ぎ込んで熱するのだ。煮詰
まるまでに6時間くらいかかると言う。煮詰まったものは竹筒に入れて冷やす。冷えると
粉末状のグラメラが円筒形に成形されたものになる。


このクタ慣習村の住民はグラクラパを作らない。村で作られるのはグラアレンだけなのだ。
祖先からのしきたりによって、グラクラパを作ることが禁止されているのである。村に生
えている985本のアレンの木が総戸数116戸人口385人の村民にとっての甘味の源
泉になっている。

古来からのしきたりには神話がからみついている。稲の女神デウィスリ・ポハチは稲だけ
でなくクラパも生んだ。クラパからグラを採ってはならない。グラはニラアレンから採ら
なければならないのだ。どうしてこの村にだけそんなしきたりが作られたのか?

栄養学的見地からそれが定められたのではないか、とバンドン文化保存館研究者は推測す
る。グラアレンとグラクラパの大きい違いのひとつに、含有油脂分の量がある。グラクラ
パは油脂量が大きく、毎日消費していれば体内の蓄積量に違いが出てくる。この村の先祖
はきっと村民の健康生活に深い関心を抱いたにちがいない。

山地での農作業や山作業で消費されたスタミナの回復に、グラメラはたいへん効果的だ。
それを健康という面からとらえたとき、グラアレンの意味はグラクラパをしのぐものにな
った。だから村の掟の中に、アレンの木に対する保護も定められている。アレンを植える
ときには必ず村を挙げての儀式が営まれ、アレンの木を伐ることは禁止されており、違反
者には厳しい罰が与えられる。


この村にはほかにもさまざまな掟が定められている。墓を集落の中に作ってはならないと
いうのもそのひとつだ。今でこそそんなことは当然の話だが、昔の農村はどこでも家族の
遺体を自宅の庭に埋めていた。

1990年直前にわたしがある会社の工場設立を手伝ったとき、ボゴール県チルンシの水
田をその用地として購入したことがある。広い水田とそこそこの宅地を持つ農家が信じら
れないような単価で土地を売り渡し、引っ越していった。それがそのころ、その地域の土
地相場だったのだから、別にだれが得をしたというわけでもないのだが。[ 続く ]