「餅(9)」(2023年01月19日)

実は、インドネシアにもモチがある。KBBIに標準インドネシア語としてmociが採録さ
れているのだが、イ_ア語ネット内の記事ではmochiと綴られているケースが断然多いよ
うに見える。どうも国産品があまり愛用されていない雰囲気だ。やはり輸入品然とした綴
りのほうが見映えがよいのだろうか。それはともあれ、どちらの綴りが使われようが、イ
ンドネシアでモチは日本の「おもち」を意味している。

と、イ_ア語ウィキペディアをはじめとして、あらゆる記事が「インドネシア語宇宙での
mociは日本の「もち」のことだ」と説明している。しかしどうやら、それは言葉について
の話のようだ。インドネシアでmoci/mochiという名前を付けて売られている食べ物は冒頭
に書いた日本語ウィキペディアの説明にある搗きもちとは別物であるように私には思われ
るのである。


案の定、2022年1月15日付コンパス紙ネットサイトの記事には、インドネシアで知
られている日本のモチとはダイフクあるいはユキミダイフクのことだ、と記されていた。
日本の大福あるいは大福餅とは餡をもちで包んだ和菓子の一種であり、確かにインドネシ
アで売られているモチはほとんどがそれになっている。餡を入れていないモチもあるには
あるが、何らかの形で甘味を外にまぶすか、あるいはモチ自体が甘いものになっているの
が普通だ。

そのコンパス紙記事によれば、スカブミの華人が1960年代に作り売りを始めたそうで、
その時期、華人が働くことを地元政府が禁止したためにかれらはそれで生計を立てようと
したと書かれている。その作り売りがだんだんとプリブミにも広まって生産者が増加し、
世の中で一般的な食べ物になって全国に広まっていった。わたしもバリ島の片田舎で、買
い出しに出たときにスーパーでそのモチと名付けられたダイフクを買うことがある。


インドネシアで有名なモチの産地は西ジャワ州スカブミとチアンジュルが筆頭に挙がり、
中部ジャワのスマランとヨグヤカルタがそれに続く。インドネシアでモチの話になるとま
ずスカブミの名前が出るのが通例だ。

スカブミのモチは日本のもち(と言うより大福)の姿をしているものの、小ぶりの一口サ
イズが普通で、もちは餡を包む皮として使われており、緑・赤・白と多彩な色になってい
る。中の餡はピーナツを素材にしているものが普通だったが、昨今ではチーズ・緑茶・チ
ョコ・ゴマ・ブルーベリー・ストロベリー・ドリアン・オレオなど種々のバリエーション
が用意されている。スカブミ産のモチはバンドンやボゴールでも販売されている。

スカブミのモチは各片が20センチくらいの立方体をしている竹編み籠に5〜7個入って
売られていて、そのためにクエクランジャンとも呼ばれている。なんと陰暦正月の「年▽
nian gao」と同じ名称ではないか。これがラマダン〜イドゥルフィトリのシーズンによく
売れるそうだ。シーズン中は他の時期よりも売り上げが5割増かそれ以上になる。中でも
ルバラン帰省者が都会に戻る時、その土産として大量の需要が発生する。


スカブミにはスカブミのモチに関する由来譚がある。人口に膾炙している説は日本軍がも
たらしたという話だ。スカブミにやってきた日本軍兵はバヤンカラ通りにあるオランダ植
民地警察幹部養成学校を営舎にした。この施設は今でもインドネシア国家警察の幹部養成
学校として機能している。
スカブミの町の歴史は拙作「南往き街道」をご参照ください。
http://omdoyok.web.fc2.com/Kawan/Kawan-NishiShourou/Kawan-13JalanRayaSelatan.pdf
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兵営の台所や種々の雑用に原住民が雇われた。厨房では原住民が調理人の仕事までしたか
ら、技術伝承が必然的に起こった。そう説明に書かれているものの、日本のモチという食
べ物作りが原住民に伝授されたとはっきり書かれているわけではない。しかし日本兵が由
来だという説なのだから、技術伝承の中にこれもあったと思えということなのだろう。と
もかく、そのようにしてスカブミに日本由来の「もち」の種がまかれ、ヌサンタラ初のモ
チ生産地の座にスカブミが着くことを促した。[ 続く ]