「ヌサンタラのドゥリアン(10)」(2023年03月14日)

ヨグヤ特別州クロンプロゴ県ムノレ地方に住む農民のひとり、ペトルス・スギト氏はある
とき、ドリアン売りに尋ねた。
「一番おいしいドリアンは何かね?」
「そりゃドリアンムノレだよ。」

スギトははじめて聞くその名称に自分の耳を疑った。ムノレ山地で生まれ育ったかれ自身
がそんな種類のドリアン名称を聞いたことがない。

その情報を気にかけていたところ、少しずつ関連情報が入って来た。それはムノレ地方に
生えている野生のドリアンであり、滅多に果実が採集されず、しかも流通させるほどの量
が得られないから、世の中に出回ったことがない。しかし知っているひとはだれもがドリ
アンムノレをおいしいと言う。スギトはそこにビジネスチャンスを見た。これで貧しい故
郷の村興しができるかもしれない。

かれは1987年から妻と一緒にムノレ山地を歩き回ってドリアンの樹を探すことをはじ
めた。見つけたドリアンの樹の果実を味わってみて、優良種として繁殖させるのに適切な
ものを探し出すのだ。2年間で7百個を超えるドリアンを食べた。評価は自分と妻の五感
を用いた。そして最終的に、一番美味しいものが3個選び出された。ひとつは果肉が厚い
もの。ひとつは果肉が黄色、もうひとつは果肉が虹色をしている。

それらはバンジャロヨ村プロマサン部落とスランデン部落に生えていた樹に生ったものだ。
もちろん、持ち主がいる。苗を作るために果実の種を持ち主からもらい、持ち帰って発芽
させた。しかしなかなか容易に成果が得られるものではない。80個の種のうちでモノに
なったのは6個だけだった。うまく育った樹が2週間くらい成長したころに母樹の新芽を
接いでみたが、うまく行ったものは少なかった。あれこれと苦心惨憺の末にスギトは15
本の子樹を得ることに成功した。県農業局がスギトの努力の成果に着目して農業省に推薦
し、2007年になってやっと、農業省がムノレを全国優良種に認定する証書を発行した
のである。

ドリアンムノレは果実が大きめだ。果肉は厚く色は黄色と虹色のものがある。味は甘く、
プリンのような食感で、臭いが強い。果肉は簡単に種からはがせる。

スギトは地元だけでなく州一円の農家にドリアンムノレの栽培を勧めた。50軒の農家が
かれの勧めを受け入れた。なにしろ、すでに全国優良種の認定を得ているのだから、経済
性は決して悪くないだろう。全国にあるドリアン農園も新しい優良種の苗を欲しがった。
商品化されたドリアンムノレの生みの親はその後、子供の世話にかかりきりになった。今
やかれは、ドリアンムノレの全国随一の専門家として多忙な日々を送っている。


中部ジャワ州バニュマスにも複数のドリアンをかけあわせて新種の果実を作り出した男が
いる。ドリアン売りの父親に同行して幼いころからドリアンの世界にどっぷりと浸かった
サルノ・アッマッ・ダルソノ氏はドリアンという果実の見分け方を自分の本能の中に吸収
したほどの人物だ。

7歳のころには、ドリアン果実の外観を見ただけで種別を言い当てることができた。今で
も果実を手に持って感触と重さを調べるだけで、果肉が熟しているかどうか、殻が厚いか
どうかを判断できる。更に熟した果肉の甘さ、こってりさ、発酵具合などを嗅覚を使って
知ることもできる。その才能のおかげで、父親の商品買い付けはこの息子に大いに助けら
れたにちがいあるまい。

サルノは地元の小学校教員になったが、かれのドリアンの世界はかれを包み込んで離さな
い。かれも、タイからの輸入品モントン種が美味しいドリアンという国民的な評価を得る
ようになったことを見捨てておけないひとりだった。そんなはずはないだろう。

もしもモントン種に国産優良品種を掛け合わせた結果もっと美味しいものができたなら、
モントン種をそのようにしたのが国産種であるという証明にならないだろうか?かれはそ
の証明に取り掛かった。[ 続く ]