「インドネシアと立派な幽霊(前)」(2023年03月16日)

ライター: 詩人・編集者・教育者、アグス・サルジョノ
ソース: エッセイ集 "Bahasa dan Bonafiditas Hantu" 中の同名エッセイ

文学は私生児ではない。自分の生みの母に関して嘘をついたことがないのだ。ある国で文
学者たちが生み落とした文学作品は多かれ少なかれ、それを産んだ国の様子、思考方法、
感じ方などを映し出すにちがいない。たとえばイギリス社会は幽霊を深く信じているため
にこの国の幽霊話は溢れんばかりになっている。だからイギリス人が、たとえはるか離れ
たアメリカへ移住したとしても、幽霊を信じることを捨て去るのが容易でないのも当然な
のである。それどころか、かれらは幽霊を祝う日さえ設けているのだ。そのハロウィンと
名付けられた日にインドネシアの新興社会層のひとびとの中には、同じような真似をして
お祭りをする者もいる。イギリス社会が持つ原始的観念の残滓がインドネシアの物真似精
神と合わさってモダンさを示すファッションと化しているのがその姿だ。

インドネシア語と幽霊とのつながりは、特に激しいものでもない。インドネシア語の環境
にいる幽霊は、mambangやperiのようなムラユ語から来たものか、あるいはsetanやiblis
のようなアラブ語に由来するものだ。インドネシア語にはsilumanという言葉があるが、
それは既に幽霊のカテゴリーから外れてしまい、熟語を作る要素になってインドネシア語
に豊かさを添えている。インドネシア人に人気の高まっているuang siluman, proyek 
siluman, ijazah silumanなどがそれだ。オルバレジーム末期には幽霊のプレステージを
高める新語が出現した。それはsetan gundul。この言葉はデモや普通の騒擾の際に放火や
人為的暴動を起こす一派を指して使われる。しかしますますレベルアップされて組織を示
すのに使われてはいるものの、setan gundulに対する世間一般の人気はuang silumanの足
元にも及ばない。なぜなら、silumanであろうがなかろうが、uang(金)は金なのだから。

インドネシア語に幽霊のボキャブラリーが限られているのは不思議な限りだ。非合理的な
地方言語文化を捨ててインドネシア語が合理的な現代言語となるようにという意図が働い
た結果がそれなのだろうか?よく判らない。明白なのは、幽霊世界に関わる地方語ボキャ
ブラリーがはるかに多彩で豊富であるということなのである。スンダ語にもジャワ語にも、
lelembut, thuyul, kuntilanak, wewe gombel, genderuwo, setan, jurig, ririwa, Buta 
Hejo, Buta Terongその他たくさんの幽霊が目白押しだ。

幽霊話も地方語文化には数多い。ところがそんな環境であるにも関わらず、幽霊話はある
レベルのプレステージを超えることがない。これはかのイギリスにおける幽霊話がたどっ
た道と大きく違っている。イギリス民族の心に植え付けられた幽霊のプレステージの高さ
は、文学上の価値を疑う余地のないシェークスピアの演劇作品に至るまで、幽霊の姿を頻
繁に描き出すことを実現させているのである。ハムレットは元より、真夏の夜の夢まで、
hantu, mambang, periの勢ぞろいだ。

17世紀を通して幽霊話がイギリス社会を覆い、18世紀にはゴシック文学と名付けられ
た文学世代の出現さえ起った。この文学ジャンルはヨーロッパ中に広まって、ドイツの著
名作家ゲーテはファウストを書き、生命を売り渡すようファウストを説得して成功したメ
フィストフェレスなる幽霊を世に送り出した。ゴシックという名称自体はイギリスの古典
的建築様式を指しており、そんな古色蒼然たる館がたいていの身の毛のよだつ幽霊話の背
景に置かれている。壮麗で頑丈で、しかしひと気の途絶えた空虚な場所だ。イギリスの幽
霊話のほとんどが、そんな背景の中に描かれている。おまけにイギリスをはじめヨーロッ
パの幽霊たちは一般的に、インドネシアの幽霊よりもはるかに立派なのである。幽霊たち
は通常、城館や豪壮な館に住んでいる。吸血鬼ドラキュラは貴族であり、豪華な、しかし
鬼気迫る宮殿に暮らしている。[ 続く ]