「ニニ・トウォッとジェランクン(3)」(2023年03月24日)

この菜籃公というのは本名を陳俊といい、唐時代の881年に福建省で生まれて元時代の
1324年に亡くなった、443歳の長寿者のニックネームだ。菜籃とは野菜を入れる篭
を意味している。

陳俊は自分の子供ができず、年老いて行くに連れて村人たちがかれの世話をした。老齢の
果てに陳俊は身体が委縮して小人になり、5キロくらいの体重の赤ちゃんサイズになって
しまった。村人たちが野良仕事に出る時、陳俊の世話をするためにかれを連れて野に行く
のが常で、村人たちは陳俊を野菜篭に置いて運んだために菜籃公という綽名で呼ばれた。

陳俊が昔住んでいた家には温度73°Cの熱泉があり、料理するためにニワトリをその泉に
しばらく浸けてから引き揚げて身体をこするとニワトリの羽がするするとむけたそうだ。
つまり陳俊は幼いころからほとんど毎日その熱泉の水に触っていたために、それが陳俊の
長寿の原因になったのかもしれない。しかし村人の間で語り伝えられていたストーリーは
そうでなく、こんな話だった。


人間の生死を司っている閻魔の庁に保管されている閻魔帳にはすべての人間のデータが記
されており、そこに記載された死の刻限に個々の人間は死ななければならない。あるとき、
子供が帳面の糸をあやまって切ってしまい、ページが一枚抜け落ちた。それが陳俊のペー
ジだったのである。死の刻限を失った人間が生じたのだ。

閻魔帳のページが一枚抜け落ちていることを知った閻魔大王は、その人間を探せと命じた。
ふたりの幽霊が子供姿になってこの世に現れ、死に漏れている人間探しを行った。そして
途方もない長寿者の存在を知った。

あるとき、石炭がたくさん入っている篭を持ってふたりの子供が陳俊の家の熱泉にやって
きて、石炭を洗いはじめた。陳俊は「何をしているんだ?」と尋ねた。「この黒い石を洗
って白くするんだよ。」と子供のひとりが答えたので、陳俊は大笑いした。

「わしゃ陳俊じゃよ。444年近くも生きて来て、石炭を洗って白くするなんて話はいま
だかつて聞いたこともない。」
その日正午に、陳俊は没した。


そんな話が中国語情報から得られたが、インドネシア語ウィキに記された「菜籃公遊びは
昔、中国で月夜の祭りの夜に月明かりの下で子供たちが行うものだったが、既に廃れてし
まった」という内容に関わる情報は見つからなかった。

中国の菜籃公遊びは篭で作られた人形にPoyangとMoyangの霊を呼び込み、可動式の腕にチ
ョークを結び付けて文字を書かせるものだそうだ。人形は着物を着せて人間らしく見せ、
香を焚いて霊を呼び、霊がそこに入ったら人形が重く感じられるようになる。質問の開始
は人形がうなずくのを待つ。質問の答えは人形が紙や板に文字で書く。中国でこの菜籃公
遊びは廃れてしまったものの、インドネシアに入って定着したのだ、とイ_ア語ウィキペ
ディアは述べている。

しかしそんな説明と同時に、ジャワ島では昔、田に立てられた案山子に霊を乗り移らせる
ことが行われていたという説明もある。ジェランクン人形の骨組みは確かに案山子の形な
のである。


そのイ_ア語ウィキペディアのページに、ミナンカバウのLukah Giloがジェランクンの地
方バージョンとして紹介されている。南プシシル県アンペッバライジュラン郡東ルンポ村
で芸能として行われているルカギロは、魚を獲るための罠であるbubuが使われる。

インドネシア語のブブは竹や籐を編んで作った細長い篭状のもので、魚が入ると出られな
くなる形状をしており、大きいものは長さが1mを超えることもある。日本語ではもんど
りと呼ばれるそうだ。

そのブブを身体に見立て、まっすぐな竹や木の棒を通して腕にし、ウリもしくはヤシの実
の殻を頭にする。身体はカイン・上着・スレンダン・コルセットを着用させ、頭は女性の
ように飾って、女性の人形に仕立て上げる。[ 続く ]