「ジャワ人の幽冥界(3)」(2023年05月25日)

ナロコで自己の浄化ができない霊魂は野獣に生まれ変わり、トラやワニあるいは猛禽にな
る。その場合に霊魂は前に自分が人間であったときの自我の自覚を持っている。野獣の肉
体が死ぬと霊魂はまたナロコに来て浄化を図る。それにまた失敗すると、霊魂は樹木・藪
・草などに生まれ変わる。さらに落ちて行けば鉄鉱石や石になるが、浄化の機会が閉ざさ
れることはない。どこかの時点で清めることがうまく行けば、順次上位のものに生まれ変
わり、最後に人間に生まれ変わる。人間として死んだ霊魂にはコモロコを経由して第一天
上界に向かう道が開かれるのである。


天上界が七層になっているように、地下のナロコも七層になっている。カディラ~グの書
はその七つを次のように呼んでいる。
1.Naraka 
2.Bumi ka ping kalih 
3.Bumi ka ping tiga
4.Bumi ka ping sekawan
5.Bumi ka ping gangsal
6.Bumi ka ping nem
7.Patala

人間だった霊魂がナロコに落ちると、野獣に生まれ変わる。野獣だった霊魂が戻るのはブ
ミカピンカリだ。ここで失敗すれば草に生まれ変わる。草が死ぬとブミカピンティゴに戻
り、生まれ変わって鉄鉱石になる。鉄鉱石はナロコの第5層だ。続いて普通の石になって
第6層、そのすべてに失敗すればパトロの層に入って1kalpaの期間そこの定住者になる。

カルポというのは地底界の時間の単位で、地上界の数千年の長さに相当している。パトロ
層にいる霊魂には1カルポの期間、自分が人間だったことがあるとか、野獣や草木あるい
は石だった時期があるなどという意識がなくなっている。1カルポが過ぎるとその霊魂は
ふたたび人間に生まれ変わり、新しい生を行う機会が与えられる。


一方、他のジャワ史伝や言い伝えの中に、生まれ変わりのプロセスがもっと多岐に分かれ
ているものもある。悪人は必ず動物に生まれ変わる。そして邪悪な生を繰り返したために
霊魂はナロコの最下層まで落ちてしまう。邪悪な生が繰り返されたことによって、生まれ
変わりは鳥、魚、爬虫類、風に乗って飛ぶ細菌や這いまわる細菌、そして最期には蠕虫に
生まれ変わり、死後またパトロに戻って新たな人間の生が与えられるまで1カルポの期間
そこに定住するのである。

地底界の階層構造とその間の移動プロセスについて、霊魂は常に自己浄化の機会が与えら
れ、それをクリヤーすれば一段階上の階層に復帰して最後に人間に生まれ変わることがで
きるという観念はヒンドゥ教の教えによく似ている。

しかし別の言い伝えもあって、その中にナロコの観念は存在せず、悪人の霊魂は地上界で
過酷な罰を受けてから、ふたたび人間に生まれ変わるプロセスが語られている。


それらの諸文献に見られるのは、悪行は必ず罰を受け、報われない善行もありえないとい
う定理である。生前の人間の行いが死後の運命を決めるのだ。その因果を避けることがで
きないため、生きているとき人間は自分の欲望を制御して死後の幸福を確保することに努
めなければならないと言うのだ。

人間が善をなすことに努めず、欲望の赴くままに行動すれば、人間は神から遠ざかって沈
む一方になる。人間は神の世界の一部を成していて、死が肉体という衣を脱がせたときに
その本質があからさまになり、人間としての内容に欠けている者は一段下の野獣のレベル
に落ちることになる。

それは見方を変えると、自然界の中で人間と同居している動物にも人間の霊魂が入ってい
るという見解を生む。だから動物を殺すのはよくよく熟慮した上で行わなければならない
ものになる。その考え方のために、神や霊界に捧げるための生贄だけが殺という行為に関
する絶対的な正当性を持ち得たのではないだろうか。[ 続く ]