「足踏み茶(終)」(2023年05月31日)

チグドゥッ村のオオス・アファンディさん52歳の家にケジェッ茶の加工場がある。この
村でケジェッ茶の生産を続けている唯一の事業者がかれだ。この家業はかれの祖父アバッ
アルパッが1900年ごろに始めた。祖父から父に、そしてかれは1993年にこの家業
を継いだ。ビジネスの頂点は祖父と父がやっていた1970年代だった。あのころはジャ
カルタに製品が定期的に送られていた。今の出荷先はガルッの在来市場が関の山だ。この
製品の名前はもう世間から忘れられてしまったみたいだ。昔の黄金時代はもう遠くに去っ
てしまったと、オオスは家業の移り変わりをそう物語る。


大きい鍋に入れられた25キロの茶葉をひとりの若者が長い木の棒でかき混ぜ続けている。
下では薪が燃えており、加熱された茶葉が発する香りがかぐわしい。

「緑色が茶色がかってくるまで煎るんですよ。」その仕事に就いている23歳のユスフさ
んはそう語った。上半身裸のかれの筋骨は隆々としている。この仕事場がかれのボディビ
ルの源泉にちがいあるまい。

ユスフは焙煎工程の終わった茶葉をその作業場の中に設けられた長い溝に移した。その溝
の片側は30度の傾斜がつけられている。この溝をかれらはケジェッ場と呼んでいる。足
踏み工程がそこで行われるのだ。この工程は、茶葉のヤニを排出させて葉の発酵作用の効
果を高めるのを目的にしている。

ユスフはプラスチック製の靴を履くと、ケジェッ場に踏み込んだ。トレッドミルの上を歩
くような足さばきで溝の中を移動している。「昔ははだしで踏んでましたが、今は清潔さ
のために必ず靴を履いています。」

ケジェッ工程を終えた茶葉はまた鍋に移されて二度目の焙煎にかけられる。ここからは次
の作業者の担当になる。エウナさん50歳が二度目の焙煎を短時間行い、続いて乾燥場に
運んで広げる。乾燥場の熱源も薪の火だ。乾燥工程が終わると2〜3日間放置されて、最
後の選別作業に進む。そのあとで、グレードに従ってより分けられたものが袋詰めされて
販売されるのだ。


その日、オオスの家の作業場では7人の作業者が働いていた。時代から取り残されてしま
ったようなこの家業をやめる気はまったくないとかれは言う。小さくなってしまったにせ
よ、ケジェッ茶の需要はコンスタントに存在している。そしてケジェッ茶を作ることで何
人かのチグドゥッ住民の生計を助けることができる。失業者・学校ドロップアウト・出稼
ぎ失敗者・現金収入の道を持たない主婦たち。ここへ来てケジェッ茶を作ることで、かれ
らはなにがしかの金を得ることができる。「それを考えると、わたしゃこの家業をやめる
ことができません。」

オオスの生き方の恩恵をたっぷりと受け、そしてオオスを尊敬しているひとりがユスフだ
ろう。ユスフは何の技能も学歴も持っていない。かつてかれは一身を元手にしてパダララ
ンの石灰岩採掘現場に出稼ぎに出た。切り崩された石灰岩を運搬する仕事だ。一日の報酬
は2万ルピアで食費なし。石灰岩の粉末が飛び散り、微粒子が空気中に充満している悪環
境。ダイナマイトで破壊されて行く、世間から見捨てられてしまった大自然。安全作業は
言葉だけで、不慮の事故は作業者に付いて回る。ユスフはそんな場で生きることに精神的
に耐えられなくなった。「オオスさんがケジェッ茶製造の作業員を募集しているという話
を聞いて、すぐに帰ってきました。」

ユスフが得る報酬は日当2万5千ルピアで食費が別支給。そんな程度の向上ではたいした
変化が起こったとは言えないかもしれない。だがユスフにとっては、故郷で落ち着いた暮
らしができることのほうがかれの精神にはるかに大きな安らぎを与えているにちがいある
まい。[ 完 ]