「居留地制度と通行証制度(13)」(2024年05月14日)

この数次通行証は1.5フルデンの印紙の上に発行者がサインする。それを望む者は1.
5フルデンの証紙に申請を書かなければならない。申請はだれにでも書けるものでない。
書けない者は3〜5フルデンを払ってだれかに書いてもらわなければならない。その全額
を申請者が負担するのだから、小さくない出費になる。

申請書作りの注文を受けた者も全部自分が書くわけでなく、他の者に下請けさせて自分の
収入の一部を支払う。その昔、市庁舎の一室を借りてさまざまな申請書を書く仕事をして
いるオランダ人民間人がいた。住民は実にさまざまな申請をしにやってきて、作らせた申
請書をレシデンに提出するのである。たとえば祭りを開くために家の表の道路に舞台をし
つらえて歌舞を演じさせ、世間に娯楽を供するといったことは昔から行われてきた。コミ
ュニティ役員が承諾すればそれでよしということにはなっていなかったのである。

この数次パスの新企画に関して該当する各レシデン統治区の行政長官が具体的にどのよう
な手続きを考えているかについて、下のような話を聞いた。

あるレシデンはこう考えている。社会的な名声を持つ者については各民族の統率者の意見
を参考にする。統率者が推薦すればよし、首を傾げたらボツだ。最初の一回目だけ申請書
を提出させ、期限が切れたら申請書なしで更新すればよい。しかし別のレシデンは、期限
が切れたらまた申請を出させなければならないと考えている。他のレシデンの中には、年
間の納税額が10フローリンに満たない者はこの通行証を得る資格がないと見ている。

この通行証を申請した者の中に、自分が行く可能性のある目的地の地名を11ヵ所並べた
者があった。レシデンが尋ねた。
「本当にこんなにたくさんの場所へおまえは行くのか?」
「今は断言できませんが、行くかもしれません。」
「そうじゃなくて、普段からよく行く場所だけにしろ。」
そう言われて、かれは少し減らした。その申請者がこれまで使った通行証をレシデンは秘
書に調べさせた。いざかれ名義の数次通行証が発行されたとき、目的地の地名は2ヵ所だ
けになっていた。


この新企画に関する規則の意図を考えるなら、通行証の期限が来るたびに申請書を出させ
るようなことはその趣旨に反しているように思われる。印紙の無駄使いをしているだけで
はないだろうか。社会的名声を持つ者にだけ与えられるものであるなら、その更新に金と
手数をかけさせることを考えるレシデンは誠実さの面でわれわれに不審を感じさせずには
おかないだろう。

たとえばある町で百人くらいの異民族居留者が、自分はコミュニティで社会的名声を持っ
ており、数次パスを与えられる資格が備わっていると思うだろう。しかし最終決定権はレ
シデンの手中にある。百通の申請書がデスクの上に積み上げられたとき、レシデンはその
すべてに数次パスを与えようなどとはまず考えないはずだ。そんなことをすれば、選択審
査をしなかったと批判されるのがオチだ。

レシデンは10〜20通に絞るのが妥当だと考えるだろう。その時点で80〜90通に貼
られた印紙と申請書作成のために支払われた費用がパーになるのである。

この数次通行証の企画は政庁上層部が通行証制度の軽減を頭の片隅に置いていることを証
明するものだ。百年もの間、東洋人居留者という烙印を捺されてプリブミ以下の扱いを甘
受して来た華人コミュニティに希望の光が差し込んで来たことを感じさせる現象なのであ
る。しかし実態は、各レシデンの考え方によってさまざまなバリエーションが各地に出現
することになる。

われわれは法の精神が現場で一様に実現することを期待しているにもかかわらず、その実
行はレシデンたちの手の中にあるのである。[ 続く ]