「世界を揺さぶったスパイス(19)」(2024年05月16日)

テルナーテ市内トゴレ郡にある樹齢2百年超のチュンケアフォIIIも2023年2月に事
故に襲われた。幹のひとつが強風のために割れて倒れたのである。残っているもうひとつ
の幹も頼りなく風に揺れている。

地元政府と民間はチュンケアフォIVを指定することになるだろう。トゴレ郡一帯には樹齢
150年から2百年超というクローブの木がかなり残っているので、候補者には事欠かな
いと思われる。

アフォという名称は地元の言葉で「古い」を意味するものという説と、VOCが行ったク
ローブの生産調整方針でテルナーテ島に生えているクローブの木を全滅させることが行わ
れたときにその木をアルファラッという名前の地元民が救った故事にちなんで命名された
という説が語られている。テルナーテ島でクローブの植樹が再開されたとき、アフォIが
すべての木の親になったそうだ。テルナーテのクローブ農民はだれもがそんな話をする。


各国の古文書や歴史遺物から明らかになっているクローブの歴史の中には、紀元前260
0年ごろにシリアで人気のあるスパイスになっていたこと、紀元前1700年代のメソポ
タミア遺跡からクローブが見つかっていること、中国では医薬品として使われ、更に紀元
前207年から紀元後220年まで続いた漢王朝で皇帝の接見を受ける際に口臭を消すた
めに使われていたこと、唐の時代に料理に使われるようになったことなどが散見される。

中国人はこのクローブを釘子と名付けた。中古音発音はテンツだ。茎付きのまま乾燥させ
た蕾の姿を見たら、たしかに釘を連想しそうだ。中国人は釘という文字の省略形として丁
の字を使ったようで、丁子という文字が日本に入り、日本人はその漢字を「ちょうじ」と
発音した。日本にも5〜6世紀に医薬品としてのクローブが中国経由で伝来したとされて
いる。


2017年8月のコンパス紙記事に記されたクローブ年表には次のような内容が記されて
いた。
・1450年 中国・ムラユ・ジャワ・アラブ・ペルシャ・グジャラートなどから交易船
がマルクを訪れてクローブを買った。
・1512年 ポルトガル人がテルナーテに到来。スルタン バヤヌラがポルトガルにス
パイスの独占貿易権を与えた。
・1521年 スペイン人がティドーレに上陸。スルタン アルマンスルがクローブの独
占貿易権を与える。
・1575年 ポルトガルのテルナーテ占領時代が終わる。
・1579年 イギリスの交渉団がテルナーテを訪問。クローブの貿易が討議された。
・1588〜1602年 オランダがテルナーテから積極的にクローブを購入。
・1607年 テルナーテがスペイン人を追い払うのにオランダが協力。
・1662〜1663年 スペイン軍がテルナーテから去ってマニラに移る。
・1770年 フランス人がクローブの苗を盗み出してモーリシャスに植えた。
・1801〜1803年 イギリスがマルクからクローブの苗をペナンに持ち出す。その
苗は今やザンジバルクローブと呼ばれている。
・1836年 マルク行政長官メルクスがVOC方式のスパイス独占政策を廃止した。

いまインドネシアで生産されているクローブもナツメグも、外国産の物に比べて評価が劣
っている。クローブはザンジバル産、ナツメグはグレナダ産が世界的な評価を得ているの
だ。元々マルクが原産地でマルクの外にはどこにもなかった植物が、VOCが独占を維持
しようと必死になったにもかかわらず、1769年にフランス人がマルクからクローブを
盗み出してモーリシャスに植え、更にレユニオンから他の諸地方に拡散した。イギリス人
もイギリス占領時代に堂々とクローブとナツメグをマルクから運び出して自分の植民地に
植えた。ザンジバルやグレナダにも植えられたのである。[ 続く ]