「印尼華人の実像(17)」(2024年08月08日) 西ジャカルタ市チュンカレンのトゥガラルル地区も昔から貧困農民の土地だった。そこに 住む華人プラナカンたちも農民の末裔だ。ある日、その一軒の家では華人の一家が総出で 紙をプラ袋に詰めている。家の表のベランダがその作業場にされているから、その様子は 外から丸見えだ。竹編み壁のその家は広さ5x8メートル、床は土間とセメントを流した 部分に分かれている。壁には窓も通風孔もない。電気ももちろん来ていない。その一家が この家に住むようになったのは1960年代だった。そのころから今まで、居住者にはさ まざまな変化が起こったというのに、住環境にはほとんど何も変化が起こっていない。 「この仕事は1キロで250ルピアになる。たいてい三日間で30キロできる。」主人の ポンイッさん61歳が言う。妻のポリさん50歳と末息子のイルワン15歳、孫娘のリー チェン10歳とリーチャ12歳がこの家の住人だ。その仕事で手に入る7千5百ルピアが 三日間の総収入になる。この一家は毎日、ひとつの問いを抱えて生きている。明日は食べ られるだろうか、という問いを。 ポンイッとポリの夫婦はその家で子供を10人作り、そして6人が死んだ。ポンイッはこ の近くで生まれ育った人間で、ポリはタングランのチナベンテンだ。結婚生活は30年を 超えたものの、一家の暮らしには大きな変化など何ひとつない。おまけに子供たちをひと りも学校へやることができなかった。家に残っているイルワンは脚が悪い。満足に歩けな いのだ。多分幼児期にポリオを患ったのだろう。 孫娘のふたりも小学三年生で学校をやめた。父親が亡くなったために母親が祖母のポリに ふたりを預けたためだ。リーチェンとリーチャの母親は自宅の近所の家の洗濯女になって 収入を得ている。6人の子供を食べさせるのは無理だから、子供をふたり実家の祖母に預 けたのだった。この家でインドネシア語の読み書きができるのはその孫娘ふたりだけ。そ れでも小学校低学年の学力しかない。ましてや中国語の読み書きなど、まったく無縁の世 界にかれらはいる。 トゥガラルル地区に住んでいる別の華人家庭の主婦、リリ夫人43歳も読み書きができな い。子供のころ、小学校の本やノートを買うことができないため学校へ行かしてもらえな かった。リリも子供を9人もうけて、3人を失った。7番目の子供ノニ12歳も小学三年 生で学校をやめた。 リリはしばらく前に妊娠していることが思いがけなく判明した。しかしまったく助産婦の ところへ健診に行こうとしない。一回行くと2万5千ルピアかかるから、そんな大金を自 分のために使う気がかの女にはない。出産のときはたいてい助産婦の助手に来てもらう。 そうすれば費用は20万ルピアで済む。自力で出産したことも何回かある。へその緒を切 るのに助産婦を頼むと、注射と飲み薬を含めて35万ルピアになる。いつも2回の分割払 いにしてもらったとかの女は語る。 「この子が生まれたら、そこにいる孫より3ヵ月年下になるんですよ。」ノニが抱いてい る赤ちゃんを指差して、臨月の近づいてきたリリはそう言う。その赤ちゃんはノニの姉が 産んだ子供だ。 避妊のことを知っているかと記者が尋ねると、リリはポカンとした。国が避妊を国民社会 に普及促進しており、体制が作られているのだと説明すると、「お馬鹿さんだねえ」とリ リは笑いながら自嘲した。 リリの夫は建築労働者だ。仕事があれば一日2万5千ルピアを稼ぐ。仕事がなければ1ル ピアもない。金がなければ借金するしかない。金が入ったときはまず第一に借金の返済に 充てる。「ハヤトウリでもあれば御の字だわ。ともかく米がなきゃ。米さえあれば食べて いけるから。」 トゥガラルル地区は水の便が悪い。乾季になると自然水を手に入れるのが不可能になり、 水売りから水を買わなければならなくなる。リリの一家は一日に4ピクルの水を消費する。 価格は1ピクルが1,200ルピア。 また別の華人家庭では、建築労働者の夫が病気で数ヵ月間伏せっているために妻のアニさ ん38歳が近所の二軒の家の洗濯を引き受け、それぞれから月額8万ルピアを得ている。 金がなくなるとワルンで食材を買うときツケにする。月給をもらうとすぐにツケを清算す るので、給料を満額家に持ち帰ったためしがない。月額25万ルピアの家賃を払う時には たいへんなことになる。[ 続く ]