「印尼華人の実像(18)」(2024年08月09日) それら華人プラナカン女性たちの生き様も、どこにでもある昔ながらの虐げられた第二の 性をあからさまに示している。家庭を背負う大黒柱を務めつつ、同時に夫を立て、夫に従 順に尽くし、夫の支配権を問題にしない女の姿だ。 華人プラナカンはインドネシア総人口の4パーセントを占めており、それがインドネシア 経済の7割超を支配しているという常套句がもたらすイメージから、この底辺に生きてい るかれらの姿はきっと想像もできないものであるにちがいない。 1998年5月暴動で、社会一般が持っているステレオタイプ型のそんなイメージが華人 への襲撃を煽り、広範な地域で華人女性に対するレープを誘発した。そのできごとは、プ リブミ社会が持っている人種差別と社会経済生活における特定階層に向けられた嫉妬と憎 悪が一束になって華人系という一点に引き絞られた結果起こった現象だったことをわれわ れに教えている。 華人大実業家とプリブミ政治支配者との癒着に関する諸論説。大型汚職が摘発されても法 曹界が張本人を放免したり、あるいは国外逃亡するのを防ぐこともできないことを報道す るマスコミ。それらは事実であるが、この世のありとあらゆるフェーズには善悪や良否が 混じり合ってバランスが形成されているという原理はそれらの事件報道の中に出現し得な いものだ。 それらの事実が華人は悪事を行って大金持ちになる連中だと語るとき、つまり華人は悪人 だというメッセージがプリブミ社会に投げ込まれるとき、ネガティブなイメージがプリブ ミ社会の共通理解の一ページに刻み込まれることになる。そうなったら、清く慎ましく生 きている華人の居場所はなくなるのである。 華人プラナカン社会の構造についてコンパス紙は、経済的に強い力を持っている華人層は 最大でも人口の5%しかおらず、残りはミドルクラス、ロワーミドル、低経済階層に分か れていると書いている。そのわずか5%あるかないかの華人がインドネシア華人のすべて を代表しているように描かれたレッテルが、プリブミの持っているイメージの根幹を成し ているように思われる。 そればかりではない。トゥガラルルのプラナカン女性たちは華人社会すら自分たちを同類 と見なしていないと言うのである。金を持っている階層として暮らしているプラナカンた ちは自分たちを同じ華人系だという目で見ていない、という辛辣な批判をかの女たちは語 った。時として、華人プラナカン層が自分たちを取り巻いているプリブミ社会に何かを団 結してアピールするようなことが起こっても、普段から交際のない貧困華人層に何らかの 話が行くことすらまず起こったためしがない。 その一方で、トゥガラルルという貧困地区が何らかの社会的動きを示そうとする場合でも、 マジョリティを占めるプリブミ住民がかれらだけで動くのが通常であり、そこに華人貧困 者を招いて一緒に行動するということも起こらないのだ。このジャカルタという大都市の 辺縁部にあるどん底の世界にも、多重差別という現象が構造的な問題として横たわってい るのである。[ 続く ]