「印尼華人の実像(19)」(2024年08月12日)

かれら自身は自分のアイデンティティをどこに置いているのだろうか?トゥガラルル地区
に住む華人系女性のひとりはこう語った。「わたしらはブタウィ華人なんですよ。」

確かにかの女たちは茶色い肌に大きい目をしていて、顔の作りにどことなく東アジア系の
雰囲気が漂うだけの、むしろブタウィ人に近い外見をしている。もちろん遺伝子の関係だ
ろうか、肌が白っぽくて目の細い、東アジア系をすぐに思い出させる姿のひとも中にはい
る。日常会話はブタウィ語を話し、生活作法も中華風よりはるかにブタウィ風であるよう
に見える。


やっかいなのは、身分証明に関わる行政への登録だ。貧困者には子供に相続する遺産など
何ひとつありはしない。法的行為を行なうことが何もないなら、自分の存在を政府に登録
する必要などないとかれら自身が考えがちだ。ましてやその登録に金を払わせられるのな
らなおさらのことだろう。子供が生まれて出生届を出す者もあるにはあるが、自分の出生
届すら持っていない大人も大勢いる。

元々プリブミにとっては、KTP(住民証明書)がインドネシア国籍を示すものであった。
KTPが発行される対象者はインドネシア国籍者に限定されていたのだ。その法解釈はメ
ガワティ大統領の時代に、出生証明書にウエイトがシフトした。

オランダ時代に東洋人在留者に区分されていたひとびとに対してインドネシア共和国は、
かれらにインドネシア国籍を与えるに際してSBKRI(インドネシア共和国国籍証明書)
を発行した。だから華人プラナカンは自分がインドネシア国籍を持っていることを主張す
るために先祖のだれかが得たSBKRIを示す必要があった。SBKRIがないために出
生証明書・婚姻証明書・住民証明書などの国民行政管理手続きを拒否される華人プラナカ
ンは昔から大勢いた。

トゥガラルルのリリはこれまで自分のKTPを持ったことがないと言う。他にも華人プラ
ナカン女性たちの中に、持ったことがないか、持ったことがあっても延長しなかったため
に現在有効なものを持っていない者が少なくない。


華人プラナカン社会で国籍を証明する公的書類を持たない者がかなりの数にのぼっていた
のは、そもそも共和国行政側がそれを強制するようなことがらでなかったという原則論が
あり、一方で華人プラナカンの側も、そんな手続きなど何もなしに昔から先祖代々続けて
きた暮らしを継続して営むことができたということが大きい要因として働いたのがその原
因だったと思われる。結局は本人の意識の問題に帰せられてしまったのだから。そのため
に貧困層=低学歴層のプラナカンにそんな傾向が強く見られるのである。

その形式的なポイントを衝いて、かれらは何世代も継続的に不法居住している異民族・外
国人だと言うことはできるかもしれない。だがかれらの生活を詳しく観察してみるなら、
かれら貧困層=低学歴層のライフスタイルは地元プリブミの文化に色濃く覆われているこ
とが明白に分かるだろう。

血統という一点だけに焦点を当てて区別を行なうことの妥当性に疑問が生じないだろうか。
ましてやそこで言われている血統の本質はプリブミと華人との混血者ではないか。そんな
人間を異民族・異人種・異文化人という檻の中に押し込めた歴史は植民地支配をヌサンタ
ラに敷いた西洋人が始めたことだ。過去の植民地支配を否定しながらも、このポイントに
限って後生大事に植民地支配者の正義に従い続けていることを矛盾と感じない原因はいっ
たいどこにあるのだろうか?[ 続く ]