「人間と支配欲(5)」(2024年08月14日) 男女のカップルがふたりの生活を営むとき、協議を行う中で何が正で何が誤なのかを判断 し決定を行う立場に立つのはどちらなのか。自分がその位置に立てなかったとき、自分の 正当性は失われ、相手に仕切られ、自分を相手に合わせるよう強いられる。自分の希求し ているメリットを自分が手に入れる機会も減少し、心理的な負担が心のひだに降り積もる ようになる。 必ずというわけでないものの概して一般的に、インドネシア文化の中でその被支配者の位 置に置かれるのは女性だ。問題が起これば悪者にされ、自分を低くして状況や他人に合わ せて行くように要求される。自分にとってのメリットを追求することは許されない。 家庭の収入を確保するために共稼ぎをしている妻であっても、夫は家事と子供の世話のす べて、更には夫の身の回りの世話までをも妻の務めと定め、家の中では妻の負担を軽減さ せるような協力を何ひとつ行わない。そんな家庭生活で何か問題が起こり、あるいは夫の 不満が鬱積したとき、妻が非難され悪者にされる。大きな問題になる前にうまく対応する ことを怠った、時間を上手に使っていない、家族のことを真剣に考えていない・・・ セックスの面でも、社会は一方的に女に対してのみ処女性を要求する。結婚する前に性体 験を持った女は人間としての価値が薄っぺらいものにされてしまう。良い女は結婚した男 にだけ自分の肉体を捧げるのが義務であり、女としての義務を怠るのは悪い女だ。 クリスティの調査によれば、恋愛関係の相手に暴力を振るう者は恋人と肉体関係に入った ことに罪悪感を抱いておらず、相手の女は誘われると応じてくる、身持ちの悪い女だと考 えているケースが一般的だ。われわれはセックスに関するダブルスタンダードの存在を明 白にそこに見出すことになる。一度肉体関係が成立すると、二回目以降はあって当然のも のごとになり、男の女に対する尊重の観念は失われていく。 一方、女の側からその状況を見るなら、状況は不安と不安定さに満ち、自尊心が持てなく なり、自分が価値のない人間であるような気がし、光明の見出せない中で途方に暮れてし まう。男に捨てられることが恐怖の焦点になる。ましてや妊娠でもしてしまったならその 不安は最大限になるだろう。家族から自分が非難されることを恐れ、世間の悪評が自分を どん底に突き落とす不安に包まれる。一緒にどんなセックス行為をしたかを世間にバラす ぞと相手に脅かされて、写真やビデオを撮らせるんじゃなかったと深い後悔にさいなまれ る。結局女は男の言いなりになって、搾取される被支配者に落ち込んでいく。 ふたりの関係の主導権を握ろうとする者が必ず暴力を振るうわけでもない。暴力は時に、 フラストレーションの表現形態として出現することもある。被支配者の立場に置かれた者 がそれに満足できず、しかし円満な人間関係を続けようと努力して感情を抑圧し続けたあ と、不公平な態度・蔑み・自尊心の痛みといった何らかの契機によって怒りが爆発し、暴 力へと走るのである。[ 続く ]