「人間と支配欲(終)」(2024年08月15日)

クリスティは結婚4カ月目に妻を殺害した22歳の男の事件を例に引いた。善良で悪にま
だナイーブな若者に恋人ができ、そして肉体関係が瞬く間に進展した。かれは罪悪感を抱
き、女を結婚に誘った。結婚するに当たって、かれはそれまで働いていた携帯電話ショッ
プの店番をやめてしまった。新しい仕事がすぐに見つかると思ったのだ。ところがその考
えは甘かった。

かれは妻の家に入って姑と三人で暮らし始めた。いくら婿だとはいえ、無職の人間が転が
り込んで来たのだ。姑と妻の冷たい蔑みの態度をかれは克服しようと努めた。居候の立場
を少しでも和らげようとして、かれは毎朝家の掃除をし、朝食を作った。

ある朝、かれは妻が男と長電話しているのを耳にした。電話で相手をダーリンと呼び合い、
睦言を交わしている。かれは自分の心を落ち着かせようとして水浴した。浴室でゆっくり
してから出てきたと言うのに、妻の睦言電話はまだ続いている。怒りがかれの全身を襲っ
た。かれはオートバイに乗ってどこかへ行こうとした。どこでもいい、ここでない、どこ
か遠くへ。

妻がかれを追いかけて来て、かれに叫んだ。
「あんたって何なの?わたしの家に居候にやってきて・・・!」
怒りがかれの自制心を粉砕した。かれは回れ右すると、妻を引きずって台所に行き、つい
さっき朝食のサンバルを作るのに使った石のウルカンを手にして妻の頭を何度もそれで打
った。妻の身体から力が抜けてしまったことに気付いて、かれははじめて自分が何をした
のかを悟った。妻は死に、かれは入獄12年の判決を受けた。

かれはその時まで一度も妻に向かって手を挙げたことがなかった。その日起こったできご
とがかれを茫然自失にした。かれは大きなショックの中に投げ込まれたのだ。

クリスティは刑務所の犯罪者に対する心理カウンセリングを行う中で、この青年にも会っ
ている。刑務所の中でかれは抑うつ状態になっていた。かれは紙に「自分は妻の殺人者だ」
という文を何度も書いた。自分を正当化しようとする姿勢は少しも見られなかった。


愛情関係の中にも支配被支配関係は侵入してくるだろう。そして時にはそれが覇権の獲得
・相手への蔑視・相手に指図し・最後の言葉を言い・自分のメリットや歓びのために相手
を利用するような行為に向かわせることも起こりうる。共同生活をする相手のことなど気
にもかけず、それどころかその相手に苦痛を与えることすら故意に行う。しかしどれほど
激しくリーダーシップを奪い合おうが、抑えつけた相手も時にフラストレーションを爆発
させて反撃することがあるのを忘れてはならない。

個人的な人間関係の中での暴力は社会構造学的な面から対策が講じられなければならない。
法規・政策・社会サービス機関などが重要なコマになるだろう。やっかいなのは、愛情関
係とヘゲモニー関係がひとつの人間関係の中で複雑に絡み合っているケースだ。外面から
うかがえるような内容が奥底まで続いているようなことはまずありえない。土の中に隠れ
た根は奥深くまで達し、容易に解きほぐすことができず、おまけに本人が意識していない
ものすら混じりこんでいる。

インドネシアの社会慣習のせいで、若者たちも男優女劣の価値観を抱え込む傾向がまだま
だ強い。それは特に、知性面で中流以下の階層にいまだに根深く生き残っている。その保
守的な価値観は、人間の本源的な支配被支配への欲求が持つ根に社会制度の形式をかぶせ
て温存してきたものであるようにわたしには思われる。

たとえ男女同等の価値観が社会を統御するのに成功したとしても、人間の本源的な欲求が
生み出す争いの根が絶たれる日はやってこないのではないだろうか。これはあまりにも悲
観的な意見だろうか?[ 完 ]