「ムアロジャンビ遺跡(4)」(2024年08月19日) 一方、チャンディクダトンは8世紀から11世紀までの間に何度か改築が行われたことを 推測させている。この遺跡から青銅の大鍋が見つかった。直系およそ1メートル、高さも 1メートルほどある巨大なもので、縁には何かを吊り下げるための吊り金具が付いている。 この大鍋は大勢の人間を集めて営まれる儀式の際に使われていたのではないかと見られて いる。 面白いことにこのチャンディの敷地では、建物を取り巻く庭が16の区画に区分されてい ることが判明した。建物はその中央に鎮座している。その区画はそれぞれが独自の機能を 与えられて使われたことが分かってきた。全員が集合する区画、清めのための区画、瞑想 の区画、礼拝の区画等々だ。しかも修行と学習を積んで高いレベルに達した学僧とまだ低 い段階にある者とは別の区画に分けられ、また男女も別の区画に分けられた。 この学林では、修行者は位階が上がるときに儀式が行われた。その儀式を受けない者が上 位者の区画に入ることは許されなかった。学僧にとっての最高の位階に達した者だけが中 央にある建物に入ることができた。 中央建物で粘土製のろうそく立てのある仏壇らしいものが見つかっている。建物内に入る ための清めのプロセスがそこでなされていたようだ。 チャンディグンプン、チャンディティンギ、チャンディクンバルバトゥに挟まれた場所に 貯水池タラゴラジョがある。その東側地面14x10メートルの発掘調査が行われた20 06年に古代の溶鉱炉が地面の下から出現した。そこからは12世紀のものと見られる水 銀入れ容器、つぼ、水差し、釜などが先に発見されていた。 炉は4x4メートルの恒久的建造物の中に納まっており、その周囲を包んでいる高さ2メ ートルの古代レンガ製の壁から3メートルほど離されていた。隅にはレンガ製の柱の土台 が設けられていた。この建物の崩壊は老朽化による自然現象と結論付けられた。 炉の中には燃料の燃え残りがあり、炉の外には炭が2メートル半くらいの広さで積み上げ られている。この炉は仏教儀式で使われる金属製道具類を作るために使われていたのでは ないかと考えられる。 チャンディのレンガ構造は建物の台座の形式をしたものが多く、その上に木造の家屋が建 てられていたことが推測されている。ジャワ島で一般に見られるチャンディとは建築様式 が違っているのだ。ムアロジャンビの一帯は豊かな森林に恵まれていて、家屋を建てるた めの材木はふんだんに手に入ったはずだ。 チャンディとはまた別に、住居跡も見つかっている。住居の遺跡は7世紀から13世紀に かけてのもので、そのころ一般住民の住居は木で造られていたように思われる。千人を超 える学僧たちは木造の家屋(多分、学生寮の形式)で生活したと推測されている。そして 学僧たちを世話する地元民も一緒になってこの町の中で生活した。赤レンガ作りのチャン ディの合間を木造の建物が埋めていたイメージがこの町の姿だったのだろう。 住居跡から発掘された遺物の中で目立つのは中国で作られた陶器の食器類だった。食事の 際に陶器皿に食べ物を置いて食べる作法は中国のものであり、古代のヌサンタラではバナ ナの葉が皿の代わりを務めていた。この都市の中で展開されていた文化が外の世界とは違 っていた印象をそこから感じることができるだろう。[ 続く ]