「ムラユの大河(3)」(2024年08月29日) ブンクル州ルジャンルボン県チュルップ郡の奥地にある、海抜およそ1千8百メートルの ブキックラムにムシ河の源流があり、そこはチュルップ郡の中心地であるチュルップの街 から15キロ北東に位置している。チュルップの街は住民人口2万6千人を擁する大きな 町だ。ムシ河の水源を訪れたければルジャンルボン県アイルドゥク村からそこへ行くこと になる。オートバイが通ることのできる石だらけの道が訪問者を水源から流れ出る澄み切 った水流のチャンカカナン川に導いてくれるのだ。 オートバイを使えばその4キロの距離を20分で走破できる。徒歩であれば途中にあるコ ーヒー園を横断し、斜度およそ70度の崖を降りることで距離は3キロに縮まる。その場 合は鉈を手にして藪を薙ぎ払いつつ枝につかまりながら急傾斜を進むことになる。 そのようにして、2時間の徒歩行程でやっとチャンカカナン川の岸辺に着く。そこまでが 住民一般の自由活動領域の限界になっていて、そこから上はクリンチスブラッ国立公園管 理者の責任領域なのだ。 チャンカカナン川は少し下ったところでチャンカキリ川と合流する。そこで一本の流れに なってアイルムシと呼ばれる川になり、スマトラ島東海岸に向かって何百キロもの旅をす る。チャンカキリ川もブキックラムの別の場所に端を発している水流であり、つまりムシ 河の水源は二カ所あるということになるのだが、チュルップの街からはチャンカカナン川 の方が手前にあるために、ムシ河の水源訪問はチャンカカナン川の源流に向かうのが通常 になっているのだ。川沿いに徒歩で源流に向かうと、およそ7時間後にやっと目的地に到 着することができる。 下流ではゆったりと流れているムシ河にも、上流には通行の難所がいくつかある。そのひ とつがンパッラワン県タンジュンラヤから12キロほど下ったあたりからはじまる急流だ。 そこに至るまで河の両岸は濃い緑に埋め尽くされ、樹上には猿が遊び、大木で羽を休めて いるコウモリの大集団がいる。猿は赤茶っぽい毛色で尻尾の長いラングール種。地元民は その猿をsimpaiと呼んでいる。このシンパイはスマトラ島南西部地方をハビタットにして いる。 ムシ河の流れが強まる流域では地形によって水流が渦を巻き、通過する船をそこに吸い寄 せて沈めようとするし、巨大な石塊が水面上あるいは水面下に待ち伏せして、水流が運ん でくる船を打ち壊そうとする。古い昔にムシ河を上り下りする船はそれらの難所を通り抜 けなければならなかった。船頭や操船者は鋭い判断と巧みに船を動かす技能が無しには済 まなかったのである。 ムシ河の中流でも、河川流域の住民の中に昔ながらの河を舞台にした生活を営んでいるひ とびとが少なくない。河を交通路に使い、また川魚を捕獲して食料にしている。 雨季に豪雨が降るとムシは氾濫する。中流にある町々も洪水に襲われるのは毎年のことだ。 町人の多くは陸上生活を主体にしているから、地面が水浸しになると早く水が退くように 望むのだが、川魚を捕獲しているひとたちは反対に水がたっぷり流れ込むことが続くよう に願うのだ。川魚が増えるのだから。 南スマトラ州ムシバニュアシン県の首府スカユから25キロほど北西に位置しているババ ットマン郡には、木製の魚捕り籠を水中に仕掛けて魚を生け捕りにしている漁労者が何十 人もいる。かれらにとって洪水は漁果を増やす天の恵みなのである。 水があふれたとき、地面を覆った水を排水溝を通して本来の水流に戻すために地中に埋め こまれた大型排水管の出口にcorongと呼ばれる魚捕り籠を仕掛けるひともかれらの中にい る。一般的なチョロンは、グラムの木で枠組みしてから竹を割った棒で円錐形に作った長 い籠になっていて、魚がその籠に入って狭くなっている空間まで進むと逆戻りできなくな る原理を応用している。[ 続く ]