「ムラユの大河(4)」(2024年08月30日)

洪水のときに漁をしに出てくるひとびとと違って、河にチョロンを常設しているひともい
る。そのひとり、マッ ルスナイニといつも呼ばれているルスナイニさん(55歳女性)
は長さ25メートルの大型チョロンで日々、漁をしている。20キロまで魚を捕獲できる
その大型チョロンは7百万ルピアをかけて作らせたものだ。しかしほとんどのチョロン漁
民はもっと小さいものを低コストで作っている。

10キロ容量のものでさえ自分で作ることができる。木は森で手に入るのだから、出費は
網と釘を買うだけで済む。十数万ルピアでそれが作れると言うひともいる。獲物は加工し
ないままでもキロ当たり3千ルピアで売れるので、毎日3万ルピア稼げれば四五日で投資
回収が終わるだろう。もちろん中には商売でなく、自家消費のためにチョロンを仕掛けて
いるひとだっている。そんなひとはもっと小さいチョロンで用が足せるにちがいない。


マッ ルスナイニは自分の息子と婿、そして孫たちを総動員してその事業を行っている。
捕獲された魚が盗まれるのを防ぐためにチョロンを仕掛けた場所のすぐ前にトラックを留
め、夜には男たちが数人そのトラックで仮眠しながら交代で現場を見張る。

チョロンに入った魚の収穫は真昼に行われる。ある日コンパス紙取材班は、焼けるような
日射の下で行われている収穫作業を見ることができた。少年がひとり、籠の奥から体長6
〜10センチくらいの魚をどんどん取り出している。地元でikan seluangと呼ばれている
魚だ。取り出された魚は別のふたりの少年が次々と手に持った刃物で腹を裂き、内臓を捨
てている。ふたりはきれいにしたその魚を四人の少女グループに渡し、少女たちは塩を魚
にまぶして平たくしてから、そこに張られた竹の簾の上に並べて天日乾燥させる。その日
の夕方には塩魚ができあがるという寸法だ。

その作業を行っている子たちの全員がマッ ルスナイニ一族の子供たちなのである。時た
ま、ikan cublangという観賞魚が籠に入っていることがある。この魚は高価なので、水を
満たした瓶に入れて持ち帰ることになる。


このババットマン郡にはムシ河につながっているルバッルブンという名の池がある。ムシ
河が氾濫すると洪水の一部が池に入り、河の水位が低下すると池から水が流れ出るという
仕組みが天然に作られていて、洪水に対する緩衝機能を果たしてきた。雨季になるとこの
池が出現し、乾季には池の底が露出して荒れ地になる。雨季にはだいたい水の深さが1メ
ートルを超えるくらいたまる。

この池にも川魚がいるから、当然チョロンの仕掛け場になる。住民の間で場所の取り合い
が起こるのを避けるために、地元行政は2005年にルバッルブンにおける漁業権を競売
する方針を決めた。その池から得られるすべての水生動物が対象で、チョロンであれ何で
あれ、収穫方法は問われない。

その競売収入は県と地元で分配され、10%が村長、20%が村代表者組織、村公共収入
30%、村役と村治安組織が10%というのが地元の取り分で、残りは県の収入だ。


ムシバニュアシン県では川魚の養殖も行われている。ただし総体的に言うなら、ムシ河で
の魚の養殖は他の河で行われているほど盛んではない。中流で行われている養殖は規模が
小さく、養殖者も多くない。河口の方がはるかに盛んだ。それでも、中流であろうが河口
であろうが、ほとんどの養殖者がこの仕事を兼業にしていて本腰を入れているわけではな
いので、規模が大きくなる動機が薄いことがこの産業を頭打ちにしているようだ。

ムシバニュアシン県ライス郡プタリン村はバタンハリレコ河がムシ河と合流する地点の河
岸に位置していて、住民の中に魚を養殖しているひとが何人かいる。上流中流でムシ河に
流れ込んでくる8本の大きい河はバタンハリドゥラパンと呼ばれており、ムシ河の重要な
支流になっている。その名称はジャンビ州を流れているバタンハリ河と関係がない。ムシ
河の本流が濁水であるのに比してレコ河は水が澄んでいるため養殖者は主にikan patin, 
ikan toman, ikan nilaなどを育てている。[ 続く ]