「ブタウィの結婚(5)」(2025年03月14日) そんな機会が若いカップルを生みそうになれば、その娘の一家は知り合い網の中にいるは ずだから、ニュルッニュルピンなどは不要になって、話がマッ チョンブランにストレー トに向かうことになるかもしれない。 反対に、娘の方が乗り気になったが男の方の反応があまりパッとしないようなら、娘の一 家がマッ チョンブランにアプローチすることも起こる。母親はマッ チョンブランをお茶 に招き、娘にお茶を出させて給仕させ、娘自慢を始めるのだ。マッ チョンブランにとっ ては商品の品定めの機会がそれであり、こりゃ売れそうだとマッ チョンブランが値踏み をすれば、もっと高くこの商品を買うだろうという相手を探して売り付けに行くことだっ て起こり得る。娘の気持ちがどうであれ、母親にとっては娘を高く買ってくれる婿のほう がいいに決まっているだろう。 マッ チョンブランが仲を取り持って知り合いになった男女の間では、男の方が女の家に 遊びに行くようになる。形式的には男が娘の両親や一家のひとびとに自分をよく知っても らうための訪問になるのである。そしてそのうちにミンタの段階から~グラマルへと移行 する。結納の内容を女の側が男の側に伝えるとき、何をどれほどなどという露骨な表現を しない家がある。 None kite minta mate bandeng seperangkat.そう言われたら、結納にブリリアントダイ ヤの付いた黄金装身具一式が求められていると解釈しなければならない。もしも次のよう な別の表現がなされたら、ダイヤでなくとも宝石の付いた黄金装身具一式であればよいの だそうだ。None kite mintanye mate kembung seperangkat. スラウアンあるいはスラハンのとき、女の側が何も言わなくともロティブアヤを結納の中 に加えておかなければならない。ロティブアヤとは雄雌一対のワニの形に焼いた大きいバ ンのことだ。雌ワニは子供を背中に載せている。ロティブアヤは結婚するふたりが子供の 時期を終えることを象徴するブタウィ伝統文化のシンボルなのである。 ブタウィ文化の中でワニという動物は力強さ・粘り強さ・辛抱強さを備えた動物と理解さ れている。加えて、貞節さのシンボルにもなっている。 ワニについての考察はこちらでどうぞ。 「ブアヤダラッ、ブシェッ〜」- 男はみんなワニなのよ - https://indojoho.ciao.jp/archives/library016.html ~グラマルのプロセスが終わると、娘は嫁入りの準備に入る。ひと月間、tukang piareと 呼ばれる、花嫁の身体つくりを訓練する者の家に泊まりこんで指導を受けるのである。そ の期間、娘はサルンとクバヤを着て過ごすが、クバヤは袖の緩いもので、災いを防ぐため のまじないとして裏返しに着る。 太っている娘はダイエットを命じられ、揚げ物を食べることが禁止される。食べ物は焼い たり茹でたりしたものだけ。そして毎日薬草を煮込んだジャムゥとスチャンを滲み出させ た水を飲む。スチャンとは蘇芳のことだ。毎日全身をマッサージし、ルルールを身体に塗 る。マンディをしてはならず、また鏡を見るのも禁止される。頻繁にアルクルアンの読誦 とアラーへの讃頌が命じられる。 いざ婚礼の日、アカッニカのために男の側の新郎と保護者、そして楽隊やパントゥン名人 たちが女の側の家に賑やかにやってくると、パランピントゥの儀式が演じられることがあ る。パランピントゥとは家の扉の閂のことで、花嫁の家の扉には閂がかかっているから、 それを外してから中に入るという意味深の術語だ。 この儀式を簡単に終わらせようとする家は、新郎にアルクルアンの章句を唱えさせただけ で閂を外すところもある。この儀式を楽しもうとする家の場合は、パントゥン合戦やシケ 朗誦のほかに、婿にシラッの対戦を挑むケースもある。もちろん本気ではなくて、シラッ の型を示してこの通りの腕前だということを集まっている観衆に示すだけだ。 それをしなくても、アカッニカが終わったとき、新郎が舅の手にチウムタガンするわけだ が、舅が故意にシラッの形で自分の手を引っ込める。すると新郎もシラッの形で舅の手を つかみ、チウムタガンするという芸を行うケースもある。[ 続く ]