「大郵便道路(63)」(2025年03月14日)

このチャダスパゲラン物語と直接的な関係にあるわけではないのだが、大郵便道路工事が
生み出したおまじないの言葉がインドネシアにあることを思い出した。道路工事のような
肉体労働では、自分の筋力と体力が仕事の軽重と成果の良否の鍵をにぎる。怪力男には賞
賛と憧憬の視線が集まるのである。自分もそんな怪力が出せるように、怪力の神や英雄の
名を唱えておまじないをする人間は昔からどこの国にもたくさんいたようだ。

Holopis kuntul barisというのが、大郵便道路が生んだまじないの文句だ。多能芸術家の
レミ・シラド氏はこう書いている。
この言葉はブンカルノがある演説の中で掘り起こしたもので、後に歌まで作られた。力仕
事のゴトンロヨンのシンボルにされたこの言葉は、ダンデルス時代の過酷な労役で力が湧
くように唱えるまじない文句だったのだ。労役には鞭を持った監督人が付く。その監督人
の中に大力無双な男がいた。かれはパリに住み着いたスペイン人であり、ナポレオンの腹
心だったダンデルスが東インドに送り込んだ者たちのひとりとしてジャワ島にやってきた。
その名をDon Lopes comte du Parisと言う。ジャワ人たちはその男にあやかってかれのよ
うに強い力が出せるようにと、その名前を呪文として唱えた。


このドン ロペスはプリブミ作業者を働かせるために鞭を打ち鳴らし、自分の名前を大声
で怒鳴っていたのかもしれない。ドンロペスコントゥデュパリという音がジャワ人の耳に
入って脳の中でホロピスクントゥルバリスに変換されたのだろう。プリブミたちは怪力が
必要とされる場面になると、ホロピスクントゥルバリスと唱えて力を全身に込めた。

ドンロペスは大尉と書かれているので、ダンデルス指揮下のフランスオランダ軍の将校に
なっていたのではあるまいか。しかし例によって、こんなエピソードにも異説があるのが
インドネシアの多様性なのかもしれない。その異説ではホロピスクントゥルバリスでなく
てフルビスクントゥルバリスになっているのだが、ダンデルスの大郵便道路とまったく関
係のない、ポルトガル人がジャワ島にやって来はじめた時代にプリブミがポルトガル人の
真似をしたことで始まったというストーリーになっている。

オランダ人がヌサンタラにやってくる前、ポルトガル人は既にジャワ島のバンテンやカラ
パ、あるいはジュパラなどに拠点を構えて勢力を広げることに努めていた。そういう拠点
にポルトガル船がやってくると、船の世話や荷役の仕事が発生する。その仕事をポルトガ
ル人も行ったし、プリブミが一緒にその仕事に加わることもあった。

そんな肉体労働で怪力が必要な場面が起こると、ポルトガル人労働者たちはDon Loppis 
Comte de Parisと叫んで力を込めていた。ドン ロピスとはパリ出身のポルトガル軍大尉
の名前であり、プリブミ港湾労働者たちはその意味を知らないままに、ポルトガル人の真
似をして類似の場面でHulubis Kuntul Barisと叫ぶようになり、その習慣がジャワ島北岸
諸港に伝播して行った。

kuntulというのはサギ科の鳥で、kuntul barisという言葉はサギが一列になって空を飛ぶ
イメージをジャワ人に思い出させるために、グループが心を合わせて同じ目標に向かって
突き進むことを物語っているという理解がかれらの心理の中に浮き上がる。つまり力作業
でゴトンロヨンを行うときの心構えをその言葉自体が自動的にイメージさせるのである。
スカルノ大統領にとって、国民教育を行うのに最適な内容が備わっている呪文だったと言
えるだろう。[ 続く ]