「スカルノのジャカルタ(71)」(2026年04月01日)

モスクの建設場所については意見が別れた。Mハッタ副大統領はモスク建設場所をタムリ
ン通り南端の、将来ホテルインドネシアが建てられる場所が適切だと主張した。もちろん
その時期にホテルインドネシアの建設構想などまだ世の中に一言も出ていなかったから、
ハッタの考えは先入主なしのプレーンなものだ。

モスクというのはウンマーと呼ばれるムスリム共同体社会の核になる施設であり、その大
モスクということになればなおさら、近くにムスリムのカンプンがたくさんあってこそ成
り立つものだ。金曜日の集団礼拝にムスリムは自宅から近いモスクへ行くのが普通であり、
周辺にムスリムカンプンのない場所にモスクを設けても金曜日はいつもガラガラというこ
との起きる可能性が高い。

オランダ人の作ったヴェルテフレーデンからコニングスプレインにかけての地域にプリブ
ミのムスリムカンプンはほとんどないのだから、オランダ時代の中心部から少し外れてい
てもプリブミカンプンがたくさんある地区にイスティクラルモスクを建てるのが順当とだ
れしも考えるだろう。ハッタの意見はそのポイントを踏まえたものだった。ところがスカ
ルノ大統領はウィジャヤクスマ公園、つまり昔のヴィルヘルミナパルクでなければだめだ
と言う。


スカルノの主張に対する反対意見の中には、昔のヴィルヘルミナパルクが公園として完成
されたものであり、またその真ん中にシタデルがあって、シタデルも共和国軍の弾薬庫と
して使用されているという現状保存の意識があったにちがいない。

公園はインドネシア市民があまり利用しなくなったから今は汚くなっているが、余裕がで
きればまた整備すればよい。おまけに遺跡としてのシタデルもある。そこにモスクを建て
ることになれば、シタデルを撤去しなければならない。あのたいへん強固な構造で作られ
たシタデルの取り壊しにはたいへんな費用と時間がかかるだろう。

そんな要素を踏まえて、西メダンムルデカ通りの西側エリアを建設場所にする意見も出さ
れた。これはムルデカ広場をジャワのアルナルンに見立てた意見のような印象を受ける。
大モスクはアルナルンの西側に設けられるのがジャワの町構造における方位学の常識にな
っていた。ただし王宮などの政治センターは東もしくは南が定石であり、ジャカルタのム
ルデカ宮殿は北に位置しているのだから、常識破りになる。

しかしスカルノはあくまでもウィジャヤクスマ公園を取り壊して超弩級の巨大なモスクを
そこに建てることを主張した。オランダ人が作った町の中心部のランドマークをキリスト
教会が独占し、インドネシア国民のマジョリティが信仰するイスラム教のランドマークが
そこから外れた場所にポツリと建っているような姿をかれのプライドが決して許さなかっ
たことが推測される。かれのプライドはインドネシアのプライドだった。

ウィジャヤクスマ公園は北東にあるカトリック教会と道路を隔てて接している。だからこ
そ、そこに巨大モスクを建設する意味が大きく膨れ上がるのだ。キリスト教会と並んでモ
スクが建っている姿こそが、新生インドネシア共和国が目指す宗教の共存と信教の自由を
象徴するものになる。全国民がモスクと教会の共存を日常的で普通のものと感じるための
実例を増やし、また人類の理想としている姿をインドネシア民族が世界中に示して見せる
ことがそれによって実現される。

クマヨラン空港を発着する旅客機の乗客は必ずその姿を目にすることになるのである。そ
してイスティクラルモスクをそこに出現させるためにシタデルを取り壊すことは、オラン
ダ人によるインドネシア支配の歴史を象徴する遺産をまたひとつ消去することにもなる。
[ 続く ]