「スカルノのジャカルタ(72)」(2026年04月02日)

ウィジャヤクスマ公園での建設工事は、その区画の整地作業の中でシタデルの取り壊しが
大仕事になった。モスクはその区画の中央部に建てられるため、そこに建てられているシ
タデルを無くさなければならない。ところが構造物を崩すだけでは撤去作業が終わらなか
った。モスクの土台を固める基礎工事のパイル打込みを行おうとしても、シタデルの基盤
に使われたレンガが固くてパイルがそこを打ち抜けないのだ。

ダイナマイトで基盤を破壊してレンガを掘り出す作業がインドネシア陸軍工兵隊の協力下
に行われ、その仕事だけに1年半の歳月を費やした。ヴェテランI通りにあるオランダ時
代からのイタリアンアイスクリーム店Ragusa従業員の話によれば、ダイナマイトによる破
壊作業のおかげでその一帯の建物のガラスによくひびが入ったそうだ。

そうして1961年8月24日のマウリッ記念日に最初のパイル打込みがスカルノ大統領
列席のもとに行われて建設工事が開始され、4,440本の基礎パイル打込み作業が完了した
のは1965年3月だった。ところがその半年後に大事件が勃発して工事はしばらく中断
した。

だがさすがに工事の再開は迅速だった。1966年7月の新聞にスカルノ大統領が現場を
視察したあと、モスクは1972年に完成する予定だと語った記事が見られる。しかしそ
れからほどなくスカルノの姿は建設委員会の中に見られなくなった。それでも、工事自体
は既に作られた設計図を実現させることに終始したから、着々と進展したようだ。

1969年に大理石を貼る作業が完了している。そして1973年ごろから、工事は終了
していないものの、既にできあがった場所を利用してイスラム宗教界が種々の活動を行う
ようになった。その中には全国規模のものも含まれていた。

1978年2月22日水曜日、建築面積2.42Ha、高さ52メートル5階建ての東南ア
ジアで最大規模と絢爛さを誇るイスティクラルモスクがオープニングを果たした。世界中
の大モスクの中では第8位になる。その日は午前9時から11時まで、すぐ西側を通って
いる鉄道線路の電車運行がストップされ、静粛な雰囲気の中でスハルト第二代大統領が副
大統領のハムンクブウォノ9世に付き添われて念願のジャカルタ大モスクの一般公開を宣
したのである。スハルトの開館宣言を記念する碑文が主館最北端のアッサラム門の近くに
置かれている。

そのときスハルトはイスティクラルモスク所有の大太鼓を打ってからオープニングを宣し
た。インドネシアのイスラム教ではモスクに太鼓が置かれて、モスクからウンマーへの広
報時に太鼓が鳴らされる習慣になっている。普段は礼拝の時間をウンマーに知らせるアザ
ンの前に太鼓が打たれ、それが終わるとアザンの朗詠が始まる。これはインドネシアのイ
スラム化の際に伝統文化が新しい宗教と融合した一例であり、インドネシアのイスラムが
硬直的・従属的な精神で始まったものでないことを示している。


スハルトが叩いた太鼓はイスティクラルモスク所有のもので、インドネシアにそれより大
きいモスク太鼓はない。その太鼓の打面は直径2メートル、裏面は直径1.71メートル
で長さ3メートル、重さは2.3トンという、東カリマンタンで採れた樹齢3百年の赤ム
ランティの丸太をくり抜いて作られたものだ。

ところが打面に張られる牛皮でそんな大きなサイズのものはなかなか手に入らない。八方
手を尽くして探し回り、東ジャワでやっとそんなサイズの雄牛の皮が手に入った。その皮
はソノクリンの釘を90本使って太鼓枠に固定された。裏面には雌牛の皮がやはりソノク
リンの釘70本で張られた。この太鼓の製作はチカンペッで行われ、60日かけて作られ
たと語られている。

スカルノが求めた1千年不朽のモスクには経年劣化を起こす木材やレンガや瓦などの素材
が使われず、すべてが鉄筋コンクリート構造になっていてその上に壁は大理石、床にはタ
イルが貼られ、窓枠・ウドゥ場・天井などはガラスやアルミが主素材に使われた。このモ
スク建設のために大理石はトゥルンガグン産のものが93,400平米、タイルは11,400平米、
ステンレス鋼377トンが使用された。このモスクには窓扉もドア扉もなく、熱帯の気候
に適応させた設計が随所に施されている。[ 続く ]