「スカルノのジャカルタ(78)」(2026年04月08日)

チャワンコンポルエリアで販売されていた灯油コンロは、その地元で販売者が生産したも
のもあれば、ボゴール県チトゥルップやジャカルタ都内マンガライで生産されたものもあ
った。しかし生産場所がどこであれ、チャワンで販売される灯油コンロは標準的な品質基
準を満たすものでなければならず、コンロとしての性能に加えて安全対策も施される必要
があった。行政がそれを指導しても実態はなかなかその通りに行かないインドネシアで、
実態の方が自らそれを目指したというのは稀な例のひとつではあるまいか。

元々は地元の家業として始まったものだから、そのエリアで製造作業している職人たちは
そこで生まれ育ったひとびとだった。しかし個々の生産者が規模を拡大するようになれば、
外の地方から人間が雇用されるようになる。世代交代が起こって、西ジャワや中部ジャワ
の出身者がそのエリアで事業を行うケースも増加するようになった。

灯油コンロの最盛期には、チャワンのコンロがマレーシア・ブルネイそしてアフリカの国
々に向けて輸出されている。2005年にアチェを襲った大津波災害のおり、政府は被災
者援助の一環として灯油コンロを大量に発注したから、チャワンの生産者も突然やってき
た景気に沸いた。国軍もしばしば僻地の守備隊のために灯油コンロをまとめてチャワンに
発注している。

そんな環境の中で、チャワンの灯油コンロは不滅だと確信している職人もいた。世の中が
ガスコンロやガスオーブンにシフトしていく中にさえ、チャワンの廉価な灯油コンロを使
いたい人間が必ずいる。特にカンプンで廉価な軽食おやつ類を作り売りしている零細な家
内生産者には、ガスや電気のコンロやオーブンを購入するのはたいへんな投資負担になる。
一般のショッピングセンターで販売されているそれらの器具は数十万ルピアの値段になっ
ているのと比較してチャワンの職人はその半額から10万ルピアを下回る価格で灯油コン
ロを作ることができる。


どうしてそんなに安く作れるのか?シンプルな器具道具を使ってハンドメイドで作る職人
は設備投資の償却などとは縁がない。もうひとつの要素は、使われる鋼板が廃材であると
いうことだ。昔からチャワンの灯油コンロが廉価だったのは、素材コストが安かったこと
に大きく依存していた。

今でも灯油コンロが生産されている作業場の片隅に厚手のトタン板が積み上げられている。
板のあちこちには錆が浮いていて、一見して廃棄処分を待っている不良材の山のように見
える。その廃材を指差して作業場の親方は言う。「それがわれわれの飯のタネなんだよ。
何十年もここで食っていけてるのは、それのおかげなんだ。」

その作業場には15人の作業者がいて、熱心に作業している。分担作業でなく、ひとりひ
とりが灯油コンロを組み立てているのだ。作業者は親方に作り方を教わり、作業しながら
指導を受け、灯油コンロを完成させる。親方がその仕上がりにOKを出すたびに5千ルピ
アがクレジットされるのである。ひと月の生産量は2〜3百個で、親方はそれを店で販売
し、月額150万ルピア前後がそこでのかれの稼ぎになる。

しかしその親方の店では灯油コンロが一日20〜25個くらい売れているのだ。他所で作
られた灯油コンロもコンポルチャワンの名前でその店の販売商品になっているということ
なのである。コンポルチャワンの名前で販売されるかぎり、親方はその品質を保証しなけ
ればならない。

灯油コンロの購入者はジャカルタ住民だけでない。マドゥラ・ランプン・カリマンタンな
どから買付け人がやってきて大量に注文する。それらの地方で再販するためだ。灯油コン
ロのブランド名と化したチャワンの名は全国に知られており、まだまだ不滅の地位を保持
し続けることだろう。[ 続く ]