「ムダン王国(3)」(2026年04月09日) インドネシアにはチャンディという名称の独特の古代建築物がある。ムダン王国はジャワ 島ではじめてのチャンディ大量建設者だった。歴代の王たちが競ってチャンディを建てた のである。なにしろこの王国の歴史がcandi Gunung Wukirと共に始まったと考えられてい るくらいなのだ。 イ_ア語のcandiにKBBIは「石造りの古代建築物」という語義を与えており、その機 能を、神々を祀る場所、あるいは王や高僧の遺灰を保管する場所と解説している。一般的 にチャンディという言葉の語源はサンスクリット語のCandhiもしくはCandhikaであり、そ れはシワ神の妻で死を司るドゥルガ女神の別名であるという説明が見つかる。没した王を 祀る場所というのがベーシックな概念なのかもしれない。 ちなみにジャワ島では太古から、王位に就くことは神になることという観念が用いられて いた。そのために王位に就くときに神としての称号であるアビセカが与えられ、没したと きも人間の死という概念をそこに当てはめることをせず、moksaという言葉で表現される のが普通だった。モクサというサンスクリット語は日本語で「解脱」のことだ。だから神 である王がモクサすれば神を祀る場所が建てられ、解脱した王とその場所で会うことがで きるというロジックになるのだろう。 チャンディの機能についての解説によれば、宗教儀式・既存の神々への拝礼・祖先祭祀・ ブッダを崇める、隠遁生活、宗教修行といったことを行う場所という内容が記されており、 建てられたチャンディの主目的がどれであるのかということに従って、個々のチャンディ の構造・規模・デザイン・装飾などに違いが出現することになったと思われる。 ヒンドゥ教と仏教の間には信仰の形態・教義・背景などの違いがあるため、シワ神やウィ スヌ神を祀るチャンディとブッダを崇めるためのチャンディはデザインが異なるものにな って当然だろう。 時代がもっと下ってから仏教とシワヒンドゥ教の融合が起こった。そのシンクレティズム を示すチャンディの有名どころとしてcandi Jawiの名が挙がっている。チャンディジャウ ィは13世紀にパスルアンのプリゲン郡に建てられたものであり、ムダン王国の時代のも のではない。 一方、宗教色が薄いためにヒンドゥ教風とも仏教風とも呼びにくい、世俗的と呼べそうな チャンディもたくさん建てられていて、その時代の宗教というものを人々がどのように感 じていたのかをわれわれが推測する鍵になりそうな要素も見出せそうな予感がする。 チャンディが作られたのはヒンドゥ=ブッダ王朝時代であり、ジャワ島がイスラム化して からはそれが途絶えた。それどころか、偶像崇拝を禁止するイスラム教義に即して、チャ ンディに飾られた石像が破壊されることも発生したようだ。われわれがしばしばチャンデ ィを訪れると、頭のない石像を目にすることがある。その原因は素材石の老朽化の果てに 地震や暴風雨などで折れたケース、骨董芸術品市場に流すための盗難(頭部だけを切り落 として持ち運び易くした)、ヴァンダリズムなどが考えられている。宗教教義に由来する 偶像の破壊は頭部を切り落とすという方法でシンボリックに行われたと説いている解説も 見られる。 イ_ア人建築家のひとりはチャンディの歴史を次のように区分した。 初期:800年前後の旧期古典時代 中期:800〜900年ごろの中期古典時代 移行期:900〜1200年の移行期古典時代 後期:1200〜1500年の新期古典時代 ジャワ島王国史ではその間に次のような王国の盛衰が起こっている ムダン王国 732-1016 カフリパン王国 1019-1045 ジャンガラ王国 1045-1136 二国並立期 カディリ王国 1045-1136 二国並立期 カディリ王国 1136-1222 統一期 シガサリ王国 1222-1292 マジャパヒッ王国 1293-1527 [ 続く ]