「スカルノのジャカルタ(79)」(2026年04月09日) バイパスのチャワンエリアから西に向かう大型道路が建設されてスマンギ橋に達した話は 既述した。この道路は中央に広い分離帯を備えた片側二車線道路で、更に分離帯を隔てて 二車線分の低速車線が設けられていた。 チャワン地区の西隣がパンチョラン地区だ。バイパスチャワン交差点から4キロ弱西に進 むと、マンガライから南下して来るJl Prof. Dr. Supomoと交差する。スポモ通りが交差 点南側のパサルミング通りにつながるそのパンチョラン交差点も並ならない広さで作られ た。チャワン交差点とパンチョラン交差点の間にある南往き街道との交差点はみすぼらし いくらいの規模だから、パンチョランの交差点がどうしてそんなに巨大な規模にされたの かが謎と言えば謎だ。ひょっとしたら、そこにもスカルノの思惑が働いていたのかもしれ ない。スカルノは空軍司令部をその交差点の南西角地に移転させたのである。 メンテン住宅地区の東南端に位置するマンガライからパサルミング〜デポッを経由してボ ゴールに向かう街道の最北部がそのスポモ通りだ。マンガライという地名はVOCの奴隷 にされたフローレス島マンガライ地方のひとびとがその地区にカンプンを作ったことに由 来していると言われている。 いまパンチョラン交差点の東西方向を走る道路は平面交差に加えて立体交差の高架橋が作 られ、さらにその中央に都内環状自動車道の高架橋が走っていて、最初に設計された広さ がほぼ百パーセント使用済み状態になっているように見える。1970年代からそのエリ アを通行していたわたしには、40年かけて変貌したそのありさまがまるで夢の中のよう に感じられる。 Pancoranという言葉はインドネシア語のpancurを語幹にする派生語で、パンチュルは水が 噴き出すあるいは湧き出ることを意味している。それに接尾辞-anの付いたパンチョラン は水が湧き出る場所を示している。 ジャカルタ南部にあるそこの地名の由来として、ジャカルタの南にあった王国のストーリ ーが伝承されている。その王国には王子が三人あり、王位継承者を決めるために王が三人 に旅をしてくるように命じた。三人は王宮を出て旅をした。そして今のパンチョラン地区 までやってきたとき、喉が渇いたので飲み水を探した。地面から水が湧き出ている場所を やっと見つけたというのに、その付近に老人がひとりいて、三人にその水を飲んではだめ だと言う。 長男が「じゃあ、水を飲むのをやめよう」と言ったにもかかわらず、弟ふたりは言うこと を聞かない。そして水を飲み、急に苦しみ出して死んだ。長男が老人に、弟たちを生き返 らせてくれと頼んだ。 すると老人は、ふたりを生き返らせるためにはお前の命が必要だと言う。長男はそれを承 諾してその水を飲んだ。するとふたりは生き返ったが、長男は死なないでピンピンしてい るではないか。老人は持っていた杖を地面に突き刺しながら三人に言った。この杖を抜け る者が王位継承者になる。弟たちがそれぞれ杖を抜こうとしたが杖はびくともしない。最 後に長男が抜くと、造作なく抜けた。 三人はすぐに王宮に帰って父王に報告し、父王は長男を王位継承者にする決定を下した。 その故事にちなんでその地区がパンチョランと呼ばれるようになったというのがパンチョ ラン地区の名前の由来だそうだが、その泉が地区内のどこにあるのか、あるいはあったの かを知っている者はひとりもいない。 ジャカルタにはコタのグロドッ地区にもパンチョランという地名があり、そこに華人が真 水の噴出する施設を設けたのが地名の由来だとされている。ガジャマダ通り北端からグロ ドッ市場に曲がる脇道がコタのパンチョラン通りで、グロドッのメインストリートになっ ている。そこの歩道を歩けばジャカルタにいることを忘れそうなチャイナタウンの雰囲気 を嗅ぐことができるだろう。 地名の由来については、チリウン川の水を生活用水として使うために1670年に華人た ちが貯水施設を設け、10フィートの高さから水を放射するpancuranを作ったできごとに 発していると記されている。華人たちはその水を容器に入れて小舟に積み、運河伝いにバ タヴィア城市内からバタヴィア港に至るまで売り歩いた。 1743年には、今のファタヒラ公園であるバタヴィア市庁舎表広場まで木のパイプをつ ないで水道を設け、グロドッからの水を城市内で汲めるようにした。今のファタヒラ公園 の中心部に設けられている池と噴水設備はそのころ建設されたものだ。[ 続く ]