「スカルノのジャカルタ(87)」(2026年04月17日) パンチョラン交差点の中央に建てられた記念碑はMonumen Patung Dirgantaraという名称 になっている。日本語に翻訳すると「ディルガンタラ像記念碑」になりだろう。ディルガ ンタラというインドネシア語をKBBIは「地球を取り巻いている空間」と説明している ので、大気圏と宇宙空間を指していることになる。多分「空」という日本語を当てて構わ ないだろう。ということは「空の像」というたいへんにシンボリックな意味を持っている と言えそうだ。 Nusantaraがnusa+antaraの合成語だったように、Dirgantaraもdirga+antaraというサンス クリット語に分解できるように思われる。ヌサンタラは島と海で構成されるインドネシア を表しているという解説が一般的だが、antaraを現代イ_ア語のantaraと同義に解釈する とおかしな論理になってしまう。サンスクリット語のMD修飾形式をインドネシア語のD M形式に直せばantara pulauになってpulauはそこに含まれなくなってしまうのだ。 ならばサンスクリット語のそのantaraという言葉のもっと正確な意味は何だろうか?いく つかのイ_ア語サイトを調べたところ、サンスクリット語のantaraは「他の」「外の」 「向こう側の」という意味をも持っていることがわかった。 そうであるなら、Nusantaraのヌサは島々でなくてジャワ島を指しており、ガジャマダは ヌサンタラという言葉をジャワ島外の意味で使った可能性が浮上してくるではないか。ジ ャワ人がしばしば使うNusa Jawaという言葉がジャワ人にとっての宇宙の中心であるとい う意識を漂わせている雰囲気をこのケースにも感じるのは、わたしだけではあるまい。 ではdirgaの意味は何なのだろうか?残念ながらKBBIを探してもこの言葉は見つから ない。ジャワ語辞典には文語で「長い」を意味すると記されている。独立記念日の祝辞に 使われるDirgahayuはlong lifeを意味しているのだ。カウィ語辞典にも同じ意味が記され ている。ヒンディ語には長い・大きい・高いを意味するdiirghという言葉もある。 dirga+antaraというサンスクリット語は「長い(あるいは高い)距離のその向こう側」を 意味しているのかもしれない。それが空という概念に関して古代人の抱いた印象だったと いう結論を引くのは間違っているだろうか? 空軍を顕彰するためにスカルノがその記念碑を建てたのでないことはネーミングから明ら かなように思われる。スカルノはどうやら国民に対して、空を飛ぶということに意識を向 けさせようとしてそのモニュメントを建てたのではないかという気がわたしにはする。イ ンドネシア人が世界の最先端テクノロジーを我が物にして空を飛び宇宙に進出できる民族 になることがスカルノの夢だったのではあるまいか。 空を飛ぶためには、知識と技術を駆使して乗り物を作るだけでは足りない。勇気、意欲、 エネルギー、誠実さ、そして冒険心と貢献心・・・。それらを備えた人間であればこそ、 雄々しく大空を翔るインドネシア人になれる。インドネシア民族はそんな人間になれるの だ。ならなければならないのだ。 それを象徴する像を空軍司令部の目の前に建て、空飛ぶイ_ア人が集まっているその組織 が国民を導くようにという願いを込めてスカルノはディルガンタラのモニュメントをそこ に建てたという推察に妥当性があるだろうか、ないだろうか? スカルノは自分の中にその像のイメージを先に作っていた。鳥人ではなく、翼を持たない 人間の像だ。筋骨隆々たるひとりの男が空に飛び立とうとしている姿がスカルノのイメー ジだった。ジャワのワヤン芸能のマハバラタに登場するガトッカチャがその男だ。ガトッ カチャは翼なしに空を飛ぶ能力を持つスーパーヒーローであり、ジャワ文化の中にしっか りと根付いているスーパースターのひとりだ。ガトッカチャはこれから飛び立とうとして 地面に足を踏ん張り、右手を前方に左手を後方に伸ばして飛翔体勢に入っている。空飛ぶ インドネシア民族の現在の姿がそれなのだ。[ 続く ]