「ムダン王国(12)」(2026年04月18日)

ンプ シンドッ王以来のイシャナ王家はバリのブダフル王家と姻戚関係を深めていった。
ンプ シンドッを後継したのは娘のイシャナトゥンガウィジャヤだった。この女王はバリ
の王族であるスリ ロカパラを夫に迎えた。そして女王の息子であるマクタワンサワルダ
ナが次の王位に就いた。

マクタワンサワルダナには娘のマヘンドラダッタと息子のダルマワンサトゥグができて、
ダルマワンサが王位を継ぎ、王都をウワタンに移した。マヘンドラダッタはブダフル王ウ
ダヤナワルマデワの妻になった。マヘンドラダッタはバリ島へ嫁ぎ、息子のアイルランガ
を産んだ。

1016年、アイルランガは母方の叔父ダルマワンサトゥグの娘Galuh Sekarとの結婚式
のためにバリからウワタンへやってきた。そのとき、新郎の両親であるブダフル王ウダヤ
ナワルマデワとダルマワンサトゥグの姉妹マヘンドラダッタも同行していたことが十分に
推察されるのである。

ところがイ_ア語ウィキペディアはその両親をどちらも1011年に死去したとしており、
1016年に次男のマラカタ・パンカジャがブダフルの王位を継ぐまでの5年間、長男の
アイルランガはどこで何をしていたのか、という疑問が浮かぶ。


ウワタンで催されていた華燭の宴たけなわのとき、ムダンに服属しているウラワリ領主の
軍勢が不意を衝いてダルマワンサトゥグの王宮に攻め込んできた。その謀反劇を仕組んだ
のはスリウィジャヤだったというのが定説になっている。おまけに、スリウィジャヤに移
ったサイレンドラ王家が宿敵のイシャナ王家を滅ぼす意図を持っていたということを述べ
ている記事もある。

その攻撃によってダルマワンサトゥグの一族は全滅した。ひょっとしたら、ブダフル王と
王妃も巻き添えを食った可能性が考えられる。王宮は灰燼に帰し、王都は破壊された。新
郎新婦だけが辛うじて難を逃れ、深い森の中に逃げ込んで敵の捜索の目をくらますことが
できた。それから3年間の苦節の時期を経たあと、アイルランガはムダン王国の衣鉢を継
ぐムダンカフリパン王国を興してイシャナ王家を復活させた。

その新王国はプナングガン山に王都を置き、モジョクルト・シドアルジョ・パスルアンだ
けが最初の王国領になった。旧宗主に忠誠を示したのがその三地方のみで、かつてムダン
王国に服属していた中部東部ジャワの諸領地はムダン王家の滅亡と共に群雄割拠態勢に入
ったということらしい。アイルランガ王の覇権復活の動きが始まった。

東ジャワにもムダン王国が聖地に位置付けた山がある。モジョクルト県とパスルアン県に
またがる海抜1,653メートルのPenanggungan山だ。四つの副峰を従えて平地にポツンと立
つ円錐形の風姿は印象的であり、ジャワのフジヤマとそれを呼ぶインドネシア人もいるそ
うだ。日本人にとってのジャワ富士は既に定義付けられた別の山でなければならないだろ
うが、誰が決めたか判らないような定義を常識に位置付けなければ知性を疑われるような
環境よりも、素直な自分の印象をみんなが受け入れてくれるような環境のほうが生きて行
くのに楽ではないだろうか。

バラモン教の宇宙観によれば、人間が住むこの自然界は七つの大海が周囲を取り巻くジャ
ンブドゥイパと呼ばれる陸地である。大海の端はチャクラワラという名の高い崖になって
いて、人間がそこを登ることはできない。その崖の上を太陽・月・星が周回している。ジ
ャンブドウィパにそびえるマハメル山に神々の世界があり、インドラ神を戴くスダルサナ
の国は8方位を8人の神々が守護している。

古代のひとびとはその神話に似た場所を見出すと、そこを聖域と考えた。マハメルの山頂
が砂と石でできた広い原野だというイメージから、プナングガンの山頂が地上に作られた
マハメルのミニチュアだという解釈が生まれ、さらにマハメル山の周囲を四つの副峰が囲
んでいるという描写から、プナングガンの副峰で北西に位置する海抜1,240メートルのブ
クル山、北にある1,084メートルのガジャムンクル山、南東のクムンチュップ山1,238メー
トル、南西のサラクロポ山1,235メートルをそれに擬した。

わたしはモジョクルト〜グンポルの往復路で何度もこの山の遠景を目にしながら車を走ら
れる体験をした。平地に立っている姿の良い山を遠目に見ながら車を走らせるのは、道路
の良さ、交通量の少なさと相まってたいへんな心地よさを味わわせてくれた。[ 続く ]