「ムダン王国(15)」(2026年04月21日) ディエン高原の東に立ちはだかるシンドロ火山を越えた東側の盆地にトゥマングン県ガデ ィルジョ郡プルボサリ村がある。シンドロ〜スンビン〜ラジャワリの火山群に包まれた高 原盆地の一角にあるプルボサリ村は海抜1千数百メートルの高地だ。 人口2千5百人を数えるプルボサリ村のLiyangan部落住宅地区の南西部は昔からシンドロ 山が吐き出した火山性物質である砂礫の採掘場所になっていた。以前からも時おり古代遺 物がそのエリアで見つかっていたが、2008年に採掘業者が掘った地面の下から建築物 が発見された。その報告にもとづいて考古学調査が行われ、イタリアのポンペイ遺跡さな がらの、火山で埋もれた古代の町がそこに発見されてリヤガン遺跡と名付けられた。 先祖代々リヤガン部落に住んでいる古老は、砂礫の採掘場所エリアにはずっと昔、パサル があったという言い伝えを聞いていたそうだ。昔そこにはパサルがあり、そこにまたいつ かパサルができる、という言い伝えをその古老は皮肉って、「確かにまたパサルができた よ。砂礫パサルがね。」と言って笑った。 海抜1千2百メートルのリヤガン遺跡はシンドロ山の頂上火口から7キロしか離れていな い。最初に行われた調査で発見されたのは石垣・礎石で構築された建築物用の敷地土台・ ヨニその他の石像・チャンディの残骸などだった。2010年からヨグヤカルタ考古学館 が中心になって本格的発掘調査が開始され、リヤガン遺跡は単なる単体建造物遺跡でなく て古代の村であったことが徐々に明らかになっていった。ジャワ島でこの種の村が発見さ れたことは一度もなく、それが明らかになるにつれてインドネシアの考古学界に大きな期 待が膨れ上がった。 チャンディプランバナンやチャンディセウの周辺にムダン王国時代の集落遺跡が見つかっ ているとはいえ、民衆生活を形作っていた社会構造や生活行動を明瞭に映し出すものでは なかったのである。チャンディボロブドウルに見られるレリーフからだけでは把握しきれ ない古代ジャワ人の生活様式が古代の村の発見によってもっと明瞭に理解できるようにな るはずだ。まだよくわかっていなかった古代マタラム王国時代の社会生活を示す展示場が 思いがけなく地中から出現したのだから。 その村は地表面から7〜12メートル下に埋もれていた。その間には三段階の地層が見ら れることから、その町が埋まったあと少なくとも2回は大規模な噴火によって火山性物質 が降り積もったことが推測される。 リヤガン遺跡の発掘と復元作業が開始された。その作業の中で、シンドロ火山山頂からほ ど近い位置にあるその村は、山の斜面沿いに一番下が住民居住集落、その上が宗教祭祀エ リア、そのもっと上が農耕エリアになっていることが判明した。各エリアは高度が違って おり、それぞれのエリアは安山岩でできた広い階段でつながっている。 面白いことに、祭祀エリアで上の農耕エリアと下の居住エリアをつなぐ階段の間を50メ ートルほどの道路が通っているのだが、道路は石造りの部分と土の部分が半分ずつに別れ ていて、どうして全部石造りにしなかったのかその理由が解けないために学者たちは首を かしげている。 宗教祭祀エリアは石造りの建築物がメインをなし、他には焼け焦げた高床式木造家屋(竹 編み壁)一軒とヤシ繊維の屋根だけというもう一軒が出土した。石造り建造物はチャンデ ィ・祭壇・斜面の崩壊を防ぐための石の垣根・石土台の敷地が数ヵ所・斜面の石づくりの 階段・石畳道路などだ。 祭祀エリアには8x8メートルの石造りの敷地が5つ設けられ、ひとつだけ石の建築物が あり、他の四つは敷地だけになっていた。それらの敷地には元々、木の柱にヤシ繊維の屋 根で葺かれた竹編み壁の建物が建っていたと推測された。 また少し離れた場所に24x24メートルの壮大な石の敷地があり、直径1メートルの柱 土台が残っていた。それらの柱土台から合計16本の柱が大きい屋根を支えていたことが 想像され、そこに建っていたのは大型のプンドポ(柱と屋根だけの建物)ではないかと考 えられている。直径35センチあるプンドポの柱は焼けて炭化したものが何本か残されて いて、その内の一本は30メートルも離れた場所に転がっていた。この遺跡を埋めた火山 噴火の凄まじさをその事実が物語っているかのようだ。[ 続く ]