「ムダン王国(16)」(2026年04月22日) 居住エリアには木造家屋・穀倉・鍛冶場・焼き物場などが設けられていた。当時の暮らし に使われていたと見られる遺物の多くは多数の陶器や素焼き物の破片あるいは道具類など であり、金属製の遺物の中には青銅製の壁掛けランプが5個、そして青銅製のグンタ(ヒ ンドゥ教儀式に使われる鈴)も見つかっている。また、焼けて炭化した木材や竹材あるい はヤシ繊維、稲の束・稗・ナツメグ・ココナツなどの農作物、そして炭になった米の飯ま で発見された。稲はジャワ島固有種のものだった。 2014年末には発掘と復元の作業がかなり進展し、出土品はチャンディがふたつ、石つ くりの敷地土台7つ、石垣、木造家屋の残骸の一部、炭化した竹編みシートの一部、金属 品、農産物の遺物、陶器と巣焼き物の破片8千個、唐時代の陶器110種類などといった 規模に達した。唐製陶器は破片を集めて復元されたものだ。 石土台敷地の上に堂構造のチャンディでなく石造りの祭壇が載っているものもある。堂に せよ祭壇にせよ、それらは飾り彫刻のない簡素なデザインで作られた特徴を持っており、 他に出土したヨニの像も一体の石を削り出して作られたものでなくて複数の石を組み合わ せた構造をしていたことから、それらはヒンドゥ教時代初期の文化の産物であることを示 していると見られている。 発見された遺物の中で唐製陶器の甕や水差し、茶碗やコップ、金属製ライオンの像、中に 布が入った水瓶など上流階層の所有にふさわしい品物が遺物の中にたくさん見つかってい ることから、リヤガン遺跡に住んでいたのは高貴なステータスのひとびと、つまりヒンド ゥ教の高僧たちとかれらを助けて労働する下働き庶民たちだったのではないかという推察 が浮かんでいる。高僧たちが特別な使命を帯びてそこで暮らしながら宗教祭祀を行う村だ ったのではないかという解釈だ。 発掘作業はこの村の中心部から始まったわけであり、この村の領域線がはっきり把握され たときにこの村の人口も推測できるにちがいあるまい。この村の住民は農業を営み、焼き 物や金属製品を作り、炊事を行っていた。また動物の歯や部分的な化石が見つかっており、 家畜を飼っていたことが判っている。 2015年5月には発掘領域が3Haまで広がった。既に発掘された三つのチャンディに続 いて、広げられたエリアで四つ目のチャンディ敷地が見つかっている。長さ5.5メート ルの敷地にまた新たなチャンディの残骸が出現したのだ。この新発見チャンディを含めて 既に見つかったすべてのチャンディは南東の方角を向いて建てられていた。 その四番目のチャンディには水の吹き出し口が設けられていた。南東に向いた壁に4つ、 北東の側には6つあり、裏側には貯水槽と思われる別のチャンディと水路でつながってい た。貯水槽と思われる別の構造物は重い火山性物質の下になっているため、まだ掘り出せ ないでいる。 唐時代に中国で作られた陶器の破片がたくさん出土している点に注目するなら、中国とジ ャワを結ぶ海上交通路が既に確立され、中国の輸出品がジャワ島にまで運ばれて港からこ の山奥まで届けられた事実を上の遺物が物語っていると解釈できる。 もうひとつ明白な事実として、古代にたくさんの人間が住んで生活していたリヤガン遺跡 が多分シンドロ山の大噴火と推測される原因で火山性物質の下に埋没したにもかかわらず、 この遺跡で焼死体の人骨がひとつも発見されていないことが挙げられる。木造家屋の素材 や稲束などオーガニックなものはみんな焼けて炭化しているのだから、焼死体がないとい う現象は古代人が大噴火を予知する術を知っていたことを推測させるのである。この村の 住民は大噴火大災害に襲われる直前にこの村を放棄して避難した可能性が高い。 発掘調査の中で一件だけ人骨が発見された。モンゴロイドで女性の頭骨・背骨・腕骨がま とまって出土したが、焼けた形跡がないことから噴火の犠牲者ではないと判断された。骨 が出土した場所は穴のようになっていたため、それは噴火の前に埋葬されたものと推測さ れている。腕の骨の近くでピンポン玉くらいの大きさの陶器製容器が完ぺきな状態で見つ かっている。シャンプーや香油などを入れる小さい瓶のようなものと言えば解りやすいだ ろうか?[ 続く ]