「クレテッ煙草(7)」(2026年04月27日) 北スマトラのデリ地方でも、クルンパンのタバコ農園で植民地時代以来のタバコ葉生産が 第2ヌサンタラ農園会社の事業として今も続けられている。クルンパン地方が開拓されて 農園が林立したのは1875年ごろだった。その農園には恒久的なタバコ葉乾燥棟が建て られて、クラテンのロスと似たようなことが昔から行われてきた。デリでその乾燥棟はバ ンサルbangsalと呼ばれている。 収穫されたタバコ葉がバンサルの中いっぱいに吊るされると、18日間の乾燥プロセス期 間に番人が毎日交代で見張りに就く。番人の仕事は製品の保安と湿度のコントロールだ。 夜になって気温が下がると、バンサルの中で火を焚く必要が起きる。そんなときはドラム 缶に置かれたもみ殻に火を点ける。時には成形炭を燃やすこともある。 バンサルの番人は24時間仕事が標準になっていて、決められた日当でその仕事が非正社 員に与えられる。朝番は7時から17時、夜番は17時から7時で、それぞれの仕事が終 わると日当金額の半分が支払われる。バンサルには2.25平米の小さい仮眠室が設けら れており、番人はそこで休むこともできる。 2010年のある日、クルンパン煙草農園の第18号バンサルでひとりの老人が番をして いた。当時91歳のディラル爺は1978年に老齢退職したが、バンサルの番はできると いうことで非正社員としての仕事をまだもらっている。ときどき孫やひ孫、そして息子た ちも爺さんに付き合うために夜にバンサルへ遊びにやって来る。 ジャワ島のジョンバンで生まれたディラル爺は農園のクーリー仕事を求めて、1937年 に20人の仲間と一緒にデリにやってきた。ジャワからオランダの蒸気船に乗り、ブラワ ン港に上陸してメダンの北にあるクルンパンまで、3日3晩かけてやってきたのだ。ブラ ワン港に上陸したあと、自分の働く農園が割り当てられた。ディラルはクルンパンのタバ コ農園で栽培人として働くことになった。クルンパンの農園では毎月生活するための消費 物資がクーリーひとひとりに支給された。油・塩魚・砂糖・ミルク・茶・コーヒー・米・ 布。ルバランには肉も配られた。 ディラルが働いたタバコ農園のオーナーはしばしば新しく土地を開墾してタバコ畑を増や していったから、栽培人もそのたびに新しいタバコ畑に移動して、そこに建てられた作業 者用のバラックに住んだ。 ところが1942年に日本軍がやってきてタバコ農園のヨーロッパ人を収容所に入れた。 タバコ農園の管理者は日本人に代わり、オランダ人が毎月支給してくれていた生活消費物 資が米だけに変更された。今でも第2ヌサンタラ農園会社は雇用している作業者に毎月米 を現物支給している。 葉巻用でないタバコ葉の加工プロセスについてのイ_ア語AIの解説を見ると、収獲された 緑のタバコ葉はまず熟成プロセスを経て黄色くなったものが刻みプロセスにかけられ、そ れから天日乾燥が行われて茶色い刻みタバコになるのが一般的とのことだ。ただしその工 程順は絶対的な順番というわけでもなく、現実にはさまざまなやり方が行われていて特に どれがオーセンティックと呼べるものでもなさそうだ。 熟成プロセスとは摘んだばかりのタバコ葉を特定の条件下に一定期間蔵置し、クロロフィ ルを減らして色を黄色く変化させるもの。刻みプロセスはその葉を機械装置や人間が器具 を使って細く刻む工程。乾燥プロセスは刻まれたものを天日乾燥させて刻みタバコに仕上 げる工程だ。[ 続く ]