「クレテッ煙草(9)」(2026年04月29日) ポルトガル人もVOCもタバコ葉をインドネシア人に栽培させ、収穫品を買い上げてヨー ロッパに運んだ。その方式は植民地時代にも続けられ、紙巻きタバコ量産工場が1865 年に米国に登場してからもタバコ葉大生産地のインドネシアでオランダ人は昔からの方式 を継続するのみだったように見える。オランダ人を含むヨーロッパ人はどうしてインドネ シアに製品工場を作らなかったのだろうか? 1925年にヨーロッパ資本のタバコ製造工場がマランに設立された。ブリティッシュア メリカンタバコ(BAT)だ。この会社は1917年にチルボンでMishell NVというオランダ 資本の会社を買収して白タバコの生産を開始した。買収される前にミシェルという会社が タバコ製造事業をおこなっていたかどうかは判然としない。また1931年にはベルギー 資本のNV Farokaという会社がマランにオープンしている。Kansasが同社の代表的な白タ バコの銘柄だった。 それらの現象を見るかぎり、インドネシアで大量に生産されているタバコ葉を製品にして インドネシア人に販売しようという企業心理を、オランダ人を含む西洋人があまり抱かな かったように感じるのはわたしだけではあるまい。 タバコの用い方には噛みタバコや嗅ぎタバコあるいは喫煙などの種類があるようだ。嗅ぎ タバコは粉末状にしたタバコ葉が使われ、紙巻きタバコやパイプタバコは細かく刻んだタ バコ葉が使われ、葉巻は刻まれる前のタバコ葉を重ねて丸めたものが使われる。そのいず れの場合も特殊な技術や機械的な加工が必須になっておらず、個人が簡易な道具を使って 手作業でやりおおせるものであったように思われる。 ということは、タバコ製造のための工場というものは製造面における技術的な問題よりも 経済的なポイントがより大きいウエイトを占めていたのではないかという憶測が成り立つ のではあるまいか。言い換えるなら、ヌサンタラの各地で栽培されて乾燥や熟成プロセス を終えた状態のタバコ葉さえあれば、プリブミのだれにでも自家消費を行う機会があった と考えることができるだろう。タバコ葉を買いに来るヨーロッパ人のタバコの用い方を見 よう見まねで行うプリブミが大勢いた可能性を完ぺきに否定することはできるまい。 工場製のきれいに仕上げられたタバコが廉価に手に入れば、手巻きする手間をかけてまで 自分でタバコを作る人間は少なくなるだろう。そんな工場製紙巻きタバコに大幅な値上が りが起きると、喫煙愛好者の間でタバコを手巻きする人間が増えるという歴史は世界中で 繰り返されたようだ。インドネシアも決して例外ではない。 昔のインドネシア社会でタバコの消費は一般的でなかったという話がある一方で、17世 紀前半にジャワ島ではタバコの喫煙が一般化していたという話もある。インドネシアにタ バコ工場が出現したのは20世紀初期だった。それ以降にインドネシアの一般大衆がタバ コを愛用するようになったのは明白だ。疑問は、それ以前にインドネシア人のタバコ使用 が一般的だったのかどうかというポイントなのである。[ 続く ]