「クレテッ煙草(10)」(2026年04月30日)

タバコ葉の大生産国のひとつであるインドネシアのタバコ製品生産も、今では世界有数の
レベルにある。2023年の世界タバコ生産本数は6兆本で、中国・インド・ブラジルが
上位に居並んでいる。インドネシアの生産本数は3,180億本と報告されており、5%
のシェアを占めているようだ。

ところがタバコの工場生産が活発化するようになる前の時代には、インドネシアのプリブ
ミ社会に喫煙の習慣はなかったという説があり、いやいやそんなことはなく、タバコ葉の
栽培が進展したころから喫煙する庶民は大勢いたという説も語られている。

植民地時代の記録の中に、17世紀後半から18世紀前半にかけてバタヴィアに住むヨー
ロッパ人たちは簡単に病魔に冒されてあっけなく生命を失うことが日常茶飯事になってい
て、その対策としてタバコを吸い酒を飲むことが大流行していた話が語られている。タバ
コが新大陸からヨーロッパに伝わったときに万能薬とされていたそうだから、その振舞い
はかれらの常識に従ったものだったのだろう。


しかしブタウィ史家アルウィ・シャハブの記述によれば、インドネシアのプリブミに喫煙
は広まらなかったそうだ。ジャカルタの1930年代から1950年代までの時代には、
プリブミがタバコを吸う姿はほとんど見られなかったというブタウィ文化院理事長の言葉
をかれは引用している。

その時代の喫煙用タバコは高価だったという経済的な要因とともに、イスラム教で喫煙は
makruh(有用性のない行為)に該当すると判断されていて、教徒がそれを用いるのは不適
切であるという理解が普及していたため、キヤイやウラマたちも喫煙行為を咎めるのが普
通だった。ムスリムの中にはタバコをハラムだと解釈している者もいた。

喫煙の代わりとは言えないと思うが、プリブミたちは古来からのムラユ伝統嗜好品である
シリを噛んで口中を真っ赤にしていた。男性の中にはステータスシンボルとしての喫煙を
行う者のいたことが推測できるものの、女性の喫煙はまず皆無だったとブタウィ文化院理
事長は語っている。

1950年代ごろの若者の間でも喫煙はあまり表立って行われるものでなく、社会的に認
められている人物の前でタバコを吸うのは礼儀をわきまえない行為とされていたそうだ。
だから女性にとっては年齢がどうであれ、人前で喫煙する姿を見せるのは自分の人格を卑
しめることになり、未婚の娘がそんなことをすれば嫁の貰い手がなくなった。

たいていの家庭で親は息子が喫煙するのを戒めた。親のすねかじりであればなおさらのこ
とだ。そのころは、個人の生活環境の中でどこでも簡単にタバコが買えるような状況にな
っていなかった。ジャカルタ中心部スティアブディ地区カンプンドゥクの住民はタバコを
買うのにマンガライ地区のパサルンブッまで行かねばならなかったし、カレッテンシンの
住民はタバコを買うために2〜3キロ離れたタナアバンまで行った。

Abdullah, Player, Lucky Strike, Triple Fiveなど外国産の銘柄を買うのはもっと大変
で、パサルバルやグロドッへ買いに行かなければ手に入らなかった。しばらくしてからメ
ンテン映画館界隈でも販売されるようになったとはいえ、輸入タバコは国産品よりはるか
に高価だったために、ただでさえ狭いタバコ市場でそんな銘柄をポケットにしのばせてい
るプリブミはめったにいなかった、と理事長は自分の若かった時代を振り返って物語って
いる。[ 続く ]