「女性文学史(3)」(2026年07月21日)

ヒンドゥブッダ王国時代のジャワ島で、書き物は男性の仕事だったから、近代まで物書き
は男という常識が世の中に存在していた。中世王国の宮廷には王の地位を権威付ける歴史
を書き、知識教養を高める物語を書き、博識をもって王国上部階層のひとびとにスピリチ
ャルな指導を与えるプジャンガという職名の家臣がいて、その職は特定の家系で相伝され
た。王宮に出仕してプジャンガの職に就く者はその家に生まれた男性に限られていた。ど
この国であろうが、王国の家臣というのは男ばかりが顔をそろえるというのがユニバーサ
ルなイメージだ。

ただしそれは公的な世界での話であり、ジャワで王宮暮らしをした女性たちの中に物語を
書き著した者もいた。それは趣味の世界のできごとだったと言えるだろう。きわめて多数
の女王を輩出したインドネシアの古代から中世にかけての王宮生活で、将来王国の支配階
層になる子供たちへの教育は熱心に行われ、知的教育の分野では男女の差がほとんど設け
られなかった。

女も男もあまり区別されずに同じジャワ文字で文を読み書きする訓練が行われたのだ。そ
のためにプジャンガでない王族女性や官女の中に物を書いたひとびとが出た。インドネシ
アで書き物という行為は知的民度の上昇と同期しているだけで性差別の要素はあまり濃く
なかったように見える。その点が日本のケースとはだいぶ異なっているようにわたしには
感じられる。

日本の古代宮廷における公的業務としての文書係の仕事には日常使っている音声言語とし
ての日本語でなくて外国語である漢文が使われた。漢文に関する教育の場は基本的に男だ
けに限定され、女にはその扉が閉ざされていた。

女が万葉仮名を発明して話し言葉である日本語を文字表記することがやっと始まったあと
でも、男のものである公的文書の世界では漢文の使用が維持された。女が書き物を行うよ
うになって仮名文字が発展した結果、日本では古い時代から仮名文字を使う女性文学が栄
えることになった。日本の女性文学史には文字が大きいファクターとして関り、しかもそ
こに性差別が持ち込まれたためにたいへん独特な歴史の展開が起こったように見える。


さて、インドネシアではこの第二期が女性作家の繚乱時代になった。単に作家の層が厚く
なったとだけでなく、出版業界のドル箱のひとつに成長したのだ。ある調査によれば、1
990年に発行された800タイトル(再版を含む)の書籍のうちの310タイトルが女
性作家の作品だった。そして販売部数5千部を超えた作品のうちでは47%に当たる24
3タイトルが女性の作品、印刷部数1万部以上の作品では56%が女性作家のものだった。
女性作家が市場でいかに好評を得ており、出版業界がいかに女性作家に期待をかけていた
かということがそこから推察できる。

1973年のNh.ディ二著「Pada Sebuah Kapal」やマルガTの「Karmila」は女性作家初
のフィクション小説としてエポックメーキングな作品と評価された。たいていの女性作家
は女の問題を取り上げて作品の中に展開した。女性読者に向けて発信されたメッセージは
読者がその内容をどう評価するかは別にして、女性読者の食指を動かすに足るものであっ
たことがわかる。そこにこそ、出版業界が期待をかける理由が存在していたにちがいない。
その仕組みの中に女性作家・女性の物語主人公・女性読者という一連の関連性をわれわれ
は見出すことになるのである。

それ以後から現在までを第三期と言うことができるだろう。今はたくさんの女性作家たち
が一貫的な個性と主張に裏打ちされた詩や短編小説を発表して文学界を一層充実させてい
る。かの女たちのほとんどがマスメディア・文芸コミュニティ・出版界あるいはその他の
職業分野に関わっている。往々にして、世の中に大ヒット作品として登場するものはあま
り見られず、マーケットもそれらの作品にあまり注意を向けようとしない。世の中の限ら
れたひとびとがかの女たちの作品に目を通そうとするだけだ。

Dorothea Rosa Herliany, Ratna Indraswari Ibrahim, Rayani Sri Widodo, Helvy Tiana 
Rosa, Leila S Chudori, Oka Rusminiといった名前が第三期の女性作家名リストを埋めて
いる。[ 続く ]