「女性文学史(終)」(2026年07月22日)

作品の多くがさまざまな面で読者を啓蒙する力を持っていることから、Aテーウが始めた
sastraでないSastraという表現を真似て大文字サストラという評価を文芸評論家筋はかの
女らの作品に与えている。それら女性作家たちは文筆活動一本鎗という生き方をせず、そ
れを含めてさまざまな活動を積極的に社会の中で展開している。

1990年代に入ってから新しい世代の女性作家たちが新たな息吹を女性文学の中に吹き
込んだ。それまで書かれたことのなかった女の性生活に深く沈潜して、女にとってのセッ
クスを主題に取り上げた作品群が続々と発表され、書店の中にひとつのコーナーを設けさ
せた。セックス描写に際してたいへん詩的な言葉を駆使する表現がかの女たちの作品をポ
ルノグラフィにさせなかった。それらの作品群とポルノ文学の間には明瞭な一線が画され
ていた。

1998年4月に出版されたAyu Utamiの処女作である小説「Saman」やDjenar Maesa Ayu
の作品「Jangan Main-main (dengan Kelaminmu)」がそのジャンルの先駆けと評されてい
る。女性のセックスを描いた作品はもちろんそれ以前にもあった。

1973年のNh.ディ二著「Pada Sebuah Kapal」が時期的な早さでははるかに上を行って
いる。しかし表現の直截性に焦点を当てるなら、1970年代に出版できた作品に要求さ
れた慎ましやかさと新世代作家たちの過激さとは比較のしようもないものだ。ある評論家
はその新しい波について、読書の中からセンセーションを得ようとする読者の生への充足
欲求が引き出した現象のひとつだと分析している。

通貨危機がインドネシア経済を混乱の極に陥れて各地で政府批判の叫び声が耳を覆う状況
になっていた真っただ中に彗星のごとく登場したのがアユ・ウタミの小説「サマン」だっ
た。スハルトレジームが30年超にわたって繰り広げた経済開発とそれを下支えするため
の抑圧型強権政治が作り出した下層国民の悲惨な暮らしをテーマにするストーリーは灰色
の世相に強い共感をもたらしてベストセラー作品になった。5万5千部が売れたという話
になっている。

スハルトレジーム崩壊に向けて国中が動き出したとき、この小説はそのエネルギーを倍加
させる強壮剤の役割を果たしたと言えないだろうか?その視点から小説「サマン」の持つ
歴史的社会的な意義を論じたものはあまり目に触れないようだ。ある国で時代を変える原
動力の中にひとつのエネルギーを注入した文学作品はいろいろと存在しているだろうが、
この小説もそれに似た役割をインドネシアで果たしたのではあるまいか?

それはともあれ、ジャカルタ芸術カウンシル1988年度小説コンクールで作品「サマン」
が優勝してから、マスメディアは女性入賞者だけを特別扱いするようになったとアユ・ウ
タミは語っている。いきなりセラブリティ扱いされるようになったことにかの女は驚いた
のだ。

小説作家という職業は女性にとって華麗な仕事とされてしばしばメディアが取材に来た。
その結果、作家と読者の間に距離がなくなった。作家の現況が報道されて読者は次の作品
に期待をかけるようになる。従来とはまるで違う世界がそこに開かれた。「作家と読者が
顔を合わせるなんてことはそれまでほとんど起こらなかったわ。」とアユは語っている。
出版業界にとって、またメディア業界にも同様に、コマーシャリズムの手法が精緻で洗練
されたものになったのである。

第二期ごろから、文学の世界を含めてクリエイティブ産業の充実が始まった。そこでは女
性たちが読者という消費階層になるばかりか、市場に供給される商品の生産者になる道も
開かれた。女性としての日常生活の片隅で感じたり思ったりしたことを書いて読者の共感
を集めたら、それが産業界にとってのヒット作品のひとつになる。

アユ・ウタミ、ジェナル・マエサ・アユ、フィラ・バスキたちも都市中産階級の生活を小
説の中に描く。そこには作者であるかの女たち自身の生活が投影されているのである。
[ 完 ]