「インドネシアの産業経済構造」


「米、砂糖の次は鶏卵、不法輸入品の洪水に国内産業への打撃は深刻」(2004年5月19日)
家電品は業界と政府が対策を講じ、インドネシア語取扱説明書と保証書の添付を義務付けるという規制をほどこしたが、監視や違反者の摘発がほとんど行われなくなっていて腰砕け状態。繊維製品は古着衣料が輸入禁止であるにもかかわらず国内市場に大量に出回っており、既に青息吐息の繊維製品産業界にヘビーなボディブローを与えている。さらに米、砂糖は、不法輸入品が国内相場より安い価格で市場に出回り、生産者をどん底に突き落としている。プラウスリブの海域に投棄されたコンテナ162台分3,450トンの密輸入砂糖はほんの一部に過ぎない。国内生産者の国内販売に廉価な不法輸入品をぶつけて市場を奪うだけでなく、家具木材加工業界にとっては原材料にあたる木材を、不法伐採闇輸出を行って入手困難を生じさせ、操業不安を与えているのは数日前のニュースにあった。そこにきて、こんどは鶏卵の不法輸入が問題に上がってきた。
家禽産品市場情報センターのハルトノ理事長は、毎日60トン(推定2百万個)の鶏卵がマレーシアからインドネシアに不法輸入されている、と語る。鶏卵の全国生産は一日6千万個2千8百トンなので、不法輸入品は約2%にあたるが、その鶏卵は自国内市場に品質面あるいは過剰生産で流通させられないためにインドネシアに捨て値で流されているのではないか、と推測されている。通貨危機前の1997年には、国内生産が3千6百万トンに達していたが、今は減っているとはいえ国内で完全自給が達成されており、鶏卵を輸入しなければならない状況ではない。ところが不法輸入鶏卵が国内市場にたいへん廉価で流され、キロ当たりRp.8,300からRp.8,500という相場よりはるかに安いRp.4,000からRp.5,000で売られているため、生産者は不安を感じている。
中古自動車から古着そしてこんどの鶏卵まで、さまざまな不法輸入品が送り出されてくるのは、マレーシア西岸にある、ポートクラン、マラッカ、ムアル、バトゥパハ、ベヌッ、ククッの諸港。一方それを受け入れるインドネシア側は、ドゥマイ、スラッパンジャン、タンジュンバライカリムン、タンジュンバトゥ、ビンタン、バタムの諸港。船は1百から3百トンのものが使われ、一回に持ち込まれるのは8百個から1千6百個で、陸揚げされるとそのままパサルに直行している。一方カリマンタンでは陸路を通り、国境をトラックで越えると、ポンティアナッでそのまま高速フェリーに乗り込み、ジャカルタを目指す。あるいはバンカ・ブリトゥン島に揚げられてから、海路をジャカルタのスンダクラパ港に送られている。


「鶏卵不法輸入イシューは、価格操作を目的にした流通業者の謀略」(2004年5月21日)
1日60トンの不法輸入鶏卵が半値近い価格で国内市場に出回っているとのイシューが広まったとたん、キロ当たり8千ルピア台だった鶏卵価格がRp.7,100からRp.7,300に落ちた。ところがそんな不法輸入の実態などなく、そのイシューは流通業者の価格操作謀略だ、との声が出されている。
全国家禽事業者連盟(GAPPI)前中央指導部事務局長アフマッ・ダワミは、不法輸入の事実は見当たらない、と言う。「そのイシューを語っているサンバスの養鶏業者を問い詰めたが、何の証拠も出されなかった。それどころかかれは、4千万ルピアで買われた当局者がバックについており、われわれに対抗するすべはない、と言う。だからわたしは、そんなことはない。じゃあこっちが1億2千5百万でその当局者を買えば良い、と言ったが、かれはとてもそんな度胸はなかった。だいたい国内生産一日80万トンに対して60トンでは影響を与えようがないが、ところがあのイシューだけで国内市場価格はもう下降している。ともあれ、あのイシューは中味のない空話だとわたしは確信している。」と同事務局長は述べている。


「陶磁器生産者に燃料用ガス供給危機」(2004年5月24日)
国営ガス公社PT Perusahaan Gas Negaraからの燃料用ガス供給が悪化しているために、陶磁器生産者の経営が揺るぎはじめている、と全国陶磁器雑貨産業協会が表明した。ズルフィカル同協会事務局長は、2003年下半期以降今年4月に至るまで、燃料用ガス供給の悪化で生産能力稼動は60%まで低下し、品質は3割減となっており、ボゴール工業団地入居会員企業7工場の試算によれば損失は2,640億ルピアに達するとのこと。同協会会員企業は60社あり、床壁用タイル、セラミック瓦、衛生陶器、テーブルウエアー、食堂設備などの分野で操業している。ガス公社から送られてくるガスの圧力が不安定で、陶磁器産業に必要とされる最低圧を下回ることが多いために、業界では事業の継続に不安を感じ始めている。ボゴール地区では陶磁器製造のほかにもガス公社からの燃料供給を頼みの綱としているセメントや製紙業の工場がある。
国内市場には廉価な中国産陶磁器が大量に入ってきており、国内での燃料用ガス供給の不安定は競争相手の中国側にとってもっけの幸いという状況を生んでいるため、業界の不安は特に強い。同協会は国営ガス公社との契約内容が一方的なために、国内産業界にとって大きな負担を抱える結果となっている、とも言う。「ガス公社はミニマム使用契約を行っているために、ガス使用が少なくても一定料金を払わされる。支払い遅延に対しては、ルピア建てで月3%、米ドル建てで月2%の延滞金利をかけてくる。使用コミットメントより少ない使用料に対してはミニマム料金を徴収するのに、公社側のトラブルで供給がおかしくなっても、補償要求などせずに状況を受け入れるように言われる。これが独占サービスのリスクだ。」とのズルフィカル事務局長の談。
国営ガス公社側は、ガス需要が急激に膨らんだために不満足な現象が起こっている、と説明する。アグス・ディハルジョ広報官は、「石油燃料補助金の削減で、需要家が相対的に安いガスにシフトしてきた。ところが供給増加のためのガス開発にはまだ数年の時間がかかる。グヌンプトリ、チレンシ、チマンギスには17社の陶磁器業界顧客があるが、公社のジャボタベッ地区割り当て供給量一日1.55億標準立方フィートは地区総需要にほど遠い数値になってしまっている。プルタミナやBPなどからの供給追加を検討しているが、施設の建設整備には二年かかる。そのような状況のために、供給増に向けて努力しているものの、今すぐの状況改善というのはむつかしい。契約について言うなら、双方の合意において相互の権利と義務がうたわれているはずだ。もし供給側の問題で使用料がミニマムを下回った場合は支払い料金が下げられることになっている。また一部消費者が契約をたがえたガス量を使用すればガスパイプネットワークが混乱し、ほかの消費者に対するガス圧が影響を受ける。」と説明している。


「不動産業界の再起はブラックマネーのおかげか?」(2004年9月6日)
経済危機以来崩壊していた不動産セクターの昨今の再起の影に、ブラックマネーが混じりこんでいると業界関係者は見ている。
PT Bangun Tjipta Saranaのシスウォノ・ユドフソド社長は、経済危機の際に外国に移された不法な金が、いま不動産市場に舞い戻ってきている可能性は高い、と語る。確かに、最近活発になっている不動産開発をまかなっている銀行ローンの比率は小さく、総コストの中でせいぜい20%ほど。顕著な傾向は、デベロッパーが自己資金でプロジェクトの建設を始め、建物の形が見え始めると販売を開始して消費者の金がそこに流れ込み、建設プロジェクトが進められていくという循環だが、その循環に入ってくる消費者の金の中に、経済危機で国と国民が困窮に耐えていたとき、不正な方法で入手し国外に移し置かれていた6百億ドルの一部が混じっている、というのだ。ともあれ、ブラックマネーとはいえ、それが国内に還流しているという事実は、インドネシア経済が復興に向かっていることを明白に物語っている、とシスウォノ社長は評価している。
反マネーロンダリングの動きが、特に2001年9月11日のWTCNY事件以後世界的に高まる中で、不法な金は不動産に転換するという手段が広まっており、ほかの国に比べてインドネシアは不動産転換を通してブラックマネーを洗濯する場所としての有力候補と見られているようだ。この金のおかげで、デベロッパーは銀行界にローンを渇仰しないでもビジネスを展開させることができている。


「カキリマ商人からの不法徴収金は一日14億ルピア」(2005年3月18日)
首都ジャカルタには14万人を超えるカキリマ商人がいる。かれらカキリマ商人にも組織があり、インドネシアカキリマ商人協会(APKLI)ジャカルタ支部では所属する14万人を超える商人たちを取りまとめ、その声を代弁している。ちなみに首都支部が把握している地域図を見ると、カキリマ商人は35,626人が南ジャカルタ市におり、続いて中央ジャカルタ市に33,070人、東ジャカルタ市30,007人、北ジャカルタ市22,601人で以外に西ジャカルタ市には19,251人が営業しているだけとなっている。
かれらは市場の脇や道路脇、あるいは駐車場といった人通りの繁華な場所に仮設売店を設け、毎日商品を並べて販売しているが、毎日何人もの役人や地回りのやくざ者がやってきてはさまざまな名目で現金を要求するため、法的にも腕力的にも弱者であるかれらはそのような形態の搾取から逃れるすべを持っていない。協会の調べでは、商人一軒あたり一日に取られる不法徴収金は5千から1万5千ルピアとのことで、概算すれば一日14億ルピアの不法徴収金が路上で動いていることになる。運送機関の世界で動いている不法徴収金はまた別だ。
1997年以来クリスモンに襲われたインドネシアでは、企業倒産が相次ぎ、大勢の失業者が生まれ、ジャカルタにとどまったかれらの多くは、その日暮らしのカキリマ商売の世界に入って行った。急増したカキリマ商人を秩序付ける必要が生まれ、都庁は急遽、特定地区をカキリマ商人ビジネス地区に指定してかれらに場所を提供し、そこでは行政サービスの対価として設定されている課金徴収も廃止された。しかしAPKLIは、西ジャカルタ市ラワブアヤや南ジャカルタ市パサルミングに設けられたカキリマ地区での方が不法徴収金が激しい、とコメントしている。協会は都庁に対し、公的にはないはずの課金が不法徴収金として取られている現状はきわめて不明朗であり、都庁はむしろ課金を設定して金額を明示し、またその用途を明らかにするようにして状況を改善してほしい、と要請している。また金を搾取しに来るやくざ者に対抗するため、同協会は会員の間でタスクフォースを編成する計画でいる。


「外為市場の荒れは国有事業体のせい」(2005年3月26日)
23日に米連銀が預金金利を2.75%に引き上げる表明を行ったことで世界的なドル高基調となったが、24日のジャカルタ外為市場でもルピアは1ドル9,395ルピアで閉め、前日の1ドル9,356ルピアから軟化した。ところで、今月後半に入って始まったルピアレートの低下は大口の米ドル需要を持つ国有事業体のドル買いが原因だったことから、イ_ア銀行は国有事業体に対し、毎日のドル購入予定をイ_ア銀行に前もって提出するよう要請した。今回米ドル大口調達を起こしたプルタミナとテルコムをはじめ外貨支払いの予定を持っている国有事業体は、イ_ア銀行に対して毎月の一日あたり平均外貨調達予定額を報告しなければならない。イ_ア銀行はそれを見ながら市場でルピアレートが大きく揺れないよう制御していくことになる。オルバ期の外為市場は一日120億ドルが取引されていたが、今では3〜4億ドルというレベルに落ちており、ちょっとした大口需要が出ればレートは敏感に大きく揺れるためだ、とブルハヌディン総裁は強調している。


「イ_ア銀行がルピアレート暴落に歯止め」(2005年4月27日)
26日のジャカルタ外為市場は、前日急激に低下したルピアレートを受けて1ドル9,750ルピアで始まり、大きく乱れて一時は9,795ルピアまで落ちたが、通貨当局の諸施策が効を奏して夕方の終値は9,695ルピアまで回復した。
イ_ア銀行が金融界に対して打った手はまずネットオープンポジションを最大30%から最大20%にしぼらせたこと。続いてファインチューンコントラクションを実施して銀行界から1.7兆ルピアの流動資金を引き上げた。更にドル建て国債入金分から10億ドルを市場に放出してルピアの建て直しを図った。市中金融界に対するオープンマーケットオペレーションとして今回実施されたファインチューンコントラクションは、オーバーナイトから最高14日までを期限とする確定利付き債券を発行するものであり、イ_ア銀行は今回償還期限三日で利率3.625%という債券の発行を行った。この競売は26日14時から16時まで実施され、16時30分に結果が公表されて1.7兆ルピアが集められた。期限を三日としたのは、この三日間を押さえ込めば市場は沈静化するだろうとの読みから。この競売に参加が許されたのは自己運用目的に限定した市中銀行とその市中銀行から代理指名を受けた通貨市場業者のみ。
イ_ア銀行は金融界の過剰流動資金状況を克明に把握し、状況に応じて過剰資金の吸い上げを行っている。これ以外にもイ_ア銀行は外貨スワップとフォワード取引の新スキームを準備している。


「ルピアレートは依然軟調気味」(2005年5月3日)
5月2日、イ_ア銀行は再びファインチューンコントラクションを実施し、市場から5,530億ルピアを吸い上げた。ブディ・ムリア通貨運営担当理事の説明では、市場に依然として資金過剰流動性が見られたため、償還期限4日利率5.75%の債券を発行したとのこと。イ_ア銀行預託金のうちミニマム強制預託金以外のものは1.5〜2兆ルピアをノーマルとしており、ノーマル状態を超えている場合は投機行動を抑制するためにイ_ア銀行がそれを吸い上げるというメカニズム。イ_ア銀行債券競売はひと月2回に減少していたが、今月からまたウイークリーに実施されることになる。
それとは別に2日の外為市場では、イ_ア銀行は国営銀行を通してドル売り介入を行い、米ドルレートは昼間一時1ドル9,525ルピアまで下がったが、最終的に9,548ルピアまで戻して2日の商いを終えた。


「補助金支出などもともと存在しない」(2005年5月9日)
3月に行われた石油燃料市場価格値上げの最大の理由とされている補助金削減という大方針について、補助金支出などもともと存在していない、と自説を主張してきたクイッ・キアンギ前国家開発企画庁長官は次のように語っている。
三種類の会計簿記システムをわれわれは知っている。まず単式簿記システム、そして複式簿記システムで、どちらも発生原理が使われている。もうひとつは現金ベースの簿記システムで、政府会計の記帳にはこれが使われており、その金額の現金が国庫に納入されない限りいかなる数字も帳簿に上がってこない。同時に現金での支出がないかぎり、帳簿上の支出はゼロだ。国家予算はキャッシュベースを採用しているが、石油ガス関連の部分だけは違っている。これは奇妙だ。政府予算の歳入部門には毎年石油ガス収入という名称の項目があり、そこの数値はバレル単位のボリュームに国際市場での価格を掛けたものが記入されるが、国庫はその金額を受け取ったことがない。なぜなら政府と国会の合意で国内消費者への販売から得た金額が決められるのだから。そのため、予算に記された国庫に入ったことのない国際相場の金額と国内消費者から得た金額の間で必ず差異が生じる。その差は政府予算支出項目に補助金という名称で記帳される。どうして納められた現金だけを記帳しないのだろうか?
会計システムの中で、現実のコストとは異なる標準コストというものが使われる。その標準コストは常に実際のコストとなるべく近いものとなるように計算される。それは他でもなく、帳簿をできるだけ早く締めて実態にできるだけ即した結果をマネージメントに示すためであり、マネージメントはできるだけ早く実態に即して諸決定を下すことを必要としているからだ。標準コストと実際コストの差異は後になって差額として調整される。ほとんどが現金ベースの政府予算では補正予算というものがあるけれども、石油ガス関連ではまったくその必要がない。石油市場価格は単一であり、収入はそれに従って記帳できるのだ。しかし石油ガス収入はそうではない。石油ガス収入項目を国内消費者からの実際の収入に近づけようという意図はなく、むしろ国際相場にできるだけ近付けようとしている。その両者間の差額はきわめて大きい。
標準コストに規準要素を取り込めば、達成されるべきコストという意味合いの規準コストが生まれる。1バレル50米ドルに1ドル8,600ルピアの為替レートをかけた3,240ルピアをプレミウムガソリンが販売されるべき価格だとし、政府に国民の購買力を斟酌する義務がないものとしよう。現実にはリッターあたり1,810ルピアで売られているため、そこには機会損失が発生するが、現金の損失は何もない。国民に機会損失を示して見せる必要がどこにあるのだろう?インドネシアコラプションウオッチや、政府会計がキャッシュベースでなければならないとする2003年度法令第17号に逆らった会計簿記を行ってまで。だれがそうしろと言っているのか?IMFか、それとも世銀か?どういう意図で?
国際相場価格を基準値とする石油ガスのように、政府歳入は基準値を使わなければならないのであれば、どうして税収もそうしないのか?妥当なタックスレーシオで普通に徴税され、よその国のようにそこそこの汚職レベルで国庫に入る金額を歳入予算にすればよい。現実は大勢が税金を納めず、また大勢が腐敗しているのだから、政府会計支出項目の中に「税金隠し者と徴税掠取者への補助金」項目を作ってバランスを取ることができる。石油ガス部門だけがそのようにしているのは、なぜなのだろう?石炭、黄金、銅、ウラニウムなど他の鉱物資源はどうして石油ガス部門のようなシステムを取らないのか?このきわめて奇妙な現象についての思想基盤を、一般国民にわかりやすいように大蔵省の官僚テクノクラートは説明しなければならない。その説明では、すべてのデータや情報を公開しなければならない。石油天然ガスは国民みんなのものだ。国民が自分の所有物に関するあらゆることがらを知ってはならないとはどういうことか?石油燃料値上げ方針の本当の理由を明示し説明することではじめて国民はその値上げを納得するだろう。


「クレジットカード返済も悪化」(2006年5月24日)
2006年第一四半期のクレジットカード未返済金額が10%を超えた。前年8月時点のレコードはクレジットカード決済金額15.2兆ルピア中の未返済金額が1.1兆で率は7.2%だっただけに、急増したという印象が強い。昨年10月の石油燃料大幅値上げによる国民の購買力激減がこの状況を招いているベースだが、イ_ア銀行副総裁は「それにもかかわらずロワーミドルから下の階層に向けてクレジットカードを持たせるのに狂奔しているカード発行者が二社あり、そのようなプルーデンシャル欠如の姿勢が10%を超える未回収金額の直接的原因である。」と銀行界の自覚を求めた。そのニ社がだれなのかを同副総裁は明らかにしていない。


「2004年インドネシアの消費経済は2003年から倍増」(2005年6月9日)
ACニールセンの調査で、2004年の国内消費物資販売伸び率が、インドネシアは東南アジアで最大の14%に達したことが明らかになった。他の諸国はマレーシア13%、フィリピン11%、タイ8%、シンガポールとベトナムは3%などとなっている。2003年の実績はタイがトップで9%、インドネシア7%、フィリピン6%、マレーシアとシンガポールは3%、ベトナムは2%などという数字。
インドネシアの昨年の伸び率倍増という実態についてACニールセンインドネシアのヨンキ・スルヤ・スシロ小売業ビジネス開発担当取締役は次のように分析している。同取締役によれば、昨年インドネシアのモダンマーケットは2003年の5,103ユニットから6,804ユニットへと3割増を示した。ただ増えただけでなく、積極的な販売増進策を行ったため、消費者の買物が増加した。ショッピングセンターへやってきて、プロモや値引きにつられて衝動買いを行う消費者は決して少なくない。更に2003年の商品タイプ増は1,500アイテムに満たなかったものが、2004年には5,500アイテムも増加している。経済状況改善という追い風があったにせよ、現実にはそれ以上の神風が吹いたという格好。
インドネシア小売市場はまだまだ発展の余地を大きく持っている。ジャカルタ一辺倒からメダンやスラバヤ、スマランなど地方都市への展開も進み始めているが、二級三級の町はほとんど手付かずの状況と言って過言でない。またモダンマーケットとトラディショナルマーケットの競争は圧倒的にモダンマーケットが強く、消費者はそのどちらへも行き、買物をしているが、たとえば50万ルピアを使う人はトラディショナルマーケットに10万ルピアしか落とさず、モダンマーケットで40万ルピアを使っている。


「ルピア暴落!」(2005年6月10日)
6月9日のジャカルタ外為市場でルピアは再び1ドル9千6百ルピア台に乗り、グローバル市場でのドル下降傾向とは裏腹にルピア安が進行している。銀行間スポットレートは8日終値が1ドル9,580〜9,585ルピアというレベルだったが、9日夕方には9,620〜9,625ルピアというレベルにダウンした。
イ_ア銀行ブルハヌディン・アブドゥラ総裁はこのルピア安について、「原油価格上昇などのいくつかの要因のためにルピアレートが圧迫され、短期でのインフレ圧の高まりが懸念される。タイトマネーポリシーの維持は不可欠で、イ_ア銀行債金利アップトレンドは強まるだろう。」と述べている。今イ_ア銀行が目指している中期目標は年間インフレ率3%の実現で、これを3〜5年以内に達成しようというもの。
昨日のルピア暴落についてフォレックスクラブのパルディ・クンディ会長は、外銀が大量のドル買いを行ったためだ、と指摘する。今週はじめにグリーンスパン米連銀議長が出したペシミスティックな発言でドルは世界的に下落しているが、外為ディーラーは米国経済の成長を促す新たなパワーをグリーンスパンが言及するだろうとの期待半分に、今はルピアよりも米ドルを買う傾向を見せている、と同会長は述べている。


「カキリマ商人は都庁に一日10億ルピア納めることができる」(2005年6月14日)
通貨危機に端を発した多次元経済危機で失業者があふれ、首都に残ったかれらの多くはカキリマ商人となって糊口をしのごうと、都内の繁華な場所にあふれかえった。かれらが公共施設である道路や公園、あるいは道端や駐車場などを占拠したため、都庁秩安局はかれらを追い払うことを目的に実力行使を行うようになったが、それで問題の根が解決されるものでもない。
道端に商品を並べて販売活動を行っているかれらカキリマ商人も協会を組織している。インドネシアカキリマ商人協会(APLI)がそれで、同協会によれば、中央統計庁の公表データである首都のカキリマ商人14万1千人をはるかに超える、総数30万人が都内で日々カキリマ商行為を行っているとのこと。協会は都庁に対し、都庁秩安局が暴力的に行う実力行使は根本解決にならず、かえって事態を紛糾させるだけであるため、都庁は現状を認めてカキリマ商人の商活動を許し、協会はその見返りとして一日10億ルピアを都庁出納に毎日納めるという条件を出した。
一方スティヨソ都知事はその提案に悲観的で、カキリマ商人が全員法規を遵守するというなら話は別だが、これまでの情況を見るかぎりでは、それが実現するとは思えない、と答え、都庁はカキリマ商人のためにあちこちに育成地区を設けてそこで商活動を行うよう指導しており、公共施設を勝手に占拠する者はあくまで実力で排除するしかない、と述べている。


「曲がり角に立つ産業構造」(2005年6月16日)
1993年の世銀レポートはインドネシアの産業構造に関するいくつかの問題点を論じている。
1.保護的な市場の中で明白なあるいは隠された独占が優勢であり、経済の集中度が高い
2.レントシーキング(利権狙い)ビジネス層優位が、国際マーケット競争のための資金力と生産スケールの中で活用されていない
3.多数のビジネスクライエントを効率よく結びつけるスペシャリスト的企業の少なさが示している産業間連結の弱さ
4.中規模産業セクターが少ないという点で、底の浅いインドネシアの産業構造
5.技術開発推進者として、あるいはその注入者としての国有事業体の非柔軟さ
6.外資企業の多くがいまだに国内市場重視傾向にあり、事業目標はほとんどが保護的マーケットに向けられている

ガジャマダ大学博士課程教官でJurnal Ekonomi & Bisnis編集長でもあるムドラジャッ・クンチョロによれば、それらのポイントとは別に、インドネシアの製造産業は次のような問題を抱えている。
1.原材料・半製品・部品調達が輸入に頼る比率の高さ。1993年から2002年までの統計で全産業平均で28〜30%に達している
2.テクノロジー取り込みや実践の弱さ。国内製造業はいまだに『お針娘』や『組立屋』タイプが多い
3.人材クオリティの低さ。国内労働力の学歴データを見よ
4.大規模工場といっしょになって付加価値連鎖を形成するべき中小企業があまりそのチェーンに連なっていない
5.独占(もしくは寡占)に近い状況で操業するサブセクターの多さが生む不健全な競争環境。これついては二社集中指標が0.5を超えるサブセクターが50%以上に達している事実が証明している

さてグローバル市場におけるインドネシアの産業競争力はどうだろうか?顕示比較優位指数(RCA)を見てみると、過去からあまり変化していないことがわかる。1982年以来のブロードベースインダストリー構想で非石油ガス産品輸出品目の多様化は進んだが、国際市場でシェアを伸ばしたインドネシア原産製造品目の大半はゴム、プラスチック、テキスタイル、皮革、木材、コルクなどの簡易テクノロジー産品で占められていた。ところが1992年以降、インドネシアの競争力は下降を始めた。その主な要因のひとつは、インドネシア輸出産品が非熟練作業者を使った天然資源集約型産品に集中していたことがあげられる。
非石油ガス産品輸出構造は、インプットファクターインテンシティに基づけば、下の5つに分化している。
a.天然資源集約
b.非熟練作業者集約
c.現物資本集約
d.人的資本集約
e.テクノロジー集約
1993年から95年まで、インドネシアの輸出は低下したが、その間上昇を見せたのは家電、化学、通信機器等の非家電機器、コンピュータとその部品などで、それらのいずれもが輸入コンテンツは比較的低い。
このコンテキストでの国際市場競争を論じるなら、公正な競争を妨げている歪はなくさなければならず、不効率産業保護や『檻の中のチャンピオン』は撤廃が難しいにせよ、ウエートを低めて行かなければならない。ハイコスト経済を生む法規、徴収金、保護などは廃止し、世界市場での輸出産品競争力を高めるための制度、インフラストラクチャー、スーパーストラクチャーを整備することだ。民衆経済基盤としての中小企業と協同組合の振興はきわめて戦略的なステップであり、政治レトリックに堕すことなくフォローアップが続けられなければならない。健全な競争力を国内産業界に持たせるために、寡占的で集中的な産業構造は変えられなければならない。そうでないために国内産業構造は底が浅く、外からの衝撃で動揺しやすく、テクノロジーの包含度が低く、資本財と外国からのインプットへの依存度が高く、業際間の結びつきが弱いという状況が作り出されていたのだから。
政府の産業政策が経済成長促進のために大中規模産業をサポートする傾向にあったことは歴史が示している。
オルバ期の開発5カ年計画でスハルトは;
1.輸入商品の国内生産化で外貨を蓄える産業
2.大規模に国内で原材料の処理を行う産業
3.労働集約産業
4.政治と戦略目的の国有事業体
への育成にポイントを置いた。国は製造産業において、投資家、オーナー、レギュレーター、資金準備者の役割を兼ね備えたが、発展途上国でそんなスタイルは目新しい話ではない。ところがネオリベラル層の目からは、利権屋の影がつきまとい、国家開発と輸出強化という面から妥当性に欠けるとの論が投じられている。大型国有事業体は別人がより生産的に活用できる資源を浪費しており、基幹産業やサポーティングサービス産業は資源の不足を来たし、込み入った許認可と規制システムは国家目的でもあるかのように作られ、小企業育成プログラム・下請けプログラムは20年以上もかけて微々たる効率改善と均等化という結果しかもたらさなかった。メガワティ政権では商工相が、政府の政策を遂行するに当たって反動的アプローチを取った。現内閣に求められているのは、国内外の環境変化により対応できる洞察的、積極的な産業政策だ。インドネシアの産業政策はこれまでスペースレス的性格を持っていた。つまりその産業セクターの地理的位置はほとんど無視されていたということであり、クラスターベースの産業開発という視点がこれからの産業政策の鍵を握るものなのである。


「法的確定不在」(2005年6月27日)
本サイトの最新ニュース、6月22日付け「国内航空会社に燃料調達の危機」と題する記事の中に見られる、従来PPN課税対象外とされていたジェット航空機燃料国内販売へのPPN課税を5年前までさかのぼって実施するよう大蔵大臣が命令したことも、過去に既に終えてしまった事業決算の確定性が覆されてしまう法的確定不在の一例だ。
それとは多少性格が異なるとはいえ、債権の抵当に取った株式の売却を南ジャカルタ国家法廷の承認を得て行ったドイチェバンクがまるで知らない間に、債務者側のベケットPte.Ltdがジャカルタ高等裁判所にその判決の差し止めを求め、高裁はその言い分を認めて南ジャカルタ国家法廷の判決無効を決定するということが起こっている。裁判所の決定にもとづいて行った処理が、それから三年もたって突然根拠を失ってしまうという現象は、法的確定の不在を示す明白なサンプルだ。
1997年10月、ドイチェバンクAGはPTアスミンコバラウタマに対し1億ドルの貸し付けを行うことを了承した。
翌11月、両者は株式抵当契約を結ぶ。抵当に入ったのは、PTアダロインドネシアの全株式の40%。その際、ベケット社とPTスワバラマイニング&エナジーが保証人となり、アスミンコのデフォルトに対する保証を行っている。アスミンコの99.9%シェアはスワバラマイニングが所有しており、またスワバラの74%シェアはシンガポールのベケットが所有している。
1998年8月、債務返済期限が来たがアスミンコは返済を行わない。
1999年10月、ドイチェバンクはアスミンコに書面で返済をリマインド。
2000年5月、両者は2001年6月まで返済期限の延長を合意。しかし期限になっても返済は実現しない。
2001年12月、南ジャカルタ国家法廷は、抵当に入っているPTアダロインドネシア内アスミンコ所有株式の処分、抵当になっているPTインドネシアバルクターミナル内アスミンコ所有株式の処分、抵当になっているベケットとスワバラの株式処分、抵当に入っているアスミンコ内スワバラ所有株式の処分を決定。
2002年2月、ドイチェバンクは抵当処分として、アダロの総株式の40%であるアスミンコのシェアを4,420万ドルで、またPTインドネシアバルクターミナル内アスミンコ株を100万ドルでPTディヤニラスティヤムクティに売却。スワバラ内のベケット所有株式74%をPTムルヘンディセントサアバディに80万ドルで売却。
2005年2月、ベケット社法律代理人の訴えにより、ジャカルタ高裁が南ジャカルタ国家法廷の決定をすべて取り消す判決を下す。
2005年3月、ドイチェバンクはジャカルタ高裁の判決に対する不服申し立てを最高裁に提出。
ジャカルタ高裁の判決は、そのケースは債権者債務者が争う係争であり、任意裁判ではないので、損害を受けたと認める側が相手を告訴する形で公判が争われるべきものである、との考えにもとづいており、そのために国家法廷が下したすべての判決は法的に無効である、としている。
PTアダロは南カリマンタン州で石炭採掘を行っており、年間2千万トンを生産し、埋蔵量は20億トンあると言われている。アダロのオーナーシップに関連して今回の係争に発展してきている可能性は大いに感じられるが、裁判機構が係争者の間で自己の利益のために利用されている現状では、インドネシアの法的確定が地に付くのはまだ先が長いように思われる。


「イ_ア産業の性格を分析する」(2005年7月1〜4日)
イ_アの経済成長を支えているのは生産セクターでなく消費セクターだ。その結果は、いつまでたっても投資拡大や民間セクターの動きが鈍いこと。ナイーブなことに、成長を続ける消費セクターは高度な輸入依存。そのため、ファーイースタンエコノミックリビューが選出したアジアの200ベストカンパニー中にノミネートされたインドネシアの10トップ企業は、自動車、即席麺、携帯電話、マルチメディアなどの消費型産業だ。工業界は産業構造の深い根をはることもなく、高い輸入依存度に頼っている。
インドネシアで得られる高い付加価値は、徴税セクターを別にすれば安い賃金で労働者が雇用できるチャンスの外には存在しない。そんな状況はもう何十年も続いている。その間、自動車産業が、即席麺産業が、電気通信産業や家電産業が継続的に裾野を拡大していくための刺激を与えられただろうか?その答えは現状の中に示されている通りだ。マーケッタブルなマスの人材開発も行われなかった。信頼できる技術開発やリサーチ機関もなく、国内外で売り込める強力なナショナルブランドも存在しない。唯一得をしているのは、国税、税関、サービス、そして労働集約セクターのマス労働力だけ。
誘導的になったためしのない投資環境下で国内事業家から生まれてくるのは近道スピリットばかり。安全を求め、工場は建てるが産業を興すことはしない。それも当然、工場を建てるのは、産業を興すよりはるかに簡便で安上がりだから。産業を興すのは、経済的なものにせよ信用にせよ、大きな資本を必要とする。計画的に専門家を雇い、テクノロジーやリサーチ機関を持ち、広範なネットワークを打ち立て、コミットメントを保持し、高い貢献度を保持しなければならない。産業を興すのにインスタントの道はない。
それゆえに、工場を建てるというだけであれば、その生産的活動期間は両手の指で数えられるくらいのものにしかならない。生き残っている工場もいくつかはあるが、その工場機能はインドネシアあるいはアセアン市場での利益を求めるプリンシパルの手先としてのものでしかない。数百の工場がずっこけた例は中国製二輪車工場が雨後のたけのこのように出現した時期に見ることができる。日本製二輪車が圧倒的に優勢な国内マーケットに、廉価二輪車が侵入できる隙間を埋めようとして実に多くの工場が現れた。そして何が起こったか?わずか三年の間に、それらのすべてが沈没していった。自然な市場競争の中で消えて行ったのだ。あれほどさまざまなマスメディアを賑わしていた中国製二輪車の広告はぷっつりと絶え、もはやそれらのブランド名を見聞きすることはめったにない。インドネシアが受け入れなければならない現実がそれだ。産業を興したいという希望をインドネシアの経済人は持っているが、何を興してどう発展させていけばいいのか、明確な方向性に欠けている。バティック産業がある、ハンディクラフト産業がある、部品産業がある。しかしすべてがそんなふうに動いている。特許を持ち、狭い市場の中でせめぎあう。あるいはたいていが利権屋で巨利を求める外国バイヤーの手先になるだけ。
グローバル市場に入って行けたとしても、インドネシアができるのは原材料供給だけ。原材料に大きい付加価値を付けた製品を作り出す能力はない。マレーシア、タイ、ベトナム・・グローバル市場の新期参入プレーヤーの伸びは瞠目するべきものがある。一方、インドネシア市場に前から進出している日本やヨーロッパの企業は停滞している。かれらはインドネシアで国内マーケットをエンジョイしているだけで、事業拡張、サポート産業設立、あるいは新ブランドの創設などを要求されたことがない。かれらはマレーシア、タイ、ベトナム、中国、インドなどにリロケして、そこで生産した商品をインドネシア市場に送り込んでくる。理論的には、巨大市場インドネシアにリロケしてくるはずなのに。豊かな天然資源、豊富な労働力は生産活動への大きいサポート要因となるのだから。ところが現実は正反対で、今ある企業の中に、国外へリロケしようという会社がある。
どうしてそうなるのだろうか?答えを探すのは難しくない。そうなるのは健全な事業環境が存在していないためだ。非誘導的な投資環境、劣悪なパブリックサービス、法的確定の不在、コストと生産性の不調和・・・。誘導的ビジネス環境を規定する第一の要因は、労働力と生産性、地域経済、物理インフラ、政治社会状況そして行政機関。ところが、2001年からはじまった地方自治がインドネシアの投資環境を悪化させているといずれの調査も声をそろえている。公共サービスの低劣さ、法的確定の不在、ビジネスを抑圧する地方条例などは、そこにあるのが非誘導的ビジネス環境だということを証明している。ため息の出る公共サービスは特に許認可や行政手続きでの費用の不確定性と時間の長さのせい。そしてそんな不満に、企業が担当官や高官あるいはやくざ者に払わなければならない合法不法の諸徴収金が追い討ちをかけてくる。インドネシアに投資してビジネスを行うのが不安な事業家の言い分は、マクロ経済の不確定、政府政策の不確定、中央地方行政府の汚職、複雑な事業許認可、労働関連の諸規制などをその理由にあげている。
原材料を探し、インプットからアウトプットを出すプロセスの間、企業が支払わなければならない不法徴収金、奉納金、エクストラ費用などといった円滑金と呼ばれるものもそのひとつ。事業投資家がインドネシアを避けるのも当然なら、製造会社が製品を原材料の形で輸出市場に流すのも当然だ。面倒がなく、利益も大きい。籐加工や木材、金属、カカオ、水産物や果実製缶業、基礎化学品などの産業は原材料が不足しており、その一方で行われている原材料輸出のおかげで他の競争相手国は力をつけ、国内産業は崩壊に向かっている。チョコレート産業では、原材料のカカオは輸出市場に向けられる。国内売買にはPPNが課税され、輸出は非課税だから。海老も木材も籐も、みんな同じだ。おかげで日本やタイの海老加工産業はインドネシアよりも格段の進歩を遂げている。インドネシアで産した原材料なのに、実に奇妙なことだ。
パーム原油産業の状況も似たりよったり。マレーシアの同じ産業と比べるとまるで昼と夜。インドネシアではたくさんの省がこの産業の世話をしているが、マレーシアではただひとつの省がAからZまでを指導監督する。商業省が輸出ドライブを計画したら、他の省は輸出税のアップを図ろうとした。インドネシアの輸出税はトンあたり4.8米ドルで、マレーシアの3.95米ドルより既に高いというのに。もっと奇妙なのはこれだ。政府はパーム油生産を高めようとする一方でパーム椰子農園面積を制限した。ある県では県庁が地元収入アップをはかるために椰子の実に課金をかけた。
他県がかけている課金はせいぜいその10分の1以下なのに。外国投資を呼び込みたい一方、投資意欲に水をかける政策も行われている。土地の農園事業利用権は35年しか与えられておらず、しかも住民の反対から守られる保証もない。マレーシアは99年間でしかも保証されている。そのため、インドネシアで事業のために所有している農園で、『本来の地主』たちに現実の農園面積の三倍もの補償金を支払わされた事業主が出たという話は、決して法螺話ではない。こんなビジネスに参入しようというのは、ハイリスクテーカーしかいないだろう。パーム椰子が油を産出してくれるのは植えてから三年以降なのだから。
インフラの話をまだしていない。農園インフラは悲惨そのものだ。道路の名前はかっこよくトランスカリマンタンだのトランススマトラなどと付けられているが、道路はいたるところに水牛が水浴びできるほどの穴があいている。農園へのアクセス路は、農園事業者が造ることになっているのだ。


「産業用エネルギー価格政策は失業増のもと」(2005年8月26日)
中部ジャワ州ボヨラリで操業しているPTハンイルインドネシア社が、政府の産業向けエネルギー料金値上げを撤回しなければ、同社は事業を閉鎖せざるを得ず、今雇用している2千人の従業員が職を失うことになる、と政府の政策に苦言を呈した。
韓国資本の同社は製品の9割を輸出し、残りは国内市場に供給している。パク・チャンジュン社長は同社製品のマージンについて、キロ当たり0.1〜0.2米ドルしかないのに、軽油がこれまでのリッター当たり2,200ルピアから一気に5,480ルピアに2.5倍もアップしたため、その影響で0.19米ドルもコストが上がり、国際市場での競争力はなくなってしまった、と語った。いきなり2.5倍も石油燃料価格が上がるのは、製造業界に大きい負担をもたらすもので、事業継続に障害が出れば失業者が増えて社会問題につながることは明白ではないか、と同社長は憤懣を洩らす。韓国は1960年から国が経済開発を推進し、労働集約的製造セクターの競争力をつけることを目標に、諸政策を実施した。政府は産業発展のための資金不足を国外から借り入れて補うことまでした。産業界向けには石油燃料をより低い価格で供給して、競争力向上をサポートした。そんなやり方のおかげで韓国の製造業界は発展したのだが、インドネシア政府はまるでそれと正反対のことをしている。インドネシア政府のこのような政策が続けられるなら、紡績繊維業界はさらに大きい危機に直面し、ばたばたと閉鎖することになるだろう。こんな状況の国に外国から新規投資が入ってくるとも思えない。同社長はそう述べている。


「製造業は砂上の楼閣」(2005年8月30・31日)
腐朽。インドネシアの製造業を一言で言えば、きっとそれがもっともぴったり来る言葉だろう。クライシス前には、アジアの虎候補生、アジアの彗星、新興市場、新工業国家群の雄などという誉め言葉を聞かされたものだが、われらが誇るインダストリーは歴史の流れの中で芯が腐り落ちた棒切れとなり、脆弱で、方向性がますます曖昧になってきている。航空機、船舶、重工業などの資本集約的ハイテク産業は、ほとんどすべてがクライシスの到来で地に落ちた。これまで花形だった家具、繊維・繊維製品、履物などの労働集約産業とゴム、パーム油、合板など天然資源ベースの産業は、競争力を失い、競合する隣国に太刀打ちできなくなりつつある。
独立60周年を迎えたインドネシアの製造産業の歴史を振り返って見ることにしよう。ことの始まりは、1970年前後の第一次石油ブームに端を発する。オルデバル期の最初の10年、インドネシアの製造産業はお寒いばかりの状況だった。東アジアから南アジアにかけての域内14カ国の中で、インドネシアはミャンマーに次いで第二位の後進国だった。非石油ガス産品製造業はGDPに9%の貢献しかしておらず、製造業の付加価値はひとりあたりわずか10米ドルしかなかった。その時代の製造産業は生まれたばかりの赤児であり、そのほとんどが農産品の加工をメインにしていた。重工業については、インドや中国からかなり引き離されていたと言える。
国連工業開発機関UNIDOは、独立から経済危機までの間のインドネシア工業化の流れを三つのフェーズに区分している。安定革新期(1965〜1975)、石油収入に頼る工業化期(1975〜1981)、輸出牽引型工業化期(1982〜1997)がそれだ。インドネシアの工業化はその第二フェーズに、輸入品代替産業に主眼を置いた国内指向政策をベースにスタートした。当時オイルボナンザによる爆発的収入のおかげで政府は、鉄鋼、天然ガス、精油、アルミなど鉱業や重工業を中心に、国内産業への融資、保護、補助を積極的に展開した。その期間、製造業セクターは年平均8%の成長率を達成した。そのあとやってきた石油価格暴落で、政府は石油収入への依存比率を下げるために、輸出指向産業育成政策へと舵取りを修正する。1983年4月の28%ルピア切り下げとともに政府は輸出振興政策パッケージを打ち出した。低利の輸出クレジット、投資規制緩和、金融界規制緩和、借入限度廃止、特定セクターへの融資割当優遇制度、国税関税管理システム再構築、製造輸出者に対する特別関税率などといったもので、この政策をさらに押し上げるために1986年の30%ルピア切り下げや毎年5%程度のルピアレート逓減なども実施された。
1985年の日米間プラザ合意は、インドネシアの工業化プロセスに重要な影響を及ぼした。日本の家電品や自動車業界が国外生産へと動き始め、東アジア周辺から東南アジアまで徐々にその波をかぶることになる。それにならって韓国、香港、シンガポールから衣料品や履物など労働集約産業が国外へと移り始めた。急激な投資の増加は国内資本の投資を誘い、1985年から1988年までは平均増加率年13%だった投資高は1989年からの5年間、平均20%に跳ね上がった。製造セクターはGDPの回復に優れた働きを示し、12%未満のシェアは1986年から1994年の間30%にまで拡大し、百億ドルだったボリュームは280億ドルと三倍近い上昇を示した。成長の牽引力が大規模資本集約産業だった80年代の前半にくらべて、86年以降の成長が労働集約産業に負っているのは大きい違いだと言えよう。顕著な構造
変化も同時に起こった。80年代中盤から輸出指向は大幅に強まり、製造産業の輸出成長率は平均30%、アウトプットの中の輸出比率も20%近くに倍増した。86年以降の製造セクター成長に輸出は40%以上の貢献をし、85年までの期間の貢献度13%とは隔絶したものとなった。非石油ガス全体の輸出成長の中で製造セクターはその四分の三を担っており、製造セクターの輸出が非石油ガス産品の輸出に占めるシェアは38%から63%に、また総輸出の中でのシェアも12%から50%へとアップした。
上で述べたような、目を見張る成果をあげたとはいえ、インドネシアの産業開発は不能率であり、それがハイコスト経済を招いている。あまりにも急速で計画性に欠けた産業開発は、底の浅い産業構造ときわめて狭い多様化を生む結果となった。クライシス前までの輸出増の80%近くは天然資源基盤産品に由来している。つまり、木材、ベースメタル、繊維・衣料・履物などの集約産業といった低労働賃金に頼るものだったのだ。この分野でもインドネシアは、より低い生産コストを謳う中国、インド、ベトナムなどの競争相手に打ち負かされようとしている。産業アウトプットと雇用も、多数のミクロスケール企業と少数の大企業の両極に集中していて、中小企業の役割も域内諸国に比べて劣っており、特にNIEsの中小企業が果たしている役割と比較すれば、お粗末な限りなのである。ミクロとコングロマリットが重点をなしている一方、強い中小企業が出てこない産業構造には空洞化が起こる。
インドネシアの工業化パターンは、同じレベルにあるほかの諸国に比べてたいへん異なっている。インドネシアのローテクノロジー産業の規模は、1985年から1998年までの期間で、特に労働集約産業の急速な伸びと食品・紙・木材など天然資源基盤産業の拡大のために44%から48%に増大し、その一方で、ゴム・プラスチック・セメント・ベースメタル・簡易メタル加工などミドルテクノロジー産業の貢献度は38%から34%へと低下した。これはインドネシアだけにしか見られない現象だ。
輸出に対するローテクノロジー産品の貢献度は向上し、プラスチック材料、ゴム製品、肥料、紙パルプ、鉄鋼など資本集約産品は下降した。インドネシアのハイテク産業は他の発展途上国の中で最低であり、フィリピンやインドの半分しかない。クライシス以来ハイテク産業は没落の一途をたどっている。
雇用面でも製造業の没落は明白だ。クライシス前の1990年から1995年までの期間、総雇用の半分を製造産業が創出していたが、クライシス後にはそれが極度に縮小した。2000年から2003年までの間に、製造産業雇用者は9.8%下がって109万人になった。履物産業は労働問題や地域別最低賃金の高騰の結果閉鎖や外国移転が多発し、雇用者数は6割減となった。
UNIDOアドバイザーによれば、インドネシアの産業競争力は1997年クライシスの三四年前から既に低下が始まっていたと言う。90年代初期の年間30%近い成長のあと、輸出売上は激減して7%までダウンした。インドネシアの産業が直面することになる困難の兆候は、そのころから現れ始めていた。1993年から1997年まで、インドネシアの四大優良輸出品だった合板・繊維・衣料・履物の輸出は停滞した。ルピアレートの暴落も国際市場におけるインドネシア非石油ガス産品の競争力を改善することができなかった。クライシスの前後でインドネシアの競争力を失わせしめたファクターがいくつかある。まず、同じものをより低コストで作ることのできる競争者が出現したこと。同一市場での同一商品の競合は激しさを増し、インドネシア主要輸出品の価格は低下を続けた。次に、輸入原料や部品への依存度の高さゆえに、インドネシアの生産者たちは市場競争に勝つための生産コスト圧縮を行うことができなかった。製造業界の総輸入の半分は資本財である。製造産業の総付加価値に対する資本財産業の貢献度はわずか2%しかない。ブラジル、中国、インドは1997年でそれが8〜9%もあった。総じてミクロな産業規模も製造産業の付加価値の低さに影響を与えている。製造産業の能力を高めるための生産設備のほとんどが輸入品なのだ。三つ目、量の小さい製品への巨大な依存度。総体的にインドネシアの製造産業はローテクノロジーセグメントにしがみついたままで、他の発展途上国に比べてその時々のテクノロジーステータスの改善が見られない。1997年のクライシス後、国内投資、外国投資は雲散霧消した。クライシス後の産業政策は方向を見失い、政府と産業界の関心は借入れと企業の再編ならびに投資家の信頼回復に集中した。とはいえ今日に至るも、投資再誘致はまだそれほど成功したとは言えない。
インドネシアは東アジアの競争相手から大きく取り残され、優良30輸出商品のマーケットシェアは中国、韓国、マレーシア、フィリピン、タイ、ベトナムに奪われ、1998年の生産はマイナス7%成長となり、1999年も2%にしかならなかった。
ここ数年、経済の中での製造セクターのシェア低下は、インドネシアに非工業化現象が起こっているという懸念を経済専門家層にあおっている。全製造業に対する労働集約産業のシェアは1995年の17%から2000年には13%まで落ちている。ここ数年の輸出の成長も、アジアの他の諸国に比べて低く、世界の通商成長と比較してすらインドネシアの方が低い。
それだけではなく、インドネシアの生産能力が日増しに低下していることを示す兆候もある。中でもそれは、インドネシアのハイテク産業が生み出す付加価値の重要な要素に対して家電品組立てが大きく貢献しているという事実に反映されている。組立て家電製品は、ローカル部品が総部品の10%を切っているありさまであり、そしてここにも地元のデザインつまりローカルエンジニアリングはほとんど見当たらない。こうしてこれまで産業と呼ばれてきたものが、実態は単なる部品組み立て工場(しかもその大部分は輸入品)でしかなかったことが露呈される。
最近のデータは輸出が増加していることを示しており、それどころか2004年9月には史上最高の70億ドル台に乗ったという実績が話題を呼んだ。そしてその後何ヶ月も、60億ドル台の実績が続いている。しかしその華麗な成功も、持続性が疑われている。中央統計庁の記録の取り方が変更されたことでそんな華やかなデータが現前しているということ以外にも、それら一部商品の輸出増が、他の多くの優良輸出品の没落をカバーする段階にはまだ至っていないことも確かなのである。


「石油政策の基礎」(2005年8月31日)
石油燃料市場小売価格は上がった。今期待されているのは、その値上がり新価格ができるかぎり長期間維持され、実業界が新価格をベースにした計算と計画にもとづいて事業活動を継続できること。2009年まで値上げがない、という政府の保証が得られれば、実にありがたいものだが、さて、それは可能だろうか?
わたしを含めて大勢のひとが何度も尋ねている。石油産出国であるインドネシアの大衆消費者向け価格と石油国際価格との間にどんな関係があるのだろうか、と。国内石油燃料価格が国際相場で編成される価格とまったく同じでなければならないという視点を政府がいつまでも変えないなら、原油国際相場が値上がりを続けている中で、国内石油燃料価格がもうアップしないなどとは誰にも言えない。将来の政策に対する規準を持つために、基本的なことがらについて再考するのは悪くない。

原油はゼロバリューではない。
まず、国際価格で示さないなら、インドネシアの原油のバリューはゼロだという見方を訂正する必要がある。プレミウムガソリンが1リッター1,810ルピアだったとき、原油は1リッター1,270ルピアと評価されていた。つまり、リフティング、精製、輸送のコストとして540ルピアを売値から引いた残りの1,270ルピアが原油価格となる。1リッター2,400ルピアの売値になったら、原油価格は1リッター1,860ルピアだ。ゼロではない!

どの市場メカニズムか?
インドネシアで行われている経済システムが共産主義経済システムでないなら、すべての物品は市場メカニズムの中で価格が決まる、と人は言う。つまり価格とは、需要曲線と供給曲線の交点だというのだ。需要曲線も供給曲線も、全員が販売を望み、全員が購買を望むのが前提で、購買者の点の塊から中線が引かれるとそれが需要曲線だ。
供給曲線も同じ。問題はその需要曲線と供給曲線の交点を求めるために、どの場所で重ね合わせるかだ。ニューヨーク。そこでインドネシアの原油は売られているだろうか?インドネシアの原油は国民の需要をまかなうことにさえ不足しているので、そこにはない。世界の石油総生産のうちどれだけがニューヨークで売買されているだろうか?わずか30%。残り70%は巨大石油会社が上から下まで独占している。
市場形態がたくさんあることをわれわれは知っている。完全競争、独占的競争、寡占、二者独占、独占。ニューヨークの市場形態は完全競争に近い。インドネシアの石油市場形態は言うまでもなく独占。そして独占はプルタミナに与えられ、政府が価格を決めている。政府が決める価格は、独占私企業で常識のできるだけ高いというものでなく、購買力のきわめて低い貧困層がマジョリティである国民にも手が届くように、その反対のできる限り低いものになっている。
つまり政府の独占は最大限の利益を得るために使われているのでなく、憲法第33条の精神通り、社会的機能遂行に使われている。だから供給曲線は、利益最大化行為でないため教科書のようなカーブを描かない。だったら政府の経済チームはどうして独占私企業のような振る舞いをするのだろうか?そして国民のものである石油価格決定の中で、社会機能を忘れてしまうのだろうか?インドネシア産石油ガスに対して働いているのは市場メカニズムの見えない手ではなく、利益、イデオロギー、政治パワーの見えない手なのではあるまいか?
より大きい収入が国民にとってよりよい目的のために使用できることをわたしは理解している。しかし、政府が国民を教育や保健面で優遇するために石油で締め付けてもよい、といった優先順をいったい誰が決めたのか?だから、国民大多数が抗議する政策で、政府は公平を広げようとしている。

公平
あまりにも安いガソリンは金持ちだけに得をさせていると人は言うが、それは正しくない。プレミウムガソリンをもっともたくさん消費しているのは、オートバイ、バジャイ、ミクロレッ、貨物運送ピックアップやトラック、アンコッ、オジェッその他まだいろいろある貧困層あるいは経済的余裕のない階層の乗り物だ。金持ちはプルタマックスやプルタマックスプラスを使っている。公正、明白、具体的で図星を射た政策を望むなら、特定排気量を超えるセダン車やトレンディMPVに可能な限り高い課税をすることだ。なのにどうしてつぎはぎだらけのことをするのか?国民を締め付け、補償と呼ばれるものをその薬として与え続けている。
飢えるほど腹を干上げられた者に安い教育と医療サービスが与えられる。極度に貧しく飢えている者にとって教育は、それが長期的にどれほど重要なものであろうとも、アブストラクトだ。極度に貧しい者は、より良い教育を与えても、長期的にその中途で飢え死にする。廉価な医療サービスも与えられるだろうが、その前にどうして生活必需品の値上がりによって食うに困るような、不健康な状況にしてしまうのか?

『補助金』という言葉の意味
原則的にニューヨークの市場メカニズムに従わねばならないため、インドネシア政府が定めた価格とニユーヨーク市場での価格の差を補助金と呼ぶ。これは当惑を招く。ガソリン価格はとても低く定められているが、原油価格はゼロを意味していない。現行プレミウムガソリン価格1リッター2,400ルピアに対し、原油は1,860ルピアと評価される。政府は自動的に、インドネシアの土地から自分で掘り出したガソリン1リッターに対して1,860ルピアの利潤を得ている。だから『補助金』とは出費ではないのだ。
ところが慣習的には、『補助金』という語は出費があるのが普通であり、意識するしないに関係なく政府は補助金が出費であると信じてしまう。これは大変奇妙で当惑させる表現である。
最新の政府表明に見られる「ガソリン値上げをしなければ、政府は60兆ルピア前後の損失を蒙るが、もし値上げができれば、貧困層に対して17.9兆ルピアの補償を与えることができる。」という文章を解析してみよう。プレミウムガソリン価格は1リッター1,810ルピアから2,400ルピアに上がった。この値上げで政府は、貧困層への補償として分配される17.9兆ルピア以上の余剰資金を得たのだろうか?わたしは補助金が出費と同義だという理解をしている多くの人に尋ねた。かれらが言うには、2,400ルピアでも政府はまだ赤字だそうだ。ただし、その赤字は60兆ルピアという大きなものではない。たとえばその赤字が60兆から20兆になったとしよう。それでもまだ20兆ルピアの赤字だというのに、貧困層に17.9兆もの補償を出そうとしている。国会議員の一部がトータル的で正確な状況把握をするために国会喚問を行いたがっているのはその点にある。
原油から作られる製品は多種多様であるため、それはもちろんたいへん複雑だ。それがゆえに、証人喚問を通してすべてを明らかにしようとしている国会議員には高い評価を与えたい。

キャッシュベースかそれとも発生ベースか
もうひとつの奇妙なことがらは、政府予算内の石油燃料収入項目がボリュームに政府が決して受け取ることのない国際市場原油価格を掛けたものになっているという事実だ。どうしてか?インドネシア国内での市場価格を政府がはるかに安く決めるから。そのため、そのバランスを取るために政府予算歳出の部に石油燃料補助金項目が置かれることになる。この項目の金額も決して支出されることのないものだ。このような政府予算編成方式はキャッシュベース原理から逸脱している。国家会計に関する2003年度第17号法令の第36条は発生原則が取られることを示しているが、それは5年の猶予を持つ規定であり、それが既に実施に移されているとは思えない。この法令は、石油ガス関連の『補助金』という言葉の意味に対する考えが混乱しているので、正しいキャッシュベースと発生ベースを分析し説明することができない。

ネット輸入
60兆ルピアの赤字は、原油やガソリンを輸入しなければならないので実際に出費されるものだ、との説明をよく耳にする。生産は消費に追いついていない。もちろんだが、しかし需要の百%を輸入しているわけでもない。輸入されているのは、消費とインドネシア側の権利となっている生産分との差だ。しかしそこで支出されるべき金額は、インドネシア側の権利となっている生産分でバランスが取られる。単なる例としてプレミウムガソリンで示してみるなら、上で述べているように1リッター1,860ルピアの資金が得られている。その金額が正確にいくらで、また輸入をまかなうのに必要な金額が正確にいくらなのかは、いまだかつて表明されたことがない。それは原油から作られる石油製品があまりにも多岐にわたっているためだ。[ 経済オブザーバー クイッ・キアンギ ]


「不思議だろうか?」(2005年9月1日)
ルピアレートが暴落すると、大勢の人がまるではじめてそれに直面したかのように驚き、不思議がる。わが国のエリート、中でも団結インドネシア内閣経済チームはとても早く歴史を忘却してしまう。それがあまりにもひどいので、みんなは記憶喪失について話し始めている。ルピア暴落は何度も起こった。スハルト大統領政権期の32年間で通貨切り下げは三回行われたし、『スマルリンショック』と呼ばれた超通貨引き締め政策で経済が麻痺したことも一回ある。
ルピアが高騰し、介入幅が引き上げられたことは八回もある。その後、介入幅は完全に解消されたおかげで、ルピアは1ドル2,300ルピアから16,000ルピアまで跳ね上がった。いまわれわれは、ルピアが心理バリアーの1万ルピアを超えたといってまた驚いている。そんな状況がパニック買いを招いている。

IMFのしもべ
マフィアのようでいて組織は形をとらないが何世代も手下を増やしていくので権力は永続的という一群の経済専門家たちがいて、インドネシアの大統領が誰であろうと仲間を政策決定メンバーの中に入れて常に経済を牛耳ろうと必死になっている。IMFというカルテルに具現されている国際パワーのしもべになるようその権力を使うというのがかれらの目的であることは明らかだ。かれらが権力をふるうときは、インドネシアの経済ファンダメンタルと名付けられているもののきわめてお粗末な弱点を覆い隠してしまう。経済政策のキーパーソンにかれらの仲間でない者が就けば、その業績がどれほど優れていても声高らかに非難譴責する。アブドゥラフマン大統領内閣にかれらが加わらなかったというだけで、いまこの国の経済がどれほど衰亡したかは想像にあまりある。この衰亡は、IMFカルテルがインドネシア政府に押し付けた政策の直接的な帰結だ。要は、ジョン・ピルガー、ブラッド・サムソン、ジョン・パーキンスらが語っているように、返済不能なまで対外債務を膨らませることであり、そのあと、イ_ア銀行流動資金援助ローンや銀行界再投資証券などの形で必要でもない国内債務を作り出すことだった。流動資金援助ローンや銀行界再投資証券は国家会計を破産させた。その影響で、政府は通貨交換レートを安定させることができなくなり(切り下げやレートダウン)、また国内では通貨購買力のコントロールすらできなくなった(インフレ)。すべてのファクターがインドネシア経済の衰亡にどれほど影響を与えたか、タイバーツと比較すればよくわかる。1969年、タイバーツは1ドル20バーツだったが、今では1ドル40バーツになっている。その同じ年、ルピアは1ドル378ルピアだったのに、今では10,300ルピアだ。36年間でタイバーツは100%下落したが、インドネシアルピアはなんと、2,625%もダウンした。そんな軌跡を経てIMFは最後に、インドネシアの外貨交換システムは完全自由でなければならず、また完全交換可能でなければならない、とインドネシア経済チームに命じた。その命令を出したのは、当時IMFのナンバーツーで、今はイスラエル中央銀行総裁となっているスタンレー・フィッシャーだ。こうしてインドネシアの外貨交換システムは完全自由であり、ルピアは完全コンバーティブルとなっている。1999年、わたしが経済産業統括大臣の座にあったとき、スタンレー・フィッシャーと激しい討論をしたことがある。それは、1967年以来システマチックに世界中から外貨で借り入れをさせられ、返済不能な残高に達している上に凄まじいクライシスに襲われたばかりという状況下に、まったく整然さに欠け生産性の低いインドネシアの経済と通貨のありさまで、外貨交換システムは完全自由、ルピアは完全コンバーティブルを命ずることが信じられなかったからだ。そのときわたしは、IMFカルテル自身がスハルト大統領政権期の32年間、マネージドフロートと呼ばれる外貨運営システムに賛成していた事実をあげて、かれに議論を突きつけた。衰弱したインドネシア経済がルピアレートの安定を維持するのは不可能であり、だから32年間で三回のデバリ(通貨切り下げ)とスマルリンショックという超タイトマネーが起こったのだ。定期的にデバリを行う方がまだましだ。というのは、デバリのあと三四年間は鎮静期が訪れるので、実業界は生産に障害を受けることなく新たな計算を行えるから。今のような完全自由システムでは、数ヶ月ごとに不確定が起こる。そして今起こっているような混乱の最中では、それが毎日になる。挙句の果てに実業界はドル決済に換えていくだろう。いまは多くの物品が米ドル建てで値付けされている。このような崩壊の谷底にインドネシア民族全体を落とし込んだ裏切り者エリートたちの罪深さはどんなに大きいことか!
自国経済力の中での外貨保有高の推移が収支バランスに反映されるのはみんな知っている。スハルト大統領期の32年間、年間収支が黒字になったのは、1973年、1979年、1980年の三回を除いてまったくない。その黒字の原因は第一回と第二回のオイルショックのおかげだ。外資受け入れと外国借款のために、外貨は常にある。そのために常に緊張が起こり、何回もデバリが実施された。1997年クライシス後、年間収支はいつも黒字になった。これは経済ファンダメンタルが良いからではなく、経済活動がたいしたものでなくなったために輸入が激減したせいだ。経済が少しでも勃興すると、キャピタルフライトが増えて年間収支は低下している。

バークレーマフィア
不思議だろうか?全然そうじゃない。
ところが不思議なのは、バークレーマフィア所属の経済家たちが、団結インドネシア内閣経済チームに対して非難譴責をはじめたことだ。かれらはSBY大統領が内閣を再編成するよう要求している。どうしてか?
IMFカルテルが望んだ三人がもう内閣に入っているではないか。統括大臣までがかれらの仲間でなければならないのか?内閣経済チームを交代させなければならないのは本当だ。しかし経済チームの全員がバークレーマフィア一派で占められてはならない。まず自立を勝ち取り、KKN行為を目立って減少させないかぎり、何をいじくろうとうまくいかない。キャピタルフライトはもう長い期間行われてきた。どうしてか?なぜなら定期預金金利率がインフレ率より小さかったからだ。
こうして、インドネシアの銀行に預けた資金の購買力はインフレで蝕まれ、いまではルピアレートダウンが加わっている。外国資本ももちろん入ってきている。しかしそれは盗人コングロマリットたちが自分の会社を15%の価格で銀行界再建庁から買い戻すために入ってきている金なのだ。[ 前開発企画庁長官 クイッ・キアンギ ]


「謎、欺瞞、それとも『だからどうした』?」(2005年9月16日)
9月9日のニュースで、内閣経済チームが大統領と副大統領にそれぞれ異なる石油燃料値上げ幅を進言したことが報じられた。最終的には、例によってそれは否定されたが。
大勢が言うように、経済チームの業績と協調はお粗末なものだ。経済チームの態度や言動は、多くの人たちにもはやまじめに受け止められていない。かれらが何をしようと、最近の流行り言葉である『だからどうした?』というコメントが待ち受けている。
民族の将来を思えば、わたしはしらけ族の真似をしてはいられない。だから石油燃料問題に関して、『補助金』定義問題をはじめ、不明瞭なあるいは不十分な説明に対して疑問を投げかけ続けるのだ。

不明瞭
わたしは適格機関からいくつかの資料を入手している。その中にたくさんの、不明瞭なことがある。国会議員の皆さんにとっては、政府との討議材料としてきっと興味深いものとなるにちがいない。
まず原油1バレル当たり60米ドル、為替レート1米ドル1万ルピアを前提にしたいくつかの石油関連資料の中に、原油生産の内容が、日製112万5千バレルの原油を政府・プルタミナ分66万3千5百バレル、生産分与契約コントラクター分46万1千5百バレルと分割しているものがある。その比率は59対41だが、国民はインドネシア側85%、外国コントラクター15%だったはずと理解している。この顕著な差はどう説明してもらえるのだろうか?
別の資料では、インドネシア側シェアの66万3千5百バレル中でプルタミナが精製するのは56万3千2百バレルとなっている。残る3万3千2百バレルはBPMigasが輸出し、6万7千バレルは輸出交換と呼ばれるものに充当される。ところがこの輸出収入が資料のどこにも出てこない。
原油価格60米ドルで一日10万3百バレルが輸出されたら、100,300x60x10,000x365=21.96兆ルピアの収入となる。政府のキャッシュフロー資料を見ると年間5.7兆ルピアのサープラスとなっているので、本当はこの輸出分を加えて27.7兆ルピアのサープラスになるのではあるまいか?この数字は、かつてわたしが試算した数値からあまり離れていない。
次の資料では、プルタミナが政府から価格の異なるさまざまな名称で原油を買っていることがわかる。MM Prorata, MM Prorata KPS, MM in kind Pertamina, etc., etc.。バレル当たり価格は10.35ドルから51.77ドルまでさまざまで、どうしてそんな購入の仕方をするのかが不明だし、おまけにプルタミナが政府から購入すれば、支払い代金は大蔵省のどこに収入として計上されてくるのだろうか?政府会計予算の中ではどうなっているのだろうか?政府予算では、輸入は出てくるが輸出はどこにも見あたらない。
石油関連の政府キャッシュフロー資料に戻ると、ここで政府には5.7兆ルピアもの黒字が出ている。原油価格60ドル、交換レート1ドル1万ルピアでそれだ。もうひとつ、ここではどうして原油価格が一律60米ドルで計算されているのだろうか?どうしてプルタミナの原油購入資料と同じさまざまなカテゴリーと価格が使われないのだろうか?

今後の宿題
今後の宿題として、ひとつの仮定を述べておこう。そこでは、似非知識人のロジックは使わず、素人一般庶民の論理を使う。そのベースに置かれるものは、もしプルタミナ、BPMigas、大蔵省、シンガポールのPetralの会計帳簿をひとつにまとめたら、どんな絵があぶりだされてくるのか、ということだ。現状は奇妙だ。プルタミナは大蔵省から原油を高く買わされている。国有事業体だから損失は補填される。それが補助金というものだが、その金はどこから来ているのか?大蔵省がプルタミナに高く買わせていることで、プルタミナが支払う金はどこへ行くのか?それらの問題に対して『それがどうした?』と言わなければならないのだろうか?
プルタミナの原油精製能力は国内需要を満たすに十分な石油燃料生産能力からほど遠い。ところが原油の一部は輸出され、おまけにその不十分な精製能力にもかかわらず原油が不足するために輸入までしている。輸出収入は公的資料のどこにも現れてこない。政府キャッシュフロー資料の中にあるオペレーションコスト21.1兆ルピアとは、いったい何なのか?[ 前開発企画庁長官 クイッ・キアンギ ]


「国民の預貯金保証制度がはじまる」(2005年9月23日)
いよいよ政府が、国民の預貯金に対する保証スキームの変更を開始した。もともと国内の通貨オーソリティである政府が、国内経済振興推進に当たってそのメカニズムのひとつである銀行界に預けられた国民の資金を銀行倒産などの不慮の事態から救済するために設けられた方針ではあるが、これまで取られて来た個別対応方式では、ケースによってあまりにも大きく国家予算を揺さぶる可能性が生じ、さもなければ政治体制に大きい影響を及ぼすことにもなるため、経済危機以後その負担軽減を図って制度確立準備が進められてきた。
1998年11月10日、政府は1992年度第7号法令銀行法の内容を一部修正する1998年第10号法令を制定し、銀行は自行内に預けられた第三者資金の保証義務を負うことになった。2001年1月26日、大蔵省は預貯金保証機関(LPS)設立準備会を編成して、銀行界に対する第三者資金保証の監督と支援を行う政府機関であるLPS設立に向かった。ある調査によれば、預貯金保証制度が完備された国は、1980年に16カ国しかなかったが、2000年にはそれが68カ国まで拡大したとのこと。インドネシアはその69番目にあたり、アジア域内では10番目になる、とその調査は報告している。
LPSの預貯金保証スキームは、各銀行から掛け金を徴収して年間の保証を行うが、保証対象が段階的に縮小される予定になっている。2005年9月22日から開始されるこの保証対象は、2006年3月21日まで銀行間ローンを除くすべての第三者資金が対象となっており、1口座あたりの金額限度はない。しかしその次の半年間は口座残高50億ルピアが限度となり、その次の半年つまり2007年3月21日までは10億ルピア以下、そしてそれ以降は1億ルピア以下しかLPSの保証対象にならない。LPSは既にこの保証スキームに加わる国内の銀行をリストアップしているが、国内全132銀行中103銀行だけが加入しており、外銀および外資合弁銀行はこのスキームに加わっていない。掛け金は0.25%で前払いとなる。
ところで、銀行にあっさりと保証義務を負わせたが、それでうまく行くのかという疑問が有識者から出されている。国内保険業界の一般保険会社106社が持つ2004年末時点での総資産高は19兆ルピア、保険料収入16兆ルピアとなっているが、2005年6月時点での132銀行が持っている第三者資金総額は1千兆ルピアを超えている。口座残高1億ルピアを超えるものが全体の2割程度だとしても、国内保険業界でとてもカバーしきれるものではない、というのがその骨子だ。おまけに、保険付保自体にまだ無駄金という認識の色濃いインドネシアで、保証義務を間にはさんでの銀行と監督機関とのいたちごっこや、保険プレミアムの顧客負担といった対応が出現しないという保証もない。一朝有事のさいに当の銀行が手をあげれば、収拾が制度の外で行われることになるのであれば、その後の制度運営に大きい困難が生じるのではないだろうか。


「銀行業界のゆくえ」(2005年10月4日)
2年程前にイ_ア銀行は、『インドネシア銀行産業アーキテクチャー』を作成した。
国家経済に大きい地歩を占める銀行界を健全に、強固に、そしてハイ効率なものにすることを目指した中央銀行の意図は、しかし遅々として進んでいない。
イ_ア銀行のターゲットのひとつは、自己資本金が1千億ルピア以下の一般銀行が2010年にはひとつもなくなること。銀行数もいまの132から半減させる必要があるとしている。銀行界の産業構造として描かれているのは、資本金が50兆ルピアを超える国際銀行、10兆ルピアを超える全国銀行、1千億ルピアを超えるフォーカス銀行という三層構造。
ところが銀行の自己資本は減少傾向にある、とイ_ア銀行銀行調査統制局長は明らかにする。2005年5月時点の1千億未満銀行は48、8百億未満は34もあるが、2004年には1千億未満銀行は40しかなかったのだ。そのターゲットに向かう努力が銀行合併や吸収だったが、合併は2004年12月にCIC銀行・ダンパック銀行・ピッコ銀行がバンクセンチュリーになった一回だけ。一般的に銀行オーナーたちは合併を敬遠する。かれらの目にはプラス面よりマイナス面のほうがたくさん映っている。組織トップとして自由に采配をふるっていたことが、やりにくくなる。複数の人間が協力と協調の中で権限をふるっていくという習慣がまだ確立されていないインドネシアでは、どうしてもマイナス面の方が大きく目に映るようだ。
グローバル金融競争時代に、インドネシア国内銀行界のコンソリデーションは避けて通れないことがらであり、それゆえにイ_ア銀行はバーゼルアコードUを2008年から実施することを決めた。そして銀行産業アーキテクチャーに向かう意思をブルハヌディン・アブドゥラ総裁が今年1月の銀行界年次会合で宣言した。総裁が明らかにしたコンソリデーションのための三つのオプションは、まずアンカーバンクによる吸収、二つ目は銀行間合併、三つ目はそのふたつのコンビネーションというもの。その周辺環境の整備も進められており、今年7月には一般銀行の最低核資本を2007年末までに8百億ルピアとすることが定められた。それを怠った銀行は、貸付先制限や第三者資金収集制限を受け、事業は同一州内に限られて州外の全ネットワークは閉鎖しなければならないといった罰則を受けることになる。現在既に1千億以上の自己資本を持つ銀行も事業内容経営内容が厳しくチェックされ、優良でない銀行にはイ_ア銀からさまざまな監督と指導が入ることになる。2010年末にはその8百億ルピアが1千億ルピアに引き上げられ、1千億ルピアを超える核資本を持つ銀行は優良銀行の格付けをイ_ア銀から得なければならず、もしそれに失敗すれば、一般銀行から庶民貸付銀行へと格落ちがなされる。
しかしイ_ア銀行が中央銀行として描いたアーキテクチャーに銀行界がすんなりと鼻先を向けているわけではない。中小銀行オーナーたちは、自己資本金の問題は事業利益の積み上げと外部からの資本金注入でクリヤーしようとしており、吸収合併によるコンソリデーションは毛嫌いされている。バンドンを本拠とする資本金3百億のある銀行は、株主が増資をすることで基本合意はできており、あとはそれまでに事業利益をどれだけ貯められるかだ、と語っている。一方、為替レートとインフレ抑制でふたたび上昇気流に乗った金利率が貸付減少を招いて銀行事業への逆風となることから、銀行界ではイ_ア銀が単に撫で斬りするだけでなく、銀行の経営健全化をどこまで下支えしてくれるのか、と期待のこもった視線を行政側に向けている。


「金融投資資金は定期預金へと集まる」(2005年10月12日)
イ_ア銀行債金利率上昇に伴って銀行の金利率がアップしており、それにつれて銀行界第三者資金総額も増えている。2004年12月には963兆ルピアだった第三者資金は2005年7月に1,353兆ルピアへと増加した。証券市場が急速に縮小したのと裏腹に、資金はどうやらローリスクローリターンの定期預金に戻ってきているようだ。興味深いのは定期預金の6割が一ヶ月ものということで、資金オーナーは短期流動性を強く求めていることがわかる。
一方の証券市場は、2005年2月末には110.8兆ルピアまで投資が膨らんだものの、急激な縮小に見舞われて9月16日には34.5兆にまで落ち込んでしまった。二次証券市場での価格低下が投資家の暴落不安を煽り、続々と償還の動きを誘ったことで証券市場は暗黒の中に転落して行った。証券市場の動きにまだ慣れていないインドネシア投資家の半ばパニック的な行動で相当数の投資家が火傷をしており、米ドル金利上昇とルピア交換レート暴落で生じた金利率アップのおかげで当面投資資金はリスクレスと見られている定期預金に集まるのではないかと業界筋では見ている。


「市中の資金流動性が悪化」(2005年10月13日)
為替レートのルピア安やインフレ抑止対策として中央銀行が行っているタイトマネーポリシーの影響で、市中から巨額の流動資金が中央銀行に吸い上げられている。
イ_ア銀行が行っている市中の流通通貨量コントロールは、イ_ア銀行がタイトマネー原則を敷いているために資金がイ_ア銀に溜められる傾向が強い。市中銀行に対する強制預託金は、各銀行における第三者資金額と預貸率(LDR)に応じて率が決められ、かつての最高5%が13%まで引き上げられた結果、イ_ア銀行に置かれている強制預託金はかつて41兆ルピアだったものが9月15日時点では90.4兆ルピアまで増加している。このような流動性の悪化は経済活動の動きを拘束する結果をもたらすため、可及的速やかにタイトマネーを緩和する必要があり、イ_ア銀行は通貨状況が安定し次第、それを行う方針でいる。
一方、イ_ア銀債に投資されている流動資金は9月15日時点で62.4兆ルピア、そして8月の総貸付残高は659.6兆、銀行第三者資金総額は1,050.3兆ルピアであるため、LDRは62.8%となっている。他にも8月までに銀行界は265.3兆ルピアの証券投資を行っているほか、42.7兆ルピアの債券を保有している。


「5年後を目指す銀行界のダークホース」(2005年10月18日)
2010年の『インドネシア銀行産業アーキテクチャー』実現の中で、中堅銀行が大きい役割を担うようになるのではないか?Indefはしばらく前に行った研究の中で、そのように結論付けた。ダークホースとしてインデフが指名した民間中堅銀行とは、Bank NISP. Bank Panin (Pan Indonesia),Bank Bukopin, Bank Buana, Bank Mega。パニンとメガは強力なリテール銀行となり、NISPは中小事業向け貸付事業の雄となり、ブアナは強固なエスニックバンクとなり、ブコピンはコペラシ事業の進展とともにその力強いバックアップ銀行となるだろう、というのがその予想図だ。
インデフのその予測は、ここ数年のそれらダークホース銀行が示す利益の伸びに立脚している。2005年6月、ブアナは1年間で50%もの純利の伸びを示し、パニンも22%成長を記録している。それら中堅銀行は、貸付金比率(LDR)も高いレベルにある。パニンは資本金シェアの29%をANZ銀行が持っており、最大株主はパニンライフで42.2%。NISPは今年3月でシェアの51%をシンガポールのOCBCが握った。ブアナはやはりシンガポール第二のUOB銀行子会社であるUOBIIにシェアの53%を持たせている。海外からの資本導入と技術援助は、経営基盤強化の重要な布石として期待されている。ともあれそれらダークホース銀行は既にアンカーバンクのクリテリアを満たしており、今後の拡大の大きな足がかりをつかんでいるのだ。
2010年にそれらのダークホース銀行はどうなっているだろうか?今資本金が5.4兆ルピアのパニンが毎年13%の成長を続ければ、2010年には10.6兆になると同行社長は語る。しかし、銀行業界の競争は熾烈さを増している。かつてはコーポレートバンキングに集中していた大型銀行も、リテール分野への拡大を積極的に推進している。この先5年後の状況は、まだまだ予断を許さないものがあるにちがいない。


「繊維業界の没落続く」(2005年10月21日)
バンドン県の繊維業界では、今年9月末以来、すでに10社が操業短縮を行って4千5百人の従業員を解雇もしくは自宅待機処分にしていることを、全国労連(SPSI)同盟バンドン県支部指導評議会のアイ・スハンダ副議長が明らかにした。その十社とは、Panasia Indosyntec, Muwatex, Kayamatex, Daliatex, Pamatex, Famatex, Gladiatex, Kistex, Vonex などで、全従業員を解雇して閉鎖した会社もあれば、一部を人員整理して事業を縮小した会社もある。同副議長によれば、今年3月に行われた石油燃料値上げから積算すれば、バンドン県の労働者解雇は3万人に達しているとのこと。
かつて一世を風靡したバンドン県の繊維業界は業績が急速に没落しており、同支部は9月中旬、労働大臣に対してその詳細に関する報告を行っている。10月1日の石油燃料大幅値上げによって原材料コストは25%も上昇し、生産コスト急騰のために人件費に金が回らなくなっている、と操業短縮と一部従業員の自宅待機を行った事業主は述べている。事業継続の障害になっているのは石油燃料値上げ問題のみならず、中央政府が予定している産業用電力料金再値上げ、不法徴収金を主体とする幽霊コスト、繊維産業育成に手を差し伸べない地方法規などが手を携えて産業発展の行く手をふさいでいる、とも事業者たちは付け加えている。


「過酷な税」(2005年11月8日)
2004年に行われたワールドエコノミックフォーラムのサーベイで、インドネシアにおける事業にとっての主な問題は、非能率な行政、政策が安定しない、汚職、劣悪なインフラ、高率な徴税、税制、資金調達、労働法規という順に並べられていたが、2005年のサーベイでは非能率な行政、劣悪なインフラに次いで税制が三位に浮上し、徴税レベルは8位に下がった。改定税法案はまだ国会審議プロセス中であるというのに、この国際フォーラムではインドネシアの税制が実業界にさらに重い足かせをはめるのではないかという懸念で満たされている。実際インドネシア実業界は、改定税法案の内容が国民個人の独立性を脅かすものになるのではないかとの不安を抱いているのだ。一方それとは別に、インドネシア経済は以前から税の重圧にあえいできた。それについて世銀は、インドネシアの税は多種・高額であり、経済非効率を生み出している、とコメントしている。平均60人を雇用する中規模企業は52種の税を課され、粗利の38.8%が納税にあてられるが、中央政府地方政府に納める行政課金や社員個人に課される税、そして税務コンサルタントへの支払いまであわせれば、粗利から吸い上げられる率はそんなものの比ではなくなる、と世銀は指摘している。
中規模事業の粗利に対する納税額比率を近隣諸国と比べてみれば、インドネシアの位置が見えてくるにちがいない。マレーシア11.6%、香港14.3%、シンガポール19.5%、台湾23.6%、タイ28.2%、韓国29.6%、ベトナム31.5%、日本34.6%、中国46.9%。インドネシアは中国より下であるものの、労働生産性は中国の方がはるかに上だ。次に税の種類を見てみると、香港10、台湾15、シンガポール16、日本26、韓国26、マレーシア28、中国34、タイとベトナムは各44で、種類の豊富さではインドネシアがダントツであり、更に税務処理事務にかける時間を比較するなら、税がどれほどの非能率を事業の中に持ち込んできているかがはっきりするだろう。シンガポール30時間、タイ52時間、香港80時間などは例外としても、アジアパシフィックの平均である251時間の二倍を超える560時間がインドネシアなのだから。
税に関わるその現実に加えて、非能率との評価高い行政が行っている国家経営の中での財務の透明さとその効果を見るなら、汚職や不法徴収金によるハイコスト経済といった非合法なものとそれらの合法なものがあいまって、実業界に異常なまでの負担を強いていることがあからさまに見て取れる。きわめて合法的な政府補助金が、ブラックコングロマリットたちに与えられた中銀流動資金援助ローンやBPPN監督下に行われた銀行界資本再建、さらには不正用途使用や国外密売を放置しながらも貧困層向けを名目に付けられていた石油燃料などのありさまを目にする限りでは、実業界と税と経済政策というひとつのサイクルが断ち切られていることに気付くにちがいない。この国で人は税を納めるために働き、納めた税は自分たちの暮らしを豊かにするために還元されず、多少とも国民生活の基盤を支えるためのインフラは外国借款が使われて借金のツケが国民に回される。
国内におけるビジネスの構造がそのようであるため、インドネシアの労働力が向かっている職業が次のようになっているのもひとつの帰結であるにちがいない。(1)フォーマルからインフォーマルセクターまで、国外へ出て働く(2)政治家や官僚になって、他人が納める税金を定め、徴税する(3)援助供与国出先機関のコンサルタントやスタッフになって高給を楽しむ(4)法執行界に保護される犯罪者となる(5)反グローバリゼーション(反市場)のプロフェッショナルになる(6)自営ビジネスやビジネス開発に関係しない職業につく。
庶民の本音は遠慮会釈がない。どの職業を選ぶかは、それが与えてくれるインセンティブとディスインセンティブのバランスの上に乗る。それがインドネシアでどうなっているかは、上の職業番付が答えを述べている。インドネシアにおける政治優位や官高民低は単なるパワーやガバナンスの問題ではないのだ。


「消費者の購買力が低下する」(2005年11月9日)
石油燃料大幅値上げと運輸セクターの値上がりが引き起こしている諸物価高騰と、まだそれに見合う昇給が行われていないという現状から、イドゥルフィトリ明け以降の消費者の購買力はかなりの低下を見せるのではないか、とAprindo(小売業者協会)が懸念している。中でも飲食品などの基幹物資に対する需要よりも、衣服やアクセサリーといった二次的消費物資の需要が大きく後退するだろうと見て、採算の見直しとアウトレットの整理を余儀なくされる状況が迫っていることを小売業界は予見している。それに加えて、ラマダン月の販売ピーク期における商戦を乗り切ろうと製造業界はまだ目立った値上げを行わないできており、シーズンを超えたいまあらたな採算点に則しての価格調整を行うタイミングに製造業界はさしかかっている。このため、消費者購買力低下と商品の値上げで小売業界の売上に大きい影響がもたらされるのではないか、との不安が小売業界者を包んでいる。
ちなみに今年のイドゥルフィトリシーズン売上高は2004年実績から10%ほど低下しており、イドゥルフィトリでさえ売上低下となれば、その後の売上が20%ほど低下してもおかしくはない、と業界者は述べている。
逆風はそれだけでなく、ショッピングセンター経営者はテナントに対し、10月1日の電力料金値上げを理由にしてサービスチャージの大幅引き上げ適用を11月から始めた。大きいところでは、30%もの値上げが行われている。ある商店主は、従業員給料、テナント料、サービスチャージなどの操業コストが売上の35%を食っており、製品コストがアップしなければ操業コスト比率は今後の昇給やその他経費アップでもっと高まっていくだろう、と頭を痛めている。モダンマーケットの二次的消費物資小売業者は9月末まで平均的に、売り場床面積平米当たりひと月100〜150万ルピアの売上で、基幹物資小売業者はそれが200〜450万ルピアの売上だったそうだ。その差が出るのは、基幹物資の利益率が小さいためだ。イドゥルフィトリ明け以降の小売市場はロワーミドル層の購買力低下が顕著になるだろうとの見込みから、その層を顧客に持つ商店が大きい影響をかぶることが予想されており、アプリンド3千会員の7割程度がその対象になることから、協会は今後の動向に注目している。


「総就業人口の半分近くが一次産業に従事」(200511月9日)
産業別労働人口構成に関する中央統計庁の最新サーベイ結果を示した『インドネシアの主要職種と労働時間』と題する報告によれば、2005年2月時点での就業人口94,948,118人中44%が、農業・林業・漁業・狩猟という基礎労働セクターに従事しているとのこと。続いて20%が商業・小売業・レストラン・ホテルなどのセクターに従事し、オルバ期以来の工業化推進にも関わらず製造業が吸収している労働人口は12.2%しかない。パブリックサービスセクターは11.4%、運輸・倉庫・交通セクターは5.8%といった内訳になっている。残る10%強は、鉱業・採掘業、電気・ガス・水道、金融、保険、土地建物賃貸等に散らばっている。ちなみに今年10月時点の総就業人口は2月から0.8%増加して、95,730,800人となっている。


「製造セクターへの外国投資は大きい伸び」(2005年12月5日)
今年1月から10月までのPMA投資実施の中で、製造セクターへの投資は32.7億ドルにのぼり、顕著な増加を示している。中でも最大は化学医薬品セクターで11.2億ドル、食品が5.3億ドル、家電機械金属セクターが4.4億ドルといった内訳。一方PMDNの方は9.2兆ルピアで、筆頭が飲食品の3.4兆ルピア、続いて繊維産業1.6兆、化学医薬品が1.5兆という上位三役。いずれも今年は昨年実績を上回るものと予想されている。ちなみに2004年年間実績は、PMAが28億ドル、PMDN10.5兆ルピアという数値。
アンドゥン・ニティミハルジャ工業相は、産業界から強く要請されている事業環境改善とハイコスト経済抑制を鋭意推進している、と語る。製品競争力アップと効率改善を事業者は行い、政府は誘導的な事業環境を育成していくことが課題であり、この年末には第二回目の輸入関税率ハーモナイゼーションが行われ、国内産業界の総合的な調和がさらに高められる予定になっている、と同相は述べている。


「経済閣僚リシャッフル」(2005年12月6日)
内閣リシャッフルの話題が続いており、やっとひとりの名前が登場した。経済チームの顔ぶれを変えることでイ_ア経済は好転するのか、というのが世間の関心だが、イ_ア経済の破壊は長い時間をかけて行われてきた。その発端は1967年、イ_ア人でない人たちによって経済建設の青写真が作られたときだ。1967年11月のジュネーブ会談の中で、インドネシアは安い値段で多国籍巨大企業にバギバギされた。
「フリーポートは西パプアの山を銅鉱脈と共に手に入れた。アルコアはボーキサイトの最大鉱区を手に入れ、アメリカ・日本・フランスの企業グループはスマトラ・西パプア・カリマンタンの熱帯林を手に入れた。スハルト大統領のサインが慌てて求められた外国投資法が、それらの掠奪行為を5年間無税にした。明白だが表向きは秘密裏に、インドネシアの経済コントロールはアメリカ・カナダ・ヨーロッパ・オーストラリア、そして忘れてならないIMFと世銀が根幹をなすIGGIの手に渡された。」
ブラッド・サムソンの発見を引用してジョン・ピルガーはそう書いている。
石油ガス以外の天然資源が国庫にもたらす2006年の収益は5.4兆ルピア(3.7%)。わずかこれだけの収益というのは、1967年のバギバギの結果なのだろうか?そして豊かな国々がイ_ア政府に借款を与えるためのIGGIが供与国からマジョリティの物品サービス購入をインドネシアに条件付け、マークアップされた価格で買わされたためにわれわれは高い買い物をした。借款の80%がその供与国に現金のまま還流した。借款は1,820億ドルの元利が既に支払われ、残高は800億ドルだと計算する者もいる。

自由化の影響
1988年の10月政策パッケージの結果、見る見るうちに銀行が2百も増加した。払込資本金100億ルピアで誰でも銀行が設立できることをこの政策パッケージが許したため、その2百近い銀行は、金融事業の背景を持たない大商人が設立し、所有し、経営した。国民が委ねた資金をそれらの銀行は、自己企業グループ内で会社を設立することに、しかも水増し金額で設立するという形で悪用した。銀行は当然債務不履行を抱えた。ところが中央銀行はそれらの銀行オーナーを罰するどころか、第一手形割引ファシリティを与え、それでも債務の改善されない銀行には更に第二手形割引ファシリティを提供した。それでも救われない銀行はラッシュに襲われ、取り付け騒ぎを鎮めるために政府は、中銀流動資金援助ローンと名付けられた資金注入を144兆ルピアも行った。その対象となった銀行の監査を行った会計監査庁は、資金の90%は回収見込みなし、と評した。
金融騒乱が鎮まったとき、多数の銀行が重度の経営難に陥っていることが明らかになった。政府は資本再建ボンドを銀行界に渡して援助した。その総額は元本430兆、金利600兆ルピアだ。それらの銀行は政府の所有に移され、その後政府は安い価格でそれらを売却した。政府に対する巨額の債権がそれらの銀行の中に抱えられているというのに。たとえばBCA。政府の資本再建ボンド60兆を持ったまま、政府は10兆ルピアでその所有権を売り渡した。つまり買う方は、10兆ルピアを払って政府の負債60兆を手に入れたことになる。政府が負債を完済するまでの金利負担は、10兆ルピアではきかない。2006年度政府予算内で政府借入れの影響額は140.2兆ルピア。金利76.6兆、元本返済分63.6兆ルピアという内訳になっている。

絶対自由化
「大衆生活の必要を満たす生産分野と国にとって重要な物品は国が掌握し、最大の国民福祉の用に供する」という45年憲法第33条規定の具体的な内容は、イ_ア共和国成立以来1967年まで存在しなかった。規定として編成された具体的な明細は、外国投資に関する1967年第1号法令に盛り込まれたものが最初だ。その法令第6条1項には、「外資に対する完全閉鎖事業分野は、国にとって重要でまた大衆生活の必要性を司る次のものである。a。港湾 b。公共用電力生産・送電・配給 c。電気通信 d。教育 e。航空 f。飲用水 g。公共用鉄道 h。原子力発電 i。マスメディア 」と記されている。そしてそれらのサブカテゴリーでの外資シェアは5%を超えないこととされていた。一年後、第68号法令は憲法第33条の文言とその詳細を繰り返したが、外資シェアは49%にまで引き上げられている。1994年第20号政令はまたまた同じことを繰り返したが、外資は95%までのシェアで所有し、掌握し、経営できることにされた。暫く前にアブリザル・バクリ経済統括相がインフラサミットを開催したとき、イ_ア団結内閣はあらゆる生産分野における外資百%所有を許可する、と述べている。それから程なく、スギハルト国有事業体担当国務相が国有事業体サミットを開催したとき、政府は基本線で事業体を持つべきでないとしており、民営化は継続して進められる、と語っている。これは政府が資金を求めているためでなく、思想的原則の問題だ、と言うのだ。インフラ実現は政府が行わず民間に委ね、民間は損益計算をベースにインフラ建設を行うかどうかを決定する。インフラ利用者は使用料(toll)を支払う。使用料は投資者に妥当な利益をもたらさなければならない。これはインドネシアにハイコスト経済をもたらすのに一役買うことになる。
国民は石油燃料を、ニューヨークマーカンタイルエクスチェンジが決めた価格で買わなければならない。だから石油燃料大幅値上げが行われた。そのベースは「石油ガス燃料価格は市場メカニズムが決める」と宣詔している石油ガス法だ。憲法法廷は石油ガス法のその規定を憲法第33条違反と認定したが、政府はそれを何事もないかのように無視している。

コルプシ
コルプシ行為は一層猛り狂って持続的に行われている。コルプシは単に他人の財産を盗むという枠を超え、思考法を蝕んでいる。もはや思考や理性は捻じ曲がってしまっているのだ。古代ギリシャの思想家が言ったコラプティッドマインドである。インドネシアでの応用は、なじみのない用語の使い方に表れている。理由なしに人を逮捕することを「保全する」と言い、ひっぱたくことを「教育する」と言う。外国借款を「開発収入」と呼び、債権国を「援助国」と称する。イ_ア消費者が支払う石油燃料価格とNYMEX価格との差を「補助金」と名付け、それに続く思考の流れは、政府が支出するべき現金という内容に置き換えられていく。

この評論は、イ_ア経済に対する適正な解決のための診断を描くことを意図したものだ。その解決はこれまでのところ、インドネシアの大臣たちがアシスタント兼実行者として手助けしているCGI、世銀、ア開銀、IMFによって与えられているものである。[ 前開発企画庁長官、クイッ・キアンギ ]


「産業政策履行における歪み」(2005年12月8日)
繊維・衣料・履物などの労働集約産業がシステマチックな没落の道を歩んでいる。日々の生活にそれらを必要とする2億2千万もの人口を抱えたインドネシアでそのような現象が起こるのは、実に不思議なパラドックスと言える。まして労働賃金は比較的まだ安いインドネシアだというのに。まだ十分に開花しないまま、それらの産業が斜陽の道をたどっているのはどうしてか?産業政策通りにそれらの業界が発展していれば、このような事態にはならなかったのではないか?つまりこれが、イ_アの産業開発は計画的開発ではなく、偶発的開発という要素の方が強かった、ということのあかしのひとつなのだ。
インドネシアの産業はグローバルな現象に対して脆弱で、動揺に対する抵抗力に欠けている。インドネシアの産業発展段階から見れば、上であげた諸産業は、少なくとも国内市場でメインのシェアを享受できているはずだというのに。インドネシアの産業政策はどうなっていたのだろうか?インドネシアの工業化戦略はほかの発展途上国とそれほど違ったものではなかった。輸入代替産業がパイオニアとされた。当初は手厚い保護政策が取られ、パイオニア事業者たちがあるレベルまで成育するよう支援される。その後徐々に保護が弱められ、規制緩和が始まって輸出型産業へと転換していく。そうして究極的に、国内産業は自由市場を原理とするグローバル化に直面する。
この流れは多くの発展途上国が経験し、そしてかれらはそれを乗り越えるのに成功している。だから政策が正しいのに結果がそうなっていないのであれば、政策履行に問題があることが考えられる。政策実現レベルが低いということは、政府の産業界に対する指導が弱い、つまり政策が求めている行動を産業界が取っていないということではあるまいか。言い換えれば、事業者はただ奔馬のように方向性を無視して駆け回っているだけで、だからインドネシアでの政策履行には大きい歪みがあるいうことだ。
30年前に描かれた産業開発青写真の結末が依然として遠いところにある。自動車産業はいまだに保護の中におり、インドネシア産自動車は実現していない。部品産業も成長しておらず、輸入コンテンツの高比率がそれを証明している。世界ではグローバリゼーションの波が揺れ動いているのに、イ_ア産業界は執拗に保護と補助金を政府に求め続けている。工業化の初期段階のままの、政府の保護下でしか製造産業が進展しないという形が、いまだに国内を覆っている。製造業界のR&D経費は総生産コストのわずか0.2%。競争力をつけるための技術革新がそれでどれだけ行えるというのか?イ_ア国内産業の崩壊原因のひとつは間違いなく技術面での後進性にある。
産業政策履行レベルの低さをもたらしている要素が五つある。
1)政策自体が部分的で、統合的包括的でない。製造産業セクターはほとんどあらゆる経済セクターと密接に関連しているというのに。そのために他のセクターで往々にしてボトルネックが引き起こされ、結局政策自体が完璧に機能しない。
2)告知社会化の不足。大規模な政策も、それに直接関連する側、特に事業経営者、に十分伝わっていない。これは役所側が十分な予算を持っていないことにも関係している。関連省庁間のコーディネーションも弱い。一般的に業界への通知は行政現場職員が手の届く範囲で行っているのが実情。
3)コルプシの激しさ。行政機構内での猛烈なコルプシで、経済政策が往々にして骨抜きにされている。他の国での立証済み成功例を持ってきても、腐敗国では一片の実績も残さずに過ぎ去ってしまうことが起こる。コルプシは政策策定の場から始まり、その履行や監督面にもついてまわる。
4)利害が政策履行を歪める。保護は成長する見込みのある産業に対して与えられるべきであり、期間の限定と発展段階の測定および進度評価がなされなければならない。崩壊を遅らせるための保護は癒着でしかない。
5)事業者の視野が、短期間に利益を手にすることを優先している。イ_アの事業家は産業人というよりもむしろ商人であり投機家だ。真の産業人は発明と改革精神を豊かに持っている。イ_アでは利益を求める際に財務面の操作に走り勝ちで、効率アップのためのメカニズム操作にあまり向かわない。
これからの産業は、各事業者が決めていくことになる。事業者は長期的視野と成熟した観点から、不確定な将来を洞察し、進歩的に立ち向かわなければならない。今後政府に保護と補助金を求めるのは一層難しくなる。グローバル化を踏まえた政府であればあるほど、国内産業保護政策から離れていくのが趨勢だから。


「現行労働法が投資を阻んでいる、とBKPM長官」(2005年12月13日)
法確定を生み出すこと、労働に関する2003年第13号法令を変更すること、の二点がインドネシアの投資環境改善にとって最重要ポイントである、とムハンマッ・ルッフィBKPM長官が述べた。「その二点が改善されれば、投資環境改善の道程の半分を踏破したことになる。その二点は投資環境改善にとっての絶対条件だ。」同長官はそう断言している。
外国からにしろ国内からにしろ、投資が行われる際に投資者は法的インフラの保護下に入る。法的内容が明らかになってはじめて、投資者は事業計画における労賃計算を始める。イ_アでは、そのステージに影響を与えるふたつのポイントが、投資者にとって誘導的環境を作り出していない。その点での改善がなされれば、次に必要になるのは事業運営の上での確定、そしていくつかの政策的インセンティブという順番になる。政府は内外実業界からの要望を現在人権法務省で検討中の新投資法案にできるだけ盛り込んで、それに応えようとしている。
改定投資法案の中では、法確定実現のひとつとして、資産国有化が決して行われないことが保証されているし、ビジネス上の係争で国際法の関与が必要とされる場合は事業者にそのための道を開く条項も用意されている。
投資促進について同長官は、事業開始までの所要日数が、監督官庁で151日、自治体レベルで180日、合計331日もかかっていることに言及した。投資調整庁での手続きは最大でも、そのうちのわずか10日だけだ、と語る。そこでなされる手続きは、投資者からの投資届出だけとのこと。同庁は新規投資に関連して、投資者の企画段階での情報需要に応えるため、投資マップを作成する予定にしている。


「事業投資が直面する四問題」(2005年12月22日)
「既に何度も起こっている爆弾テロや、このクリスマスから年末にかけてのテロリスクは、インドネシアにいる外国インベスターの行動に影響を与えており、かれらは投資した資金が大きな被害を蒙らないように神経を使っている。しかしテロリストの脅威はどこの国でもありうることであり、かれらはインドネシア政府に何らかの保証をしてくれという要求は出していない。」12月15日にバリのヌサドゥアで開催されたインドネシアインベスターフォーラムの合間に、ムハンマッ・ルッフィBKPM長官がそう語った。
また同長官は、投資家が直面している問題が四つあり、それは法確定、国税と通関、インフラ、労働構造である、とも説明している。法確定については国内外の事業者が事業を行う上での不確定性をいまだに強く感じていること、国税と通関についてもさまざまな役所が同じものに対して何度も税課金を徴収するため、製品の競争力が低下すること、などをインベスターたちはあげている。それらに対する答えのひとつが今検討中の投資法案であり、これが制定された暁にはインドネシアに誘導的な投資環境が醸成されるベースとなる。投資認可手続きには30日もかかっているものが、新規定では最大6稼働日で完了されることになる、とのこと。


「税務環境は誘導的か?」(2005年12月27日)
複雑で錯綜した法規。多種多様でダブっているものすらあるように思えるし、税率も大きい。税務署との手続やそのための事務作業に要する時間も半端なものじゃない。インドネシアに投資して事業を行っている外国人ビジネス層が一番頭を悩ましているのがインドネシアの税制。「更に投資を拡大するなんて、とんでもない。」と洩らす人もいる。
さまざまな国際機関が行っている調査も、似たようなメロディを奏でている。投資環境に関して世銀が行ったサーベイ結果を報告しているドゥイングビジネス2005は、インドネシアの税制に関する状況はアジアの中でかなりひどいという印象を与えている。税務手続のために消費する時間について見ると、他の国に比べてインドネシアはなんと二倍。イ_アを除くアジア諸国の平均249.9時間に対し、インドネシアは560時間。OECD諸国の平均は197.2時間に過ぎない。税の種類を数え上げてみれば、インドネシアは52種類もある。イ_ア以外のアジア平均は28.2、OECDは16.9。粗利益に対する納税額比率は、インドネシア38.8%、イ_アを除くアジアの平均は31・2%。ところがそんな内容にもかかわらず、GDPに対する税収額の比率であるタックスレーシオは13.6%しかなく、国連がまとめた1996-2002年の先進国23カ国の平均値31.3%、中進国19カ国平均25.4%、発展途上国69カ国の平均でさえ15.7%という中で、異様に低い
印象を与えている。ハディ・プルノモ国税総局長は、13.6%とはいえ、石油関連税収の80兆ルピアをそこに加えれば、近隣諸国と遜色ない数字になる、と説明しているが、果たして合理的な見解なのかどうか。
税を管掌する国家機関のパワーについて、諸外国ではタックスオーソリティの権限がどれほど強力であっても、妥当なレベルに置かれるようアレンジされているが、インドネシアでは国税総局長というひとつのポジションに、政策策定と施行、税収目標設定、徴税、納税額決定、罰金額決定などの諸権限が集中している。経済専門家ファイサル・バスリは、6つのキーポジションを一手に握っている、と表現している。デモクラシーのより進んだ法治国家では、制限を受けないパワーの存在はありえない。ところがインドネシアには国税総局長が持つそれらの権限を明確に制限している法規はひとつもない。そして今国会で審議されている税法案が実現すれば、そのパワーは更に強大になるだろうと見られている。
ところで、高額納税者税務サービス事務所(LTO)に関してACニールセンが行った調査がある。その調査報告は、高額納税者の同税務サービス事務所に対する満足度が極めて高いことを示している。税務職員の姿勢が顕著に改善されていると認める納税者は78%もおり、また84%は納税義務遂行がやりやすくなったと述べている。納税規模のもっと小さい納税者を対象に同じ調査をした場合は、いったいどのような結果がでることだろう?
税率が事業活動と企業発展の障害になると考えている事業家は、世銀の調査ではインドネシアに29.5%いた。スリランカの19.1%、インドの27.9%より悪いが、フィリピンの30.4%、中国36.8%、パキスタン45.6%などに比べれば悪くない。税務環境に不満を覚えている事業家の率について、世銀のサーベイ対象になった51カ国中インドネシアは少ない方で17番目であり、国税総局長を喜ばせてはいるものの、インドネシアが事業を行う場所として諸外国から憧れの目で見られているというものでは決してないのも周知の事実だ。複雑で錯綜した税制法規のおかげで、インドネシアで事業を行っている企業はたいてい納税を避け、税務職員に金を渡すという方向に傾いている。税務職員自身が、「まじめに法規通り税金を納めれば、会社は早晩破産するに決まっている。」と平気な顔で述べているくらいだ。会社が10あればそのうち9が税務上でタックスオーソリティとの間にトラブルを抱えている。贈賄をする事業者たちが、もっとフェアで、ビジネスフレンドリーで、シンプルで、腐敗のない税務環境を望んでいる、と語っているのは、ただの体裁をつくろう
ほら話なのだろうか。それとも数多いインドネシアのパラドックスのひとつなのだろうか?


「プルタミナ独占に終焉の年」(2006年1月5日)
従来プルタミナの看板だけだったガソリンスタンドに、外資企業の看板が加わった。2005年10月末、カラワチにオープンしたシェルのガソリンスタンドを皮切りに、12月20日にはチブブルでマレーシアのペトロナスがガソリンスタンドの営業を始めた。石油ガスに関する2001年第22号法令で方向付けられた石油燃料川下事業自由化の目に見える姿がそれだ。
30年以上にわたって国が行ってきた国民に対する石油燃料供給が自由化される。法令では、完全実施が2005年11月23日とされていたが、準備不足ということで2006年1月1日に延期された。国が石油燃料を独占的に取り扱う機関を作り、プルタミナと命名したのは1971年第8号法令による。当時、国内石油消費はまだ数百万キロリットルだったが、今それは6千万キロリットルにまで膨らんでいる。プルタミナは国民に対する石油燃料供給システムを全国規模で作り上げた。一日百万バレルの能力を持つ七つの製油所、全国に散らばる2百以上のトランジットターミナル・移送施設・ストレッジデポ、数千のガソリンスタンド・ガソリン軽油パッケージディーラー・ガソリン軽油パッケージエージェント・消費者貯油所・基地、そして数百隻のタンカー・バージ・タグボートと港湾施設。そのシステムを動かしてきた数千人の人材とサプライチェーンマネージメントのノウハウ。しかし年々4〜5%の伸びを示す消費量増大で七製油所の能力は限界に達し、1990年代末ごろから製油所新設の必要性が叫ばれるようになった。それに呼応して投資の意思を表明した民間インベスターは24社にのぼる。だがそれはひとつも実を結ばず、プルタミナは輸入を増やす方向で需給バランス対応を図った。今や輸入分は総需要の20%を超えている。輸入量の増大で超大型タンカーが使われる方向に向かったが、既存港湾施設でその船は使うことができず、海上ストレッジを設けることになる。ランプンのスマンカ湾とシトゥボンドのカルブッにフローティングストレッジが作られた。そこから製油所へはパイプラインでの油送が理想的だったが、その設置はご破算になり、結局トゥバンに国が製油所を設けることになった。海上油送もそうだ。1990年代はじめまでは国民系海運による石油運送の確立が企画されていたが、これもうまく行かず、今では40%が外国系タンカーで運搬されている。プルタミナが計画した石油燃料供給から小売ネットワークにいたる構想の多くが実現せず、つぎはぎだらけの政策と化してしまったことで、国民消費者への石油燃料供給は多くの歪みを包摂してきた。そしてこのきわめて長大なサプライチェーンの包括的コントロールがうまく経営できなかったことから、闇流通ルートが作られ、闇マーケットが成育するのを防ぐことができなかった。
2006年1月1日から構造的な変化が生まれる。石油燃料供給事業に32社が参入する予定だ。16社は大規模販売、10社が中間販売、3社が製油加工、3社が運輸業の認可を既に得ている。2001年第22号法令では、川下事業認可は、精製、輸送、貯蔵、販売の四事業が認可の対象となっている。かれらに与えられている条件の中には、インフラファシリティを自分で設けること、燃料調達と流通を自分で行うこと、遠隔地への供給を行うこと、国の燃料備蓄の一端をになうこと、などの義務付けがある。
国の燃料備蓄安全基準が23日分の消費量というこれまでプルタミナが保持していたものは、自由化によって変貌していくにちがいない。これまでのやり方、見方、考え方が2006年に大きい変化に見舞われるであろうことを、インドネシアは十分に予期しなければならない。


「産業政策を省みる」(2006年1月25・26日)
パーム油、茶、コーヒー、ゴム、カカオ、丸太・・・インドネシアが国際市場に売っているものは一次産品かせいぜい半加工品。ビジネス形態は散発的で、注文があったりなかったり。一貫性なく、価格交渉力も低い。繊維衣料品・履物・家電・玩具などの工業製品も性格は似たり寄ったり。国産著名ブランドなど存在せず、単なる請負加工業者に終始している。あふれるばかりの農業漁業資源、石油・ガス・石炭や鉱物などの天然資源に満ちた国なら、世界的レベルの企業がいくつもいくつもできておかしくないというのに。
今国内で活動している企業のほとんどが、輸入コンテンツに高く依存している。独占やカルテルをベースにし、あるいはコネや保護を楯にする事業者たちが市場を歪んだものにしている。地元における比較優位というコンセプトをもとに開発が支援されるべき産業セクターのチョイスが客観的に行われず、構造的強さを持っているかどうかに目も向けないで、輸出指向、市場追随、生産活発などに依拠する思考パターンで開発支援産業が選択されてきた。その本質は今でも変わっていない。
事態の紛糾は、その度を深めるばかり。政府はフォーカスを絞ろうとせず、また本当の意味での支援を行わず、おまけに事業の確定や法確定を作り出すことすらできなかったことがその原因だ、とMSヒダヤッ商工会議所会頭もファイサル・バスリ、イ_ア大学経済オブザーバーも異口同音に語る。インドネシア産業構造の弱点をブルハヌディン・アブドゥラ中央銀行総裁は、国内経済活動が輸入に依存する度合いが高いために、外的要因の影響を受けやすいことだ、と述べている。投資関連法規の整備が不完全で、インフラ建設も順調でなく、おまけに昨年10月の石油燃料大幅値上げで生産コストが大きくアップしたために経済成長が鈍化し、国民購買力がダウンした上に金利上昇が加わったため国内消費も後退してしまった。生産コストのジャンプは多くの産業に悲鳴をあげさせ、その解決として撤退か冬眠かという二者択一の選択を迫った。サバイバルを積極的に求める企業は撤退を選んだ。かれらは中国をその避難先に選んだのだ。食品産業でトールマニュファクチャリングが流行し、中国の生産者に作らせた自社ブランド品を輸入して国内市場に流す方針が取られ、国内産業空洞化が始まった。そして早速政府の声がかかった。外国での生産は国益を損なうことであり、政府はそれを許すことはできない、と。
自動車産業もイ_ア的性格を持つ産業の典型例である。何十年にもわたって、ブランドオーナー企業はさまざまなファシリティとプロテクションを与えられてきたが、いまだに真の意味での自動車産業はイ_アに育っていない。タイでは数多くの著名ブランドが部品から完成品まで生産しており、タイを域内生産拠点に位置付けいる。年産70万台市場のタイに比して、50万台市場に伸びてきたイ_アではあるが、イ_アはいまだに組立が専門の、底の浅い産業構造のまま。
パーム原油産業も同工異曲。世界のパーム原油供給のジャイアントはインドネシアとマレーシアだが、インドネシアが世界市場を支配したことはない。価格決定はメダンのべラワン港で行われることがなく、クアラルンプルかロッテルダムで決まる。インドネシアは他所で決められた価格で販売するだけ。おまけに世界への供給を二分しているパーム原油からイ_アが作る二次製品は食用油・オレインしかなく、もっと川下の消費市場向け商品は何一つ作られていない。
イ_ア政府は本気で製造産業を育成する気があるのだろうか?自国の歴史から、そして近隣諸国の活動から学べるものはたくさんある。ところが製造産業を強く大きくするための諸要因のほとんどが、むしろその足を引っ張るあり方で製造産業を取巻いている。順風より逆風の方が多い製造産業から事業者がドロップアウトするのも必然の成り行きにちがいない。かれらは物作りをやめて商人になる。労働者にわずらわされることもなく、消費者の需要を追いかけるだけでよく、ビジネスに入るのも抜けるのも容易で、利益も見積もりやすい。その帰結は、イ_ア国内が廉価輸入品の大海と化したこと。安物玩具、廉価布帛衣料品、家庭用品、文房具、セミ先端技術家電品、二輪車などが中国から怒涛のように押し寄せ、国内家電品のメッカとして知られたグロドッ地区でさえ、韓国・日本・欧州のブランド品は陳列棚の上に祭り上げられ、マジョリティは中国製品で占められてしまった。
国内製造業が壊滅し、国内市場が廉価中国産品で満たされ、失業者が国内に満ち溢れて、国内のすべてが破壊し尽くされる前に、何らかの包括的な対策が取られなければならない、と産業界の識者は熱弁する。しかし奇妙なことに、そんな情況を目にしていながら、政府上層部は涼しい顔をしているのだ。外国からの事業投資も、決して怖気をふるうような市場ではない、と日系家電業界者は語っている。問題は、政府のバックアップが足りず、レント経済が盛んであり、そして部品産業の開発が最大限に活用できないことだ、とかれは批判している。もうひとつの問題は、政府の政策がビジネスフレンドリーでないこと。その最適例が今審議中の改定税法案で、その内容は実業界寄りでなく、政府は自分の懐を膨らませることだけを考えており、そしてそんな姿勢が実業界にどれほど嫌悪されようと気にも留めていない、との批判を浴びている。
国内にあふれているエネルギー資源の利用も産業界寄りでないことが大きな問題を形成している。政府は外貨取得を目的に外国への販売に力を注ぎ、産業界の需要に対するバランスを二の次にしている。天然ガスは日本・韓国・北米の諸都市に活力を与え、石炭は中国の発電器を動かしているが、国内産業へのガス供給は肥料産業への生産と供給の遅れを招いて農業界の生産にしわ寄せを起こし、また石油からガス・石炭への燃料転換を図っているPLNの計画進展に水をさす結果を呼び、PLNの産業向け電力料金高騰と供給制限を引き起こして産業界にディスインセンティブを与える結果となっている。政府のエネルギー政策・エネルギー経営が国内産業にとってどのようなものであるかを示す実例がそれだ。原油869億バレル、天然ガス384.7兆立方フィート、石炭570億トンという巨大な埋蔵資源量を誇り、石油5億バレル、天然ガス3兆立方フィート、石炭1.3億トンを年々生産している国で、そんな状況なのである。国際市場で石油価格が前代未聞の高値に上昇した昨年、そして今年もその傾向が継続することを誰もが想定している。もはや安い石油はないという時代に入った産油国インドネシアが、自国産業の育成を二の次にして多量の外貨を稼ぐことを喜ぶ思考パラダイムを続けていくのだろうか?イ_ア共和国成立後半世紀を超えたいま、イ_アはかつて遭遇したことのない重要なエネルギー政策の局面を迎えている。
経験は最良の師だと言われている。これまでイ_ア政府が経験したのは、従来イ_アの経済パワーを支えてきた天然資源に政策の焦点を当ててこなかったこと。政府が優良セクターとしてピックアップしてきたのは、輸入依存度の高い製造産業だった。そのために強い基盤を持った真の優良セクターが存在しなかった。政府が製造産業をどこまで盛り上げていくことができるかは、製造産業を取巻く諸要因をどれだけ産業寄りのものに変えていけるか次第だ。包括的政策推進がその鍵を握ることになるだろうが、政府部内での協調と統制がその成否を決めると言っても過言ではあるまい。


「外国借款の国外逆流を小さくせよ」(2006年1月27日)
外国借款による国内プロジェクトのコンサルタント経費は70%が外国系コンサルタントに支払われている、とパスカ・スゼッタ国家開発企画庁長官が述べた。
「官民の双方ともにプロジェクトへの外国勢の関与が拡大しており、その結果、対外サービス収支の悪化と国内物資利用の減少で対外支出が増加し、国家経済に大きい損失を与えている。」コンサルティングサービス事業チャンスと題するジャカルタで開かれたセミナーで国家開発企画庁筆頭セクレタリーが読み上げた長官の基調スピーチの主旨がそれ。
これは単なる経済面だけの問題でなく、社会経済的価値観も民族的なものの中に外国的なものがどんどん侵入してくるのを容易にしている。そのため政府は国民系コンサルタントが国内でのチャンスに最大限に活用されるための努力を払う所存である、とそのスピーチ原稿には記されている。この分野で国内競争力をつけるために、業界育成からコンサルタント選定がどのように行われているのかといったことまで、支援と便宜を政府が図ろうというのだ。
国民系コンサルタント会社は、外国人専門家を雇用してテクニカル面でのクオリティ強化を図ることができるし、外国借款プロジェクトに外国人専門家が加わるという条件を満たすこともできる。しかし問題は経費の分配にあり、コンサルタント事業者会ジャカルタ支部長はそれについて次のように語っている。
2006年の借款プロジェクトは世銀、ア開銀、JBIC、イスラム開発銀からの総額31.9億ドルで、これは二年間のものであるため2006年だけだと16億ドルと計算される。通常コンサルタント経費は5%なので、8千万ドルが今年のパイとなる。このうち70%は外国系コンサルタントのものとなり、国内に落ちるのは2千4百万ドルだけ。ただこれは単なる仮定計算でしかなく、JBIC借款プロジェクトの場合は5%でなく10%以上になるため、もっと大きくなるだろう。このような構図になっている大きい要因のひとつに、ビリングレートの大きい格差があげられる。外国人コンサルタントはひとり月間1万8千ドルに達するというのに、国内コンサルタントは2〜2.5千万ルピアが相場になっている。コンサルタント事業者会はその格差を是正するよう、最低でも3〜4千万ルピアのレベルまで引き上げたい、との弁。今後もますます増加の方向にある外国借款ベースプロジェクトに関連して、国内コンサルタント業界は意欲に燃えている。


「出稼ぎ者の外貨獲得は25億ドル」(2006年2月6日)
オルバ期から外貨獲得のヒーローとされてきた海外出稼ぎ者の本国送金が、2005年は25億ドルに達した、と世銀が予測数値を公表した。経済危機後は国外に職を求める傾向が強まり、1998〜1999年の送金額は12億ドルだったが2001年には20億ドル、2002年21億ドルと上昇したものの、2001年から2003年の時期には中近東や台湾への出稼ぎ者送り出し停止が行われたために減少し、2003年15億ドル、2004年10億ドルと減少していた。
ただし公的機関が把握できる送金額は、やはり銀行などの公的機関が受け付ける送金のデータをベースにしたものに限られるため、インフォーマルなルートを使ったものの実態は闇の中にある。インフォーマルなものというのは、出稼ぎ先国で開いているインドネシア人所有の商店が非公式にサービスを提供するものや、店は構えないが非公式に仲介サービスを行う者、あるいは帰郷する友人、親族、兄弟などに委託するといった方法。送金費用は国によって大きく異なっており、2003年のデータによれば、マレーシアは2万5千ルピア、アラブでは1万2千5百から2万ルピア、ブルネイは10万ルピア、台湾6万2千5百から7万5千ルピア、香港2万から3万5千ルピアといった内容。インフォーマルなサービスだと比較的廉価になっており、マレーシアでは5千から1万2千5百ルピア、香港は2万から4万ルピアとなっている。ただし送金費用は送られる金額にも関係しており、公的機関での送金は少額だとかえって費用が高くなる。公的機関を使う場合の送金額は1〜5百万ルピアといったところだが、インフォーマルルートでの送金だと25万から2百万ルピア程度のものが多い。
しかし経済評論家のファイサル・バスリは、世銀の見込み数値は小さすぎる、と批判する。「マレーシアのメイバンクだけで年間10億ドルの本国送金がある。データ収集の中に含まれなかったものがあるのではないか?従来、公的ルートを通して本国送金すると、不法徴収金の高い搾取を受けることが多かった。だからかれらの多くは不法出稼ぎを行っている。」海外出稼ぎ者送り出しの局面でも、政府が言う公的費用金額と出稼ぎ者が支払っている金額にかなりの差があることをファイサルは指摘する。香港への出稼ぎに政府に納める金は1千8百万ルピアとなっているが、女性出稼ぎ者は2千1百万ルピア払っているし、台湾の場合は2千4百万なのに実際には3千6百万ルピアを支払わされている。搾取の巣窟と化している海外出稼ぎ者の環境について、ファイサルはそのように述べている。


「需要ベース価格」(2006年3月4日)
工業化社会では、大量生産大量販売という原理に沿って、コストベースの販売価格算定が行われるのが一般的だ。そこで決められた市場小売価格は一定で、大金持ちが買おうが貧民が買おうが、同じ価格で売られるという平等が存在している。しかしインドネシアはいまだに商業文化の色合い濃い社会であり、価格は売り手と買い手の関係、つまりその場その場での状況に沿って決まるケースの方が多い。Aさんは交差点の物売りから玩具一個を売り手の言い値である1万ルピアで買ったが、Bさんは巧みに値切ってその同じ商品を1万ルピアで三個買った、といったことを、それは意味している。そんな実態を、イ_ア人はアンフェアで、人の足元に付け込む、と感じる人も多いが、そのように異なる文化的背景が存在していることを外国人は認識するべきではないだろうか。ここにも、インドネシア社会を厚く包み込んでいる『不確定』という性質が顔をのぞかせる。一概に需給関係と言っているが、マクロでのそれは市場のトレンドを示しているだけであり、実際に売買を行う当人同士にしてみれば、ミクロ要因に強く影響されるのは言うまでもなく、買う側にとってもそのときどきの状況で同じ商品の値打ちが異なることも否定しきれない要素なのだから。たとえばジョギングで喉がからからの人は、よく冷えたカップ入りアクアに5千ルピア払っても良いと思うかもしれない。だがレストランから出てきたばかりであれば、その人はカルフルで売られている値段以下でなければ見向きもしないのではあるまいか。金銭で測ったモノの値打ちもそのように変化する。だから売り手は、買い手が評価する値打ちに即して値段を決める。その結果、買い手が別の人なら値段が違っていて当たり前、という原理に帰結して行く。そこでは、一物一価原理は存在せず、品物のコストは利益の幅を計る規準として機能しているだけ。
ジョクジャ特別州の各県で、文民公務員採用試験が行われた。スレマン、バントゥル、クロンプロゴ、グヌンキドゥルそしてヨグヤカルタ市。試験結果、つまり合格発表は、各県庁に張り出されるだけ。受験者は結果を知るためにそこまで行かなければならない。ところがこのご時世、交通費は安いものでもなく、無職の身には軽くない負担。そんな環境の中で、情報売買ビジネスを行う者が出現する。いわく「情報はただではない」。
ジョクジャ市郊外の街道にCPNSと大書した張り紙が目に付く。CPNSとは文民公務員応募者の意味。8ページから成る各県市の合格者名簿がそこで売られているのだ。ジョクジャではフォトコピー1枚50から60ルピアなので、ステープラーでとめられた8枚の紙のコストは5百ルピアしないはず。隣人が結果を知りたがっていたので、バントゥルに住むムリヨノは、バントゥル県の名簿を買って帰ろうとした。せいぜい1千〜2千ルピアだろうと思ったムリヨノは、期待を裏切られて唖然とした。なんと売り手の中年女性は1万ルピアを要求したのだ。「あら、あたしゃ頼まれて売ってるだけだけど、毎日飛ぶような売れ行きだよ。毎日売り切れ。」
そう言われてみれば、そうだ。ムリヨノはそう思った。県庁までそれを見に行き、ガソリン代やら、あれこれの出費を思えば、確かに1万ルピアは高くない。ジャワでさえこれだ。スマトラ、カリマンタン、スラウェシなどの奥地だと、そんなものじゃすまないだろう。たいへんな道のりを踏破し、何度も船を乗り継ぎ、場所によっては何日もかけ、おまけにフォトコピー屋のある場所までさえ何キロも離れている。そんな地方だと、これはきっと数十万ルピアするに違いない。スラウェシで小学校教員をしている友人の話しをかれは思い出した。県庁へ月給をもらいに行くだけで、交通費に30万ルピアも使わなければならない、という話を。
ムリヨノの胸の中は、非能率と無関心の行政に対する思いがわだかまっていた。県庁はどうして群役所にその名簿を張り出させようとしないのだろうか?さまざまな事情から、受験者の中でそれを見に行けない者が出るかもしれない。そして本当は合格しているにもかかわらず、その事実を知らないために採用された役所に出頭しないことが起こるだろう。おかげで、せっかく行った採用試験の結果は『無』。せっかく出した結果を大事にしようとしない行政の非能率に、ムリヨノは無念の思いをかみしめた。


「全国民の債務状況管理センター」(2006年5月26日)
イ_ア銀行は今年6月から、クレジット情報センターと命名した消費者の債務状況に関する情報管理センターを稼動させることを明らかにした。このセンターには国内すべての銀行が融資を行っている消費者の債務データが集められ、金融界がローンを与える際に照会できるようになる。個人消費者の債務データはクレジットカード、自動車購入ローン、住宅購入ローンなどをはじめ、担保物品情報や返済状況もそのセンターに登録される。登録内容に制限を持たせないため、最低1ルピアの債務でもデータが作られることになるし、言うまでもなく上限はない。同センターには既に1千3百万人の債務データが集められている。
銀行ノンバンクを問わず全金融界がリアルタイムで債務状況を照会できるため、ローンを求める消費者に対する対応がより的確でスピーディに行えるようになる。この照会プロセスにはDebitor Identification Number が各登録者にふられるので、照会する場合はそのDIN番号を使うことになるとのこと。当面は銀行に対してすべてのデータを登録のために提出するよう要請しており、ノンバンクや民衆貸付銀行のデータはもっと先になる模様。
ところでイ_ア銀行は既に同種のクレジットビューローを運営し、金融界からのデータ照会に応じている。ただしそこに登録されているのはひとり5千万ルピア以上の債務を持つ者に限定されており、大型債務者についての情報しかそこからはわからない。それでもデータ照会は昨年12月の14万件から今年4月は23万件に増えている。6月からクレジット情報センターが稼動を開始すれば、今増加傾向にある不良債権の大半が中小レベルの個人消費者であることから、イ_ア銀行の金融政策に一層正確なデータが与えられることが期待されている。


「統計数値の信憑性」(2006年9月5日)
今年8月16日にSBY大統領が国会で第61回目の独立記念日を前に施政方針演説を行った。そこで述べられた政府の業績報告の中で貧困者数に関する統計数値に多くの学者専門家が眉根を寄せた。国民の中の貧困者比率は1999年の23.4%から2005年の16%へと大きく低下したと大統領は印象付けたが、その二日後からさまざまな反論と大統領批判がマスメディアをにぎわした。どうしてか?
大統領が述べた数値に大勢が不審を抱き、また驚いた。それは事実の転倒だと言う者も出た。2005年10月1日の石油燃料大幅値上げが国民の大多数に困窮をもたらしたというのに、そんなことがあるはずはない、と。さらに続いて、SBY大統領が我田引水自画自賛をしているのではないか、という反発が出現した。大統領は数字を弄び、自分の政府が業績をあげている印象を国民に与えようとしている。どうして1999年という6年も前の数値を引き合いにだすのか?2005年というのは3月時点なのか、それとも12月なのか?
大多数国民が2005年10月1日石油燃料大幅値上げ後の国民の貧困化がどのようになっているのかを知りたいと望んでいる一方で、大統領は数字を弄んで我田引水を行ったという印象を受けた人々が大統領に反発しないわけがない。
イ_アの統計数値を毎日扱っているひとは、同じ項目に対する数値がいくつかのバリエーションを持っていることを知っている。行政機構の中で国家の統計数値を公表管理しているのは中央統計庁だが、経済や民生についての統計数値は国家開発企画庁も持ち、そして各担当省も持っている。それぞれが常に独自にサーベイを行っているわけではないにしても、サーベイ結果を特定の条件でプロセスし、得られた数値を自分のデータとして持つ。中央統計庁が、国家開発企画庁が、経済統括省が、オルバ期以来家族計画調整庁までもが、そして大学が、世銀が、貧困デモグラフィについてめいめいの自信作を公表してくれる。めいめいが使う貧困の規準も単一ではない。ましてや情報がパワーであれば、特定政治用途に適した数値が用いられる場に合わせて口の端にのぼる。中央統計庁の数値は確実だ、と誰が言えるだろう。オルバ期に公表された中央統計庁の数値は既に操作されたものであったと大多数国民が考えているのだ。SBY団結内閣でもオルバ期ほどの規模でないとはいえ、類似の光景が最近も展開されている。中央統計庁が公表した貧困世帯率が異常であるとして経済統括相が中央統計庁と「協議」している。中央統計庁も人の子であれば誤りを犯さない保証もないのだが、統計の独立が確保されている姿はそこにない。
貧困統計における定義もイ_アの貧困状況をさまざまな姿に見せている。2001年11月世銀はイ_ア国民の60%が貧困で、そのうち十数パーセントが絶対貧困者だと表明したが、そのときの定義は一日ひとりあたり2米ドルの収入というものだった。2002年2月に中央統計庁は一日ひとり当たり食糧摂取2千1百カロリー未満を定義として,2000年の国内貧困者数は3,730万人で全国民の18.95%にあたると表明した。いま中央統計庁は都市部の27品目地方部の26品目合計52種の食糧非食糧にたいする支出と消費データに基づいて貧困ラインを定めている。一方家族計画調整庁はもっと実際的な規準をもとに国民の福祉レベルを、未福祉、福祉1・2・3と福祉3+という5段階に区分したが、その区分で貧困者とされた世帯数の三分の一は中央統計庁の貧困区分に入らない。
2003年3月27日、当時のユスフ・カラ国民福祉統括相は、貧困者数は18.2%、3,480万人と公表した。2005年1月23日、世銀は一日2米ドルの定義にしたがって、イ_アの貧困者数は1.1億人だと述べた。2005年10月1日の石油燃料大幅値上げを前にして中央統計庁は9月13日、貧困者は3,720万人16.9%であるが、もし石油燃料値上げがインフレ率を15%に押し上げるなら貧困ラインは17万5千ルピアとなり、6千2百万人が貧困ライン下に落ちると進言した。もしも値上げが二倍近い95%アップとなるなら貧困ラインは19万から20万ルピアの間のラインに上り、貧困者は8千万人になる、とも述べている。126%の石油燃料値上げが行われたあとの2005年11月9日に中央統計庁は、貧困ラインが月額17万5千ルピアとなり、貧困者は860万人増加して2,410万になったと公表した。それらの数値を見る限り、中央統計庁の公表数値に一貫性が感じられないのは明らかだ。イ_アの真の姿を統計数値から見ることはいつになれば実現するのだろうか?


「銀行界の預貯金は増加する」(2006年11月16日)
今年8月時点での銀行界第三者資金は1,188.2兆ルピアに達し、一年前の1,046.8兆から13%上昇した。内訳は定期預金が588.0兆ルピア、当座預金が316.5兆、普通預金283.7兆となっている。インドネシア銀行の銀行界サーベイによれば、今年第四四半期は第三者資金のネットポジションが72%から87%に増加するとの見方を示している。そのうち定期預金は58.3%、当座預金13.9%、普通預金27.8%というシェア。
金利低下指向政策のために銀行界は第三者資金集めを金利率だけに頼っていられないことから顧客に対するサービスクオリティの向上と付加価値付けを真剣に行っており、その面での銀行間集客競争は一層激化していることをバンカーのひとりは指摘している。しかしイ_ア銀行は金利率が依然として銀行顧客の最大の関心事であることを今年10月のサーベイ結果としてコメントしている。サーベイでは回答者の58%がこの先半年間の普通預金金利率は変化しないだろうと考えている。一方上昇するだろうと予想している者は23%で、残りは低下するものと見ている。
銀行界はまた、今年9月22日から2007年3月までの期間、預貯金保証機関の保証対象が1億ルピアまでと引き下げられたものの、銀行界第三者資金がそれによって他の金融分野へ移転することはないだろうと見ている。


「アングラ経済」(2006年12月27日)
今年の歳入は28兆ルピアの税収不足となりそうだと公表した国税総局が突然338兆ルピアの税収回復を努力すると宣言したのに驚かされたひとは多い。それだけの潜在税収をインドネシアのアングラ経済が持っているというのだ。不法輸出入、不法伐採、密漁、麻薬違法薬品、賭博、売春・・・それら非合法経済活動をアングラ経済という言葉が指している。
だれがそれを行っているのか?それら犯罪行為の周辺でささやかれている名前を法執行者たちが知らないわけではない。それらの名前を集めてリストさえ作ることができる。大蔵省はそのリストをSBY大統領に提出し、かれらに対する措置を取るという決意を明らかにした。大統領はコメントした。「すべての国民は法規に従って納税しなければならない。」その言葉に国税総局は外堀が埋まったと理解した。なぜなら、そのリストにある名前は過去連綿と国家政治権力に関わってきた者あるいはその庇護を受けている者たちなのだから。かれら大物に対して法執行官は手が出せないできた。へたなことをして逆鱗に触れようものならいつ職を失うかも知れないし、最悪の場合は大物の身辺にいるガードマンたちに家族を含めて何をされるかわからない。だから大物たちはいつの間にか法の手の届かないアンタッチャブルに祭り上げられていたのである。新国税総局長はそのアンタッチャブルに対して宣戦を布告し、国税総局内に国税捜査局を設置して文民捜査官の数を現状の二倍にする方針を据えた。
国税総局のこの動きにはいくつかの根拠がある。まずターゲットが把握されており、公権力がかれらからの徴税を認めたのだ。国軍と国家警察がかれらのボスの意向を支持しなければならないことは明白である。次に徴税ポテンシャリティ金額の大きさがある。半分が実現されたとしても、国家財政にとってきわめて大きいポジティブな影響を及ぼすことになる。会計収支は一転して黒字になり、対外債務の減少がもたらされ、貧困・失業・保安対策が好転し、豊かな国土貧しい政府は昔語りとなるだろう。さらに国税総局はその源泉が何であるかを問わずすべての経済能力のアップに対して徴税するということをポリシーにしている。だからもちろん、源泉がどんな名称でどんな形態で、そして合法であろうと非合法であろうと、経済活動が利益を生んだらそこから税金を徴収しなければならない。それがこの国の制度なのである。犯罪行為で得た収入はそのもの自体が否定され、犯罪者は罰せられまた収入は一切を国が没収するといったコンセプトはよその国の話なのだ。国税は犯罪者から税金を取り立てる。その犯罪者を裁き収入を取り上げるといったことを行うのは国家統治機構の別の部門の職務であり、国税の職務とは関係がない。そこには税金を納めたから経済活動の内容が国から公認されたという考え方もない。
そんな巨額な潜在税収を放置してきた事実そのものが、この国の税務に公平さが欠如していることを示している。納税を避けるために事業の許認可など一切届け出ず、NPWP(納税者番号)も取らなければSPT(年次納税申告書)を提出したことすらない者に税務署はほとんど何もせず、反対にそれらのすべてを正直に行っている者が過剰納税のために還付を申請すると税務調査を仕掛け、重箱の隅をつつくようにしてあら探しを行い、あることないこと問題を創作しては巨額の納税不足額と罰金を示して威嚇し、最終的に金額ネゴを納税者に誘って少額の国庫に入る金額分だけ受領証を出し、残高は領収書もなしに現金を鷲掴みにして帰って行く。アドリアヌス・メリアラ、インドネシア大学教授はそんな不公平な国税総局の行動を政府の犯罪行為と呼んでいるが、いつになれば犯罪がなくなるのだろうか。アンタッチャブルに対する国税の宣戦布告が公平さへの一里塚であることを期待したい。


「海外出稼ぎ者の外貨稼ぎは年間65億ドル」(2007年3月9日)
海外出稼ぎ者が2006年に公的機関を通じて行った本国送金は45億ドルにのぼった、とインドネシア銀行副総裁が語った。銀行や送金サービスを行う金融機関以外に未届け送金サービス業者や私的なサービスを使ったものを含めれば、総額は65億ドルに達するのではないか、と同副総裁は述べている。2005年にインドネシア銀行が記録した海外出稼ぎ者本国送金の公的機関取扱分は11億ドルで、最大シェアはマレーシアが45%、続いてサウジアラビア30%、台湾9%、クエート5%、香港とシンガポールが各3%、残りはアジアと中東のそれ以外の国々、という内訳だった。過去5年間のデータを見ると、海外出稼ぎ者の本国送金は年平均24億ドルになっている。インドネシア銀行は海外出稼ぎ者の送金に関連した状況を整理するために昨年12月5日に中銀令第8/28/2006号を制定し、海外出稼ぎ者の送金を取り扱う法人個人はすべてインドネシア銀行から取扱い認可を得なければならないことを定め、2009年から無許可サービスの取り締まりを行うことを決めた。労働省によればいまインドネシア人海外出稼ぎ者は270万人おり、同省は300万人という目標に向かって邁進している。


「社会デマが企業を倒産に追いやる」(2007年4月26日)
「含有防腐剤不表示の飲み物」(2006年11月23日)に続く「飲料品業界が社会デマの標的に」(2006年12月22日)といった一連の報道記事に見られるように、もともとそのような意図で出されたものでない発表がいつのまにかどこかで歪曲され、何を狙ってのことかよくわからないまま事業者の中にその影響を蒙って経済活動が困難になるという事態がインドネシアでは折に触れて発生する。
一見きわめてバカバカしい社会現象なのだが、一般大衆消費者がそのデマを信じ込んでしまい、マスメディアで本当のところが発表されてもそれを信じようとせず、自分の生活環境に近いところで流通している口コミ情報のほうにより高い信憑性を与える。これがロートラストソサエティの恐ろしい一面だ。現実に過去の長期にわたって政府が国民に対して行なってきた情報操作やうわべだけの政府発表は国家上層部に対する不信の根を深く植え付けさせ、また政府の資本家に対する腐敗と癒着の実例は行政が産業界を搾取できるようにするために産業界が国民の健康を蝕むようなことを行なってもそれに目をつぶって資本家を儲けさせてやるだけだ、という思いを大多数国民の意識の底に醸成してきた。だからそんな感覚を一般庶民の頭から追い払うには長期にわたって正直さを示して見せる以外に方法がない。
今年第二四半期に飲食品業界の中堅と大手の三社が会社を閉鎖する予定にしていると飲食品産業連盟(Gapmmi)が公表した。PMDN2社は中規模の会社で、過去数十年にわたって飲料品の生産を続けてきておりその間政府の衛生や品質に関する規定に違反したことはない。もう1社は大手のPMA企業である由。それらの会社は昨年の防腐剤入り飲料に関する社会デマのためにドラスチックな販売減を蒙り、ついに会社存続の危機に直面して事業閉鎖の結論に至ったとのこと。昨年11月から今年1月にかけて閉鎖を決意したそれらの会社は今も細々と生産を続けているが、経営者は工場資産売却のほうにエネルギーを注いでいる。
オルバ政権の全否定が製造セクターに対する及び腰の産業政策を招き、製造会社の多くはサバイバルのために生産活動をやめて流通活動に転換した。この流れが非工業化社会云々の話を経済オブザーバーたちの口に載せさせるようになったが、本質はまったく別のところにあった。さらに石油燃料大幅値上げや電力料金あるいは最低賃金の上昇などで製造コストが激増し、国内にある自社の製造施設を使って生産するよりも外国の工場に作らせた自社ブランド品を国内市場に流すほうが経済効率が良いという状況が出現したのだ。それは石油燃料大幅値上げで暴落した国民購買力に合う市場価格を求める製造業界にとってサバイバルのための方策でもあった。そのような形でいためつけられてきた飲食品産業界の中で、今回の防腐剤社会デマや不健全な事業競争のだめ押しを受けて経営がおかしくなってしまったのがそれらの会社である、と飲食品産業連盟の法規担当理事は語っている。


「不可解な消費者行動」(2007年6月20日)
政府の市中金利率下降政策に従って全般的に金利は下降傾向にあるというのに、インドネシア銀行が報告した2007年4月度インドネシア通貨経済統計を見ると3月末時点の消費向け金利率は17.38%となっていて2006年1月の17.08%からアップしている。因みに2007年1月からのBIレートは、1月9.50%、2月9.25%、3月9.00%、4月9.00%、5月8.75%、6月8.50%と推移しており、ましてや2006年1月はそれが12.75%だった。金融界は預金者に支払う預金金利と資金貸付者からもらう貸付金利の間にスプレッドを設けて利ざやを稼ぐのがそのビジネス収入なので貸付金利率が高いのは当たり前であるとはいえ、全般的に金利が下降状態であるにも関わらず消費向け貸付金利率がほとんど下がっておらずそれどころか上昇しているのは、資金貸出しの最前線における需給関係が高い需要に支えられておりかつまた一般消費者がバーゲニングパワーをほとんど持っていないという市場の実態を金融界が徹底的に利用していることの表れではないかとインドネシア銀行はコメントしている。
消費向け貸付とは住宅所有ローン(KPR)、自動車所有ローン(KPM)、クレジットカード、マルチユーズクレジットなどを含むもの。金融界が消費向け貸付金利の利ざやを徹底的に高めようとしているのは、貸付資金のコストとなる預金者向け金利率が明らかに低下している事実からも証明される。2006年1月の定期預金金利率は12.01%であり、2007年3月ではそれが8.13%まで下がっている。一般化した話しでしか言えないにせよ、かつて5%程度だった利ざやはいまや9%を超えて10%に迫ろうとしているのである。
銀行界関係者のひとりは、消費金融は需要が大きくて柔軟性がない、と話す。つまりは金利が上がったところで市場での需要は減退しない、と言うのだ。2007年3月末時点での消費向け貸付は総額231.3兆ルピアで2006年末から2.5%増加しており、たしかに2007年第一四半期での伸びは他のセクターよりも大きい。因みに同じ時期における運転資金向け貸付は0.4%、事業投資向け貸付は0.9%しか伸びていない。2007年第一四半期銀行界貸付残高総額は800.4兆ルピアで、これは前期末から1%の伸びでしかない。
需要が高くて金利率の上昇にあまりセンシティブでない消費金融は銀行界も利益を増やすために力を入れているセクターだとかれは言う。インドネシア銀行の報告では、事業投資向け貸付金利率は2007年3月末で14.53%、運転資金向け貸付金利率は14.49%という利率になっていて、このセクターの融資額実績を高めるには利率を下げるといった刺激剤が不可欠だ。実業界は金利率の動向にきわめてセンシティブなのだ。ところが消費金融はそうじゃない、とその銀行界関係者は語る。BIレートの変動をマスメディアが大々的に報道し、実業界への融資もそれに伴って変動する。昨今の金利率低下で世の中は資金を借りるのが楽になったという印象を強く抱いている。ところが消費向け金利率の実態は1年以上前からあまり変わっていない。にもかかわらず、ここ数ヶ月の消費金融は需要も実績も膨張している。この不可解な現象の謎を解く鍵はどこにあるのだろうか?


「通貨危機の再来はない、と中銀副総裁」(2007年7月10日)
7月5日のインドネシア銀行総裁会議でBIレートはふたたび25ベーシスポイント引き下げられて8.25%となり、一時期に比べて5%近くも金利率が低下してきたというのに海外からの資金流入はまったく勢いが衰えない。その事実は2007年第二四半期の国際収支暫定数値が37億ドルの黒字という予想外のものである点に反映されている。それは11億ドルという当初見込みの3倍を超えるものとなった。投資の流入が依然として旺盛であるのは、7月5日にジャカルタ証券取引所総合株価指数が過去最高の2220.93ポイントに達してことからも見ることができる。インドネシア銀行がBIレートの引き下げを発表してからも証取では活発な商いが続けられて株価指数は1.13%に相当する24ポイントアップした。為替レートは4日の1ドル9千ルピア台から5日は9,017ルピアに落ちている。2007年4月時点での外資の中銀債投資残高は13.6億ドル、国債には8.5億ドル、株式市場で6.2億ドルという投資状況だ。外貨準備高もその影響を受けて6月末には510億ドルに達し、インドネシアの歴史始まって以来の記録が作られている。為替レートも第二四半期は平均1ドル8,968ルピアで、第一四半期から1.5%ほどルピア高になっている。
しかしそんな状況はこの先徐々に低下していく、とインドネシア銀行副総裁は語る。アメリカやヨーロッパの各国政府が経済引締めの方向に傾いているためインドネシアとの金利差は縮まるばかりで、ポートフォリオ投資家にとってインドネシア市場の魅力がダウンしていくのは間違いない。外国からの盛んな資金流入は、1997年に猛然たる外貨の流入のあとで突然始まった資金の国外流出が引き起こしたクライシスを思い出されるものであり、当時のトラウマを抱える経済関係者やオブザーバーたちは「突然の大量資金流出に警戒せよ」との警告をしばらく前から発しているが、同副総裁によれば突然の巨大な資本流出が再発することはないとのこと。将来起こるであろう資本流出は段階的に行われるため国家経済がそれで大きく揺さぶられるようなことはなく、そして国内銀行界もそのような動揺に対処する力を持ったシステムを用いているのであのときのような混乱は再発しないと同副総裁は述べている。
中央銀行副総裁はそう言うものの、国内有数の経済シンクタンクであるインデフの専門家チームは十分な警戒を怠ると危険を生じる要素がいくつかあると指摘している。その要素とは資本市場での資金増大、金融セクターと実業セクターの断層、中銀債償還負担の膨張、依然として重い借入れ負担、激しい短期資金の流入などだ。資本市場での資金増大は突然巨額の資金流出が発生するリスクを増加させており、それは国際収支に重大なリスクをもたらすことになる。


「四辻には富が落ちる」(2007年7月26日)
古来から、四辻には魔が集まるという言い伝えが世界中の至るところにある。ギリシャ〜ローマ〜ヨーロッパという歴史の流れに乗って四辻に棲む精霊への信仰は各地へ広く流れ込んで行ったし、四辻で悪魔に魂を売り渡すというアフリカの伝説はアメリカにまで伝えられた。四辻に呪いを埋め込めばそれが四方に走って世間に災いをもたらすという伝承がヒンズー時代のインドネシアにあった。バリでは悪霊を鎮めるために村の四辻に供物を捧げることを忘れない。デンパサルの街の中央にある交差点にはチャトゥルムカと呼ばれる石像が建っており、ブラフマ神の四つの顔が四つの方角を向いている。日本には辻占というものがあって、夕刻に四辻を通るひとの言葉の中に異界の者が発する信号を感じ取ろうとするようなことが行われていたらしい。もちろん異界・魔界の者は人間がまだ知らない未来を知っているのだ。ところが現代ジャカルタの四辻は、社会の底辺をうごめく貧しい大人や子供の稼ぎの場と化している。スディルマンやタムリンといった都内目抜き通りの交差点でかれらの姿を見ることはないが、そこから一級下の道路へ移動してみれば交差点ごとに何人もの人間が「働いて」いる姿を目にすることができる。
中央ジャカルタ市カレッビヴァッ(Karet Bivak)交差点。タナアバンから南に下ってきたところにあるこの広い交差点は墓地を角地に抱えているため、まるで宿舎付きの職場といったおもむきだ。交差点を横切ろうとして信号で数珠繋ぎになる四輪二輪の自動車に子供たちが手を出して「ちょうだい」をする。幼い子供たちは二輪ドライバーの腰あたりまでしか背がない。信号が緑に変わって車列が動き始めると、4〜5人いた路上の子供たちに向かってその辺りにいた中年女性が道路脇に戻るよう命じた。いくばくかのコインをもらった子供たちはそれをその女性に差出して、次の赤信号までしばしの休憩だ。
スネンバスターミナルの交差点でも、クブンシリや農夫の像の交差点でも、同じ光景が展開されている。クイタン方面からグヌンアグン書店を超えてやってきた車が停止する赤信号近くの歩道に座り込んでいる足の悪い乞食は、「他人の縄張りさえ侵さなきゃ、だれでも自由に稼いでいいんだ。」と語る。かれの一日の収入は1万から5万ルピア。
色のくすんだよれよれの服でメンテン公園に現れる女乞食は深夜まで精を出す。赤信号で停まった車の一台一台に近寄って手のひらを差し出すと、100ルピアコイン、運がよければ1000ルピア札がそこに乗る。しかし手で振り払う運転者も少なくない。かの女は既に金曜日が過ぎ去って土曜日に入った真夜中まで、そこを立ち去ろうとしない。
四辻に集まってくる乞食やプガメンたちは小グループもあればひとりだけという者もいる。みんなこの広いジャカルタの数限りない十字路のひとつに自分の縄張りを決め、そこを通るひとびとから収入を得ようとして「働いて」いるのだ。2007年7月も半ばを過ぎたいま、十字路で働く者たちの混雑ぶりは数ヶ月前の状態とは異なっているように見える。数ヶ月前のカレッビヴァッ交差点は子供プガメンや子供乞食が踏み切り周辺と高架道路下にだけいたのだが、今ではカレッビヴァッ公共墓地入り口に本拠を据えた新しいグループが加わったようだ。子供プガメンは西ジャカルタ市ポスプグンベンPos Pengumben)や中央ジャカルタ市ドゥクアタス(Dukuh Atas)にも現れるようになった。かれら路上で「働く」者たちの公式統計を都庁はまだ公表していない。2007年首都経済統計によればジャカルタ総人口7百万人の14%が失業者で且つ貧困者となっている。加えて、ジャカルタで「働く」ために上京してきた者も数多い。上京者の中には子供も大勢混じっている。かれらは路上で野天暮らしの日々を送っている。


「ジャカルタのカキリマ商人は年間13兆の売上」(2007年8月6日)
ジャカルタのカキリマ商人界は一日356億ルピアの売上があり、年間では13兆ルピアに達する、とタルマナガラ大学教官がセミナーで公表した。そのカキリマ商人たちは、経済社会文化権利学会の調査によれば、2006年に公的課金677億ルピア、借地料434億ルピア、貢納金1,692億ルピアを支出しているとのこと。またカキリマ商人の数も年々変化を示しており、2002年は14万1千人、2003年12万9千人、2004年11万7千人、2005年10万7千人、2006年9万3千人と推移しているとされているものの、中央統計庁のデータを見ると2006年首都のカキリマ商人数は141,071人と記録されている。
カキリマ商人はほとんどすべてが道路脇や駐車場あるいは通路などの公共スペースで商売を営んでおり、そんなところで発生する借地料が合法的なものでない可能性は高い。さらに貢納金も不法徴収金であり、そのようなアングラマネーを放置しながら都庁はカキリマ商人強制排除を折に触れて実施しているというのに長期的排除に成功した例はきわめて稀で、結局は国民犯罪者化を推進しながらかれらが営んでいる経済活動を国や地方自治体の収入につなげることすらしていない。だからカキリマ商人犯罪者化をやめてかれらを認知し、国庫や自治体の収入増をはかるほうが適正なありかたではないだろうか?同教官がセミナーで主張したポイントはそこにあり、それはカキリマ商人たちが結成しているカキリマ商人協会の主張とも一致している。


「高架道路下のカンプン」(2007年8月20日)
インドネシアには何でもある。首都の高架道路の下には数千人が住む集落があり、そこには人が生活するために必要な水・電気・電話などのインフラまで備わっている。地元住民を対象にして食堂・ワルテル・美容サロン・ゴミ処理・雑貨売店・礼拝所・ビリヤード場からコスコサンまで多種多様なビジネスが営まれているのは、普通の住宅地区と変わらない。違っているのはそこがスラムだということだ。場所によっては駐車場やプラスチックゴミ倉庫・古紙倉庫などの事業すら営まれている。本当に首都の高架道路の下には「何でもある」。
「電気は配線されていて毎月電気代を払ってる。15万ルピアくらいだ。電力は1200ワットもあって普通の家より大きい。水は自分のポンプで5メートルくらい下から汲み上げてる。ここは海から近いから深く掘ると塩水が出るんだ。」先日ジュンパタンティガ地区で高架下を焼き尽くした火事の被害を免れた住人のひとりファフロジはそう語る。一般家庭の標準供給電力量は450ワットだから電力メーターなどない高架下の電力事情は豪華だと言える。かれは高架下の50平米ほどの区画で家族と一緒に2年前から定住をはじめた。そこには携帯電話バウチャー売店と廃品集積場そして住居が建てられている。高架下の住居は2階建ても少なくない。土地占有者の経済力次第なのだ。高架道路下集落では住民組織が作られていない。住民はほとんどが地方出身者で、かれらはそれぞれその土地が所属しているRT(隣組)やRW(字)に届け出て居住しているだけ。
北ジャカルタ市プンジャリガンのラワベベッスラタン通りに近い高架下には2x3メーターの仮小屋が並び、一ヶ所に3人が暮らしている。中部ジャワ州スラカルタから上京してきた数十人はそこに暮らして野菜の巡回販売業を営んでいる。家賃はひとり30万ルピアで、手押し車はRTから許可をもらって道端に置いている。駐車代はひと月1万5千ルピア。高架下で騒ぎが起こることはめったにないが保安にはいろいろと気を使っている、と2000年以来の住人のひとりはそう語る。最近も仲間のひとりが「家」の前に停めておいたオートバイを盗まれたそうだ。
しかし早晩、この高架道路下のカンプンは姿を消す運命にある。火事を出して都内環状自動車道に数十億ルピアという損失を引き起こした事件のために、公共事業相はすべての高架道路下カンプンを撤去せよと命じたのだ。当分、首都の高架道路下には何もなくなることになるだろう。


「高架下の事業所」(2007年8月22日)
公共事業相が撤去を命じた高架道路下のカンプンに関連して北ジャカルタ市長がカンプン住民に退去を呼びかけた。タンジュンプリウッ(Tanjung Priok)からプンジャリガン(Penjaringan)にかけての高架道路下には数千人の住む集落があり、かつまたさまざまな事業活動が営まれていて一日何十億ルピアという金がそのエリアを回っている。8月18日土曜日、パドゥマガン(Pademangan)のカンプンワラン住民は警察・軍・行政警察合同チームの来訪に驚かされた。かれらは北ジャカルタ市長の通告を引っさげてやってきたのだ。カンプンワランの高架下幅15メートル長さ250メートルの空間は百以上の事業所に区切られている。そこにあるのは生活基幹物資売店、雑貨品売店、携帯電話カード売店、木材置場、ダンボール置場、土地賃貸業、砂や建材置場など。その場所で木製パレット製造や木箱梱包サービスを営むジョハンは、立ち退きを命じる北ジャカルタ市長の通告におどろいた、と語る。そこで4年前から木材置場ビジネスを営んでいるスセノ35歳は、年間1百万ルピア以上の地代を払ってそのビジネスを行ってきたのに、と憤懣やるかたない口調だ。スセノから地代を受け取っているのはこの高架下エリアの長老格であるマスウッ45歳で、かれは9年前からそのエリアの土地を差配してきた。しかし高架道路下という公共スペースがマスウッの所有であることは決してありえない。公共資産はたいていの国で決してどの個人にも属さない、いわゆる誰のものでもないものとなるのだが、インドネシアで公共資産はだれでも希望する個人がその使用権を持っており、そこに先取権がからむとこのマスウッのような例が出現する。
スセノの事業所では3x5メートルのスペースに直径5〜6センチ長さ3〜6メートルの丸棒2千本が置かれ、一本2〜2.5千ルピアで一日平均1千本が販売されている。つまりスセノは毎日200〜250万ルピアの売上をあげている材木商なのだ。カンプンワラン高架下住民Aグループ代表のマスウッは、住民はふたつのグループに分けられそれぞれ200世帯から成っており、そして事業所としては百ヶ所以上が使われていると説明する。事業者はだいたい5〜30人の労働力を使っているため、全体では1千人の雇用が創出されている。
自分の一家がこの高架下エリアの土地を9年前から差配して5人に賃貸しているとマスウッ夫人は言う。木材置場、パダンレストラン、雑誌新聞売店、携帯電話カード売店に利用され、年間の地代は100〜350万ルピアだそうだ。
プンジャリガン郡プジャガラン(Pejagalan)のカリジョド(Kalijodoh)地区では、高架下は事業所として使っているだけでだれも居住していないため市長の通告は的外れであり、自分たちはそれに従わない、と事業主たちは抵抗している。エフェンディ・アナス北ジャカルタ市長は、タンジュンプリウッからプルイッ(Pluit)やアンケ(Angke)までのすべての高架下住居と事業所は撤去して明け渡されなければならない、と繰り返している。プルイッ立体交差下とジュンパタンティガで起こったふたつの火災は高架道路の構造を危険にさらしている。だから高架下のスペースは公園や何もない公共スペースに戻されなければならない。それが中央政府と都庁の決定である。住民は積層住宅に収容され、また外来者は出身地に送り返される。市長はそう宣言している。



「インドネシアはハイコスト社会」(2008年5月7・8日)
Panturaと呼ばれるジャワ島北岸街道を通ると、目にする大型トラックの大半がGajah Olingという言葉を目立つ位置に大きく表示している。陸上運送業界の内情をあまり知らないひとはそれをトラック会社の名前と勘違いするのが当然であるとはいえ、あんなに大量のトラックを一社が独占して使っているような状況はインドネシアにない。
OlingはOlengの転訛と思われるが、その場合Gajah Olengとは「ゆらゆらと揺れる象」を意味することになる。この言葉からどんなイメージが想像されるだろうか?大型トラックを象に見立てたのかもしれないが、トラックがゆらゆら揺れては事故のもとだ。実は、Gajah Olingというのはトラック運転手たちにとって保安のための護符の役割を果たしている。ジャワの陸上運送業界でその言葉を知らぬ者はおらず、運転手も運送会社もガジャオリンの持つ霊験あらたかな効果を享受しているのだ。
ガジャオリンとは非公的な保安組織だ。保護するのは陸上運送貨物とその運送機関で、積荷が盗まれたり、奪われたり、あるいは走行中のトラックに飛び乗って積荷を盗むbajing loncat(跳びリス)と呼ばれる犯罪の被害を受けたことをガジャオリンに届け出れば、ガジャオリンは捜査チームに命じて犯人を探し出し、報復する。これはすべて私的組織が行う非合法活動である。だからこそ、ガジャオリンの保護下にあるトラックを敢えてターゲットにする泥棒はほとんどいない。組織立ったガジャオリンに対抗できるような集団にならない限り、積荷泥棒がガジャオリンに踏み潰されるのは火を見るより明らかだからだ。だからトラックに書かれたガジャオリンという表記がトラックと積荷の安全を保証するのである。トラックへのガジャオリンという表記を認めてもらうために、トラックオーナーや運送会社は毎年ガジャオリンに会費を支払う。インドネシア大学社会経済調査院が2005年から2007年までかけて行った調査によれば、その年会費はきわめて千差万別ではっきりした内容がわからないが、最高で8百万ルピアにのぼるらしい。
スマトラにはLeskapinという名の陸上運送警備団体がある。街道に出没する強盗団にトラックが積荷ごと奪われる事件に対抗するために最初スマトラの州警察士官が組織したもので、警察退役士官と無職の青年たちがトラックの道中保護のために同乗するという警護を行っていた。アメリカの西部開拓時代に駅場所に同乗したガンマンたちのようなものだ。しばらくの間は警察が中核となった半公式組織だったが、あるところで警察が手を引くようになったことからこの組織に残った者が警備事業を継続し、保安警備の押し売りや運送業者に対する搾取などといった芳しくないビジネス形態へと変化していった。北スマトラ州の陸運業者はレスカピンに120万ルピアの年会費を納めている。
このように東ジャワ州や北スマトラ州などを中心に行われている陸上貨物運送の保安警備費用は必然的に国内陸運コストを高いものにしており、インドネシアの陸上貨物輸送コストはキロメートル当たり0.34米ドルで、アジア平均の0.22米ドルより35%も高いという実態を招いている。もちろんそのハイコストはこの保安関連徴収金だけが原因でなく、街道を走るトラックが直面する警官や自治体道路行政現場担当官あるいはごろつきらが行う不法徴収金、積載重量オーバーを取り締まるための計量ブリッジで搾られる徴収金、地元行政府が定める貨物運送に関する一見合法的ながら経済活動の反インセンティブをなすばかりの許認可と課金などといった実にさまざまな要因がそんな結果をもたらしているのである。
道路運送の保安は本来警察の領分だが、貨物盗難や強奪が何百年も昔から今日に至るまで一度も無くなったためしがなく、保険料を取るだけで保険金を出そうとしない保険業界は何の保障にもならず、警察をあてにしても被害を受けるだけという陸運業者には、私的保安組織に対する大きい需要があるのは疑えない事実だ。政治行政面の権力を高く見て実業や経済活動を見下し、あらゆるレベルで権力争奪に血の道を上げるインドネシアの社会的価値観が生み出しているのはハイコスト社会であり、現政権の政治方針が国民の隅々にまで浸透しなければそんな状況に変化をもたらすのはむつかしいようだ。


「没工業化に向かうインドネシア」(2008年5月26日)
政府が補助金付き石油燃料30%値上げを5月末に行うとの風聞が国内を覆っており、それに対して国内各種業界からは「その値上げが実施されれば当業界はこうなる」という悲観論が続々と出され、いまやほぼ出尽くした観がある。国民諸階層の反対デモも各地で行われ、中にはかなり荒れる事態に発展したものもあるとはいえ、そんなことで政策決定意志の揺らぐ現政権でもないようだ。
政府は例によって補助金削減の代償を貧困家庭向けに用意した。現金直接援助(BLT)と呼ばれる現金支給がそれで、全国1,910万貧困家庭に2008年6〜8月の三ヶ月間毎月10万ルピアが与えられる。政府はこのために14兆ルピアの予算を組んだ。世にも稀なとしか思えない現金直接援助政策はインドネシア独立以来何度も行われているが、その政策で貧困家庭の経済状況が好転した例を聞いたためしがない。この政策がある種の罪滅ぼし的な妬み感情の緩和を目的にして行われるものであるのならそれは無意味な国家予算の浪費でしかなく、石油燃料実コストを国際相場と定めその相場の変動に応じて国家予算から現金を支出しているのと同じレベルの奇妙な行為であるとしか思えない。
さて、政府の補助金付き石油燃料値上げ実施の決意が固いようだという雰囲気が強まっている昨今、値上げが避けられないのなら政府は実業界への支援をもっと強めるべきだ、との要請を産業界が出した。窯業・繊維衣料・履物・セメント・家電・飲食品製造の国内主要製造産業界は政府に対し、特定品目の奢侈品税(PPnBM)撤廃と付加価値税(PPN)の6ヶ月間納税猶予を求めている。石油燃料価格値上げは製造コストの大幅アップを引き起こす一方で国民購買力を殺ぐために、製造産業が背負うことになる重圧の一部を軽減してほしい、というのがその要請の根拠。「シンガポールで付加価値税は前払いも付け替えも、あるいは延滞も数回の分割も認められているので、あの国の事業者は楽だ。インドネシアでは国内の経済状況が悪化するというのに、重い負担を軽減させるよう政府が事業者に手を差し伸べてくれる気配はまだない。『納税遅れは許さない。遅れたら罰金だ。』ではあまりにもきつい。なんとかしてもらいたい。」窯業雑貨協会会長はそう述べている。飲食品事業者連盟会長は、「製品の大幅な値上がりを防ぎ、産業界の業績がドラスチックに低下しないようにするために、石油燃料値上げと同時に実業界への補償が与えられなければならない。」と語っている。
履物業協会会長は、製造業界の生産キャパシティは実働が低下してアイドル状態が広がっている、と語る。「政府は補助金付き石油燃料値上げに関していついくらという確定的な情報を出すことを避けている。おかげで業界は値上げ以降のコスト見込みを立てるのに困難をきたしており、輸出オーダーを受けることができない。政府の曖昧な姿勢のおかげで業界は生産活動が停滞気味になっている。」
MSヒダヤッ全国商工会議所会頭は2008年第1四半期製造産業界の業績がダウンしている点を指摘し、国内市場での製品販売減少と生産コストの増大が生産キャパシティの稼動低下を招いている、と語った。
「工業大臣はそんなことはないと否定するが、商工会議所としてはインドネシアが工業セクターの没落による没工業化に向かっていることを強く懸念している。」会頭はそうコメントしている。
ところがそうこうしているうちに5月23日が来て、その夜政府は5月24日0時を期して補助金付き石油燃料価格を変更すると発表した。リッター当たりの新価格は次の通り。
Premium ガソリン 4,500ルピアから6,000ルピアに
Solar 軽油 4,300ルピアから5,500ルピアに
Minyak Tanah 灯油 2,000ルピアから2,500ルピアに
その代償として貧困国民向け援助を追加することを政府は同時に発表した。上述の現金直接援助に加えて、第1類文民公務員と兵士階級軍人警察公務員3千人にひとり15万ルピアの教育費援助、5百万人労働者に生活基幹物資パッケージ廉価販売が実施されることになる。産業界からの上のような要請に対する反応はまだ何もない。


「製造産業界に新たな危難」(2008年6月12日)
欧米市場がかげりを深めている昨今、中国をはじめとする製造産業国はインドネシア市場をこれまで以上の重要度で狙い始めており、政府の的確な対応なしには、国内製造産業はただでさえ弱まっている国内市場を合法非合法の外国産品に奪われて破滅の淵に立たされることになる。政府の対応として早急に実施される必要があるのは、輸入関税調整と製品規格の適用である。ラフマッ・ゴベル全国商工会議所副会頭はそう警告した。
インドネシアは群島国家という地理的特徴を持っており、外国品にとって国内市場浸透の間口が広大な広がりを見せているという性質が外国産品流入に対する政府の厳しいコントロールを困難にしている。一方、非関税障壁となりうるインドネシア製品規格(SNI)の適用はいまだに進展していない。そして国内製造産業の市場掌握が弱いことも市場の不安定さをいやましに高めている。インドネシア繊維業協会データでは、国内製造産業の国内市場シェアは2006年の45%から2007年は22%まで落ち込んだ。家電品連盟は国内市場に流通している家電品の45%が不法輸入品であると推測している。国内産業の没工業化を示す統計数値は中央統計庁からも得られる。2008年第1四半期GDP構成要素中の物品サービス輸入は前年同期から16.8%もの成長を示しており、15%成長という輸出の数値を凌駕した。
政府の不法輸入を阻む努力だけでも国内製造産業にとっては大きい助けになると副会頭は語る。「そのためにも政府は輸入関税のハーモナイゼーションとSNI適用促進に力を注いで欲しい。製造業界自身も生産効率の向上促進と製品に付加価値をつけることで国内市場の掌握を強めていかなければならない。昔から、国内産品の市場価格が輸入品より高いということが頻繁に起こっていた。これは劣悪なインフラ、ハイコスト経済、そしてビジネスに非誘導的な税制といった要素が生産コストを膨らませていたからだ。」
昔ながらの十指にあまる問題のうちで、国際環境の変動が国内市場を更に悪化させるのを阻止するために優先順位をいきなり引き上げた副会頭のこの提案を政府はどのように受けてたつのだろうか。


「外国企業国有化論」(2008年8月11・12日)
何世紀にもわたって外国人の支配下にあった国民が、独立後も依然として継続している植民地構造の中で国政上層部が行っている内政外交の偏りに批判を向けるのも道理であることは論を待たない。とはいえ、国政エリート売国奴論や巨大外国資本による民族搾取被害者といった論調がインドネシア民族国家主権確立から半世紀を超えている今になってもいまだに止むことのない実態は、かれら自身が旗印としている国民国家建設のプロセスがどこかで道を踏み外してしまっているのではないかという印象を拭い去るのを困難にしている。国民一般に広く浸透している侵略的外国人像はオルバ政権が毎年8月17日前に流していたプロパガンダの影響を強く蒙っているものであり、そうやって涵養された外国人向け敵対感情はトライバリズムの名残と相まってこのグローバル時代にありながら世間にしばしば噴出してくるインドネシア風攘夷行動のベースをなしているようだ。この民族が引きずっているトライバリズム的精神性は日常生活のさまざまな面でも垣間見ることができ、横浜開港時の前後に似たような精神状況に陥った民族も今ではこの南洋の地で当時の西洋人と類似の視点に立っているわけで、あながち無縁の現象という気はしない。他面、政治権力闘争に「目的のために手段を選ばず」という酷薄な原理を用いるのが常識のかれらが現政権に痛手を与えようとしてそんな国民の感情を利用することは想像に難くなく、プライモーディアルな国民感情がいつどのように世論操作の手にかかって燃え上がるかは予断を許さない。
ある国内シンクタンク役員が全国紙に掲載したオピニオンは、そんな民族主義感情の不毛な燃え上がりを鎮めようとして国民を妄動に走らないよう諭す内容になっており、この民族感情はそれほど強い、安易に無視できないものであることを示している。その論説を見てみよう。
高貴な意図が常に平易に実行できるとは限らない。それどころか、その実行の途上で高貴な意図が支離滅裂になることも起こりうる。いまインドネシアで操業中の外国系企業に対する国有化キャンペーンもそんな高貴な意図のひとつだ。わが国の豊富な天然資源を国民が最大限に享受できるようにするための外国企業国有化というのは実に高貴な理想である。地中の鉱物資源を浚い尽くそうとしている多国籍企業の振る舞いに向けられた外国企業国有化唱道者たちの怒りは大いに納得できるものだ。自国の天然資源を外国企業に掌握させてかれらが利益の一部を分け与えてあげようという善意を示すのをひたすら待っているような国にわが国が成り下がっている現状がかれらには馬鹿げているとしか見えないということであり、ましてや、それら外国企業のCEOから下級職員にいたるまですべてわが民族構成員でありながら、利益の大部分は外資の本国に流出しているのだから、これ以上のナンセンスはない。この不公平な利益分配が外国企業国有化キャンペーンを煽っているトップイシューになっている。ましてや原油国際相場値上がりで概算だけでもわが国が膨大な利益を享受できるはずだというのにそれら油田が外国企業の手中にあるという皮肉な構図になっていることを思えばなおさらのことだ。
次に、戦略的重要資産が外国企業の支配下にあるために経済面ばかりか政治・社会・環境面でも甚だしい脆弱さをもたらすという問題も上に劣らないイシューである。外国企業、中でも外国の国有企業が自国の利益と保安を優先的に重視するのは疑いもなく、マイナーシェアしか持たないわが国はそれら大株主に対抗することができないのである。
わが国の資源が長期に渡って外国企業に支配されてきたのは確かなことで、VOC時代がそのはじまりだった。スカルノによる外国企業接収は外国資本優位に対抗する地元企業活性化の重要なポイントとなった。オルデバル期は多国籍企業に比して地元企業が旺盛な成長を示した時代だ。しかし1998年のクライシスが状況を滅茶苦茶にした。わが国の大企業はほとんど例外なく隣国企業に身売りすることになってしまった。国境を取り払った自由市場時代はわが国を外国企業にとっての玩具に変えたのである。もっと凄いことに、アメリカ・日本・オーストラリア・ヨーロッパなどの企業ばかりか、マレーシアやシンガポールなど同族国までもがわが国に足を踏み入れてきたのだから。
ここで疑問が起こる。外国企業国有化というのは昔からわが国に居ついているシェブロン、エクソン、BP、シェルなどの企業をターゲットとするのか、あるいは同族国の企業も含めるということなのだろうか?同時に、石油や鉱業セクターの外国企業だけでなくユニリーバ、シティバンク、トヨタ、スズキ、フィリップモリスなど異なるセクターをも含めるのか?国有化唱道者たちはアクションプランを組む前にこの質問に答えておかなければならない。優れた論理で完璧な答えが出されたなら、次の質問はもっと重要で長い答えを求めるものになるだろう。つまりそれは、外国企業国有化の後、それらの企業を誰が経営するのかということだ。国が国有事業体を通して行うのか、民間か、あるいは国有事業体と民間が合併した新たな機関になるのか?このコンテキストにおいて、その高貴な意図が途上で瓦解することも起こりうるのである。石油会社国有化というシミュレーションをしてみよう。わが国の油田コンセッションの8割は外国企業であり、大手はシェブロン、トータル、BP、エクソン、シェル、CNOOC、ペトロチャイナ、グンティンと続く。プルタミナやメドコなど地元企業のシェアは20%に満たない。外国企業コンセッション下のすべての油田を国有化したとき、さまざまな問題のからみついている石油担当国有事業体プルタミナはベストオペレータになることができるのだろうか?これまで外国企業が掌握していた採掘活動が、人材能力不足と時代遅れのテクノロジーのためにプルタミナの手によって無茶苦茶になるかもしれないし、加えてさまざまな政治的干渉によって国有化プロセスがオリエンテーションを失うということさえ起こりうるのではあるまいか。
南米でシャベスやモラレスが行ったような大規模国有化がわが国で起これば国有化イシューはカンフル剤効果をもたらすのは間違いないものの、かれらの英雄的行為が賞賛に値するのは確かだとはいえその結果としてもたらされるものを忘れてはならない。南米で行われた国有化が国民に福祉向上をもたらしたかどうかを計るのはまだ時期尚早だ。期待された結果が実現するのはまだまだ遠い将来なのだから。ロシアが行った外国企業国有化はもっと聡明で優れたものだった。プーチン大統領下のロシアにとって外国企業参入は悲劇でなく、プーチン政府は地下資源探査を行いたい外資に門戸を広く開放した。プーチン政権にとっては国家資源を独占的に掌握しながら国民のことを何も考えない地元寡占資本を打倒することが急務だったのだ。
われわれはロシアの経験から価値ある教訓を汲み取ることができる。外国企業国有化問題で頭を悩ませてみたところで、地元企業にその経営を委ねたらもっとうまく行くとはかぎらない。賄賂・汚職・倫理不在の臭いふんぷんたる地元のビジネス冒険主義者たちを根こそぎ追い払うことのほうがはるかに利口なことではあるまいか。


「プンリが2割増」(2008年8月25・26日)
汚職撲滅コミッション(KPK)の諸政府機関に対する抜打ち査察は活発の度を増しているというのに、それをあざ笑うかのように行政機関が行っているプンリ(不法徴収金)収奪も激しさを増している。2008年上半期に工業セクターが搾り取られたプンリ金額は20%近く増加して1.8億米ドルに上ったとガジャマダ大学の工業経済オブザーバーが報告した。これは世銀とインドネシア統治改革パートナーシップが発表した調査データにもとづいており、その調査ではプンリの激しい四分野が次のように指摘されている。
1)商業・新規投資・工場拡張を管掌する許認可行政
2)政府と民間のプロジェクト入札に関連する諸活動
3)上級公務員の担当配置換えと新規公務員採用方針に関連するもの
4)物品サービス流通に関連する行政サービス
それら四分野に対するKPKやBPKP(開発会計監査庁)の査察がもっと頻繁に行われれば、大勢の贈賄市民と収賄役人が水面上に姿を現すようになるだろうとオブザーバーは語っている。
工業セクターのプンリ負担は年間3億米ドルと言われているが、今年はそれが4億ドルに跳ね上がるだろうとの予想が一般的だ。プンリは行政サービス、特に許認可に関連して役人が市民から取り立てる金であり、役人が自分に不利な公権力執行をすることを恐れて市民はプンリに従う。下はKTP(住民証明書)や運転免許証から上は企業の税務・労働あるいは事業内諸分野の監督に関連するものまで、金額も頻度も千差万別だ。加えてビジネス利益の一部をやくざよろしく貢納金として搾り取ろうとする。
もうひとつプンリの主要ドメインになっているのは上記4)の物流分野であり、その主たる狩場は公道と海港空港。長距離貨物運送はプンリの重い負担に打ちひしがれており、スマトラからジャカルタへ陸上輸送された果物は外国産不法輸入果物より高い価格でスーパーマーケットの棚に並んでいる。ジャカルタのタンジュンプリウッ港では、コンテナターミナルで反プンリキャンペーンを開始したとたんに港内作業がスローダウンした。ターミナルゲートでは通過車両の足止め戦術が取られたためにコンテナトラックが長蛇の列をなし、港内道路や港外周辺道路がびっしり埋まる大渋滞が現出して輸出コンテナの積み残しや輸入コンテナの搬出遅れが続出した。プンリ粛清派に対する大逆襲としか言いようがない。
そんな現象からインドネシアの行政機構はすべて腐敗のかたまりであるかのように外国人は思い勝ちだが、それは少々ナイーブすぎる。国家行政機構ではほとんどすべての部門の中に監察機能が設けられており、定められた公務員規律の徹底を図ろうとする体制は整えられているのだ。つまり行政機構の中に善悪観念が存在していないということでは決してないのである。ただし過去の歴史を振り返れば、悪のほうが優勢な時代が長期にわたって継続していたことも確かであって、善と悪のコンフリクトは止むことなく続いている。インドネシア社会で特徴的なのは、善はもっぱら住民生活のミクロコスモスの中に繁茂している一方、マクロコスモスにおいては悪が優勢という構図が数世紀にわたって実践されてきたことで、それが独立後60年以上過ぎてもほとんど変化しておらず、この民族が植民地支配者から実に多くのことを学んで身につけたことを示している。ジャワ島内だけでそうなのだから、人材と教育に乏しく監察機能が多勢に無勢となっているジャワ島外で、経済的に豊かな地方はプンリの激しさがジャワをはるかにしのいでいるところすら存在している。
前政権から現政権に変わってビジネス活性化の旗印が大々的に掲げられ、地方政府のビジネス許認可行政にワンストップサービスという手法を取り込むことが進められた。世界情勢に聡い人材を擁する県市はいち早くその本質を具現化させることに成功したが、形だけそれに倣った旧来型メンタリティの行政府は多数の机を用意し、そこを巡る手続きを申請者に行わせて金を落とさせるプンリ行動を依然として継続している。独立以来、政治体制は変遷してきているものの、その体制を支える行政機構のメンタリティにさしたる変化は起こっておらず、役人の大半は(ということはつまり国民の大半という意味でもあるのだが)ホモホミニルプス世界の生き物であることをやめようとしていない。
プンリは明らかに、他国ではビジネスオンリーの経済活動に重いコスト負担を追加するものであり、そのツケは世に出される製品やサービスに上乗せされて料金価格を高いものにしている。インドネシアはハイコスト経済の国なのである。


「物価暴騰を支えるためのルバランボーナス」(2008年9月10日)
毎年ルバラン時には物価が暴騰する。政府はそれを予期してルバラン時に物価が安定するような政策を行っていると言うものの、物価が暴騰しなかった年は一度もないと言って過言ではないだろう。インドネシアは物価が市場の需給関係にきわめてセンシティブに反応する国であり、セメントにせよ、ガス石油にせよ、農薬肥料にせよ、それぞれ政府が標準価格を定めているものの供給が安定することが物価安定の絶対条件であり、供給が乱れれば政府の公定価格など雲散霧消してしまうのが常だ。需要が供給を上回ればすぐに物価が上昇し、その状況に流通機構従事者が隠匿・売り惜しみといったテクニックを重ねていくため、市場価格の暴騰が容易に発生する。市場価格の暴騰に政府が強権を用いて抑制をはかるということは行われず、政府ができるのは市場供給を増やすための政策を取るばかりなのだがこれはまったくの隔靴掻痒的効果しか発揮しない。こうして結局のところ、市場供給量を高めるために産業界に増産を行わせるという政策が物価安定政策のメインを占めるようになる。
ルバランシーズンとて何ら変わりはないものの、昨今の電力危機で製造業界は増産が容易にできなくなっているのだ。加えて労働者の間ではルバラン日が近付くにつれて休暇を取る者が増加し、増産したくともかえって減産の憂き目にあう工場も少なくない。工場の生産品を配送するロジスティックセクターも同じで、ルバラン日が近付くと帰省してしまうトラック運転手が続出し、ルバラン前の一週間は物価暴騰の諸要因があちこちで爆発することになる。ともかく、ルバラン日に向かってうなぎ登りとなる需要を満たそうにも、供給を高めるための条件がすべて逆方向を向いているという実態をわれわれは目にすることになるのである。
飲食品製造業界もごたぶんに洩れない。そんな状況に対処するために業界者は釈迦力で増産に大わらわだ、と全インドネシア飲食品事業者連盟のトーマス・ダルマワン会長は語る。ルバラン日が近付くに連れて需要はふだんのものから20〜30%上昇する。その需要を満たすために業界は今増産に励んでおり、製品在庫を倉庫に積み上げて国中がルバラン態勢に入ったときに需給バランスが崩れないようにしようという戦略がそれだ。特にビスケット・シロップ・パン・缶詰・ジュースなどはラマダン〜ルバランのための普遍的な贈答品とされているため、その時期の需要は大きく膨れ上がる。一方、飲食品製造業界はルバランの一週間前から従業員にルバラン休みを与えるため、生産が完全にストップしてしまう。
電力危機や従業員休暇などの障害を乗り越えて業界は倉庫に貯えたストックを休みに入った期間でも市場にどんどん流して行く態勢を整えており、品薄による物価暴騰は必ず予防する、とトーマス会長は語っている。市場価格の暴騰を抑制する要因はもうひとつあり、それは廉価輸入品が増大する需要を求めて市場に大量に流されることで、これは市場供給の安定には役立つものの国内産業にとっては市場シェアを奪われることからありがたくない状況をもたらすものにもなる。
砂糖・肉・鶏卵・ピーナツその他もろもろの商品が市場での需給関係という綱渡りのロープに乗っており、供給を司る生産・流通分野の状況如何で物価暴騰が発生する。そこに非合法輸入品がその混乱から利益を得ようと控えており、そしてまた輸入ビジネスと結託した政治家がその混乱を利して合法的形式を取った輸入の蛇口を開こうと手ぐすね引いて待ち構えている。しかしながら年に一度の狂乱物価を大半の国民はルバランボーナスを吐き出して乗り切ろうとし、需要を減らすことで物価暴騰に対抗しようとはしない。これが金持ちをさらに金持ちにしている社会の一断面であるのは間違いないだろう。


「消費物資の輸入規制」(2008年10月29日)
2008年上半期の消費物資輸入は中国からのものを主体に急増しており、国内生産者の市場シェアがおびやかされている。加えてアメリカを震源地とする金融危機のために先進国市場が縮小した現在、新たな市場を求めて大量の消費物資がインドネシアに流れ込んでくる懸念が強まっている。そのために消費物資の輸入はバランスの取れた形で制限を加える必要があり、最初は5%程度からはじめて継続的に引き上げて行き、国内製品が市場に吸収されるのをサポートしなければならない。ファハミ・イドリス工業相は全国商工会議所総会でそう発言した。
大臣はこの輸入規制を実施する対象品目として、繊維衣料品・飲食品・履物・自動車部品・タイル・石化製品・紙パルプ・鉄鋼・電気器具機械・家電品・農具・セメントの諸セクターをあげた。この規制と歩をあわせて政府機関をはじめとする全国的な国産品使用促進キャンペーンを推し進める必要があり、2003年大統領決定第80号で国産品使用の意志固めはできていることから近々国産品使用に関する大統領指令が出されることになるだろう、とも述べている。今回の輸入規制案は消費物資の輸入を減らして国内生産を高めることを目的にしたものであることから、国内生産に使われる原材料や生産のための機械設備に対する輸入規制はまったく考えていないことを大臣は強調している。
それについてヒダヤッ全国商工会議所会頭は、この輸入規制案は国内製造業界の生産活動に大きい支援をもたらすものであり、商工会議所は全面的に工業相の方針を支持する、と応じた。輸入規制政策は輸入関税の引き上げやセーフガード対応によって実施されることになるだろうと会頭は述べている。


「ルピア暴落!中銀の市場介入も焼石に水」(2008年11月14日)
国内に入っていた米ドルが本国にどんどん引き上げられて行く中で株式市場も外資がこそぎ落とされた裸の状態に近付き、インドネシア証券取引所IHSG(総合株価指数)は米ドル暴騰開始直前のレベルから6割程度まで下落している。しかし米ドルが流出して行ったからといって国内の米ドル需要が弱まるわけでもなく、需給関係はルピアの対米ドルレートを低下の一途に追い込んでいる。当初は一過性と楽観論を唱えていた中央銀行も下がり続けるルピアレートの安定を策して虎の子の外貨を市場に放出することを余儀なくされてしまった。
2007年を通して未曾有の外貨準備高積上げを実現させたインドネシア銀行は同年12月に569億ドルという記録を作り、その余勢を駆って2008年7月には600億ドルの大台に乗せる快挙を果たしたものの、その後は減少を続けて9月は571億ドル、そして10月末には505.8億ドルという400億ドル台への転落瀬戸際という状態に立ち至っている。中銀債に投資されていた外資は9月時点で20億ドルあったものが今や6億ドルまで減少しているから、10月ひと月間の米ドル流出の激しさを象徴する絵柄だと言えるだろう。
2008年10月のルピア対米ドルレートは6百ルピアも下落し、下旬には2005年11月以来の1ドル1万ルピア台に達して一時は1万2千ルピアをひと撫でするという事態になった。インドネシア銀行の市場介入で一旦は戻りかけたルピアも11月13日にはふたたび1万2千ルピアのラインに到達している。10月にインドネシア銀行が行なった通貨レート安定オペレーションは外貨準備高を65億ドルも減少させる結果となったのである。巨額の外貨準備高減少は決してインドネシアに限ったものでなく、台湾は10月のひと月間で29.8億ドル、韓国はなんと274億ドルも減少したそうだ。インドネシアで10月に減少した65億ドルがすべて通貨安定中銀オペレーションで放出されたものだということでは決してないのだが、これほど大きな減少はその内情を想像させてあまりあるのではないだろうか。10年前の通貨危機で米ドル・ユーロ・日本円のバランス良い外貨保有の必要性があれほど叫ばれたというのに、政府中央銀行の外貨政策はその間にどうやらあまりたいした変化を遂げなかったようだ。「喉もと過ぎれば・・・・」というのは人間の常なのだが、それにしても今回の通貨問題で中銀だけを責めるのは酷なのかもしれない。


「政府は家庭消費の伸びをはかる」(2008年12月1日)
世界を覆っている経済危機に抗してインドネシアでは2008年の5%超、2009年の4.5〜5%という経済成長をはかるため、政府は家庭消費の伸びを5%以上実現させる方針を決めてそのための推進項目9件を実行する、とスリ・ムリヤニ・インドラワティ蔵相が11月25日にジャカルタで開かれたインベスターサミット&キャピタルマーケットエクスポ2008の開会式でスピーチした。それについてハティッ・バスリ、インドネシア大学経済オブザーバーは、インドネシアのGDPは65%が家庭消費に由来しており、政府がその5%以上の伸びを実現できれば3.25%の経済成長は確保されることになるためにたいへん的を射た方針である、と賞賛している。
家庭消費の成長をはかるための対策として政府は12.5兆ルピアの税金補助や税収刺激策パッケージを用意し、また市場が完全にダウンした場合の準備金資金源も準備する計画。特に最近マスメディアで頻繁に流されている会社従業員解雇報道に政府は神経をとがらせており、解雇をミニマイズするために税金補助を用いて実業界の成長をプッシュし、また実業界が直面している需要減と運転資金不足という二問題への対策についても検討が続けられている。
蔵相が表明した9推進項目は次のようなもので、着手が一段落したもの、現在進行中のもの、今後実施されるものが混在している。
1.国庫収入の持続をはかる
2.国内の通貨流動性保全のために2008年度政府支出予算の執行を早める
3.中銀と協力して国債買戻しを行う
4.株式・国債・証券・信託投資市場の緊密なモニター
5.政府投資センターの役割と機能の活性化
6.機構的また金融セクター安定委員会の役割と機能活性化を通して、中銀との協働クオリティを向上させる
7.行政・立法・司法の各レベルで他の機関とのシナジー的効果的コミュニケーションを作り上げる
8.市場・ビジネス関係者と活発なコミュニケーションを作り上げる
9.グローバル金融危機の終結を支援するために国際金融機関の役割向上をプッシュする。


「貧困は庶民から活力を奪う」(2008年12月31日)
雨季に入って食材等の供給不足から値上がりと品薄が続いており、庶民向け食堂や食品販売者は値段を据え置いて量を減らす対応を取っている。ラモス(Ramos)やセゴン(Sengon)あるいはムンチュル(Muncul)やパンダンワギ(Pandan Wangi)などの中級米はキロ当たり4千から7千ルピアという高値にあり、量り売り食用油はブランド物でリッター当たり12,000から13,000ルピア、非ブランド物はキロ当たり8,500〜9,500ルピアといまだに下がる気配がない。ジャガイモ・ねぎ・トマトなどの野菜もキロ当たり平均1千ルピア値上がりしている。産地で収穫期に雨季に襲われたために出荷前に腐ったものが多く、在庫が不足気味なので価格がなかなか下がらない、と市場の商人は語っている。加えて今年5月の石油燃料値上げ後に高騰した運送料が物価高を下支えしているため、食材や生活基幹物資は値段が下がるあてがない。
そんな状況であるため首都圏の庶民向け食堂や食品販売者は客の低下した購買力を逆撫ですることを恐れて値上げするのを差し控えているため、取れる対応はこれまでの量をもっと少なくして販売する以外に方法がない。北ジャカルタ市クラパガディンのチョトマカッサル(coto Makassar)食堂も東ジャカルタ市チュンパカマスの飯ワルンも、南ジャカルタ市クバヨランラマのウルジャミ(Ulujami)でもクバヨランバルのブロッケム(Blok M)でも、従来のひとり分の料理が小さくなっている。「小さくする以外にしようがないんですよ。ルバラン前に食材が値上がりしたから一度値上げしたんで、今更また値上げしようってわけにはいかないもんだから・・・・」食堂のおかみはそう語る。飯におかずを数品添えたナシチャンプル(nasi campur)は飯の密度が違ってきているし、おかずのサイズも小さくなっている。ロントン(lontong)やクトゥパッ(ketupat)も一片の長さが短めだ。貧困は食事の量にしわ寄せをもたらし、生産的な世代のひとびとが十分なエネルギーを持つことを困難にしている。虚弱な身体で生産性を高めることはそう簡単にできるものでもあるまい。マラス(malas=怠惰)だと批判される原因ははたして精神にだけあるのだろうか?