「ポルノ!」


「青少年のポルノサイト鑑賞は野放し」(2006年1月30日)
青少年に有害なウエッブサイトが1,100以上あることを、ウエッブサイトコンテンツスクリーニングソフト開発会社が報告した。PT Aneka Cantik Lestari によれば、インドネシア語とムラユ系言語を使ったウエッブサイトの中に600のポルノサイトがあり、また外国のサイトの内200件はインドネシア人ヌード写真を掲載しているとのこと。非ポルノ系にも有害なものがあり、暴力・賭博・クレジットカード犯罪のような非合法行為に関するヒント・政治イデオロギー・異端宗教・テロ技術などを内容とするものが200件、そして非合法サイトに利用されているドメインが100見つかっている。インドネシアではそれら有害サイトが毎月平均30件誕生していると見られており、その50%はポルノサイトで占められている。
サーベイによれば、親の97%は子供のインターネット利用に対して指導や監督を行っておらず、子供たちの97%はポルノサイトがあることを知っており、67%はチャンスがあればポルノサイトを開きたいと思っていること、27%はポルノサイトを見ていることなどが明らかになっている。この状況への対策として考えられるものはふたつあり、ひとつは家庭などのコンピュータにコンテンツ選択ソフトをインストールすること、もうひとつは政府が有害ウエッブサイトへのアクセスを制限することで、後者は中国のグーグルに対する対策、イランがBBCニュースへのアクセスを止めたこと、フランス政府がネオナチ関連サイトに規制をかけていることなど世界での実施例も少なくない。


「ポルノ!(1)」(2006年3月20日)
ポルノ法案国会審議が進められている。世論は完全に二分されている。つまり、ポルノ法(正確には反ポルノグラフィー・ポルノアクション法)そのものは悪くないが、内容がきわめて性差別的であり、また表現の自由を制限するものであるために反対だという声が法成立推進派に拮抗しているのだ。もうひとつ反対の声が強いのは、この法案に盛り込まれた価値観がイスラム偏重であり、女性のアウラッをすべて覆い隠せという価値観に基づくポルノコンセプトになっていることから、バリやパプアなど伝統的・宗教的にそうでない文化と相容れない点があるために、少数種族が持つ伝統文化の否定はノーという拒否が発生している。一部有識者からも、このポルノ法推進はインドネシア文化のアラブ化ではないか、という声が聞こえてきている。
ところで、国政の舞台で繰り広げられているポルノ法問題と時を同じくして、バンテン州タングラン市では2005年に定められた売春禁止条例の施行が2月末から始まり、こちらもジェンダー差別が中核をなしている問題であるとして全国的な話題へと発展した。その内容は「タングランはピューリタン都市」(2006年3月3日)で報道されている通り。タングラン市議会がこの条例を成立させたとき、市内はイスラム勢力の賛成デモで騒然たる状況だった。見なしで女性を連行した上、物的証拠もなく犯罪を犯したと官憲が断定できるような法規に対して、決して批判勢力がいなかったわけではないが、数と声の圧力に負けてしまったということのようだ。
地方自治法が施行されたあと、各地では倫理モラルをうたったジェンダー差別的な地方法規が続々と作られた。インドネシアで主流の家父長主義をより強化する方向にある地方法規や条例のために、女権活動家たちは一層困難な状況に陥っている。倫理モラルをうたうそれらの法規は、男が戸主(家庭のあるじ)で女は主婦(家庭の母)であるという原理をベースに女性を家庭の中に閉じ込めようとする方向性を示している。女性はひとりひとりが、父あるいは夫、もしくは婚姻関係の許されない男性保護者に従属するものとして一生を送るというコンセプトからは、女性の社会活動参加は許されないものとなり、ひいてはタングラン市条例にあるように、女性がひとりで夜遅い時間に道端にいること自体が罪に問われるのを当然とする観念へと進んでいく。
西ジャワ州タシッマラヤでは、小学校から高校までのムスリマ女子生徒に対するモラルと信仰を高めるために、アウラッを覆い隠すよう指導することを奨励する県令の回状が出されたあと、現場段階ではいつの間にかそれが強制に摩り替えられた。チアンジュルでも、モラル向上をうたって各家庭への訪問指導を行う機関が公的に作られ、そこでは女性が家から外へ出ないことが推奨され、外出のさいには必ず夫の許しを得なければならない、といった指導がなされている。
ある女権活動家によれば、全国的に起こっている倫理モラルに名を借りた女性の権利制限と家父長主義への回帰志向は、ネオファンダメンタリストの出現で力付いたイスラム保守派の勢力回復の動きだそうだ。グローバリゼーションの波がインドネシア国内にもたらした変化のために起こっているいくつかの実態を、保守派は受け入れることができない。既に農村部では多くの家庭で、戸主である夫が家庭を見捨てて姿を消しており、妻が戸主としてのポジションに就かざるをえなくなっている事実が少なくない。そんな状況は正されなければならないために、実態に対する本質的解決を無視して、保守派はただ禁止を唱えている。ネオファンダメンタリストは宗教の決まりとして記されていることに固執し、自分たちだけが真理を担っているとして、狭隘な視野からそうでない者を断罪する。そんなネオファンダメンタリストの影響を受けて保守派は変化している現状に不安と怖れを抱いており、そこから反動的な動きが出てきているのだ、とその活動家は分析している。この状況がポルノ法の成立を強力に推し進めている原動力であるのは間違いないことだろう。


「ポルノ!(2)」(2006年3月22日)
国会審議中のポルノ法案は、その前文を読むと、この法案を成立させたい勢力の立脚点と、それをもってインドネシア社会をどうしたいのかがわかる。
A.インドネシア共和国は、個人の利益よりも公共の利益を優先させるパンチャシラに基づく法治国家であること:
B.多様な種族・宗教・人種・階層/集団の適合調和するインドネシア社会の秩序を実現するために、唯一絶対神への帰依と信仰を伴う倫理、モラル、崇高な性質や高貴な個性に基盤を置いた社会的ビヘイビヤや姿勢が必要とされていること:
C.世の中でのポルノグラフィの作成・流通・使用の拡大が、唯一絶対神による諸価値に基盤を置く社会生活秩序の永続に害を与えうること:
D.現行法規はいまだに、社会生活秩序の永続を目的とする法確立努力における規準としてのポルノグラフィの定義を明確に与えていないこと:
E.上記A.B.C.D.に鑑みてポルノグラフィに反対する法律が必要であること:
に鑑み、
1.1945年インドネシア共和国憲法第20条(1)項、第21条、第29条:
2.民族生活倫理に関する国民協議会決議第VI/MPR/2001号:
に留意して下の法令を定める、となっており、1千4百数十年前から培われてきた価値観を守っていこうという姿勢が強く表れている。ところで、この法案を成立させたいひとびとの考えているポルノの定義が、われわれには興味あるところだ。法案の第一条でポルノとは何かということが定義付けられている。
「ポルノグラフィーとは、セックスに関する諸観念をセックス、わいせつ、エロティシズムを搾取する方法で伝えるために作られる、メディアや通信機器の中にある内容である。」
続いて諸方面からもっとも問題視され、関心を集めているポルノアクションの定義はこうなっている。
「ポルノアクションとは、公衆の面前でセックス、わいせつ、エロティシズムを搾取する行為である。」
なじみにくい『搾取する』という言葉の定義はこうだ。
「搾取するとは、自己あるいは他人のために物質的あるいは非物質的利益を得ることを目的に、ポルノアクション行為を利用する活動である。」卑近な言葉で言い換えれば、くいものにする、というものになろうか。
上の定義を読んでもピンと来ないが、第4条以下の禁令を読んでいけば興味深い内容に出会うことになる。
第四条 なにびとも、大人の身体の官能的な特定部位の魅力を搾取する文章・音声・音声録音・映像あるいはそれと同等のもの・歌詞・詩・画像・写真・絵画を作ってはならない。
ところで大人とは、この法案では12歳以上の年齢に達した者を指す、と定義されており、他のさまざまな法令やイ_アの一般社会通念とは食い違った内容になっている。民法刑法では基本的に21歳、あるいは例外的なケースで18歳以上を大人としているが、それより幼くても結婚すれば大人と見なされるという規定も存在している。そうではあっても、婚姻法で結婚可能最低年齢は男子19歳女子16歳と定められているため、この法令の中でのみ12歳以上は大人である、と決めたところで、社会は錯綜した一貫性に欠ける法規定によってただ混乱するだけにちがいない。部分部分が個々に独立宇宙を形成し、全体をひとつの共通項で括ることに不得意な文化の一例がここにあるが、わたしはむしろ、法律行為能力を持てる年齢になるはるか以前に、性行為能力を既に持っている実態を素直に認めているあらわれがこれではないか、という気がしてならない。
第五条以下は、搾取の対象が「大人の裸体の魅力」「エロチックに身体を揺らしたり踊っている者の身体あるいは身体部位の魅力」「唇同士のキスをしている者の行為の魅力」「マスターベーション・自慰を行っている者の行為の魅力」「異性の相手との性交あるいは性交に向かう行為の魅力」「同性の相手との性交あるいは性交に向かう行為の魅力」「死者との性交あるいは性交に向かう行為の魅力」「動物との性交あるいは性交に向かう行為の魅力」「セックスパーティで性交している者の魅力」「セックスショーでの行為の魅力」「マスターベーション・自慰あるいは性交を行う子供の行為の魅力」「子供との性交あるいは性交に向かう行為の魅力」と変化する。続いてそれらのポルノグラフィーを公表してはならないという禁令、更にそれらのポルノグラフィーに出演してはならないという禁令と続く。
次回は社会生活の中で禁止されようとしているポルノアクションについて見てみよう。


「ポルノ!(3)」(2006年3月24日)
ポルノ法案反対派がもっとも問題にしている内容が、ポルノアクションに関するものだ。条文では、次のようなことがらが禁止されることになる。
第二十五条は、大人はなにびとも、官能的な特定身体部位を見せてはならない、とうたっており、また他人にそれを命じることも禁止される。
第二十六条以下では、禁令の対象がこのようになる。「公衆の面前で故意に裸になってはいけない」「公衆の面前で唇同士のキスをしてはならない」「公衆の面前でエロチックに身体を揺らしたり踊ってはならない」「公衆の面前でマスターベーション・自慰を行ったり、その行為に似た身体の動きをしてはならない」「(公衆の面前に限定せず)子供にマスターベーション・自慰を行わせたり、その行為に似た身体の動きをさせてはならない」「公衆の面前で性交したり、その行為に似た身体の動きをしてはならない」「(公衆の面前に限定せず)子供と性交したり、その行為に似た身体の動きをしてはならない」そしてセックスショーやセックスパーティを行ってはならず、またそれらを見てもならない、となる。
ポルノグラフィーについては、性的な作品を作ったり、それを取り扱ったり、あるいは使用しない限り、普通の日常生活で警察沙汰になることはないだろうが、ポルノアクションは違う。人間が社会生活の中で行ってはならないことをそれは示しているのだが、ところがその内容は不確定に満ちている。官能的な特定身体部位とはいったい何を指しているのだろうか?その言葉はイスラムのアウラッに対応しているのだが、イスラム宗教師たち自身が、女性のアウラッの定義が人さまざまで、単一の規準が作れないことを十分承知しているのではなかったろうか。あるウラマは、女性の身体全部がアウラッである、と言い、別のウラマは、顔と手のひらはアウラッでない、と言い、また他のウラマは、顔と手と足の裏は隠さなくて良いとし、もっと開けたウラマは、顔と腕から下とふくらはぎから下は隠さなくてかまわない、と言う。女性の身体のどの部分を見るとムラムラが起こるのか、という問題であると思われるため、これは見る側の主観の問題であって見られる客体の側の問題ではないという気がしてならない。つまりは、それを判断する人間の個人差がそこに混じりこんでくるものであるため、絶対安全を求めるなら一番厳しい人間が要求するであろうレベルに即す必要があり、結局は目だけを残して全身を黒布で覆うという無難な線に落ち着くことになるが、イスラム法自体がそうしなければならないと命じているわけではない。このような灰色不確定はインドネシアの社会生活のあちこちで見受けられる。裸になる、エロチックに身体を揺らしたり踊る、その行為に似た動き、なども同様で、明確な規準作りがきわめて困難だと言える。バラエティに富む個人の主観を法律の規準に据えてはばからないこの感覚はタングランの売春禁止条例にも見られるものであり、客観性や平等・公平が欠如し、権限を持つ人間の恣意が優先されている社会のありさまをわれわれはここに見出すことになる。
ともあれ、法案に付されている解説を読むと、官能的な特定身体部位とは、女性の乳房・へそ・尻・太もも・性器などの一部もしくは全体を指す、となっているが、とはいえ、法律として成立するのは条文であって解説内容ではないため、官能的な女性がそれ以外の身体部位をさらせばやはり官能的だとされることは間違いないだろう。法案作成者に言わせれば、男性の胸はどうやら官能的ではないらしい。男性優位の家父長制社会であるために女性の性欲は否定されており、女性がムラムラを起こすのはありえないこととされている。こうして、男にとってムラムラを起こさせる要素だけがポルノである、言い換えれば女性の肉体がポルノであるという観点がフェミニストたちの抗議の的になっている。
次に罰則規定を見てみよう。ポルノグラフィを作成・公表・使用した者や購入した者は、1年から5年の入獄もしくは5億から10億ルピアの罰金。官能的身体部位を見せた者や他人にそうするよう命じた者は2〜10年の入獄もしくは2億〜10億ルピアの罰金。裸になった者は2年半〜12年の入獄もしくは3億〜20億ルピアの罰金。唇同士のキスをした者は1〜5年の入獄もしくは1億〜5億ルピアの罰金。エロチックに身体を揺らしたり踊った者は1年半〜7年の入獄もしくは1.5億〜7.5億ルピアの罰金。マスターベーション・自慰を行ったり、その行為に似た身体の動きをした者は2年〜10年の入獄もしくは2億〜10億ルピアの罰金。性交したり、その行為に似た身体の動きをした者は2年半〜12年の入獄もしくは3億〜20億ルピアの罰金。セックスショーやセックスパーティを見物した者は1年半〜7年の入獄もしくは1.5億〜7.5億ルピアの罰金。他人にポルノアクションの場所を提供した者は3年〜15年の入獄もしくは3.5億〜25億ルピアの罰金。これでは、インドネシア入国時に尾根遺産の写真が満載された週刊誌を持ってきたら、たいへんなことになりそうだ。


「ポルノ(4)」(2006年3月27日)
倫理モラルの崩壊抑止を錦の御旗として、国民に対して性的モラルを復旧させることを目的にしたポルノ法案は、いま法制化のプロセスに入っている。ところが、その動きについてインドネシア人知識層の中に、奇妙な臭いをかぎつけている人が少なくない。かれらの声はまず、国が国民生活を規制する法律としてのポルノ法は妥当なのかという疑問から始まる。世界中の多くの国にポルノ法があるのだが、国民の倫理生活を統制するための法律として作られているところは稀だ。加えてこの法案が、倫理生活イコール性的ピューリタン行動という方程式の上に組み立てられている点も異様な印象を受ける。
2004年のプトゥリインドネシア優勝者であるアルティカ・サリ・デフィが、国内での轟々たる非難を押して2005年5月にバンコックで開催されたミスユニバースに出場した際、恒例水着審査の場でビキニ着用を拒否し、その理由を「わたしは東洋の宗教心篤い民族を代表して参加しているから」とモラルを強調した発言を行ったが、そのときもやはり倫理モラルに関する議論が全国で沸騰した。つまりアルティカの祖国は、コルプシよりもビキニを敵視する国なのだということを全世界に喧伝したと見たひとびとが少なくない。倫理モラルの話しになると性風俗や性的モラルの退廃問題に飛んでいくイ_ア社会の常識は、いったい誰が方向付けたのだろうか。国民生活に大きい影響を持つ倫理モラルとは、性風俗や性的モラルよりも、暴力・権力濫用・政治欺瞞・KKN・小市民の生活苦の悲鳴に耳を傾けようとしないといった政治家の姿勢に関わるものの方がはるかに重要ではないか?かれらはそのように批判を向けている。
ここ数年、インドネシア社会は「伝統的価値観に基づく倫理」を求める集団と「個人の自由」を優先する集団への分化を強めている。前者は、雑種で価値観の錯綜した社会に自分のモラルを強制する。定義付けはナイーブで視野狭隘的であり、オリエンテーションも歪んでいるケースが大半だ。かれらモラリストが往々にして示す倫理というものの理解は、性風俗の乱れを防ぎ、女性に自制・奉仕・従順を求め、そして女性を穢れや罪悪から遠ざけることなどから成り立っており、その根底にある観念は女性に対してひとりの男性に依存し従属することを強制する文化に根ざしている。そのようなモラリストに支持された法令推進派は、スケープゴート作り、リスクにさらされている階層への新たな烙印、かれらを裁く神の役割を自ら演じる、などといったことを通して民族モラル再建のイメージ作りを行おうとしており、アチェのイスラム法による自治や諸地方自治体が定めた倫理モラル高揚(裏を返せば女性への抑圧と差別)のための運動や条例制定の頂点としてこのポルノ法を成立させようとしているのだ、と批判勢力はいまの状況を分析している。それは条文からも明らかなように、特に女性をターゲットとしてさまざまな禁令を並べ、違反者には刑罰が与えられると威嚇する姿勢が法案には露骨に示されており、本来あるべき国民を保護しようという姿勢がほとんど感じられない。
国政の場で貧困や借款といった大きな問題がモラルの問題に帰せられ、モラルの問題はイコール性的退廃であり、その結果女権の抑圧へと向かう。経済・社会・文化の問題を解決できないエリート政治家たちがその原因をモラル崩壊に求め、ターゲットの対象が狭められて女性のモラル問題に限定されていく。政治家はあらゆる責任を放棄して、すべての不具合を女の肉体のせいにする。その流れが、ポルノ法案の法制化の動きに透けて見える、と女性解放活動家でもある大学教授のひとりはそのように述べている。
アチェでは、イスラム法による自治体制がグスドゥル大統領の時代から開始された。ポルノ法の内容は、アチェでは実質的にすでに施行されているのである。だが民衆を統治しているひとびとの目から見ると、すべての民が従順な羊になっているわけでもない。アチェの民衆統治行政の中にいるムスリムたちの口から出た、「インド洋津波大災害はアチェの女たちが教えを忠実に守っていないから起こったのだ」という言葉を耳にして呆気に取られた人はインドネシア人にも少なくない。ここまで徹底した女性嫌悪と差別や抑圧は、ミソギニーという言葉で表現される。ミソギニーとはいったい何なのだろうか?


「ポルノ(5)」(2006年3月29日)
女性を厭い嫌い、対等に遇することをしないで征服し支配し、女性の精神性や文化の存在、更には自由や権利、あるいはヒューマニズムすら否定し抑圧する、といった姿勢をミソギニーと呼ぶ。ミソギニー文化は小アジアからメソポタミアにかけて古代から見られた伝統文化であり、かれら自身が天上の宗教と呼ぶ一神教の系譜、ユダヤ〜キリスト〜イスラムを生んだ中近東地方の民俗習慣だった。そのため一神教の系譜には、女性に対する支配の色彩が強く漂っている。女性の性欲を抑制することを目的にクリトリスを切除する女子割礼もその地方でイスラム以前から行われていた。どうやらそのあたりに、ミソギニー発生の鍵があるのではあるまいか。
イスラムの流入は、宗教と生活習慣のふたつがごちゃ混ぜになった形で行われた。宗教としてのイスラムと、アラブ文化としての生活習慣および生活上の諸価値観が、南アジアから東南アジアへと一緒くたにされて持ち込まれたのである。アラブを宗教宗主国として頭上に戴く民族がイスラム系諸国に多いが、それは日本人が中国文化に憧れを持つのと類似の心理であり、実態としては文化宗主国の要素も含まれていることを認識する必要があるだろう。イスラム系諸国の民が持っているさまざまな価値体系のすべてが宗教に由来していると考えると、誤りを犯すかもしれない。
ミソギニーはイスラム開闢以前からその地方の住民たちが抱いていた観念であり、イスラム教がミソギニーを教えているわけでないことを弁護しておこう。イスラム教自体は、激しいミソギニーをできるだけ薄める方向に信徒を仕向けたようだが、結局のところムスリムたちは多かれ少なかれミソギニーから離れられないまま今日に至ったように見える。アジアムスリムたちは、良かれ悪しかれアラブのムスリムをお手本としたため、本来女性を尊ぶ傾向を持っていた東南アジアのムスリムもアンビバレンツにさらされることになったにちがいない。
イ_アは多様性の国家であり、ムスリム、カソリック、ヒンドゥあるいはアニミズムなど、それぞれの文化の中における女性の肉体に関する認識は異なっていて当然だ。ところが、ポルノ法案ではあるひとつの文化のエピステーメを国の法律としようとしているのである。これこそイ_ア女性の肉体を単純化する数の横暴であり、パンチャシラという国是に反するものだ。国是をまげることは自国内における植民地化に他ならず、今回のポルノ法はあるひとつの文化にヘゲモニーを与えて他の文化をそれに従属させることを意味している。だからこそ、インドネシア文化のアラブ化ではないか、との声が聞こえてくるのだ。それはつまり、マイノリティに対する搾取なのである。
そもそもpaha(太もも), pinggul(上尻), pantat(臀部), pusar(へそ), payudara(乳房) の5Pを、男の欲情をかきたてるけがらわしいもの、他人に見せては恥ずかしいもの、と位置付ける文化は、イスラムが教えている男女の性交が子孫を生み出す生殖行動としてのみ善であり、肉欲の快楽享楽としての性交は罪悪であるという観念から導かれたもののようだ。その論理的帰結として、子供を作るためのセックスは結婚という社会制度の中でのみ容認されることであり、夫に5Pを見せるのは構わないが、夫以外の男に欲情を起こさせる女は反社会行動を行っているとして断罪されることになる。ホモやレスビアンが罪悪者として指弾されるのも、セックスが生殖行為とだけ結び付けられていることに由来しているようだ。アチェの街中に張られた垂れ幕には、「身体にぴっちりの服を着た女は、悪魔(と同じ)だ」と大書されている。ひとりの男性への依存と従属を強制する文化の中では、女性は家庭の中に閉じ込められ、自分が従属する男性(主人)以外の人間がかの女を欲しがるような態度、言動、服装などをすること自体が主人に対する裏切り行為となるため、そのようなことを行う女性が倫理の名をもって断罪される。主人とは夫だけでなく、未婚の場合は父親、そしてそれらの要件が満たされない場合は掟で定められている結婚関係の許されない男性となるが、性交の相手は夫だけでなければならない。さらに、女性は男性に仕えなければならないため、男性が望まないときに女性がねだるのは許されないことであり、こうして女性が性欲を持つこと自体が否定されていくのである。このようにして作り上げられた論理の中で、女の肉体を見て男が欲情を催すという構図の主体と客体がすりかえられるのは、ミソギニー文化ならではのことだろう。客体でしかない女性の肉体が誘惑の源であるという主体に摩り替えられ、男を惑わす女の肉体は悪であり罪である、と規定していく論理は、女性を差別し抑圧するものだ。女権活動家たちはそう主張している。だがいずれにせよ、女の肉体は社会にとって不安の源であり、女は世の中に障害と災厄を撒き散らすものとの烙印を捺しているミソギニー文化は、家父長制社会システムと一体化してインドネシアの社会慣習や価値観を形成しているのだ。


「ポルノ(6)」(2006年3月31日)
ポルノ法案が今のコンセプトのままで可決成立すれば、個人、中でも12歳以上の女性の個人生活を監視し、プライバシーに干渉してくる倫理警察を生み出す可能性が高い。それは公的機関だけでなく、倫理監視人を自認するプライベート集団が公的機関をサポートすることを理由に同じようなことを行い、女性を搾取する別の犯罪を生み出す可能性を秘めている。チアンジュルで既に行われているような市民の倫理生活を指導するための公的機関が全国レベルで作られるかもしれない。それはかつてアフガニスタンで国民生活に重いくびきをもたらしたアマルマアルフナヒムンカルの再来となるに違いない。
ポルノグラフィが女性の肉体を搾取し、ポルノグラフィに出演している女性や子供の多くが人身売買の被害者であり、更にはポルノを見て女性をレープする男によってその被害者にもされるという三重苦に、このポルノ法案はもうひとつ苦難を増やすことになる。ポルノグラフィに出演している女性や子供は金が欲しくてそれを行っているのだという見方はあまりにもナイーブだが、モラリストが罪としているそれらのことがらに女性を向かわせているのが貧困であることはかれらも同意するに違いない。かの女たちを扶養する義務を持つ男の責任放棄や、男がその責任を背負いきれないまでの貧困を国民にもたらしているのはどうなのかといった議論は、そこではとても希薄に感じられる。国民を豊かにしてやらなければならない国の指導者たちがそれを実現できず、そのために貧困の中にいる国民が犯す帰結に罰をもって応じる法案を成立させようとしているのは、国政エリート自身の責任放棄ではないのか?倫理崩壊を食い止めるためにポルノ禁止がうたわれているが、女性が肌を露出し、唇同士のキスを人前でするから倫理が崩壊するのだろうか?女性がアウラッをすべて覆い隠せば、レープ、性的いたずら、セクハラ、フリーセックスなどがなくなるとでも言うのか?偏狭なモラリストに反対する知識層の声は容赦がない。
脱オルバ体制として出現したレフォルマシ・レジームは看板だおれに終わったものの、民主化の動きは時と共に太さを増している。体制が変化して早くも8年になろうとしているいま、インドネシア共和国の国是であるパンチャシラから離れようとする動きが徐々にではあるが目に付くようになってきた、と有識者のひとりは語る。今や国民生活に押し立てられた大看板は、オルバ期の「開発」から「デモクラシー」へと差し替えられた。だがそのデモクラシーは「多数決デモクラシー」であり、マイノリティを包含しようとせず、反対に「抑え込んで蹂躙する」という顔を見せるようになっている。建前としてであってもマイノリティの存在を容認するムシャワラ・ムファカッ精神が置き去りにされつつある、と言うのだ。現実にパンチャシラがいま直面している問題は少なくない。宗教・文化・種族・社会規範・言語などの多様性が引き起こしている緊張、マジョリティ・マイノリティ間の関係、民族国家としての宗教と神の位置付け、民族アイデンティティとしてのアダット(慣習)と宗教との関係、もうひとつ加えるなら個人と社会の関係といった諸コンフリクトにパンチャシラは包まれている。ブンカルノが、それらのコンフリクトを乗り越えるための共通プラットフォームとして打ち出したパンチャシラではあるが、60年を経たいまでもコンフリクトはいまだに溶融せず、かえってその度を強めている。だからパンチャシラはもはやその用を果たすことができなくなった、と人々は見ているのだろうか。
パンチャシラ民主主義はイ_アの国家基盤を宗教に置かない。そのため神も宗教も国の至高観念とされていない。正しい人倫を国民に求めるためには、個々人が多様な宗教のひとつに基づいて正しく生きることを望まなければならず、世俗国家案は当然のように否定されたが、かといって特定の一宗教をその位置に据えることも不可能であるため、宗教を含めた5つの原理を同等に持つパンチャシラがその位置に置かれることになった。そのとき、イスラム国家の成立を志向する勢力が主張したジャカルタ憲章のエピソードはいまだに尾を引いており、おりにふれて宗教国家に関する議論の中に登場する。ジャカルタ憲章推進派にとって、パンチャシラは先祖代代の仇敵なのかもしれない。オルバ政権崩壊で、それまで国民抑圧のツールでありシンボルとされてきたパンチャシラへの心理的反動が湧いているこの時期に、ましてや多数決デモクラシーが勢いを強めているこの時期に、パンチャシラの概念を一気に押し潰すことは従来ほど困難ではないかもしれない。ポルノ法案成立の動きはその企画のひとつではないか、とナフダトウルウラマ役員のかれは見る。


「ポルノ(7)」(2006年4月3日)
ポルノ法案とパンチャシラの関連についてNU役員のかれは、この法案はパンチャシラを等閑に伏し、宗教に最高権を持たせる原理に従って作られたものだ、と言う。ポルノ法案の解説文の出だしから、そのことが明白に言えるそうだ。解説文を読むと、「インドネシア国はパンチャシラの観念を捧持する国である。」という最初の文章にパンチャシラの語が出てくるだけで、そのあとの国民の倫理、性モラルなどに関する文章が示す解説のすべては、神の名において記されている。インドネシアの国法でありながら、正邪善悪はパンチャシラが決めるのでなく、神が決めている。そこに疑問が生じる。この民族国家と神の関係はいったいどうだったのか、と。この国はいつ地上に神の権勢を打ち建てることを決めたのか、と。それは宗教国家が行う行為であり、パンチャシラ国家であるインドネシアがそれを行うのは逸脱ではないのか、と。
ポルノ法案に奇妙な臭いをかぎつけているひとたちは、法案審議委員会がなぜ2006年6月の成立を必死になって獲得しようとしているのか、という疑問にとらわれている。なぜなら、この法律化の動きは強い政治的色彩にいろどられており、国民に正義をもたらすために国法を定めようという感触から程遠いからだ。小説「サマン」の作者アユ・ウタミは、「正義は期限を必要としない。期限があるのはそれが政治アジェンダだから。」と発言している。
国会が社会一般から意見を聞くために招聘した国内166の民間団体中で反対は11%、ほかは全面賛成あるいは修正付き賛成だとポルノ法案審議委員会は公表している。何がなんでもこの法案を成立させようという意欲は、国内イスラム諸団体が動員する賛成デモ、イスラム系婦人団体が行っている賛成デモやキャンペーンなどの凄まじさにも見ることができる。モラルをうたい文句にしてはいるもののイスラム勢力伸張のシンボルと化してしまったインドネシアの反ポルノ法案成立の動きに関して、著名な詩人であり文化人のWSレンドラがある討論会で洩らした意見が興味を引いた。「資金を得ているいくつかの政党が、その精励と忠実のしるしとしてこのような法律をある期限内に成立させることを迫られているのではないか。・・・・」


「子供たちも、ポルノ!」(2006年5月15日)
ポルノグラフィーが小学生にまで蔓延しており、ポルノを規制する法律がないからだ、と反ポルノ法成立推進派が声を高めている。5月11日に結成された子供保護連盟は、次世代を担う子供たちの間で性的な乱れが大きく高まっていることに心を痛める有識者が集まった組織で、ポルノビジネス活動者に対する規制を政府に訴えて行く予定。
これまでも性的に放縦な若年層に関する批判が投げかけられていたが、パソコンや最先端携帯電話でポルノを見る小学生が増えてきていることから、大人たちの不安はいや増しに高まっている。国家家族計画統括庁が2002年に西ジャワ州6都市で行ったサーベイでは、15歳から24歳までの青年2,880人中の40%が婚前性交を経験していた。タングランの少年刑務所入監者データを見ると、トップは麻薬だが二位は性犯罪となっている。ポルノに関するデータでは、スラバヤのアイルランガ大学政治社会学部人材研究開発センターによれば15歳から19歳の青年層3百人中男性の57%がポルノを見たことがあり、女性の18%がポルノを読んだことがある。ある財団法人が2005年にジャデボタベッ地区の9〜12歳の子供たちを対象に1,705人から取ったアンケート結果では、ポルノにアクセスできると答えた子供は80%を超えた。25%は携帯電話でアクセス、20%はインターネット、雑誌や映画・VCDなどがそれぞれ12%となっている。35%はそれらをレンタルVCDやワルネットで見ており、自宅で見るのは25%、友人宅では22%というのがロケーション別の明細。これまで、ラモガンやバンドン、チアンジュルなどで普通の学生生徒がボルノビデオや写真を撮影し、それを携帯電話で流す事件が起こって社会問題化しているが、そのような画像が小学生の持つ携帯電話で送受信されるところまで降りてきている。「われわれの子供たちはもはやモデルメンタリティに染まってしまったようだ。」ポルノモデルになって臆さない若者たちのありさまに、同財団関係者はため息をついている。


「プレイボーイ事務所襲撃犯の裁判が始まる」(2006年7月19日)
雑誌インドネシア版プレイボーイのオフィスを2006年4月12日に襲撃したデモ隊の現場コーディネータに対する裁判が始まった。反ポルノ法案に関する賛否両論が活発化している中で始まったインドネシア版プレイボーイの発行活動に対して宗教団体が強い反対姿勢を表明し、4月12日にもFPI(イスラム守護戦線)が組織したデモ隊が南ジャカルタ市TBシマトゥパン(Simatupang)通りにあるアセアンアチェファーティライザービル内に入居しているプレイボーイ誌オフィスに対して14時ごろから抗議行動を展開した。およそ5百人のデモ隊は最初陳情行動を繰り広げていたが、そのうちに建物に向けて投石を始めたためにビルの窓ガラスなど施設の一部が破壊された。デモ隊が投石に使った大人の握りこぶし大の石は、ビル前の歩道から拾い集めたもの。その反対行動の結果プレイボーイ誌はバリに事務所を移した形を取っているが、バリのその住所はどうやら単なるダミーでしかない模様。
投石による建築物破壊行動現行犯で逮捕されたFPIの現場コーディネータはザイナル31歳とアグス・イラワン29歳の二人で、ザイナルが現場のデモ行動コーディネータ、アグスはデモ隊への物資補給コーディネータだった。南ジャカルタ国家法廷で7月12日に開かれた公判の初日は検察官の起訴状朗読だけで終了し、12分後に閉廷した。被告二名は刑法典第170条(1)項の「ひとあるいは物品に対して公然と共同で暴力をふるう行為」の違反で起訴されており、その刑罰は最大で5年半の入獄となっている。
ところで、インドネシア版プレイボーイ第3号が発売された。インドネシアムジャヒディン評議会、インドネシアウラマ評議会、FPIなどイスラム諸団体は、プレイボーイ誌がそのようにして発行を継続しているのはムスリムに対する挑発であると批判し、首都警察に対して管区内における流通禁止措置を継続せよと要請し、また全国33の州警察に対しても同じように流通を禁止せよと求めている。「プレイボーイ誌はポルノであり、民族のモラルを破壊するものであるが、それを批判するとアナーキーと言われる。インドネシア版プレイボーイ誌がこうして第3号まで発行されるのは発行者たちが外国から強力なバックを得ているからで、外国勢力はインドネシアに対する文化侵略を目論んでおり、ムスリムを挑発して不穏なムスリムというイメージ作りを企んでいるのだ。」と国会第一委員会メンバー議員のひとりは述べている。
一方、インドネシア版プレイボーイ第1号に登場した女性モデルのAndhara Early とKartika Oktaviani のふたりを首都警察は首都高等検察庁に7月14日書類送検した。容疑はポルノ犯罪。第1号のモデルたちはまだ礼節に則ったスタイルで登場したが、号を重ねるにつれて放埓な姿態をさらすようになってきた、とイスラム系新聞は論評している。第3号に登場したモデルのVisensa Nyssa Yuliani は灰色のジャケットを着ているがその下はブラを着用しておらず、また下半身は黒色のパンティだけでカメラに収まっているとその論評には紹介されている。もうひとりのセクシーモデルは女優のJulie Estelle 。


「プレイボーイ誌オフィス襲撃犯に優しい判決」(2006年8月18日)
雑誌インドネシア版プレイボーイのオフィスを2006年4月12日に襲撃したデモ隊の現場コーディネータふたりに対する裁判開始は既に「プレイボーイ事務所襲撃犯の裁判が始まる」(2006年7月19日)で報道されている。その公判が8月14日に結審して同日判決が下された。
エディ・ヨナルソを団長とする三人の判事団は、投石による建築物破壊行動現行犯で4月18日から警察に拘留されていたFPIの現場コーディネータ、ザイナル31歳とアグス・イラワン29歳の二人に対し、拘留期間を含めた入獄3ヶ月20日の判決を言い渡した。検察側の求刑は5ヶ月間の入獄だった。ところが、その判決期間が過ぎるまでまだ三日あるのでその間に釈放の事務手続きを完了するようにとエディ判事が述べたことから法廷内には不審の空気が広がった。判事団が被告弁護人に拘留日数を尋ねたところ117日が過ぎていてつまり3ヶ月と27日に該当するとの返事が出されたためにどうやら判事団の日数計算間違いがあったことが推測された。判事団長はしばらく戸惑った表情で押し黙ったが、すぐに閉廷を宣言して退廷した。
スギト弁護人は判事団が犯したらしい間違いについて「ティダアパアパ(何でもない)」と述べている。この公判ではふたりの被告が建築物破壊行動を行ったことが立証されたが、同弁護人は社会に不穏を招いているプレイボーイ誌が発行を止めないために起こったことだ、との論旨で終始被告を弁護していた。


「プレイボーイ誌ポルノ裁判」(2006年12月13日)
ポルノのシンボルに祭り上げられた感のあるプレイボーイ誌の編集長エルウィン・アルナダ42歳に対する第一回公判が12月7日、南ジャカルタ国家法廷で開かれた。初日は公訴人による起訴状の朗読で、検察官が起訴内容を明らかにした。15ページに渡る起訴状によれば、被告人エルウィンは礼節を侵害する写真を公表して一般大衆に示し、またその犯罪行為を職業としているというもので、同じ告発はインドネシア版プレイボーイ誌のライセンスを保有しているPT Velvet Silver 社経営者であるポンティ・カロルス・ポンディアンとオッケ・ガニアにも向けられている。その二名に対する告訴はそれぞれ別の起訴状が作成されている。
被告エルウィンはインドネシアプレイボーイ誌4月号6月号に登場させるモデル(4月号はアンダラ・アーリーとカルティカ・オクタビアニ、6月号はホチトル・プリシラとジョアンナ・アレクサンドラ)を選ぶ編集会議を主催し、オッケ・ガニアをフォトグラファーに指名して写真撮影を行わせ、雑誌に掲載する画像の選別を行った、という起訴事実が述べられ、刑法第282条第3項違反として32ヶ月の入獄が求刑された。それに対して被告自身あるいは被告弁護人からの反論や不服は表明されず、次回公判は起訴事実に関連する証人喚問を12月14日に行うことを判事団は決定して閉廷した。
問題にされている写真は露出度の高い写真ではあるが性器や乳房を露出したいわゆるポルノではなく、官能的な印象を与える写真でしかない。類似のものは世の中にあふれており、プレイボーイという固有名称が罪を招いている観がある。


「性的シーンに敏感な青少年」(2008年2月13日)
「テレビでポルノを見た後、性交への強い衝動にとらわれた回答者はパレンバンで77%に達し、スマランでは63%にのぼった、おとなは青少年のポルノ観賞に対して注意の上に注意を払う必要がある。」インドネシア科学院社会調査センターの公共オピニオン・コミュニケーション担当上級調査員がそのように表明した。
青少年の間で発生している望まれない妊娠・性暴力・性病・婚前性交・妊娠中絶などはテレビでのボルノ放映が原因であり、中でも婚前セックスはエリート青少年が4%、非エリート青少年は2%という高い比率になっていて、一方成人ではエリート層も非エリート層も1%であるとのこと。2006年にインドネシア科学院が行なったこの調査では、その回答内容とは別に回答者たちの性的な個人体験を若者たちがあからさまに答えていることが調査員たちを驚かせている。
インドネシア科学院はそのため、マスメディア界、中でもTV放送業界が正しい社会機能を果たすために国民諸階層が共通認識を持つことの重要性を力説している。テレビ放送で国民が獲得する映像リテラシーは国民を賢くするのに不十分であり、批判能力を持つメディアリテラシーを国民に与えることがマスメディア界の使命である。国家権力がメディア統制を行なっていた時代に逆戻りしないようにするために、そのステップは絶対に必要なものだ、と同上級調査員は警告している。
ただしここで言われているのは国際スタンダードでのポルノグラフィではなく、イスラムベースのインドネシア規準におけるポルノであるということを誤解してはいけない。インドネシアではテレビで国際スタンダードのポルノ放映が行なわれるようなことは絶対ありえず、国際スタンダードではポルノに属さないキスシーンやベッドシーン、あるいは女性の肌の露出やシンボリックなセックスシーンがインドネシアではポルノに区分されていることを思い出す必要がある。文化の中で性的なことがらがタブーとされ公共の目から隠されていることによって、ほんの些細な官能的刺激に対してすら青少年は強力なセンシティブさを抱くことになる。上であげた数字はそのことを如実に物語っている。


「サイバーローの最初のアクションはポルノ撲滅」(2008年4月3・4日)
2008年3月25日に電子取引と情報に関する法案が国会総会を通過し、5年以上の歳月をかけてインドネシアにやっとサイバーローが制定されることになった。サイバーローの制定に伴って、これまで野放しに近かったサイバークライムに本腰を入れた規制の手が加わることを政府関係者は期待している。インドネシアはアジアパシフィック地域で最低のインターネット販売利用国で、2008年3月にACニールセンが公表した各国のネット販売利用状況を見ると、過去一ヶ月に利用した人は23%に過ぎず、アジアパシフィック平均である57%の半分に満たない。サーベイ回答者の多くは、クレジットカードを使う決済のときにデータ窃取が行われたりまたカード番号の不正使用詐欺の被害を蒙ることを懸念する、ということをネット販売を利用しない理由のトップにあげている。法令が制定されればサイバークライムが減少し、みんなが安心してネット販売を利用するようになる、というロジックは最も肝心な要素を無視している楽観論なのだが、ほかのあらゆる問題と同様に、問題が起こるのはその問題に対する専門法がないからだとして法令が屋上屋を重ねるがごとく山のように作られている法治国家インドネシアの景観にまたひとつ新たな山を増やすことになる不安は拭えない。
この法令の中に国家国民に対する罪悪とされているポルノ撲滅が盛り込まれているのは言を待たない。第7章第26条には「何人もポルノグラフィー・ポルノアクション・賭博・暴力行為を内容に持つ電子情報をコンピュータや電子システムを通して広めることを禁ずる。」と記されており、また42条(1)項には「第26条の規定に違反した者は最長3年間の入獄ならびに最高10億ルピアの罰金を科す。」とある。
インドネシア児童保護コミッションによれば、児童のモラルを破壊するポルノサイトがインドネシアには10万以上あるとのこと。インドネシアのインターネット利用者は2千5百万人おり、そのうちの60%はワルネット(インターネットカフェ)利用者だ。全国のワルネットは4千事業所あって、そのうちの3千はワルネット協会に所属している。家庭ではできる親の子供に対するポルノサイトアクセスの監視がワルネットまではとても及ばないために、この状況はインドネシア国民にとって、金さえ払えばポルノは見放題という風土を醸成するものとなっている。そんな状況にポルノ規制の網をかけるため、政府情報通信担当国務省はスラバヤの11月10日工科大学が開発したポルノサイトアクセスを遮断するソフトウエアをダウンロードして使うよう全国民に呼びかけた。このソフトウエアは同国務省の公式サイトDepkominfo.go.idから無料でダウンロードすることができる。このソフトを使うことでインターネットアクセスは直接ISPに向かわずインターネットゲートウエーを経由することになる。現在全国にはISPが274社あり、.idドメインは3万8千、インターネットエクスチェンジポイントは6ヶ所となっている。
ところが、ワルネット協会はこのサイバーローに盛り込まれたポルノ罰則に困惑を表明している。いくらポルノサイトがブロックされるように努めたところでそれが百%完璧に行えるという保証はない。客がポルノサイトを開くのに成功したとして、客が開くサイトに関してワルネット側が客にとやかく言える筋合いでもなく、客が金を払って開いたサイトのためにワルネット事業者が法令で罪に問われることになるのはきわめて遺憾だ、と協会側はコメントしている。ワルネットはここ数年、警察による知的財産権侵害取締の活発化によって20%が事業を閉鎖しており、続いてポルノ禍に襲われてはたいへんとの心配を強めている。
ISPも似たような立場にあり、特定サイトがブロックされることで消費者からの苦情の矢面に立たされる懸念を訴えている。問題は特に、誰が何を規準にしてあるサイトを不健全と指定するのかというメカニズムに関連しており、不注意や故意による権限の悪用といった可能性も業界関係者に不安をもたらしている。


「再び、ポルノ!」(2008年9月23日)
2005年から2006年にかけて喧々諤々の議論で国内が沸騰したときの状況は2006年3月20日以降の「ポルノ!」と題する記事で思い起こすことができる。
あれ以来雌伏2年、国会のアンチポルノ法成立支持勢力はついにゴールキックの土壇場に到達した。2年前のあの大騒ぎと今回の静かな状況はまるで天と地の開きを感じさせる。
昔のアンチ・ポルノグラフィー・ポルノアクション法案は内容がかなり整理されてポルノグラフィー法案となり、国会審議を経て法案内容確定のプロセスである国民審査を通り、マルク・南スラウェシ・南カリマンタン・ジャカルタで行われた国民審査のフィードバックを反映させた上で国会特別委員会が最終案を固めて総会にかけるという段階にまで達しており、2008年末の国会総会で成立させるという日程が組まれている。しかし国民審査で得られた賛成反対両意見のフィードバックは枝葉の部分しか取り上げられることはなく、委員会が持っている大筋案はすでに不動のものとされているらしい。一説によれば、審議特別委員会はフィードバックの検討を行うと言っている一方で既に練り固められてある法案の決議を早々に行おうとしているそうだ。PDIP会派は審議特別委員会から脱会を表明したし、PDS会派も同じ歩調を取った。その行動は特定会派のこの法案成立にむけてのがむしゃらな姿勢と法案内容への批判姿勢を示したものととらえることができる。法案内容は依然として曖昧で多義的解釈が可能なものになっており、個々人の主観によって対応は千変万化なものになる可能性が高い。このポルノ法案は特定勢力の政治利益追求に満ち溢れたものだ、と女性同盟役員はコメントしている。
女権団体や地方の政界・文化人層は国会で進められているポルノ法案の強行成立推進に反対の声をあげている。北スラウェシ州庁は州民指導者層から反対の声が出されていることを国会に伝えているし、バリ州では州民1千人がデンパサルの大通りをデモ行進して、国会で行われていることはビンネカトゥンガルイカの国是を破壊するものだという批判を叫んだ。特定宗教の思想を国法の位置に据えることになるこのポルノ法案強行推進は他の諸宗教層の感情を踏みにじる様相を呈している。


「スパでのトリートメントはポルノ法に触れない?!」(2009年1月5日)
着衣のままスパでルルールのトリートメントを受けるわけにはいかない。当然身体の大部分を他人の目にさらすことになるのだが、最近制定されたポルノ法で肌をひと目にさらすのはご法度の行為にされていたのではなかったろうか?
中部ジャワ州バニュマス県の高原にあるオランダ時代からのリゾート避暑地バトゥラデン(Baturraden)は硫黄ルルールで有名なところ。ここはオランダから多くの老齢観光者が訪れるメッカのひとつになっている。60歳を超える老齢観光者は子供の時代にインドネシアに住んでいたひとが多く、かれらはノスタルジーを抱いてバトゥラデンにやってくる。そしてバトゥラデンで欠かせない行事のひとつになってしまったのが硫黄ルルールで、これは男も女もやってくると必ず所望する。女性はビキニ、男性は下着だけでルルールトリートメントを受けるのだが、インドネシアに強い関心を抱いているかれらは当然ポルノ法に関する情報を得ており、ルルールを受けているとき現場に官憲が踏み込んでくるのではないかとの危惧を抱いている。「バトゥラデンへの外人リピート客からポルノグラフィ法の実施状況を尋ねるEメールがたくさん入ってくる。かれらはバトゥラデンで硫黄ルルールを受けているときに当局者に捕まるのを怖れているのだ。」バトゥラデン観光ガイド会会長はそう語っている。
バトゥラデンを訪れる外国人観光客は年間およそ1千人。いま現在ポルノ法施行がまだ積極的な取締り段階に入っている印象はないものの、いつどのようなことでその火ぶたが切って落とされるかわからない。「かれらの不安は分かる気がする。」バトゥラデン観光業界者はそう語っている。


「ジャイポンがポルノ法に抵触?!」(2009年2月19・20日)
スンダ地方のローカル芸能ジャイポガン(jaipongan)あるいはジャイポン(jaipon)は元来が農村庶民の娯楽として発生してきたもので、そのような娯楽芸能は往々にして性的に淫猥な要素を縦横に散りばめており、庶民はそれをあっけらかんと明るく笑い飛ばす。セックスに対して極度に禁欲的なイスラムとは相容れない世界がそこにある。ジャイポンは3Gと呼ばれるエロチックな振り付けを重要な要素に位置付けており、ジャイポンから3Gを抜き去ればそれはジャイポンでなくなる、とスンダ芸能関係者は言う。3Gとはスンダ語のgoyang(身体を揺する)、geol(揺らしながらターンする)、gitek(身体をくねらせる)の三つのGを指しており、曲線美も艶やかな色白スンダ美人の踊り子が全身でその3Gを駆使すれば男たちの目じりも口元も垂れ下がって鼻の下が伸びてこようというもの。
ジャイポンは数人の伴奏者を従えたロンゲン(ronggeng=踊り子)が唄い踊り、男の観客を誘って舞台に上げて一緒に舞うという作法が普通に行われている。誘われた男はたいていロンゲンの胸に現金をねじこむ。このロンゲンは往々にして一夜の春をひさぐそうだが、昔から女芸人というのは洋の東西を問わずそのような存在であったそうだ。それはともあれ、このジャイポンを西ジャワ州知事が禁制に処そうとしているとの噂が流れた。おまけにバンドンのダゴティーハウス(Dago Tea House)で西ジャワ州文化園の地元ダンスショーからジャイポンが現実に締め出されたことから、スンダの地元芸術育成者たちは州知事に対して抗議の姿勢を表明した。
流れている噂によれば、スンダ地元芸能のうちでジャイポンはその3G要素やロンゲンの衣装がアウラッ(男にムラムラを起こさせる女性の身体部位)を覆い隠さない傾向を持っていることなどを州知事が問題にしており、公共の目から隠したい芸能の筆頭にあげている、とのことだ。
しかしスンダ芸能関係者は、女の舞踊様式が男にムラムラを起こさせるから罪だと州知事がいくら主張したとしても、ジャイポンは古来からの様式を忠実に引き継いできた芸術度の高い地元文化であり、ジャイポンから3G要素を抜き去ればジャイポンでなくなるためにそのようなことはスンダ文化の育成発展の面から絶対に承服できるものではない、と反論している。その噂について西ジャワ州観光文化局長は、州知事はジャイポンがポルノ法に抵触するおそれが高いことから、好まざる事態に発展する前に何らかの手を打って置きたいと考えて対策を講じようとしているのであって、州知事がジャイポンを猥褻なものとして嫌っているというようなことではない、と説明した。「スンダの地元芸能の中にはジャイポンのみならずゴヤンカラワン(goyang karawang)のようなエロチックな振りを伴うものもある。それらムラムラを起こさせる踊りを州庁がすべて禁制にしようとしているわけではないし、またそんなことをする意思もない。州知事はそれらの芸能が公共の舞台で演じられて一部階層から猥褻な踊りを禁止せよとの声が強まる前にそれらの芸能を舞台にあげないようにするのが本意なのであり、地元芸能が猥褻な振りを誇示する一部ダンドウッ歌手のようにポルノ法に抵触して犯罪とされることをもっとも懸念している。州庁はエロチックな振り付けを持つ地元芸能を禁止する命令を出す予定はないが、近い機会にググム・グンビラやマ・アグンなどローカル芸能活動家を呼んで意見を求めることにしている。西ジャワ州文化園のスンダダンスショーからジャイポンがカットされたのは、ショーの件数が調整されたためにたまたま起こったことだ。」観光文化局長はそう表明している。局長は事態をそう柔らかく説明しているとはいえ、法律となったポルノ法は着実にイスラム的禁欲精神の深化を国民にもたらしはじめているようだ。


「インテリ女性向けラジオからハフハフの声が・・・・」(2009年6月19日)
2008年11月4日付けコンパス紙への投書"Susut Perut Mustika Ratu"から
拝啓、編集部殿。放送内容のクオリティが優れており、また番組の中でアナウンサーの言葉遣いに節度があり、愛想がよく、教育的でもあるといったことから、わたしはデルタFMラジオのファンになっています。しかしそんな心地よさを楽しんでいたわたしの耳は、ムスティカラトゥ製品『お腹の脂肪減らしジャムゥ』の広告にたいへん不愉快な印象を受けました。ムスティカラトゥ社は有力な国民系企業であり、インドネシア民族にとってキャラクタービルデイングの鏡となるべき会社だというのに。
その広告では、まるで男女が親密な交わりを行なっているシーンを思わせる声が聞こえてきたのです。デルタFMラジオの電波に乗せられた公共放送の節度をわきまえないそのありさまは、わたしの純粋な感情から落ち着きを失わせるものでした。これは創造性を生む自由というものへのユーフォリアのせいなのか、それともモラルも尊厳もなくしてしまった民族アイデンティティ腐敗を映し出しているものなのでしょうか?
この件に関して、世の中に流通している宣伝広告の監督を行なうインドネシアの広告監督庁の機能をわたしは問いたださざるをえません。同時にデルタFMほどのラジオ局なら、広告その他の放送材料選択に際しても聴取者にとって優良な内容のものがオンエアーされるよう更に熟考が加えられることを要請します。[ タングラン在住、カタリナ・ウィディヤスリニ ]
2008年11月12日付けコンパス紙に掲載されたデルタFMラジオからの回答
拝啓、編集部殿。カタリナ・ウィディヤスリニさんからの2008年11月4日付けコンパス紙に掲載された投書について、ジャカルタデルタFMラジオで弊社クライエントの『お腹の脂肪減らしジャムゥ』の広告放送が不快さを与えたことに対し、ここにお詫び申し上げます。その広告放送について当方は広告主との間でその内容について見直しを行ないました。[ デルタフィメールインドネシア全国PR促進マネージャー、フィティ・スマルノ ]