[ 社会のありかた ]


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『不公正社会』

社会的不公正に対する内面覚醒が、われらが建国の父をしてこのヌサンタラにインドネシアを誕生せしめた。国民の中での社会階層の形成は、出生、結婚,離婚,死亡証明書作成を扱った「ヨーロッパ人の市民登録に関する1849年度法令第1849−25号」「中国・東洋人の市民登録に関する1917年度法令第1917−130号」「インドネシア人イスラム教徒の市民登録に関する1920年度法令第1920―751号」「インドネシア人キリスト教徒の市民登録に関する1933年度法令」などで恒久化が行われ、差別的で公正さに欠けると評価されているそれらの法令を、インドネシア共和国の行政者はいまだに維持している。法のレフォルマシという文脈の中で、それらの法令を廃止せよという提案があがっているのも不思議はない。

その植民地法令の遺産は、ほとんどすべての社会生活相にまで広がる箱割社会現象を生んだ。そこに設けられた仕切りは、植民地時代に作られた社会システムで強化されている。不公正な行政、制度、運営が未だに継続されているのだ。年末の瞑想の中で法曹実務者やオブザーバーたちは、このレフォルマシ時代におけるわが国の実定法制度改善の進行に大きな失望を抱いた。わが国の法曹界の革新には進展が見られないとしか言えない。
法治の確立が後退しているのは、トミー・スハルトが留置場から逃亡した事件の処理方法や、ハビビ前大統領に会うためにドイツに飛んだふたりの捜査検事の事例などが映し出している。法曹界での政治要素の優勢がますます顕著になっているのだ。法の確定の欠如が国民の懐疑的姿勢を招き、法曹界における正義の捧持を話題にすれば、ペシミズムが頭をもたげる。司法組織は汚職法廷に覆われており、わが民族にとって「大型」と見られているいくつかの事件の処理にもそれは及ぶだろう。

実定法の不公正は、政治、経済、宗教、教育、医療、その他さまざまな分野にまで枝をひろげている。法の政治化は逃れようもない。生活のさまざまな局面で、わが国ではモノポリーがいまだに盛んだ。宗教はコンフリクト発生機関にされている。教育はあたかも金持ち、支配者、社会上流層の子弟の所有物になっている。そして、やはり金持ち、支配者、社会上流層のみが、何十人もの医者の治療を受けることができる。ひとりの医者にさえ診てもらえないため悲惨の中にいる一般庶民が少なくないというのに。薬代はしばしば手の届かない金額だ。より高い位置にいる社会集団は特別な権利を手に入れている。


この暗黙の不公正と差別は長い間、わが民族の体内に生き続けてきた。叫び声に次ぐ叫び声を、支配者や統治者は聞こうともせずに放置してきたのだ。そんな状況がわが国の社会のありかたを一層不公正で悲しむべきものにしてきた。この社会の不公正がもたらす社会的フラストレーションが、爽やかな社会生活を損なうさまざまな形態の社会反作用を招くことになる。社会での抗争や衝突は、法曹面での不公正にはじまる社会の不公正という環境がそれを盛んにしている。

社会階層の差異はますます顕在化している。社会階層別個人間の関係に見られるギャップは,意識するしないにかかわらず、拡大の一途だ。平等と(社会)正義という価値を高く捧持しない環境の中で,人は教育を受けて成長して行く。かつて教え込まれ、実現されてきた正義の価値を投げ捨て、社会不公正を生かし続けている旧世代の産物が今の世代なのだ。不公正の遺産が今の世代に社会化されているのだ。社会的憎悪と不公正な振舞いが、常識はずれの理由で次世代に伝えられて行く。「元xxx」階層の後継ぎに生まれたというだけで、法律面での特別扱いや特権を受けている。一方、G30S/PKIに関係したとされる人々の子供たちは、今でも差別的な待遇を受けている。

社会階層の決定はヒューマニズム的価値の等級形成に関連しており、これはわが民族の生活観の中の第二原則が理想とするところと基本的に矛盾している。われらが建国者たちが理想としたヒューマニズムは、正義の規範に応じた公正なヒューマニズムだった。事実上、人間のヒューマニズムの基本価値は、依然としてその人の肌の色、言語、社会ステータスに基づいて測られている。法の分野における箱割現象は、ヒューマニズムの分野における箱割現象を生む。社会の箱割りは間接的に人間の血肉の中にまで浸透する。
一般的に、画一的な見方に頼る社会での焼印プロセスは、ある面で信用や名誉の軽視、あるいは不公正な箱割システムで人を扱う傾向を抱かせる。特定個人や社会集団に対するとき、アプリオリな思考の枠を人に植え付けるようなフォーマットがその見方から作られる。このアプリオリな見方やアプローチは、一方だけを利しがちな不公正の谷間に人を誘い込む。そのような焼印プロセスは、特定社会集団の現状凍結恒久化に関連する静的な見方に関係しているのだ。そのステレオタイプの見方に対峙する革新的文化が待たれている。


社会正義を樹立しようとした建国の父たちの基本理念と内面覚醒を、わが国の指導者たちはKKN疑惑事件処理の中に今すぐにでも鳴り響かせなければならない。正義(感などではない)は、事件の法的取扱いの裏に密かな利益を持ち込むことなく、われらの法曹界が行う手続の個々のステップの基盤となるべきものだ。
「正義の使者ラトゥ・アディル」の出現が待たれている。現在処理されている第二次ブロッゲート事件や逃亡懲役囚事件、あるいは何人もの大物KKN事件などは全国民と法曹専門家の鋭い視線にさらされている。わが国の法執行者は、国民の公正な声に耳を傾けるべきだ。法の違反者たちにはどのような罰が下されるのだろうか?その判決は公正なものなのだろうか?
植民地時代から最近の数十年まで、わが国では社会不公正がまかり通ってきた。今,レフォルマシ時代の支配者たちは、社会の不公正が国内にはびこっているのを放置するのだろうか?国会での国民の代表者たちの声を聞きながら、われわれは大型事件に対して正義の執行者が取る法的決定やそれ以後のステップを待っている。
最も公正な大判官が、地上に正義をうち立てる責任を持つ警察、検察、裁判官を含むあらゆる人を待っている。
ソース : 2002年1月17日付けコンパス
ライター: William Chang 社会評論家、Pontianak在住


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『国と国民の貧困化』

統一インドネシア共和国が生まれたとき、権力行政と構造拡張の発展を従えた法規と価値体系の間に不一致が起こった。暫定的でシンプルな1945年憲法は変化、移行そして多次元的民族コンフリクトの錯綜といったダイナミズムに応えきれないものだった。その結果、さまざまなフェーズにおける民族問題解決は権力者と権力にとっての利益を支えるものとなり、民衆の役割は疎外が一層深まった。あらゆる問題を権力行政の利益に結びつける傾向は行政腐敗を継続させる内部抗争を生んだ。その結果、多くの理想主義的高官や公務員はフラストレーションに陥り、権力や地位を富獲得のための容易な手段と位置付けるプラグマチックなステップにかれらは追随した。国家行政は腐敗した高級官僚によって貧困化され、自ずから貧困な国家は国民を貧困化させた。
継続するコルプシは国と国民を貧困化させる政治家・官僚・実業家・軍人の共同謀議勢力を作り出し、それとは別に共同謀議勢力は強力な社会的紐帯を持ったがために、構成員の一部がコルプシ犯罪で法的追及を受ければかれらが存続させてきた草の根社会に動揺を招いて破壊的な社会コンフリクトが出現する危惧が懸念され、こうしてにコルプシ糾明はますます複雑に錯綜する様相を呈している。

権力魔術
国家の中にある権力魔術主義は宗教信仰といまだに変化しない封建的政治文化の伝統によって合法化される。この文脈において層状社会は国家元首を権力ヒエラルキーのトップに置き、国民はヒエラルキーの最下層に置かれる。その中間には、王の使用人、官僚、兵隊指揮官、オポチュニストなど上にへつらい下を踏みつけにする社会階層がいる。
権力魔術主義は権力者の一身に、権力を魔術的に集中させてきた。権力が上位に上がれば上がるほど、天上に存在する権力を反映する魔術パワーも強くなる。王国のシステムは権力魔術主義的傾向と相関しており、実態は腐敗をますます複雑にさせ、権力者に貢ぎ物を差し出す文化の強まりにあわせて国民生活は悲惨の度を増す。権力者への貢納なしには、国民に与えられるべき保護もサービスも期待することはできない。
権力魔術主義は、リベラルデモクラシー時代から議会デモクラシー時代(1945〜1959)、指導されるデモクラシー時代(1959〜1965)、パンチャシラデモクラシー時代(1965〜1997)、そして1997年以降のレフォルマシ時代を通して統一インドネシア共和国政府がさまざまな形で試みてきたデモクラシーシステムの順調な発展を妨げた。デモクラシーは権力を国民の手に委ねるが、実際問題として国民は相変わらず何の力も持つことがなかった。過去から現在まで生活も相変わらず悲惨であり、国と国民はますます貧しくそして無力だ。

パラダイム的変化
システマチックに進行する国の貧困化の中で高官職に就く者はだれでも国と国民に対する恒久的な貧困化に包まれてその中におちこみ、民族の知的能力は使い果たされる。プラグマティズムは陸地・森林・海底の富を外国勢力への抵当にし、国と国民を貧困化させた。国と国民生活が一層貧困化する状況の中で、国の統一性と民族の一体性に対する脅威はますます歴然となり、とても広大な国土の統一を維持するためには膨大な費用が必要であるがためにその維持は困難さを増している。一方各地方が持っている富は、パプア、マルク、マカッサル、リアウ、バリなどから聞こえてくるように、地元権力が自治や分離を目指すよう煽り続けている。
それゆえに、大統領はこの国をビジョンの創造を図って導くことができなければならず、よりよい将来の希望を与える新しいパラダイムのブレークスルーを求めてより質素で正直でオープンな生活のための強力な手本を示し、これまでの統率パターンを根本的に変えなければならない。ハードワークだけでは不十分だ。正副大統領や大臣たちが一生懸命働いているにもかかわらず、われわれの状況が少しも改善されていないように感じられるのはそのせいだ。それとは別に、われわれの行政機構はもう錆び付いており、いっそう早まっている変化に対する洞察が常に遅れ遅れになっている。その結果、ある問題がまだ解決しきれていないときにもっと複雑な問題が新たに出現してくる。
変則的状況が進行して国の弱点となり、キーポジションにいる社会集団がしばしば無法的傾向を持って調和のない状況を生むといった統率不能な抑圧力を現出させている。諸地方で発生した暴力コンフリクトのさまざまなケースは多くのフェーズにおいて複合的な民族生活に対するわれわれの尊重心を弱め、異集団を迷妄で誤った抑圧してかまわない集団と断罪させる方向に仕向けている。
過去に戻ることは不可能であり、変則的国民生活は国民統率の根本的なパラダイム変化を必要としている。もしわれわれが失敗すれば、国と国民の貧困化は統一国家を埋没させるだろう。われわれはもはや統一インドネシア共和国の夢を見ているのでなく、サバイバルに挑む現実に直面しているのである。
ソース : 2005年10月14日付けコンパス紙
ライター: Musa Asy'arie スナンカリジャガ国立イスラム大学教授


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『モラル破産 それとも政治の恐怖?』

2002年1月16日にジャカルタで行われたインドネシアのデカダンスとモラル破産に関する会合で宗教指導者たちが出した呼びかけは、あたかも新たな事実が表明されたかのような一大ショックを首都や地方部の諸社会層に引き起こしたようだ。ところが、そのモラルの崩壊は、それを終わらせようという明確な政治的意思決定もなく、日々一層高まるスピードでずっと以前から進行していたのを、われわれみんなが知っている。
あの呼びかけはひとつの事実表明であり、強い警告としては機能するが、社会政治状況の分析と状況改善のための明確な政治決定を伴わなければ決して十分とは言えないのだ。

モラルは、神学者や道徳哲学者が扱う問題としての規範という面からのみ理解されるべきものではないが、同時に、そして現代インドネシアにおいては特にそうなのだが、社会学者や政治学者が抱える問題である機能的なものと理解されるべきでもないことを緒言としてついでに述べておくのも良いだろう。規範として言えば、モラルは義務だ。(なぜなら、それなしに個人が自分を継続的に完成させて行ける人間となるように成長するのは困難だから。)この面からモラルは、個人が二本足のやもりではなく人間となるために行わねばならない、駆け引きなど許されない原理なのだ。
機能的なものとしては反対に、善悪のさまざまな指針なしに共同生活を統制しえないがために、モラルはたいへん必要なものとなる。この面からモラルはきわめて重要な機能のひとつとなるのである。他者の生存権や所有権への尊重に関する決まりなくしては、遠隔地の村での暮らしや小さいオフィスでの仕事は乱れて統制が取れないにちがいない。


規範的性格の側面では、モラルは倫理的性質や能力として個々人に付着しているものと考えられている。(サルや山羊に倫理責任を追及することはできない。)機能的側面でのモラルは、合意された価値についての社会コンセンサスだ。山羊の群れは社会的な性格のエトスで統御されることはなく、生物学的本能に従っている。
サッカーのゲームを哲学者や神学者のモラル原則で統制することはできない。それは、スポーツマンシップとして知られている価値に関わる、選手、監督、サッカー専門家たちのコンセンサスを通して統制されるのである。ましてや泥棒、スリ、盗賊の世界にも、して良いこと悪いこと、あるいは破れば厳しい罰を受けることなど様々な決まりがある。そんな決まりは、仕事の縄張り、誰をスッても良いが誰はだめ、あるいは獲物になる相手を傷つけて良いかどうか、などといったことがらに関連している。この種々の決まりは明らかに道徳的なものではない(絶対的な命令だ)が、泥棒やスリの共同の活動や生活を統制するエトス(して良いのは何で、して悪いのは何か、ということに関する社会的コンセンサス)なのである。
いまわれわれが直面している疑問は、インドネシアの政治における善悪の問題にどう対処するのか、ということだ。インドネシアに現在あるモラルの問題は、常に「褒美と罰」に一貫性を伴って繰り返し関連付けられる社会コンセンサスに関わるエトス形成問題として把握され、解決されなければならない、とわたしは思う。その上ではじめて、エトスに対して基盤を与える倫理的決まりを通して完成へと向かい、社会に定着させることができるのだ。モラルハビット形成の最初の段階が十分な成功を収められなければ、適用に際して何の基盤も持たない良心.責任、人間の尊厳などといった高度な観念を動員しても無駄に終わるだろう。


哲学的に見れば、モラルの頽廃状態は反モラル状態(モラルの規範は分かっているが、それに反することを行う)もしくは非モラル状態(善悪の価値の存在に対する意識の消滅)へと人を運び去る。反モラル的人間は悪意を持ち悪行をなすが、非モラルな人間というのはサイやミミズと同じレベルの存在であり、善悪問題が自己と関わっていないために外見上は人間だが精神的には人間と呼ぶことができない。
その反対に社会学的に見るなら、デカダンスとは、規範が持つパワーが非活性化させられたために、存在している規範が効力を持たないという社会的無秩序状態なのである。たとえていえば、大学生が教室内では批判的思考と姿勢を持つよう教育されるが、日常の政治状況に対してその批判的姿勢に基づく態度を取ることが許されない、といったものだ。批判的エネルギーは作られる一方で結実しないものにされていく。

この議論は、あたかもモラルそれ自身が内包する価値のゆえでなく、単に有用性だけで必要とされているといったような、プラグマチックでツール的にモラルを捉え、取り扱うことを提案しているのではないことを述べておく必要がある。美学でたとえてみるなら、ポポ・イスカンダルの一枚の絵画は、家の客間の良い飾りとして有用であるために美しくなるわけでも値打ちが出るわけでもなく、その絵自身の中に内包されている美のゆえに壁に飾られるか、もしくは倉庫にしまわれる。同じような方法で、モラルも共同生活を助けるために必要とされるのでなく、道徳的な善悪に関わる内包的な価値のゆえに必要とされているのだ。


この文の焦点は、日常行動におけるモラルの価値をどのように打ち立て直すか、ということにある。ここで推奨している方法は、社会構成員の社会行動の中に善悪の価値の解釈を注ぎ込むモラルハビット形成に対して注意を向け直そうというものだ。この習慣形成は、一貫性を持って繰り返し行われる「褒美と罰」のメカニズムに支えられた社会プロセスを通してのみ行い得るのであり、善と正義を行う努力は政治社会的に褒美が与えられるもので、悪事に加わったりそれを隠したりすれば社会的に罰と制裁を受ける、というような公共的信頼が発生するところで、モラルハビットは形成される。

たとえばある高官公職者の汚職事件を報告した者は、法律で保護され、社会的ステータスが上がり、政治的にその勇気が賞賛される、といったことを大衆が信じられれば、反汚職運動はたいへん強化されることだろう。ところが、われわれが頻繁に体験しているのは、報告した者のほうが警察や高官に追い掛け回されて取り調べられ、告発された者は反対に何もされない、というケースだ。ジェフリー・ウインタース博士やギナンジャル・カルタサスミタの事件はわれわれの記憶にまだ新しい。

「褒美と罰」はバランスが取れており、悪事と善行の度合いに相応のものでなければならない。タングランのサンダル工場で不良品を盗んだという容疑だけで数ヶ月の刑務所入りという罰を受ける一方で、4百億ルピアを横領した容疑者は政治で保護され、法に守られ、こうしてたとえ、モラルの価値を教えるために1千時間の授業を毎年与えたとしても、モラルハビット形成は粉砕される。インドネシアの汚職者の度胸が向上した原因のひとつは経験にある。小者泥棒は簡単に捕まって裁かれる(それは法治国家としての行動を証明している)が、数千億から数兆ルピアという国費を盗んだ者は、推定無罪原理(これも法治国家の中にわれわれが暮らしている証拠)にしっかりと守られている。

簡単に言えば、モラル意識はモラルハビット形成というかたちの基盤が存在する場ではじめて有効なのだ。ところがこの習慣の形成は、既存の社会制度を通じての一貫的なメカニズムに伴われた社会プロセスにサポートされるとき、はじめて可能となる。
悪事はモラルが原因でいつも起こるのではなく、社会、経済、政治的要因で発生するが、反対に社会的違反はモラルの連座を引き起こす。麻薬は社会的違反のひとつだが、使用者のモラルをすぐに破壊する。一方、少年非行は常にモラル価値の喪失によって発生するのではなく、明らかに社会的な性格の原因によって引き起こされる。路上での高校生タウランは多分それが唯一の精神と自己を表出させる機会であるからだろう。なぜなら、学校でかれらは意見表明が許されず、家では親がかれらに耳を傾けてやる時間がないのだから。


インドネシア政治におけるモラルハビット形成の弱さは「褒美と罰」のシステムが働いていないからだが、政治指導者たちの間にモデルが欠けているからというだけではない。大規模汚職を行ったことが証明された者たちは、極刑に処せられているだろうか?諸地方で煽動を行い、抗争に火をつけ、殺人を犯した者たちがすぐに捕まり、裁かれて刑に服しているだろうか?レープされそうになった少女を守ってボロボロにされた青年が、社会的に報奨を得たり、政府の関心を得ているだろうか?

このモラルハビット形成のための「褒美と罰」システム適用の不在とモラル形成がもっぱら呼びかけと自覚でなされると考える傾向は、フィールドでの練習や試合に出る機会を与えないで、毎朝三十分間サッカー選手の前でターゲットに向かっての正確なキックの重要性やら効果的にボールを受けることの重要さについてスピーチするのとなんら変わらない。

その効果は、みんなが信じる崇高な価値がまだ存在しており、そして自動的にそれはわれわれを救ってくれるということでわれわれの心を慰める偽りの意識が作り出されるだけであり、その一方日々の生活の中で人は状況がもたらす諸圧力のためにその価値には目をつぶっているのが実態だ。われわれは、宗教指導者たちが語ったような良心滅亡の崖っぷちにいるのではなく、状況改善が政治権力にあまりにも多くのリスクをもたらすのに対してそれが何に利用できるのかがまだはっきり分からないという恐怖のゆえに、状況改善のための政治的勇気消失の頂点にいるのである。
ソース : 2002年1月24日付けコンパス
ライター: Ignas Kleden   社会学者、The Center for East Indonesian Affairs理事


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『「機械」と規律ある社会』

シンガポールの人々の規律の高さを見て、われわれの社会がすぐにあんなふうになるだろうかとたいていの人は疑問を抱く。第一の問題は、各家庭や学校教育の中で規律がまだその一部になっていないということであり、次いで社会全般にまだ規律が形成されていないというのに、レフォルマシが行き過ぎた自由病を招いてしまった。
無法状態は、社会構成員の規律ある行為が形成されていないのに、その構成員が自由気ままが許されると考える社会の副産物だそうだが、無法状態の中では、法は敗退する。法がいつも負けてばかりでは、カオスが渦巻く。われわれは、その実例をいまわれわれ自身の社会で目にしているのだ。

幼児期から家庭や学校でしつけられる規律の問題を比べてみよう。規律に慣れた子は、学校に遅刻したり、宿題をしなかったり、校則を破ったりすると気持ち悪さを感じる。この気持ち悪いという習慣が大人になっても維持される。一方、子供の頃から規律をしつけられなかった子供は、その行為が規律のないものであっても、何も感じない。学校、特に小学校の選択が、将来規律ある大人になるような子供を育てるための重要な要素だ、と多くの人が考えている理由がそこにある。
学校へ行かない大衆に社会規律を持たせるには数世代かかる、と専門家は言う。学校へ行っているわが大衆が、みんな規律を持っているわけでもない。なぜなら、すべての学校で規律がしつけられているわけではないからだ。もし「今からでも始めよう。」と言ったところで、その数世代を待つためのコストを国が背負うのはのんびりしすぎだ。どうしてかと言えば、規律の低さは国民が産み出す業績を低いものにするためである。頻繁な遅刻や高い欠勤率のために実効労働時間は低下し、交通の混乱や学校のサボりも多発し、こうして社会生産性の一層の下降に行き着く。


シンガポール市民も、はじめから全員が高い規律を有していたのでないことはわれわれと同じだ。しかし、民衆が規律を持つようになるまで、シンガポールが永く待つ必要はなかった。法のコミットメントを確立させたのだ。市民に破ってはいけない法やきまりを教え、手始めにゴミを散らかした子供の親に掃除させるという罰を与えた。最初はすべての市民が規律を持っていたわけではないが、法は牙を抜かれていなかったことから、ついには社会規律が形成された。『法は張子のトラではない』ということが役人や市民に与えた畏怖が、歪んでいた社会規律を正したのは明らかだ。
1984年以来シンガポール市民が利用するようになったMRTで、市民の規律形成がどのように進んだか見てみよう。まず、切符を買うのに並ばねばならず、今でもかれらは整然と並んでいる。そして職員の監視もなく整然と列車に乗る。監視されなくとも、切符を買わずに乗車しようと誰もしないのは、もし検札があったときに法が牙をむくことを知っているからだ。しゃがんだり、飲食や唾棄、ゴミの散らかし、ましてや喫煙。車内だけではなく、場所がどこであっても同じなのだ。

このように秩序立った社会は民族の生産性を高める。専門化が言うには「規律は精神成熟の一部分なり。」とか。民族の精神性は規律を持つことで成熟する。規律は暮らしの中のすべての問題を解決するための受け皿だ。規律のある人間は、生活上での三つの基本価値を背負っている。つまり、責任を負う、真理を捧持する、苦労を先にする、の三つだ。
その三つの価値を背負おうとしないなら、秩序ある生産性の高い社会が形成されるとは考えにくい。規律ある暮らしをしなかった大統領や王たちが、たいていついには没落して行ったという話しはよく聞かされている。
教育的見地からは、鉄の腕の規律というのは決して健全なものではない。だが、規律を確立できなかった大人にとっては違う。
公共サービスを与えるいろいろな場所に「機械」を導入したシステムを用い、街の隅々には監視カメラを置き、全霊を込めた法のコミットメントでシンガポールは規律ある社会の建設を始めた。規律ある社会の枠組みに市民が慣れてくると、それを維持するための社会的な規律への服従精神が形成された。

どこであろうと、入り口では切符を持たねばならない検札機システムや、出口での機械を使った切符の再チェックなどが、大衆に規律の訓練を施すのに役立った。それと同時に、機械を使わない場合に起こりうるずるい職員の切符の再販や切符を買わずにチップを渡して中に入る乗客などが引き起こす国庫の水漏れをコントロールする役割もこの方法は果たすことができる。銀行強盗に対するのと同じ罰がスリにも与えられるのだといった恐怖は、まだ規律を持たない社会を抑制するための法の鉄の腕だ。シンガポールが世界一安全な暮らしができる場所になったのも、それが原因のひとつだろう。
大都市における経験は、たいてい法の鉄の腕が社会規律を形成することを教えている。バン・アリがジャカルタ都知事だった当時、ゴミを散らかした者に対する罰金がパンチャシラに違背すると評価された。われわれは今や、なんでもかんでも「おれの勝手」と考える都市世代を抱える羽目に陥っている。ゴミを散らかすだけではない。道路の横断、順番待ち行列、運転マナーなどいろいろな面に公共の利益を害する好き勝手が現われている。

規律のない個人と公共サービスが、自覚もなく無駄に使い果たされていく時間、エネルギー、費用などの負担をどのくらい社会に負わせているだろうか。移動に費やされる時間、規律を持たない人々の運転が生み出す交通渋滞で空費される燃料。勤労のためのエネルギーの多くは通勤時に使い果たされてしまう。社会生産性はこうして低下し、ただでさえ小さい社会収益はますますやせ細っていく。


われわれは、今こそミクロ社会レベルでのソシアル・エンジニアリングを行うときだ。都市部における規律社会の形成からそれは着手される。MRT風な機械システムを、そんな『機械』を用いたシステムをすべての公共サービスに適用する能力はわれわれにある。あとは政府がそれをスタートさせる意志を持っているかどうかということだけだ。

すべての学校で規律を持たせる教育を推進させる一方、全公共サービスに『機械』とコンピュータ化を持ち込んで、これまですべてが規律に従順とは言えなかった社会に秩序を確立させることができるはずだ。ただし、そこにはひとつの大きな条件がある。法に牙を持たせねばならない。いや、その必要があるという以上に、相手が何者かを区別しないでかみつく勇気を持たせなければならないということなのだ。
ソース : 2001年1月27日付けコンパス
ライター: Handrawan Nadesul  医師


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『突然現われてはまた消える 追従者』

師がいれば弟子がおり、そして追従者がいる。リーダーがいればメンバーがおり、そして追従者がいる。師と弟子、リーダーとメンバーは直接の、しかも多分パーソナルな関係にある。かれらは特定の組織を組んで一体化するが、追従者はそんな組織や関係の外にいる。かれらは不特定な群集で、形も組織もなく、場外にいる。追従者たちはマッピングができず、推定もできず予測すら不可能だ。
追従者は、弟子やメンバーのように突然出現することはあっても幻にすぎず、そして弟子やメンバーではないがために突然姿を消す。師と弟子、リーダーとメンバーは、現実生活の舞台でライトを当てられるがためにその姿は明確だが、追従者はそんな現実生活の周辺にある暗がりの中にいる。弟子は師を知り、師は弟子たちを知っている。師やリーダーが尊敬を得れば、弟子たちも尊敬される。師やリーダーが投獄されれば、弟子たちも投獄される。師と共に投獄されるのを嫌がる弟子は、弟子ではなく裏切り者と見なされる。だが追従者は師や弟子たちと共に敬われることもなく、同時に、悲惨な目に会うこともない。リーダーとメンバーは思想が一致しているが、追従者はその思想の部分部分を理解するだけだ。ために追従者は潜在的裏切り者となる。かれは、あるリーダーの思想の一部に共鳴するだろうが、同時にほかのリーダーたちの思想にも惹かれるのだから。追従者は、あるときはあるリーダーや師を一斉に敬い、称えるが、暫くすればその同じリーダーや師を一斉に罵倒するかもしれない。あるときは一斉に「ホサナ」と歓呼し、別のときにはまた一斉に「はりつけだ。」と叫ぶのである。
素人目に見れば、インドネシアの追従者は盲従する群集だ。友人に誘われて、脅されて、金をもらい、あるいはいろいろなことを約束されて、また兄弟愛のために、人は追従者になる。歴史の中でこの国に大きな危機が起こるたびに、どれほど多くの盲従者が犠牲になったことだろう。誰のために、何のためにということもなくかれらは投獄され、あるいは虐殺されたのだ。かれらは無意味な犠牲者、名もない犠牲者だ。


個々人がその能力を大切にされるような姿の現代組織に、インドネシア人はまだ適応できていない。インドネシア民族のほとんどは、共同体の能力が強調される初原的で古い組織形態の中に生きている。生徒が師の教えを発展させることはない。
個々人はその集団と相似であるがために、批判的精神は発展しない。主体と客体は同じであり、その間に距離がない。わたしはわれわれである。優秀さで知られている大学に入れたわたしは、人から利口であると見なされなければならない。「これがわたしだ。学校は有名でなくとも、ここにわれあり。」といった姿勢は未発達だ。自分自身のゆえに「われあり」なのであって、自分が行く学校のゆえに「われあり」ではないのだが。
現代世界には個人の能力が要求されているが、そんな信念はインドネシアの師やリーダーたちの間でのみ生育している。弟子やメンパーは師やリーダーの単なる複製に過ぎず、ましてや追従者や盲従者は言うまでもない。インドネシアでは、個人を集団に埋没させるために、個人の価値はその集団次第、師やリーダー次第となる。気を付けろ、わしは大統領の者だ。なめるんじゃないぞ。なに?運転手の息子がバンドン工科大学に入ったって?

批判的な弟子、メンバー、子分たちは謀反人と見なされる。異なる考え方を持つ人間には疑惑が向けられる。だが批判者自身も初原的ではある。差異が生じるとすぐに裏切るのだから。異なる思考形態を持つ人間に対する尊敬や称賛は、父系的共同体という環境が深層意識の基盤をなしているインドネシア文化の中にはまだ定着していない。だから、インドネシアにあるのはリーダーと追従者のみなのだ。
クセノフォンの著作「アナバシス」に見られる西洋文化の伝統からは、父系的共同体に根ざすペルシャ(東洋)人とは正反対の、ギリシャ人が価値を置く個々人の能力重視が読み取れる。戦いに敗れてリーダーを失ったギリシャ兵がすぐに途方にくれてまとまりを欠き、敵に降伏するということはなかった。ギリシャ兵のひとりひとりは、個人としての能力の一切を自分のものとするひとりの人間だった。かれらは祖国ギリシャへ戻るという命題を解決するために互いにブレインストーミングを行い、そしてついに地中海の青い水を目にして、かれらは帰国の道を得たのである。個々の兵士は小さいリーダーだったのだ。
父系的共同体社会の特徴は、水田耕作を土着インフラとする社会で発展した。広大な耕作地での治水の必要性が、リーダーシップの中央集中化を推し進め、社会を統制する法、規範、決まり、規則が重要視された。リーダーは並みの人間の持たない権威が必要とされ、王は神々の落胤という思想が広められた。リーダーが持つ絶対権力と追従者の絶対的な服従は当然なものとされ、追従者の生死はリーダーの手中に握られた。


インドネシアの現代化が抱える問題はそんな性格の中にある。文化が早急に変化することはありえない。ズボンをはくことを知らなかった社会が現代的な盛装をするようになるまでには、多分一〜二世代という長い時間を要したようだ。共同体内での追従者としてしつけられてきたインドネシア民衆の大半に、個人主義文化の考え方を持たせようとしても困難であるのは言うまでもない。「インドネシア民族は馬鹿ではない。」という言葉は現代主義個人主義者たちの特徴的なせりふだが、かれらは自分自身の文化環境に足を置いてそれを言っている。一方、追従者への感情移入ができる現代主義者たちが発する言葉は「われわれはいま、民主化を学んでいる。」というものだ。
「貧困、低い教育レベル、専制の歴史が存在している国内では、インドネシアのリーダーシップの賢明さと好運に大勢が依存している。」とHC リクレフスはその著の中で述べている。インドネシアのリーダーになるには、二億の民の運命に関連する社会的責任のゆえに、賢明さが要求される。大半が追従者でしかない民衆の文化を理解する賢明さが。国のリーダーたちは、なにか考えを述べるとき、よくよく熟考しなければならない。語る相手は弟子ではなく、追従者なのだから。

ジャワ農村部の農民の家には、大統領の写真と並んでスルタン・ハムンク・ブオノの写真が掲げられている。その写真の一方にとってその家の住人は追従者なのだが、もうひとつの写真に対しては自分をメンバーの位置に置いている。追従者が持つよりもはるかに大きい信仰心をメンバーや弟子はリーダーに対して持つ。庶民の考え方はそうなっている。
インドネシアで、1942年から1945年までと短命だった日本軍政は、庶民の心をつかむためにかれらの考え方に意を払った。ジョンコ・ジョヨボヨが予言した時節がいま到来した、という内容のビラを日本軍はジャワ進攻の前に空から撒いた。「北から黄色い人々がジャワ人を解放しにやってきたので、オランダ軍を見捨てろ。」と言うのだ。占領後も、日本の宣伝専門家は庶民の芸能上演を利用して民衆への日本軍イデオロギー教育を行った。現代演劇は使われなかった。

インドネシア人はもちろん馬鹿ではない。しかし、馬鹿かどうかという規準はその社会の文化的価値観に大きく依存している。現代主義的リーダーは庶民文化の目から「馬鹿」と見られるかもしれないし、一方リーダーたちは、自分が導く庶民よりは自分の方が利口だと思っている。日本軍やオランダ植民地支配者ですら追従者候補者を理解しようとしたのに、どうしてわれわれはそれをするひまもないほど自分の用事で忙しいのだろうか。おまけに、追従者候補者を馬鹿にまでしながら。
ソース : 2001年3月10日付けコンパス
ライター: Jakob Soemardjo  文化人


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『プライモーディアル傾向を防ぐ』

プライモーディアルの傾向は最近、国内各地で一層強まっているように見える。形態はさまざまだ。種族、人種、宗教、集団、政党、党派、社会階層から学校同窓関係までがそのバックグラウンドになっている。

オルデ・バル期にわれわれは、政府エリートの間で「バークレー・マフィア」という言葉を耳にしている。あるいはまた、経済観念にもとづく方向性を持った「ウィジョヨノミクス」派とハイテク観念にもとづく「ハビビノミクス」派の争いも耳にしている。
スンダ族出身の内務大臣の時代、西ジャワ州出身者をキーポジションに就けたことに意味付けられたpenjabaranに関するイシューも耳にした。ある省がバタッ人に率いられたら、pem-Batak-anの動きも起こるのだろう。

このレフォルマシ時代にそんなプライモーディアリズム傾向は減少している、と思ってはならない。全然ちがう。その反対で、ガンのようにますます強力に拡大しているように見える。
「ベストプレーヤーが勝つ」ということわざは忘れ去られてしまい、あちらこちらの地方からは、州知事にしろ市長にしろ県令にしろ、その行政地域の統率者は地元出身者にせよという強い声が聞こえてくる。
しばらく前、ブタウィの有力者たちはうちそろって、スティヨソの後継者たる首都ジャカルタの知事はブタウィ人にせよ、と要求した。都議会議員までがその要求を満たすようにとおどされたが、反対にPDI-Pのトップは党幹部でもなんでもないスティヨソを支持した。
かれらはジャカルタの街がこの国の首都、すなわち全インドネシア民族のものとなっていることを忘れたにちがいない。民族の値打ちや威信を高めるために最善の指導者を、出身、性別、種族、宗教、学歴などとは無関係に選ぶのが本当なのだが。
能力の秀でた者にリーダーのチャンスが与えられて当然だ。草取り理論の実践の場にしてはならない。つまり「伸びた草はひっこ抜かれる」。
種族ごとの誇りが大切なのは言うまでもないが、往々にしてステレオタイプにされている。たとえばジャワ人は背にクリスを差すのが伝統で、面と向かえばきわめて上品だが、何かが気に障ればクリスがものを言う。スラカルタ市庁舎と市議会建物の焼き討ちは、そんなバックグランドが説明してくれる。
あるいはバタッ人に関して、ひとりなら歌い、ふたりならチェスをし、三人なら・・・・。ビンボーも西ジャワに関してこんな歌詞で唄う。「神がほほえんだとき、パスンダンが生まれた・・・・」

17,508の島と三百を超える種族を有するインドネシアは、グローバルな競争の中で一流としての姿を示したければ、そんな狭いプライモーディアリズム傾向を捨てなければならない。種族を誇る、アダッを誇る、政党を誇る、学校を誇る、地元文化を誇る。すべて正当であり、自信を培うのに重要だ。しかし他者を貶める目的では使われるべきでない。
「いろいろな花が咲き乱れている方が、一種類の木が生えている森より美しい」という賢明なことわざは、非単一的性格の民族国家であるこの国のあらゆる面で、プライモーディアリズムを抑制し、正しく活用することをわれわれに思い出させてくれるものとしてぴったりだ。


民族国家
民族国家について話すとき、現代的思想を伴った西洋の浸透の最大の衝撃のひとつは国家の政治システムとコンセプトに関するものだ、というアジュマルディ・アズラ教授の表明を思い出す。民族国家あるいは国民国家、主権在民、基本的人権などといった西洋のコンセプトは、当初われわれの耳になじまないものと感じられたが、今では日常用語となっている。
民族国家コンセプトはまず、種族、文化、言語、地域という規準にもとづいており、それらすべては非単一的だ。宗教国家あるいはカリフ国家という、信仰に基盤を置くものとは大いに異なっている。元々、過去のイスラム発展の初期から近代に至るまで、国家形成のコンセプトはふたつしか知られていなかった。すなわちダラル・イスラム、つまりイスラム民衆の地域、そしてダラル・ハルブつまり非イスラム地域だ。西洋思想に民族国家の概念が出現したことで、イスラム思想家の間に歴史的概念的な緊張が生まれ、聖書アルクルアンを参照しつつ、非単一的民族と地域というコンセプトの展開が始まった。

よく引用されるアルクルアンの章句は、「神はひとを創り、互いに知り合うようにいろいろな民族と種族に分けたもうた」「さまざまな言葉や肌の色があるのは、ひとがそのことを認識するしるしとして」。非単一性つまりバラエティは正当なものなのである。なぜなら「もしアラーがそう望んだら、アラーは汝らをみな単一の民として創ることができたのだから(QS42:8)」。
民族国家は様々に異なる種族、宗教、言語、文化、慣習、島、地域を統合させた国であるという観念にもとづくなら、寛容、一体性、信頼、統一精神が必要とされているのだ。
ところがこのレフォルマシ時代に起こっているのは、統一の精神とは正反対の、分離に向かう傾向が一層強まっていることだ。アチェはGAM、パプアはGPM、マルクはFKM、それぞれがインドネシア共和国という統一体からの離脱を望んでいる。なぜ?タウフィッ・イスマイルの作品に示された教訓を思い出してみよう。
象が死ぬと牙が残る、 虎が死ぬと毛皮が残る
コングロマリットが死ぬと借金が残る、 民衆は骨と皮になって死ぬ
国というものは本質的に、すべての国民にとっての社会正義、繁栄、平安、自由、幸福などといった理想を実現するためのツールなのに。


歴史に学ぶ
民族国家コンセプトを実現することでプライモーディアリズムを防ぐために、われわれは未来ばかりを見るのでなく、反対に歴史を、忘れ去られがちな過去の教訓の方をよりたくさん学習して当然なのだ。マディナが預言者の指導下に、種族と宗教という面から見て単一でない住民で構成されたはじめての複合的国家となったストーリーを見てみよう。
マディナ国では、アラブ・クライシの諸種族、よそから来たアラブ・イスラム族、マディナ地元のアラブ・イスラム族、マディナ地元のユダヤ族、そしてまたイスラムを受入れていないアラブ族が助け合いながら、平安と豊かさの中に暮らしていた。預言者ムハンマドはマディナ憲章という名で知られた成文憲法をもって、この新国家誕生を宣した。(神のための政治、1999.参照)
種族と宗教という面で多様な社会における国家生活の基礎は、その憲章の中に置かれている。市民同士の間は、善き隣人関係、共通の敵に対して互いに助け合う、虐げられた者を保護する、互いに批判忠告を交わす、他者の信仰の自由を尊重する、という原理で統べられている。

インドネシア民族国家でそれが行われたら、なんと美しいことだろう。詩人タウフィッ・イスマイルの描いたようなインドネシアには決してならない。
モラルの空が崩壊し、 わが国の上に四散する
法は曲げられ、 傾いてミシミシと鳴る
・ ・・・・・・・
ひとびとの隙間に、われは黒めがねの裏に隠れ
ベレー帽を頭にはめて、 インドネシア人であることを恥じる

かつてスカルノ・ハッタ時代に偉大だった民族としては、われわれがいま恥を感じるのも当然だ。すべては、小さく細切れにしようとする思想をもとに、集団、階層、政党、党派あるいは自分個人のための、そしてその場限りの利益ばかり考える狭いプライモーディアリズムの結果なのだ。
政治家はネクスト・エレクションのことしか考えていない、という言葉が聞こえてくるのも当然だ。だがわれわれが求めているのは、遠い将来を見据えてネクスト・ジェネレーションのことを考える政治家なのである。


コンフリクトからコンセンサスとコミットメントへ
最近のプライモーディアリズムに向かって強まる傾向は、わが国にさまざまな形のコンフリクトを招いた。宗教間、種族間、政党間、階層間、村落間、党派間、さらに学生間、生徒間までも。ますます盛んなそれらコンフリクトは、真剣な和解の努力もなく放置される傾向にある。
和解、寛容、コンセンサス、共に合意するコミットメントなどなしには、プライモーディアリズムを消滅させ、われわれの憧れる民族国家を創出することは決して現実のものとならないだろう。コンセンサスに関しては少なくとも三つの内容がある。
コンセプト、アイデア、構想、思想などの養成におけるもの。
コミュニケーション、用語、話し合い、討論、対話などの養成におけるもの。
姿勢、行為、行動などの養成におけるもの。

意見の相違は神の祝福であるが、だからといって意見の一致を神の呪詛と短絡的に意味付けてはならない。インドネシア民族にとっての大きな問題のひとつは、ほとんどあらゆる討論の場で、意見の異なる者同士が互いに相手を自分の敵と見なすことだ。
本来かれらは、フレンドリーな気持ちで討論し、競わなければならないというのに。かつてブンカルノとムハンマッ・ナシルはしばしば意見を異にし、マスメディア上で激論を闘わせたが、ふたりが対面すると、まるで再会した兄と弟のように互いの表情は明るく輝いた。別の例としては、ウィロポ、ムハンマッ・ルム、カシモの三人が、異なる三つの政治ラインの三つのビジョンを表明したが、かれら三人の日常の交際はそれまでのように親密なものだった。
かれらみんなは、まるで敵同士のように互いにつかみかかることもせず、まして互いに対立して死ぬまで血を流しながら取っ組み合いをすることもなかった。オルバ期にはパ・ナス、バン・アリ、パ・トンがあたかも国家の敵のように、出国を禁止され、糧を得る道を閉ざされ、動きもスパイされた。もしかれらが著名人でなかったら、ウディンやマルシナのように誘拐され、殺されていただろう。

われわれはいま本当に、本気で民族と国家に基づく暮らしを送るためにコンフリクトの和解、コンセンサスの公式化、コミットメント強化努力のサポートをたいへん必要としている。そこで一番重要なことは、プライモーディアリズム現象がますます盛んにならないよう、それを防ぐことなのである。それを今すぐ取り上げないなら、分裂のタネは旺盛に繁茂することだろう。この問題にはわれわれの民族と国家の未来がかかっている。われわれの指導者たちには、いますぐにでも悟ってもらいたいことなのである
ソース : 2002年7月19日付けコンパス
ライター: Eko Budiharjo  ディポヌゴロ大学学長


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『インドネシアの教育、洟垂れっ子のようなもの』

「気にかけてると思ってんの?」
1962年、高等学校教育課程が三コースから四コースに変わったときの文化教育大臣はだれだったかと尋ねられたとき、ひとはそう答える。A、B、C、の三コースは数学、物理、社会、文化、の四つに変わった。賭けてもいいよ、覚えてる者なんかいない。覚えてるかも知れないのは当時、その決定に加わった高官たちだけだろう。それも孫やひ孫への話しのたねとしてだけ。「おじいちゃんが昔あれをやり、これもやったんだよ。」
でも他人にとってみれば、「気にかけてると思ってんの?」

言い換えれば、幼稚園から大学まで学校へ行っている子供たちの将来に大きな影響を与えることがらに関して、インドネシア独立後57年間のおりおりに決定を下したひとのことがだれの記憶にも残っていないということだ。インドネシア史に記されることもないだろう。
あんまりだよ、もちろん!しかし理由がないわけじゃない。将来の生活に対する備えを身に着けさせるようにするための、自分たちの子供への教育システムとその実践に、インドネシア民族は50年以上にわたって一度も満足したことがないのだ。教育のシステムと実践は入れ替わり立ち代り与えられるが、インドネシア民族はインドネシアの教育システムがひっくり返ったでたらめなものという印象を抱いている。子供たちへの教育システムとその実践はこの民族に安心感を与えないものとなっているのだ。その子供たちは今や成人し、かれらの親がそうだったように、自分の子供たちへの教育がどれほど安心感の持てないものであるかを感じる順番が来ている。

インドネシアの教育行政オーソリティと教育専門家が果てしない議論を行っているのをだれもが見ている。算術を使うか、算数を使うか?小学校から普通科高校までの生徒にあまりにも多くの課目を詰め込んでいないだろうか?クオリティよりも教育の均等化を優先するのか、反対に均等化よりもクオリティを重視するのか?
利発な子は他の生徒から離して個人指導を与えるのか?地元に関する学習内容を取り入れるのか?教育分野での国の役割を減らし、社会の役割を拡大するのか?さらには、三ヶ月期で生徒に与えている成績表を四ヶ月期システムに変え、次に半年期にし、また四ヶ月期に戻し、今また半年期にしようとしているような『些細』なことがらに至るまで。

過去50年間、インドネシア民族は教育面での政策が千変万化だったと感じている。規定は新しいものに代えられ、改訂され、そしてかつて良くないと考えられた昔のものに戻される。だから教育界では「大臣が代われば政策も法規も変わる。」という言葉が流布している。それらすべてはまるで、鼻水を垂らしている子供そっくりに見える。ぞろっと鼻水が降りてきて、しばらくするとずずっと吸い込まれ、またしばらくするとぞろぞろっとなり、そのあと再びずずっが起こる。
それどころか、いま国民教育法案が国会で審議されており、審議の席ではナショナリズムと愛国心の重要さを謳う章を設けるようにとの提議が出されている。提案者は自分が何を言っているのか判らないのか、それとも単に真似ているだけか、あるいはただ言っただけということなのか、そしてその成り行きがどうなるかは不明だが、現状の国民教育実践の中でのナショナリズムや愛国心は、関連性がないとか不明瞭だと言って悪ければ、火から離れたところで炙るたぐいだ。グローバリゼーションのおかげで変化や発展が急激になるだろう将来に向けての子供の教育に、ナショナリズムと愛国心はどのように関係してくるのだろうか。

子供の将来に関する安心感のない、そして不信感を抱える現状は、インドネシア共和国が四大汚職国のひとつだという現実でさらに煽られる。教育のための予算は何であろうとつまみ食いされる。教員給与、教員手当て、日々の学校運営のための補助金、大統領指示による新設小学校のための校舎建設予算。そしてただでさえ不十分な教員給与が、さまざまな名目のさまざまな徴収金でさらに減らされて行く。
それで例のごとく、スケープゴートが作られる。このスケープゴートは抽象的なので、批難に対して言い返すこともできない。政府の教育予算が少ないことが諸悪の根源だ。ほんの数パーセントしかない。地方自治時代のいま、豊かな県でさえ教育に振り向けられている地元予算は10%に満たない。それですら、現実はまだ怪しいものがある。ほったらかしにされている学校、たくさんの費用を払わせられている父兄からの苦情は、そんな県でも依然として存在しているのだから。


市場メカニズム
わずかな金では済まない巨額の費用が教育に必要だ、という赤裸々で明白な事実がある。二億国民を擁するインドネシアは、豊富な石油のおかげで国民子弟に無料で教育を施せるサウジアラビアのようにしたい、などと夢見る必要はない。学校へ行くなら払え。それ以外にはない。
いま小学校から高校まで、多くの国立学校が生徒にとって高い学費を定めている。それを受入れることができずに反対している父兄は多い。だって国立学校は政府の補助金を得ているじゃないか。だがよくよく注意して見るなら、私立学校の生徒が納める費用は高いが、年に一度あるいは月に一度なのだ。一方国立は金額が安いとはいえ、それが何であれ活動があるたびに費用が徴集される。合計したなら、私立の生徒も国立の生徒も学校に納める金額はほとんど違わない。これも教育には金がかかるということの証明のひとつなのだ。

インドネシア大学、ボゴール農大、バンドン工大などの国立大学も、いまや私立大学なみに高くなった。政府が補助金をほとんど出さなくなったためだ。この事実は、中の上から上流層という金持ちの子弟だけが秩序だった良い教育を受けることができるようにしている。中の下から下層の人たちにはもちろん手が届かない。公平さに欠けているが、今現在インドネシア民族に降りかかっている現実だ。そこには市場メカニズムが作用している。金があれば良い教育が受けられる。それですら、金持ち同士の間で競争を潜り抜けなければならないのだが。
子弟への教育クオリティに関する50年以上の不満に対して父兄たちは、ますます動きを速める世界における将来の生活のために、子供たちへの教育について決断を迫られている。インドネシアにおけるよりよい形態の教育を政府に期待することはできないのだ。

ジャカルタのアルアズハル、サンタウルスラ、カニシウス、タラカニタ、パクディ・ルフル、スマランのロヨラ、ジョクジャのステラ・ドゥスやデブリットなどのエリート校は奪い合いだ。父兄は子供のために納めなければならない費用について交渉に取っかかる。
もっと金持ちのひとびとに対して、超エリート校での教育がオファーされている。そこでのカリキュラムは外国のもの、もっと言えばスイスの寄宿制エリート学校に似せたものだ。条件はただひとつ『できるかぎりたくさんの金を用意すること』。スローガンは「子供に良い指導と教育を望むなら、お金をかけなければ」。
教室はエアコン完備で授業料月二百万ルピアという小学部から高校部までの一貫学校があり、乗馬から国際的社交作法にいたる、野外の課外活動まで含んだ完璧な教育をオファーする超エリート校もある。
金があるから子供をそんな学校へやる親も多い。スラバヤ、ジャカルタ、メダン、シンガポール、香港、台湾、日本、米国、欧州をビジネスの場としている40代のあるビジネスマンの意見は傾聴に値するだろう。かれは三男一女の四人の子持ちだ。
「一番上の子、長女だけインドネシアで高校までやった。その後アメリカでMBAまで取らせた。弟二人は小学校を出たらすぐニュージーランドとオーストラリアに行かせて中学と高校を終えさせた。いまは二人ともアメリカにいる。末っ子は中学までジャカルタで、いまはシンガポールの高校に行っている。どうしてそうしたか?この子たちにはわたしのビジネスを継がせる。ビジネスの根拠地はインドネシアだが、21世紀のビジネスは動きが速く、学ぶべき新たなことも多い。それらを学ぶためにはそれができるようにしてやらねばならないし、外国で学校へ行くことでそれが可能になる。」そうかれは語る。


自分自身の子供を守る
もちろん真理だ。熟考してみるなら、60年代70年代の教育行政オーソリティや教育専門家のだれが、グローバリゼーション、情報化時代、バイオテクノロジーについて考え、それに備えての教育が施された生徒を世に送り出そうとして、インドネシアでの教育の方向付けを行っただろうか。かれらは、グローバリゼーション、情報化時代、バイオテクノロジーなどがインドネシアに入ってきたあと、それをはじめて耳にしたのだ。

教育面でのインドネシアの後進性は、ある大学の元経済学部長すら間接的に認めている。「あんたの子はS1までインドネシアで取らせなさい。その後でS2、S3あるいは経営マジスターは外国で取らせてやるように。」
しかし上述のスラバヤの実業家の意見は、自分の子供の教育ということになれば、その子が将来生き延びるために親はきわめてエゴイストになるという本質を示している。自分のことと子供のことを考え、多額の金を用意して教育市場で競争する。

競争は持てる親たちだけのものでない。7月の初めから、あるいはもはや既に、大勢の父兄が午前4時から、すぐれた学校と評価されている国立小学校に自分の子を入れるために、入学申請用紙をもらおうと列をなしている。中には泊り込む父兄もいる。そんな状況はジャカルタだけでなく、スラバヤ、スマラン、ジョクジャ、そしてマグランでさえ起こっている。
それに続いてわれわれの眼にあからさまに映るのは、不公平だ。金持ちの子供だけが良い教育を受け、こうしてかれらは人生におけるアドバンテッジを持つ。一方、貧困者の子供はいつまでもその後塵を拝し、失業者の仲間入りをして困難な人生をおくる可能性が高い。
そこにこそ政府が国家予算で、地方政府が地元予算で、インドネシアのほとんどの子供たちに対する教育の均等化を実現させる役割がある。現状は不公平なものだが、仕方ないことなのだ。
ソース : 2002年6月24日付けコンパス
ライター: Salomo Simanungkalit, Indrawan Sasongko


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『国民を法規のジャングルに閉じ込める』

いま進行している国民協議会年次総会に関するまず間違いない予測のひとつは、188億ルピアの予算を費やすこの議会がいくつかの決議を採択して閉会するということだ。現実にあるすべての問題とエンピリカルな事実がその中に盛り込まれる。生み出された決議は、名誉ある議員の一部が委員会への出席を避けてホテルで寝ていただけだとしても、国民のさまざまな念願を法制度的に公式化したものだと主張される。その決議に基づいてそのあとで制定される法規が克服してくれるはずの国民の暮らしの諸問題を、国民協議会はまじめにその決議に反映させてくれたものとわれわれは信じている。

勿論われわれは、騙されやすいと言わないまでも、信じやすい民族だ。ましてや政治関連で、反論が沸き起こるようなロジカルな議論が戦わされたためしはほとんどない。口角泡を飛ばすに至る総選挙キャンペーンは闘志のあらわれだという認識を受けるのだが、実際には癲癇患者だったりする。片手間に車を燃やしたり掠奪行為を伴ったりする大群衆デモはデモクラシーの指標だという認識を受けるものの、かれらが道路に降りようとするわけが、自分たちの念願が政策策定者に届かないからなのか、それとも報酬金をもらったからなのか、ということをわれわれはほとんど問うたことがない。KKN撲滅を叫んだときも同じで、汚職を規制するいくつかの国民協議会決議、法令、政令、刑法典の条項などがわれわれに示され、われわれはそれだけでもう信じきってしまう。それほどたくさんの法規に囲まれてもまだ信じない人に対しては、もっと安上がりの方法がある。「明日、検察庁が汚職者を取り調べる」というニュースを朝刊に載せるのだ。その明日というのが日曜や休日だということをチェックもしないで、われわれはそのニュースをひとつの真剣さの証しとして受入れ、もうそれ以上何も言わなくなる。
そんなありさまは過去から少しも変化しておらず、この国のあらゆる問題が法規にまつわる論議を超えて語られようとしない限り、また今後決して変わることもないだろう。法規は既に山のように作られているというのに、公正な共同体生活を律することが結局できていないのだ、ということをわれわれは知り尽くしているのだ。


モラル欠如
国家行政においてわれわれが直面している問題の本質は、エリートたちの倫理道徳が低レベルだということだ。法律専門家は大勢いるが、かれらは正義追求者をたぶらかすためにその専門性を用いる。政治家は多いが、かれらはその地位を奉仕よりも搾取に用いがちだ。指導者層には恥の感覚がない。国会や地方議会で二年勤めたばかりで、その暮らしはもう多国籍企業の社長なみ。連帯や一体性が公職者たちの脳裏をよぎることはもはやない。政治家は二重スタンダードで政治を行い、マフィア行為のための道具としていつでも法律法令をキャンペーンする。逸脱行為を行った官吏は法的措置を受けるのでなく、搾取される。
行政官も同じことをする。発言の活発な政治家は収賄し、「贈与」の体裁で個人利益をかき集めようとして自分の地位を質入する。司法の分野も言わずもがな。事件は商品にされ、正義は売買される。民衆の思考論理は刑法典にある辞句で破壊される。金持ちは釈放され、貧者は投獄される。

国民協議会決議、法令、政令あるいはその他の、共同体生活を律するために作られたいかなる名称のものであれ、それはエンピリカルな生活の場の中に進展するあらゆる刺激に向けられた政治心理上の反応にすぎない。民族のエリートたちは問題に対して、行動ではなく規則で応えようとするのだ。労働ストには労働法が供され、イリアンジャヤやアチェが基本的人権を叫べば特別自治法が差し出される。富裕な州が独立を要求すると、自治に関する法令が提出される。それで一件落着。
事実としての問題が存在せず、追求もされなかったならば、あれほど多量の法規が出現することはなかったはずだ。なぜならヘドニズム的生活態度が、社会現象を包括的にとらえるための感受性を摩滅させてしまったのだから。思いやりや社会的連帯といったものが、エリート層の実践する政治二重スタンダードで剪定されてしまったのだから。今のエリートたちと民族の建設に努めた人たちの大きな違いはそこにある。

この共和国を建設した人たちは、遠い未来を見据えて国家経営基盤の公理を創出するビジョンを持った人々だった。今日いまだにわれわれが法の源泉としている1945年憲法を編成したのはかれらだ。今の政治家はエフェクター=リセプター式生物学的オーガニズムシステムに依存する一群の人々なのである。エフェクター=リセプター・システムとは想像力のある優れたマネージメントレベルを経ることなく生まれる無意識的反応であり、それは単なる情緒反応に過ぎない。
想像力の貧しいマネージメントは、表面的な刺激や外面的次元にしか触れることのできない問題ばかりを増やしていく。問題の本質が正しく追求されないために、そこで供される解決は根本的なテラピーにはならない。
情緒反応的表現、つまり想像力に乏しいマネージメントはあちこちに見られる。現在行われている国民協議会年次総会で繰り広げられている45年憲法第三次改訂の検討はその例のひとつだ。国家編成定義のためだけにしてもこの民族は、法治国としての国家編成か、あるいは民主主義的法治国としてのそれかという二者の間の概念統合を待たなければならない。法治と民主主義というふたつの観念が選択されるべき別のものとして置かれている。どうしてこのようになるのだろう?そんな公式化が重要なのは、いまや法と民主主義が国民の耳目を集めているせいだ。そのふたつの言葉が国民協議会議員に対する最も強い刺激となっているために、45年憲法再編成の中でそれらは欠かすことができないからなのである。

民主主義とはオペレーションレベルで動く権力システムのチョイスであることをわれわれは知っている。主権在民という公理は、その中に民主主義要素を含んでいる。民主主義の有無は、公的機能としてチェックアンドバランスを成り立たしうる国家機関の間の権力関係、権力ヒエラルキーにおける個人のビヘイビヤ、民衆と支配者の間の権利バランスなどを通して投影される。憲法を通して民主主義を命令することなど不可能だ。なぜなら結局のところ、きわめて主観的な主張を生むばかりだから。
エフェクター=リセプターの圧力で生まれた法的産物の多くは、未来へのビジョンも手がかりも持っていない。地方自治に関する1999年度第22号法令は、まだ一年もたっていないというのにもう修正されなければならない。放送法は法案として終わり、制定に漕ぎつけることができていない。


法規のジャングル
国民協議会決議やその他のいかなる名称の、かつまたいかなるレベルの法規であれ、それ自身の中に問題は含まれていない。法的な決まりとしてその法規ツールは、法的規定の中に統制されている当該エリアにおいて補完的関係を持っている個々の構成要素の権利を「保護し制限する」という内容を有している。法規の本質は、すべての人のために作られた規定に対して個々人が服従するよう強制して、社会を律することなのである。たとえば汚職に関する国民協議会決議の場合、一面では国の財産が盗まれないことを含む国民の権利を保護し、他面では盗人が本人の権利を超えた領域を侵さないよう制限している。
われわれはきわめて妥当な、KKNのない国政に関する国民協議会決議を持っている。いま与えられる必要があるものは公理の言い回しを変えた類似の決議ではなくて政治的行動なのである。行動とはつまり、正直、公正かつ専横でないありかたで行われるべきものだが、ある決定や規則がオペレーションレベルに導入されるのをサポートするのに大きい効果を持つ。

ブログ資金事件でアブドゥラフマン・ワヒド前大統領が国民協議会に解任されたなら、ほかの誰が逸脱行為を敢えて行うだろうか。疑問は、国会と国民協議会が自ら公式化した法規に基づいて、汚職撲滅の中で公正な措置が取れるのかということだ。名誉ある議員たちがイエスと答えたとしても、国会・国民協議会議員層の中に汚職容疑者がいるために、インドネシア人はだれひとりそれを信じようとはしない。
問題はそれであり、それゆえに代議士先生方が新決議を論議するのに188億ルピア使ったり、ひとつの法令のために数億の予算を使い果たすとき、人々は依然として悲観的な態度を取る。ましてやあれほど巨額の予算を使う議会が、議員自身の行う暴力事件で始まるにおよんでは、まったく誉められない姿ではあるまいか。
ソース : 2001年11月13日付けコンパス
ライター: John Lake  Womintra出版部門担当員、クパン在住


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『インドネシアの事業家は甘えん坊』

このタイトルはメガワティ・スカルノプトリ大統領が先週述べた鋭い批判だ。大統領はインドネシア人事業家たちがマーケットをよりごのみする傾向にあるという文脈の中でそう語った。
インドネシア人事業家は既存のマーケットを利用するばかりで新しいマーケットを切り開くことをせず、面倒を厭い、利益がすぐに得られることを望む傾向にあるというのが一般的な見方だ。
その表明はスピーチ原稿の中にあったのでなく、口をついて出されたものであったため、大統領の赤裸な心からの正直でありのままの響きを持っていた。大統領は全国パームオイル事業家連合総会のオープニングでそれを語った。

およそ10年前、経済評論家たちもインドネシアの事業家に対して厳しさの劣らない批判を投げかけたことがある。そのときの批判の中心テーマは、大型事業家に向けられた「インドネシアの事業家は内弁慶」。
このようにインドネシアの事業家が決り文句として身にまとわねばならないのは、資本も(ほとんど)なしに事業をはじめ、すぐに得をしたがり、面倒はいやで、輸出よりは国内市場に頼りたい個人やグループがかれらなのだという形容句であり、日本、韓国、中国あるいはマレーシアですら、インドネシア人事業家のパートナーに意見を求めると、インドネシアの事業家は甘えん坊と呼ぶにふさわしい、という言葉が返ってくる。近隣諸国の事業家が示すマーケット開拓パワーは実際、サムズアップにふさわしい。かれらはアメリカやEUのような従来からのマーケットに加えて、中東、東欧、アフリカ、オーストラリア、中南米市場まで短期間のうちに開拓した。

しかしメガワティ大統領も自分の任期中あるいはそれ以前の時代のファイルをもう一度開いて、隣国政府が自国事業家の事業拡大をサポートしたように、インドネシア行政者があれほど利巧でスピーディな行動をとったかどうかを調べるのもよいことだ。
新市場開拓にあたって日本政府は、税制上のインセンティブと技術援助を通して、自国事業家がそれら新マーケットの壁を乗り越えられるようにと大きい役割を果たした。韓国、中国、マレーシアの政府も同じだ。
かれらはみな、官民が肩を組み合ってそれを行い、新マーケットにおける勝者として自国の利益を享受した。数ヶ月前、アブドゥル・アフマド・バダウィ、マレーシア副首相がジャカルタを訪問した際、マレーシア政府はインドネシアの(あるいは他の国でも)資産購入を希望するマレーシア事業家の努力を全面的にバックアップすると明言し、必要であれば政府は資金ファシリティあるいは他の税金インセンティブを考慮するとまで述べている。

インドネシア政府の場合、起こっているのはちょうどその反対だ。たとえば外国への通商使節派遣の際、政府担当官は管下の事業家から出張手当をもらわなければならない。ところが事業家のほうは、そんな特殊なリクエストとは別に、公的な納税以外にRTやRWから果ては政党に至るまでの、そして事業所近辺に住むごろつきに対してのさまざまな非公的徴収金を負担させられている。それらの全部を計算してみれば、インドネシア事業家が生産コストのほかに負担しなければならない費用は膨大なものになる。
もうこうなってしまえば、事業家もビジネスを行うのに比較的安全な市場ルートにしがみつくようになるだけ。つまり製品をもう飽和状態かもしれない既存のマーケットに出していくだけなのだ。大事なのは事業が回っていることであり、外国へのリロケーションなどということにならないだけで万万歳。
だからインドネシア事業家の甘えん坊根性や泣き虫根性を克服させる鍵は、たんに表明を出すだけでなく、明確な行動が伴っていることなのである。事業環境が改善を見せない現状では、この国は甘えん坊事業家だらけになるどころか、怒れる事業家で満ち溢れることになりかねない。
ソース : 2002年12月23日付けビジネスインドネシア
ライター: 社説


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『交通事故死亡者は一日30人』

南ジャカルタ市のプルマタヒジャゥ交差点は、いまや死を呼ぶ地点だ。クバヨランラマ〜ポンドッインダからパルメラ〜スリピに向かって青信号を走り抜ける車は油断と不運が重なると、パタルスナヤン〜シンプルッ方向から線路を横切ってプルマタヒジャゥ通りへ進む車と衝突しかねない。ところがパタルスナヤン通りからプルマタヒジャゥ通りへの通行は禁止されているのだ。

昨日はオートバイがセダンと衝突した。以前からもう何回も事故が起こっているというのに、違反はとどまるところを知らない。ふだんその交差点へ行くと、事故のあとを示すガラスの破片が散乱しているのを目にすることができる。
オジェッ引きから最新型高級車まで、違反者たちは、その交差点からわずか2百メートルほどしか離れていないシンプルッまで行って回ってくるのが面倒なのだ。だからかれらは禁止標識が並んでいる場所を、法規を破り、死を招くほど危険であろうとも、横切るのである。朝、昼、夜、と絶え間なく続く違反はじつに災難。遵法意識のある住民はそのエリアを警官が監視するよう望んでいるが、ほかの住民たちはそれに対して悲観的で、それどころか悪徳交通警官たちの新たな不法徴収金稼ぎの場所にされるのがおちだ、と考えている。
どうであれ、プルマタヒジャゥ交差点のありさまは、腐敗し、近道を好み、法規を犯す文化が世の中を、すくなくとも交通標識を守らない運転者たちを覆っていることを示している。

路上は独特な市民の屠殺場であることを、ジャカルタを含む全国における交通事故の数が示しているのも不思議はない。国家警察交通局統制捜査副局のデータは、1995年から1999年までの5年間で、インドネシアでの交通事故死亡者数が55,899人、重傷者が45,253人と告げている。「一日当たりに直せば死亡者は30人、重傷者は24人になる。」7月に交通安全セミナーで統制捜査副局長タタン・スガンディ上級警視はそう語った。
人的要因が交通事故の最大原因だ。別のデータでは、交通事故原因の85%が人的要因で、道路インフラ要因は7%、自動車要因5%、自然環境要因3%となっている。交通事故は一般に、運転者の乱暴な運転、感情的になる、故意にハイスピードで走る、酒気帯び、技術能力不足などの結果として発生している。


交通警察の無関心や法規を尊重しない社会傾向が支離滅裂な交通の原因となっている。しかし交通警察だけを悪者にはできない。社会が法に対して怠慢であるときに、一方的に警察の措置ばかりを要求するようなことで、どうやって遵法が形成され得るだろうか。それはおかしい。

「規律レベルの低さは、市民が交通ルール違反の生み出す危険を認識していないところからくる。」と昨日、南ジャカルタ市スナヤン地区でインタビューした匿名希望の警官は言う。交通警察のいまの最優先任務は円滑な交通フローの確保であり、違反者を処罰することではない。だから警官が違反切符を切って罰を課する場合でも、違反者はまず説諭を受ける。警官は説諭を与えるさいに、共感的アプローチに努めている。その警官はそう語る。
スナヤン第一ゲートやスディルマン通りで目にするのは、何人もの交通警官が出張っているのに、ヘルメットを着用しないで往来するたくさんのオートバイ運転者やオジェッ引きに対して何をしようともしないこと。おまけにしばしば、四輪車専用の高速車線を、交通警官自身が自家用ナンバーをつけたオートバイで突っ走っている。
「オートバイ運転者のヘルメット着用忌避や交通標識違反は最近、目に余るものがある。しかし交通信号違反は少ない。信号を守ろうとする市民の意識は高まっている。」職歴15年だと言うその匿名希望警官はそう語る。

首都の交通フロー確保に、首都警察緊急対応ユニット二個小隊が毎日、出勤時間帯(06:00から14:00まで)と退勤時間帯(16:00から22:00まで)に出動している。高官職者や国賓には特別ルート警護が与えられている。退勤時間帯の違反は増える一方だが、警察が第一に配慮しているのは、交通の流れが停滞しないこと。
警察の交通違反に対する寛容さは、道路利用者が継続して違反するのに悪用されているようだ。タクシー運転手のスペンディは、頻繁に標識を無視して道路を横切るよう乗客のほうが要求する、と話す。乗客が運転手に違反を命じるのは、警官は何もしないだろうとかれらの大半がそう読んでいるからだ。「一般市民なら拒みもできるが、不良警官や不良軍人が違反するよう命じるのも稀じゃない。あるとき、乗客の不良警官がブディクムリアアンからホテルインドネシア前ロータリーをタムリン通りに右折するよう命じた。でもそこは17時まで右折禁止。案の定、緊急対応ユニットに車を停められて説諭された。今じゃ、もし乗客が違反を命じたら、罰金を払ってくれるなら、と返事するようにしてる。」というスペンディの談。
おや、それじゃあ、罰金さえ払えるなら、法を犯しても良いということになるじゃないか?
ソース : 2000年9月20日付けコンパス


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『乱脈な交通に映し出された法の麻痺』

法が麻痺した姿はジャカルタの路上で簡単に見ることができる。用意されてある歩道橋など無視して、ところかまわず道路を横断する歩行者。乗客を道路の真中で乗降させる運転手。道路利用者はだれもが割り込みをするので、道路は大混雑。

おんぼろ荷車から完成品輸入高級車まで、いろいろな自家用車や公共輸送機関も、列車が通過する直前の踏み切りや赤信号を突っ切っていく。オートバイ運転者も同乗者も、ヘルメットなどかぶらずに街中を往来する。カキリマ商人は歩道や緑地、歩道橋の上などで店開き。だれもが決まりなどどこ吹く風、と突き進む。
「われわれの遵法文化は麻痺してしまった。文化という角度から見れば、社会に法はない。いつも規則が破られるが、それを違反と見るひとはもういない。」都市社会から秩序が崩壊してしまった状況を、イフダル・カシム社会擁護研究院専務理事はそうコメントする。
国と社会との間の合意であるべき法による統制は、かれによればもはや非人格的になっている。つまりひとびとは、制定された法規に縛られないと感じているのだ。これまで法規は常に政府が作り出してきたものだから、法的産物に対する疎外プロセスが起こっている。

オルバ政権の32年間が作り上げた法文化がそれだ。法規の編成という点で政府は、法は社会を統制するためのものという政治的決定を下す。社会はそこに関与せず、その編成から疎外される。こうして社会は、それに従う必要はなく、それに縛られてもいないと感じるのだ。
法の編成それ自体の問題とは別に、法文化もきわめてパトロニズム的だ。その意味はつまり、決まりを守るさいにひとびとは、上位者、有力者、権力者が示す行動や態度をまねるということであり、かれらの行動や態度が社会に浸透していくのである。

法を破り、合意された決まりにバイパス行動を取るふるまいは、権力者、行政機構、法執行者たち自身の行動と無縁でない。たとえばこんな事件。国家警察本部の高級将校が赤信号無視という交通違反を犯して違反切符を切られたが、刑罰を受けるのを拒んだ。それどころかその高級将校は、自分を捕らえた警官を叱りつけ、警官の身分証を持ち去った。ほかにも、いつも法の網をすり抜ける大型汚職者のケース。それらのすべてを世間は知っている。そのような法的アンタッチャブルは世間が見ており、そして社会の中に内在化していく。


もはやきちがい沙汰の交通秩序不在や標識無視が交通事故多発の源泉だ。Kラシッ陸運協会首都支部指導部副事務局長は、道路利用者が遵法精神に欠けていることが交通事故の最大要因だと言う。「交通標識無視が道路利用者本人と他の通行者の安全を脅かすために事故が起こる。」6月に開かれた交通安全に関するセミナーでかれはそう述べている。

国家警察のデータでは、1999年の交通違反は1,077,747件。違反の種類から見れば、もっとも多いのは、運転免許証を持っていなかったり、STNKを携帯していないといった書類携帯義務違反の376,143件で、二番目に交通標識違反の247,882件が来る。
都内バスの事故に関するデータでは、乗客を死亡させた事故9件のうち7件が、運転手の乱暴な運転とスピード違反を原因としている。飛ばしたら、運転手は必ず最高速度の標識に違反することになる。過去最大の事故は1994年3月5日にメトロミニがスンテル川に突っ込んで33人の生命を奪った事件。

じっさい、公道における法的基盤は、交通と陸運に関する1992年度第14号法令で整備されている。だがその法令も、社会の交通規範になりえていないことが実証済みだ。交通標識違反者に最高1ヶ月の禁固刑もしくは罰金百万ルピアと規定しているその法令の第61条はまるで張子のトラ。
ジャカルタ法律援護機関オペレーション担当理事長のダニエル・パンジャイタンも以前から、ジャカルタをはじめとする諸都市における交通規則や標識への違反は、国の政治社会コンテキストと切り離せない現象だという意見を持っている。「市民が交通規則を無視するのは、国の高官たちが法執行面で手本を示さないことに関係がある。道路利用者は悪い。しかしかれらに強い影響を与える外部要因があるんだ。」
大多数の市民も、経済的合理性を理由に、いともかんたんに法規に対するバイパス行動を行う。それどころか、指導者や法執行者たちが示す法律違反というお手本の結果、市民はいまや挑戦的ですらある。お手本にふさわしくない指導者たちの行為の結果、市民は「オレの勝手」つまり自分さえ良ければいい、という行動を取り勝ちだ。

法執行の役割を担う側として警察や行政職員がいる。文民高官や軍人が路上で特別扱いを受けているという実態をなくすべきときがきている。たとえばスマンギ立体交差点でスディルマン通りへ下る左折路を閉鎖し、一般車両をブロックしているときに、文民高官や高級軍人だけそこを通してやるようなことだ。一般人にはヒルトンホテルに駐車料金を払ってそこを通り抜けるように強いているというのに。
「警官は法執行云々の前に、社会の中で己の身を清潔にしなければならない。」とダニエルは言う。路上で収賄をしようとする警官、あるいは故意に金を出させるようにしむける(つまり不法徴収金)警官、そんな警官が多ければ、交通秩序が築かれていくことなど期待のしようもない。賄賂反対とは別に、法執行者や行政職員も正しい交通の手本を示さなければならない。
「交通規律の習慣付けは、一瞬にしてできるものではない。長い時間をかける必要があり、手本ができあがれば、市民は徐々に従うようになる。」とかれはコメントする。

しかし汚職から爆弾テロに至る他分野での法執行がまだまだ不満足である間、道路交通が秩序立ち、標識を厳守する通行が行われるとは期待できない。道路交通の乱脈さはインドネシアの法的無秩序を反映する鏡なのだ。
ソース : 2000年9月20日付けコンパス


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『High Rank, Low EQ ?』

役職に就き、高い学歴タイトルを持つ人間がみんな高いEQを持っているわけではない。EQ(Emotional Quotient)は時にEmotional Intelligence、Social Intelligenceあるいは感情的賢さなどとも呼ばれる。
EQとは、人が快い状況やつらい状況に直面したときに自分の感情をコントロールする能力のことであり、スハルト元大統領やアクバル・タンジュンは高いEQを持ち、コミュニケーションの中で感情をコントロールするのに長けた人の例である。国会と最高検察庁が最近行なった会議の中で衝突が起こったというニュース(訳注:最高検察庁長官を『盗人村の宗教師』と揶揄した事件のこと)を読んだわたしの脳裏に、公的舞台での高官や政治家のビヘイビヤをEQで分析するというダニエル・ゴールマンの理論が思い出された。長期にわたるリサーチからゴールマンは、実業界でも社交界でも、ひとが成功するさいの主要ファクターは知的能力ではない、と結論付けた。かれによれば、頭がよくて、キャンパスでいつもクラスのスターになっていた学生の多くは、ビジネス界に入ったあと、ギリギリの成績だった同級生の部下になっている、というのだ。

ならば人生における成功の鍵は何なのだろうか?それは感情に関わる賢さ、つまり人間性に関する諸相によって大きく左右される、とゴールマンは言う。その中には四つの基本要素が包含されている。まず自己の持つ潜在性を覚り、動機付けを行なう能力。次に他者に対して強く感情移入ができること。三つ目に、自分への脅威を感じることなく、部下の成功を喜び、更には部下を成功に向けて押し上げてやること。最後に、明快であること、つまり他人の感情を損ねることなく、自分の考えや感情をありのまま、素朴に、明白に伝えることに巧みであること。
リーダーが高いEQを持っているかどうかを計るのに、アカデミックなタイトルやランクを用いてはいけない。普段その人と接している運転手、警備員、家庭内使用人、部下、家族、友人たちに尋ねるのだ。中でも怒りを爆発させるような状況のときに、そのリーダーのビヘイビヤはどうだったのか、そこからそのリーダーのイメージが映し出されてくる。ある人のEQがどれほど高いかは、危機的状況、自分に不利な状況、あるいは脅威にさらされたとき、容易に目にすることができる。
その規準をもとに見渡せば、宗教知識を修めることを含めて高いアカデミックランクを肩書きにしていても、EQの低い高位高官がたくさんいるものだ、という印象をわれわれは受ける。かれらの特徴はまず、話をするさいに他人を傷つけたり悪者にする傾向が顕著なため、問題となっている事柄が個人的エゴのぶつかりあいのかなたに押しやられることであり、それによって問題は解決に向かうどころか、更に紛糾する。二つ目は、リーダーが高い評価を与えてくれないために、良い業績をあげることに関する部下のモチベーションが低いこと。EQの高いリーダーは自分自身の動機付けができる上に、周囲の人間、特に部下と強く共鳴する。行政機関や国有事業体で訓練を行なったわたしの経験からは、部下にモチベーションを与えることのできるリーダーは稀にしかいないという事実に突き当たる。リーダーはたいてい部下の不平不満のターゲットになっているため、部下の潜在性や献身度が会社を発展させることに最適化されない。


われらがハイランク高官の中に低EQ者が混じっていることは、生産性が低く、おまけに公費水漏れが多大に上っていることからも納得される。年度末になると、業績がマイナスであっても、どのようにして予算を使い果たし、会計報告を見栄えの良いものにするかが重要アジェンダの座に就く。ジャカルタの官界と実業界の腐敗がきわめて酷い状況に至っているのはトランスペアレンシーインターナショナルインドネシアの調査結果で裏付けられている。人は仕事の成果を追及することにドライブをかけられているのでなく、決定権を持つ人間の周囲にいる人々と関係を持ち、かれらにサービスすることで忙しく、またそれで頭を痛くしている。
キャンパスにいたとき理想主義者的印象を与えていた学生たちは、卒業して官僚になるや、そんな状況に流されていく。だから卒業式に先立って、学士の卵たちへのオリエンテーション週間を設けることを考慮する必要があるだろう。卒業したらかられは、地雷に満ちた新しい世界、腐敗と虚偽のウイルスに汚染された社会や職業環境に入るのだということを、正確なデータと警告をそろえてかれらに与えるのがその内容だ。名誉ある人生、技能と良心の声に導かれてキャリヤを追求するためのコミットメントを学生たちが持つように、警告と倫理的な責任をかれらに与える母校の最後の務めがそれだ。


達成感や充足感は少なくとも三つの賢さ、つまりIQ、EQ、SQが合わさったときに得られるものだ、と心理学者は言う。IQは知的・技術的問題に直面したときの技能に関わっている。IQを伸ばすことがわれわれの教育の中でおろそかにされれば、インドネシアはグローバル社会での科学技術分野の競争が困難になる。インドネシアの科学教育がどれほど遅れているか、われわれは痛切に感じているのだ。政府も、優秀な生徒をふるいにかけて有能な科学者に育て上げることに便宜を図ろうとはほとんどしていない。
高いEQは、ファミリー、オフィス、ビジネスあるいは共同体の中で社会的な関係を築くことを助ける。マネージャーにとってハイEQは絶対条件だ。またまたとても残念なことに、われわれの教育は学生生徒のEQ開発をアシストするコンセプトに欠けている。人間間での違いを理解し、それを受け入れる、ということに感情的成熟が要求されるため、EQ養成訓練は対話的民主的協同的環境を醸成するのにきわめて有効だ。多種族・多宗教・多様文化は、もし対話文化と感情移入姿勢の生育が伴われなければ、潜在的コンフリクトの源泉となるのである。
自分の生きる目的、モチベーション、自己の意義などに関わっているSQ(Spiritual Quotient)も重要さは劣らない。IQが知的技術的解決をもたらす働きをするなら、EQは社会交際を築く地ならしをし、SQは人生の意義・目的・哲学が何なのかを個々人に問わせるものだ。"SQ, The Ultimate Intelligence"の著者、ダナ・ゾハーとイアン・マーシャルは、精神的な深化が伴われない場合、その者のIQとEQは決して人生の平穏と幸福をもたらさないだろう、と言う。ここ10年間、西洋の心理学やマネージメント専門家諸氏は、用心深く発言を抑えている印象を受けるものの、人間のキャリヤにおける精神的な相がどれほど肝要であるかということの認識を広げつつあるようだ。とりわけ目を引くのは、「7つの習慣」なる世界級マネージメント理論でアイコンと化していたスティーブン・R・コヴィーが「第8の習慣」を発表したこと以上にはない。SQに由来しないIQとEQはエネルギーを失い、道をそれてしまう、という結論にコヴィーは達したらしい。

大臣や官僚になる人のほとんど全部が高い学歴のバックグラウンドを持っているというのに、経済的にとても豊かなインドネシア民族が貧困と腐敗の巣窟として名をなしているいま、知性に対する信用危機がますます強まっている。知性と高学歴が平和で倫理的な社会に導くという仮説は、ドナルド・B・ケインが「思考の限界〜人間の行為と合理性」と題する今話題の書の中で反論している。教育がもっとも進歩していると言われ、世界級の思想家をたくさん輩出したドイツ民族が、どうしてあれほど残酷な行為をなしえたのか?同じ問いは、イギリス・アメリカ・イスラエルにも向けることができる。


EQの問題に戻ろう。この理論は限定された集団内におけるリーダーの行動やスタイルを計るには有効だが、社会や政治の領域では、EQ理論で十分分析しきれない変数が多すぎる。
ただ、ひとつだけ確かなことは、われわれはIQ・EQ・SQ面で優れた人々によってこの国が経営されることを望んでいるということだ。つまり学歴豊かで、社会コミュニケーションの中で共感的であり、国民を鼓舞し動機付け、生きることの指針としての精神的価値に対する強いコミットメントを持つ人々によって。もしその三要素が満たせないのなら、その座から降りてもらう方が良い。さもなければ、われらが民族は自分自身のリーダーのビヘイビヤによってますます破滅に向かうばかりだろうから。
ソース : 2005年2月23日付けコンパス
ライター: Komaruddin Hidayat、ジャカルタ国立イスラム大学博士課程主事、マダニアスクール指導官


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『マリン』

インドネシア語でマリン(maling)は『他人の所有物を取る人』を意味している。そのような人はインドネシア語でプンチュリ(pencuri)とも呼ばれる。マリンという語はジャワ語源だ。ジャワ種族の言語文化の中で、マリンという語は20以上の意味を持っている。ただその本質はすべて、「自分の所有でない物を取る」ことに一貫している。違いが生じるのは、マリン行為自体のプロセスにおける差異にあり、その者は本当はマリンなのだが、プンチュリとは見られない。そのプロセスというのは、マリン行為以前に始まり、マリン行為そのものの内にあり、そしてその行為のあとにも存在しているというものであり、そしてまた、マリン行為の対象によっても違いがある。ジャワ文化の中にあるマリンの豊かさに目を向けてみよう。

もし誰かから借り物をしてそれを返すのを忘れたら、あなたは既にマリンのカテゴリーに入っている。あるいは借り物をして、その物を壊れた状態で返せば、やはりマリンなのだ。その名もmaling arepと言う。もしあなたが借り物のコレクションを好むなら、その借り物が個人所有物でも公共の物であっても、ひとがあなたを大マリンと呼ぶのに驚いてはいけない。国有物コレクションがあなたの家に少しだけあるというのなら、小マリンと呼んでいいかもしれない。
マリン行為で手に入れた品物を蓄えたり、マリンされた品物を売ろうとする人は、maling caluwedと呼ばれる。現代法律用語では故買人だ。このカテゴリーには、高官の取り分を着服する者、会社や組織の取り分を横領する者も含まれる。このマリンにはmaling raja peniという名が付けられている。1兆の税を徴収したにもかかわらず、5千億しか納めないなら、あなたは「王の麗品盗人」つまりマリンラジャペニという尊称を受けることになる。
maling kebunanつまり露濡れマリンというのは、マリンを行う意図を持つ者がそれを実行する前に見つかってしまうこと。たとえば貴金属店で装身具をちょろまかそうとしていたらそれを見破られ、その品物の値引き交渉をするふりをしてごまかすというようなことだ。このカテゴリーには、患者から金を搾り取ることしか能がないのに治療できるふりをする偽ドゥクンとか、劣悪な品質の品物を高額高品質の物として売りつけようとする者なども含まれる。かれらはそこでは既にマリンなのである。
建築作業者向けはこれだ。建築作業者が毎日勤勉に何か建築資材を家に持ち帰り、あるいは第三者に建築現場の資材を売り払うなら、かれはmaling timpuhと呼ばれる。それは多分、小マリンに過ぎないのだろう。しかしあっちやこっちでつまみ食いしたあげく、豪邸を建てることができるなら、大マリンティンプと呼ばれるのがふさわしい。
人に知られたマリンが所有する家に住めば、住む人もマリンと呼ばれる羽目に陥るだろう。それがmaling tunggal labetなのだ。そのこころは、現代に置き換えてみれば、たとえば著名腐敗機関の職員に採用された者は、自分がまったく汚職行為に手を染めていなくとも、マリントゥンガルラブッと呼ばれることを覚悟しなければならない、ということなのだ。
maling sakutuとは、マリン連合。あなた自身は直接マリン行為を働かないにせよ、安全なマリンテクニックを指導したり、どうやれば当局の追及を免れてうまくマリンをなしおおせるか、を教えたりする脱税や汚職コンサルタントなら、このマリンカテゴリーに入ること疑いなし。
新聞紙上でわれわれがもっとも頻繁に目にするのがmaling sadu、つまり敬虔なる者、聖なる者、たとえば貧困から他人をすくいあげてやる社会活動家のようなふりをするマリンだ。かれらは、貧困のゆえに、または問題を抱え、あるいは虐げられて難渋しているひとびとへの憐憫に打たれた風をする。そんなかっこうの敬虔なるマリンサドゥがやってきて、苦難の中にいる人々を解放しようと援助を申し出るが、助けるどころか、とどのつまりは助けられるべき者から搾り取る。その例をここに挙げる気はないが、そんなマリンサドゥは毎日、われわれの周囲を徘徊している。
路上でもどこでも、財布や品物が落ちているのを目にしたら、気をつけた方が良い。その発見を当局に届け出ないと、maling samunと呼ばれるかもしれないのだ。要するに、その所有者がついうっかりと忘れ残したような他人の所有物があることを届け出るのを怠れば、マリンサムンと呼ばれることになる。ジャワ人でいるのも、実にたいへんなことだ。
昔、ジャワの田舎にまだ電灯がなかったころ、夜の外出にはいつも灯火を持ち運んだ。もしわざと灯火を持たないで夜の外出をすると、maling lamatと呼ばれて制裁を受けた。灯火を持たない人間はマリンと呼ばれて当然なのだ。現代のマリンラマッはもちろん、灯火を持つ必要などないが、暗がりを楽しむ者はマリンラマッと非難される。十分に気をつけることだ。
ジャワ語で少々奇妙なのが、maling ngumpet wedi silit。このマリンは他人をマリンと非難するマリンなのだ。ところが、かれがマリンと呼んだ他人が本当にマリンであることを証言しろと言うと、かれはそれを避ける。この種のマリンは、他人がマリンであることを熱心に喧伝するが、それは口だけで、法廷の証言席に立つ度胸すらない。
マリンであることを立証しにくいマリンのカテゴリーは、まだいくつかある。かれらはマリン専門家で、マリン大先生で、プロのマリンなのだ。世間はかれが大物マリンであることを知っているが、それを立証するのがきわめて難しい。ジャワ人はそんなマリンを、maling sandi, maling totos, maling gunaなどと命名している。
家屋内に侵入して寝ているその家の女性を犯すマリンをmaling rarasと呼ぶ。不倫を好む者は、他人の所有する女を盗むということから、maling dendengと呼ばれる。このカテゴリーのマリンは、男にしか当てはまらないのがはっきりしている。ところが、ほかの女の夫を盗むマリンに該当する呼称はない。一般的に見て、その種のマリン行為をするのが男だけなのではないだろうか。ジャワ文化における男の苦労は実に重いものだ。

盗みはもちろんネガティブなものであり、人間がそれを嫌うのは普遍的だ。つまり自分に所有権のない物を持ってはならないのである。もっと突っ込んで問うなら、あなたが所長にすえられたからといって、その事務所はあなたの所有物になったのだろうか?管轄地区は、そしてこの国は、あなたの所有物なのだろうか?
この国が、この州が、この県が、この村が自分の物であり、だから自分の好きなように扱ってよいのだ。そう思っている高官や権力者は少なくない。「わたしをマリンと呼ぶのは、実に失礼だぞ!」
この品物は、この資産は、この現金は、国のもの、省庁や所属機関のものだ、と『良心』を示す者もいる。「だから他人にかっさらわれる前に自分が取り尽くしておこう。」もしあなたが抱いている所有権のコンセプトがそんなものであるなら、あなたが何をしようとマリンのカテゴリーに当てはまるものはひとつとしてないにちがいない。
ソース : 2004年12月11日付けコンパス
ライター: Jakob Sumardjo 文化人


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『盗人村』

ジョクジャカルタ市北西のムラピ山稜にユニークな村があったと言う。オランダ植民地時代以来、その村は常に官憲にマークされていたそうだ。ユニークという意味は、農業、商業あるいは職人などといった仕事は副業にすぎず、村の男たちの本業は、12歳の子供から老爺まで全員が、盗みだったこと。

かれらは家で夜を過ごすことがなく、毎夜ふもとの村々やジョクジャの街まで降りては、熟睡している住人をしりめに、家屋に忍び込んで金目のものを運び出すという技をふるった。その村の住民が行う盗人稼業は世代から世代へと子々孫々伝えられてきたが、それがいつに始まったことなのかは誰も知らない。
そんなありさまだから、植民地時代から1950年代ごろまで、ジョクジャ、クラテン、マグラン、ソロなどで大きな盗みが起こると、警官が必ずその村へやってきた。村民たちはいつも口を閉ざして、警察に協力しようとはしなかった。ほとんど全員が入獄経験を持つ村民たちには、ある種の連帯感があったからだ。しかし警察は自力で犯人を見つけ出したが、それは警察の優秀さのたまものだった。

故R・サイッ・スカント初代国家警察長官は、1950年代に南ジャカルタのクバヨランバルで行われた結婚式の場でその実話を物語り、その村を盗人村と呼んだ。最近になって、その初代国警長官の親族に連なるある実業家は、「1960年代の首都ジャカルタを、住民の振る舞いや街の乱雑さから、外国人たちは巨大なカンプンと呼んだ。」と物語って聞かせた。インドネシアが汚職で世界のビッグフォーのひとつだといまだに呼ばれていることに関連してかれは、「そのうちインドネシアは異常な規模の盗人村と外国人から呼ばれるのではないか?」と発言した。十数人の集まりであるリラックスしたサロンで投げかけられたその問題提起に、出席者のひとりは反論した。インドネシア人のすべてが泥棒と呼ばれるのは正しくない、と。するとその実業家は笑いながら答えた。「ムラピ山稜のその村だって、全員が盗人だったわけではない。妻たちや娘たちは泥棒をしなかったんだよ。」

反論した出席者の気持ちはよくわかる。これまでインドネシアは、社交的で寛容でにこやかな国民であることを誇りにしてきた。正直さとか法を守るなどという言葉を出さなくとも、社交的とか寛容、あるいはにこやかなどの言葉の中に正直等々のニュアンスが含まれており、そのように印象を与えるものでもある。毎年繰り返される、インドネシアが世界最大汚職国のひとつだというサーベイ結果は、インドネシアの評判を打ち壊そうとする行為であり、嘘であると考え、多くのインドネシア人は心を傷つけられ、その言葉を受け入れることができないできた。そのサーベイ結果を寛容と恥の心で受け留めようとするインドネシア人は少ない。
そしてわれわれの思いは、あと三年だけしが業務を続けられない銀行界改正庁の管理下にある数百兆ルピアの資産がどうなるのか、という問題に導かれる。もしインドネシアが巨大な盗人村だということが本当なら、泥棒たちのどまんなかに置かれた垂涎の山なす資産はいったいどうなるのだろうか?

われわれが知りたいのは、本来あるべきように使われるという意味であれらの資産は「安全」かということだ。経済回復や金融セクターの健全化を促進している政府の損失を減らすために、あれらの資産売却資金は使われるのだろうか?それともムラピ山稜の盗人村住民さながらに、一部資産は本来そうあるべきように売却されるものの、残りは泥棒がくすねるのを当然視するということなのだろうか?
ソース : 2001年7月8日付けコンパス


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『インドネシア風緩慢な死』

この篤信の国では、爆弾に引き裂かれて人が死ぬのはもはや珍しいことではない。突然首をはねられて頭が転がり落ちるのも稀なことではない。だからインドネシアがテロリストの巣窟だと思われていることに気を悪くしてはいけない。種族間あるいはグループ間での喧嘩出入りも頻繁に行われ、そこでも人命が失われている。
だから突然死に関してインドネシアはその本場だと言える。つまりあるとき、それまでピンピンしていた友人やファミリーのひとりや、あるいはあなた自身が、爆弾の破片や人権活動家ムニルのケースみたいに砒素のような毒物のために突然死んだと知らされても不思議に思うことはないのだ。そしてまた、あなたの娘さんが見も知らぬ人間に首をはねられて突然死んだとしても。そのような突然の死はインドネシアで決して珍しいものではない。
ところが、世界一優しくて宗教の勤めをよく行うと自称する民族が、時間をかけて人殺しを行う能力さえ持っていたのである。こちらの殺人は爆弾やその他の殺人兵器を用いるテロリストのやり方とまるで正反対のものだ。インドネシア風緩慢な死は遠い昔から行われてきており、その間何がなされるということもなく放置され続けてきたのである。ここしばらく前からマスメディアは、世の中で広範に消費されている、フォルマリン・ボラックス・衣料品用染色剤などの毒性成分を含んでいることが明らかにされたいくつかの食品に関して、鳴り物入りで報道している。毒性素材を使った日常食品に関するニュースは、実のところ20年程前に騒がれたことがある。20年前にそんなニュースが登場したということは、それら毒性素材がそれ以上の長期間に渡って延々と国民の腹の中に納められてきたことを確実視させるものだ。
豆腐・バソと呼ばれる肉団子・生麺・魚の干物・鮮魚・鶏肉・野菜などは社会のすべての階層に渡って大量に消費されている食品だ。それらのすべてが毒素に汚染されていたということはとんだ災難にちがいない。ところが関係当局は何の措置も取っていなかった。消費者が苦痛に叫び、傷ついた顔を鮮血で染めるといった姿をみんなの目にさらすことがなかったからにちがいない。つまりこの民族の構成員は長期に渡って毒を食べ、緩慢に死んでいくのを長い間放置されてきたのだ。長い間それらの食品を食べてきた多くのひとたちは、自分は健康だと思っているのではあるまいか。その感覚は間違っていない。なぜならフォルマリンは、高濃度のものを大量に摂取しないかぎり、ひとを短時間で死亡せしめることはないのだから。そこが砒素のような毒物とちがうところだ。ところがこの死体保存剤が体内に入って蓄積され続ければ、多くの器官に障害を発生させることになる。その影響のひとつが肺ガンや喉頭ガンだ。ただしここでその毒性素材に関する健康面からの詳細な分析を行う意図はわたしにない。わたしはそれら毒性素材との関連におけるわが民族のビヘイビヤに焦点を当てることに興味引かれている。

「だれが怖れるものか!」
フォルマリンを含んでいることが明らかにされた豆腐の販売者はテレビ記者の質問に答えて、その豆腐の販売をやめる気はないと語った。その理由は、かれがすでに人を雇っているからというものだ。別の販売者もその販売をやめないと語った。その理由はかれが就ける職業がほかにないからだ。一方、フォルマリンを含んでいることがわかった食品をいつも食べていた市民のひとりは今後もそれを食べると愚直そうに語った。生死は神の手の中にある、というのがかれの素朴な理由だった。互いに対立する両者、つまり毒性食品を売る者と健康を犯されている消費者、が語った返答はなんと同じニュアンスを持っていたのである。双方共に「われ関せず」あるいは最近のはやり言葉で言えば「だれが怖れるものか!」。
まるで挑戦的な販売者の言葉は、法規に対して関心を払わないわが民族の大多数構成員のビヘイビヤを代表するものにちがいない。欲望を押し付けるために暴力を伴う大衆動員が頻繁に発生しているが、明らかにそれは法に違反するものだ。たとえば、他人の土地に入って居住している者がその場所を明渡すよう求められると、かれらは挑戦的になり、武器を手にして威嚇する。有害食品は多くの場所で容易に見つけることができるというのに、当局がそれら毒性物質を含んだ食品を没収したり店舗を強制閉鎖させたりしようとしないのは、そんな現象がバックアップしているからかもしれない。
一方消費者の言葉は、わが民族の大半が抱いている愚かさと無力さを代表しているように見える。消費者としての認識が足りないせいで騙されている民衆の例は数知れない。被害を蒙った後、かれらは嘆きもするが結局なるがままに任せてしまう。法に則って告発しようとは考えない。そうしようと思ったところで、何百万回も思い惑うにちがいない。なぜならそれは闇法律ビジネスのジャングルに陥ることを意味しているのだから。フォルマリンやボラックス入り有害食品は、大勢のひとに関わっているという意味での単なる実例にすぎない。もっと昔から、非科学的な方法でペニスのサイズを増しあるいは乳房を大きくしてあげましょうと勧誘する広告によって愚昧化と詐欺の被害者になっている民衆の数は計り知ることができない。

「死を待ちながら」
今、フォルマリンを使っている者たちに対する措置を取ろうという声が関係当局の中からあがりはじめた。フォルマリン小売業者への措置を行うとのことだが、薬局を含めてフォルマリン小売販売はもう長い間平穏に続けられてきているのである。ただしフォルマリンは毒性素材に区分されるため、販売が規制されなければならないのは言うまでもない。販売が規制されなければならない医薬品の多くがまるで合法でもあるかのように薬局を含めて自由に販売され、そんな情況がはるか昔から放置され続けてきた。その薬が本当は自由に買えないものなのだということを知らない大衆は「我関せず」といった顔でそれを自由に買おうとし、またそれを自由に買うことが可能になっている。
麻薬もわが民族の構成員が緩慢に死んでいくのに貢献している。麻薬に冒される者の数はこの国で増加の一途だ。警察は麻薬製造工場に踏み込んでいるが、流通は安定的にしかし華やかに続けられ、被害者はますます増加している。麻薬撲滅の失敗は緩慢な死を待つ国民の数を増やしていることに変わらない。麻薬ビジネスを保護している法曹職員の関与は、フォルマリンの自由販売に関与している関係当局のそれと変わらない。麻薬使用者が服用量を誤って突然死する事件は多いが、それらすべての事件の陰ではるかに多くの者が無意味な人生を送っている。彼らは何を行う能力もなく、家族の負担になりながら緩慢な死を待っている。ならば、フォルマリン含有食品摂取者となった大多数の国民とどこが違うというのか?だから麻薬や有害物質を含め、フォルマリン自由販売撲滅のための包括的計画的措置がなくては済まされない。そうしなければ、死ぬための新しい方法がパテント化されるだろうことをわたしは懸念する。「インドネシア風緩慢な死」という方法が。
ソース : 2006年1月6日付けコンパス
ライター: Wimpie Pangkahila 社会問題オブザーバー


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『貧困者が悪者にされるとき』

インドネシアで貧困者になるとたいへんだ。「社会の屑」と呼ばれ、ゴミ投棄場のゴミの下敷きとなって死んでいく。富裕層や権力者からもらえるのは悔やみの言葉でなく、「自分が悪いんだ」という非難。
首都ジャカルタのゴミは一日数十億ルピアの売上を持つ巨大ビジネスだ。ゴミビジネスに関わっているのは貧困者だけでなく、富裕者も権力者も関与している。ゴミビジネスの主要商品はプラスチック、カートン、鉄・銅・アルミをメインとする金属、そしてガラス(破片)。それらはすべてリサイクルされる。インドネシア、特にジャカルタでのゴミマネージメントが支離滅裂であるにもかかわらず、リサイクルゴミの比率は高い。貧乏屑拾いがそのリサイクルビジネスの尖兵なのだ。
屑拾いは住宅地、鉄道駅、バスターミナル、市場から最終投棄場に至るまで、すべてを股にかける。一方、プラスチック・紙・カートン・木・金属やその他の工場廃棄物はその会社の従業員共同組合・地元行政官・保安要員あるいはごろつきが面倒を見ている。この種のゴミは屑拾いの出る幕ではない。筆者が述べている売上一日数十億のゴミとは家庭ゴミから最終投棄場に至るものだけを指している。工場廃棄物の売上はそんなレベルどころではないのだ。ともあれ売上一日数十億ルピアのビジネスともなれば、首都行政高官たちの関心を呼ばないはずがない。バンタルグバン最終投棄場は屑拾いを含めて一般者立入り禁止であると公式に定められているというのに、そこでは数千人の屑拾いたちがかなり自由に行動しているのが実態だ。もし都庁が厳格に方針を貫くのであれば、そのゴミ最終投棄場はだれも入れないよう保安要員が監視しなければならない。ある場所が本当は一般者立入り禁止なのに数千人の人間がそこに入っているのであれば、それにわざと目をつぶっている公職者がいるに決まっている。

貧困者はどこでも同じだ。収入はほんの僅かもしくはまったくなくて財産も持っていないから生活は苦しい。アフリカの砂漠にある貧困国の貧困者とアメリカ合衆国の貧困者は違うし、イ_アの貧困者とも違う。アフリカの砂漠にある国では、政府が正直に超ハードワークを行い、旧宗主国や国際援助機関の支援を受けたとしても、国民は貧困から抜けられない。アフリカの砂漠の自然は言うまでもなく貧しい。そこから鉱物資源が採掘されない限りは。
アメリカ合衆国では皿洗いもトイレ掃除人も、勤勉に貯蓄して浪費を行わないかぎり妥当な生活を送ることができる。アメリカでは、労働意欲を持ち正直でありさえすればだれも貧困者にならない。貧困者がいた場合、それはたいていその人間に問題がある。麻薬常習、ギャンブル、収支のバランスが取れない者、あるいはそれ以外の問題が。アメリカでは弁護士の魔手にかかって貧困になることもある。しかしアメリカで失業ゆえの貧困者は政府が保護してくれるために屑拾いになる必要はないし、ましてやゴミの山に埋もれて死ぬこともない。そもそも悪者にされることすらありえない。実際アメリカでのその状況は、タイでもマレーシアでも、ベトナムでさえわれわれが目にすることのできるものだ。それら近隣三カ国では、働く意欲さえ持っていれば貧困に陥ることはない。マレーシアで国民は、建築労働者や農園作業者のような肉体労働をしなくとも楽に生活することができる。だからその需要に対してイ_アとフィリピンが海外出稼ぎ者を供給している。マレーシアでは建築や農園作業は国民が行わず、ましてや屑拾いになることなどない。そうなるのは、タイ・マレーシア・ベトナムの政府が国と国民を生産的にしているからだ。
イ_アはタイやマレーシア、ましてやベトナムなどよりはるかに豊かな国だ。イ_アの人口は確かに巨大だが、中国ほどでないことも確かだ。その違いは、わが国政府が国民に繁栄をもたらせるまで生産的にしてやっていないからだ。タイ・マレーシア・ベトナムは人口が少ないから世話するのが容易なのだという言い訳は、人口14億人の中国が過去二十年の間に国民を生産的にし繁栄させることができた事実から意味を失う。

普通の国で政府は国家経営者であり、その任務のひとつは国民を生産的にして心身ともに繁栄させることである。シンガポールは天然資源を何ひとつ持たない島国で、上水すらマレーシアから輸入しなければならない。この国の長所は通商基地として有利な位置を占めていることで、そのためにあらゆるエネルギーは通商サービスに振り向けられている。通商基地としての第一条件は諸方面から信用されることであり、シンガポールはその維持に真剣な努力を払っている。スイスも海を持たず軍隊を持たない小国だ。かれらはアルペンチーズ、時計、ナイフ、チョコレートといった産業を持っているだけだ。チーズ以外では、ナイフを作るための金属はスエーデンから、そしてカカオ豆はわが国から輸入している。しかしスイスは観光と金融サービスで繁栄している。スイス政府はそのふたつの優位を最大限に盛り上げているので、スイス国民はたいへんに生産的だ。同じようなことはラテンアメリカ諸国でも起こっている。第二次大戦後かれらは破産したが、いまやブラジル・アルゼンチン・チリ・ペルーはわが国よりはるかに繁栄している。最も驚くべきサンプルは異例の発展を示す中国とベトナムだ。
イ_アの優位は農業・農園産品と海洋物産だ。ところがそれらの優位を真剣に盛り立てようとせず、それどころか阻害しようとしている。マレーシアやタイで事業をはじめる場合、事業家は市役所へ行って届け出るだけでよい。簡単で安価だ。レフォルマシ後8年のイ_アでは、事業家はいまだに十数か所の役所を訪れてそれぞれ十いくつものデスクを困難を与えられながら通過しなければならない。イ_アの米はタイ・ベトナム・インドの米より高い。それはわれらが農民の生産性と効率が劣っているからでなく、農場外ファクターつまりごろつき・保安要員・行政官によって蝕まれているせいだ。
都庁は本当は、電気エネルギー・有機肥料・干拓素材その他を作り出すためにゴミマネージメントをどうすれば良いのかを知っている。しかしそれを完璧に行えばコルプシのチャンスが縮小する。なぜなら、トラック一杯のゴミは1立米となり、液状廃棄物はきれいにされ、エネルギー・肥料・干拓素材等々にそのまま変わってしまうからなのだ。そうなれば一日数十億ルピアの売上を持つ屑拾いビジネスをエンジョイすることはもうできなくなる。それがよりプロフェッショナルになされるなら、権力者たちはコルプシができなくなるのに加えて屑拾いになる貧困者を悪者にすることすら困難になるからだ。
ソース : 2006年9月20日付けコンパス紙
ライター: F Rahardi 詩人、ジャーナリスト


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『われらの博物館の沈鬱な顔』

インドネシアにあるさまざまな博物館を一言でまとめようとするなら、ぴったりするのはきっと「幽霊屋敷」あるいは「死臭館」、それともほかのもっと身の毛のよだつような名前。モダンで手入れの行き届いた、時代に遅れをとらない博物館がないわけではない。しかしそれは少数派。あるのはほんのひとつふたつだけ。大半は「幽霊屋敷」なのだ。

南ジャカルタ市ガトッ・スブロト通りにある軍事博物館 [ Museum Satria Mandala ] をとある日曜日に訪れた、両親に三人のハイティ−ンと小学生ひとりという一家の体験談がある。かれらは午後二時ごろやってきた。すると閉館は午後三時のはずなのに、入場券窓口はもう閉まっている。博物館建物のわきを入っていくと、いくつかの建物で囲まれた中庭にベンチが置かれてあり、そのベンチに職員がひとり座っていた。
「ほとんど来訪者がないので閉めたよ。担当者はついさっき帰った。」とその職員は言う。かれは多分まだ施錠されていないだろうと思われるドアを指差し、そこから館内に入れることを知らせた。館内へ降りていくと通路は真っ暗だ。そこはジオラマのコーナーであるため、わざと真っ暗にしてある。深閑とした雰囲気の中で、カタカタ、カタカタ・・・・という音だけが聞こえる。「お母さん、出ようよ。」末っ子がむずかる。おびえているようだ。母親のハンドバッグをつかんで放さず、それを引っ張る。「今すぐ出ようよ。ここはいやだ。」ねだる口調は強い。


北ジャカルタ市コタ地区にあるジャカルタ歴史博物館 [ Museum Sejarah Jakarta ] の様子も大差ない。ガイドが来館者を引率して、かつて罪人を閉じ込めるのに使われたという三つの地下牢を見せてまわっている。博物館の表庭にある女囚牢も観光オブジェクトになっており、ガイドの説明には熱がこもる。「ここは水が90センチの深さなので。この牢では座ることができません。座ったら溺れ死にです。」
この博物館ではどうやら人の死が売り物ストーリーのひとつらしい。昔の罪人たちへのお仕置きに関する話しに対して示される来館者たちの反応を見るのが、ガイドにとっての楽しみのよう。二階のバルコニーでまた、ガイドは鳥肌の立つような歴史を熱心に語る。「ここからは罪人が首をはねられるのが見えました。たいていは深夜に処刑が行われたんです。」そして館内の壁にかけられた大刀を示して見せる。首をはねるのにそれが使われた、と言うのだ。
この博物館にはジャカルタ、つまりかつてのバタビアのありとあらゆる古いものが納められている。たとえば籐編みのベッド。籐以外はすべて作られたときのままだ、というガイドの説明。「籐は最近替えたばかり。オリジナルはつぶれました。このまえ小学生の団体見学があり、中にどうしてもそれに乗ってみたかった子がいたようで、その子はベッドに上がり、そしてズボッでした。」


ジャカルタにあるほかの博物館を見る前に、ほかの地方の様子を見てみるのもよいだろう。中部ジャワ州クドゥスには、1986年に設立されたクレテッ博物館がある。これはクローブ煙草の産地に作られた、ほかには例のないユニークなクレテッタバコ博物館なのだ。館内には、クローブ、タバコ葉、とうもろこしの若葉クロボッなどの原料が用意されるところからはじまって、手工あるいは機械を使っての製造プロセス、更にマーケティングに至るクレテッ煙草生産プロセスの流れがジオラマで展示されている。ただ、クドゥス市からおよそ2キロ離れたグタス・プジャテン村にあるその博物館は、いつ行っても閑散としている。前庭に建てられた中規模サイズのクドゥス伝統家屋が、その博物館が古ぼけている印象を与え、そうしてひとびとから取り残されてしまっているのだ。

クラテン市からジョクジャ方面におよそ10キロ離れた郊外にある砂糖博物館はどうだろう。砂糖工場群の中にある博物館は見かけもたいそう古く、往時の製糖産業の日常生活に秘められたさまざまなミステリーをたたえているかのようだ。
今週、本紙記者がそこを訪れたとき、まだ午後のそれほど遅い時間でなかったものの、博物館は閉まっているように見えた。ひと気のない雰囲気はすぐに感じられ、道路の向こう側に車を駐車するのは安全だろうかという不安がよぎった。そして予感はあたった。道端に駐車した車に戻ったとき、中に置いてあったものは盗まれて姿を消していた。


ソロでは、タマン・スリウダリにあるコロニアル建築様式を持つ旧ロジ址の建物をラディヤ・プスタカ博物館 [ Museum Radya Pustaka ] が使っている。そこには高い歴史的価値を有する考古学上の遺物が保管されているというのに、ここ数年この博物館では、ジャワ文化の産物であるウクやプリンボンにもとづいて月日の吉凶を算定するパウコンを尋ねる来訪者が主流を占めている。パウコンの応対をしているのは同博物館の館長KHRTダルモディプロ64歳だ。
各地から博物館裏にあるかれのオフィスにやって来るひとびとは、結婚相手探し、転居、家庭生活の問題、子供を授かることなどに関して相談をもちかける。通称ンバ・ハディと呼ばれる館長の授ける方策は、医師やドゥクンよりも効験あらたかだと言われている。
かつてパウコンやプリンボンはジャワ社会における日常生活の基本指針であり、同時に社会の常識だったが、いまやその知識は影の薄いものと化してしまった。そんな状況がンバ・ハディに活躍の舞台を提供しているのだが、前庭に置かれた王宮文学者R Ng ロンゴワルシトの胸像が特徴となっているこの博物館は、ここ二十年間というものほとんど進歩がない。
最初この博物館は、その時代の文化学問研究機関として、パヘマン・ラディヤ・プスタカという名称で設立された。当時の王パクブウォノ十世の命により、このパヘマン(訳注=評議院)は国中の歴史的価値を持つ高価なコレクションを保管する博物館としての役割をも受け持った。しかし1960年代に入ってその機能に変化が起こり、ラディヤ・プスタカは研究機関としての勤めを終え、また新たなコレクション収集も行われなくなった。そしてコレクションの多くが元の場所から姿を消した。書物ナワ・ウインドゥ・ラディヤプスタカに記されているダハ王国時代(紀元10世紀)に作られた、アルジュナウィワハ物語を描いている世に聞こえたクリスコレクションもその例のひとつ。
この博物館にコレクションは少なく、陳列にもあまり配慮が行き届いていない印象だ。そうであっても、とても高い価値を有するものがコレクションの中にある、と同館職員ムフティ・ラハルジョ31歳は言う。たとえば図書館にある三千の古文書の中には、ジャンカ・ジャヤバヤ、ウエダタマ、チュンティ二、ウランレなど文学者ロンゴワルシトの原作本が納められているし、またジャワ版辞書や百科事典、そしてラキニン・ムスティカと題するジャワ式セックスの書にいたるさまざまな書物もあり、その一部は米国コーネル大学のナンシー・フロリダ教授によってマイクロフィルムで保存されている。


あちらこちらの博物館を訪れるたびに、憂慮の思いばかりが浮かび上がってくる。教育家キ・ハジャル・デワンタラの闘いをしのばせてくれるジョクジャのデワンタラ・キルティ・グリヤ博物館 [ Museum Dewantara Kirti Griya ] も憂うべきありさまだ。その博物館は小学校や中学校の校舎の合間にある。下校時間にはオジェッ引きや子供の親が、博物館表庭の垣根沿いで子供たちが出てくるのを待つ姿が見られる。
特にその博物館を訪問したいひとにとって、入り口は表門を通るのでなく、側面のベランダにある扉から入ることになり、そしてガイドに教えられてはじめてこの博物館の入り口がどこにあるのかを知る。ガイドは玄関、寝室、中の間、側面のベランダ、浴室などの位置を教えてくれる。この家がかつてキ・ハジャル・デワンタラつまりラデンマス・スワルディ・スルヤニンラの持ち家だったことは言うまでもない。2,720平米の土地に建つこの家をキ・ハジャルは1934年、オランダ人農園主の妻だったマスアジェン・ラムシナという寡婦から買い取った。キ・ハジャルがインドネシア民族の境遇を改善するために文化と教育についての構想を練ったのがその家だ。
昔の思想家については、中部ジャワ州ジュパラにカルティニ博物館がある。女性闘士ラデンアジェン・カルティニをしのぶためというのがその設立の趣旨だ。ジュパラのアルンアルン(訳注=王宮前広場)の一角に立つ建物は、これといった特徴もない。庭には植え込みすらなくて荒涼としている。自然を愛したと言われるカルティニがそれを見れば、きっと涙をこぼすだろう。
「この博物館が建てられた当初、われわれはカルティニの遺品を一箇所に集めたいと思った。しかしジュパラとレンバンに散らばっていて実現が困難だったので、ここに集まっているものは数少ない。」とジュパラ観光交通局長トゥグ・スプルボは語る。カルティニの一生と直接関係する品物で満たすことができないため、ここには巨大魚の骨格標本などほかのものまでが陳列されている。カルティニと魚の骨はどんな関係があるのだろう?もちろん関係はない。その巨大魚は数年前にジュパラの海で捕まったというだけのものだ。


ジャカルタへ戻って、北ジャカルタ市スンダクラパ港地区にあるパサル・イカン通りの賑やかでせまい道を歩むと、道路沿いの古い建物が目に入る。その一帯で商売しているカキリマ商人の群れの間から「海洋博物館」[ Museum Bahari ] という文字が姿を現わす。聞くところでは、たいていのひとは思いがけなくこの博物館を見出して立ち寄るのだそうだ。
「かれらはたいてい海洋博物館がここにあることを知らずにやってくる。そしてパサル・イカンを歩いたり、この近くにあるクラマッ・ルアルバタン・モスクを訪れたさいに、はじめて博物館があることを知る。トラベルエージェントがアレンジする外国人観光客はまた違っている。」というジャカルタ海洋博物館理事デルマワン・イリヤスの弁。
上にあげた話しはきっと、われらの社会と博物館の関係を描き出している縮図なのだろう。われらの社会は博物館の存在にほとんど関心がないようだ。上で見た博物館の状況が、その事実を映し出している。そうして博物館はひとがめったに足を踏み入れない場所となり、その結果、博物館の中には「幽霊屋敷」と化すものが出る。

海洋博物館に入ると、感じられるのは静寂とおののき。海の色を意識したダークブルーの壁は、暗く重苦しい印象をもたらしてくる。太いチーク材が使われている天井を見上げると、その重苦しさはますます強まる。
ジャカルタにはおよそ60の博物館があり、博物館めぐりの旅はまだまだ続けることができる。ただ、そのすべてを訪問してみたところで、ひょっとしてそれは「幽霊屋敷」から「幽霊屋敷」を巡る旅になるやもしれないのだが・・・・・・。
ソース : 2001年2月11日付けコンパス


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『病んだ社会と国の役割』

警察は民間人が所有している銃器をすべて回収する計画だ。工場製や手製の銃器を使った犯罪が増加してからその方針が打ち出された。
2010年8月24日付けコンパス紙は、今月全国各地で大型強盗事件が10件発生し、個々の被害金額が1億から5億ルピアに渡っていることを報道している。組織的で、銃器で武装し、真昼間に敢然と実行されているのがそれらに共通する犯行手口だ。ターゲットは貴金属商や銀行そして大量の現金を持っていると見られた人間。
銃器の回収は強盗事件発生の余地を狭めるだろうか?国の役割はそこまでで良いのか?それらの疑問はそのベースに横たわる疑問「昨今の強盗の脳裏にいったい何があるのか?」という問いに対する認識にもとづかなければならない。いまや強盗犯にとって恐いものは何もないのだ。8月初のCIMBニアガ銀行事件では、AK−46やAK−47という自動小銃の射撃を浴びて警官ひとりが落命している。16人の強盗団は4億ルピアを奪い去った。
多くの状況分析はルバランと強盗犯罪増加の間に関係があることを指摘している。社会経済分析は社会構造上の強者と弱者の間で富へのアクセスが平等でないことを明らかにしている。それらの分析が犯罪心理の再構成の中に織り込まれたためしがないということが問題なのである。本論文は、社会システム構築における国の役割に結び付けて精神病理学の枠内で犯罪をとらえようとするものである。 < 学習を経て修得 >
行動主義派が発展させた臨床心理学の研究は強盗犯が必ずしも精神的に病んでいるわけでないことを示している。それは情緒・認識・性向の三つのアスペクトから分析できる。邪魔する者はだれであれ殺すことに躊躇しないという態度は犯人の情緒が安定していることを示すものだ。それはつまり、認識面から見ると、直面するであろうあらゆるリスクに十分な検討が加えられているということにつながる。白昼の犯行はスピーディに行なわれ、その遂行におけるチームワークは練り上げられた計画と繰り返されたシミュレーションの成果だった。
態度変容理論の心理学者フィッシュべインとエイゼンは、大規模犯罪の深層動機はシステムとしての意図から見ることができると指摘している。その理論からわれわれは、学習・影響・価値観の三要素から意図が生じることを理解する。その理論を応用するなら、大規模強盗事件の犯人たちは新米ではないということだ。事件後の捜査から、犯人は前科者である、という情報が流れたのも当然のことと言える。かれらは自分が犯した過去の失敗から学習し、どうして捕まって入獄させられたのかという問いの答えを手に入れた。その学習プロセスは、社会復帰院と名付けられた国家施設に入っていた間にもっとも効果を発揮した。社会復帰院は犯罪者に社会的規律を持たせるメカニズムを有しているのが理想の姿であり、社会規範に従う姿勢を社会に反抗的な個人に植えつけるのが第一の目的である。ところが鉄格子は牢獄を形成するよりむしろ犯罪オーソリティを擁する学校をそこに作り上げた。犯罪の学習ということに関しては、監獄の中が最高の犯罪者養成機関と化している。
< 病んだ社会システム >
その姿はわれわれの社会オペレーションシステムの中にあるさまざまな病弊に目を向ける手引きを与えてくれる。犯罪社会学研究は社会施設が犯罪を生み出すのに有力な役割を担っていることを示している。既に構築されている社会システムが新規に発生する犯罪の抑制メカニズムを必ずしも生み出していないことをそれは意味している。社会システムがないわけではないものの、それは一体性を作り上げていない。
それがゆえに、社会復帰院の目標が失敗に帰すとき、社会システムの中でも構成員が前科者を受け入れない現象が発生する。前科者を受け入れるのは、人食い虎の子供を育てるようなものだ。大衆はリスクを引き受けるのを好まない。その実態は社会が前科者を疎外していることであり、言い換えるなら前科者は昔通った道に舞い戻ることを余儀なくされる。そのロジックが正しいことを、類似の犯罪が繰り返され、質量ともに増加の一途をたどっているという事実が証明してくれる。
われわれのだれもが推測している、かつて社会にあった高貴な価値が崩壊してしまったということが第一の要因だ。精神的道徳的な善行や連帯といった教えはもう長い間色あせたままになっている。祭事は世俗的なものに取って代わられ、宗教は包み紙だけになった。善行の教えは見世物のひとつだ。
犯罪が独立して存在したためしがないのなら、社会のシステムがそれを生んでいるというのが真実にちがいない。われわれの社会システムは本当に健全なのだろうか?大衆は舌・腹・陰部の快楽を求めることを人生のベースに置いている。 歴史は語る。強盗事件の規模の大きさと国民に安全感を与える国の役割の不足は同じスケールに載っている。共通の高貴な価値に基盤を置く文化の構築における国の役割はどこまでなのか、とわれわれは問う。
ライター: スマラン大学哲学科教官 サイフル・ロフマン
ソース: 2010年8月27日付けコンパス紙"Peran Negara dan Perampokan"

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『公職高官と公共倫理』

地方議会議員のひとりが最近、高等教育条件のひとつとして処女検査を提案した。目的はかの女たちに恥を感じさせようということらしい。大臣のひとりは、芸術はイスラム原理に則したものでなければならないという理由でゲイ映画フェスティバルを禁止した。だから世間は疑問を抱いた。「この国の公職高官はどれだけリーダーシップ能力を持っているのか?」と。
アフマディヤ派の村が焼き討ちされたときに公職高官が信仰問題に干渉する発言を行い、キリスト教司祭が刺されたときには手続に関する議論を打ち上げたとき、世間は更に問うた。「この国の公職高官は自分たちが公共倫理を捧持し順守する義務を負っていることを理解しているのか?」と。
この国の公職高官はもちろん誤った思い込みに満ち満ちている。かれらは公共倫理を、社会が従わなければならない特定の規範あるいは原理だと思っている。それゆえにかれらは、公職高官の使命は世間のモラルを統制する政策を編成することだと思っているのだ。こうしてその勘違いは社会倫理を統制する法律・決定書・地方条例の制定となって結実する。
公職高官の責任は公共スペースにおけるモラルを強化することなのだろうか?強化し保守するのはどの集団のモラルなのか?公職高官が特定集団のモラルを保守するのは正しいことなのだろうか?
上の諸疑問は公職高官の責任がそこにあるのかどうかを確定させるための公共倫理問題なのである。
< 社会からの委託 >
高官や政治家は常に、社会善のために決めているのだ、と言い訳するものの、その善の目盛りは高官本人の宗教・文化・習慣などに由来している。だからこそ、かれらの信念の中にある「善き生き方」は全大衆にとって同じものでなければならないということになる。高官個人の人間観が国家政策の規準になるのも不思議ではない。ところが高官や政治家は社会からの委託を帯びた人間であり、公共が認めているとは限らない本人だけに通用する善(統制原理)を社会に広めようとしてはならないのである。
たとえば、自分の信念としてインドネシアにおけるホモセックス運動は容認できないと考えている公職高官であっても、ホモセックス支持グループに対する世間の暴力行為を放任したり、世の中のかれらに対する排撃姿勢を煽るような発言を行ってはならないのだ。公職高官はマイノリティを含めてすべての階層に保護を与えることを受託しているのである。言い換えるなら、公職高官は自分が抱いている善の実現に向けて働くのでなく、公正さのために働くものなのである。ひとりひとりの人間が持つ権利が侵されたり無視されていないことやすべての階層の人間に公正さへの道が開かれていることをかれは保証しなければならない。そうすることで高官は民衆の権利のために働いていると言い得るのであり、特定集団や特定一派が捧持している『善』原理からかれは離れていなければならないのだ。とはいえ、権利という枠組みをベースにして決定を行う公職高官にもまだ問題がある。権利というワークフレームのベースは何なのか?
イマヌエル・カントという哲学者は、ひとが倫理的行動を取らなければならないのは、宗教・伝統・文化などが命じているような特定の形而上的目的のためではない、と語っている。それはそのような命令が宗教・伝統・文化自体が持つ歪みに根ざしているからだ。リーダーに求められているのはあらゆる階層に対する公正さであり、政策決定における中立姿勢である。それはひとつの政策を真に自律的な意思にもとづいて決定できる場合にのみ実現される。カントによれば、人間は自己の考えと責任に基づいて行動することができるのである。
哲学者ジョン・ロールズもカントに同調する。われわれにとってもっとも重要なのは、究極的に自由な意思にもとづいて選択する能力であり、そうすることでわれわれの政策選択もわれわれ個人のアイデンティティの圧力から真に自由なものとなる。
その哲学者ふたりの意図を汲み取ろうとするなら、リーダーがしなければならないのは自立する主体の公式化であり、所属集団の利益のためのツールになることではない。自立した姿勢のみがすべての階層に対する公正さを実現させる。結論を言うなら、リーダーの本質とは全員にとってのリーダーとなることなのである。
< 良識 >
公職高官は政治的な諸価値を優先する責任を持ち、パーソナルなアイデンティティと政治上のアイデンティティを分離しなければならない。民主的社会では多くの集団が自分たちの「善き生き方」に関して頻繁に対立を起こす。それゆえに、相互尊重に基盤を置く社会的協調を維持しようと望むなら、モラルや宗教がもたらす信念をカッコに包むことが必要になる。それをカッコに包むことによって、寛容さ、公正さ、社会協調といった政治的諸価値がリーダーシップと公職高官としての政策策定の中に表出される。
そのなることによって、処女検査、ゲイ映画祭禁止、アフマディヤ集団に対する暴力の放置といった不公正な政策は決して起こらなくなる。公正さを強調する政治的価値への収束は法と憲法をも強化する。憲法に反する地方条例は常に拒否され、マイノリティ集団が犠牲にされることもなくなる。女性差別的な条例も自動的に姿を消す。
頭を覆い隠すことを拒む女性たちをアチェで宗教警察が追い掛け回すようなジルバブ着用強制もなくなるだろう。アチェのリーダーたちはジルバブを被らない女性をもう問題にしなくてもよいのだ。なぜなら善きインドネシア国民たるのはジルバブを着けているかいないかで測られるのでなく、定められている国法に則した義務を果たしているかどうかで決まるのだから。ジルバブを着けている女性もそうでない女性も権利は同一なのだ。
寛容さと公正さを捧持する政治的諸価値は大衆の健全な合理性を維持し、大衆の良識が涵養される。そこに至れば、公職高官の発言は無責任な発言を容認しない大衆のコントロール下に置かれる。大衆の良識は公職高官の差別的発言を逐一拒否し、それゆえに批判の感度も研ぎ澄まされる。
< 責任重視 >
公職高官に責任の持てる発言を要求する習慣を持つ社会には、金銭や知名度だけに頼らないでクオリティのある人物を高官に選ぼうとする姿勢が育つ。わが国で本当に一連の公共倫理ワークフレームの一切が成育するならば、次回の総選挙では高潔な公職高官が優位に立つことを確実にするだろう。願わくば、2014年総選挙で高潔な人物が候補者として輩出せんことを・・・
ライター: インドネシア大学文化学部哲学科教官、インドネシア倫理センター主管 ガディス・アリビア
ソース: 2010年10月15日付けコンパス紙"Pejabat Publik dan Etika Publik"


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『カーベーから逃げた男たち』

過去4年間に1千8百万人、年平均で450万人、の新生児が誕生した。かれらは健全に成育する権利、成長すればひとりひとりが職業に就く権利を要求する。特別な抑制を伴なう家族計画(カーベー)プログラム再活性化が優先されなければならない。
この活動でインドネシアをチャンピオンにしたカーベー(家族計画)プログラムの成功は女性の貢献に支えられたものだ。このプログラムに参加した国民の95%以上が女性だった。女の子宮は国のものというコンセプトによって、かの女たちは狩り集められた。ノルマが課され、インドネシアの家族は早々に新しい価値「子供はふたりで十分」を取り入れた。
並のできごとではない。そしてそれは国家経営者たちに誇りを与えた。女性がカーベー成功の立役者だったのとは裏腹に、欠陥だらけだった女性の生殖保健問題はそのままにされた。輝かしいカーベー黄金期の妊産婦出産死亡率は10万人中420人だった。たとえ「子供はふたりで十分」の標語が定着しても、政治エリートたちにとって妊産婦死亡率引下げは重要なことではなかった。現在妊産婦出産死亡率が10万人中227人に低下したとはいえ、アセアン諸国の中でインドネシアは遅れをとっている。それはインドネシア女性の生存権が保護されていないことを証明するものだ。つまり子供を産む能力を与えられた唯一の生き物としての母は妊娠と出産の期間、さまざまな合併症の脅威にさらされているということなのである。
早急に解決されるべきことは、女性が狩られる対象とされることなくカーベーをどのように再活性するのか、また女性の健康にもっと留意しながらどのようにそれを達成させるのかということだ。女性の生殖保健に関心を払わなかったオルバ期のカーベープログラムを繰り返してならないのは明らかだ。そしてまた、自分も積極的な参加者になれるということを男性に確信させ得なかった失敗も繰り返してはならない。

男性の新たなビジョン
男性は積極的にカーベーの推進者として行動したり計画したりしない。人口増を抑制するのに男と女の双方がコミットしなければならないことを理解している男性はほんのわずかだ。当時の男性は紋切り型のコンセプトに抱え込まれていた。男は計画し決定する権利を持つ。あとは女がそれを実行するだけだ、と。
帰結としての人口抑制を実現させる家族計画を遂行する中で、男もその責任の一翼を担わなければならないのだということを、男性も覚る必要がある。それゆえにカーベー再活性化プログラムはトータル的に、新しいコンセプト・新しいプログラムそして新たなビジョンあるいは新たな姿勢に支えられなければならない。カーベープログラム再活性化を通しての人口増の抑制は男性女性の双方をターゲットにするのだということを政治エリートたちが認識することからこの動きはスタートしなければならないのである。新生児を作るのは男性と女性の共同作業ではなかったろうか?
家父長主義文化を依然色濃く背負っているため、カーベーによる人口増の抑制における新たなビジョンは男性の姿勢と行為に変化を促すものでなければならない。カーベーは女の領分だというステレオタイプに潜っていてはならない。カーベーの目的のひとつである女性の生殖保健の向上は男女共同責任としての医療・社会・政治の問題であるということを男性は認識しなければならない。
妊産婦死亡率の高さ、女性の社会的精神的肉体的健全さに関わってくる女性に対する暴力の増加、それらは政治エリートの関心から遠いところにある。今日かれらがあるのはかれらを女性が産んだからだということを男であるかれらは忘れている。人口増加が今や懸念されるレベルに達したことに関して、それは男性と女性の間の性行為の結果であるということを男性は認めるべきときに来ている。1974年婚姻法の中でリーダーの位置に置かれている男性は、人口増加のスピードアップに対して新たなビジョンをもって責任を示す時期になっているのだ。新生児の誕生は男に関係のないことだという考えを男性は投げ捨てなければならない。だから、カーベー再活性はカーベーの最終目標である女性の生殖保健をわがことと見なす男性の姿勢と行為を必要としているのである。

ミレニアム建設
オルバ期のカーベーは、子供ふたりだけ作ってそれ以上の出産をやめれば、女性の保健クオリティはおのずから向上する、という仮説を立てたが、事実はそうでなかった。カーベー黄金時代以降も出産死亡率は減少しておらず、いまだに女性を怯えさせている。それは同時に、女性の保健向上というミレニアム建設目標の達成に向かうインドネシアの意欲にかげりをもたらしている。人口増の抑制というコンテキストの中で、男性参加に関わる新たなビジョンが求められているのだ。
もう一度言おう。人口増を抑制するのは女の責任だという考えを男性は投げ捨てなければならない。カーベーの積極的参加者にするため女性を狩り集めるようなことはなされるべきでない。男性がカーベーの積極的参加者となることが鍵なのだということを男性は覚らなければならない。
年間450万人の新生児という現象が今後も続かないようにするために男性は社会福祉の創設に責任とコミットメントを持つ必要がある。人口増加速度を低下させるためのカーベー再活性化というコンテキストにおいて、家庭内と公共の場の双方でのさまざまな役割に関する新たなビジョンを男性が持たなければならないのは明白だ。
これまでカーベープログラムへの男性参加率はわずか1%前後しかなく、まったく顕著な進展を見せなかったのはどうしてか、ということがらに深く思いをいたすときは今だ。それにはコミットメントと意欲が不可欠なのである。女性の生殖保健向上に無関心だったこれまでから打って変わってコミットメントを持ち、カーベーに対するビジョンを変更する用意が男性にできているのか?1%にすぎない男性カーベー参加者が2015年には3.5%になるような統計的変化をなす用意が男性にできているのか?人口爆発に関わる男性にとっての一大チャレンジである。
ライター: インドネシア大学女性研究センター発起人 サパリナ・サドリ
ソース: 2011年1月15日付けコンパス紙"Laki-laki Biang Kegagalan Pembangunan Milenium"