[ 子供たちはいま ]


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『ストリートチルドレンの暮らし』

[ 早い時期からセックスを覚える ]
名前はトハ。この男の子は東ジャカルタ市ラワブニン市場の前にいつもいる。ミネラルウオーターの空き瓶を集めていないときは、棒切れに空き瓶の金属製ふたを緩く釘で止めて音が出るようにしたクチュレカンを手に、唄おもらい乞食をしている。トハはもう6ヶ月間バベと暮らしている。バベ(おやじ)とトハが呼ぶその中年の男は、廃品をくず拾いから集めるラパッを職業にしている。そのバベがトハに食べ物、小遣い、そして住む所を与えているが、それらは決して無料ではない。トハはバベの男色のために尻を差し出すのだ。

二年前、東ジャカルタ市国家法廷で、トハはそれらのすべてを、裁判官を前にしてよどみなく物語った。その頃、一連の少年殺人事件が発生し、少年たちの遺体のすべてにふだんから男色の相手をしていたしるしが見られたためだ。
恥も恐怖も知らないかのように、トハはもっと多くを語った。バベに養われる以前から、トハは男にセックスサービスをすることに慣れていた。「金をくれるなら、それをやってもいいよ。一回遊んで、たいてい1〜3千ルピアをもらう。一度だけお屋敷に住む人に誘われて、1万ルピアをもらった。」と語るトハ。
かれが男色を始めて知ったのは10歳のとき。1997年5月暴動で焼け落ちる前のヨグヤ・プラザ一帯を縄張りにしていたやくざ者のコメンがそれを教えた。「相手をすれば金を納めないでよかった。」とトハは言う。金を納めるというのは保安料のことだ。コメンの縄張りで生計を立てている者はみんな納めなければならない。「男色が気持ち悪いことなんて、別に思わないよ。だれでもやってるんだから。」

普通のことだ。スネン地区を稼ぎ場にしているストリートチルドレンのスリもそう言った。「いっしょに稼いでいる男ともだちの多くは、男色や大人の売春婦とのデートを普通にやってるよ。」とかの女は先週、そう話してくれた。スリ自身もそんな男ともだちのデートの相手になることがよくある、と認める。「遊んであげるとたいてい1千ルピアくれるよ。」とこの15歳の少女は言う。
ともだちとだけでなく、スリもパサルスネン界隈で好色男にセックスサービスを売る。「ともだちを相手にするより、そんな男たちの相手になるほうがずっと良い。」と、スリは悪びれもせずに語る。「報酬ももっと高く、たいてい2〜4千ルピア。大勢があたしを欲しがるのよ。」と誇り高く言うスリに、いつから恋を売るようになったのか、と尋ねると、その明るい顔が曇った。「義理の父に犯されてから。」しばらくの沈黙の後で、そんな答えが返ってきた。
そのレープが、現在のストリートチルドレンという境遇にスリを追いやるターニングポイントになったのだ。スネン=ジャティヌガラ間の鉄道線路沿いで繰り広げられている安物セックス取引きの賑わいを、毎日、スリは目にしている。そしてある日、この娘はこう思った。あたしもあんなふうにして何がいけないのかしら?もう処女でもないんだし・・・・・。それが、ストリートチルドレンと売春婦を兼ねる人生を送るようになったスリの出発点だ。そんな暮らしは悪くない。「お金もたくさん手に入るし。」とパサルスネンで商いをしている商人の何人かを固定客に持つスリは言う。


一面でハードではあるが、秩序ある社会の規範を規準に見ればたいへんルーズな路上の暮らしは、ユニークな性格を形成する。ストリートチルドレンを対象に活動している民間団体、ディアン・ミトラのソーシャルワーカーをしているスルヤナは「子供たちは早い時期に成熟する。このコミュニティでセックスはタブーではない。」と語る。一般的にストリートチルドレンは、ローティ―ン期にセックスを知る。かれらにとって、それは安くて簡単に手に入るレクレーションの一部だ。子供たちはセックスの快楽を覚えてしまい、それを必要と考える。他面、その周辺にいる大人の世界にとってみれば、そんな状況にある子供たちは柔らかな餌食なのだ。トハとスリは、子供たちの無力なポジションという現実を象徴している。保護、住居、食べ物などの報酬のために、トハはバベの性欲の相手にならねばならない。それと同じ無力さが、義父に犯されるスリから抵抗力を奪った。
そんな無力さが、子供たち独自の自衛メカニズムを生み出すことはありうる。経済上の理由のせいで、子供たちはその世界から去ることができない。唯一残された道は、できる限り自分を適応させてその世界にとどまることだ。大人の世界のセックス需要に応え、同年代の仲間とセックスを楽しむことがそのひとつの形だろう。そのような抑圧的状況下ですら、かれらは楽しむことを忘れていない。

バンドンのバハトラ財団子供の宿で会ったヤニ14歳の話しは、自己適応の特殊な例だ。毎日、その子はバンドンのアジアアフリカ地区で唄おもらいをしている。13歳のときから、ヤニはその界隈のプレマンたちから男色のターゲットにされていた。この子にとって、それは問題ではない。「おれは安全だし、生きていけるよ。」と言う。あるとき、道端に立っていると、車に乗った外国人の男が寄ってきてかれを誘った。「尻を使われて、そのあと20万ルピアももらったよ。」ヤニはその報酬を誇って、仲間たちに見せびらかした。仲間は、その白人が来るたびにヤニに誘ってもらおうとした。8人以上の子供たちがその白人の相手をし、ひとり7万5千から20万ルピアの金を手にいれた。
ジャカルタのクラマッラヤ通り交差点にいたサキブ13歳の話しはまた違う。その界隈を縄張りにしているプレマンたちの男色の相手をするのが普通の路上での暮らしに、その子は11歳頃から親しむようになった。嚇かされるために、サキブは男色の相手をつとめることが拒めない。「いつも金をくれるけどさ、でも痛いよ。」バンドンのチチャレンカが故郷だというサキブはそう告白する。
そんな扱いに耐えられなくなったサキブは知恵をしぼり、あるとき尻にバルサム膏を塗った。もちろん焼けるようにひりつくが、それにはひるまない。その夜、性欲を発散させようとしたプレマンは顔をしかめてそれ以上続けるのをあきらめ、近くの公衆トイレに急いで走った。「あれがひりひりしたんで、急いで洗わないといけなかったんだよ。はっはっは・・・・。」バンドンでも二年間の浮浪児生活経験を持つサキブは愉快そうに笑った。
サキブは男色しか知らないのではない。大人の女とのセックスも知っている。「あるときバンドンのブラガ通りにいると、ひとりのおばさんがおれを呼んで、家までついて来るように言った。家ではマッサージをさせられて、1万ルピアをもらった。」そのおばさんが誘ったのは一度や二度ではない。何度も家に来るように言われ、そのうちマッサージだけでなくなった。ある日、セックスの相手をさせられて自転車をもらった。「それを売ったら6万ルピアになった。その金でジャカルタに来たんだ。路上は自由があっていいよ。」と語るサキブ。仲間のアセップ15歳も、車に乗ったおばさま方の相手をした経験を持っている。「あのときは30万ルピアもらったよ。」と二年前の体験を思い出して語る。

自分の欲情を満たすためにストリートチルドレンをターゲットにしているのは、プレマンや好色おじさま、おばさま方ばかりではない。売春婦たちもよく子供を相手にしている。
路上での暮らしに入ったばかりのころ、ヤニは売春婦を買った。「はじめてで怖かったから、身体を合わせることまではできなかった。あれを見せてもらっただけだよ。それで5百ルピア払った。」それ以来、ヤニには売春婦と遊ぶことも当たり前になった。
最初はただの好奇心からはじまり、売春婦が客を相手にしているのをしじゅう目にするようになると、子供たちにとってもそれは普通の情景となり、中には自分もそれがしたくなって売春婦を買うようになる。
16歳のジャカは、毎日、唄おもらいで得た金の一部を売春婦と遊ぶためにとっておく。「5千ルピア払えば十分。やるのはテガレガ広場。」と話すジャカは、たいていバンドンのチバダッ通りのカキリマ屋台で夜を過ごす。
売春婦にとってストリートチルドレンは特別客だ。
「かの女たちは、小さい子供とセックスすると若さが保てるという神話を信じている。」バンドン・バハトラ財団子供の宿のエコ・クリスワント理事は語る。ジャカルタ・タンジュンプリオクのスティアカワン子供の宿のタシャ・ラシャ理事もその神話の存在を認める。「だから、たった1千ルピアの稼ぎでも、売春婦はストリートチルドレンを相手にしたがるんです。」
タシャやエコを不安にさせるのは、そんな状況が子供たちを売春婦とのセックスに駆り立てることだ。なぜなら、そこに伝染性性病を移される高いリスクが存在しているからだ。


[ 若い子ほどよく売れる ]
二年前から続いている経済危機で、ストリートチルドレンの数は増大した。インドネシア家族計画の会のデータによると、1999年の全国総数は17万人で、ジャカルタには3〜3.5万人がいる。1997年に社会省が出したデータと比べると、当時のジャカルタにいた1万人から3倍に膨れ上がったことがわかる。そして、その中の1〜2%が伝染性性病にかかっている。
それはただの公式数字でしかない。実態はきっとはるかに大きいだろう。また、それらの公式数字からは、ストリートチルドレンの本業?たる「浮浪して唄おもらい乞食をする」以外に、身体を売ることを習慣的に行っている子供たちがどのくらいいるのかは見当もつかない。
「その問題を詳しく調査したり、取り扱ったりする機関はまだありません。」全国子供福祉財団情報データセンター長のアンドリ・ヨガ・ウタミの言だ。1997年にこの財団はストリートチルドレンの売春行為に関する予備調査を行ったことがあるが、資金が続かず途中で挫折している。本当は別の調査を行う中で、子供たちの売春行為が偶然水面上に浮かび上がってきたものだ。「クラマットゥンガッ隔離売春地区周辺で働いていたり、北ジャカルタ市プルンパンのあいまいワルンあたりで身を売っている未成年ストリートチルドレンの現象に出会ったのが発端です。」とは言うが、今では身を売るストリートチルドレンの数は倍増しているに違いない、とアンドリは確信している。
アトマジャヤ大学国民調査センター、シニア調査員のイルワント医師も同じトーンで推測を話す。
「女子ストリートチルドレンはほとんどみんな売春をしている。何人かなんてわかりゃしない。どうぞご自分で数えてみてくれ。いま、わたしはそんな娘たちを救うので精一杯なんだよ。」
監視の楽な大人の売春に比べ、子供売春は監視がはるかにむつかしい。ストリートチルドレンを集中的に扱っている各民間団体も困難を抱えている。それは、子供たちの活動のメインが売春ではないからだ。多分、ある日は一日中唄おもらいをしているかもしれないが、次の日は唄おもらいをしながら身を売っているのだから。
子供たちの中ではっきりそうとわかる者がいたとしても、それはストリートチルドレンから売春へと本業を替えた者だ。つまり、その子供たちは日常的に身を売っており、たいてい元締めの保護下に置かれている。民間団体がその子供たちを更生させるのもきわめてむつかしい。それは、養い子がかれらに教導されることを子供たちの保護者や元締めが決して許さないからだ。「その理由は紋切り型だ。若い子ほどよく売れて、たくさん稼げるからだ。」とリマワンは言う。

だからこそ、政府が早急にこの子供売春の対応活動に加わるように、とイルワントは迫っている。どの民間団体であれ、政府の政策と資金のバックアップなしにそれをやりおおせるところはない。今こそ政府が建設的な措置を取るときなのだ。
売春の谷から子供セックスワーカーを救い上げてやるには巨額の費用がかかる。「子供一人を救い出すのにおよそ1千万ルピア必要だ。もし組織の中に囲われていれば金額はもっと大きくなる。マミーや元締めは、損害賠償もなしに養い子が連れ去られるのを許すはずもない。おまけに、その子が自分と家族の生計を支えているなら、それでもまだ足りない。短期的にわれわれは多くの困難を経験するだろう。」クスマブアナ財団理事長でもあるイルワント医師はそう語る。
政府はまずマイクロポリシーとしてひとつの枠組みをつくり、クロッピングセンターを中心にしてその下部プログラムを推進して行けば良い。子供たちには、そこで今の仕事から脱け出すための技能教育を授けることができる。ひとつの地区では管掌する機関がひとつというのは絶対うまくいかない。法的問題、プレマン、女衒などさまざまな問題が絡み合っているため、抜けが起こる。かれが例にあげたのは、プルンプン地区のストリートチルドレンや子供売春の更生活動をはじめた民間団体の話しだ。子供たちの路上の生活時間を減らし、ワークショップで技能教育を与えるというメソードが取られた。他にも、生殖機能に関する健康維持診察が行われた。そのプロジェクトはバタム、メダン、バンドン、ソロ、ジョクジャ、スマラン、スラバヤの7都市で成果を上げたものだというのに、なかなかうまく行かなかった。子供たちの売春行為は一向に減らない。ついにメソードを変えざるをえなくなった。売春を止めるのが困難であるなら、少なくとも性行為の中に隠れている危険を教えておこうという考えから、性教育が教導教材の中に加えられた。
ディアン・ミトラ財団は、もっとも理解しやすい言葉と教え方で定期的に性教育を行っている。教える内容は伝染性性病やエイズ、そしてその他のフリーセックスがもたらす危険について。「子供たちはその三点をすぐに呑み込み、性行為を誘われたときに思い直す力になりはじめている。」と語るスルヤナ。この性教育は学校の正課のように公式に与えられるものとは異なっており、ビデオ、写真、カセットなどが使われる。ディアン・ミトラのソーシャルワーカーはパサルスネンを担当地区とし、そこにたむろする子供たちへのアプローチを行っている。そんなやり方では、売春をサイドジョブにしているストリートチルドレンに対する抑止は不十分だが、すくなくともフリーセックスに巻き込まれそうになったときに考え直す一助にはなるだろう、とスルヤナは考えている。

大都市に作られた子供の宿は、いくつかの点でストリートチルドレンを助ける役にはたっている。タンジュンプリオクのステイアカワン子供の宿のタシャ・ラシャ理事は、「それがあるおかげで子供たちに健康、性行為の危険などを説明してやることができる。」と言う。しかし、子供たちが過ちを犯しても罰することはできない。罰を与えれば、子供はそこから去っていくだけだから。子供の教導は一律に行っているのではない。夜は親のところへ戻る子、学校へ行っている子などで、お金に困っている子には奨学金が降りるように力添えをしている。「小学校で年間30万ルピア、中学は36万ルピア、高校は年間55万ルピアの援助がアジア開発銀行から出ます。」と語るタシャ理事。
学校を退学してしまった子にはビジネスをするように仕向ける。学校へ行きたがらない子には修繕、プリント、コンピュータなどの無料技能教育を与える。ロースティンが率いるナンダディアンヌサンタラ財団は、子供たちだけに意識を持たせるのでなく、子供を包んでいる環境にいる親や大人たちに対しても意識付けを進めている。「子供たちにもっとも身近な共同体に向けての意識付けがいちばん大切です。大人の理解を求めないストリートチルドレン対策に決して成功はありえません。子供たちの多くは潜在的能力を持っています。個人的に見れば、そのような子供たちの責任感はむしろ高いと言えるでしょう。ストリートチルドレンの集団喧嘩なんてほとんど耳にしたことがないでしょう?子供たちを公共社会秩序の障害と見ては、かれらを援助することはできません。そんな見方はこの社会問題を真剣にとらえていないことの表れです。」と語るロースティン。
駐インドネシアILO代表部のイフティカル・アフメド理事も、ストリートチルドレンを公共社会秩序の障害と見る姿勢にやはり批判的だ。「子供たちは、そのような危険なポジションから救い上げ、保護してやらなければならない。ILOは子供の労働活動を減らしていく国際プログラムのために120万ドルの資金を用意している。売春を含む子供の労働行為は、子供にとってたいへん危険なものなのだから。」とコメントしている。


ストリートチルドレン問題は表面上で見えている以上に複雑な問題だ。外から見れば、かれらは都市の美観という名目にそぐわないので追い払われねばならないくずとされているが、かれらの路上の世界の中では、かれら自身も被害者なのだ。かれらは、自分を取り巻く大人の世界が自分に向ける不適切で理不尽な扱いを甘受しなければならない。
そのふたつの世界のはざまで、関心と努力をかれらに注いでいる一群の人たちがいる。そんな民間団体やソーシャルワーカーたちは、人権運動の闘士やマスメディアに媚を売る政治的民間団体活動家たちのように有名でも勇ましくもない人たちなのである。
ソース : 1999年8月13日14日付けレプブリカ


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『被虐待児童』

Children in need of special protectionに当てられた訳語としてのanak rawanは比較的新しい 言葉で、まだ一般に普及するに至っていない。ところが、日常生活の中でわたしたちのだれもがそんな子供たちを見 たことがあるし、少なくともその存在を知っている。ストリートチルドレン、暴力を受ける子供、売春をさせられている子 供、強姦された子供、難民になっている子供、学校をやめた子供、子供労働者・・・・・。そんな子供たちは、みんな不 当な扱いを受けがちな、欄外に追いやられた子供たちなのだ。かれらはしばしば放置されて基本的権利を満たしても らえないばかりか、残酷な仕打ちを受け、児童虐待の被害者となっている。
手元のデータでは、インドネシアに今現在少なくとも1,170万人の学校ドロップアウトの子供がおり、1,060万人が 損傷を経験し、7万人の少女がコマーシャルセックスワーカーとして働かされ、40万人がいくつかの地方で発生した 流血暴動のために難民となるのを余儀なくされ、数万人の子供が路上で暮らし、数百万人が栄養失調にかかってい てそのうちの何千人かは死亡している。

被虐待に分類されるそれらの子供たちは、ふつうわたしたちの目にはあまりとまらず、声も聞こえてこない。かれらは 橋の下にひっそり隠れ、高層ビルにはさまれた狭い区画小屋で暮らし、難民キャンプに収容され、僻村地域に散ら ばっており、政治経済問題の喧騒さに比べれば、被虐待児童問題は少しも重視されていない。
政治の舞台においては、この問題は実に何番目かのものに過ぎない。国家リーダー交代、ブログゲート・スキャンダ ル、対外債務、金融界再建、立法府行政府間抗争等々、早急に解決されるべき多くのことがらがあるとされているの だが、その同じ時、政治エリートのエネルギーと関心が権力争奪に使い果たされている時、特別な保護を必要として いる子供の数は、毎日いや毎秒、止めようもなく増加し続けているのである。

虐待された子供の話しがマスメディアに登場すると、人間としてわたしたちは、だれもが必ず憐憫と同情を抱く。スラバ ヤでまだ少女だった女中が雇い主に虐待されて死んだとき、大勢の人が続々と支援を差し伸べ、虐待者を呪詛し た。インドネシアの数万人の少女が隔離売春地区で働き、好色男のセックス玩具となることを余儀なくされていると報 道されれば、多くの人が憐憫の涙を流した。数十万の子供たちが自分の文化から切り離され、まったく意味のない種 族間抗争で殺された親から別れて生きていかなければならなくなったとき、子供難民への援助はすぐに集まった。問 題は、子供が虐待されるとそれほど簡単に同情し、子供の権利が犯された事件には口をきわめて呪詛する一方で、 同じようなケースの再発を防ぐために意味のある措置がどれだけ取られているだろうか、ということだ。
さまざまな児童虐待事件は、政治エリートの目には暫定的偶発的なものとしてしか映っておらず、問題の核心とは見ら れていない、という印象が強い。貧困への対応措置が十分行われていれば、さまざまな児童虐待事件など発生するこ とはなく、ストリートチルドレンの出現もなかっただろう。水平コンフリクトが軽減されていれば、子供が難民になることな どありえないし、公共保健サービス施設が適切なものになっていれば、飢餓による浮腫で子供が死ぬこともない。
多かれ少なかれ、そんなロジックが政治エリート層に広まっており、そのおかげで必要な対応措置はころころと変わ る。そこにあるのは、貧困と政治紛糾が片付いていきさえすれば、児童問題は自然と解決されていく特殊な問題だと いう見方だが、本当にそうだろうか?

法治国家としてインドネシアは十年以上前に子供の権利条約を批准し、最近では教育の継続にとって反生産的な労 働搾取の世界に子供が落ち込むのを防止することを核としたILO第138号と第182号条約をも批准した。しかし長引 く経済危機の発生が国家経済をめちゃくちゃにし、政治状況を混乱させている、との名目によって、まるでそれら諸条 約の条項の実施が延期されるのは正当であるかのように扱われているのである。そして、実に皮肉なことに、インドネ シアには今現在も児童保護に関する適切な法令が存在していないのだ。もう何年にもわたって、児童保護法の草案 が検討され国会に提出されているが、いろいろな理由でいまだに公布されていない。そして、児童保護法案が真剣に かつがれないのは、それが議員に経済的利益をもたらさないからだ、といううがった囁きが流れているというのに、ここ でも危機状況が容易にスケープゴートにされている。
高く掲げられた民主主義や地方自治の問題とは異なり、児童虐待の問題は議論や実行の面ではるかに遅れていると 言えよう。正常な暮らしから欄外に追いやられ、のけ者にされた子供たちのために闘おうと、本当に心の目を開いた 政治エリートは数えるほどしかいない。民主主義や透明さについて巧みに話す政治家はたくさんいても、歴史の片隅 に閉じ込められ、あるいは絶え間なく移り変わる季節のように忘れ去られていく行方不明の子供たちの将来に関心を 持つ者は、実にひとりもいない。
子供には発言権がなく、発言したとしても公衆はそれを取り上げようとは決してしないため、子供たちは告発すること ができないのがふつうだ。しかし、恐怖と虐待の中で何年にもわたって生きてきた子供の脳裏に、自分たちはうち捨て られ、力もない被害者だ、というトラウマ的感情の暗い記憶の影がやどるのは不思議でない。常に暴力の的になり、の け者にされた子供が、大人になれば暴力をふるう側に変貌することは歴史が証明している。そしてわたしたちを不安 に落とし込むのは、わたしたちが一個の民族として、知らず知らずのうちに、将来刈り取らないわけに行かない悪い種 をまいているのではないか、ということだ。
重大な政治経済問題の解決は、わが民族が危機状況に冒されて一層没落して行かないようにするために重要かもし れないが、適正な成長発展のために、子供を搾取から守り、真剣に基本的権利を保証し活性化してやることは、最大 の関心が払われてしかるべき長期投資プロセスの一部なのである。
ソース : 2001年11月27日付けコンパス
ライター: Bagong Suyanto アイルランガ大学社会政治学科教官、東部ジャワ児童保護機関R&D部門長


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『無邪気で、逃れる力もない 〜 マカッサルの子供労働者』

赤信号がついた。ついさっきまで突っ走っていた車、バイク、ベチャなどは仕方なくブレーキをかける。車の中から罵声が飛んだ。「おい、端に寄らんか!ひかれるぞ、分からんのか!」
信号が緑に変わるのを待っている十数台の乗り物の間を縫うようにして、8人の子供たちが車に取り付き、顔を窓ガラスにくっつける。そんな罵声など気にもとめずに、百ルピア、二百ルピアの金を求めるのだ。金をくれる人、とっさに顔をそむけて子供たちに気がつかないふりをする人・・・・・・。

路上でさまざまな人が浴びせる罵声、叱声やその他のひどい仕打ちは、10歳のリサルにとってあまりにも当り前な日常の生活体験となっている。6歳のころから路上で過ごしてきたリサルにとって、過酷な仕打ちは他人からだけでなく、自分の母親からも受けるものなのだ。
「おれが座ってばかりいると、かあちゃんはよく怒って叩くんだ。あれがかあちゃんだ。」
道路の向こう側に座っている女性を指差しながら、リサルはそう語る。
毎日、朝6時から夜9時まで、まだ2歳の弟アウィを抱っこしなければならないリサルは、座っていたり仲間とふざけあっていると、よく母親に怒られる、と言う。ところが、母親自身は何もせず、暑かろうが雨が降ろうがおかまいなしに、リサルに「働け」と命じて怒鳴るばかりだ。そんな母親の振る舞いは、サッカーコートの外に立って、プレーヤーに向かって叫ぶサッカーコーチの姿を思い出させた。


リサルはひとりではない。南スラウェシ州マカッサルの大モスク前交差点に毎日たむろしている3歳から9歳の十数人の子供たちも同じだ。みんな、母親に遠くから監視されている。乗り物が停まるたびに、子供たちはあらそって車に近づき、手を差し出す。すぐに動き出さないと、道の向こう側にいる母親たちがすぐに目をむいて叫び出すのだから。子供が立ち上がって車に近寄るのを目にすると、母親たちもまたつつましやかに座り、果物のランサッを口に運びながらおしゃべりに戻る。
毎日がそれだ。子供たちは休みなしに15時間、路上で働く。親はリラックスし、子供は身を粉にしている。リサルとアウィの母親、30歳のワンギは、女中の仕事以外に自分ができる仕事はもうないから、仕方なく子供におもらい乞食をさせている、と認める。
「いまは楽じゃない時代でしょうが。あたしゃ、前は女中をしてたけどやめさせられた。仕事はもちろん探してるけど、そりゃむつかしいわ。しょうがないから子供に働くようにさせてる。そうでもしなきゃ、食べるものもないんだから。借金はいっぱいで、夫は働いてないんだもの。」食べ物や飲み物とふたりの子供の着替えが入ったビニール袋を片付けながら、かの女はあけっぴろげに話す。

リサルは毎日、2万から3万5千ルピアの金を手に入れる、とワンギは語る。「路上での子供たちの安全を心配しないのか?」との質問に、車にはねられたり、排気ガスを吸いすぎて病気になるようなことは全然心配していない、とワンギは平然と答えた。
「子供らは、小さいころから路上に慣れてるから大丈夫。赤信号になると、車がいっぱい停まるけど、あの中に病気してる人なんかひとりもいないじゃないの。」
リサル自身も、常に危険に満ちあふれた路上の交通がもたらすリスクを怖いとは思っていない。「前は怖かったけど、いまは違う。もう慣れたよ。いま怖いのは、おれたちを捕まえて警察に連れてく公共秩序安寧職員の方だ。一度捕まったことがあるけど、かあちゃんが迎えに来てくれた。」埃と車の排気ガスで黒いしみだらけになっているアウィを抱っこしながら、リサルは思い出を話す。


危険をものともせず、身を粉にして家族を養わねばならないリサルと同じような体験を、アミ8歳、ミア13歳、ジュムリ11歳、アンサル6歳たちも、ロサリ海岸で毎日靴磨きをしながらつちかっている。パバエンバエン市場でバイクの駐車番をしている9歳のナムリと11歳のラヒムの兄弟もそうだ。小さいころから働かねばならなかった5人の子供たちは、もう学校には行っていない、と告白する。かれらが学校に行くことは経済的に不可能なのだ。
「だって、あたしはかあちゃんを手伝って弟を見てやらなきゃいけないし、とうちゃんもベチャ引きして働いてる。とおちゃんは、金がないから学校へ行かなくていい、と言った。お金さえあったら、あたしは学校へ行きたいけどね。」弟も靴磨きをしていると言うアミはそう語る。同年代の子供たちのように学校に行かず、親の言いつけに従っているほかの4人の話しも同じトーンだ。
「とうちゃんが死んじゃったから、あたしが稼がなきゃいけないの。にいちゃんたちも、たばこ売ったり、新聞売ったりしてみんな働いてるよ。かあちゃんはずっと家にいる。」と正直に話すミア。

子供靴磨きは、毎日夕方4時半から深夜12時まで働き、だいたい一日5千から8千ルピアを手に入れる。土曜の夜にもっと大きな収入が得られるのは、働く時間が午後3時から深夜1時までと長くなるからだ。
「だって、やってくる人がもっと多いもの。靴ひとつで1千ルピア。お金はかあちゃんにすぐ渡す。お米を買うためよ。そのあと、かあちゃんはあたしに小遣いを5百ルピアくれる。」と語るミア。
靴墨とブラシの入った小さい箱を持って、子供たちはやってくる人ごとに靴磨きを奨めながら、休みなしにメトロ・ロサリ通りを回る。「仲間がいっぱいいるから、こうやって真似してるんだ。靴墨に3千5百ルピア、ブラシに2千5百ルピア、合計6千ルピアが元手だよ。」とジュムリは言う。


幼い年齢と小さな身体は、路上でのかれらのポジションをきわめて弱いものにしているようだ。とりわけ、かれらの交渉力は低い。アミ、ミア、ジュムリ、アンサルたちは10時間働いた後で、タンジュン・アラン地区にある家まで歩いて帰るのを怖がる。なぜなら、かれらはほとんど毎日、年齢がずっと上のストリートチルドレンや物売りに行く手を阻まれ、稼いだ金を脅し取られるからだ。
「だからおれたちはみんな一緒に乗合いで帰るんだ。5百ルピア使って。だって道をふさがれると怖いもの。あいつらは税金屋と呼ばれてて、金を取り上げるんだよ。渡さないと撲るんだ。撲られると痛いから。あいつらは大きいもの。」ジュムリはうつむきながら、みんなを代表して話す。

認識されているかどうかは別にして、路上で働く子供たちは、その環境にいる大人たちから暴力を受けやすい。物理的なものや心理的なもの。自分の親から、あるいは他人から。大人の搾取に対しても、子供特有の無邪気さがそれを子供にあまり意識させない。一日中働かされても、子供たちは楽しそうにやっているのがその証拠だ。赤信号で乞食をしている子供たちのように、そこで抑圧を感じるどころか、路上を遊び場のように思っている。ましてや、子供たちを働かせている父や母はかれら自身の親であり、かれらは愛情で結びついている。ただ、実際に金を手に入れて来なければ、かれらは親に怒られるのではあるが。

ストリートチルドレンの数も日を追って増加している。困難の度を増す経済状況が働き口をますます狭めているから、という理由が聞こえてくる。アトマジャヤ大学社会開発調査センターと社会省が1999年に南スラウェシ州をはじめ12州で行ったストリートチルドレンのマッピングとサーベイの結果を見ると、マカッサルでは4,026人のストリートチルドレンが57箇所の集中ポイントに散らばっていたが、2000年には6千人に増えている。
ストリートチルドレン対策として、政府は州庁社会局に管掌を委ね、28ヶ所に子供の宿を造って子供の収容と更生をはかった。ところが、たいていの子供の宿は、ストリートチルドレンに必要な事柄に関する検討なしに造られたため、有効性を欠いた。子供の宿を建てれば問題が解決する、などというものでは決してなかったのだ。政府は、子供たちの背景、要求、潜在性、状況や問題などに則して児童問題を理解し、措置を取らねばならない。女性活性化法律援助機関マカッサル支部のクリスティナ・ジョセフ理事は、もし政府が児童問題を根こそぎ解決しようと思うなら、いろいろな要求を持つ主体者として子供を見てやらなければならず、また、親に搾取される子供を守るために児童保護法を作る、というようなことが必要である、と述べている。
「いま必要とされているのは児童保護法であり、これまでは子供の権利に関する国連条約を批准した1990年度大統領令第36号だけしかありませんでした。法の立場から子供を保護するものがまだないのが実態であり、子供の能力を超えて子供から搾取しようとする親に対して制裁を与えることはまだできないのです。」とクリスティナ理事は詳しく説明する。

今現在、インドネシアには親を取り締まる法的よりどころがまだない。それだから、児童問題はいまだに解決が困難なのだ。親に対するアプローチも必要であり、児童保護法はその手段のひとつなのである。児童保護法案はほぼ三ヶ月前に児童保護委員会から国会に提出され、審議を経て承認を受けるばかりとなっている。
「もし児童保護法が施行されれば、民間団体でもだれでも、子供を搾取する親を治安職員に届け出ることができるようになります。マレーシアでは既に行われていることなのです。」と語るクリスティナ理事。
だから、その法令は子供たちを暴力から守るためにとても大切なものなのだ。マカッサルの子供たちを含むすべての子供たちを守るために。
ソース : 2002年3月20日付けコンパス


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『中高生タウラン、怒りと殺しの集団喧嘩』

あの場所はもうプルタミナ中央病院になってしまった。南ジャカルタ市クバヨランバルにあるマイェスティック市場と映画館に近いその場所は、1950年代にはまだ空き地だった。小川に囲まれたその空き地は、クバヨラン・バルにある国立中学校三校のうち二つの学校の生徒がタウランをする常設闘技場として知られていた。


タウランはたいてい土曜日に、そのふたつの中学校生徒がマイェスティック映画館で映画を見た後で起こった。(月に一度、午後三時に上映が始まる。)
映画館の中で口喧嘩がはじまり、今プルタミナ中央病院になっている空き地で喧嘩するべく互いににらみ合う。お互いに「ガンつけた」あるいは一方の女子生徒が他方の男子生徒にひやかされた、といったほんのつまらないことがその原因となる。いや、時には何が原因かさえはっきりしないこともある。
ふつうは喧嘩しあう人数の合意がある。15人あるいは20人だ。空き地では、生徒同士が素手でやりあう。まずは両グループで一番身体の小さい者同士でスタートする。制限時間は1〜3分。敗れた生徒が負けを認めて勝負が終わる。続いてそれより少し身体の大きい者同士が対戦し、そうやって最後にリーダー同士の争いとなる。リーダーになっているのは、たいていグループ内で身体の一番大きい者だ。一方が負けを認めたところで喧嘩は終わり、闘った全生徒は家に帰る。
しかし、村落治安組織OKDのパトロールが来ると、勝負はしばしば中断する。それは、OKDパトロールが警察よりも獰猛で恐がられていたからだ。カーキ戦闘服にはだしでラクダ自転車に乗ったパトロールがやってくると、生徒たちは慌てふためいて退避した。

ということで、少なくとも1950年の主権委譲以来、生徒のタウランは行われていたと言えよう。生徒同士のタウラン・アリーナの例のひとつがクバヨラン・バルのその空き地だ。中央ジャカルタのタウラン・アリーナとして更に名を馳せたのは、ディポヌゴロ通りとチキニ・ラヤ通りの十字路となっているメトロポール映画館(メガリア)の敷地だ。当時は、武器を持たずに素手で、騎士道風に一対一で喧嘩がなされた。むろん怒りが喧嘩のはじまりだが、当時の生徒同士のタウランは怒りを伴ったにせよ、殺意にまで発展することはなかった。
1955年〜1960年頃の中高生タウランは、学校外のギャングという形態で行われるようになった。当時有名だったギャングはマラブンタ・ボーイズ、スレンダン・ボーイズ、マグニン・ボーイズなどで、ジーパンと身体に貼りつくようなシャツの上に皮ジャンという特徴的なスタイルをしていた。この時期は、タウランが一対一の喧嘩から集団暴行へと移行した時期だ。そして鉛のバックル、メリケン、自転車のスポークなどから、果てはナイフ、刀、斧に至る武器が使用され、ついには死者を出すようになった。故パッ・カスルの主導の下、プンチャックへの合同ピクニックなどが催されてタウランは沈静化した。
しかし、1960年代にも生徒同士のタウランやギャング間のタウランは依然として起こり、クバヨラン・バルではレゴス・オクソやラディオ・ダラム・クラブなどのギャング団によるタウランは絶えることがなかった。武器をもてあそび、集団暴行を行ったので死者が出た。ましてや、狩猟ナイフ、斧などの武器を手に、不意をついて敵を襲撃するという行動はもはやタウランではなく、それは殺人行為だったのである。

死を生む生徒同士のタウランが起こっているため社会が最近不安を抱いているという事実は、生徒同士の暴力抗争が1950年代以来常に存在していたことを意味している。なぐり、斬りつけ、突き刺す。おまけに後ろから。そして通行人をこわがらせる路上での乱闘。初期のタウランはそんな形を取っていなかった、というだけの話しなのだ。
「近年頻繁に目にするようになったタウランは、実際には20年前から存在していた。」と心理学者サルリト・ウィラワン・サルウォノは語っている。首都警察社会指導局のデータは、生徒同士のタウランが2000年は197件、2001年は123件あったことを示している。死亡した生徒の数は2000年が28人、2001年は23人。重傷を負った生徒数は2000年22人、2001年32人だ。
最近では、生徒同士のタウランが高校生から中学生のレベルにまで降りてきている、という新たな心配事もある。白シャツに青色の半ズボンという制服を着た生徒たちが、短刀、山刀、鎌あるいは斧などを手に下げて、ぞっとするような顔つきで道路に群れているのを見れば、ひとは誰しも不安にならないはずがない。
最近の中高生タウランはますます頻度を増し、ますます盛んで、ますます野蛮、ますます獰猛で、もはや子供の非行の度を超えて犯罪化(暴行、殺人、強盗)が当り前になっている、と親、教師、心理学者、社会学者からドライバー、商人、商店主、歩行者に至る一般市民まで諸方面は声高に叫んでいるが、昨今の中高生タウランには手のつけようがない、という印象を受けている。この未来を担う世代に関する問題を解決することができないように見えるのだ。いったい、みんなは何を望んでいるのだろう?

この問題の複雑さはたいへんなものだ。おまけに、タウランに加わった一部生徒の意見を読むと、かれらはそれをすこしも異常なこととは思っておらず、ましてや誇りにさえする者がいる。経済危機からの回復とよく似た複雑さがそこにある。インドネシア経済の回復などどうでもいい、とそれに構おうとしない者。あるいはそれを望まず、阻害し邪魔する者。いや、タウラン問題は経済回復よりもっとむつかしいものなのかも知れない。なぜなら、往々にして少年非行としか見なされない生徒同士のタウランや青少年犯罪の克服に比べて、経済回復問題の方がはるかにその解決を想像しやすいからだ。
タウランに加わる生徒たちの感想を読むと、連帯、威厳、自己卑下に陥らないための自尊心、自分をさしおいてという感情、相手を挑戦的と感じる、先輩たちの遺産、その他さまざまな気持ちがそこにある。

この生徒同士のタウラン問題克服のためにさえ、例によって講演やセミナーがある。「生徒の信仰心の強さに欠陥がある証拠」にはじまり、「親との関係が良好でない」「授業時間が空いているため、暇な時間がありすぎる」「善良な生徒が非行生徒から影響を受ける」「麻薬の影響がある」などさまざまな分析があり、その対処方に「宗教学習」「課外活動」からはては「麻薬の売人」までが上げられている。
その他にも、貧困稠密で息苦しい居住環境、公共運送機関の不足によって生徒の群集化が起こりやすい、などといったマクロ環境要因の例証が上げられているが、それらは政府にも社会にも解決できない問題であるため、生徒同士のタウランを止めることも、なくすこともできないのだ。さらに、公共施設を破壊し、殺人まで犯すタウラン参加者が、民族の未来を継承する世代であることから、注意や教育を与えれば十分であり、刑に服させるようなことをする必要はない、といった意見さえあるが、サルリトは、それらのパラディグマは誤りだ、と考える。なぜなら、このタウラン問題を生徒個人の問題ととらえているからなのだ。
「ジャカルタの生徒タウラン」と題するオーストラリア・クインズランド大学のウィナリニ・マンスルが書いた学位論文を引用して、サルリトは「タウランは群集行動に属すものであり、生徒個人の性質や振舞いとは無関係だ。」と述べている。日々まじめで勉学にいそしむ生徒が、タウランの中で獰猛な殺人鬼に豹変することは起こりうるのだ。

特定の生徒集団はたいへん団結したグループを形成しているが、それは他校生徒に襲撃されるという脅威を常に感じているからだ、というベーシックな事象をウィナリニが発見した。団結だけがかれらの身を守るのである。グループは校外で、特にバスの中やバス停で形成される。
それゆえに、インドネシア大学心理学部は、特定の曜日と時間に治安維持機構の厳しい監視と警戒によって、ベースポイントと呼ばれるものをつぶすことでの完全解決を提唱している。タウランは毎日、四六時中起こっているわけではないのである。タウラン場所周辺住民も巻き込んで行われることになるが、それは憤懣に触発された蛮行の形では決してない。そのようなことをすれば、犠牲者が増えるだけだ。他にも、アマチュア無線、ボーイスカウト、乗物クラブ、赤十字などの民間組織にも参加してもらう。

実に、その提案はあらゆる方面から熱烈に支持された。ところが実行段階まで来て止まってしまった。資金(誰がまかなうのか?)に加えて、競争、嫉妬、行政側からのねたみなどの問題のせいだ。だから、生徒同士のタウラン問題解決の答えは既に存在している。政府、治安機構および諸方面がそれを問題解決の方策だ、と受け入れているものの、いまだに実行できないでいるだけなのだ。ポイントは、生徒同士のタウランが優先度の高い問題ではなく、とりわけ治安機構職員のオペレーション用資金をまかなうための予算に関連する部分でそうなのだ。
おまけに、路上で運転中に生徒同士のタウランに襲われて恐怖とパニックに包まれた人の中にさえ「タウランやってる生徒に注目するな。タウランやらない生徒の方がはるかに多い。タウランが多いのはジャカルタだけだから、全国の生徒と比べてごらん。」と言うひとがいる。だから、民族の未来の希望集団であるこのタウラン生徒たちが、あまり親身に関心を払われていないのも当然だ。「あんたたちが何になりたがっていようが、どうぞご自由に。将来がどうなったとしても。」未来の世代の政府や社会が自分の時代の面倒を見ればいいのだ。今の政府や社会がその時代の面倒を見るのじゃなくて。
ソース : 2002年5月12日付けコンパス
ライター: Salomo Simanungkalit, Indrawan Sasongko


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『タウラン高校生群像』

[ 後悔,ランキングそしてスケジュール ] 「あの事件のあと、ものすごく後悔してるし、とても怖い。本当は自分の身を守りたかっただけなんだ。あのとき、あっちが日本刀で襲ってきたから、おれの手も知らない間に鎌刀を振るってたんだよ。」
東ジャカルタ市ハリム・プルダナクスマにあるグタマ航空工高三年生のドゥイ18歳の言葉だ。東ジャカルタ市ススカン町のボゴール街道にあるカロルス・バス停前で4月18日に発生したタウランで、鎌刀で斬殺されたヤソン18歳の殺害容疑者がこのドゥイだ。

今ドゥイは、東ジャカルタ市警察の留置場で次の手続を待ちながら日を送っている。かれの犯した行為のために、7年から12年の懲役刑がかれを待ち受けているのだ。ドゥイと同じ房には、タウランの後であまり間を置かずに逮捕された4人のグタマ職業高校生も入っている。その中のひとりトレスティアワンは言う。
「こんな風に捕まっちまって、タウランやるのはもうこりごりだ。家族の顔に泥を塗るし、迷惑掛けるばかりだ。おまけに学校もすっきりしなくなったし・・・。」
トレスティアワンは、タウランに加わったのを何度か親に知られている。ドゥイも腫らした顔を2回、親に見られている。だがトレスティアワンは、同じ通学仲間との連帯感から、タウランに加わるのをやめない。タウランに加わるとき、心の中は恐怖心で満たされる。鉈や日本刀で斬られるのが怖い。しかしもし加わらなければ、心にやましさを抱えることになる。喧嘩出入り騒ぎの中で、しばしば状況に流されるまま行動することがある、とかれ自身が認めている。

それは聞き飽きるほど聞かされた話しだが、もうそれほど頻繁に耳にもしない。飯が粥になってしまったことへの単なる後悔なのだろう。実際に関わっているのは、青年期に噴出する、充足感の無い自己表現の方法なのだ。連帯感、威厳を求める、自己卑下を遠ざけるための自己尊重、自分が差し置かれたという意識、相手が挑戦的だ、先輩の遺産を受け継ぐ、その他もろもろの偽りなんかではない。
ジャカルタの高校生同士のタウランは、山羊級の私立学校だけでなく、国立学校も関わっている。そして、勉強しない劣等生よりも、その学校でランキングの上位にいる生徒の方がむしろ関わっている。実例は、東ブカシのカルヤグナ職業高校三年生ドゥナン・パラダ・シリトガ18歳が5月4日に死んだ事件だ。その集団暴行は学校間で代々続けられてきた敵対関係の頂点をなすものだった。


東ブカシ支署のTPシマグンソン諜報捜査班長率いる警察チームは、EB17歳を5月8日午前3時半頃逮捕した。EBはブカシ郡チビトン地区にある職業高校二年生で、主犯容疑者だった。警察は事件現場の目撃者の証言から得た情報をもとに、二日間高校生に変装して犯人の身元を洗い出した。
学年成績ランキング5位のこの篤信の生徒は、タハジュッの礼拝のあと自宅で逮捕された。同じ日の昼に、ドゥナン・シリトガ殺害に当たって、凶器を渡して犯行を煽ったと見られるLM19歳も、学校でテストが終わったあとで警察の迎えを受けた。
EBは、抗争するふたつの学校の間にはっきりした問題など存在していない、と言う。しかし,先輩たちが二年間にわたって、カルヤグナ職業高校が自分たちの学校の敵なのだ、という条件付けを行ってきた。カルヤグナの生徒を集団暴行するはっきりした理由など、本当はどこにもないのだ。

EBの母、SM38歳は「あの子は良い子なんです。学校でも,家でも。」と泣きながらかきくどいた。義理の父親さえ、あの子は不良少年のような性質は持っていない、と保証する。EBは勉学熱心で、学年ランキング5位であり、誰とも交際でき、タバコなど吸わず、毎朝早起きし、礼拝を欠かしたことがなく、ギャングなども作らず、礼儀正しく、親の言いつけに良く従い、正直だ。
母親の話しでは、自分はあやまって人を殺してしまうという災いに陥った、とEB自身が親に報告してきたそうだ。その事件があった日の夜、EBはタハジュッの礼拝とヤシンの祈りを普段より多く行い、断食をしている。
これも聞き飽きるほど聞いた話しだ。生徒が関係した事件でなくとも、よく読んだり聞いたりする。では、タウランに関わる生徒はいったい誰なのだろうか?


バハリワン工業高校生オリは、タウランに加わるのは威厳を守るためだと言う。「タウランに勝った学校は、たいてい他の学校の生徒から畏敬されるようになる。」5月7日の夕方、ポンドッ・ウグの三叉路で会ったさいにオリはそう語った。
アル・アヒヤルの元生徒ナウマルもそう語る。タウランに加わるのは、威勢や知名度を高め、他校の生徒から怖れられるようになるためだそうだ。「ほかの連中がおれたちを怖がったら、おれも仲間も喜ぶね。」刃物を所持していたためにアル・アヒヤル工業高校から退学処分を受けたこの元生徒はそう話す。かれはいま、インドネシア・ビジネス経済高校に通っている。

口実として学校間に敵対関係を生じさせる引き金となるのは、ほんの些細なことがらだ。ナウマルの話しでは、かれや仲間たちが他校生徒から金品を脅し取ることで敵が作られる。「もしそいつらが脅しに従わなかったり、怒ってきたなら、すぐタウランやって敵になる。」その敵対関係は次の学年の者たちに引き継がれて行く。
オリは、自分たちがどうして他の学校の多くの生徒と敵対関係にあるのか実際に知らない、と認める。学校に入ったとき、どの学校が自分たちの敵なのかを先輩たちが教えてくれたのだ。
アル・アヒヤル職業高校三年生のアダムも同じ話をする。自分の学校がどうしてリステッ・ジャヤ工高やムルチュスアル工高と敵対しているのか、かれは知らない。「要するに、おれがアル・アヒヤルに入ったとき、先輩が『おれたちの敵はリステッのやつらだ。』と言った。だから、やつらと戦ってる。」小柄な身体のこの生徒はそう話す。
先輩たちはそうしておいて、新入生にタウランの訓練をほどこす。新入生はたいていタウランの最前列に立たされる。かれらが負ければ、次に控えた二年生が前に出る。それも負ければ、タウラン関連で長い経験を誇る三年生がやっと最前線に顔を出す。
タウラン参加生徒を集めるのは、さして難しくない。生徒たちはほとんどが、ベースと呼ばれる15〜20人の小グループに入っている。そのベースのメンバーはたいてい、家が同じエリアにあったり、同じ方向のバスで通学している。ひとつの学校には十数個のベースがあるのがふつうだ。アル・アヒヤル職業高校のプディ・サフディ校長は「自分の学校には15から20のベースがある。」と語っている。
ベースのメンバーはまとまりが強く、タウラン度胸が一番あると見られている者をリーダーにしている。一般的に、個々のベースは少なくとも2〜3丁の鎌刀、鉈、山刀、そして鉄定規や石などを揃えている。「そういうものはワルンに預けとくんだよ。」全メンバーがブカシ在住の20人で構成されているベースの一員、オリの言葉だ。


オリは毎日どのような暮らしをしているのだろう?かれのスケジュールを見てみよう。
昼12時に学校へ行くために家を出る。ウジュン・メンテン市場の前にしゃがんで仲間を待つ。みんながそろうと、プロガドン経由で学校へ向かう。
学校の下校時間は夕方5時だ。授業がなければ4時に学校を出ることもある。帰るのは、同じベースの仲間20人と一緒。ウジュン・メンテン市場の前にみんなで戻る。オリはそこで仲間と別れる。時にまっすぐ帰宅することもあるが、ポンドッ・ウグでアル・アヒヤル工高の生徒たちとよくとぐろを巻く。そこで女生徒をひやかしたり、リステッ・ジャヤ工高生の行く手をふさぐのが、オリのお気に入りだ。
夜8時に帰宅。食事と水浴のあと、両親の内職を手伝う。そのあと深夜0時までテレビを見る。家の周囲はあまり人気がないので、外に出てとぐろを巻くことはしない。0時ごろ就寝。起きるのは翌日の昼頃だ。毎日がその繰り返し。勉強などしたことはない。

もうひとつの例は、元リステッ・ジャヤ工高生で、いまウジュン・メンテンのインドネシア・ビジネス経済高校生ナウマル20歳の毎日のスケジュールだ。
11時起床。
13時登校。 しかし気が向かないとサボる。学校近くで下校時間までとぐろを巻く。サボりの頻度は月5回くらい。
17時半帰宅。
水浴,食事、マグリブの礼拝、テレビを見る。
21時 家の近くで、ドミノカードを使ったガプレを遊ぶ。もしくは仲間ととぐろを巻く。
深夜1時就寝
[ メモ ] 勉強したことは一度もない。



[ ジャカルタ国立第46普通科高校の素行違反ポイント ]
既に十数年にわたって、南ジャカルタのタウランの雄として名を馳せている第46高校は、汚名返上を求めて生徒の素行ポイント減点方式を1999年から始めた。
学年初日、全生徒はそれぞれ百ポイントを与えられ、違反項目に抵触するたびに該当ポイントが引かれていく。持ち点がゼロになれば、その生徒は否応なく退学処分となる。

クバヨラン・バルのブロックA地区にあるマスジッ・ダルサラム通りに位置するこの高校の周辺で商いをしている商人たちは、タウランの激減に目をみはる。タウラン防止に新機軸を打ち立てた新しい校長に賛辞を呈する人もいる。だが、教職員一丸となってタウラン防止にコミットし、身体を張って生徒の指導に当たるようになった学校関係者全員の成果なのだ。ファトマワティ通りをはじめ、学校周辺の生徒が群集化するポイントに先生たちが早朝からピケを張り、生徒の素行を監視し,指導している。この方式は都内の多くの高校でも行われるようになっている。

生徒の素行違反項目リストは下のようなものだ。
遅刻
1.始業ベル後、第一時限目の遅刻         減点1
2.休み時間後、教室へ戻るときの遅刻       減点2
3.授業中、室外へ出る許可を取ったが戻ってこない 減点4
欠席
1.届け出た欠席                 減点0.5
2.無届欠席                   減点10
3.虚偽の理由による欠席             減点20
4.サボり                    減点8
服装
1.制服を着用しない               減点10
2.制服が乱れている、シャツ裾を外に垂らす    減点5
3.全校集会のとき帽子をかぶらない        減点2
4.サンダル,サンダル靴をはく          減点10
5.靴下をはいていない              減点2
6.ミニスカート、身体にぴっちりした服を着用、いかれた服装 減点5
7.制帽以外の帽子を学校で着用する        減点3
8.スリットズボン着用、ズボンの裾を踏む     減点3
9.医者の診断書なしにジャケットを着用する    減点3
10.保健体育以外の授業に体操服を着用する    減点3
個性
1.女子生徒の濃すぎる化粧             減点2
2.男子生徒のブレスレット、ネックレス、イヤリング、ピアス 減点3
3.男子生徒の髪がシャツの襟や耳を隠す       減点4
4.短髪でも見苦しいスタイルのもの         減点2
5.黒以外の色での髪染め              減点2
6.生徒間で下品な言葉を交わす           減点4
7.父兄の面前もしくは聞こえるところで下品な言葉を発する  減点4
8.他者の感情を傷つける              減点2
9.生徒間で脅かしたり威嚇する           減点25
10.盗む                     減点50
11.授業中に携帯電話を受ける           減点20
秩序
1.学校,教師,事務員,友人、他者の所有物を汚したり落書きする 減点10
2.教師,学校、友人の所有物を壊す         減点25
3.学校の内外で友人と敵対する           減点25
4.授業中に教室で騒ぎを起こす           減点10
5.塀を乗り超えて学校に出入りする         減点5
タバコ
1.学校にタバコを持ってくる            減点10
2.学校内で喫煙する                減点30
ポルノ
1.ポルノ写真、雑誌,印刷物、カセット、CDを所持する  減点25
2.ポルノ雑誌,印刷物、カセット、CDを売買する  減点50
3.ポルノ写真,カセット、CDを見る        減点25
凶器
1.許可なく銃器,刀剣類その他刃物を所持する    減点100
2.銃器刀剣類を売買する              減点100
3.他者を脅かしたり、傷つけるために銃器刀剣類を使用する  減点100
アルコール飲料,麻薬
1.学校内で酩酊する                減点100
2.学校にアルコール飲料や麻薬を持ってくる     減点100
3.学校の内外でアルコール飲料や麻薬を用いる    減点100
喧嘩,タウラン
1.他校の生徒と喧嘩やタウランをする        減点100
2.第46高校生同士での喧嘩、影響が大きい場合   減点100
3.第46高校生同士での喧嘩、影響が大きくない場合 減点50
4.喧嘩を煽動する                 減点50
暴力的な脅しや威嚇
1.校長、教師、事務職員への脅しや威嚇       減点50
2.校長、教師、事務職員への集団暴行や虐待     減点100
ソース : 2002年5月12日付コンパス