[ 結婚のかたち ]


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『契約結婚 〜 ルンバン郡カリサッ村の文化』

結婚は社会生活の規範や規律に配慮しなければならないきわめて神聖な人生の原理であるが、現実にはすべての人がその原理に従っているわけではない。今や結婚の形はますますバラエティに富み、KUA宗教手続事務所を通すものから駆け落ち結婚、さらには社会一般でそれほど多くない契約結婚といったものまでさまざまだ。「契約結婚は大都市に進行しているばかりでなく、奇妙なことに、隔絶した田舎村で経済的動機からその地の文化になっているところがある。」スラバヤのアイルランガ大学研究員シリ・エンダ・キナシは語る。

東部ジャワ州パスルアン県ルンバン郡カリサッ村で、契約結婚はkawin sirriと呼ばれている。そこでは、両者間の合意に従って短期間に解消される結婚が数多く見られる。この村では、男は女の側が同意した結婚金を差し出すことで、契約結婚ができる。その結婚金は一般的に金銭、家の修繕と黄金などであり、この村の女性の大半が二回以上の結婚歴を持っているのは不思議でもなんでもない。
カウィン・シッリの言葉の意味は隠れて秘密裏に行われる結婚ということであり、言い換えれば世の中に知らせることなく、また結婚登記役人を前にして行うものでもない、ということだ。カウィン・シッリは宗教上は正当だが、政府の法令に違反している。スリ・エンダの調査は、カリサッ村の契約結婚を、結婚期間の約束と結婚金の授受が先行するもので、イスラムではkawin mut'ahとアラブ語で呼ばれる契約結婚だと述べている。

快楽
語源的に見れば、カウィン・シッリは「快楽」「悦楽」という理解がなされるものであり、この結婚は性的快楽を得るのを目的としている。イスラム法にもとづけば、契約結婚は、ひとりの男と夫を持たない女の間で結婚関係の終了時期と支払われるべき結婚金を決めて行われる「契約」あるいは「約束」であり、結婚宣誓を行い、結婚金と結婚期間の決定を双方が合意するのがその条件だ。男の側は一度にすきなだけの人数の相手と結婚することが許されているが、女の側は契約期間中はひとりの相手としか結婚できない。

カリサッ村の契約結婚は組織的に運営されており、村の男にも村外の男にもその機会が与えられている。村民が契約結婚を望んだ場合、かれはキヤイやモディンに相手を捜してもらうよう依頼する。するとキヤイは夫のいない女を捜し、その親に対して「娘に結婚を申し込みたい男がいるが、どうか?」と話しをもちかける。たいていの場合、親は娘の意向など尋ねることなしにその場で了承し、娘の写真を差し出す。親からその話しを聞かされると、親に反抗すると見られるのを怖れて、ほとんどの娘は一も二もなく即座に同意する。結局、親の選択がベストと考えられているのだ。
娘の写真はモディンが男に提示する。男は同意すると結婚費用として10万〜20万ルピアの金を差し出す。その金は結婚費用にあてられるほか、村役の間で保安費用として分配される。結婚式にはせいぜい新郎新婦の隣人あたりが招待される。

一方、カリサッ村の外から契約結婚を求めてやってきた男の場合は、手続がもう少し複雑になる。かれはトゥカン・オジェッに頼んでモディンやキヤイに引き合わせてもらわねばならない。トゥカン・オジェッは男を乗せて村内をぐるぐる回り、乗車賃を高くする。そのあとモディンあるいはキヤイの家に着くと、キヤイはすぐに斡旋者に連絡し、斡旋者はただちにジルバブを着けた女を連れてくる。男がその相手に同意すると、キヤイあるいはモディンの隣人を招いて契約結婚の宣誓が行われる。
結婚宣誓のさいに、結婚期間や結婚金ならびに50万〜100万ルピアの結婚費用が決められる。もし男がその相手に同意しなければ、気に入る女が見つかるまで相手が代えられる。そのさい、結婚費用は百万〜4百万ルピアまでアップする。これはAMDアラブ入村と呼ばれて一般のひとびとに知られている。
結婚費用は、キヤイだけでなく結婚相手の女性、トゥカン・オジェッ、斡旋担当村役、警官らのあいだで保安費用として分配され、一部はムショラやモスクに寄付される。宣誓が終われば、新郎新婦のカップルはモディンやキヤイが用意した場所で、夫婦として当然の行為、同衾をすぐに行うことができる。
ソース : 2001年10月付け ビジネスインドネシア


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『異宗教間婚姻 〜 形式上の合法性という問題だけではない』

ブチェとウニク・プリシラ、カトン・バガスカラとイラ・ウィボオ、アマラとフランス・リングア。かれらの結婚はまだ記憶に新しい。宗教の違いが結婚へのかれらの足取りを弱めることにはならなかった。
ブチェは結婚の式典をプンフルの前で、とウニクの家での二回行った。カトンとイラはプロテスタント教会での結婚を選んだが、それはカトリック教会がかれらの結婚を許すはずもなかったからだ。アマラとフランスは香港を結婚の場所に選んだ。

異宗教者間の婚姻はもっとたくさんある。セラブリティたちのものはほんの一例であり、世の中ではもっと頻繁に起こっている。
結婚の取り扱いを職務とする宗教省職員ナジド・アンワルは「異宗教間カップルの結婚申請は続々と届いている。グローバル時代の今日では、なおさら増えている。しかし、婚姻に関する1974年度第1号法令では同一宗教者間の婚姻が原則とされているため、インドネシアの法制度上ではそれは不可能だ。その第1号法令第2条第1項は『両者の宗教や信仰の決まりに従って行われることで正式とされる』とうたっている。」と語る。

とはいえ、違反できない法令はない。その問題の克服を多くの人たちがトライしている。たとえば、南ジャカルタの民間会社で働くデウィとベニーのカップルの例を見てみよう。最初は家族に反対されたが、結婚できてほっとした、と二人は言う。
ふたりは宗教の壁に阻まれるのを拒んだ。デウィはイスラムの勤行に熱心な方だし、ベニーも宗教の教えに忠実だ。ジョクジャ出身32歳のベニーは篤信のカトリック教徒だ。そして、恋がふたりをとりこにした。6年間愛情を交し合ったふたりは、互いの両親の反対を押し切って結婚した。ふたりが求めた解決方法は、まずカトリック教会で結婚を行うことだった。それは結婚した後、ベニーの両親の干渉を許さないことを目的にしていたのだ。カトリックでは、子供が結婚すれば親の義務は終了する。だから結婚後、親が介入しないようにするためにベニーはそれを選んだ。
次のステップはプンフルの前での挙式だ。例によって、結婚宣誓の前に新郎はシャハダッを唱えさせられる。ベニーが唱えたトーヒッドの言葉によってかれがムスリムであると理解され、結婚が正式なものとなった。ベニーの両親は、既に結婚したベニーにもうなにも言えない。この夫婦はひとりの子供に恵まれ、デウィがイスラム式に育てている。

スマトラ出身のビモの場合はまた違う。ムスリムのビモとカトリックである妻のレニはモスクと教会で二度式を挙げた。レニにとって、教会での挙式は自分にとって、そしてまた形式上の合法性という意味でも大切なことだった。一方、西ジャカルタの民間会社に勤めるビモにとっては、イスラム式の結婚によってふたりの関係が正式なものになった。KUA宗教管理事務所に登録されなくとも、アフルル・キタブの女を娶ることはイスラムで正式な婚姻と認められる。
教会での挙式は民事登録所での登記を容易にするためだった。ビモには将来こどもをどちらの宗教で育てるか、まだアイデアはない。「どの宗教だって善たるべきことを教えているんだから。」とかれは言う。

マルティンのケースはまた別だ。かれは1980年代にイスラム式の結婚をしたが、しばらくしてから前の宗教に戻った。妻と子供はムスリムのままだ。
「それでいいんだよ。」いっときだけ宗教を変えたことについて、かれは「子供が嫡出子として生まれるようにしたんだ。結婚は正式なものだ。証明できるよ。」と語る。
いま高校2年生の子供はムスリムだ。カトリック系の学校に入れているが、妻と子供のためにアルクルアン誦詠の先生を家に来させている。「妻子が良い人間になってくれればいいんだ。」
十数年、家庭の舵取りをする中で問題がなかったわけではないが、かれは最初から備えをしていた。宗教上の問題は極力避けること。かれはラマダンには家の中でいっさい飲食をせず、ブカプアサとサウルは妻子と共に行う。イスラム禁忌に触れる食べ物は避ける。
自宅の雰囲気がイスラム的であるためにクリスマスを祝うことはしないが、妻子はたいていクリスマスプレゼントを贈ってくれる。


イスラム宗教管理局のマシュフル・アミン局長は、異宗教間婚姻は許されない、と明言する。「法令の中に明示されている。しかし、アルクルアンやハディスに則ったものは許される。確実なのは婚姻法だよ。だから無理に結婚を強要するカップルは、法に対する虚偽あるいは不正操作をしていることになる。」
BP4本部の結婚コンサルタントである宗教法官カディのサストロウィルヨノは、異宗教者間の婚姻は禁じられている、と言う。「同一宗教者同士でもいろいろと問題が出るというのに、最初から異宗教では・・・・。」
しばらく前にNUナフダトウル・ウラマの女性ムスリムが催した集まりで、サイド・アギル・シラジュは「ムスリム男性とアフルル・キタブの女との結婚はまだ許される。」と断言している。かれはアルクルアンとハディスを引き合いに出し、キリスト教徒のナイラを妻にしたウスマン、ユダヤ教徒の女を娶ったフザイファ、ジャビル、サイド・ビン・アビ・ワカスらの先例を取り上げている。
中東では、この伝統は今でも続けられており、キリスト教徒のスハを妻にしたパレスチナ大統領ヤセル・アラファトやムスリム男性を夫にしたレバノン大統領令嬢の実例がある。だが、ムスリムの女が非ムスリムの男と結婚するのはあくまでも禁じられているのは聖典に明らかだ。

だから、NU執行部法制委員長であるサイドは、イスラム男性とアフルル・キタブの女との間の婚姻は許されるように、と主張している。「これは基本的人権に関わることであり、基本法で統制されていることだから。」とかれは言う。ところが、NUご婦人方の提議はサイドの主張とは正反対で、異宗教者間結婚は断固禁止せよ、というものだった。現代のアフルル・キタブの女たちが持つべき唯一絶対神への帰依が変化していることとあわせて、異宗教者間結婚は背教や結婚の崩壊が起こるからというのがその理由だった。
宗教指導者の子供が異宗教者と結婚するといった事実もあり、時代の変化がそんなチャンスを広げる傾向にあるため、NU女性たちは更なる規律の乱れが起こらないよう禁令をはっきりと打ち立てろと要求しているのだ。かの女たちは、宗教の違いが結婚生活における不一致を広げ、ついには離婚への引き金になる、と言う。おまけに宗教の教えに背く機会を増やし、また子供の教育は妻に委ねるのが一般的であるため、非ムスリムの妻は子供を非ムスリム式に育てるだろう、とも述べている。

他にも問題がある。カディのサストロウィルヨノは、法の不正操作をしたカップルは離婚しようとするときたいへんになる、と語る。「結婚の証書を二つ持っているカップルは、KUAが出した結婚謄本を持っていれば宗教法廷に離婚申請を出すことになる。だが、それだけではすまない。民事登録所が出した結婚証書はどうする?もう一度、国家法廷に離婚申請をすることになるぞ。」


結婚の選択が基本的人権に反していると主張する民間団体の批判について、マシュフル局長は「関心はもっているが、宗教省には関係のないことだ。国会に言ってくれ。」とコメントする。
ともあれ、現行法令が変わらない以上、異宗教者間の婚姻の機会はインドネシアでは閉ざされている。


アフルル・キタブ ahlul kitab
アルクルアンQS5:3に、ムスリム男性はアフルル・キタブの女を妻にして良いと記されている。アフルル・キタブとは、キリスト教徒、ユダヤ教徒あるいはアラーがその預言者を通じて伝えた書物を捧持するその他の宗教を信奉する者を指している。
かれらは唯一絶対神を信仰するが、預言者ムハンマドsawを信じない者たちだ。神に呪われた偶像崇拝者ムシュリクである仏教徒、ヒンドゥー教徒、拝火教徒などの女を娶ることは許されない。ムスリム女性への決まりもはっきりしている。かの女たちは同じムスリムでなければ結婚してはならない。
ムスリム女性と非ムスリム男性、ムスリム男性とムシュリク女性との結婚は正式と認められず、その両者の関係は姦通に属す。

預言者ムハンマドsawの時代、友人たちの中にはキリスト教徒やユダヤ教徒の女を娶ることが許された。その妻たちは後にイスラムに入信した。その決まりをウラマたちは変えた。現代のアフルル・キタブは昔とは違っており、唯一絶対神コンセプトが変化しているというのがその理由だ。
宗教省職員ナジブ・アンワルは「現代のキリスト教徒は三位一体説と変更された聖書を保持し、おまけにカトリック、プロテスタント、アドベントなどさまざまに分派している。」と説明する。
全国ウラマ評議会は、ムスリム男性と非ムスリム女性の結婚を禁止する決定を出した。アフルル・キタブの女であっても、だ。なぜなら。唯一絶対神への帰依に関連するかれらの信仰が昔と違っているからなのだ。
信仰の育成が問題だ。家庭内の宗教生活はどうなるだろう?宗教が異なれば、家族の間で自分の宗教の教えに背くことが起こりかねない。

サストロウィルヨノ宗教法官は、異宗教者間結婚が起こるのは、男性の信仰心が弱まった証拠だ、とコメントする。「夫の宗教基盤が弱まれば、家族の教育はどうなる?妻は違う宗教だ。子供は妻の宗教に従って、必ず非ムスリムになるのではないかな。」と述べている。
ソース : 2001年8月付けレプブリカ


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『ロンボクの置き去り再婚』

(置き去り再婚 : インドネシア語でkawin cerai。文字通りは離婚結婚。夫が妻子を置き去りにしてほかの女性と新たな家庭を持つことであり、再婚離婚とも読むことができる。 ― 訳者注)


ロンボクの話題は尽きない。新生児・幼児死亡率と母親の出産時死亡率が最も高い地方のひとつに数えられるこのロンポクは、女と子供が陰で悲惨さに泣くような運命をもたらす山ほどの問題を秘めている。たいへんシリアスな問題ではあるが、広い意味で貧しさならびに貧困化の要因とまだ思われていないものが、置き去り再婚とポリガミーの問題だ。

「ここはかなりひどい状況です。」と語るのは、YKSSIインドネシア安寧健康家庭財団のズバエダさん。2001年6月にYKSSIが行った置き去り再婚とポリガミーに関する調査では、3,613世帯中の1,915世帯(53%)に置き去り再婚があったと報告されている。2000年1月から2001年3月までの結婚件数は126件で離婚件数は109件という離婚の多さ(しかし届け出られていない多くの離婚がそのほかにある)が、この地区の置き去り再婚がシリアスな状況にあることを裏書している。
「置き去り再婚とポリガミーの比率が高いのは、調査対象地区のスクラとプリンガバヤだけではありません。先祖代々置き去り再婚の伝統をもつ家庭が多いために、どこへ行っても簡単に見つけることができます。」と説明するズバエダさんは、YKSSIの調査結果を詳細に語ってくれる。
一人当たりの結婚回数は1から32回で、マジョリティは2〜3回。離婚回数は1から22回で、大多数は2回だ。男もこの置き去り再婚で被害を受けるが、犠牲者のほとんどは女と子供。YKSSIでは、置き去り再婚とポリガミーの犠牲者をメンバーとするフォーラムを設けている。


朝の太陽がさらに高さを増した。陶器作りの中心地として知られる西ロンボクのバニュムレッ地区で、サフリは仕事をはじめる。二人の子供を抱えるかの女は、もう6年間もやもめだ。
「まだ。」
「再婚をしたいか?」との問いに、かの女はほほを染めてそう答えた。サフリは自分の年齢を知らない。知っているのは、結婚したときメンスを10回経験していたということだけ。今、上の子はマドラサ・ツナウィヤ(中学校レベル)の一年生。生後40日目に父親の再婚で置き去りにされた下の子も、もう小学校一年生だ。サフリの話しは、中央ロンボクでしばらく前に会った三人の子の母、スミニの話しを思い出させる。かの女も、一番下の子が生後一ヶ月のとき夫の再婚で置き去りにされたのだ。

離婚は妻のそのときの状況への配慮もなくいつでも行われ、妻も夫を止めることができない。
「出産時の手術が終わったとたん、夫に離婚された妻がいる。あんなことは女性に対する異常なレベルの侮辱だとわたしは思う。」とIGG・ジュランティッ医師は言う。離婚の理由はまったく常識はずれのものだった。
「それ以前に別の問題があったかどうかわたしは知らないが、夫が示した理由は、妻が夫の望む自然分娩をしなかったというものだった。だが、胎児の位置が横になっていたために自然分娩などまったく不可能な状況であり、手術をしなければ母体と胎児が大きなリスクを抱えることになるのは明らかだった。その一方は死ぬだろうし、いや、へたをすれば両方がそうなったかも知れない。」

サフリは夫が別の村にいることを知っているが、どんな風に暮らしているのか知らない。かの女は陶器を作って得た金で、自分とふたりの子供の生計を立てている。
「ここではそれがふつう。」と三人の子の母、ロハナが言う。「男がまた結婚したいと思ったら、子供がどうなろうと気にもしないで行ってしまう。子供は母親と一緒に置き去り。」かの女の一番上の子は、6ヶ月前のロハナと夫の離婚で中学校が続けられなくなってしまった。
「夫はjamalと再婚したのよ。」とロハナは苦い思いを語る。jamalとはjanda Malaysiaを縮めた言葉で、マレーシアに出稼ぎに出た夫に取り残された妻を指す。
「出稼ぎ者の妻の多くは、たまたま帰って来た夫の友人が持参したたった一通の手紙で離婚されてしまうのです。」とズバエダさんが補足してくれた。

ロハナは自分と子供たちの生活を、陶器作りで手にする平均一日5千ルピアの労賃で支えている。
「まだ学校にやらなきゃいけない子供がふたりいるわ。」と、ロハナは母の目を深く覗き込むふたりの少女を指差す。しかし、置き去り再婚は男だけがするものではない。経済的な不安が妻たちをも再婚させ、そして同じように再離婚させる。たとえば、イナ・ムヒバは三回結婚した。最初の夫とは四人、二番目の夫とはひとり子供を作り、三番目の夫とは結局離婚したが子供はできなかった。最初の結婚で得た子供のうちのふたりは、もう既にやもめになっている。
「うちでは、女はみんなやもめになるのよ。」と25歳のハディアがおどける。集まっていた女たちが、陶器を磨きながら小さな笑いでそれを肯定する。
「もうひとり、あたしの妹。あの子もやもめ。」とイナ・ムヒバは続ける。置き去り再婚はムヒバだけの体験ではない。「あたしの父親は4回結婚したわ。」と言う。サフリにも同じことがあった。「わたしの母は三回、父も三回。母の子供は三人だけど父の子供はよくわからない。
多くの子供たちにとって、自分の兄弟姉妹があちこちに散らばっているのがわからなくなるのも無理はない。
「父を同じくする者同士が、あるいは父が自分の娘と、そうと知らないで結婚するということが実際に起こっています。わたし自身もギリ・トラワガンに兄弟姉妹がいるかもしれない。わたしの祖父があそこで妻をもったことがあるのがわかったから。」と語るズバエダさん。


どんな口実を使おうが再婚は起こり得るし、それで男のほうが得をするのが普通だ。たとえば、ハディアの例。
最初の子を産んで三ヶ月目、夫は二人目の妻を望んだ。結婚してやっと二年。「あたしはマドゥはいやよ。」(マドゥとは最初の妻から見て夫の正式な別の妻 = 訳注)すると夫は家を出て再婚した。しかし二番目の妻がはじめての子を妊娠中に、夫はその妻と別れてハディアのもとに戻ってきた。「でもそれからしばらくして、夫は出産した妻のもとへと帰っていったわ。結局、あたしはマドゥされちゃったのよ。どうすりゃいいの?!」
中央ロンボクのグマル村でYPK五業財団のフィールドスタッフをしている30歳のハジャ・ルキアさんも、似たような話しを物語る。YPKはロンボク出身出稼ぎ者の保護を目的に活動している民間団体だ。かの女が話してくれたのは、ある小学校教員のケースだ。「夫は妻にサウジアラビアへの出稼ぎを勧めました。妻はそれに従って二年間サウジに出て、そして収入をこまめに夫に送金してきました。ところが、夫はその金を自分の再婚に使ったのです。再婚の理由は『男児がまだないから。』ですって。」
二番目の妻との間には女児ができ、最初の妻との間にできた二人の女児とあわせて三人になった。最初の妻から帰国するとの連絡が来たとき、夫は二番目の妻に外国へ出稼ぎに行くよう勧めた。二番目の妻がそれに従ってマレーシアへ出たあとで、最初の妻が短期帰国した。そして稼ぐために再びサウジへ戻って行った。二人の妻が外国へ出稼ぎに出ているとき、夫は三番目の妻をめとり、そしてやっと男児を得た。それから程なくして最初の妻と二番目の妻が帰って来た。そして最初の妻は離婚を要求し、自分の苦労の成果で建てた家は自分のものだとして返還を求めた。このケースは訴訟問題となっている。
妻が夫に離婚を求める勇気を持っているいくつかの地方では、離婚訴訟が多い。だが、離婚訴訟を起こすのは経済的に自立できる妻たちに限られる。離婚訴訟手続きは、女の側がすべての費用を負担するからだ。


ロンボクの置き去り再婚とポリガミーは単純な問題ではない。その延長線上に暴力行為がひそんでいる。ポリガミーの場合は、第一妻が第二第三の妻に対して行うこともよくある。
「夫が第一妻を離婚せず、反対に第一妻が夫に別の女との結婚をお膳立てしてやることがありますが、そのようにしてマドゥになった女は、その後第一妻のありとあらゆる命令に服さなければなりません。」ロンボク社会の一部で行われている、昔のジャワ貴族が行っていた妾の習慣にきわめて酷似した文化について、ズバエダさんは説明する。

ズバエダさんは、スクラ地区のあるロンボク民間団体のフィールドスタッフの物語を聞かせてくれた。そのひとの名をアブさんとしておこう。「アブさんは、とある家庭の末っ子の男児でした。父親の再婚歴を数えてみると、アブさんの母親は20番目の妻になります。アブさんは頭の良い子に成長し、高校まで行きました。父親はアブさんをとてもかわいがりましたが、アブさんとかれの母親は、ふたりにさまざまな決まりをおしかぶせてくる父親の第一妻の影の下で暮らしたのです。『父はそのことを知っていたが、知らないふりをした。たぶん父が第一妻に抱いた罪悪感に対する埋め合わせだったのだろうが、それを負担したのはわたしと母だった。』とかれは語っています。親が世話をしない放任児の増加も、置き去り再婚がその源です。」というズバエダさんの話しだ。
離婚プロセスが引き起こす状況に耐えられなくなって、多くの子供たちが家を出る。調査の過程の中で行われたグループ討論から、ズバエダさんや同僚たちは子供たちが恐れているふたつのことを発見した。それは親の死と、そして離婚だった。離婚に接した子供たちはみんなが悲しみを表したが、ただひそかに泣く以外にできることは何もなかった。
「前はまだ小さかったから、なにもわからなかった。いまは父親が大嫌いで、父の嫌がることをしてやりたい。」
一部の子供たちはそう言う。子供たちの36%は友達のように学校を続けることができず、母を助けるために仕方なく働いており、そんな風にした父親を憎んでいる。そのうちの16%はきつい労働を強いられており、その子たちは祖母と暮らすのを選ぶ。
その状況は、東ティモールのラブハン・ハジ県イジョ・バリッ地区で祖母と暮らす小学四年生の女児サミア(十歳)のことを思い出させた。サミアは学校から帰ると夕方まで軽石選びをして働く。そしてその賃金は祖母に支払われる。両親は離婚してそれぞれが別々に再婚し、サミアは放置されたのだった。これは成長を阻害し、健康を危険にさらす場所で働く数千人の子供たちの実例のひとつなのだ。


置き去り再婚に関して、問題の根を掘り起こすのは容易なことではない。YKSSIの調査によると、置き去り再婚とポリガミーにはアルクルアンの句の一方的な解釈がひとつの役割を担っているらしい。文化の問題だというひともいるが、ロンボクの文化研究家モハマド・ヤミン氏はそんな説を排除する。
「もし文化の問題だと言うのなら、バヤンなどいくつかの地区で置き去り再婚が少ないのはなぜだ?これはあくまでも人間の振る舞いなのであって、それが文化ということにされているだけだとわたしは思う。」と否定するヤミン氏はさらにウマル・カヤムを引用して、ジャワ、バリ、ロンボクの諸王国には奢侈に仕える権力嗜好があったと言う。
「この権力はあらゆる性格があてはまるが、置き去り再婚問題に一番ぴったりするのは父系主義的権力であり、奢侈に対するものも含んだ性的なヘドニズムだ。つまり、わたしに言わせれば一般民衆が取り入れた封建制の遺産なのだ。」

しかし、ほかにもこの問題を解くのに十分な鍵がある。若年結婚と教育レベルの低さだ。調査が明らかにしたのは置き去り再婚を行う男の28%、女の41%が学校教育を受けておらず、小学校中退者は男24%、女23%で、中学卒以上の者は男18%、女10%となっているということだった。学校教育歴がひとり平均4.3年のロンボクは、今後に向けてこの問題の解決とアイデンティティ固めに注力して行かなければならない。
もしそれがだめなら、この地域の発展はとうてい期待できないのである。
ソース : 2001年8月13日付けコンパス


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『国際結婚と国籍・移民法』

国際結婚(結婚に関する1974年度第1号法令では混交結婚と呼んでいる)での男性と女性の差別待遇はこのレフォルマシ時代における基本的人権保護の精神にもはや適合していない。
それに関連して、今政府が国会の承認を求めるため国籍法案と移民法案を編成しているモメンタムをとらえて、男性と女性が混交結婚における法の前の平等を得るための議論をここで述べたい。

混交結婚者への保護の不在は、インドネシア国民(WNI)男性と外国人(WNA)女性、WNA男性とWNI女性の結婚を区別した国籍に関する1958年度第62号法令にはじまる。その法令では、WNI男性と結婚したWNA女性は,元の国籍を放棄することを条件に、申請後ただちにインドネシア国籍を取得することができる。一方WNI女性と結婚したWNA男性には同じ法的扱いが与えられていない。WNA男性はWNAのままであり、WNI女性はWNIのままでいることが許されるが、生まれた子供は父親の国籍に従う。

混交結婚に対して公平感を欠くこの国籍法はいくつかの原理の採用を明確にしている。
まず、家父長原理だ。1950年暫定憲法期に作られた国籍法は、実定法つまり家系譲与者を父と定めた慣習法から父主の原理を取り込んだ。
次いで、非二重国籍主義だ。この法令では血縁原理が採用され、二重国籍を防ぐためにWNIの母親から生まれた正嫡子の単縁原理は排除された。
三つ目は子供の地位だ。インドネシアに五年間継続的に在住する、あるいは断続的に十年間在住する、という帰化申請条件は子供に適用されない。この法令では、国籍選択の成熟年齢が21歳とされているためだ。また、両親が裁判で離婚したWNA子供およびWNA父親からのWNA孤児はWNI母親に養育権が与えられるが、その子供は18歳になるまでWNAのままだ。そのふたつのケースにおけるWNAとしての子供の地位は母親をたいへん煩わせ、この法令が奉じる「母親と子供は社会学的に常に家族関係を有する」という原理に矛盾する印象を与えている。
ところで、もし混交結婚者がインドネシアに住むことを選ぶ場合、移民法のツールは実質上、混交結婚における外国人の統制をしていない。WNAの父と子は,他の外国人と(ほぼ)同じ扱いを受ける。この国籍法が踏まえているもの、つまり「結婚すれば国籍はひとつ」という原理との間に矛盾があるようだ。もし法令にそう明示されるなら、少なくとも移民法の中に特別な便宜があってしかるべきだろう。

外国人管理に関する1992年第9号法令には反対に、その問題が触れられていない。1994年度政令第32号と法務大臣令第M.02−IZ.01.10号の中でのみ、母親の負担が軽減されている。そのWNA子供は母親の保証で限定居住許可(ITAS)を得ることが可能とされたのである。だが本当は、それは本気で与えた便宜ではない。というのは、父親がまだITASを持っていないことを条件にしているからだ。もし父親がITASを持てば、子供は父親のITASの中で併記される地位となる。

次に、WNAの夫は妻の保証でITASを取得することは許されず、せいぜい三ヶ月有効の社会文化目的入国許可を取得できるだけだ。それは六ヶ月まで延長ができる。その後は、インドネシアの領土から外へ出なければならない。
居住の許可を得る別の方法は,仕事をすることだ。外国人にとって仕事をするということは、いずれかの会社に雇用される、インドネシアに投資する、あるいは会社を設立する、ということを意味している。1995年度法務大臣令第M.02−IZ.01.10号には、インドネシアで仕事をしてよい外国人とは、本当に稀な専門家、トップエグゼキュティブ、少なくない金額を投資する投資家、のいずれかのみ、と謳われている。
仕事をするなら、WNAの夫と子供にはITAS(1年間)が手に入る。夫が仕事を続ける限り、インドネシアでの暮らしは難しくないだろうが、夫の雇用契約の期限が来るとインドネシアでの居住許可も終了し、たいへんな困難に直面することになる。もし更にインドネシアでの居住を続けたいと望むなら、WNAの夫と子供は新しいビザを取得するためにインドネシアから出国しなければならない。そこまでしたところで、そのビザは単なる訪問ビザでしかないのだ。それどころかもっと余儀ない状況にあるなら、夫と子供は延長も切換えもできない観光ビザで入国してくることもある。言うなれば、この移民法はその夫婦にインドネシア国外で住むよう薦めているのである。


それら二法令における選択的政策の採用と、変化やグローバリゼーションという事実に目を向けようとしない、あまりにも理論ばかりの社会学的解析はインドネシア女性に対する基本的人権擁護に関わるシニカルな見方を結実させている。この混交結婚に付随した基本的人権と性差別の問題は、いくつかの事実に表れている。
第一に、どの国民と結婚したかということとは無関係に、自分の国に住むことを選択できるのが基本的人権だ。国籍の規制とWNI男性、女性がそれぞれ持つWNA伴侶との間の外国人管理上の許可の区別はきわめて差別的である。
第二に、1958年度第62号法令が認める夫婦と子供の間での国籍の一致は、基本的人権である。たとえば、もしWNAの夫と子供が国外追放になれば、それは妻であり母であるWNI女性を追放するのと同じ意味合いを持つものだ。
第三に、制限を受けることなく、できるだけ幅広く適正な生計を得ることができるのが基本的人権だ。これについては、WNAの夫は自分が投資家、トップエグゼキュティブ、稀な専門家のいずれかである場合にのみ、仕事をするための居住許可を取得できる。しかし結婚とは神聖なる内面的結びつきであり、神に祝福されたものだ。現代民主主義コンセプトの中では、その国民が誰と結婚するか、ということに国が干渉するべきものではない。ひとつの家族のように、子供の伴侶を家族のメンバーとしてただ受け入れるばかりなのだ。

WNI男性が外国人伴侶のために国籍申請をするのと同じ権利を、混交結婚したWNAの夫と子供に与えて国が認知するのは、もはや止めようのない事なのだ。この法令を、グローバリゼーションの流れを食い止める楯にすることはできない。なぜなら、人種的特徴を指向する社会学的な民族という概念は干からびていくに違いないからだ。
家父長原理を信奉する実定法としての慣習法とは無関係の問題なのである。非二重国籍主義も反無国籍主義も、国籍問題は元の国籍を放棄するという条件での申請によって維持することができる。混交結婚国籍は、選択的政策原則とは関係がなく、よって移民受入国となることとは区別されなければならない。結婚は神聖な価値を有するものであり、そのため国がその人間の結びつきの障害となることは許されないのだ。

1984年7月24日、国会は「女性に対するあらゆる形態の差別排除条約」を批准し、1984年度第7号法令で公布した。女性に対するあらゆる形態の差別排除を単なる「本の中の法」に終わらせてはならない。次のようなことが消滅するのをインドネシアは望んでいるのだ、ということをその法令は意味しているのだ。
性別にもとづくすべての差別、除外、制限・・・・、結婚の有無とは関係なく、男と女の平等をベースに政治、経済、社会、文化、あるいは女性による他のどの分野であれ基本的自由への制限が消滅することを・・・・・。
ソース : 2002年5月13日付けコンパス
ライター: Junita Sitorus 女性問題オブザーバー、移民局勤務

訳者後記)本日(6月13日)付けコンパスによれば、現在編成中の児童保護法案の中に、混交結婚で生まれた子供は両親の一方がインドネシア国籍であればインドネシア国籍の取得が保証される、との内容が盛り込まれるようです。


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『宗教、文化、ポリガミ論』

ポリガミ行為は人類文明と同じくらい古い。古イスラエル史には、ソロモン王(預言者スライマン)が妃7百人、側室3百人を持ったと記されている。ダビデ王(預言者ダウド)は妃6人と何人もの側室を持った。イスラム社会の公的な歴史にはたくさんの妻を持った人物が何人か記されている。ムグヒラ・スエバはその生涯で80人の妻を娶ったし、ムハンマッ・タイブは9百人の妻を娶り、イスラムに黄金期をもたらしたアッバス王朝の偉大なるカリフ、ハルン・アルラシッは一千人を超える自分の側室を収容する巨大な建物を造ったと歴史に記されている。昔のジャワの王たちも似たようなものだ。

それらの事実は、実はポリガミが文化と近い関係にあることをわれわれに悟らせてくれる。ポリガミは宗教教義との関係よりも、経済や権力アクセスとのつながりのほうではるかに頻繁に見出される。いま宗教を理由にポリガミを行っている者は、本当は宗教をその正当性の根拠に使っているのである。つまりそこでは宗教を根拠として機能させているのだ。イスラムをはじめとする宗教機構は一般的にそのような傾向をもっている。当初は文化を担いでいた歴史記録は、作り上げられた知識のカテゴリー化を経て宗教論へと移行する。イスラムにおいてそのプロセスは、ウルマルクルアン、ウルマルハディス、ウスラルフィッ、フィッなどのような知識原理の構築と時を同じくして構造化されている。

ポリガミ論争において正当性を争うふたつのグループの主張を追って見ると、実は同じアルクルアンのひとつの項、つまりQSアンニサ(4)第3項の解釈を互いに論争していることがわかる。ポリガミ賛成派は最大四人まで妻を娶ってよいと主張するが、反ポリガミ派は、ひとりより多いと公平な姿勢がきわめて困難だということの帰結から、妻はひとりだけ(モノガミ)という奨めを固持している。神学的正当性を求める似たような傾向は、たとえばもともとポリガミを容認していたカトリック教会が後の1866年になって法王レオ13世が従前からの見解を変更し、ポリガミを禁止して今日に至っているように、確かに存在するものだ。反対にアメリカのジョセフ・スミスが1840年代にはじめたモルモン教の信徒たちは今日までポリガミを行っており、それどころかポリガミはほとんど義務とされている。アメリカ合衆国政府が定めた反ポリガミ法に対して1882年、モルモン教徒は激しい抗議を展開した。

われわれはここで、われわれの宗教理解を解体してみる必要がある。教義の源泉と従来みなしてきた聖なる書物の宗教的章句の中にある人間の物語りを、人間の文化プロセスに関する記録の一部へと移行させてやる必要がある。その聖なる書物の宗教的章句にある物語りが神話として編まれていることをわれわれは悟らなければならない。それはつまり、人間的世俗的な新しい歴史的行動プロジェクトを刻む集団にとっては、集合意識プロセスをその中で物語る議論となるのである。

ポリガミに反対する女性活動グループは少なくないが、ポリガミ賛成派が述べる宗教論争に応じるさいに反動的になっているのは残念だ。かれらは追い詰められながら、イスラムにおける正当性は、本当は反ポリガミだと主張する。つまり女性活動家たちはまだ、宗教を正当性の根拠と理解している人が多い。そうであるなら、われわれは回教暦2世紀(紀元8世紀)に始まったイスラム宗教論争生産期に戻っていることになる。われわれは宗教物語りが神話物語りであるとの合意に傾いているというのに。


聖なる書物に記録されている人間文化プロセスが、現代生活におけるわれわれの絶対規準となるべきではない。また、預言者たちが生きた時代(宗教発生の初期)の正義のスタンダードで今のわれわれのような現代人の正義を測るのは、つりあわないことだ。
この見方は多分、宗教論争問題の解決が現代性というコンテキストで預言者の歴史を新たに解釈する勇気の有無に集束していると考えるリベラル層の見方と対立するだろう。そうではなく、わたしの考えは再解釈とはちがって、聖なる書物に記された預言者時代のできごとを、自然で人間らしく解説しようというのである。

ポリガミ問題の場合はそのようにして、女性運動の中で不公正な実話を前面に押し出すべきだろう。反ポリガミを語る章句の正当性を求めるための宗教議論に走るのは、新たな宗教による神聖化という形に戻ることを意味している。展開しようとしている宗教論議批判は、聖なる書物の章句、預言者やその友人たちの歴史などにおけるポリガミ議論をなぞる位置に置かれるとき、適切なものとなる。しかしそれは、突如としてイスラムは本当は反ポリガミなのだと主張し、そう結論付けようとする宗教論議の複製を作るためではない。

社会フェミニズム、ポスト構造派フェミニズム、ポストコロニアルフェミニズムなど諸活動グループにとって問題の中心として進展している正義論は、この問題をもっと深く探るための元手を提供するものだ。反ポリガミ問題を世間に投げかけたいなら、ポリガミが女、子供、家族に不公正をもたらすものであることを女性運動グループは証明しなければならない。女性たちの体験に根ざした、ポリガミ罪悪論をサポートする社会的事実の解明は、宗教を通した反ポリガミ議論の複製に比べてはるかに力を持っている。
ポリガミ行為者たちの行動が女性に心理的、生理的、経済的、社会生活上の苦難を与えていることを証明するリサーチは、ポリガミが女性への蹂躙を招いているということについてのきわめて合理的な像を描いて見せるだろう。おまけに父が行うポリガミで、子供が社会生活上の問題や心理的トラウマに直面するという別の問題もあるのだから。

締めくくりとして、インドネシアの女性運動は言うまでもなく、この問題の対応に細やかな目配りをしている。おまけに女性運動の中には、反ポリガミ規定を国のレベル(たとえば地方条例)にあげようとしている。しかしその前に、アメリカ、日本、あるいは明らかにはるか以前にそんな規則を提起したカトリック教会などが歩んだ道を真剣に調べることが必要だ。そのようにして展開される運動が、われわれの社会問題として実質的な内容を持ち、また反動的という印象を与えないものとなるのだから。
ソース : 2002年9月16日付けコンパス
ライター: Suhadi  社会イスラム研究院スタッフ、ジョクジャ在住


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『コンシューマリズムからセックスエクスタシーまで』

ポリガミ実践者に対するポリガミ・アワードは女性解放のターニングポイントだ。そのような表彰はポリガミへの欲求を駆りたてるものであり、預言者ムハンマッが示したジェンダー差別に対する批判はすでに誤った意味付けがなされてしまっている。プスポ・ワルドヨは、ポリガミは預言者ムハンマッの道「スンナ」だ、と誇らしげに言う。
プスポのような人間は多い。かれらはアルクルアンのアンニサ第三章の句とムハンマッのポリガミ実践の実例を正当さの根拠として採り上げる。そのようにしてポリガミ支持者はアルクルアンとスンナを高く奉じていると主張するのである。しかし本当にそうなのだろうか?

実際のところポリガミ支持者は、アルクルアンとハディスという二つのナッシュの本質をとらえることを怠っている。それらの読解をあまりにも単純化しすぎたためにそのような結論が導かれたのだが、その文脈におけるポリガミの真の位置付けはどうなのだろうか?
預言者ムハンマッは往々にして言われているようなポリガミの先駆者ではなく、反対にポリガミを批判している。たとえば友人たちが8人から10人の女を妻にするのを知ってかれは、4人だけを残してほかの妻を離縁するよう勧めている。ギラン・ビン・サラマ・アツァカフィRA、ワハブ・アラサディ、カイス・ビン・アルハリッたちがムハンマッにそう勧められたのだが、それこそ明らかに、従来まったく無制限だったポリガミの習慣に制限を持ち込む行動だったのだ。
また別の折には、自分の娘ファティマ・ビンティ・ムハンマッの夫アリ・ビン・アブ・タリブRAがポリガミを行おうとしているのを知って大いに怒り、即座にモスクに入って説教台に上ると陳べた。「ハシム・ビン・アルムギラ一族の数家族は、その娘をアリ・ビン・アブ・タリブに娶わせるためにわたしの許しを請うた。皆に言う。わたしは許しを与えない。もう一度言う。わたしは許しを与えない。アリ・ビン・アブ・タリブがわたしの娘を離縁しないかぎり、わたしは決して許しを与えない。離縁させたならば、どうぞかれらの娘と結婚することを許してあげよう。皆に言う。わが娘はわたしの一部分だ。娘の気持ちを悩ませるものはわたしをも悩ませる。娘の心を傷付けるものはわたしをも傷付ける。」(ジャミアルウスル、ジュス??、162、ハディスNo.9026)
ポリガミの制限はこのような形でポリガミの完全禁止に向かう。それがQSアンニサ第三章のほんとうの意味、つまりポリガミの禁止なのだ。なぜならその章で要求されている公平な姿勢は、人間にはなしえないことなのだから。


セックス・コンシューマリズム
ポリガミは人間の歴史と同じくらい古い。イスラム教がポリガミを紹介し、それを奨励しているという考えは間違っている。紀元前5世紀のユダヤ人、シリア人あるいは古ユダヤの諸種族はポリガミの習慣を持っており、社会的有力者がそれを行っていた、とMアリ・ハサンは述べている。ムスフィル・アルジャフラニは、当時のポリガミは王や権力者にとって見倣われるべき神聖な行為と信じられていた、と言う。
つまり歴史の中でポリガミは権力シンボルに結び付いていた。一般大衆より上位の社会ステータスをポリガミを行う男は持っていた、ということをそれは意味している。王や貴族の妻は数十人から数百人に達するものだった。
これがポリガミを通して社会ステータスを表現する『セックス・コンシューマリズム』文化である。かれらは愛したりいつくしむために女を娶るのでなく、貴族性という社会ステータスのシンボルとしてポリガミを使う。そのために結婚から神聖な価値が失われる。イブヌ・アラビが描くように、結婚は神性発露のクライマックスとならず、それとは打って変わって、セックス・コンシューマリズムは神に至る道を妨げる壁を厚いものにするのである。

ボードリヤールが提起したものもこの分析と同じ音色。つまりコンシューマリズム文化とは、物質的文化のやりとりだけでなく社会的意義の闘争が行われる舞台となるものなのである。そのパースペクティブにおいて、物を持つことは社会ステータスを表現する媒体となる。現代人が高級車や豪邸、話し方、ライフスタイル等々でそれを表現するとすれば、イスラム以前に生きたユダヤ、シリア、バビロニアのひとびとはポリガミでそれを表わしたのだ。
セックス・コンシューマリズム文化という文脈でのポリガミは、その実践者がより高い社会ステータスを持っていることを皆に知ってもらうためのシンボリックなコミュニケーションとなる。この種のコミュニケーションはもちろん、相当に有効だ。というのは、特定の物体に宿っているパワーの存在を信奉する時代時代のフェティシズム文化によってサポートされているためであり、こうしてかれらはポリガミ実践者が持つ社会的意義を確信するのである。


セックス・エクスタシー 現代という文脈の中では、プスポ・ワルドヨが行っているようなポリガミは、セックス・コンシューマリズムというよりもセックス・エクスタシーと呼ぶほうが当たっている。「欲求」は正当なもの(シラ誌No.20/?/Juli2003:33)という表明の中で、生物的欲求はポリガミの中に放出してよいということをプスポは伝えたいようだ。「いつも快楽の頂点を追求し、現代人はいまや欲望の充足を祝っている(フェリックス・グアタリ、1981)」そんなエクスタシー・ソサエティをプスポのその表明は反映している。
欲望と快楽の頂点はかれらの生の目的となっており、かれらを毎日快楽の頂点(エクスタシー)に誘うことができるために、その口から頻繁に放たれる表現が「ポリガミは美しい」というものであるのは不思議なことではない。

セックスを結婚の重心にすえ、結婚において脳裏に満ち満ちているのが「オスの欲求」であるというセックス・エクスタシー文化の形がそれだ。セックス・エクスタシー文化は、欲望充足ツールとしてのみ扱われる受難の対象物の位置に女を置く。精神主義を立ち上がらせる現代人のやりかたがこれなのか?多分イエスなのだろうが、精神主義は見せ掛けでしかない。
セックス・エクスタシーは結局のところ人間を欲望の奴隷にするために、人間としての主体的クオリティは沈下してしまう。人間はもはや行為の主体者ではなく、欲望の被支配者になってしまうのだ。
ソース : 2003年8月4日付けコンパス
ライター: M Hilaly Basya  Prof Dr Hamkaムハマディア大学社会学政治学教官、アルアズハル青年イスラミック研究クラブ調査員


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『結婚は神への勤め』

「結婚はわが道だ。わが道を厭う者はだれであれ、われわれの同属ではない。」(ハディス)
ムスリムが結婚するのを奨励するために、預言者はそうのたまわった。実にこのハディスは、結婚関係が永続するための鍵となっている。結婚がわが道であると預言者がのたまわったとき、その実践はアラーへの勤めとなった。

結婚が宗教上の勤めであることを悟るのはとても大切だ。それが勤めであることから、結婚はアラーの教えを実践することのみを基盤としなければならない。夫が妻を娶り、妻が夫に嫁ぐのは、富、美しさ、地位のためでなく、アラーに服従するためだ。富、美しさ、地位にひかれての結婚であれば、それは崩壊するだろう。どうしてか?それらはみな、減ったり無くなったりするものではなかったか?富のゆえにある者と結婚したなら、富が失われて貧しい暮らしに落ちたとき、その者の愛情も失われていくだろう。地位のゆえの結婚も同じだ。地位も失われたり、終わりを迎えたりするのだから。
女性はもちろんその美しさが色あせる。夫がその美しさにひかれてのことであったなら、夫は別の相手、もっと美しい女性を求めるようになるために、家族の中にきっとひび割れが生じるだろう。
しかしもし結婚がアラーへの服従のしるしとして行われるなら、事態はちがってくる。望みがアラーの祝福だけであるため、結婚は永続する。人間がそれを望む限り、アラーへの服従は消滅することがない。

結婚が宗教上の勤めであるため、言うまでもなく誘惑や試練に満ちている。それはイスラム者の信心にとって必然である。アラーは人間が、「自分は信仰心がある」と言いっ放しにはさせず、試練を与える。アラーの試練であるから、夫婦は穏やかで誠実な暮らしを営まなければならない。夫婦は経済的な困難、子供の病気、妥当な住居が得られない、といった苦難に襲われるかもしれないが、そのすべてが試練だと考えることができれば、落ち着き、穏やかな心でそれに直面することができる。それらの試練が偉大なる結婚の絆を破壊することはない。

結婚が宗教上の勤めであるために、夫婦のカップルはイスラムのシャリア(訳注=イスラム法)を結婚生活の規準とするだろう。これは重要なことだ。ひとつの家族の中でその善悪の規準が異なっているなら、そこにひび割れが起こるのは疑いもない。
もしアラーが夫に生計を得るために身を粉にして働くよう命ずるなら、夫は誠実にその責務を果たすだろう。主婦としての妻も同じだ。たとえいさかいが起こったとしても、ふたりはアラーと預言者のもとへ戻る。アラーはのたまわった。「もしあることに関して汝らの意見が異なったなら、それをアラーと預言者に戻せ。」(QSアンニサ:59)
このようにして、インシャラー、平和な家族が形成される。
ソース : 2003年1月29日付けレプブリカ
ライター: Farid Wadjdi


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『女性保護それとも国家主権維持?』

2010年2月12日のコンパス紙に2010年国家立法プログラムの記事が掲載された。その中に婚姻分野宗教裁判実体法案が含まれており、その草案の第142条3項は、混交結婚の際に外国籍男性はインドネシア国籍女性のために5億ルピアの保証金を納めなければならないと規定しているそうだ。
最高裁は2005年にこの話題を出したことがあるが、女性活動家層からきっぱりと拒否された。その事実を意にも介さず、最高裁は再び婚姻分野宗教裁判実体法案第142条3項に5億ルピアのデポジット義務付けを記載した。そのデポジットは外国籍の夫が妻を見捨てた場合に女性を保護するための保証金であり、結婚が10年を経過すれば返却されると説明されている。
ファミリー国家にしてボディポリティック基盤のナショナリズムという視点からそれを見ると、その条項はインドネシア国籍女性と外国籍男性の婚姻をせきとめようとする動き以外の何者でもないように筆者には思える。ファミリー国家という構造は、国が父の座に就き国民は子供と位置付けられる(マクリントック、1995年)。普通父親は自分がもっともよくものごとを理解しており、子供、とりわけ娘、の人生を決めていく権利を持ち、娘をその夫の手に委ねたときに責任が自分の手を離れる、と思っている。
娘を保護するために国は婿から5万米ドルの保証金を入手しておく必要性を感じているのだ。残念なことに国は、婚姻とは成熟したふたりの人間が自覚して決定を下すものである、ということを忘れている。この種のあまりにも深く立ち入った干渉は、国民女性が自分の選んだ相手と人生の海原を乗り越えて行く契約を行なう能力を持っていないと国が考えていることを示している。保護というのは、婚姻の容易さ、結婚における女性の権利を啓蒙する、二国間での婚姻登録書類の整備、などの形でなされるべきものだ。国は混交結婚夫婦に対して、かれらの多くが老後をインドネシアで過ごしたいと希望しているため、不動産所有や外国籍夫の滞在許可などをはじめとする差別的な法規を見直す必要がある。これまで女性の祝い事に関する政策はほとんど、当事者である女性たちとの議論を経ないまま決められてきた。国政遂行者たちは男の目で、国民女性の必要とするものごとをよりよく理解していると自認し、女性がその政策に沿って行動するのをただ待っているだけだった。

妻の売買
もっとも気にかかるのは、あたかも国がインドネシア女性を売っているという見方を諸外国に呼び起こすことだ。かれらは5億ルピアの保証金が、メールオーダーブライドの父親に渡す1〜1.5万ドルの金と本質的にどう違うのかと問うだろう。メールオーダーブライドが結婚後、奴隷あるいは無給サーバントのように扱われているのは稀な話でないのだ。
この法案の5億ルピアという保証金を外国籍男性は国に納める。そして婚姻が終われば、その女性がメールオーダーブライドの轍を踏んでいるかどうかなど、国にとって知ったことでなくなる。なぜなら女は夫の所有物になったと理解されているのだから。外国籍男性の妻になった娘の権利を守ってやろうなどという気を「お父様」は起こさないものだ。
もうひとつ気になる反応は、デポジット金額の巨額なことだ。外国人男性はみんな金持だという通念に立脚しただけのものなのか、それとも最近とみに増加している混交結婚の勢いにブレーキをかけさせようとしているのだろうか?
昔と今で混交結婚というものの内容が変化していることにわれわれは目を開かなければならない。1970年代80年代の混交結婚の多くは、インドネシア国籍女性が多国籍企業のインドネシア駐在エグゼキュティブを夫に持つものだった。ところが1990年代2000年代に起こった混交結婚の多くは、同じ階層出身者同士のものだ。かれらはインターネットを介して出会い、あるいは出稼ぎ先の職場で知り合った者たちなのだ。
第142条3項の規定が実施されたなら、混交結婚相手はインドネシア国籍女性に、インドネシア国外で結婚しようと提案し、さらにインドネシア国籍を放棄するか、あるいは少なくともインドネシア国内での婚姻登録はしないでおこうと奨めるにちがいない。国は女性国民が減ることを望んでいるのだろうか、それともどうぞ持って行ってくださいと他国に奨励したいのだろうか?

< 文化境界 >
ボディポリティック基盤のナショナリズムパースペクティブにおいて女性国民は、文化境界の維持・家族内における文化上の価値観の伝達媒体・衣装を通した国民文化の象徴といった基本責務を負っているとユヴァル=デイビスは指摘している(1997年)。父系の血統が定める集団として把握される文化境界のゆえに、外国人と結婚した女は純インドネシア人子孫をもうけるという文化境界の維持を果たさないと見なされ、ましてや純インドネシア的価値観を子供に植え付けることにおいてすら失敗者だと評価される。衣装を通しての国民文化の象徴という面でも失敗者だと見なされるのは、外国人と結婚した女性に『不良』の烙印が捺される事実が証明している。だから、外国人男性とどうしても結婚しようとする女性が国民でなくなってもかまわないと国が考えたとしても、かの女たちは失敗者である不良国民なのだからという理由がそこに介在するがゆえに、きわめて当然の帰結だと理解されうるのである。外国籍男性との婚姻を困難にしようとするのは、インドネシア女性への保護を口実にした国家主権維持という動機があるのかもしれない。
ソース: 2010年2月25日付けコンパス "Melindungi Perempuan atau Menjaga Kedaulatan"
ライター: Nuning Hallett ニューヨーク州立大学博士課程学生