[ 政治とは・・・ ]


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『危険なホモ・ホミニ・ルプス政治』

貪欲さや自己愛が生活パターンとなり、真理への尊重が金と権力に基盤を置く方向に傾くと、他人は兄弟でなく敵だと見なす状況が出現する。この状況は、ホモ・ホミニ・ルプス(人間は同類にとっての狼)と呼ばれるものを生む。(コンパス2003年11月14日)
全国キリスト教神父会会長ユリウス・ダルマアッマジャ枢機卿の発言は、憂慮と自戒をもって注視されるべきものだ。憂慮されるべきなのはその発言が、金と権力による支配傾向を強めているわが国の政治状況に対する宗教著名人の純粋な意見を語っているからである。


レフォルマシはもう5年になるというのに、国のエリートたちはいつも、民主主義的で、野蛮でなく、社会正義のある、常に主権在民を高く捧持する政府と政治制度を早急に作り上げることをコミットする、という約束を言い放つだけ。ところがマネーポリティクス、暴力行為、KKNはやむことがない。各地の州知事、県令、市長選挙でのマネーゲームにおいて、政治エリートたちがどう関与しているかを見るがよい。それどころか、1998年のレフォルマシから今日まで、政府機構や行政は腐敗した姿を変えていない。それと並んで政党エリートたちは、選挙民からの委託を金や官職と取り替えることに飽きることがない。そのありさまをメガワティ・スカルノプトリ大統領は、国防院第11回短期コースと第36回定期コース受講者を前にして国家宮殿で認めている。「・・・必ずKKNに至るマネーポリティクスは、いまやきわめて克服困難に陥っている経済危機の中にわが民族を陥れた元凶のひとつである。」(コンパス2002年11月14日)
マネーポリティクスと暴力行為がもはやアブノーマルと認識されず、日常生活における当たり前のこととして体験されている状況は、まことに憂うべきものだ。警戒を強めなければならない。なぜなら全民族が一丸となって対処しなければ、ダルマアッマジャ枢機卿が言うホモ・ホミニ・ルプスという観念の出現へと向かうからである。
その結果、『公共の善』を実現するためでなく一挙手一投足において『えさ探し政治』運動を指向する政治家の出現が国民の公民としての暮らしを彩ることになり、そのインパクトは、目的のためにはあらゆる手段が正当化される腐敗政治ゲームで2004年総選挙が満ちあふれる事態を生むことになる。

総選挙は本質的に、インドネシア民族が主権在民を実現するための最善のメディアだ。それゆえに、総選挙の全メカニズムとプロセスおよびその成果は、主権在民を損なうすべての売買政治行為から救ってやらなければならない。ダルマアッマジャ枢機卿の言葉は、民衆と国家リーダー候補者間でなされる総選挙のための契約がフェアで成功裏に実現し、真にインドネシア民衆の希望を満たすものとなるための予防的努力の現れと見るべきなのである。


インドネシアの哲学教育家ニコラウス・ドゥリヤルカラによれば、同類との関係における人間存在はホモ・ホミニ・ソシウスであり、人間は同類にとっての仲間なのである。だから、流血抗争の中で同類を殺戮し、更には人間同士が互いにねたみ、うらみ、爪を立て、殺しあうような残忍非道な社会生活環境を通して同類を滅ぼそうとするホモ・ホミニ・ルプスは拒否されなければならない。(ムジ・ストリスノ、2000年)
人間テーゼの論理的帰結は同類に対する親しさであり、公民生活というコンテキストにおいては、政治権力のために暴力を用いて無辜の民の血を流すことをはばからない政治家たちの狼のような強欲行為を否定することなのである。

政治家たちに対しては、凶暴凶悪で野蛮な支配を望む欲求に対するヒューマニゼーションプロセスを通して、破壊本能からもっと自分をコントロールできるようになることが望まれている。狼思考は人間的思考に置き換えられなければならない。プラグマティックでマテリアリスティック一色の現代的政治文化状況の中で政治家は、自覚と威厳を持ち、権力や金の誘惑に押しつぶされない主体的人間としての存在を示すことができなければならない。
政党や国家の政治パターンにおける人間的思考は『公共善』を実現する努力に政治の本質を位置付けるために、政治環境内での行政利害全関係者間に共同コミットメントを形成させる。政治とは社会全体の公共利益に関わることがらを議論し遂行するという機能を持つ国民のまじわりである、とアリストテレスは表明している。公共利益とは、アリストテレスによれば、個人や集団の利益よりも遥かに高位の倫理価値を有するものだ。(ラムラン・スルバクティ、1992年)

ホモ・ホミニ・ソシウスから派生したものとしてのすべての政治活動形態は、こうして文化の中に属すものとなる。ここでいう文化とは、垂直的(超越的)にせよ水平的(人間的)にせよ人間がその関係の中で発展させる才能、エネルギー、創造性の開花プロセス全体を意味している。『政敵』という言葉を『政治ライバル』に、『自己愛』を『人類愛』に、『他人』を『兄弟』に、『金のための玉座』観念を『民衆のための玉座』コンセプトに、などという変化を政治家に与えるためのガイダンスがこの文化スペースの中で得られるのだ。
そんな方向へ向かう道はドリヤルカラによれば、人間化と人道化というふたつの方法でしか踏み行えない。人間化とは人間となるために自己を成熟させる生物学的発展プロセスとしての懐胎・出生・死亡という路程を経る長いプロセスと意味付ける。人道化とは同期的に意味を与え、意義を編成する中での、生理学的文化的な自己成熟環境ならびに自己教化と密接に関連する、人間化プロセスへのフォローアップなのだ。(ムジ・ストリスノ、2000年)


文化的であれ構造的であれ、政治人道化の理想は、同類に対する仲間としての人間という人間観を明確に踏まえている。だから政治家は、政治思考方法の中でラディカルな革命を行う用意がなければならない。各個の政治活動における主判断材料として、ドリヤルカラ思想を手本とする以外に選択の余地はないのだ。
それゆえに、国家政治の舞台におけるホモ・ホミニ・ルプス思想の強まりに対するダルマアッマジャ枢機卿の不安を消すことができるのは、わが国の公民生活における同類にとっての友としての人間(ホモ・ホミニ・ソシウス)をビジョンとするドリヤルカラコンセプト実現をインドネシアの指導者と民衆のすべてが一体となって行うこと以外にありえない。これは人間の同類に対する抑圧の反対であり、同類を競争相手さらには利害が衝突したときには殺したり排除したりするべき敵として扱うという考え方のアンチテーゼとなる。

だが根本問題は、われわれの政治家をホモ・ホミニ・ルプス思想から離れようとさせるのにどんな方法があるのか、である。
人間が同類同士で完全な人道主義と完璧な品位に達するような政治環境を編成するための人道化や教化プロセスを政治家は行う用意があるのだろうか?この質問を提起するのは適切だ。というのはスポモとMハッタの国家モデルに関する哲学的議論が終わって以降、インドネシア民族は椅子と金と王位をもっぱら指向する政治家たちの、筋の通らない御者の議論ばかり聞かされているのだから。
ソース : 2003年11月29日付けコンパス
ライター: M Hasanuddin Wahid インドネシア大学哲学研究プログラム博士課程学生


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『親族主義政治』

総選挙委員会に集まった議員候補者リストは、政党エリートたちと家族関係にある人たちの名前であふれていた。大政党から小政党までみんなが、親族関係にある人たちを競って立候補させているのだ。ハムザ・ハズは子供と婿を、グス・ドゥル、タウフィッ・キーマス、プラモノ・アヌンは愛しの弟を擁立した。ユヌス・ヨスフィアとアントニオ・リカルド、トサリ・ウィジャヤとウジアティ・マスソ、アナウィ・ラティフとマサナなどのように、PPPに夫婦立候補者がいるのは興味深い。そのような現象は大政党だけの独占物でなく、小政党も同じようにそれを行っている。シャフリルは妻カルティニ・パンジャイタンを立候補させ、エロス・ジャロッは自分の兄と子供を参入させている。(ジャワポスト2004年1月6日)

部族社会の伝統
議員候補者リストに家族関係が色濃く滲み出ているのは、われわれの政治文化がまだまだ伝統的なままであることのあかしだ。人類学ではふつう、そのような政党のふるまいは親族主義政治と呼ばれている。親族主義政治は、アフリカや南アジアでよく目にする部族文化社会の価値観に強く彩られた伝統的社会において、ふんだんに目にすることができる。そこで形成される政治上の関係パターンは、血縁(単一系世襲関係)に基づく傾向が強い。社会構造や政治面での人間関係も、婚姻と血統に立脚している。(クルツ、2001年)

親族主義政治構造は閉鎖的であり、そこでは家族、部族、氏族、党派などの構成エレメントが互いに結びつき、一体化してひとつのエンタティとなる。共に捧持する親族主義政治の伝統を守り、その構造を維持するために、各構成エレメントには相互保護と相互扶助が要求される。その閉ざされた場における単独オーソリティの保持者にして統率のよりどころとなるのは部族長だ。部族長は親族主義政治構造の各エレメントをつなぐ鎖であり、またその中心点となる。そのような政治の伝統は、その政治コミュニティの枠内における関係を統制し、また社会秩序を維持するのに必要とされる。
部族社会の世界で政治的経済的資源が他者の手に渡らないように統御するための効果的な自然メカニズムとなっているのが、親族主義政治の伝統なのである。

血は水よりも濃い
議員候補者選出過程における親族主義政治の色濃いありさまは、政党エリートが政治系譜を自分のファミリーメンバーの中で維持しようとしていることを表している。政党エリートたちにとって政治系譜の維持は、特に戦略的な二つの利益、つまり権力の系譜を維持して政治生命の継続をはかること、ならびに経済的財産的源泉へのアクセスに対する支配を保持することに関わるたいへん重要なものなのである。
その戦略的な二つの利益を守るために、自分の親族でない他人にそれを譲り渡すことはありえない。言い換えるなら政治エリートは、血縁関係にある人間により大きい信用を置いているということなのだ。親族主義の伝統の中に、「血は水よりも濃い」というたいへん有名な言葉がある。こうして権力の変遷は、世代から世代へと自分のファミリーメンバーの中で受け継がれ、回転して行く。

「血は水よりも濃い」という言葉は、濃い血が象徴しているように、政治関係パターンが親族関係にいかに強く、固く、しっかりと基盤を置いているかということを強調するものだ。これは共通利害にもとづく純粋に契約的機能的な政治関係パターンとは異なっている。そのタイプの政治関係パターンは水のように容易に溶解し、色褪せる。それがために政党エリートたちは親族的な人間関係を、セミフォーマルであり政党内で制度化された関係パターンに変身させようと努めるのだ。そのようなプロセスはテクニカルに「半制度化された二者間または三者間関係」と呼ばれている。政党エリートはそのようにして、党と党内にある経済政治資源に対するいっそう強力な統制と管掌の両パワーを手に入れる。

政治人類学者たちは特定の国で、政治エリートたちが親族主義政治をより好むのはなぜかということについて、その理由が少なくとも四つあることを見出している。その四つは感情面で密接に関連するものだ。つまり、信用、忠誠、連帯、保護の四つである。(アイゼンシュタット&ロニガー、1984年)
信用は、安全を考慮した上で信用するにふさわしい者に権力権限を委ねることに関わっている。忠誠は、権力権限を委ねる者に完全な支持を与えるさいの忠節を指しており、連帯は、完璧でゆるぎない一体的集団精神を涵養する点での仲間意識に関係している。保護は、政治上のポジションを守り、安全感をもたらすための保護を与える姿勢を指している。その四つは政治関係パターンの基本要素であり、親族関係で心臓部をなすアミティ(親睦)とマイヤー・フォーテスが呼んだところのものへと流れ込む。アミティは政治エリートにとって、平穏、安全、快適といった感情を作り出す関係パターンを指している。

政治エリートにとって、政治支持者を集めるのはそれほど難しいことではあるまい。しかし本当に信用できて、完璧な忠誠をささげてくれる者を探す場合、それは親族関係の中でしか得られないのではあるまいか。同じように、政治支持者層に連帯を求めるのは比較的容易に行えるだろうが、親族感情以上に強力で長持ちする接着要素はないにちがいない。なぜなら、政治エリート本人に安全保障を与えることができるのは、親族関係にある者しかないのだから。


逆説的現象
国政の場における最近の展開は、逆説的政治現象を生んでいる。このレフォルマシ期にわれわれは、モダン政治システムを確立しようと一生懸命に努めているというのに、同時にその一方で親族主義政治行動に見られるように、依然として伝統的な価値観にしばられている。現代文明以前の社会にのみある政治慣習、古代の部族的田園的社会でのみ行われていた政治慣習に。
親族主義政治がプライモーディアリズム感情の化身であるのは明らかだ。プライモーディアルという文脈から見るなら、今の政党エリートたちの振る舞いはかつてのスハルトとなんら変わらない。オルデバル期にスハルトが、自己の支配権力の保全を目的にして、子供、兄弟、身近なクロニ−たちを国民協議会議員に就任させたとき、その親族主義政治をわれわれは強く非難したではないか。ところがいま、みずからをレフォルマシ守護者、デモクラシーの闘士と自認する政治エリートたちは、似たようなことを行っている。

だったらわれわれは、素朴な質問を発しても良いだろう。2004年総選挙に期待しうるベーシックな変化は存在するのか、と。デモクラシーの儀式として、総選挙は政治舞台の模様替えをし、主役を演じる役者を交代させる。だが役者たちの基本的なキャラクターと演じられるドラマに変化は起こらない。だからインドネシア政治史のサイクルは、オルバ親族主義政治からレフォルマシ親族主義政治へと旋回を続けるばかりなのである。
ソース : 2004年1月23日付けコンパス
ライター: Amich Alhumami 開発文化調査院上級研究員


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『国家経営における賢明さ』

人、物、資本、金、テクノロジー、そして文化までもが障壁もなく移動する流れを伴った、ボーダーレス・ワールドと多くの人々が呼ぶ境界の無い世界に、わたしたちは今生きている。地球上に生きているわたしたちは、市場メカニズムを生活パターンの規準とする一層リベラルな文化、政治、経済活動を持つ社会の実現を、好むと好まざるとに関わらず受け入れるしかないのだ。ますますリベラルになっていく社会では、それが地球上のどこであろうとその日常生活をコスモポリタン的価値が支配するようになるのである。


民族間の競争は激化の一途をたどっている。さまざまな国際機関が定期的に発表するいろいろな生活相に関連した指標や統計は、ある民族の文明発展レベルを測るのに重要な役割を果たし、同時にわたしたちが国同士を比較するのを容易にしてくれる。誰に向けていいのかわからない怒りの感情をわたしたちに巻き起こしたプライス・ウオーターハウス・クーパーズ・エンドウメントの、インドネシアを調査対象35カ国中のビジネス不適格度第三位に置いたレポート、グッドガバナンス原理実践においてインドネシアは劣等第三位と述べる政治経済リスクコンサルタンシー(PERC)報告書、またインドネシアは調査対象99か国中ナンバースリーの汚職国と報告するトランスペアレンシー・インターナショナルのレポートなどでそれを読むことができる。
そんな現状の中では、鉄の腕で汚職撲滅を図っている中国をわたしたちは手本にする必要がある。同時に頂点にいるトップから最下層まですべてのレベルに渡って、一民族国家であるわたしたちが世界の流れを自らの利益に組み込めるようにする、国家経営における賢明さも必要とされている。
わたしたちの国に、頭の良い(pandai)人は多い。知恵や術策に長けていれば怜悧遠慮な(cerdik)と呼ばれるが、策略が多すぎればこすい(lihai)と言われ、自己の利をあまりにも追求して他人を損なうようなら狡猾な(licik)と呼ばれる。 cerdikとlihaiは近い位置にあり、どちらもpandaiで知恵と術策を有しているが、社会は異なる評価を与えている。なぜなら、cerdikはその環境の中に尊敬感情を育むが、lihaiや、ましてlicikなどは「自分さえよければ」という傾向を持つためだ。わたしたちの国のリーダーはすべてのレベルに渡って、賢明な思考能力を持ち、自分の部門を率いる際には怜悧遠慮なステップを踏み行える人物であることが必要とされている。


かつてシンガポールからジョホールへ車で行ったとき、シンガポール側の国境監視官は検査などほとんどせず、実際の出国ではわたしたちが出て行くのにまかせるばかりだった。ところがジョホールからシンガポールへ戻るとき、監視官はさまざまなことを細かく検査し、ガソリンのメーターまで調べて四分の三以上入っている車だけ通過を許可した。友人のシンガポール人が説明してくれたところでは、国が燃料輸入に巨額の外貨を使っているからだそうだ。だから外貨を節約するために、ジョホールから入ってくる車はガソリンタンクを一杯にして来い、と指導しているのである。興味を覚えたのは、そのポリシーがシンガポール首相の決定ではなく、インドネシアで言えば局長レベルにあたる国境監視機構トップが決めたものであるということだ。わたしはそのシンガポール国境のフィールドマネージャーの思慮深さと指導性を高く評価する。インドネシアだったら、多分大統領の指示を待たなければ始まらないだろう。

西カリマンタン州とサラワクとの国境の町エンテコンに行ったとき、マレーシアの車が実にたくさんインドネシア領に空のガソリンタンクでやってきて、満タンにしてから戻って行くのを目にした。インドネシアのガソリンは政府の補助金を得ているのでとても安いからだ。これはインドネシア政府が隣国の国民にガソリンの補助を与えているのとなんら変わらない。聞くところによれば、マレーシア側の国境に程近いところには、インドネシアから燃料を得ている工場まであるという。インドネシア側がそれに対してなんらの対応を見せることもなく、その状態はもう何年も続いている。中央からの指示が無いので、フィールドマネージャーはそれを放置しているのだ。いま起こっているグローバル現象を取り込んで国と民族の利益を図っていくために、最下層からトップまですべてのレベルのマネージャーは、上司からの指示を待ってただ命令を遂行するだけという受身でなく、怜悧遠慮とイニシアティブを持たなければならないのだ。なぜなら、そうしなければ最終的に国家指導者に負担を与え、国家組織から機敏さが失われていくからだ。
かつて一般用軽油価格を産業用よりはるかに安い価格にするという政策が取られたことがあるが、どれほど考えの鈍い人でも、その政策は不正操作を促し、工場は一般用価格で軽油を手に入れようと必死の努力を払うことが想像できるのだから、その決定は怜悧遠慮に欠けているものと言える。

今、インドネシアの国家の富の収奪が新たな手口で行われつつある、という疑いを抱くのは妥当なことだ。かつては中銀流動資金援助ローンなどといった手口が使われたが、今の手口は国営企業と外国企業間の係争を経た上で、そのあとの仲裁裁定でインドネシア政府に損害賠償を支払わせるというものだ。
中銀流動資金援助ローン事件は、現在金融界再建庁が管理している銀行を所有する企業にその大半が流れてしまった650兆ルピアを超える銀行債務がわが国をふらふらにさせている事件であり、金融界再建庁の管理資産からではローン総額の3割しか戻ってこないだろう、と予測されている。自分の銀行から流した中銀流動資金援助ローンの一部を、オーナーは外国に外貨の形で保管しているが、そのときの外貨売買がルピアの為替レート暴落に手を貸したことは疑いもない。

Opicがインドネシア政府に対して起こしたクレームに、その新しい手口を見ることができる。インドネシア政府は国際仲裁裁定で敗れ、2.8兆ルピアに相当する2.6億ドルを支払わねばならなくなったが、当の地熱発電センターに対する投資総額は一億ドルにも満たない。インドネシア政府はその告訴に対抗できず、その弁済負担を甘受しなければならないようだ。いまその次に起こっているのはアリアル・ウエストからテルコムへの、アリアル・ウエスト投資分に対する13億ドルの賠償請求だが、聞くところでは、かれらの投資額は2億ドルを超えないとのことだ。
はじめは国のパートナーだった外国企業が、クレーム賠償を得るために故意に法的問題の発生を画策して国家の富を収奪する、という新たな手口が作られたのではないかという疑いが、オピックやアリアル・ウエスト事件を見ると想像できる。インドネシアはホワイトカラー強盗のためにとても貧しくなってしまった。
民法に関わる問題に対しては、問題を洞察しその解決を図るための注意深さ、肌目細かさ、賢明さが必要だ。国のさまざまな活動に関わっている諸関係者の狡猾な手段が読めるようになるためには、正直さだけでなく、互いに忠告を行い、信頼を獲得し、プロフェッショナリズムやハードワーク、そして怜悧遠慮の姿勢を持った国家経営がすべてのレベルにおいて存在しなければならないのは明白なことだ。

マレーシアの会社がジャカルタ外環状有料道路(JORR)建設工事を再開するというニュースが最近流れている。もともと指定された業者が資金難に陥り、国内資金源も余裕がなかったことから、これはひとつの朗報にちがいない。ところが驚いたのは、その建設工事再開に当って、業者に対しキロあたり5百ルピアという道路料金が承認されたことだ。
民族系工事業者によるチャワン〜チカンペック有料道路の料金がキロあたり80ルピアで、おまけに契約では2年毎に定期値上げが行われることになっているにも関わらず、もう十年間据え置かれている事実と比較してみるがよい。チャワン〜チカンペック有料道路のケースは、その民族系企業の取り分では過去十年間の借入れ金利支払いにさえ不如意をきたしているという実態なのだ。債務自己資本比率は70対30だというのに。借入元本の返済や利益を得るのが不可能なのは言うまでもない。投資額が異なるので有料道路ごとの料金が違うのは勿論分かるが、その差はそこまで大きくて良いのだろうか?「道路料金があれほど高く、コンセッション期間があれほど長く、利益配分があれほど大きければ、われわれだってその有料道路工事プロジェクト資金を海外から探してくることはできる。」民族系企業関係者は何人もそう述べている。ルピアで支払われた道路料金収入がインドネシアから国外へ持ち出されるとき、数百万ドルの外貨がインドネシアからさらわれて行くことになるのだ。

このようなケースから見て、インドネシア政府は外国企業に対して弱く、すぐに負けるが、民族系企業に対してはとても強く、明らかに確定的な姿勢を取るという印象を与えている。そのために民族系企業の多くは、本当は自分だけでできる能力を持っているのに、自らを守ろうとして外国勢とパートナーを組む方を選ぶ。実に悲劇的だ!たいていの国では民族系の方が保護されていると思えるのに。だから他の国では、外国企業の側が公平に扱ってもらおうとして地元パートナーを求めるのである。

金融界再建庁はジャカルタのスディルマン通りにある元BCA銀行所有のビルを競売にふした。政府がBCAの債権回収のためにそうするのは当然のことだが、政府は今や自分の所有になったBCAビルを、BCA自身が2千7百億ルピアの買値をつけたもののそれより3.5%高い2千8百億という値をつけたカッペル・シンガポールに売却した。どうしてBCAに2千8百億以上まで引き上げさせてからBCAに売らなかったのだろう?米ドルで評価するなら、その売却はたいへんな安売りだった。危機前の1997年、1米ドル2千5百ルピアという為替レートのとき、そのビルは少なくとも1千5百億ルピアの価値を持っていた。だからそれは六千万ドル相当になる。今1米ドル1万1千ルピアのレートのとき、それが2千8百億ルピアで売られたということは、わずか2千6百万ドルにしかならないということなのだ。(半分以下だ!)
BCA株を外国投資家に売却するという動きの中で、市場は5.5兆ルピアに相当する5億ドルという評価を下しているが、BCAは年間3兆ルピアの利益をあげている。BCAのそんな評価は妥当なのだろうか?

インドネシアにおける株価や不動産の価値の低さがインドネシアに高いカントリーリスクを負わせているので、外国勢はそれらに米ドルで低い評価を与える。株や不動産の価値が国際市場で正当に評価されるよう、わたしたちは早く民衆に信頼される政府を作り、法治を確立させ、政治環境を改善してカントリーリスクを下げるべきだ、とわたしは思う。売るのはそれからなのだ。この国のカントリーリスクが下がれば、政府・金融界再建庁が売却する株や不動産の価値は目に見えて上がるだろう。市場とパブリックの信頼があまりにも低いときに国の富を売ってはならない。わたしたちの国に対する市場の評価や状態をまず改善し、より良い価格に達してからはじめてそれらを売却するべきだ。メガワティ=ハムザ・ハズ指導下の新政府は、市場からポジティブな目で見られているように思えるのだから。


どんなに奥地の、狭い局地レベルであろうとも、国家経営の賢明さは必要だ。オーストラリアでは、どれほど僻地の入り江でも全海岸線にわたって、漁夫の網に卵を抱いた蟹がかかったら、その蟹は放してやらなければならない。そのせいで、蟹をいくらたくさん獲えようが、蟹は減るどころか増えて行く。オーストラリアのレストランが卵持ちの蟹を売れば、そのレストランは法を犯したとして罰金を課される。ところがインドネシアでは、卵を抱いた蟹はクピティン・トロールという名の特別メニューとしてレストランで売られている。オーストラリアの漁夫は、生業の維持継続にあたってとても思慮深く賢明だ。わたしたちの国では、卵持ちを平気で捕まえるどころかわざわざ追いかけて捕獲する。そんなために、かつて蟹の産地だったところが今やどれほどたくさんそうでなくなってしまったことだろう。
日本、オーストラリア、欧州、カナダ、アメリカその他の多くの国で、鰻 (eel, sidat, belut lautなど、鮭のように川の上流で産卵し、海で成育する) は産卵のために川を上っているときに捕まえてはならないが、海に戻れば構わない。一方、川の上流で孵化した稚魚も、海を目指しているときに川で捕らえてはならない。わたしたちは sidat や川の上流で産卵する魚を捕らえることを放置してきた。それらの魚が産卵のために川をさかのぼっているときは、川の流れにさからっているので、捕らえるのはいうまでもなく容易なのだ。


共和党のジョージWブッシュ候補が第43代アメリカ合衆国大統領に選ばれたのはとても印象的なできごとだった。対立候補のアルバート・ゴーアは民主党始まって以来の最多得票を稼いだが、最後に行われたフロリダ州で、わずか570票差でブッシュがゴーアを抑え、ジョージWブッシュの弟、ジェブ・ブッシュ州知事が選挙結果の確定を行ったとき、その大統領の座が決まった。
2000年12月13日、民主党のアル・ゴーアは印象的な演説を行ってブッシュの勝ちを認めた。このできごとはアメリカ合衆国の政治リーダーたちの高い国士精神と聡明さを示すもので、下からの厳しい選抜を経て上って行くしかないリーダーたちへの国民の信頼を一層高めるものだった。

もしもインドネシアでそのようなことになったらどうだろうか?その投票の合法性をめぐる議論が、大衆動員や決死隊、あるいはいくつかの地方の分離独立威嚇などを伴って延々と続けられるのではあるまいか?地方首長選挙終了後のアナーキーな事件(サンパン県議会建物焼き討ちが最新の事件)が、わたしたちの国の政治家の公正意識の低さを十二分に悟らせてくれる。
従来、政府の下部行政機構は常に、「上からの指示を待て。」とイニシアティブを持たないよう仕向けられた結果、2億1千万の人口(世界第4位)、陸地面積2百万平方キロ(世界第8位)、島の数1万7千以上(世界第1位)、海岸線8万8千キロ(世界第2位)というたいへん巨大なこの国の経営は、緩慢で硬直的にして生産性や想像性の足りない非効率なやりかたになってしまった。なぜならすべてのことを上司次第とし、最終的には頂点にいる大統領ひとりに依存するようにしてしまったからだ。すべての者が大統領の指示を待つばかりなのだ。

次に作られる政府は、イニシアテイブ、思慮深さ、賢明さをトップから全国隅々の下部機構に至るまで横溢させるようなものであって欲しい。民の福祉と国の繁栄を早急に実現させるために。
ソース : 2001年8月15日付けコンパス
ライター: Siswono Yudo Husodo 元閣僚、現インドネシア農業扶助会会長


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『ビジョン2030とデモクラシーの夢を見た』

最近この国の要人ふたりがふたつの重要発言を行った。ひとつはブディオノ経済統括相がガジャマダ大学大教授の推挙を受諾したときのスピーチに盛られたもので、もうひとつはインドネシアフォーラム財団によるインドネシアビジョン2030と題する書物の出版記念会でのものだ。SBY大統領はその記念会における祝辞の中で、「夢」という言葉を使った。国家元首はこう語った。「われわれは夢を見ることを恥ずかしく思う必要はない」。
ビジョンに関するその本を読んだあと、わたしは眠りの中で夢を見た。わたしはひとり当たり国民所得が2万米ドルという夢の王国に住んでいる。その王国はそんな国民所得のゆえに安定したデモクラシーの中にある。長期にわたってさまざまなレベルで国家経営に関わってきたその新大教授の言うところでは、ひとり当たり国民所得があるレベルを超えればその国のデモクラシーは安定するそうだ。わたしの夢の王国ではそれがもう2万米ドルに達しており、大教授の示唆した数値をはるかに上回っている。
わたしの夢の王国は絶対王権国家であり、王とその一族はみんな何でも好きなことが行える絶対的権力を持っている。だから王は2兆米ドルにのぼる国民総所得のうちの1.5兆ドルを1百人で構成されているかれの大家族に分け与える。残る5千億ドルは全国民からその1百人を差し引いた99,999,900人の間で分配される。王家の成員である1百人の平均所得は年間150億ドルであり、一方99,999,900人の一般庶民はひとり当たり5千ドルの年間所得となる。
ブディオノのスピーチには同じ内容の四つの文章が登場した。「所得は行き渡り、大半の国民に享受される。」つまりかれがブロードベースと呼んだものだ。そのロジックはだいたいこんなことなのだろう。もしひとりひとりの所得が高ければ精神は知的で成熟しているから、そのためにデモクラシーを実践でき、また責任を持って自由を享受することができるのだ、と。デモクラシーが確保されるためにはひとり当たり所得の分配が高額且つ均等でなければならない、というのが大教授の説く理由だ。
わたしの夢の王国ではひとり当たり国民所得が2万米ドルと大きいものの、全国民が均等にそれを享受しているわけではない。王族階級は年間150億ドルの所得をエンジョイしているが、国民マジョリティは5千ドルしかないのだ。

絶対王権
わたしの夢の王国にデモクラシーがないのはそのためだ。あるのは絶対王権。わたしはデモクラシーを望むので、わたしも同じことを言う。わたしの夢の王国の首相はブンカルノにそっくりだった。首相は尋ねた。「ブロードベースとあなたが称しているものを得るにはどうしたらよいのか?」わたしが返答を考えていると、首相は靴を脱ぎ更に靴下をも脱いで、そして自分の足の親指を指し示しながらこう言った。「Dat weet mijn grote teen ook!」つまり「それだけの話なら、わたしの足の親指でさえ知っているさ。」
ブディオノのスピーチからあまり日数を置かず、インドネシア共和国大統領宮殿にインドネシアフォーラム財団所属の少数の民族エリートが集まった。その財団は国内有数の大学や調査機関に指令を発した。2030年にインドネシア民族は世界で五指に入る経済大国のひとつになるのだ、と。いまこの国の国民は、失業、貧困、そしてもっと根本的な食糧欠乏や医療サービス不足などのさ中にあるのだ。みんなは尋ねた。「そこへ至る道程はどうなっているのか?」すると大統領は言った。「夢を見るのを恥ずかしく思ってはならない。」
その夜、わたしはまた夢を見た。目覚めてからわたしは夢の続きを夢想した。ひとり当たり年間所得が1万8千米ドルもある金持ちになったらどれほど心地よいことだろう。微笑みながら、楽しいことをあれもしよう、これもしよう・・・・。残念なことに、2030年にわたしはきっともうこの世にいない。著名な経済学者ジョン・メイナード・ケインズの言葉が脳裏をよぎり、わたしは苦笑いを浮かべる。「in the long run we are all dead.」
わたしは大統領宮殿で配られたインドネシアビジョン2030という書物を入手した。この本に登場してくる名前のほとんどは有名人だ。

バークレーマフィア
しかしインドネシアビジョン2030を分析するにあたっての注釈は少なくない。まず、かれらはビジョンを持った人間ではないということ。かれらの一部は商人であり、ほかは思想的に貧しいテクノクラートとして履歴の大半を歩んできた大学卒業者たちだ。かれらの仕事はプラグマチックであり、そしてテクノクラート的なのである。元文化教育大臣のダウド・ユスフ級大物はいない。
次に、かれらは単一流派の出身者だ。インドネシアでバークレーマフィアが先鞭をつけそしてそれを支えてきた、可能な限り深く且つ絶対的なリベラリズム。ドイツ人がFach Idioten と呼んだ一派がその中にたくさん混じっている。要するに、かれらは天然資源を優位に置く。今われわれの天然資源は80%以上が外国の会社によって経営されている。石油ガスの92%は外国の会社によって開発され、生産分与公式に従えばかれらの権利は15%だというのに生産の40%がかれらの手に渡されている。リカバリーコストという名称で呼ばれている規定の遂行が先になされなければならない決まりであるとはいえ、依然として40%のままだ。
どうやって変えたら良いのか?「所有権がだれにあるという問題は重要なことではないのだ。もっとも重要なのは効用なのである。」経済学者のひとりが言うそんな言葉を盲信する必要はない。だったら、インドネシア国民はいまだに60%の効用しか得ていないということではないか。それを正すにはどうするのか?
天然資源経営はまったく不透明だ。非石油ガス天然資源の政府会計収入は5億米ドルでしかないが、フリーポートはインドネシア政府への支払が年間10億米ドルあると主張している。フリーポートからインドネシア国民への年間10億米ドルがフェアだから、そのために所有権は重要でないとでも言うのだろうか?
2030年のビジョンとミッションを実現するための「効果的ビューロクラシーに支えられた開放市場のバランス」と述べられているが、開放市場のバランスとは何を意味しているのか?開放市場は適者生存という状況を創り出す。そこで何のバランスを取り、どのようにそれを実現すると言うのか?「周辺域内やグローバルとの間で統合される経済」というのはどうだろう。国際社会との交わりの中でインドネシア民族が他民族のためのクーリーとなり、あるいはクーリー機能を担うという形での統合はありえないことなのだろうか?今現在が既にそうなっているのではないか?またまた、それをどうやって回復させるというのか?インドネシア民族が現在落ち込んでいるきわめて激しいコルプシ行為は主要阻害要因の中にひと言も触れられていない。
いや、もうこれ以上続けなくともよいだろう。インドネシアフォーラム財団が望んでいるのは夢なのだから。その書物の中には「夢」という言葉も登場しているが、わたしは「夢を見る」つまり自慰行為などよりもっと具体的なものを選ぶ。なぜならそのほうが心地よいし、実感できるのだから。
われわれ自身は「in the long run we are all dead」なのだから、われわれの子や孫のために2030年までのビジョンを描こうと大統領が望むなら、その半数が学者で哲学博士まで含んでいる8百人の職員を擁する国家開発企画庁を起用してはどうだろう。その中には世界でトップレベルの大学で学んだ哲学博士が75人もいる。国家開発企画庁の学者たちは2030年までのビジョンを分析する作業を昔から行っている。開発企画庁の学者たちが作り上げた研究はたくさんあるが、笑いものにされることを怖れて公表する勇気を欠いている。かれら学者たちの間に、2030年までのビジョン作成は本当に可能なのかどうか、そして何の役にたつのか、という疑問の声もある。それどころか、開発企画庁はthink tank になりたいと望んでいるのに2030年まで夢を見ようなどと考えたら、そのときにはsinking tank になっているかもしれない、と語る職員さえいる。
そんな議論のために国家開発企画庁の諸作品は、インドネシアフォーラム財団よりはるかに素晴らしいものであるにもかかわらずいまだに公表されていない。人間とはそのようなものだ。中味が詰まってくればくるほど、熟した稲穂のように身を低くする。いつも大音声で響き渡る空樽とは違っている。
ソース : 2007年4月2日付けビジネスインドネシア紙
ライター: Kwik Kian Gie  元国家開発企画庁長官


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『「ピナンの幹登り」政治』

8月17日記念日のたびに行われる、民衆が大好きなピナンの幹によじ登る競争は、インドネシアの政治文化にくっきりとその特徴を顕わしている。そこに真の勝者はいない。なぜならその勝利のコンセプトが、勝者とは他者が脱落した結果にすぎず、その勝利さえも自分と一緒の仲間たちを踏みつけにする方法で得られるものであるからだ。

そのような文化が維持される間、わが民族の政治威信は決して向上することがなく、むしろ低下する。つるつるすべるピナンの幹はあまり高くないものの、たくさんのグループが競うこのお祭りでは、頂上に到達するのがきわめて難しい。各グループは頂上に吊るされた賞品を手に入れようとして、あらそって何度もよじ登る。滑り落ち、汚れまくり、中には脱臼する者さえ出るこの競技に、するするとよじ登って勝つ勝者はいない。その間、見物人は拍手喝采だ。
精神教育面からそのゲームは、チャレンジからチャンスを求めることをモットーとする、成功に向けての闘魂能力であるAQを育てるのにたいへん良い。ところがそんな競技モデルがインドネシアの政治舞台で実践されると、われわれはほんとうに心を切り刻まれる思いがする。インドネシアの政治文化はどうやら一種のピナンの幹登りになってしまっているようだ。つまり政党グループ間で頂点の地位を奪い合い、それを獲得するための競争を行うが、真の勝者はそこから生まれないのである。
勝ったグループは疲れて脱落したほかのグループに助けられただけ。そんなメンタリティは、ピナンの幹よりはるかに高い山の頂きを征服しようと闘う登山家精神とは大違いだ。悲しむべきは、ピナンの幹登り競争で勝ったグループの中で、ときに賞品の取り合いが起こることで、それは内閣に入ることに成功した総選挙勝利政党が「肥沃な」と分類される官庁を奪い合うのとそっくり同じである。

その含みにおいて、支配者としてのキャリアーは事業家として実践される。だから続いて争そわれるのは、内閣に座を占めた政党の間で国営企業をどのように分け合うかということだ。そうであるなら、大統領や大臣のそんな姿は一企業のCEOと変わらない。プロフェッショナルでほんとうに国と民衆に利益をもたらすなら、それでもまだ素晴らしい。ところがそこで起こるのが国家の富の奪い合いであるなら、この国が窃盗主義に支配されているという人々の批難は間違っていないことになる。


常に盗むことを欲するわれわれのメンタリティはきっと、幼少の頃からの誤った教育プロセスに影響されているに違いない。知覚心理学理論によれば、ひとの思考、感情、行為は繰り返し受け取るさまざまな情報の産物であるそうだ。こうして幼い頃から頻繁に見聞きしたことがその人の性格を形成していくのである。このコンテキストの中で、われらが民族のキャラクター形成に役割をはたしたさまざまな伝統文化要素を思い返してみるのも良いだろう。ピナンの幹登り競争を好むばかりか、小さい頃から小学生は「きゅうりを盗むカンチル」の童話に毒されている。
カンチルは賢く、敏捷でずるく、盗んだり騙したりするのがとても上手で、常に巧みに罰を免れる動物として描かれている。そのためにカンチルは魅力的な憧れの対象としての姿で子供たちの目に宿る。そんなカンチルがもたらす価値観の社会への浸透と内面化プロセスはさらに、盗みが技芸であり、その者にとって優秀さを示す手腕であるという認知を形成する。
この心理分析が正しいなら、わが民族の指導者の多くが盗みを好むのは自然であり、それどころか童話の中のカンチルのように、盗みに成功してしかも巧みに罰を免れることを誇りに感じるのである。だからかつては、はるかに強大で権力を持つ植民地支配者に対して弱小のプリブミ層にずる賢さと勇気を奮い立たせることを意図した「泥棒カンチル」の童話も、いまや葬り去られるべきときに来ていることを考える必要がある。


われわれの子供に対する訓育を打ち壊し、成功を目指すことの中でハードワークの気風を持たせないようにする他の寓話の例も多い。ハードワークなどなしに、そのおりおりで突然の幸運をもたらしてくれる超自然的な神託、超能力、善良なる妖精などといった異界に対する嗜好もわれわれの社会に存在する。超能力者の指示通りにプアサを行い、アルクルアンの章句を唱え、供え物をすることで隠し財宝のありかを教えてくれたり、ハードワークなどしないでもいきなり金持ちになれるように自分の人生を変えてくれる霊界の存在とコミュニケーションが取れるようになるのだ。
テレビ番組の中に霊に関するミステリー話しがますます増加しているのを見るがよい。サウジアラビアのイスラム大学を卒業した宗教大臣がその例を示しているのを思い起こせば、的中と言わぬまでも決してはずれてはいないだろう。宗教相は、ボゴールのバトゥトゥリス遺跡から隠し財宝を掘り出せば、国の借金は返済できる、と述べた。その考えに従うなら、ボロブドゥルやプランバナン寺院、あるいはその他の遺跡には国の借金を返済できるもっと巨額の財宝が眠っているに違いないのではあるまいか。

わが民族の潜在意識には、隠し財宝を探し、カンチルのように盗み、ピナンの幹登りのように他者を蹴落とし、また他者が脱落するのを待って国家の財産を奪い合うといったことがらが渦巻いている。ハードでスマートに、そして敏捷に働くことが必要とされている現代化や国際化の積極性が求めているものは、明らかにそのようなメンタリティとは正反対な所に位置している。ハードで賢明な仕事がこの民族の成功の9割を決め、残りは大自然の恩寵という形での神の寛大さと幸運が決めるものなのだ。
神の恩寵であるあふれんばかりの大自然の富に対する感謝をおろそかにしているために、わが民族が悲惨の中に落ち込んでいるのは当り前だ。エリートや中流層が適性や高潔さに欠けているため、自然の恩寵はかえって災厄と化す。イラクで起こっていることも同じだ。あふれんばかりの埋蔵原油が政治、倫理、技術的に正しく経営されないならむしろ、常にイラクを支配しようと虎視眈々と狙っている西洋世界の貪欲さの標的にされてしまう。あたかもかれらがインドネシア経済をそのようにしようと欲し、そして既にそう陥れたように。


眼前に横たわるインドネシア政治経済のもつれた糸をどこから解きほぐせば良いかについて困惑し、また困難を感じているいま、われわれの期待は合法的総選挙を通しての権力交代と刷新プロセスに向かう。だがさまざまな方法で総選挙を操ろうとする隠れた動きが決して起こらないように警戒する必要がある。
政府や国会は、民族や国家の利益でなく自分のグループの利益を損なうことを懸念して、総選挙法や施行細則を早くから準備することに真剣でない印象を与えている。良い結果はプロセスも良い場合にのみ得られる、というマネージメント公式があるのだが。

政治腐敗が既にあまりにも悪化していることから、リベラルイスラムネットワークの活動家で海岸地方出身のブルハヌディンは、インドネシアの政治家の振舞いはカニと同じだ、と言う。カニの特徴とはなんだろう?
かれが言うには、もしカニをたくさん捕まえたなら、鍋や籠にふたをしないで入れておいても、逃げられるのを心配しなくていいそうだ。なぜなら、カニの性質の中には焦土ポリシーがあるから、とかれは言う。一匹死ぬならみんな死ぬ。一匹助かるならみんな助かる。もし自分だけ仲間から分かれて逃げようとするカニが籠の中にいると、他のカニが後ろから捕まえて引き戻す。カニはネガティブな連帯意識を持っているのだ。
だから「カニ政治家」は「もしわが党の汚職が明るみに出るなら、他党が行っている汚職も明るみに出されなければならない」をモットーとする。
言うまでもなくわたしは、わたしの友人たちを汚職に関して連帯的な「カニ政治家」と呼べるだけの行政的証拠を持っておらず、またそう呼ぶのも心が進まない。あるいはまた、かれらを「まるで利発なカンチルのようだが、でも盗みが大好き」と言うことも。そしてまた、われらの政治家に、全身汚れまくり、自分と仲間たちがぼろぼろになった末に勝利を得るピナンの幹登り集団という称号を与えるのにもしのびない。ドゥクンの囁きから封筒の中の小切手や突然の個人口座への振込みにいたる隠し財宝ハントをかれらは好む、と語るのも気が重い。

今ひとびとに愛好され、人気を博しているお遊びがまたひとつ現れた。手品だ。きわめて手の込んだ方法で人の目をくらまし、あたかもファンタジーが現実のものになったかのように観衆を呆然とさせるものであり、行き届いた準備で整然と調えられた偽りを信じるように観衆は仕向けられる。手品遊戯のトリックは倫理を損なうものでなく、それどころか人を楽しませてくれるものだが、それが政治の舞台で実践されるのである。
収入から見れば、デディ・コルブジエルは政治やビジネスの世界にいる手品師たちの足元にも及ばないだろう。行政手続や国庫会計報告に手品を使って民衆の眼をくらませるのにたけているので、かれらの収入は数層倍だ。
ある友人からジョークを聞いた。「政治家や公職高官の靴を調べたところ、『エディ・タンシル』ブランドをはいているのが何人もいた。道理で逃げ足が速いから、警察はとても捕まえられないんだよ。」
ソース : 2003年3月27日付けコンパス
ライター: Komaruddin Hidayat  ジャカルタ国立イスラム大学教授


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『政府は存在するのか?』

暮らしの中のほとんどあらゆることを、われわれは自分で段取りし、処理しているように思える。家の周辺のことからはじめると、家の前の道路が壊れたり未舗装だったりすると、隣人と一緒にゴトンロヨンして金や資材を出し合い、修理したりアスファルト舗装したりする。
ゴミを捨てるのも、ゴミ集め人に金を払って自分たちで処理している。住居周辺の保安も、警備員に給料を払って自分たちで対応している。オフィスや大学や、どこかへ出かけるときには、曲がり角で交通がスムースに流れるよう、交通整理屋のパ・オガに百ルピア払わなければならない。都市バスやメトロミニなど公共輸送機関の運転手も自分で自分の世話をする。場所も時間もお構いなしに好き放題に客を乗降させ、あるいは休憩するために車を停める。
高速道路で急いでいるときは、どこを通るかを自分で調整する。左側から追い抜いても良し、路肩を突っ走ってもよし、いきなりほかの車の前に飛び出してもかまわない。一方、高速道路上でのんびりしたいなら、一番右の車線を60キロ未満でゆっくり運転するのも可能。
オートバイ運転者は、オートバイの向きを自分で決められる。交通の流れにさからって行くほうが近距離で目的地に着けると見れば、かれは自由独立的に逆走できる。夜ともなれば、オートバイ運転者はライトを点けるも消すも自分の決め方次第。くず屋が荷車を交通の流れにさからって引くのもお好み次第。駐車番は好き勝手に料金をチャージできる。店の前やモールに駐車した車も駐車代を払う。

あなたはいま、住居を新築したり改装したりしているかもしれない。石や砂やその他の建築資材を、ほかの交通の邪魔になろうがお構いなしに、あなたは道路わきに自由に置く。役人が回ってきて注意することもないし、ましてや制裁を加えられることもない。
ひょっとしてあなたは、子供の教育で頭を痛めているかもしれない。自分でよい学校を探し、自分の収入が見合わなくとも、あなたはその費用をまかなわなければならない。給料が十分でないようだ?そう、われわれはそれが十分になるよう、自分でなんとかしなければならないのだ。ほかの方法で追加収入を求めるようなことさえも。
また自分や家族が病気になったら、あなたが貧困階層に属していたとしても自分で対処しなければならない。医者に診察してもらうにも自分で金を払う。救急車が必要なら、自分でその手続きをする。入院しようとするなら、自分で費用を準備する。死亡してすら、あらゆることを自分で処理するのだ。隣組長(RT)に発行してもらう証明書にはじまって、墓地の手配にいたるまで。墓地の使用料も忘れてはいけない。似たような境遇の隣人がたくさんいて助け合えるわれわれは、実に運が良い。


わたしは外国に留学したことがある。自分自身で処理しなくとも良いことがたくさんあったように思う。ゴミは無料で配られるビニール袋に入れて自宅の表に出しておきさえすれば、ゴミ集め人に隣人と金を出し合って支払うようなことをしなくても、翌日そのゴミは姿を消した。
自動車の運転も、交通は秩序立ち整然としており、そしてどこにでも警官がいるので交通違反などとても行えないため、安全感があった。パ・オガもおらず、赤信号を突っ切る車もなく、交通の流れに逆走する者もいない。駐車代は路上で停めるときだけチャージされ、商店やホテル、あるいはモールの構内ではたいてい無料だった。
家の前の舗装道路に穴があけば、市役所に電話するだけでよく、数日後には穴が埋められた。それどころか、電話もしないうちから道路がさっさと修理されることもあった。電気代はとても安いために三ヶ月に一度支払えば良い。水浴や飲用のための水は、自分で地下水を汲み上げる必要がない。水道局からの水供給は行き渡っており、煮沸しなくとも蛇口から直接飲むことができ、おまけに無料だ。
わたしのステータスは学生だったので、わたしの妻は出産費用を一切免除され、子供がかなり大きくなるまで手当てが支払われた。病気にかかったときも、わたしは何も不安がなかった。なぜなら大学生や貧困者はよく整備された清潔な病院で、診療が無料で与えられたから。わたしの子供の学校も無料だった。

「そのように多くのことが無料で与えられるのは、国民が税金を納めているからだ。」と言うひとがきっといるにちがいない。しかしわれわれも、税金を忠実に納めているのではないだろうか。土地建物税を納め、タバコを買ったりレストランで食事しても税を納めている。公衆トイレに入ってさえ、納税している。
おまけに毎日、パ・オガ、チップをやったときだけにっこりする警備員、不意にティシューを差し出してくるモールのトイレ番、KTP手続きの役所の公務員などにも非公式の税を払っているのではなかったろうか。

それだから、政府は存在しないように思えるのだ。公共料金値上げ反対を叫んでデモする労働者や学生が捕まったり撲られたりするときだけ、政府が存在するように思える。メッカ巡礼や大グループで外国を国費訪問しているときだけ、政府が存在しているように思える。しかし国民の福祉や安全に関することがらになると、政府は消えて無くなる。
社会秩序、保安、保健、教育、福祉、その他もっと多くのことがらは自分で対処し、労働者や学生が撲られるときだけ政府が姿を現わすのなら、政府とはいったい何のためのものなのだろうか?われわれはそれでもまだ政府を必要としているのだろうか?
ソース : 2003年4月7日付けコンパス
ライター: Amir Santoso インドネシア大学社会政治学部政治学教官


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『クレプトクラート、ステーツマン、デモクラシー』

「クレプトクラートと賢明なステーツマン、どろぼう男爵と社会貢献者の違いは、単なる程度問題である。」(ジャレド・ダイアモンド)

人類史の中で、エリートは常に一般人より多くを得ていた。ジャレド・ダイアモンドはそう語る。1999年に出版された『銃・病原菌・鉄:人類社会の運命』と題するかれの著作の中で、国家と呼ばれる政治単位に組織化されたものであろうと、あるいはより小さいムラ社会レベルの政治単位の中であろうと、エリートたちは常に一般人の富を上級者に移転させていた、とダイアモンドは表明する。
そのエリートが統治者たる盗人(クレプトクラート)となるか、それとも国政者(ステーツマン)となるかについての分岐点は、移転させた富がどれだけ大衆に還元されるかによって決まる。ザイールのモブツ大統領は統治するマリンと見ることができる、とダイアモンドは言う。なぜなら国に移転させた富はほんのわずかしか大衆に還元されなかったからだ。富の大部分(数十億ドル)は自分自身のものとされ、国はちゃんとした電話機すら持っていなかった。
ジョージ・ワシントンをわれわれはステーツマンと見る。なぜなら、税金として集めた民衆の貢納の大部分を、私利のためでなく、大衆が賞賛するさまざまなプログラムに使ったからだ。しかし、ワシントンは国家の富の再分配がニューギニアとほとんど同じくらい片チンバなプロセスの中で進行する国の上流階級に生まれたことを付記しておかねばならない、とダイアモンドは補足する。
疑問となるのは、社会の支持を得ながらもっと豪奢なライフスタイルを永続させるためにエリートが行うストラテジーはどのようなものか、ということだ。

四つのストラテジーチョイス
ダイアモンドによれば、ストラテジーチョイスは四つある。ひとつ、住民を武装解除し、エリートが武装する。ふたつ、社会から得た貢納を、デモクラシーを通して還元し、社会を喜ばせる。みっつ、公共秩序を育成し、暴力をなくして大衆をハッピーにするために、暴力を独占する。よっつ、得た貢納を合法化するために、イデオロギーや宗教を使う。
ダイアモンドが表明していることは、かみしめるに値する。問題は、エリートが用いる四つのストラテジーの中で、現代インドネシア政治エリートのポジションはどこにあるべきか、ということだ。
規範的に見るなら、第二のストラテジーがもっともよい、とわれわれは言うだろう。エスタブリッシュされた民主国家の政治家と同様、インドネシアで今進められているデモクラシーによって、国に納められた税金が大衆に還元されることをわれわれは望んでいる。われわれは国民の生活が改善されることを期待して、世間とかけ離れたデモクラシーエリートのライフスタイルを大目に見ている。われわれは革命を信じないがゆえに、デモクラシーに信頼を置いている。われわれは貧困ステータスを富裕レベルに引き上げるための政治ツールとして、デモクラシーに信頼を置いている。われわれは富裕を貧困に引き下げる意図を持っておらず、どうすれば貧困を富裕にできるかを考えるがゆえに、革命を信じないのだ。
第一ストラテジーのように暴力を使うだけであれば大衆の忠誠を得るのに限界があることを知っているがゆえに、われわれはこの第二のストラテジーチョイスに信頼を置くにちがいない。世間は保安だけでなく経済繁栄をも望んでいるということをわれわれは悟っているがゆえに、きっと第三ストラテジーに確信が置けないのだ。合理的批判的な人間を生む、とどまるところを知らない現代化プロセスのせいで、一般大衆の不安を黙らせるのにイデオロギーや宗教は頼りにならないという理解をわれわれは自分自身の中に育くんでいるにちがいない。

どうして大きい違いが
しかし、デモクラシーがわれわれの規範的チョイスとなるのであれば、われわれの経験的事実はどうしてこれほど大きく違ってくるのか?大衆がたいへん重い負担と感じている石油燃料値上げのさなかに行われた国会議員手当て引き上げをどう説明できるのだろう。総選挙コミッション、国家警察から最高裁まで諸国家機関で起こっている汚職に関するメディア報道をどう説明するのか。われわれが育てているデモクラシーが、どうしてクレプトクラート現象の出現をなくすことができないのだろう。
ペシミストに対してそれらの経験的事実は、昔は今より良かったと表明するためのインスピレーションを与えるに違いない。すべての問が、われわれはオルバ時代に戻った方がよいという表明で答えられるに違いない。しかしそのペシミスティックな見解は選択しないほうがよい。われわれがいま進めているデモクラシーが汚職報道を大衆に対してオープンにしているのだ、ということを悟る必要がある。デモクラシー下にある自由なマスメディア報道のおかげで、クレプトクラートになったのはだれかを見分けるチャンスが大衆に与えられているということもあるのだから。
メディアに取材の自由がないために、専制政治システム下でこのチャンスは絶対に得られない。不十分なのはクレプトクラートたちに対する法的措置なのだ。大衆にステーツマンとして記憶されるためにSBY−JK政府が行わなければならないことはそれだ。言い換えれば、クレプトクラートを完全に消滅させないかぎり、デモクラシーは決して成功しない。本当は、デモクラシーの目的はそれでなく、立法・行政・司法間のチェックアンドバランスプロセスやマスメディアの自由を通してデモクラシーが権力への抑制をもたらすがゆえに、クレプトクラートの動きがミニマイズされるということなのだ。
そうであるがためにダイアモンドは、クレプトクラートとステーツマンの区分けを白か黒かのコンテキストで理解するべきでないと述べているのである。だから、大衆に必要なのはデモクラシーに対するリアリスティックな姿勢なのだ。チャーチルがかつて語った「デモクラシーは最悪の統治方式である。過去に行われてきたすべての方式を除いて!」というものでは決してない。
ソース : 2005年11月7日付けコンパス
ライター: Makmur Keliat、 インドネシア大学政治社会学部国際関係学科教官、東アジア協力研究センター


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『むつかしい方? それともやさしい方?』

公定料金だとわずか7万7千5百ルピアなのに、C種免許を取りに行ったら20万ルピア払わせられた。首都警察には毎日、新規免許証申請者が1千5百人から1千8百人もやってくる。

27歳のワントの手を、突然痩せた男がつかんだ。ダアン・モゴッ通りの三叉路でかれはバスを降りたばかりだ。「免許証を作るの?」とその日焼けした男は尋ねた。交通の激しいその通りでぼんやりしていては事故の元。渡り切るまで車やバイクの往来に気をとられていたワントはまだ何の返事もしていないというのに、その痩せた男は押し付けがましい調子で話し続ける。「こっちだ。俺と行こう。」
「いいや、俺は中の人に会いに行くんだよ。」男がからみついてくるのを外しながらワントはそう言い、急ぎ足で少し離れたオジェッ溜まりへと向かった。

ダアン・モゴッの三叉路は、もちろん免許証に用のある都民がやってくるところだ。だが免許証の手続きをする場所はそこからまだ5百メートルほど離れている。バイクの後ろにまたがったワントは、まとわりつく周旋屋から逃れてほっと一息ついた。
オジェッ引きが話しかけて来る。「あんちゃん、免許証作るの?」警戒の気を抜いたワントがつい本音を言う。「ああ。」
駐車場まで入り込んだバイクは、建物にはまだ遠い駐車場の木陰に止まるとそこにいる二人の男に言った。「さあ、免許を作りたい人が来たぜ。」どうやらオジェッ引きとそこの周旋屋はグルだ。
ワントがオジェッ代をポケットから出していると、男のひとりはもうかれの腕をつかみ、ワントがまだ一言も言わないというのに、ふたりは近くに止めてある車のかげにかれを連れ込んだ。人目に触れたくないようだ。
「免許証を作るんだったら、俺とやるんだぜ。」男はドスをきかせてくる。「ああ、あのオジェッ引きは嘘ついたんだよ。俺は免許作りに来たんじゃないぜ。兄弟に用があって来たんだ。警官だ。」ワントも凄んで見せる。警官と聞いてふたりはかれの腕を放した。そこを離れてワントは悠々と建物を目指す。建物に入るまで、何人もの周旋屋が声をかけてきたが、かれは見向きもしなかった。中に入るとかれは同僚の兄弟を探した。そこで働いているのだ。

実はおよそ一週間前、ワントはそこへ来ていた。C種免許のための理論テストを受けたのだ。ところが、「あんたはテストに落ちた。」と係官がかれに言った。「あんな簡単な問題で俺が落ちたって?馬鹿な。絶対何かあるんだぜ、こりゃあ…。」
勿論、ワントも知らないわけではなかった。テストにパスする者はみんな「中の者」か周旋屋を通じているのが公然の秘密だということを。
今度は20万2千ルピアの金がワントのポケットから別の手に渡された。その後9時から12時までワントはひたすら待った。そして最後の仕上げに呼ばれた。写真、それから指紋。
「テストもなしで合格だ。これがわれらが民族なんだよ、ね。」クブメン出身の若者は記者にそう語った。


ワントと違い、35歳のウスップはテストを受けた。タングランの民間会社でトラック運転手をしているかれは「形式だけだよ。」と言う。バンテン州バララジャの自宅の隣人が、たまたま周旋屋だった。
どんな運転の達人が実技テストを受けても、合格する可能性はゼロだ、とウスップは言う。「実技テストを受けても絶対通らないよ。車は改造されてて、外を走ってるのとは全然違う。クラッチやアクセルは柔軟性が全然ないから、スピードのコントロールなんかできやしない。変速ギヤはきちきちに調整されてて、ギヤチェンジはおおしごと。反対にハンドルはゆるゆるだ。円滑金なしで合格なんてありえないよ。」
B1種免許証のためにウスップは55万ルピアを支出した。「ほとんどが円滑金だそうだ。考えて見りゃ、それも当然だよ。街中でも警官は円滑金を要求するんだから、その巣窟へくりゃあ尚更だ。」

一方チランダッに住むプルワント41歳は、C種免許の更新が7万2千ルピアでできてラッキーだった。時間も周旋屋を通すのとほぼ同じ3〜4時間。
「周旋屋は一掃してもらいたい。手続きが問題じゃなくて金を吹っかけてくるのが不快だ。いま行われているのは、個人的に得する者を生み出すやり方だし、おまけにわざと円滑金文化を広めようとしている気配も感じられる。」とコメントする。
首都警察免許証管理所長スパルモノ二級警視は「周旋屋は構内にいない。しかし外にはいる。ダアン・モゴッ通りにもいる。もし構内に入っているのを見つけたら、捕まえて外に放り出す。それらの周旋屋には捕まらないことだ。手続きがわからなければ、所内の案内カウンターがいつでも受け付けるから。」と述べているが、さる18日にそこを訪れた記者は、案内カウンターに職員はひとりもおらず、代わって周旋屋が何人もたかっていたのを目にしている。情報を求めてやってきた人にかれらはサービスをオファーしていた。「免許証を作るの?俺とやれば良いよ。すぐにできるから。」

スパルモノ所長によれば、一日の申請者数はだいたい1千5百〜1千8百人で、月初めには2千人に達するとのこと。また業務は夕方4時で終了するが視力検査は月〜木曜が正午まで、金土曜は午前11時で閉まる。免許証作成までにはほぼ3〜4時間必要だとのこと。
しかし申請者が多いと長くなるのは当然の理だ。更新は理論や実技テストがないので短時間に終わるが、一年以上過ぎてからの更新は再テストを受けなければならない。新規申請の条件としては、申請書の記入、読み書きができること、法規と自動車の基本的技術知識を持っていること、運転に巧みであること、心身ともに健康であること。年齢制限はC種免許が16歳以上、A種17歳以上、B1とB2種は20歳以上。料金は種別で異なり、保険、視力検査、テスト車使用料込みでA種はRp.82,500-、B1とB2種はRp.90,500-、C種Rp.77,500-、A一般種Rp.127,500-、B1とB2一般種Rp.132,500-となっている。
ソース : 2002年9月22日付けレプブリカ (一部省略)


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『できるだけ難しくしてやれ。なんで容易にしてやるのか?』

わが国の官吏たちのほとんどだれでも、簡単な問題がむつかしくなるのを好むのは、もはや秘密でもなんでもない。だから『むつかしくしてやれるのに、どうして容易にしてやるのか?』というせりふが存在しているのだ。奇妙に聞こえるかもしれないが、それがわが国の官吏の姿なのだから、なんと言えばいいのだろう。

行政職員たちは競って市民に最善のサービスをしようとはせず、その反対にあらそって市民、特に事業者から搾り取ろうとする。たとえば許認可や港での輸出入手続きで、徴収金は何層にも積み重なる。
ところがその非オフィシャル費用は最終的に消費者の負担にされる。結果的には、事業者だけでなく社会全体がとばっちりを受けているのだ。事業者が支出しなければならない非オフィシャルな費用が巨額にのぼるために消費者が損をしているという図式は、やたらと複雑でしろうとには頭の痛くなる輸出入手続きの中にはっきりと描き出されている。

東部ジャワ州輸出者連盟(GPEI)のイスダルマワン・アスリカン常任理事会会長によれば、輸出入者にとっては、何が公式の費用で何が非オフィシャルな費用なのかを区別するのはもはや至難のわざだそうだ。つまり書類手続きから貨物が船に積まれるまでの非オフィシャルな費用を払うことは、輸出入者にとって既に当たり前のことになってしまっているのである。
「公的なものと非公的なものを区別するのはむつかしい。それはもう文化の一部になってしまっているから。おまけに貨物発送手続きを通関輸送業者にまかせているため、輸出者は費用の中身がぜんぜん判らなくなっている。輸出者にはっきりわかることは、品物が工場を出てから船に乗るまで、20フッターコンテナ1台につきおしなべて125万から150万ルピアかかっているということだ。」とイスダルマワンは言う。インドネシアの輸出商品の価格はその結果、他国の製品に対する競争力を失うばかり。他国の製品とどうしても競り合いたいとなると、事業者は利益巾を小さくするほかない。

スマランのタンジュンマス港でも、状況は似たようなもの。事業者たちはオフィシャルな費用の2〜3割に達する徴収金を慨嘆する。中部ジャワ州商工会議所のスンドロ会頭はそのありさまを、はしごから落ちてしかも倒れたはしごの下敷きになっている、と形容する。
おかげで中部ジャワ州の輸出は2002年に入ってから30%の減少だ。例をあげれば、非石油ガス産品の2001年輸出実績を見ると、月別での最高金額は1.7億ドルに達したものの、2002年は単月の最高が1.2億ドルに減少している。それどころか2002年1月の輸出高は、たった6千7百万ドルしかなかった。スンドロ会頭はオフィシャルでない徴収金取り立てを何度も州知事、タンジュンマス港湾管理局、INSA船主協会中部ジャワ支部に苦情したが、一通の返書も受け取ったことがない。
タンジュンマス港湾管理局のスバギオ局長はその徴収金について、輸出入関連のタリフは運輸通信省の決定が規準になっている、と言い訳する。局長は職員が1センでもその規定タリフより高い料金を取ったなら、その証拠を添えて当局に報告してほしい、とリクエストしている。


GAFEKSI [ フォワーダー通関業者連盟 ] 東部ジャワ州執行部プルノモ・スデウォ議長は、輸出者へのサービス料金からたいした利益は得られていない、と告白する。PT Bintang Samudera Pratamaの社長であるかれは、製品がコンテナに入れられ、そのコンテナが船に積み込まれるまでの手続き取扱いサービス報酬をコンテナ一台あたり15万から17.5万ルピアとしている。ところが、最終的に通関業者の手に入るのはそのうちの1万から2万5千ルピアだけだ。
「問題のない」コンテナに対する「ふつう」のタリフは、20フッターの場合で一日一台Rp.6,500-、40フッターでは一日一台Rp.13,000-の保管料と、20フッターがRp.24,600-、40フッターがRp.36,900-という荷役料だけ。
「ほかの金は税関からはじまって船が出港するまでに通過しなければならない何十もの公式非公式の関門で支払われる。だから輸出者のための貨物発送サービスを売ることで大きな利益を得ていると思われては心外だ。」プルノモ・スデウォ議長はそう語る。
こうしてみると、最長二日間の保管料と荷役料の6万5千ルピアに通関業者の収入2万5千ルピアを合算しても、事業者が支払うべき妥当な費用は10万ルピアに満たない。これはつまり、コンテナ一台あたり5万から7.5万ルピアという非オフィシャルな金が取られていることを意味している。
港湾運営公社ペリンド?の公表データによれば、タンジュン・ぺラッ港のコンテナ荷役は2001年の陸揚げが20フッターで海外から7,035台、国内から270,868台、40フッターは海外から4,374台、国内から32,514台。一方で積出しは20フッターが海外へ6,880台、国内へ309,980台、40フッターは海外へ2,640台、国内向け11,496台となっている。タンジュン・ぺラッで荷役されたコンテナの総数は海外分14,738台、国内分624,858台、合計で639,596台であり、つまり非公的な徴収金は年間で319.8億から479.7億ルピアの範囲で存在しているわけで、これは並大抵のものではない。

ジュパラの輸出者マルトヨはタンジュン・マス港でも、輸出者たちが慨嘆しているタリフの中に、空コンテナの取扱い、実入りコンテナの積み下ろしと保管、事業者側の不測の出費などが含まれている、と語る。
スマランのタンジュン・マス港では、空コンテナ一台あたりの取扱い料が20フッターでRp.17,500-、40フッターRp.27,500-、実入りコンテナ積み下ろしは20フッターRp.27,300-、40フッターRp.40,950-、そして保管料は最初の一週間が一日あたり20フッターRp.6,500-、40フッターRp.13,000-であり、8日目からはそれが一日一台あたりで二倍になる。
コンテナを倉庫や工場に運び出す輸入者は保証金として、20フッター一台50万ルピア、40フッター一台100万ルピアをデポジットしなければならない。スマラン在住の別の事業者ジャルワントは、保証金は5万ルピアと10万ルピアであってしかるべきだと言う。なぜなら事業者がコンテナを盗んだり売り払ったりすることなどありえないからだ。
INSA中部ジャワ支部のマスディ・スデウォ支部長はコンテナ保証金の額を聞いて驚きを隠さない。海運サービス利用者は損になるような費用を徴収されないよう、船会社の選択を十分注意して行うようにと、INSAは繰り返し呼びかけている。


貢納金の義務は輸出品目によって納める相手が違い、また手続きを滞おらせる問題の種類も異なっている。とはいってもそのほとんどすべては、商工局、税関、イミグレーション、港湾公社、港湾事業者(かれらはふだんそう自称している)らと関係しており、プルノモによれば貢納金は、関門一箇所ごとにコンテナ一台あたり2千ルピアかける人数分だそうだ。
INSA東部ジャワ支部のルディ・ウィサクソノ指導部会会長は、不法徴収貢納金の関門は三つに大別される、と言う。つまり行政に関わっている輸出サービス、保安、港湾ファシリティの三つだそうだ。
ジャムルッ埠頭に接岸する貨物船の保安に関わっている七つ以上の機関を例に上げるなら、港湾管理局、KPPP,Airud、Satroltas、 Lantamal、ペリンド警備班、ポートセキュリティ、荷役会社発送会社の編成する自主警備隊などになる。
接岸中の船の保安をはかって警備職員にチップを与えることは、ぜったいになしでは済まされない、とプルノモ・スデウォも肯定する。オープンな状態で高価な品物を積んでいる船の場合は3〜4人の警備員が必要で、かれらには一日15〜20万ルピアが支払われる。その金は輸出者が支払うオールインの貨物発送手続き料金で負担される、とプルノモは言う。ただしそのような警備はすべての船に対して毎日行われるものでなく、特定の船に対して特定の日に、たとえばハリラヤ前などに行われる。
貨物が船にあるときだけの警備では不十分。輸入品の場合は、倉庫での保管のために船からトラックに移されるとき、倉庫内で保管されている間、倉庫からトラックに積まれて買い手に送られるとき、とそれぞれ警備が必要であり、また輸出品の場合はその反対のルートにおいて必要とされる。つまり少なくとも貨物の警備は三回行われることになり、言うまでもなくそれは金の支払いが三回行われることを意味している。
「警備をいいかげんにすれば倉庫の中やトラックの上は空っぽになるかもしれない。なぜならここにはごろつきがあふれているのだから。貨物が無くなってしまうよりは、かれらを養ってやった方がいいんだ。」とのプルモノの談。


書類完備と警備の問題だけが金を搾り取るためのプンリ[不法徴収金]の舞台をしつらえているのではない。あらゆる人がうんざりする順番待ちも金を手に入れたい者にとってのチャンスとなる。入港船が競って接岸を希望するジャムルッ埠頭の限られたスペースは、プンリのとっておきの舞台だ。到着した船は先入先出原則が適用されなければならないはずなのに、情報筋によればその原則はほとんど無視されている。「船舶接岸ワンストップサービスセンターでスケジュールを決めている悪徳職員とのネゴ次第だ。高く払う者が早く場所をもらえる。」情報筋はそう語った。
船主は言うまでもなく和議を尊ぶ。接岸待ちが7日にものぼればたいへんなことになる。なにしろ一日接岸が遅れたら、船の1デッドウエイトトンあたり1米ドルの損失を招くのだから。つまり5千DWTの船には一日5千米ドルの費用が発生し、累進制のためにそれは日を追ってかさんでいくことになる。
そればかりでなく順番待ちにおけるプンリは、トラック上で荷役を待っている貨物をすらターゲットにする。そこでとばっちりを受けるのは運転手だ。トラックの中身を早く荷役してもらうために、運転手は荷役指図者に2千ルピアほどを渡さなければならない。


船に積み込まれる前、あるいは船から下ろされる前の、消費者の手元に商品を届ける際の手続きのややこしくて複雑なありさまを見るなら、事業者たちがため息をつくのもよく分かる。手続きの鎖の輪はあまりにも多く、そして悪徳役人が事業者を搾るために利用できる穴もたくさん開いている。ところが昔から連綿と続いてきた文化と見なされているために、事業者たちはその搾取を当たり前と思っている。「suka sama suka tanpa tekanan [ 圧力なしの好き合う同士 ] 略してsusu tanteだよ。」大笑いしながらルディはそう話す。

哀しいかな、ここでは誤ったことが簡単に正しいとされ、またその反対も起こる。ならば正しいことが正しいとされ、誤ったことがまちがっていると言われるのはいつのことなのか?言うまでもなくその答えは、『規則の一言一句を理解し、それをもてあそぶことができないようにすることで現れる勇気を手に入れたとき』。事業者たちは、追加費用が発生するのは往々にして自分自身が輸出入規則を知らないためであり、結局は口止め料を役人に渡して和解しようと安易な方法を選ぶからだ、と認めている。しかし役人が「間違っている。」と言う問題が、本当は間違ったことでないかもしれないのだ。そうであっても、事業者は規則を理解していないために結局は折れてしまう。
「正直言って、いったい誰が山のような輸出入規則を理解し、覚えていることができるだろうか?それはともかく、プンリのターゲットにされて役人にもてあそばれないようにするため、われわれは事業者に対し規則を勉強するように勧めている。ルディさんを見てごらん。かれの船が24時間以上接岸待ちをしたことがないのは、規則を明確に把握していて苦情を言っていく度胸があるからだ。他の事業者にはあの度胸はないよ。」と語るデウォ。
もしそうであるなら、このプンリ現象はいったい誰のせいなのだろうか?
2002年8月18日付けコンパス


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『困難にしてやれるのに、なんで容易にしてやるの?』

北ジャカルタ市タンジュン・プリオク郡スンテルジャヤ町役所の月曜日午前七時。やってきた数人の市民の中に、スンテル・ベンテガンに住む野菜売りがバッグを背負った若者と話している姿があった。市民たちはKTP(住民証明書)手続き窓口が開くのを待っているのだ。その若者が市民防衛団の制服を着た職員に歩み寄って行ったころには、時計はもう8時を指していた。窓口は何時に開くのか、と若者は尋ねた。かれはデポッへ講義を受けに行かなければならないのだ。

「月曜はいつも遅いよ。担当者は9時ごろにやっと来る。職員はみんな郡役所の朝礼に出るから。」グリーンの市民防衛団の制服を着た職員はそう答える。「おれは先に行くよ。KTP手続きなんかのために、なんで講義がさぼれるもんか。」若者はそう言いながら、周辺の住民集落の中でひときわ豪華さの目立つ町役所を後にした。

ほぼ9時ごろ、窓口がついに開かれた。待っていた市民は先をあらそって書類を窓口に積み上げる。かれらはただひたすら待つばかり。一方、やってきたばかりのふたりの職員はまずひとしきりふざけあう。
「さあ、早くやろう。みんな待ってる。」職員のひとりが積み上げられたKTP延長申請書の山をつかみながら言う。ところがそれらの書類はすぐ手がつけられることにはならなかった。なぜなら、黒いカバンを手にした男がひとりやってきたからだ。パブリックサービス者はふたたび待っている市民を無視する。やってきた黒カバンの男はどうやら、顧客がオーダーした新しいKTPを取りにきたらしい。あちらこちらとまたひとしきりふざけあいをしてから、町役所職員はやっと待ちくたびれた市民に対するサービス態勢に入った。
雰囲気は数百年前の、民が王にお目通りするあの時代に逆戻りしたみたいだ。民はそれぞれ自分が呼ばれるのをじっと待つ一方で、王様は玉座に座ってだれを呼ぼうかと選択の権利をふるう。

「寄付金は?」KTPを紛失したために再発行の申請に来た市民に職員が言った。寄付金の意味がわからず、困惑したその市民は尋ねた。「何の寄付ですか?」職員は笑いながら窓口の向こう側で言う。「任意の寄付だよ。いくらでも良い。」窓口の黒い仕切ガラスに貼られたステッカーを、職員はきっともう忘れているのだろう。『どんな形であれ、市民は寄付を職員に与えること厳禁』ステッカーにはそう書かれている。
「寄付があれば10日でできるが、いやなら14日待ってもらうことになる。」申請書を放り投げながら職員はそう言う。その市民はむっとして、そしてできあがったKTPを受取るために必要な受領証を尋ねる。だがかれは、失望をもう一度味わうことになった。「サイン者が来ていないから待っててくれ。せいぜい11時頃には来るだろう。」もうひとりの職員がそう言った。

そんな光景はあらゆる役所でほとんど毎日目にすることができる。ましてKTPのようなもっともベーシックなパブリックサービスからはじまって、オフィシャルでない金の支払いと思いやりのない職員のふるまいはいたるところに満ち満ちている。市民は自分で手続きを行うのがうっとうしくなり、数万から数十万ルピアという金をあきらめて周旋屋に頼むほうを選ぶようになる。じっさいにたいした違いはないのだから。
INDEF経済財務開発院が1999年に公表した調査結果によると、費やされた無駄時間の勘定も含めて1997年にKTP手続きのためだけにかかった総パブリックコストは1兆ルピアだったことが示されている。ところがその年、KTP手続きで支払われた市民の金は額面上6,030億ルピアとなっており、三分の一が個人のふところに入ったことがわかる。


そんなパブリックサービスのひどさは、改善されるべき行政機能の氷山の一角にすぎない。理論上、政府の持つ根幹機能は三つだ。パブリックサービス、開発、そして市民の保護。ところが市民の文民公務員に対する評価は掛け値なしで最悪。
職場に遅刻してくる茶色い制服の人々で、職場に来ればチェスで遊んだりコーヒーを飲みながら新聞を読むだけというのが文民公務員だというプロトタイプ的イメージは、実態からあまり離れていない。『困難にしてやれるのなら、どうして容易にしてやらねばならないのか?』という市民の皮肉なあてこすりで表現される役人の姿勢はいまだにしっかりと根をおろしている。加えてプンリ(不法徴収金)や暇な就業時間の合間に行われる儲け探しプロジェクトなどもまだ盛ん。
公職悪用のすべての源泉が低給与にあるという言い訳は反論がむつかしい。2003年度政令第11号を見ると、?A級から?E級までの文民公務員の基本給は57万5千ルピアから180万ルピアとなっている。違いが出るのは職務手当てや米現物支給などといった手当ての面でだ。
「ちょっと考えても見てくれ。三人の子供を持ってジャカルタで生活する場合、学費やらあれやこれやの費用やらで、あんな給料で足りるわけがないだろう?」税務署勤務のある公務員はそう語る。

本紙の見るところ、文民公務員のパフォーマンスに貼りついた低劣イメージはもちろん真実に近い。都庁建物内で目にするありさまはそんなイメージを裏付けている。たとえば20階は空き事務所で、三四人の職員がいるばかり。そこが空室になっているのは、いま研修中だからとのことだが、数人いる女子職員は、職場の中にまで上がり込んできたひとりの物売りが売る靴の品定めに没頭している。
10階にある地区行政課の光景もほぼ同じ。組織図に書かれている155人の職員数のうち、火曜日午後一時半現在事務所にいる人数は十人に満たない。職場にいるかれらの活動もほとんどが雑談とテレビを見るだけ。机の上の書類を忙しく処理しているのはたったのひとりだけ。

公務員の事務机という話題もある。大半の机には一枚の紙も置かれておらず、きれいにすっからかん。整頓が行き届いているって?きっと仕事なんかしていないからだろう。職場と職場をつなぐ廊下にはピンポン台。9階の法務組織課はそうなっている。
ルフル・アフラ都庁公務員局長は、都庁職員数は過剰であり効率性に欠けている、と認める。その対策として職員合理化が計画され、その中には早期退職も含まれている。地方自治の施行で合併がなされる前、都庁文民公務員は7万人いたが、制度変更によって各省庁からの職員移管が行われ、その結果、職員数は10万8千人となった。
2003年6月時点での職員総数は94,142人。定年退職する者があるために毎月その数は変動する。都庁は非効率を実感しているとはいえ、都下の諸部門にはまだ4,758人の契約職員が散在している。
局長によれば、首都の公務員のニーズは住民ニ百人毎にひとりが理想だそうだ。首都人口は、夜850万人、朝から夕方まで1千1百万人が650平方キロという首都面積の上に暮らしている。最大1千5百万人と仮定するなら、必要とされる公務員の数は7万5千人であり、それはつまり今現在過剰人員が2万人いることを示している。

都庁は早期退職プログラムを繰返し打ち出している。50歳に達した職員にとってそれは現行職員規定から逸脱していない。2000/2001年度にも早期退職の呼びかけは出されたが、それに従おうと手を上げた物はひとりもいない。今も都庁のニーズとキャパシティに応じた、より確立されたプログラムの検討が続けられている。


すべての公務員が額に「無駄飯食い」の印を刻み付けているわけではない。外務省では高度なスタンダードとプロフェッショナルな仕事を職務が職員に要求する。「外務省には他とは少し違う、特殊な特徴がある。同じ公務員とはいえ、いくつか違いがある。」マルティ・ナタレガワ外務省スポークスマンはそう語る。
公務員という同じ名前をまとっていても、外交官は文民公務員のステレオタイプ的ふるまいはできないそうだ。今の危機的な経済状況下に外交官は、ブレークスルーを行う勇気と仕事をルーチンビジネスと見ない見識を持っている。「文民公務員は他人から奉仕されることばかりを欲するというステレオタイプがたしかにあるが、インドネシアの外交官の中で外国の代表者の目にそのような姿をさらす者があればそれは容赦されないし、また外国の代表者も個人的に決して赦さない。」とマルティは物語る。
?B級公務員であるマルティは、好むと好まざるとにかかわらず外国外交官の接待に自分の金を使わねばならないケースも外交官には多々ある、と言う。海外勤務を経験できるインドネシア外交官はラッキーだそうだ。なぜなら海外勤務では給与を含めて他の文民公務員にはないさまざまなファシリティが与えられるから。
しかし帰国すれば海外でのときのような手当てはもらえないが、その一方でかれらはロビーを設けたりして外国からの代表者たちと良い関係を築くことを求められている。「ロビー活動は絶対必要だ。外交官がメディアに載っているような情報しか持っていない図を想像してごらん。テレビのスピードにも負けてしまう。外交官はスクリーンの裏側に存在しているストーリーを持っていなきゃいけない。そんな良い関係を築くためにブレークスルーを行う勇気を持ったクリエーティブな若い外交官は、自分の見る限りたくさんいる。」というマルティの談。

外務省は組織としてもブレークスルーを行っている。いくつかの在外公館における人員整理もそのひとつ。その国の状況とインドネシア側の必要性に応じてなされるために整理の形は異なっている。つまり従来あった部署がいつまでもなければならないというものではないのだ。
「たとえばある国は経済が重要だと見なされれば、経済部門が優先されて他の部門はなくてもよいということになるかも知れない。もっと機能的になるのだ。」バンドン生まれの40歳で、ロンドン経済学校、ケンブリッジ大学を出てオーストラリア国立大学で博士号を取ったマルティは、他のセクターでもっと大きい給料やファシリティを手にする扉が開かれていたというのにどうして文民公務員になったのかという質問に個人として答えた。「興味があったのと、ひとびとに奉仕することで何らかの貢献をしたかった。」

マルティのバックグラウンドは、決して誰にもそんなチャンスが与えられているものではない。だから自分は社会に何かを還元するという社会的責任を負っているのだ、とかれは感じている。「自分の周辺社会に向かって先生になったり図書館を開いたりしている人に、正直なところわたしは脱帽する。かれらはひとりひとりが違いを生み出す独自の道を持っているのだから。」マルティはそう語った。
ソース : 2003年7月6日付けコンパス


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『Black Night, Black Forest (暗黒の夜にケーキを食べよ)』

インドネシアの現代生活の中でデモは最先端現象になった。特にジャカルタでは、デモが引き起こす交通渋滞をはじめとして、ほとんどの人が触れる日常生活の一部分と化している。おまけにデモは商品になった。デモの商品化は、結婚パーティ、誕生パーティ、開運儀式などを催すビジネスとよく似ている。パッケージサービスを選ぶだけで良いのだ。人数はどのくらい?テーマは何?投げるのは石、それともモロトフ(火炎瓶=訳注)?
デモビジネスの実態をアリタシウス・スギヤとトウェキ・トリアルディアントが調査した。


事実その通りなのだ。
2000年10月3日に国会議事堂前庭で「飢餓の響き」と称するデモ隊の中の数人が、コーディネータから約束の報酬をもらっていないとの理由で暴れた事件は、多くのメディアで報道されてまだ記憶に生々しい。
あのとき、石油燃料値上げに反対しておよそ百人のデモ隊が国会議事堂へやってきた。デモが終わった後でその近くにあった自動車が一台破壊された。その破壊行動は、まだ金をもらっていないデモ隊の一部メンバーの不満から始まった。かれらは既に熱くなっており、別のメンバーたちは議事堂前の噴水で水遊びをして冷やしていたが、結局支払いを約束した者の車と思われるキジャンを見つけると、まだ金をもらっていない何人かがそれに襲いかかった。まもなく約束の金が支払われたので暴行者はやっとおとなしくなり、そして解散した。ぶつくさ言いつつ金を数え、そしてその場をあとにしたのだ。

いろいろなテーマのオーダーを受けるのから、たとえば「チュンダナファミリー擁護」だけに特化したのまで、さまざまなデモ実演グループがある。そんなデモビジネスが確かに存在していることを、多くのひとたちが認めている。北ジャカルタ市チリンチンのカリバル町での基幹物資販売プログラムで会ったあるデモ隊コーディネータは、自分たちはデモの注文を受けると肯定した。そのデモ実演グループの中での自分の公式ポジションは現場コーディネータだ、と言うかれは、自分のグループについて詳細に語ってくれた。
かれの話しでは、かれの父親がグループ設立のアイデアを出したのだそうだ。地元では、その父親はチュンダナファミリーと特別のコネを持っていると言われている。「2000年7月、父はある墓に詣でた。そのとき父は神秘な囁きを聞いた。『モラル運動を起こせという託宣が自分にくだった。』と父は感じた。」とかれは語る。神秘な囁きから発したその運動は、当然神秘がかった響きのする名前がつけられている。その「モラル運動」はひっきりなしに衝突を繰り返している学生運動と軍・警察からなる治安当局の間を鎮める中立的性格のものだそうだ。
囁きを7月に体験したところを見ると、前スハルト大統領の支持と擁護を核としたその運動の開始に暗合が見られる。そのデモグループの立ち上げの舞台は、2000年8月31日に南ジャカルタ国家法廷で開かれた最初の裁判だった。デモ隊はチュンダナファミリーへの支持を謳った。
「でも、チュンダナの全員じゃない。」そのグループが擁護するのはスハルトだけであり、言い換えれば、スハルト・パッケージの注文は受けるがトミー・パッケージやトゥトゥッ・パッケージは行わない。「運動の事務所、司令ポスト、本部あるいはそんなたぐいの拠点はどこにあるの?」との問いに、「大空の下。」と現場コーディネータ氏は答えた。そのインタビューに付き添った現場コーディネータ氏の助手は付け加えた。「最近の学生運動はあまりにも倣岸だ。だから自分はこの対抗グループに加わったのだ。」と。


石かモロトフか
現場コーディネータ氏も助手氏も、かれらの運動メンバーは失業者だ、と言う。「悪化した経済が引き起こした一連の解雇の被害者が自分たちだ。」と言う助手氏は、スハルト時代にそんな目にあうことはなかった、と付け加える。「メンバーは食わねばならない。だからお疲れ金が支払われるのは当然だ。お疲れ金はデモ参加者ひとり2万ルピア。資金源はチュンダナファミリーのひとりと、そして合同資金。うちのグループはよそのと比べて違っている。よそのはたいてい動き出す前にプロポーザルを提出するが、うちのグループはまず目的地に急行だ。到着してから現場コーディネータあるいは助手がはじめて資金主にデータを提出し、すこしあとにその金がおりてくる。デモ参加者ひとりにつき2万ルピアだが、特別な報酬が出る場合もある。たとえば石を投げて目標に当てた者には5万ルピア、モロトフを使った者には最高70万ルピアが出る。」との助手氏の詳細な説明。


集団文化
現ポイントで、雇われデモは、あらゆるものが売買されてビジネスパッケージが生まれる都市の一般現象と変わるところがない。結婚パーティや誕生パーティの実施パッケージのように、もはや珍しくもないものだ。結婚式のために用意されるパッケージは饗宴の手配といったパーティ進行に関するものばかりでなく、どのように神聖さを盛り込んで行うかといった要素も含んでいる。あらゆる危難を避けてすべてが円滑に進むのを目的とする断食を指導したり、結婚衣裳を着けて化粧したときにより美しくあるいはよりハンサムに見えるよう練習したりする婚前準備パッケージや、式場を華麗に演出するきれいどころの娘衆といなせな男衆を手配したりといったパッケージもドゥクンや美容師がアレンジしてくれる。
聖なる儀式のパッケージはジャワ暦のスロ月一日が近付くに連れて、オファーが新聞等をにぎわす。ジャワの伝統行事にルワタンというものがあり、例をあげれば、ひとりっ子は神聖な儀式でルワッしなければならないものらしい。ルワタンは普通、特別な儀式が行われ、その後は夜っぴてワヤン・クリッの上演がなされる。
今ではその用のために特別パッケージが用意されている。自分自身あるいは子供をルワッしたい人はお金を払って主催者に登録する。集団で実施されるために、ひとりで催すより安上がりなのは当然だ。霊能力に秀でたと見られているワヤン・クリッのダランが選ばれ、ダランは主催者が受け付けた、ルワタンを授けられる人に向かって祈祷を読み上げる。特にひとりの人に対して個人的に向けられる祈祷と比べて、そんな集団向けの祈祷にどれだけ霊験があるのかよくわからない。

クリス(波形短剣=訳注)に対するルワタン・サービスもある。昔からの伝統に従えば、クリスや槍などの相伝物を愛する人々は、スロ月一日が近付くとそれらの武器を清めなければならない、との信仰を抱いている。そのサービスをオファーするいろいろな人が、やはりマスメディアに広告を載せる。人は清めたい武器を持ってその住所にやってくるだけなのだ。料金は相伝物の霊力しだいでさまざまだ。武器の霊力はどのようにして測るのだろう?あまり深く尋ねてはいけない。旧世界のバーチャル基盤は最新のバーチャルリアリティに変換され、そうして一部のひとはあるがままに物事を受け入れているのだから。だから、たとえばナガサスラという名のクリスを清めるのは、キヤイカンプレッという名のものよりきっと高いだろう。そこではすべてが大衆化され、大衆化パターンに大きく影響された生活様式の中で大都市社会の精神的な需要に応じられるようなパッケージ産業となっている。
生活に対する技術コントロールの付随した大衆文化は、ルワタンのような古い伝統内の霊的信仰からイデオロギー信仰までを含むさまざまな点で、一切を排除している。デモパッケージの存在は、「スロ月一日パッケージ」「結婚式パッケージ」「マクドナルドの誕生日パッケージ」などと実はなんの違いもないものだ。


論理上の優位
これまで知られていた大衆文化自体のコントロールはイメージを、つまりイメージ産業を通したものだった。イメージ産業の中ではさまざまなことがらが相対化できる。説教をテレビで放映している著名宗教家は「テレビの説教は大勢の見物人を得ることが大切だ。」とフランクに述べているが、かれは「導き」としての面よりも「見世物」としての面を重視している。
インドネシアのケースでは、そんな価値の相対性こそが特にスハルト政権期に際限もなく利用され、さらにあらゆる手先がそれに倣った。善悪正邪の価値が、最新資本主義イメージ産業の一層の隆盛とともに成長した支配体制によって長期にわたって操作された。軍事主義的で抑圧的な権力によるマスメディアを通じた統制、牢獄へ放り込むという威嚇、市中であからさまな反抗を行った者への力づくの措置などで、論理上の優位に対する抵抗のあらゆる衝撃は時の支配体制によって抑え込まれた。その結果、権力が対象化したすべてのことに対して、それを当然として受け入れるようにひとは慣らされてきた。今現在でさえ、その論理上の優位をスハルトファミリーは持っているようだ。スハルトの長女トゥトゥッはいまやお尋ね者の弟トミーが「法を遵守して・・・・。」などと好きに言い募っている。
イメージや生活を一層重苦しくしている経済危機に関連して、デモブローカーたちが大衆動員に困難を受けていないように見えるのは当然のことと理解できる。あなたは、人数何人、テーマは何、要求は何、投げるのは石かモロトフかというリストを作ってオーダーするだけで良いのだ。入牢歴4回と自称する既出の現場コーディネータ氏みたいに、デモグループのコーディネータはだれでもなれる。「自分はもう4回監獄に入った。自分の過去は暴力と犯罪だらけだ。」と述懐するコーディネータ氏とともに、助手氏も「数えてみると20もの会社で働いた。」と個人体験を物語る。30歳のこの男が仕事を転々とした理由は何だったんだろうか?「自分は満足したことがない。やめる方がやめさせられるよりましだ。」と助手氏は述べている。


暗黒の夜
かれらは皆、ますます不条理に映る「劇場国家」の一部だ。都市社会環境のあらゆるセッティングは思いがけない変化を遂げた。多くの建物やショッピングセンターが、そして路上の車が燃やされた1998年5月の大暴動がジャカルタを襲ったとき、そこで何が起こったのかを忘れることはできない。ジャカルタは数日間戦場のようになった。そのとき、高級住宅地区を含むほとんど全ての住宅地区で住民は夜警を行った。高級住宅地区では住民がゴルフスティックを武器として、またおかしいことに別の人は床拭きモップの柄を手にして夜回りをする図が見られた。夜っぴて夜警を勤めるご主人方のために、若い奥さん方はおやつを用意したが、多種多様なおやつの中に、奥さん方や女性の多くが好むブラックフォレストケーキがあった。首都の一番暗い夜に、わたしたちはブラックフォレストを食べながら夜警に従事したのだ。「Black night, Black Forest ・・・・」こんなにぴったりする言葉はほかにない。

崩壊したように見えるが、個々の器官は生き続けて活動している支配者の話し、という形式の一大エピソードのさなかにあるモダニズムの悲劇がこれだ。オルバはひっくり返ったように見えるが、実際は司法、行政から立法まで生活上のバイタルな分野の多くを依然支配している。数十年のかれらの腐敗があからさまになり、その後かれらが支配する、たとえば司法の領分は、茶番の材料にされている。
そんな危機のさなかに大都市の文化とライフスタイルは、「結婚式パッケージ」「誕生日パッケージ」などと同じ「デモパッケージ」をはじめ、独特な方法で自己表現を行っているのだ。
ソース : 2000年12月20日付けコンパス
ライター: Bre Redana


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『群衆大洪水災害』

植民地時代、大衆行動は突発的に行われた。19世紀のジャワにおける大衆行動は、歴史家サルトノ・カルトディルジョが書いているように、少人数で散発的なものだった。その後、ナショナリズム運動期には、植民地支配者を追い出すために大衆を支えとすることが行われ、その方式は効果をあげた。
政治に目覚めてからは、大衆勢力は政治活動のバックボーンとなり、その方式は定型パターンとなった。大衆操作政治は権力形成のメイン要素となり、政治における民衆参加は大衆行動によって特徴付けられた。

ナショナリズム運動時代の大衆行動は、政治エリートの役割と切り離すことができない。それは政治のある暮らしに参加するための主要な儀式の一部であり、インドネシア民族が現代という理解の中での政治を認識し始めた当初、大衆行動は正嫡の子供であり、時代の遺産からの直接の子孫であった。
スリカッ・イスラム期とそれに続く時代、独立を目指す民衆教育の一助として、政治エリートは大衆の支えを形成するのに大きな成功を収めた。ところが1945年以降、大衆動員は危険な問題を内包しはじめたのである。水平コンフリクトが定常的に発生するようになったのだ。更に、皮肉なことには、大衆動員によってスカルノが失脚し、代わったスハルトも学生が行った大衆運動で失脚した。第三代大統領BJハビビも頻発する大衆行動のために失脚した。今現在に至るまで、政治表現としての大衆動員は衰える気配を見せていない。
アブドゥラフマン・ワヒド政権期の大衆操作政治はおもしろい配置パターンを示している。突出しているのはプサントレンとナフダトウル・ウラマを母体とするアブドゥラフマン・ワヒド自身の群衆で、その他にPDI−Pの群衆やいまだにインドネシアの政治世界に存在しているゴルカルの群衆もおり、また多くの政党からなる中軸派はもっとバリエーションに富んだ群衆を持っている。
そして、変転する独自の政治ラインを持つキャンパス階層の群衆がおり、それ以外にも十分実質的な人数を擁し、「雇われ群衆」と呼ばれる集団を含む、明確な政治判断や見解なしにアリーナに降りてくる浮動層群衆もいる。

この種のパターンにおいては、群衆はあるひとつの場所で三角、四角、五角関係的に一斉に対面することが起こるが、ひとつの群衆が他の群衆の合同体と対決することは滅多に起こらない。時に、積極的にアリーナにやってくる群衆はもっと複雑であり、その正体をはっきりと弁別するのは難しい。そのような群衆は、たいてい特定集団の影を背負い、おまけに軍服風のユニフォームに徽章をたくさんきらめかしており、一般的に獰猛な性格をしている。

「花もて語れ」をインドネシアにおける政治現象の中で言い換えるなら、「群衆をもって語れ」となる。要求、請願、戸惑い、要するにあらゆる念願は、民衆を支えとする方法で提示される。その方法は、威嚇、強制あるいは少なくとも交渉の道具として効果的なファシリティだと見なされている。
大衆を支えにして何かを語るのは、しばしば社会に恐怖心を掻き立てている。大衆動員が政治エリート問題のアリバイとなるだけなら、過ちに陥れられた群衆の数はそれを増幅することになる。昨今の政治自体が恐怖、戸惑い、怯み、逡巡、不満、怨恨を表現するための政治と化しているとき、その恐怖がきっとわれわれの議論の核であるにちがいない。組織的であると否とを問わず、社会集団間の利害衝突は敗北感を醸成し、日々の暮らしの困難に直面するときの無力感を形成する。
いまだに解決されないその問題に対して、エリート層は責任を取ろうとしない。そのためにこそ、現在のこの困難の張本人と目される社会の特定個人やグループに対する非難や行動を行うために、大衆の支えが必要とされているのだ。ところが、大衆を支えにすることは、政治エリートの失敗や行き詰まりのアリバイ探しの方法にされている。

まず、人生への責任に対するおそれがある。ゾーレン・キエルケゴールらの実存主義者は「恐怖の」実存が持つ不可解さや孤独と毎日向かい合っている。ふるえあがるほどミステリーに満ちた生は同時に、行き続ける意欲をももたらす。この思想家たちは基本的に、主体としての生に対する恐怖心の表現である、あらゆる形態で群れる人間の集団に批判的だ。
実存主義はしばしばブルジョアジーのリューマチ病だと非難されるが、個人としての孤独は、あらゆる合理性と責任をひとりぼっちで背負って勇敢に生と対峙する。神と生の前での実存の意義と孤独は、友などひとりもなしにただ自分ひとりで受け止めるものだ。死を他のだれかと共に迎えることなどありえず、個々人がそれに対面するのだ。自分が送っている人生に対する責任もそれと同じだ。大衆動員は個人の責任を溶解させ、個人は主体としてではなく客体として数えられる。政治エリートは自分が下した決定の責任者として自ら対面しなければならない。個人の過ちを集団の過ちとして洗い流すことなどできない。同じように個人の正当化も集団正当化の方法で行われてはならないのだ。

政治の世界では、政治エリートと民衆の関係は不可欠なものだ。その両者が互いに補完し合い、互いに利益を得るには、どうあるべきなのだろうか?エリートばかりを指向する政治機構は、民衆を対象物あるいは道具としてしか扱わないため、民衆はなおざりにされるだろう。
政治エリートの利益を目的に群衆を支えに使うのは政治環境を混乱させ、最悪の事態においては、他の政治エリートがコントロールする別の群衆との間で水平暴力衝突を現出することになる。この種の政治ライフが達成できるものは現状凍結だけだ。政治エリートは大衆利益指向に姿勢を正さねばならない。庶民集団はエリート層の政治の道具ではない。エリートと庶民集団間の新たな均衡を求める上で、エリヒ・フロムの上の見解は検討に値するものだ。

ナショナリズム運動のおり、群衆を支えにするのはひとつのフェスティバル、つまり政治のお祭りであり、大勢の人々はひとつのスピリットの中でひとつに溶け合った。しかし、現在のレフォルマシ時代では、庶民集団はひとつの洪水となって動いた。群衆は随所に満ち溢れ、政治エリートが操縦するグループの感情や怒りを映し出す鏡となった。暮らしを損なう洪水は止められなければならない災害だ。群衆を使った問題解決はあたかも一切を突き崩す人間の大洪水なのであり、その結果がもたらす犠牲は民衆が引き受けなければならないのだ。
その破壊的群集大洪水は政治エリートの責任、特に集団暴行システムに特徴付けられるエリート型政治方式の責任である。そんなやくざ方式は必ず責任を取らされるのだ、ということをエリートに悟らせてブレーキをかけなければならない。上層での政治交渉が一般市場で売買されるなどもってのほかだ。政治エリートはそれらを始めることができても、止めることはできない。なぜなら、かれら自身いつ終わりにするべきかを知らないのだから。
アンボンの悲劇で5万近い生命が失われ、10万人ほどが自分の国の中で難民になっている、といった明白な数字となって表れている犠牲者のことなど、エリート層の計算の中には入っていない。政治エリートは、庶民を犠牲にしない洗練された政治和解やコンセンサスを共に求めるという能力をまだ身につけていない。かれらは民衆をバラバラに引き裂き、それを自分たち自身の利益闘争が行われるアリーナにしている。エリート層の狭い連帯が群衆洪水問題の根なのである。

群衆を支えに使う政治は現代インドネシア史の正式な遺産であると言えるが、最近のそれは政治エリートの利害闘争のアリーナとされているばかりであるために、わが国の政治エリートは独立の理解と意義付けができていない、と言わざるをえない。
わが国の政治エリートたちは、コンセンサス作りに失敗し、庶民大衆の利益のために共にアジェンダを編成することにも失敗している。かれらは、従順で忠実な庶民大衆に長期にわたって甘やかされてきた。しかし、政治エリートが自分の群衆にコントロールされる日がいつかやってくるだろう。すべての人々が成熟した国民となり、エリートと大衆が根源的関係や円錐形をした狭い連帯といったつながりの枠からはずれ、この地上で多くの人が憧れる民主主義国家となったときに。
でもこれはエリート層と大衆が対等に相互作用する市民社会についての夢にすぎないのだろうか?
ソース : 2001年2月11日付けコンパス
ライター: TH Sumartana (Interfidei)Dian Institute理事、ジョクジャ在


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『インドネシア型大統領内閣制』

政体に関する述語に、大統領内閣制と議会内閣制というふたつの政治形態がある。いずれの国ももちろん、その民族の歴史的背景に応じた政治形態を採用している。
議会内閣制は西欧諸国で広く行われている。その中には、元々王国でいまでも王をシンボルとし、政府は議会に責任を負う総理大臣が率いるという立憲王制のなごりをとどめている国がある。それはすべて、民衆あるいは民衆が選んだ代表に責任を負わなければならない政府という形態をもたらした民主化要求のせいだ。王は民族統一のシンボルと位置付けられ、行政権は持たない。ドイツやいくつかのヨーロッパ諸国では、王の役割はもはや必要とされなくなっている。
一方ひんぱんに引き合いに出される大統領内閣制はアメリカに代表され、そこでは民衆が直接大統領を選挙し、大統領は比較的大きな権力を持ち、民衆の代表には責任を負わず反対に拒否権すら持っている。しかし政府の行いは民衆の代表であるコングレスが監視する。国の政治を統率する中で大統領が逸脱を犯せば、コングレスはインピーチメントを行うことができる。

わが国の政治形態は1945年憲法に則したもので通常、大統領内閣制と呼ばれている。独立初期に、シャフリル首相のもとに議会内閣制を取ったのとは異なっている。また1950年代の1950年暫定憲法期も議会内閣制だった。
しかし従来の政体編成の実態を見るなら、わが国の政府は議会内閣制の形に近い。スハルト大統領は国会の要求を受けて辞任した。国民協議会特別総会を待つことはしなかった。なぜなら国会が国民協議会を代行しているとみなされたためだ。
国民協議会がブンカルノを終身大統領に任命したにもかかわらず、大統領を失脚させる可能性を手中にして国会が大統領に責任表明を求め、また国民協議会に特別総会開催を求めたとき、ブンカルノは辞任した。国民協議会は国会の決議に応じて結局、スカルノ大統領への権限委任を取り消した。グスドゥルも同様で、国会の要請による国民協議会特別総会で大統領の職からおろされた。そのように国民協議会特別総会は、国会が持つ見解を単に合法化するだけの手続き形式にすぎない。大統領に着目した場合は、国民協議会総会は国会決議の承認印でしかないと言える。
どうしてそうなり得るのだろうか?1945年憲法改正の前とあとでの大統領の地位について、更に見てみよう。


1945年憲法改正が行われる前、われわれの政体システムは往々にして国民協議会制と呼ばれてきた。大統領は国民協議会に責任を負い、国民協議会が定めた国政大綱に則して職務を行う。大統領は国民協議会から権限を委任された者であり、国民協議会は国会議員とその半分以下の人数の地方代表ならびに階層代表を加えたもので構成されている。
ムシャワラ(話し合い)とムファカッ(合意)にもとづく採決を優先するがために、かつてインドネシアの政治制度には野党が存在しなかった。内閣は大統領内閣制と呼ばれ、国民協議会が全会一致で決めたために、理論的にすべての政治勢力の支持を受けた。
国民協議会の権限委任者である大統領は、大臣、軍司令官と参謀総長、大使を国会の適性服従審査なしに任命するといったことを含め、国民協議会の定めた国政大綱を遂行した。異常なことがない限り大統領は職務を継続して遂行でき、何度でも際限なく繰り返し再選されることが可能だった。ブンカルノが終身大統領に任命され、パ・ハルトが国民協議会によって7回も選出されたのに不思議はないのだ。

改正1945年憲法の中での大統領内閣制はどうなったのだろうか?
新たな1945年憲法の変更で、国民協議会は構成が変わったということのほかに、民衆主権の保持者という立場から離れた。大統領は民衆が直接選挙するために、国民協議会が権限を委任するということではなくなる。大統領は国政大綱を遂行するのでなく、キャンペーン時に公約した自分のプログラムを行うのだ。その面から、大統領選第一ラウンドの条件を満たして選出される正副大統領はいないだろうと考えられるために、大統領選挙が2ステップで行われる機会が開かれることになる。第一ラウンドで50%を超える得票をする候補者は出そうにない。それは州選挙区の半分以上で20%以上の得票をするということであり、その条件を満たす得票数を獲得するために、候補者はきっとほかの政党と連合しなければならないだろう。これは大統領内閣制ではあまりなじみのないことがらだ。すると、どうなるのだろうか?

現実に連合が行われる必要があるのであれば、もう一度言おう、これこそがわれわれの大統領内閣制の特徴なのである。大統領は施策や内閣編成を連合相手と組んで行わなければならない。またまた議会内閣制に似てくるではないか。たとえ国会に責任を負わないとしても。
国会の不信任動議を発端とし、憲政法廷で処理されたあと、最終的に国会と地方代表議会からなる国民協議会によって確定されるという、大統領に対するインピーチメントのプロセスが存在していることと、それはまったく関係がない。ただしそのプロセスを進めるのは、メンバーの三分の一は大統領が指名し、残り三分の一は国会が、更に三分の一は最高裁が指名するためにその三分の二も大統領の影響下にある憲政法廷のメンバー構成を見る限り、改正前1945年憲法より遥かに難しいにちがいない。

そのように改正1945年憲法においては、大統領の地位がより強固であるという意味でないのだが、大統領を失脚させるのはより困難だ。大統領内閣制システムを形式的により強くしようとした努力がそれだが、マテリアル的にはより弱いものになっている。
改正1945年憲法は地位と権力のきわめて強い国会を生んだため、諸方面から立法府偏重と評価されている。たとえば法令を制定したり、国軍総司令官や大使、あるいは中銀総裁から国政高官の就任は、国会の適性服従テストを経て承認されるといったことがらにそれが見られるのだが、国会議員は民衆が直接に選んでいないのである。
アメリカ型大統領内閣制と比べて見よう。アメリカでは内閣編成や政策プログラム策定を行い、コングレスの決定に対する拒否権さえ持つ大統領の立場はきわめて強い。もしわれわれが大統領内閣制の理想形態に固執するなら、民衆から直接選ばれたことを考慮して、アメリカのように民族と国家の利益のためになると考えられる、ありとあらゆることを行うチャンスを大統領に与えるほうが良くはないだろうか?比例代表制によってメンバーが間接的に選ばれた国会よりも、大統領の合法性ははるかに高い。2004年以降大統領の座に就く者がみんな直面することになるジレンマ的問題がそれなのである。どうしてそんなことが起こったのだろうか?


インフラにせよ上部構造にせよわれわれの政治制度は、大統領内閣制という形が無意識に組み立てられたというものではないのだ。比例代表制選挙システムに支えられた政党制は多数政党制を推し進めるものであり、それは実は議会内閣制により適合したものなのである。民衆が直接大統領を選ぶとはいえそんな要素は、大統領選挙に勝ち、国会のマジョリティの支持を得るために候補者が他党と連合することを余儀なくさせる。大統領内閣制ではあまり例のないことだ。
正副大統領候補者二組だけが争う第二ラウンドで行われる直接大統領選挙では、その一方を支持する者たちが二つの大集団を形成する。一方は選挙に勝ち、もう一方は負ける。デモクラシー論理に従えば、負けたほうは言うまでもなく野党となる。
もしそれがわれわれの望む政体システムなら、本当は二党制がより適している。そのためには、国会議員選挙も直接選挙、つまり選挙区制で行われなければならない。残念なことに、2004年にそれを行うのはもう不可能だ。それ以後のわれわれのレフォルマシは、デモクラシー制度の遂行を見る限り、意味ある変化は起こりそうにない。多分もっと面倒で金がかかり、時間もかかるものになっていくだけだろう。

しかしそれが、今後もまだわれわれが直面しなければならない政治の現実なのだ。疑問が湧く。たとえば国会議員は依然として間接選挙(比例代表制)なのに、大統領は直接選挙にするということを国民協議会はどうして敢えて行ったのだろうか?一貫性に欠ける印象をどうして与えたがるのだろう?大統領内閣制が本来そうあるべき姿になるようわれわれが望むのなら、われわれは何をしなければならないのだろうか?
理想を言えば、国会議員選挙は選挙区制で行われるべきだ。そうすれば政党数は段階的に減少し、政治指導リクルートはクオリティが向上し、封建制は弱まり、パンチャシラの第四原則にも合致することになる。
比例代表制選挙方式の大統領内閣制は、それが議会内閣制システム向きの多数政党制を生むために、大統領の地位は常に弱いものになる。それがもたらすリスクは、民衆に選ばれた国会議員ということとは裏腹に、パブリック機関として国会が持つ利害と、議事堂の外で急展開する民衆の希望との間に生じるギャップが常に突然ひきおこす大統領失脚なのである。

それらは、政治の目標と過程の間で一貫的な安定した政治システムをわれわれがまだ手に入れていないという印象をもたらす。出現しているのは、到達したい政治目標とその過程の間で一貫性を持たない政治システムだ。それゆえに、これからもわれわれが政治の動乱に直面するであろうことは疑う余地もない。
だからわれわれは、民族としてのわれわれみんなは、実際に何が間違いであるのかを熟慮する必要がある。なぜならこの問題は、自分や自分の所属集団にとってばかりか、民族にとって何が最善であるのかを胸襟を開いて見ることのできる民族メンバーによってのみ解決が可能だからだ。
民族にとってのベストを重視することで、一貫的持続的な政体コンセプトの誕生が可能となるのである。
ソース : 2003年6月4日付けコンパス
ライター: Sulastomo 「まっすぐな道」運動コーディネータ、ジャカルタ在住


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『ムラユ型大統領』

もしマハティール・モハマッドがスマトラに生まれ、6回大統領に選ばれていれば、インドネシアのイメージはもっと違うものになっていただろう。マハティールはムラユの価値観の中で育ったムラユ人間だ。ムラユとは海洋と通商と王国なのである。ムラユの文化遺産や歴史はジャワに次いで永く豊富だ。そんなムラユ文化は、独立自尊、プラグマチック、移動的、技術重視、そして競争を当たり前と見なす精神をその民衆の中に培った。そのような性格はもちろんムラユに限ったものではなく、海洋に生活基盤を置く社会、つまりわれわれがふだん海岸部社会と呼んでいるところの人々に共通する性格であるようだ。
ジャワ=バリ内陸部の伝統文化で育ったスカルノが、海洋畑作文化の子であるハッタ、シャフリル、タン・マラカらとの間にしばしば不調和を見せたのはそのせいだ。人は幼い時期から社会が植え付けた価値体系をわがものとする。それは集団深層意識として意識的行為を支える基盤となるが、それは密かに作用し、またとっさの際に出現する。

スカルノとハッタの分裂は海洋文化と農耕文化の対立だ。インドネシアには別に食料採集文化(狩猟採取)や畑作文化(溜池乾燥農耕)などの変種もあるが、優勢な文化種はやはり海洋と水田だろう。水田文化の基本性格は土地に強大な役割を持たせていることで、土地を生産の基盤とし、土地を開墾して水田にするための多量の労働力を持ち、そして地元との強い精神的結びつきを求める地域意識などを特徴としている。その行き着く先には、大規模な統制(マネージメント、法律)の生育が待っている。好むと好まざるとにかかわらず、そのような社会には強力な中央集権が生まれるのは当然だ、というよりそれが必要とされるのである。そうでなければ、水利や一定地域に溢れかえる住民の統制など、とてもやりおおせるものではない。
水田社会の文化は、中国大陸、古代エジプト、メソポタミア、北部インドをはじめ世界中のどの民族のものとも似たりよったりだ。つまり例えて言えば、スカルノは「壮大な」ナイル、ユーフラテス、黄河、ガンジス文化の背にまたがり、一方ハッタは「栄光の」古代ギリシャ文化の背に乗っていた。スカルノはガトッ・カチャを仕立て上げ、ハッタは「ギリシャ思念の世界」に没頭していた。スカルノが堂々のモニュメントで民族のイメージを築き上げていたとき、ハッタは村落共同組合の世話を焼いていた。

インドネシアはどのように統率していけば良いのだろう?マレーシアの独立は1957年で、インドネシアは1945年に独立しているというのに、マレーシアの一人当たり国民所得はインドネシアをしのいでいる。1960年代にマレーシアはインドネシアに教員援助の要請をしたが、いまやこのお隣さんは自国の大学教育をインドネシアにプロモートしている。このムラユ国は古来からの海洋文化の伝統に則って、ムラユ式国家経営を行っている。西洋的思考様式を基盤とする現代化に対して、どうやら水田文化思考よりは海洋文化思考のほうが接近が容易なようだ。中国、東南アジア諸国、インド、エジプト、イラクなどの水田文化民族が直面している問題の根はきっとそこにあるに違いない。


芸術に関するシンポジウムで、スマトラのある芸術評論家が、あたかも自分の隣人のことを話すように雄弁に且つ気負いもなくピカソの世界を語っていたが、スタルジがプルウォレジョに生まれていたら、あのような詩人の境地には達していなかったかもしれない。ミナン人でメダンに住んだインドネシア詩界の改革者ハイリル・アンワルも、「穏やかな湖を去って」西洋との遅れを取り戻そうと声高に叫ぶ北スマトラはナタル生まれのスタン・タクディル・アリシャバナも、海岸部の人アファンディやスマトラ生まれのルスリにしてもそうだろう。
ムラユ世界は、西洋的現代思考の世界に軽々と入っていく。それどころか、ムラユ人間マハティール・モハマッドはグローバルな競争の只中で自己の尊厳を高々と示す。プラグマチックで移動性高く、独立自尊、プロフェッショナル的な集団深層意識によって、ムラユ指導者は現代文化への適応にさしたる負担を被ってはいない。コンフリクトと競争、個人の能力と自由、高い適応性、それらのすべてが現代社会に要求されている精神に賦与されたものなのだ。そして、それらは古くからの伝統に従って血肉と化している。

水田世界は空間に縛られた世界だ。なぜなら、農耕地が生存の絶対条件なのだから。土着色は容易には消えない。適応力は鈍重であり、新しいものへの評価は常に慎重だ。空間から離れることはできず、空間を移転させることでしか移ることはできない。適応ではなく摂取なのだ。外からやってくるすべてのもの、未知のもの、新しいものは地元文化の中に呑み込まれて行く。水田民族の歴史は、どこであれ、それと大差ない特徴を見せている。
すべてのコンフリクトは調和の中で終わる。相手を負かさない勝利。所有のない豊かさ、そして統治をしない権力。物質世界よりも内面世界の方が重視される。そのような集団深層意識は現代化の中でコンフリクトに直面せざるをえない。

もしハッタが大統領でスカルノが副大統領だったら、この民族は違った歴史を歩んだことだろう。だが、ハッタとマハティールは同じではない。マハティールは自分自身の文化環境にいるのである。集団深層意識は同じ社会集団には整合的に作用するが、ハッタやシャフリルは水田文化の民衆に語りかけねばならないのだ。スカルノやブン・トモなら自分の文化環境の中でそれができる。海洋深層意識は水田深層意識にスピーチしなければならないのである。
深層意識に培われた理想価値体系は社会の伝統を通じて伝達される。知性のある指導者にとって、意識的にその理想体系を抑圧することは可能だろう。しかし生活上の価値を社会からしか得たことのない人々はそうはいくまい。知性的指導者にとって、ジャワ人がムラユ的思考様式を持ってみたり、あるいはムラユ人がその逆をすることもできないことではないにせよ、そのような指導者は「ジャワじゃなくなった」「ムラユじゃなくなった」と集団深層意識だけの民衆から言われることだろう。

現代化の過程には、多分「ムラユ型指導者」が必要とされている。そして、出身種族がどこであろうと、そんな指導者はこの社会の中でさまざまな理想型思考様式と直面しなければならない。この社会全般に渡る画一的な現代化の促進は、きっと達成不能にちがいない。多面的思考様式の社会では、多様な文化ストラテジーが用いられなければならない。真髄は同一であっても、言い方は変えていかねばならないのである。各社会集団は、指導者の問題に関連してその理想型文化環境により注意を払うだろうから。
ソース : 2001年8月28日付けコンパス
ライター: Jakob Sumardjo     文化人


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『インドネシアはマレーシアから学ぶ必要がある』

1997年7月にクライシスがタイを揺さぶり始めたとき、インドネシアがクライシスに襲われることはないだろう、と多くの人は思った。インドネシアの経済基盤は強固だ、と誰もが考えていたのだ。IMFや世銀すらそうだったし、1997年7月に東京で会合を開いたCGIですらそうだった。
ところがインドネシアはついにクライシスに襲われ、1999年、プライス・ウオーターハウス・クーパーズは、アジアの国々の中でインドネシアの経済回復がもっとも時間がかかるだろう、と予測した。他の国々は二三年で回復するだろうが、インドネシアだけは五年以上かかるだろう、と言うのだ。台湾などは一年あれば十分回復する、と言われた。
この予測は言うまでもなく経済面だけをとらえてのものであり、経済回復の足を引っ張る様々な出来事は、前もって計算できないために斟酌されていない。たとえば、あちこちの地方で発生した社会暴力抗争や、今現在いまだに不透明な政治状況などといったことがらがそれにあたるが、もしそれらを勘定に含めるなら、予測される回復年数はもっと長いものになるだろう。ふたを開けてみれば、インドネシアのクライシスがもっともひどかった。他の国ではせいぜい50〜100%で済んだのに、ルピアの価値は350〜400%も下落してしまった。どうしてこんなことになったのだろうか?

これまでアジアの国々におけるクライシス発生をきわめて批判的に見ていたマレーシアのマハティル・モハマド首相のスピーチやインタビューが集大成され、最近「カレンシー・ターモイル」という書物になって出版された。その書物を読めば、アジア諸国のクライシスは避け得るものでなかった、というマハティルの印象を目のあたりにすることができる。インドネシアを含むアジア諸国の政府がクライシスに対処する力を持っていなかったことを、かれは弁護している。1998年5月6日のタイム誌とのインタビューの中でマハティルは、「公正でないことが今ここで起こっている、とわたしは思う。この地域の国々は四十年以上もの間、国造りに努めてきた。ところがわずか二ヶ月の間に、通貨価値の暴落によって、それらの国々は貧困国に滑り落ちて行った。インドネシアでは、労働者二千万人が職を失ってしまった。」と述べている。
マハティルはさらに、「確かにそれらの国々には汚職、ネポティズム、クロニイズムがあり、クライシス発生の原因として非難されているが、アセアン諸国は自分なりのやり方で成長発展を可能にし、確実に成長してきた。アセアン諸国のような経済成長を実現した国がどれほどあっただろうか?なのにどうして他の国々が非難されず、アセアン諸国が非難されるのか?」と述べ、またこの書物の別の個所でマハティルは、この地域の国々は、かれが言うところの反倫理的な金融ビジネスの犠牲となった、と記している。外国の巨大資本所有者が、その資金能力を使ってそれらの国々の通貨をおもちゃにしたために、通貨と株が暴落した。かれらは価格が安いときに通貨と株を買いあさり、価格が上がったときに売り払ったのだ。そのときの金融ビジネスのボリュームは、世界の物品・サービス取引高の20倍に達し、売買リターンは年間に直して35%に上った。世界の物品通商はWTOが統制しているというのに、もっと巨額な金融ビジネスは野放しであり、おまけに税金さえかかっていない。

かれらは汗水垂らすこともなしに資産を何倍にも増やし、一方この地域の国々は三十年以上汗を流してきたというのに、突然貧困に逆戻りさせられた。これはすべて、自由通商原理として今まで紹介されてきたことがらの破廉恥な逸脱行為である、とマハティルは見る。だから自由市場や金融ビジネスも、すべての関係者に利益をもたらす方向で統制されなければならないのだ。どうしてそのようなことが起こり得たのだろうか?インドネシアがどうしていまのような状態になってしまったのか、ということを考えるにあたって、マハティルが語るマレーシアのケースをわたしたちみんなの学ぶべき材料にする必要があるのではないだろうか。


三十年前のマレーシアの二大主要産品はゴムと錫だった。その二産品は、マレーシアの意志の届かないところで、世界のルールに従って取引されていた。その二産品のみに頼っていては駄目だ、と悟ったマレーシアは、工業化プログラムに取り掛かった。
自力による工業化能力に欠けていること、工業産品の市場や販売ネットワークを持っていないことなどを悟っていたマレーシアは、税の簡素化をはじめとするさまざまな恩典を与えることを代償に、外国企業の力を借りることに踏み切った。国民に職を与える必要性は、それによって満たされた。三十年後の成果は目を見張らせるものだった。マレーシアの工業製品輸出高は8百億米ドルに達し、総輸出の8割を占めている。国民の就業も期待した結果が得られ、それどころか、おまけに人手不足にすらなっている。
マレーシア国民は、工業化時代に突入して自国の需要をまかなう能力を既に身につけたのだ。1968年から1997年まで、マレーシアは年平均8%の経済成長と3.5%のインフレ率を達成した。1970年の平均個人所得だった1千6百米ドルは、1997年には5千米ドル近くにまで達した。
外貨準備高は四五か月分の輸入をまかなうに十分な額であり、国民貯蓄はGNPの38%になった。銀行金利は8〜9%で、預金者にも借入者にも妥当な利率だ。マレーシアはそれ以外にも優れたインフラを有し、民間業界もよく発展している。個人法人への税金が引き下げられても、国庫収入は毎年10%増加した。クライシス前の最後の四年間、政府会計は黒字になっていたのである。対外債務も金額は小さく、たいていの建設プロジェクトは国内資金でまかなわれていた。そんな経済状態だったからこそ、IMFをはじめ諸団体はマレーシアに賞賛を送ることをためらわなかった。

そのような状況のさなかにクライシスが訪れ、マレーシア・リンギットは1米ドル2.5から4.0へと6割下降した。マレーシアのGNPが一千億米ドルとすれば、為替ダウンで4百億米ドルに減少してしまったことになる。一方資本市場では異常な暴落が起こり、9千億リンギットから4千億リンギットへと低下してしまった。クライシス前の9千億リンギットは3千6百億米ドル相当だったのに、クライシス後の4千億リンギットはわずか1千億米ドルにしか相当しない。こうして、2千6百億米ドルという大損害が引き起こされ、これにGNPの減少分を加えたマレーシアの損失は3千6百億米ドルにものぼった。
インドネシアでこのような計算をしたら、いったいどのような結果が出るだろうか?考えただけでも背筋が寒い。悪いのは誰か?そしてこの先どうなるのだろうか?

アジアの国々の政府と実業界が悪者にされた。だが、あらゆる災いの源泉となった通貨と株の暴落はかれらのせいではない。それがさらに続けて、大規模な失業、異常な貧困化プロセス、社会・政治・経済の不安定化を引き起こしたのだ。もしもその成果が自国の経済を崩壊させるだけであることを知っていたら、それらの国々は「規制緩和」「自由化」「グローバリゼーション」などといったお題目を受け入れていただろうか?
クライシスに支払わされたコストが7千兆ルピアに達するというのに、その苦い経験からいまだに目覚めようとしない現状を前にして、わたしたちはそのような疑問を真剣に熟慮しなければならない、というのがわたしの結論だ。


わたしたちを襲っているクライシスは軽いものではなく、とても重くて複雑に錯綜したものなのだ。上にあげた壮麗な数字は、そのことをわたしたちに鞭打つものとなってもらいたい。誰がこの国を統治しようとも、その錯綜した状況に直面するのを避けることはできないだろう。
インドネシアに比べれば、マレーシアは好運だ。このお隣さんはインドネシアに比べて政治的安定度はより高く、社会抗争の障害はより小さく、経済ファンダメンタルはより強固だ。だがそれらのすべては、「たまたま」などと呼べるものでは決してない。マレーシア政府は多くのことがら、特にクライシスへの対応、グローバリゼーション問題、国内の政治的障害などに対して、明確で厳格な姿勢を示していることを素直に認めなければならない。それ以外にもマレーシアは、社会保障制度を発展させながら優れた国民貯蓄制度を打ち建てている。おまけにハジ資金のような宗教的資金の活用についても、インドネシアより進んでいる。マレーシアのハジ貯金は国家開発投資に回されて国家建設に一役買っている。その資金はインドネシアへも投資されて入ってきているのだ。

インドネシアはどうだろう?さまざまな社会政治問題の安定化と秩序回復はいまだに出来ていない。地方自治、各地で起こっている社会抗争、民族分裂の脅威から民生における政党主義や憲法問題のどれをとってもいまだに躊躇の連続だ。
そのシンプルな図式をマレーシアと比べるなら、実際にクライシスからの回復を妨げている多くのことがらはわたしたち自身に由来しているのだ、という自覚がわたしたちの間に生まれるべきだ。わたしたち自身同士がどうして抗争し続けなければならないのだろう?わたしたちはどうしてマレーシアのようにできないのだろう?「なぜ、インドネシアがこうなってしまったのか?」という問いに対する答えがそれだ。
ソース : 2002年5月23日付けコンパス
ライター: Sulastomo 「まっすぐな道」運動コーディネータ


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『税関総局長交代』

木の上に上れば上るほど、風は強く吹く。この箴言は、重要と見られる特定の地位に就いたり、そんな職務を抱えたりする人への教訓としてよく語られる。高官への当り方は、言うまでもなく、その部下にぶつかってくるものよりはるかにきつい。これは自然の摂理だ。

BJハビビ時代以来税関総局長を務めてきたRBプルマナ・アグン・ドロジャトンも同じ目にあう。交代の噂はもう六回以上も入れ替わり立ち替わりかれの身辺を襲ったが、ロンボック生まれの男児はいまだにそこにいる、というのが事実だ。
総局長職は重要だ。税関総局長なら尚のこと。この役所は諸官庁や民間の利害を取り扱っている。この役所がついには黄金郷と同一視されるのも当然だ。これはインドネシアの専売特許でなく、世界中でそうなのだ。

1980年代初期、税関の高官や担当官が金以外ではコントロールできない、という時代をインドネシアも経験した。書類一通の処理に何日もかかり、心づけの金なしでは一枚たりとも通過させない数十箇所の事務手続きデスクを通らなければならなかった。
そんな環境は事業体にハイコストを強いた。その結果、違法輸入があちらこちらで大はやりとなった。当時の輸入関税率はまだ高く、平均50%もあったことがそれに手を貸した。
そんな状況下に正式合法なやり方を取る事業家では、まともなコストを達成するのは不可能事だった。おまけに競争相手はみんな違法行為を行っているのだ。もつれた糸と悪魔の循環が一刀両断されたのは1985年の大統領令第4号による。

この大統領令に基づいて、政府は税関総局の権限を取り上げて民間に委ねた。それにあわせて、輸入品検査システムも百パーセント変更され、到着地での検査から船積み地で行われるプリシップメント・インスペクション(PSI)に切り替えられた。
税関総局長交代の噂のまっただ中で、いまPSI制度復活の圧力が高まっている。その二つは、じっさい全く無関係な話しだ。しかしもしこんな状況下にプルマナが交代させられたなら、「かれはPSIに反対したために更迭されたのだ。」という弁護がきっと出てくることだろう。ところが、プルマナの交代計画は、実はもっと前からあった。ブディオノ蔵相は今年5月29日に大統領宛てに公式文書を提出しており、その中でプルマナの後継者として三人の名をあげている。

高官職の交代は普通のことだ。既に三人の大統領に仕えたプルマナにしてみれば、何の不思議もない。蔵相にも、この部下を交代させる特別の理由がない。大統領宛ての文書の中で蔵相はこの人事異動について、リフレッシュ、無任の職を埋める、大蔵省のパフォーマンスを高める、と三つの理由をあげている。
蔵相はこの交代をプルマナ・アグンがPSIに反対しているから、とは一言も言っていない。おまけに先週の土曜日、蔵相はスラバヤで、政府は現行のポスト・オーディット方式の継続を望んでいる、と明確に述べている。ここにはブディオノとプルマナ・アグンとの間の不一致は見られない。

だから、次期税関総局長の優先課題が、違法輸入を無くし健全な通商実施をどのようにシステマチックに成し遂げて行くかということにあるのは明らかだ。一〜二キロの大麻を押収したといった成果をエクスポーズするだけでは不充分なのだ。そんなことは税関地方事務所長や密輸防止撲滅(PPP)課長がやれば十分である。システマチックな違法輸入撲滅は、商工省、国税総局、警察、海軍など他の関係官庁との密接な協力でのみ達成できる。その反対では決してないのだ。
ソース : 2002年9月3日付けビジネス・インドネシア (社説)


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『都知事選挙は屁のにおい』

「もしかれらがあれこれしたなら、世間はそれを見て評価します。たとえば、普通の人が都議会議員になったとたんに大金持ちになるなんて、ありえないことです。」かつてまだ大統領にもならず、自分の政党がこの国の最大政党にもなっていなかったころ、メガワティ・スカルノプトゥリの口からそんな言葉が軽やかに流れ出たことがある。
党幹部が国会や地方議会の議員になったさいに、かれらがマネーポリティックをしないようにメガワティはどのようなコントロールをすることが可能なのか、という問題に関する記者たちとの対話の中で語られたものだ。そのときメガは、周囲の人々や隣人などはそのPDI−P幹部の家や暮らし振りがどうであったかを知っており、そのひとが突然豊かになればみんながあれこれと憶測するだろう、と考えていたようだ。

かつて普通の人だった何人かの幹部が豊かな暮らしをするようになった現状を知ったメガは、いったいどのような対応を取るのだろうか。PDI−P党発展の歩みを追ってきた記者たちは、それら幹部がかつてどうだったかをはっきりと覚えている。
1996年7月27日の悲劇勃発を間近に控え、メダン会議とオルバに抵抗しようとする群衆の喧騒の中を、ディポヌゴロ通りのPDI−P党本部に書類はさみを手にしてやって来ていた貧しかったかれらは、いまやスーツにネクタイ姿で高級乗用車に乗っている。
「かれがはじめてここへ来たときは古いよれよれの車で、給油パイプが洩れていたためガソリンのにおいがぶんぶんした。」ある都議会議員を指してジャーナリストのひとりはそう物語る。かれらは党の政治パワーが生み出す利息を享受しているのだろうか?必ずしもそうとばかりは言えない。遺産が転がり込んできただとか、このクライシスのさなかにビジネスが大当たりしたなどということが絶対にないとも言えないのだ。

しかしこの国の政治ゲームにおける賄賂、牛売買、マネーポリティックなどは、他の諸機関における汚職と似たようなものだ。かつてオルバ期のとある著名人が吐いた言葉を借りるなら、賄賂や汚職のたぐいは群衆の中で屁をひったようなものなのだそうだ。「におう。しかし立証するのは難しい。」
ジャカルタ正副都知事選挙の話題の中で、マネーポリティック問題が飛び跳ねたとき人々が体験したのもそれだ。正副都知事候補審査プロセスの中で金が動いた、という噂があちこちで飛び交った。
選挙の前日、ある情報源が本紙にコンタクトしてきた。さる立候補者が都議会議員におよそ1億5千万ルピアの金を渡した証拠を握っている、と電話してきたのだ。面談すると、都知事候補者審査にパスするためにある立候補者が行った贈賄プロセスをかれは話した。
ところが夕方になってその情報源は考えを変え、面談した記者に対して真剣な調子で「記事にしないでくれ。」と懇請してきた。
「後になってやられるのはわたしら小物だけだ。大物が捕まることなんかないんだから。」そのインタビューを記事にしない、ということを確認するために、かれは何度も不安に満ちたトーンで電話をかけてきた。かれはその贈賄を立証できる領収書を手にしている、というのに。

「ブタウィを気遣うソサエティ」のルスディ・サレ代表は、都知事選のマネーポリティックに関わる証拠の提出を行おうとする人の良心のみに期待をかけている。第一回目の知事選挙結果にマネーポリティックのにおいを嗅いだ州議会が選挙のやり直しを行った北マルク州の例をかれは指摘する。「あそこでは議員が金を返してマネーポリティックが行われたことを立証した。」そうかれは語る。


地方首長選挙プロセスがマネーポリティックに汚染されたかどうかを簡単にはかる方法がある。「知事選挙をはじめ政治プロセスの結果が最大多数住民の希望に沿っていなければ、マネーポリティックが行われた徴候をそこに見ることができる。」とPAN党首都支部の党員でもあるルスディは言う。牛売買政治、賄賂、マネーポリティックはあたかも民主的政治プロセスであるかのような衣をまとうのが普通だ。かつてのオルバ期にそのようなことはあまりにも多く行われてきた。
狂気の沙汰は、そんな方法がいまやレフォルマシ時代(正確には配役交代時代と言うべきだろう、なぜなら役者が異なるだけで同じ事が行われているのだから)の政治家たちによって一層あからさまに、ますます破廉恥なやり方で行われていることだ。
「民衆がどれほど強く反対しようとも、結果は84人の都議会議員の手中にある。」スディルマン通りの会社に勤めるある職員の言。「都民の代表」というシンボルから得た大きな権勢を振るって、党と自己の利益のためにその役割を利用する。そんなことだから、かれらが民衆の声を政治行動に反映させるなどと期待してはいけない。

「マネーポリティックは屁のようなものだ。感じることはできても立証はむつかしい。」正副都知事選挙でマネーポリティックが活発に行われたことをかえりみて、クアディラン党会派のアフマッ・ヘルヤワン代表はそう述べる。
都議会議員の票を買うために、立候補者はありとあらゆる手段とトリックを使った。面談や政治ロビイングは議会建物の外で行われた。火のないところに煙は立たない。都知事選における賄賂やマネーポリティックの話題は、都議会議員、報道陣、都庁高官職、都知事候補応援者たちの雑談の柱になっていた。スティヨソの名前を候補者審査にパスさせるため、議員ひとりひとりが20億ルピアもらえる、という噂も流れた。その明細は、前の任期が終わる際の都知事業績責任演説を承認する議員に対する前金が五億ルピア。「残りはスティヨソが都知事に再選された後で支払われる。」PDI−P会派のある情報筋からの話しだ。

スティヨソはもちろんその嫌疑を否定し、そのような話しが出るのは当然だ、と語った。「マネーポリティックに関する先入観を人が抱くのは当然だ。ましてや、このような選挙のさ中なのだから。」都民でなく都議会がかれを都知事に再選したすぐ後で、スティヨソはそのように述べている。
都議会でのマネーポリティックは決して目新しいものでない。都庁のある高官は、「都知事の業績責任演説は都議会議員が行う恐喝の舞台でしかない。」と嘆息した。毎年読み上げなければならない業績責任表明を承認してもらうために、都知事は少なからぬ資金を用意しなければならない、と言うのだ。ところがスティヨソはそれを否定し、自分のポジションを維持するためにそんな方法を使ったことはない、と述べた。「わたしの業績責任を否認したければ、そうすれば良い。そんな手段を使う必要はまったくない。」しばらく前にその問題に触れたとき、スティヨソはそう明言している。
ところがPDI−P首都支部長タルミディ・スハルジョは、そのようなオファーを受けたというPDI−P会派議員スミヤティ・スカルノからの報告に接したことがあるそうだ。PAN会派代表のナザムディンも、携帯電話に6億ルピアをオファーするSMSが入ったことがある、と認める。


立証は困難でも、共同謀議の徴候は感じ取ることができる。
「イブ・メガが突然スティヨソを支持することなどありえない。スティヨソを続けさせたいPDI−P会派議員の政治マヌーバーがあったに決まっている。」と発言するのはPDI−P会派ウギ・スギハルジョ議員。
PDI−P党首メガワティ・スカルノプトゥリはスティヨソ支持を明らかにし、「PDI−P会派はスティヨソを都知事に再選させよ」という特別リコメンデーションを発した。州知事候補者は必ずスハルト大統領の祝福を受けなければならず、その上で州議会が選出したかっこうにしていたオルバ時代とそれは何ら変わるところがない。PDI−P会派の他の5人の議員と共同で、ウギはスティヨソを支持するリコメンデーション・レターの出現を問題視した。PDI−Pの底流は、同党首都支部長タルミディ・スハルジョを都知事に推すことをはるか以前に合意していたのだ。タルミディの都知事選出馬は当初、首都6地区とプラウスリブ地区の支部指導部が支持していた。
PDI−P会派はふたつのグループに分裂した。一貫してスティヨソ支持に反対する者と「スティヨソを推さなければならない」と力む者に。そして一部の者は様子見の姿勢を取った。
「そうだよ、われわれは党員なんだ。だから党の決定には従わなければならない。」PDI−P会派のアジャルタ・スバヤン議員の言だ。先のPDI−P会派代表で、今は党顧問をしているアウディ・IZ・タンブナンも、同じ理由でスティヨソを再選させなければならない、と力説する。アウディは「自分たちが代表している民衆よりも党を優先させる。」と率直に認める。自分たちが議員の椅子につけるのは党が選んだからだ、というのがその理由だ。だからいかなる理由があろうとも、党の政策には絶対服従するのが当然なのだ。
「党の政策が民衆の意に添わないと思える場合でも、党員はあくまで党に服従する。民衆に対する責任は党が負うべき問題だ。なぜなら、その政策は党が決めたのだから。」
PDI−P会派のビンサル・タンブナン議員も、アウディのその理由とロジックに賛同している。

スチプト事務局長をリーダーとするPDI−P中央指導部とスティヨソが行ったホテル・ボロブドゥルでの秘密会談はマネーポリティックの臭いを発散させている。会談の後でPDI−P党中央指導部は首都の全支部指導部を召集した。指令の骨子は、PDI−P首都支部はスティヨソ反対のデモが起こらないように民衆を慰撫しなければならない、というものだった。
正副都知事選の三日前、ハサンという名の男が首都の5スター高級ホテルのひとつであるホテル・ボロブドゥルのスイートルーム21室を都議会議員のために予約した。スティヨソを当選させるために、三日間、議員を隔離するのが目的だった。ホテル側の話しでは、そのスイートルームは一泊108万ルピア前後だそうで、その総額は6,840万ルピアとなる。9月13日現在、その宿泊客の費用として、このホテルは1億ルピアの未収金を抱えている。
PDI−P会派のマリガン・パガリブアン議員は、同会派議員の中でそこに宿泊したのは11人だけだった、と記者に洩らしている。その費用は同会派が負担することになっているそうだ。同じPDI−P会派のウギ・スギハルジョ議員は、「いったい会派がどうやってそんな金をまかなえるのか?」と述べて、党中央指導部と首都支部の姿勢を問いただした。「そのようなことをする会派議員に対して、指導部ははっきりした態度を示さなければならないはずだ。」


プルサトゥアン党会派から都知事選に出馬した実業家、マハフズ・ジャエラニから、マネーポリティックに関する別の証言が得られた。候補者審査で勝ち残るために、二年半にわたって都議会議員へのロビー活動を行ったことを、かれは認めている。その運動の中で、少なからぬ資金をかれは支出した。ゴルカル会派を除くほぼ全会派の議員40名を手中に握るため、かれは20億ルピア以上の金を使った、というのだ。ゴルカルはスティヨソ推薦をはっきりと打ち出していたことから、アプローチの対象にしなかった。多くの会派がかれを審査に通してやる、と約束したにもかかわらず、結局かれは落とされてしまい、失望のどん底に転落してしまった。「あちこちから金を受取っている議員がいる。」確信に満ちたマハフズの言葉だ。

一枚の文書が世間に流布している。そこに記されているのは、PDI−P、ゴルカル、PKP、PPP、PBI各会派の議員35人の名前、住所、自宅の電話番号、携帯電話番号で、「裏切り行為のお値段、ひとり5〜10億ルピア」という文字も見える。そのリストの十番目に名前が出ているPDI−P会派のアジャルタ・スンバヤン議員は、スティヨソから金をもらったことはない、と否定する。「それはない、本当にないよ。」
やはりそのブラックリストに名前のあるPKP会派のポスマン・シアハアン議員も同じ事を言う。「その件にかかずらわるのにもう疲れたよ。それは真実じゃないんだから、もう相手にしたくない。」スティヨソでなく、マハフズ・ジャエラニのロビイングを受けたと非難されているシアハアンはそう述べている。
「都知事選でマネーポリティックはなかった、と言う議員がいれば、それは偽善者だ。自分以外にもふたりの候補者が都議会議員に金をばら撒いたのを知っている。自分はゴルカルとクアディラン以外の会派議員40人それぞれに2億の前金を渡した。それは合意した20億の一割だ。ところが最終の秒読み段階になっても、30億に引き上げようと仕掛けてくる議員がまだいたよ。」価格交渉は直接行うのでなく、後処理チームが行った、とマハフズは物語った。

その一方で、都知事候補者同士の間でも交渉が行われた。都議会の情報筋によれば、スティヨソは他の立候補者に対し、出馬をとりやめれば40億ルピア、というオファーをしたらしい。都議会議員の先生方は、収賄を否定するのに大忙しだ。かれらは、その嫌疑を証明しろ、と反撃する。
マネーポリティック自体、ある者から別の者に賄賂や高額の金を渡すことだけを意味しているのではないのだ。政治癒着や牛売買ポリティックもマネーポリティックのカテゴリーに入る。今回の都知事選に関して、メガワティはスティヨソを支持することで得られる政治利益のために民衆の期待を犠牲にした、とルスディは見ている。
首長としての業績が不満足だったスティヨソの再選を都民は強く疑問視している。首都のあまたの問題が、一層悪化していると言わないまでも、解決の目途はたっていない。PDI−P党員とシンパは、党の公式路線とは異なり、その退役中将再選支持に反対している。1996年7月27日のPDI−P党中央指導部建物襲撃事件の容疑者とされている当時の首都地域行政管理機構司令官をどうして支持することができるだろう。
だがメガワティがその事情を無視したのは、軍との政治和解の道を選んだためだ。「こうすることでメガワティは権力維持の保証を得ることができる。」とルスディは説く。その保証とは、党の利益を目指した経済面でのアクセスという形を取ることになる。おまけにこの都知事選でのネゴあるいは政治和解の中で、特定の職務にPDI−Pやゴルカルの人間を就任させるシナリオも描かれているようだ。「都知事デピュティはPDI−Pの者が就くらしい、という情報を聞いている。」ブタウィ社会の有力者でもあるルスディの証言だ。

政治エリートが、民衆あるいは民族の利益よりも自分と自分の所属集団の利益ばかりを重視するなら、この国の政治の舞台からマネーポリティックを退場させることは難しい。マネーポリティック問題について言うなら、国会をはじめ、あらゆる政治の舞台でも同じように、流れているのはにおいだけ。モラルのない政治ゲームの中で、良心なしにいったいどのようにして真実を明るみに出すことができるだろうか。すべては見せかけのゲーム、偽装された民主主義、そして偽善でしかない。

訳注)牛売買:インドネシア語のdagang sapiはオランダ語のkoehandelが語源。政界における裏取引の意味で使われる。
ソース : 2002年9月16日付けコンパス
ライター: Lusiana Indriasari, Agus Hermawan


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『国会での相互買収についてはずっと前から聞いている』

「クイッ・キアンギーさん、国会第9委員会でPDI−P会派議員が他のPDI−P議員を買収しているのは本当だ、との声をあげているひとりがあなただ。問題はどんな位置付けにあるのか?」
わたしがそれを知ったのはかなり前のことだ。買収が行われた日の翌日、わたしは金を渡された友人から電話をもらった。「PDI−P会派はこれほどまでに崩れていたのか・・」とかれは嘆いた。かれは1千米ドルの入った封筒を渡されたが、受け取らなかった。ほかの仲間と一緒にかれがその封筒を返したところ、買収者は「この問題はもうこれまでだ。」と怒って嚇した。
わたしが知っているのはそこまでだ。買収の目的が、ニアガ銀行の売却をスムースに議決させることであるのをわたしは知らなかった。金を渡したのが誰で、誰が受け取り、また誰がふたりに返したのかもわたしは知らない。だからわたしの知っていることはあまり特別な内容ではない。

「取調べが行われ、証人として喚問されたなら、あなたは何を話すか?」
さっき述べたような、わたしの知っていることだけ。

「あなた自身、かつては第9委員会メンバーとして一年間活動していた。相互買収や互いに封筒を渡し合うといったことに関するあなたの体験は?」
あるとき、会議の資料が入っている紙バサミの中に公営質事業庁からの封筒が入っていた、という体験をした。封筒の中身は百万ルピアで、封筒には宛先もわたしの名前も書かれていなかった。国会第9委員会事務局の話しでは、たくさんの金が流れており、議員たちに分けられているそうだ。わたしは手紙を添えて公営質事業庁長官にそれを封筒ごと直接返送した。手紙には、その金の入った封筒が何のためか理解できないし、その金をもらう権利がわたしにあるとは思えない、といった内容を書いた。
公営質事業庁から返事が来たが、奇妙で理解を超えた内容だった。つまり「神があなたを祝福しますように」とだけ書かれていた。ともあれ、わたしがほとんどすべての委員会にいる議員仲間から聞いた話しでは、買収や贈収賄は日常茶飯事の当たり前すぎるものになっている。それももうずっと以前から、オルバ期のころから。

「あなたはかなり詳しく状況を描写することができるか?」
はい。なぜならわたしはこの国会という環境での汚職現象に関心を抱いており、またざっくばらんに話してくれる友人たちに質問しまくったもので。かれらは昔からわたしの親しい友人だったから。
オルバ期の議員報酬は、生活費としては絶対に足りない2百万ルピアが手取りだったそうだ。だからかれらは追加収入を求めざるを得なかった。形態はさまざまで、会議手当て、追加手当、交通費などあらゆる項目が創設された。これは合法な部類に入る。
しかし権利を売ったり、はては搾り取ったりといった性質の非合法なものもたくさんあった。企業視察、地方視察・・・。要はあらゆる業務訪問が、それを迎える側に議員たちへの封筒渡しの義務をもたらしたのだ。
ビジネスディールをベースにしたものもある。つまり金をもらうことで、国会議員は自分が関知していることについて口をつぐむという対価を相手に与えるというものだ。諸大臣や省外政府機関の長官たちが自分のプロポーザルを通してもらおうとして行うものもある。こんなケースになると、買収金額は巨大なものになる。

「いまはもう、報酬やその他のファシリティが妥当なものになっているのでは・・?」
まだだ。会派への寄金と国会会計への納金を引いた後の手取りは月額1千万ルピアくらい。国会会計には現金を渡しておかないと、難しい目にあわされたりするから。住居はもちろんカリバタに用意されているが、電気代は最低でも月百万ルピアかかるし、ガソリン、運転手、秘書等々の費用もまたかかる。手取り1千万ルピアでは明らかに不十分だ。だから相互買収はいまでも盛んに行われている。むかしよりもっと激しく、そして金額ももっと大きいという話しだ。
人間というものが持つ欲張りの本能には限りが無いことを忘れてはならない。議員の地位が金になり、搾取のツールとして使えることを知ったからには、そのターゲットは「天の高みが限界」となる。だからこのレフォルマシ期に議員となった者たちで、昔はオートバイに乗っていたというのに、今や価格が10億ルピア以上もする車に乗っているのがいっぱいいるのをわれわれは目にしている。PDI−Pの中にそのような者が多い。

「国会や各委員会の指導層はそれを知っているのか?」
ああ、そうさ。それどころか、もっと聡明な委員会リーダーもいる。流れ込む金を全部まとめてひとつにプールし、どこからの金などと知らせないで、また何のために得た金などと言わないで、メンバー全員に均等分配する。そうすれば、そんな分配を受けた委員会メンバーは誰に負い目を感じることもない。金額はならして月2千万ルピアくらいになる。
しかし全委員会が拍手喝采するように均等分配するつもりで巨額な金を受け取るリーダーもいるが、身勝手なリーダーは全額を自分自身に落とす。だから短期間で委員会リーダーが跳ね飛ばされるのを目撃することがある。

「あなたが知っていることはすべて他人から聞いただけのものなのか?自分の体験はないのか?ちょっと買収がかかると怒り、人を陥れるつくり言だと発言し、証拠を求め、裁判所へ訴え出るようなことをするというのに・・・」
もちろん。公営質事業庁からの百万ルピア以外に何ももらったことがないし、話しかけもなかったので、贈収賄の経験などはない。だとしても、真実というものに証拠がなければならない、というものでは決してない。汚職の世界こそ、搾り取られる側も搾り取る側も証拠を隠滅することに利益があるため、立証がきわめて難しい。
わたしにとっていちばん重要なのは、話しが納得できるものかどうかということだ。納得できる話しはとても多く、その話しをわたしにしてくれた者も、わたしに嘘を吹き込む動機があるわけでもない。親しくて昔からの友人だし、どんなにぶっ叩かれようがわたしがその話しをしてくれた者に決して災いをもたらさないという信用が成り立っている関係でもあるから。だからわたしはきわめてたくさんのことを知っているが、「これはあんただけに話すコンフィデンシャルだ」とかれが言えば、わたしは決してその話しをしない。

「第9委員会のメンバーとして一年間活動したのに、おかしなことを体験していないなんて・・・」
ああ、それはあるよ。例をひとつあげよう。わたしは中銀流動資金援助ローン(BLBI)問題調査特別委員会のメンバーだった。会計監査庁は144兆ルピアものBLBIの8割について中銀は責任を取れない、と表明する調査報告を提出した。わたしはその結果がどうあれ、つまり破産ということだが、中銀に責任を負わせなければならないと主張した。しかし中央銀行を持たない国はないから、大蔵省によって直接資本再構築がなされるべきだと言った。
わたしが追及するのは、全理事会を解任して法執行者の手で取り調べるという形の責任追求だが、仲間たちの反応は、中銀負担をいくらとするのかを中銀と大蔵省が合意を求めて自分たちで話し合うように、というものだった。結局中銀負担分は24.5兆ルピアで合意された。つまり中銀が破産しないようなレベルに合わせられただけで、モラルの面は少しも考えられていない。わたしは憤慨して、会計監査庁は国会の手足であり、信用できないなら長官を罷免するべきであって、その結論をそんなふうにもてあそぶべきでない、と言った。するとわたしの親友が、これはすべてXファクターでアレンジされているからさからっても無駄だ、とささやいた。わたしは、ああそうだったのか、と思い至り、家に帰った。
もうひとつの体験はBCA銀行売却プロセスに関する議事のときのことだ。第9委員会の議場には政府側もいた。BCA売却プロセスに関してIMFと合意したのは経済産業調整相だったわたしだ。BCAは売却されるのだということを世界に知らせ、公開入札を通して売却されなければならない。その公表は世界的に著名な新聞に掲載される。そしてきわめて重要なことに、政府は秘密裏に最低価格を決め、IMFとの間で合意した公証人にそれを保管させる。決められた日にすべてのオファーが開封され、秘密の最低価格と同じもしくはそれより大きい値付けがなければその入札はキャンセルされる。それを言うのにわたしは、ワシントンのアヌープ・シンに電話して、その合意内容がまだ有効かどうかの確認すら求めた。
アヌープ・シンは有効だと言った。それでわたしは「どうぞだれでもいますぐにアヌープ・シンに電話してください」と勧めたが、するとみんなとてもシリアスになり、それから全員がまるでわたしが何も言わなかったかのような態度を取り、そしてその議決はわれわれみんなが知っているものとなった。わたしはまたまた当惑し、わたしの隣にすわっている友人に尋ねた。かれは言った。「ああ、いいんだ。あんたはここではまだ新しい。すべてはXファクターでアレンジ済みだ。」それでわたしはひとりごちた。「オー、デスカネ」とても眠かったので、そのあと帰って寝た。

「あなた自身はそれらについてどんな考えをお持ちかな?」
わたしが既に述べたのは、インドネシアにおける汚職行為全体のほんの一部。KKNは強力で複雑なネットワークを持っている。断片的な解決は不可能で、包括的なコンセプトでなければ駄目なのだ。全体的なコンセプトを作り上げるために継続的にスタディを行っているタスクフォースをわたしは開発企画庁に持っている。

「そのコンセプトとは?」
単純なことだ。因果応報的なニンジンと鞭のシステム。権力を持つ者の合法的収入は、妥当な生活が行えるレベルまで満たしてやる。それでまだ汚職をしようという者は銃殺刑。さあその次は、あんなに大勢いる文民公務員と国軍・国警職員全部の収入を、国の財政は破綻どころではないという状況の中で、どうやって満たしてやるかだ。
それは国家公務員の人員整理と関連付けなければならない。文民・軍人・警察公務員は縮小されなければならない。政府のすべての機関が、構造ベース戦略でなく戦略ベース構造に基盤を置く経営と組織構造のオーディットを受けるとき、きわめて顕著な縮小が可能になるとわれわれは確信している。つまり各省と省外政府機関がその目的を達成するためのもっとも有効な組織構造と人員配置はどのようなものなのか、ということ。いまはどうかと言えば、賭けてもいい、人数があまりにも多すぎる。だから縮小し、質的にふさわしく雇用継続するに妥当な文民・軍人・警察公務員の収入を引き上げる原資を捻出する。余剰人員は垂涎ものの退職金を与えて解雇する。それを望む者にはいますぐにでも。あるいは停年まで給与の支給を続けるが、働かなくとも良いとする。これだけでも相当な節約になる。基本コンセプトはそんなものだが、実施展開はもっともっと複雑で、単なるスローガンでなく、実際的で詳細で具体的でなければならない。

「もっと話したいことはあるか?」
ある。KKNは深く広範に根を張り、文化となり、ライフスタイルとなり、それどころか血肉と化している。われわれのリーダーのあまりにも多くがメンタル、モラル、道義を破壊している。その一方で給与システムは混乱をきわめており、その混乱の中では大きい権力を持つ大半の者の合法的収入がまったく釣り合っていない。大統領の給与は国営銀行社長の給与より低いし、大臣の給与は金融界再建庁中堅職員の給与より低い。かれらが生活を維持するために権力を売るのはきわめてロジカルなことだ。だがロジカルとはいえ、いったんこうして始まったら、発展を続けて「天が限界」となる。どうであろうと制裁などなく、そしてあらゆるものを買うことができるのだから。だからさきほど述べた包括的コンセプト、つまり最適化と縮小のインパクトを持つビューロクラシー改革なのだ。単に十分というにとどまらず、多少なりとも立派できわめて妥当な生活レベルを可能にするだけの給与。それでも汚職しようというなら銃殺刑。そしてその一族も共犯者として扱う。なぜなら単に十分な生活にとどまらず、「天が限界」という汚職にのめりこませて行くのはたいていその妻子なのだから。
公職高官が銃殺されたあと、その妻子も誤りを犯したのだから処刑されなければならない。どんな形で?更に検討しよう。要は公的権力を持つ「おとうさん」に対して、決して汚職をしないよう妻子がリマインドするように仕向けることだ。
それがコンセプト。あるいはこの問題を継続的にスタディしているわたしとわたしの友人たちの夢なのだ。だが達成できるかどうかは、はて・・・?だってわたしは絶対権力を持つ独裁者ではないのだから。
ソース : 2002年9月30日付けコンパス


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『議員候補者募集は広告とチラシで』

宗教界、労働界、農民、実業界、地域、女性、青年などの諸階層から民族最良の幹部を募るにあたり、宗教的民族的大衆的理念を抱くサリカッインドネシア党は、2004年〜2009年を任期とする国会議員としておよそ75%の常勤議員候補者を外部の者に割り当てる。履歴書と卒業証書などの必要書類を至急届けるように。締め切りは2003年12月15日受領分まで。

2004年総選挙参加政党のひとつ、サリカッインドネシア党は、2003年12月12日金曜日のコンパス紙に、20x12.5センチサイズの広告を掲載した。その後の二日間に送付や持参で届いた応募申し込みはおよそ三百人に達した。
「12月15日の締切日を過ぎてから応募してきた者ももちろんある。当方はそれも受け入れた。数はそんなに多くない。」サリカッインドネシア党中央指導部議長アディル・メリアラは先週そう語った。
応募条件を満たした者は引き続きテストを受けるために招かれ、2003年12月16日から20日までの間、かれらは党指導部役員四人による面接を受けた。党の議員候補者となるための合否をわける規準は三つ。自分の選挙区におけるネットワークを持っており、経済能力があり、そして最後は立候補したい動機。経済能力がそこに入っているのは、国会議員候補者となるのにそれが重要な役割を持っているからだ、とアディルは言う。アンコッに乗る金すら党に頼るような人間では困るのだ。
面接の結果、議員候補募集にパスした者は百人を越えた。高校卒から博士課程修了者まで学歴はさまざま。それどころか広告募集で集まった候補者の中には、トリサクティ大学学長アスリル・アサハリのような要職にある人も混じっている。「広告費1,750万ルピアは大きな出費だったが、マスメディア広告での候補者募集は短期間で大きな成果があがった。」党事務局長ジュムフル・ヒダヤッはそう語る。

同じようにマスメディア広告を打った民主社会労働党の戦略は、サリカッインドネシア党とは異なっている。民主社会労働党は国会議員候補者募集広告をラヤッ・ムルデカ紙に三週間にわたって載せた。「いまは最終週だ。この週は女性に焦点をしぼっている。」同党中央指導部広報副部長アンディ・ウィリアム・シナガは1月13日にそう語った。シナガによればかれの党は、軍やオルバに関わりがなく、人権活動において優れた経歴を持っている候補者を求めているそうだ。この募集方法で同党は、すでに45人ほどの国会議員候補者を得ている。


サリカッインドネシア党や民主社会労働党が行ったようなマスメディア広告を通じて議員候補者を募るのは、インドネシアでは新しいことだ。もともとオリジナルなアイデアではない、とジュムフルは告白する。タクシン・シナワトラ首相率いるタイラッタイ党がかつてタイで行ったその方法は、鮮やかな成功を示した。その結果は瞠目すべきものであり、タクシンには8兆もの金があったとはいえ、結成されて22ヶ月にしかならないかれの政党タイラッタイは2001年の総選挙で40%の票を集め、タイ国会500議席中248議席を手に入れることに成功した。
候補者募集としてはまだあまり一般的でないこの方法を新生政党の多くがトライしているのは、既にエスタブリッシュされた政党に大きく水を開けられないようにするためでもある。サリカッインドネシア党が作った候補者採用基準で党は、地方部での新たなネットワークと同時にキャンペーンや他の活動のための資金をも手に入れたことが明らかだ。
アディルにしろジュムフルにしろ、外部募集議員候補者の存在について抗議する党役員はいなかった、と言う。それどころか役員たちは、候補者リスト順位が外部者より下でもかまわない、とも言っている。候補者広告募集は、議員になるのにふさわしい政党外の人材がたくさんいることをサリカッインドネシア党が認識していることのあらわれだ、とジュムフルは言う。「あの政党は大物が集まっているなどとほざくもんじゃない。党外にいる優れた人たちに役割を演じてもらうのを邪魔してはいけない。」

アンディ・ウィリアム・シナガ自身も、このマスメディア広告による候補者募集をポジティブにとらえている。それゆえかれは選挙監視委員会に対し、民主社会労働党が総選挙規定に違反するキャンペーン前の事前選挙運動を行っていると考えないよう要請している。広告応募者に対しても、党と党の運動への貢献がなければ上位の候補者番号はもらえないことを警告している、とかれは言う。「トランク一杯の金を持ってきたら候補者番号一番がもらえるというものじゃない。」とのアンディの弁。


サリカッインドネシア党や民主社会労働党がマスメディアで候補者募集をすれば、ビンタンレフォルマシ党は特定社会集団、つまりキャンパスという環境で募集を行う。その方法は、ビンタンレフォルマシ党と共に行える役割についての説明と短いコンセプトを記したチラシを大学運営部に送る、というもの。「西部、中部、東部ジャワの多くのキャンパスに送った。ディポヌゴロ大学にも3月11日大学にも。」ビンタンレフォルマシ党中央指導部事務局長アブドゥル・ホルッは11日、そう述べた。チラシ送付の次は党役員が数名で行うキャンパス周遊サファリ。そこでは非公開討論会やセミナーなどの諸活動が行われる。党の小チームはそのさいに候補者応募用紙、履歴書用紙などを配布し、興味を持った人に個別面談を行っている。
キャンパス環境での候補者リクルートというビンタンレフォルマシ党の方針は、党外からの候補者を獲得しようとする党の希望を反映するものだ。


潜水して水を呑みながら、各候補者募集モデルでそれらの政党が達成を望んだものが上のようなことなのだろう。ネットワーク拡大、資金確保もあるだろうし、党外からハイクオリティ人材が参加するという期待もあっただろう。
サリカッインドネシア党に自分の選挙区で7万3千票をもたらすことができる、と約束する者が応募者の中にいた、とアディル・メリアラはもらす。その応募者は募集審査をパスした。「記録しとくよ。」その応募者の約束が党の記録に残されることを強調して、アディルは審査時にその応募者にそう告げている。
民主社会労働党は単に党と同じ理想を抱く人を募集するためのみならず、世間に広く党の存在を知らしめすことも含めてマスメディアに候補者募集広告を打った、とアンディ・ウィリアム・シナガは言う。「ほかの政党も候補者募集マスメディア広告を出している。人々が個々の意欲に応じて闘うためにどの政党を選ぶかは、そのひと次第。」アンディの言だ。
アディルがもらす珍妙な話しも欠かせない。応募者の中には、国会、州議会、県市議会の区別ができない人がいた。北スラウェシにネットワークを持っているが、西ジャワ州で立候補したいという応募者もいた。「かれらはパスしなかったよ。」
ソース : 2004年1月15日付コンパス


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『見せびらかしたがりやの議員先生には辱しめを』

Datang(来る)、Duduk(座る)、Diam(じっとして)、Duit(金)。もともとその4Dとはオルバ期の国会議員に捧げられたものだった。Datang, Duduk, Diamは政府のハンコ突き屋と同一同形。政府が持ってくるものは何であれ、「さんせ〜い」で迎えられた。
四番目のDはいたるところからやってくる。定期的なものは国民代表者としての報酬だが、一般大衆の所得に比べれば、言うまでもなくはるかに多い。他の財源は地方視察や政府のプロジェクト。国会議員の視察は普通、政府、国有事業体あるいは民間企業がスポンサーになる。その他の財源もまあいろいろ。自動車購入ローンや電気洗濯機取得手当てなどはもちろんその中に含まれるものではない。

レフォルマシ治世がやってきたが、スナヤンの議事堂内風景は変わらない。国会議員になった元事業家やマネーチェンジャーがランバンやベルサーチェのネクタイにフロルスハイムの靴、グッチの財布をポケットに収めて新車に乗っていても、国民は多分理解を示すだろう。しかし元政党や大衆組織の活動家あるいは公務員などで、他にビジネスを持たず、金持ちの子孫でもないというのが突然新車をとっかえ引き換えし、クリスチャン・ディオールのネクタイを締めれば、国民大衆はそれらがいったいどこからかれのもとへとやってきたのか、根掘り葉掘り尋ねるにちがいない。
「コルプシはなくなっていない。財を顕示したがる国会議員はまだまだたくさんいる。」PDIP会派国会議員のアリフィン・パニゴロはそう語る。かれは活動家階層の出身でなく、三十年間石油ビジネスにどっぷりつかって事業を導いてきた。Medcoグループのオーナーとなり、CEOを勤めたこともある。しかし二年前に語ったように、国会議員に選ばれるや、かれは会社のキーポジションから離れ、Medcoの株を手放した。かれはその理由を、政界に入ったなら、国民の代表として闘いとるべき公的利益と自分のビジネス利益との間のコンフリクトに議員が身をさらしてはならない、と述べている。おまけにMedcoには、かれが退いたあとのポジションを満たしうると思われる人材に事欠かなかったので、ともアリフィンは言う。
国民事業開発評議会副議長のかれは、弁護士・事業家・銀行家・法律コンサルタントが国会議員に選ばれたなら、それらのアイデンティティは捨て去らなければならないと勧めている。「利益コンフリクトを避けるために、以前の職業から別人にならなければならない。これは倫理問題だ。」PT Stanvac Indonesia所有の南スマトラにある油田を買ったインドネシア人として記録にその名が残されているこの事業家はそう述べている。


国会議員となり、PDIP会派委員長になったあと、アリフィンはブロッゲートと名付けられたスキャンダルを取扱う特別委員会編成のさいに、国の最高機関に携わる人々の腹の底を自分の目で見た。「インドネシア人がコルプシ好きで、国会議員は財産顕示欲が旺盛なのもよく分かった。でもPDIP会派や他の政党の議員の中にも、いまだに貧しい者がいることを忘れてはならない。」アリフィンはそう語る。
『いまだに貧しい』カテゴリーに入る者として、かれは自党のアレックス・リタアイの名をあげた。貧しいどころか、公職高官資産調査コミッションの用意した資産リストフォームに記入したあと、アレックスの資産はマイナスと出たのだから。
アリフィンによればPDIPはいま国会議員に対して、コルプシに懲り、掠奪した財産を見せびらかさないようにさせるための、厳しい規則とメカニズムを検討中だとのこと。国会の外部に対しては、報道界やICW、Gempitaなどの民間団体がコルプシの兆候を見つけたなら、国会議員を積極的に辱しめるようにしてほしい、とかれは提案する。
議員をはじめ公職者の監視システムを作ろうとするとき、シンガポール、タイ、アメリカなどはきっとよい参考になるだろう。議員は金とエネルギーと時間を自分が代表している国民への奉仕に使わなければならない。シンガポールの公職者とインドネシアの公職者を服装からして比べて見ればよい。シンガポールの公職者がどれほど質素なことか。

南ジャカルタ市クバヨランバルのエリート地区にある自宅でインタビューに応じたアリフィンは、国会議員の間でコルプシ撲滅問題について話すのに自分は本当にぎこちない思いをしている、と打ち明ける。「『先に金持ちになってるから、おまえはそんなことが言えるんだ。』とわたしに怒鳴る国会議員がいる。これは疲れるよ。」
じゃあ、国会議員になるのは金持ちになるためだとでも言うのだろうか?
ソース : 2001年10月28日付けコンパス
ライター: Bambang Wahyu


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『スナヤンでお宝ザックザクはありえない』

計算していくと、名誉ある国会議員先生の手取り報酬はひと月9百万ルピアに満たない。でも、あれれっ、金持ちになれるんだ。

「国会議員報酬だけで暮らすのなら、金持ちになるのは不可能。そこに用意されているのは本当の意味の奉仕だけ。だから、議員としてのジャカルタ暮らしを支えるために前もって資財を用意しておく国会議員は、わたしを含めてたくさんいる。それどころか、議員報酬だけに依存して生活しようとしたために生活難に陥った議員がいることをわたしは知っている。」ゴルカル会派のモハンマッ・アキル・モフタル議員はそう物語る。スナヤンの国会議事堂に歩を進める前、かれは代議士先生としての暮らしを求めないことを決心した。なぜなら、国会議員の地位は実り豊かな物資を約束してくれるものではないのだから。
国会第二委員会議長アグスティン・テラス・ナランも、国会議員になったことだけで金持ちになれるというのはありえない、と同意する。だから1999年総選挙の結果国民の代表に進出する前に、かれはすでに資財を用意していた。「議員報酬だけに頼っている国会議員が、議員は割に合わないと愚痴っていたのをわたしは知っていた。自分が議員になって三年経ったいま、以前よく行っていたような家族連れ海外旅行はもうできなくなった。だって本当に無理なんだ。」PDIP会派議員のかれはそう語る。

ナランとアキルは1999年に初めてスナヤンに入った。それまでの二人の職業は弁護士。カルティカ・タヒル夫人の管理資産係争の際の記録を見ると、プルタミナ弁護士チームの中にナランの名前が記されている。アキルは西カリマンタンの有名弁護士。二人とも、国民代表者の活動と受け取る報酬が台所の火を消さないことを確信してスナヤン入りをした。
公職高官資産調査コミッションのデータには、ナランの財産として百億ルピアを超える数字が記されている。国民代表者生活では金持ちになれないことの証拠として、アキルは今日まで車を買い換えていないと言う。今かれが使っているのはBMW318シリーズで、プレートはB。1991年製のその車は以前、KB18AMというプレート番号だったが、アキルは国民代表者の汗の成果で車が買えるとは思わなかったため、ポンティアナッから首都に引っ越したとき、車も移転登録した。ナランは弁護士時代の収入で買ったベンツを今も使っていると言う。1994年製の車をかれはいまだに買い換えていない。「スナヤン入りしたとき、もちろん7千万ルピアという自動車手当てをもらった。そんな金額で十分な自動車があるのかね?銀行のソフトローンもあるにはあるが、借金はいやだ。結局その金で自動車は買えなかった。一部はキャンペーン資金代わりとして党への寄付に使い、残りは子供らをポンティアナッからジャカルタに転校させる費用と、カリバタ官舎の修繕費にあてた。」そうかれは話す。

実業家であり、元PDIP会派議長でもあるアリフィン・パニゴロは、国会議員になった者が公定の議員報酬だけに依存していれば金持ちになれるわけがないことを否定しない。PDIP会派議員の中にまだ貧しい者がいることをかれはその証拠にあげた。例証としてあげられたひとりは元PDIP事務局長のアレクサンデル・リタアイ。公職高官資産調査コミッションの申告フォームに沿って記入したかれの資産はマイナスと出た。


議員のひとりが見せてくれた2002年1月の国会議員報酬明細は、名誉ある公職者としてぎりぎりの収入でしかないことを示している。報酬金とパッケージのほかには、手当てもボーナスも立替金も何もない。明細書に見えるのは、議員報酬金とふだん会議費と呼ばれているパッケージ金合計として12,714,400ルピア。そこから控除されているのは会派月例金1百万ルピア、議員夫人会会費月7千5百ルピア、国会議員官舎のあるカリバタ住宅地区互助会費月2万5千ルピア。控除額合計は1,032,500ルピアだから、国会議員の手取りは11,681,900ルピアということになる。それをまるごと家へ持ち帰れるのだろうか?
アキルもナランも、かれらが受け取る議員報酬がひと月1千2百万ルピアであることを否定しない。「しかし、たくさん出て行くんだよ。」そうアキルは言う。かれは西カリマンタンのゴルカル党地方支部に毎月1百万ルピア、そして地元選挙区の県支部に50万ルピアの献金をしなければならない。自分の仕事を手伝ってくれる国会職員への謝礼も議員報酬から捻出される。他にもたとえば、水害義捐金として3百万ルピアを6ヶ月間分納する。そんなわけで、毎月の手取りネット金額は8百から9百万ルピアになる。ナランもアキルと似たようなもので、党への献金がある。ゴルカル会派同様、PDIP会派も月例金を1百万ルピア徴収する。そして中部カリマンタンの4地方支部にかれは1百万ルピアを援助する。家に持ち帰れるのは9百万ルピアに満たない、とかれは言う。

ほかの収入はないのだろうか?国会議員は一件の法令を審議すると、75万ルピアの法令審議金を支給される。一年がかりで法案を一件だけ審議すれば、その75万ルピアが一年分だ。しかしアキルによれば、そう算術的に行われるわけでもないらしい。たとえば、国会第2委員会は18件の地域分割法令を片付ける仕事があった。だが国会の財務状況に余裕がなく、支給されたのは18件中の8件だけ。議員はそんな状況に理解を示し、そのことを抗弁してはならないのだ。
その反対に、議員が負担しなければならない支出は増える可能性がある。ほとんど毎月、党のネットワークや有権者との関連で断りようのない選挙区や民間団体からの寄付依頼がある。社交的性格の寄付依頼もまた別に来る。「それらを埋め合わせるための手当ては支給されない。国会職員の子供や他の議員の子供の結婚や割礼があると、支出は必ず増える。」

地方出身議員が選挙区を訪問しなければならない場合、支出項目リストは更に長くなる。国会休会中の時期を利用して公務訪問を行うなら、国からの費用が当然出る。しかし時には有権者とのつながりを維持するために、時期を問わず選挙区を訪れなければならないこともある。実際にそれを行う議員はあまりいない。だから地方の有権者に名前と顔の売れたスナヤンの国民代表者は数少ないのだ。


事実、国会議員の収入はそんなものの域を出ないのだが、国会議事堂を往来する数多くの高級車はわれわれの目を引く。客の車に乗せてもらっているわけではなく、それは議員本人のものなのだ。以前裕福なボスだった議員に大衆はとやかく言わないだろうが、遺憾なのは、単なる国民の代表者なのに贅沢三昧の暮らしをしている国会議員が少なくないことである。
贅沢をひけらかすのを好む議員がいることを、パニゴロは否定しない。「ところが、その財産はハラルなものじゃないんだ。コルプシはまだまだある。」そうコメントする。
アミン・ライス国民協議会議長も、収入を上回る贅をひけらかす議員の存在を否定しない。KKNを行ったと疑われる成金議員は多い。レフォルマシ時代の国民代表者の地位はパワフルなため、KKNや個人利益の追求に利用することが可能なのだ。「あれはくすねた金に間違いあるまい。」そうアミンは言う。

資産リストを公職高官資産調査コミッションに提出し、官報補足で公認された国会議員280人について、コンパス紙R&Dのまとめたデータからは、財産顕示傾向がうかがえる。全体の94.6%を占める265人が1999年から2001年までに動産(自動車)、不動産(土地建物)、証券などを購入している。これは少ない数ではない。
データの集められた280人の議員中156人、つまり半分以上は2億ルピア以上の金を使っており、51人(18.2%)は5億から1,420億ルピアを支出し、10億ルピア以上を消費したのは22人もいる。国会議員の支出状況データからその金の由来はわからないが、1999年から2001年までにかれらは何かを購入したり、投資したり、あるいは贈与を受けている。公職高官資産調査コミッションがそれを調査するなら、かれらは金の由来を釈明しなければならなくなるだろう。
その三年間にかれらが消費にあてた金は、前から持っていた資産を売却して作ったものかも知れない。元第7委員会議長のタウフィクラフマン・ルキが新車を買ったと報道されたことがある。ところが、かれがその中級車を買ったのは、古い車を売ってからそれに自動車手当てと貯金を足した上でのこと。PDIP会派のリア・ラティファ議員もかつて、国会議員になったら他の資産を売って何かを買うのだ、と同じようなことを告白している。

アリフィン・パニゴロが1,423.5億ルピアで支出番付の首位の座に就いている。それを追ってPPP会派のハビル・マラティが160億、さらにゴルカルのセティヤ・ノファントが103億で第三位。しかしアリフィンとハビルの出費の最大ポーションは証券購入であり、ビジネスマンが本職のそのふたりはきっと投資を行っているに違いない。もし動産不動産購入だけにしぼって支出金額を見てみると、首位に来るのはセティヤ・ノファントの97億、次いでゴルカルのアフマッ・ファリアルの62億、やはりゴルカルのマルズキ・アフマッの41億という順。
ゴトンロヨン内閣の三大臣は資産報告の中でまだ国会議員として登場する。なぜなら、資産フォームを提出したとき、かれらはまだ国民代表者だったのだ。双方PPPのアリ・マルワン・ハナンとバフティアル・ハムシャは大差ない支出額。コペラシ中小企業担当国務大臣となったアリは11.9億ルピアを使い、バフティアル社会大臣は18億支出した。ハッタ・ラジャサ研究技術開発担当国務大臣は三年間の支出が7.4億ルピアだ。

行政職を兼ねる国会議員の資産の由来について尋ねると、インスタントな答えが用意されている。党首たちが公職を手放したがらないようにしている理由がそれであるにちがいない。大統領はいまだにPDIP党首の座にすわりこんでおり、副大統領はPPP党首を兼ね、人権法務大臣は同時にPBB党首でもある。これを党予算あるいは個人支出の効率ストラテジーのひとつと言いうるのだろうか?昼は国政高官として国のファシリティを使って地方を視察し、夕方は党のキャンペーンを行う、というように。
ソース : 2002年2月24日付けコンパス


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『ごろつきが議会に出る』

これは言葉の綾であり、わたしが言いたいのは、ごろつきが国会の議場に入り込んではならないということなのだ。だから議員諸兄は、単なる言葉の綾や願望などで気分を損ねないようにお願いしたい。議員諸兄が最高検察庁長官に向けた「盗人村の宗教師」という言葉と同様に。

わたしは優秀な政治オブザーバーでも政治ファンでもないので、テレビで放送される国会議事にあまり興味をひかれないが、騒ぎが起こったときはまた違う。議会で騒乱が起こったということを耳にするたびに、面白い、ムカツク、悲哀や憐れみ、その他もろもろの感情がない混ぜになる。国民はかつて、スナヤンに登壇した者の多くが中央政府と癒着しているという理由から、かれらに対する不満につきまとわれた。かれらは国民の代表だと自認するのだが、国民はかれらを選んだ覚えがない。だがいまや国会議員は、直接的で平和裏に実施された総選挙を通って選出されたために、文字通り国民の代表だという気持ちを抱いている。だが総選挙実施さなかに現場をモニターした結果によれば、国会議員の大半は知性と高潔さの力で選出されたのでなく、金の力と政党エリートの支持によって選ばれているのだ。

その見解を異としないのであれば、国会のパフォーマンスが国民を満足させていないことに何の不思議もない。国民がかれらに向けているシニシズムの中で飛び交っているSMSには、ある議員が議員手当ての引き上げを目的に、石油燃料値上げに対する貧困層向け補償金予算の一部を要求して政府を恫喝したという話や、金が入ってこない法案審議はひとつもない、といったものまでさまざまな話題であふれている。スナヤンは、政治法律コンサルタントサービス販売や、政策情報売買を行なう事業所にほかならない。実にたくさんのSMSが、総選挙前後に横行した賄賂よろしく、統制もなく行き交っている。
そのようにして、もし国民が国会に共感や信用を抱かないのであれば、結局損なわれるのは国民自身の民主主義的暮らしである。「変化をもたらす」という公約を果たす能力がSBY政府になく、一方グスドゥルの言葉を借りれば幼稚園生というポジションに国会の地位とイメージが定着するとき、監視統制メカニズムが機能しなくなることは容易に想像できる。行政と立法の両府は、厳しさを増す国民の難渋をよそに、争いに忙しい。こうして汚職者たちが絶え間なく国民の金を蝕んでいるとき、民族として国家としての生活原理とモラルの守護者たるべき政治家たちによって、民主主義の風土とアジェンダが破壊されていく。


総選挙コミッションに完璧なデータが保管されている全国の議会議員の学歴背景を分析してみるのは、実に興味深いものだ。学歴が知的倫理的クオリティを保証するものではないにせよ、その構成分布を見るなら、国民の代表の座にすわるのがふさわしくないとの疑念を呼ぶ議員が少なからずいることに、われわれの憂いは深まる。州や県レベルの議会議員の多くは高校卒業という学歴しか持っておらず、その成績たるや「温情卒業」レベルでしかない。金の力で押し通した偽造卒業証書ではないか、と疑われている事例はまた別だ。
この国ではどんなポジションも、金なしで入手することはできない、と一部の国民は信じきっている。そうであるから、だれかがある役職に就けば、既に出費した資金をどのようにして回収するかがかれのアジェンダのひとつとなる。わたしが総選挙監視委員会委員長を務めていたとき、議員候補者の何人かは、候補者の切符を手に入れるのにいくらの金を費やしたかという話を開けっぴろげに物語っていた。家と車はキャンペーン費用のために売り払ったのだ。政府省庁内のポジションも同様で、無料の役職などまずないと言ってよい。もし候補者に金がなければ、プロジェクト請負業者がかれの資金アレンジを行い、その候補者がポジションを得た暁には、資金を付けた業者がプロジェクト請負プロセスの中で計算書を提出する番になる。

またまたその見解を異としないのであれば、この国の政治エリートたちの頭の中でもっともメインの座を占めている考えとはいったい何だろう?第一優先にして最重要なのは多分、自分自身、親族、支持政党の仲間などのためにどのようにして金を集めようかと思案することではあるまいか?そのような自己中心的元子論的思考と振る舞いは、国家としての生活における連帯と調和を破壊し、危険に陥れるものであることは言うまでもない。完璧な生活とそのバラエティは元子崩壊的に分解され、蝕まれるので、民族の容貌とアイデンティティは粉砕され、インドネシア的ビジョンを持たない閉鎖的コミュニティの断片に分裂する。
それぞれの集団は自らをインドネシアの闘士だと主張し、シンボルや国のファシリティを争うが、かれらを動かしているイデオロギーや感情は、集団が持つマテリアルや人気に対する欲求をどのように満たすかという点にのみ焦点が当てられる。国外から問題が襲い掛かっているときに政府と国会が争ってばかりいるため、民衆の疲労感、怒り、失望は頂点に向かう。 シンガポール、マレーシア、オーストラリアなどの隣国はみな、インドネシアを軽んじ、侮っている。貧しい東ティモールでさえ、インドネシアに加わるよりは分離を選んだ。もしアチェやパプアの民に選択の機会が与えられたなら、かれらはみなインドネシアからの分離を選び、あるいは少なくとも特別自治を要求するだろう。豊かな天然資源を中央政府に持ち去られ、最終的に腐敗しか残されなかった他の州も同じだ。だから山積するあらゆる挑戦に直面して、民衆が民族と政府を誇りとしなくなったとき、政府は議員たちと一緒になってどのようなブレークスルーを行なうのだろうか?

「尊敬すべき代議士閣下」という称号を意味のないシニカルな文句にしてはいけない。健全な政府と民主主義の成長は、民衆に畏敬される、権威ある政党と議員なくしてはありえない。ごろつきが国会議事堂に入り込んではならないのだ。(失礼ながら、これはやはりスナヤンから拝借した言葉の綾であり、願望である。)もしごろつきのメンタリティとビヘイビヤを持つ国会議員がいれば、少なくとも八方が損をする。1)一議席に必要とされる40万人の選挙民。2)議会の値打ち、イメージ、尊厳が汚される。3)それをもらうにふさわしくない人間に報酬が与えられるという国費の無駄。4)所属政党に恥をかかせる。5)経費・時間・エネルギーが消費されたのに成果を出せない議会の無駄や混乱。6)善良でクオリティのある他の議員を傷つけ、世間の目に映る信頼度を暴落させる。7)当人個人が尊敬されるべき職務をになうのにふさわしくない人間であるというレッテルが知り合いや親族の目に貼り付けられる。8)権威が低下するため、政府施策に対する国会の批判力が鈍る結果、民主主義プロセスが断続的になる。
そのような考えにもとづけば、国会という名誉ある機関が本当に名誉あるひとびとで満たされるよう、国会のパフォーマンスとイメージを損なう議員に対する機能カットと制裁メカニズムがきわめて必要となる。数億もの金を費やして国会議員の座にもぐりこんだひとびとは、それを社会への寄付金だと思って忘れることだ。議会を政治ビジネスの場にしてはならない。
wakil rakyat(民衆の代表者=議会議員)のwakilという語はアラブ語に由来しており、元来「依拠する場」「代表すること」を意味している。だから議員は、民衆が頼り、ものごとを訴える場にならなければならず、そして民衆の実態を代表する者でなければならない。ところがいま現実に起こっているのは、悲惨にあえぐ選挙民が頼るべき場になっているどころか、自分本人や仲間のアジェンダで大忙しだ。おまけに政府(pemerintah)という語は最初から命令する者というニュアンスを含んでいるので、調和に欠ける。政府の機能は、導き、統制し、奉仕することだというのに。系統図的に見るなら、国と政府は国民の実子なのである。ところが国と政府は時の流れの中で自分を忘れ、反対に産みの母に対して欺き、踏みにじることを行いがちだ。宗教上の言葉で言えば、それはたいへん大きな親への反逆であり、親を不幸にする者に決して幸福は訪れない。
ソース : 2005年3月21日付けコンパス
ライター: Komaruddin Hidayat、 ジャカルタ国立イスラム大学博士課程主事、総選挙と民主主義のためのグループ指導評議会議長


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『イデオロギーなしのレフォルマシ』

一般的な理解では、イデオロギーというのは理想社会の青写真を実現するために個々の社会運動が指針や手引きとして持つドクトリンや理想あるいは信念を指している。提起した社会の理想像が支援者をひきつけてかれらの団結心や闘争心を呼び覚ますなら、イデオロギー運動は成功する。
民族を団結させる共通の敵がなければ、イデオロギーはたいてい徐々に色あせていく。たとえば東西対立。資本主義と社会主義の両イデオロギーが融合を深めているいま、両者の間の闘争心は冷めている。インドネシアで国家規模の闘争的イデオロギー運動は二回起こった。ひとつは1945年の独立宣言をピークとする独立運動、もうひとつは1965年にイスラム主義とパンチャシラのイデオロギー反撃を受けた共産主義運動だ。そのふたつのできごとは社会政治面の青写真に劇的な変化をもたらした。それ以来宗教イデオロギーの針は中道を指し続けている。ところが経済面でたいへんラディカルなイデオロギーが出現した。あらゆる意味で伝統経済を崩壊させ粉砕したグローバル資本主義がそれだ。
< 移行期世代 >
他の民族がモダンテクノロジーとサイエンスの時代に入っているというのに、インドネシアは政治経済面でのチャレンジに対してイデオロギー的アプローチを頑なに守り続けているため、経験主義的なわが民族は経済面で後進性を強めている。 各国の指導者は専門家意識・透明性・労働効果などを重視するサイエンスベースの社会に国民を方向付けており、公職者任命も対価を斟酌して行なうようなことをしない。残念なことにわれわれの政治文化は、マジョリティvsマイノリティ・種族性・政治党派・親分子分関係といった要素への配慮を好むため、きわめて消費的な政治の安定を維持するために能力の不適切な人間を政府の要職に就けることが少なくない。
ポストスハルト期は45年組みや66年組みの有力者たちが消え去る移行期であり、短期ではあっても権力の分け前にあずかることができるようにとかれらの間で分配が行なわれたような印象を受ける。それは2014年総選挙に資本主義と自由市場の時代に生まれ育った新しい世代層の番が来るからで、かれらは独立や宗教というイデオロギーの濃密だった時代の子でなく、キャンパスとグローバル文化という環境で成長した者たちなのだ。もちろんパンチャシラやインドネシアに対する忠誠心の疑わしい宗教イデオロギー集団は少数ながら存在しているし、これからも存在し続けるにちがいない。
グローバルネットワーキングソサエティ現象の出現やローカル&ナショナルアイデンティティの弱まりを前にして政府は、1945年と1966年に起こったような全国民の利益を統合し、共通の理想と精神を団結させる新たなイデオロギーを創造しなければならない。インドネシアの将来のためにこの世代並びにイデオロギーの移行期を導くSBY大統領のチャンスと務めがそこに存在する。そのコンテキストにおいてSBYとデモクラッ党は、豊かなビジョンを持ちクリーンで闘争心のある新しい世代の大望と献身を受け入れるために、スマート・清潔・寛大で進歩的な政党をどのように構築するかというモデルとなることができる。 デモクラッ党大会が終わったあとも、SBYは大統領かつ国士としてすべての政党に対し、わが民族の将来を真に約束する結果をもたらす2014年総選挙の準備をさせるべく、同じ立場を維持するべきだ。信頼できる総選挙コミッションメンバーを早急に選び、2014年総選挙をスマートで威厳と繁栄のあるインドネシアを目指してテイクオフする起点にする。もしSBYが政党数を多くても10以下にまとめることができるなら、それはもはや歴史的な業績だと言えるだろう。
警察・検察・国税・国会でのさまざまな汚職の摘発をSBYはラディカルな改善とクリーンで権威ある行政文化を後世に残すためのモメンタムとして活用しなければならない。さもなければこの政権はまるで自動車修理屋のように一生懸命分解して見せるが、組み立てることのできないものでしかなくなる。これまで、そして現在も続けられている数多くの汚職者の逮捕という業績があるにせよ、次世代に誇れる新たな政府を作ることはできなかったということになる。
あと三年の間にハイコストで騒々しく秩序のない移行期が終わり、熱意と楽観性とフレッシュな精神に満ちた社会が出現することをわれわれは心から望んでいる。わが民族は熱意や闘争意欲を生み出し、宗教や文化の多様性を失うことなく民族を団結させることのできる新しいイデオロギーを必要としている。これはSBY政権が応えなければならないチャレンジのひとつだ。スナヤンの政治家コミュニティ・大臣層・キャンパス知識人・NGOなどからの賢明でインスピレーションに満ちた思想にわれわれは恋焦がれているのだ。
民衆は非難ばかりで解決案のない議論に辟易している。マスメディア報道はサプライズに満ちているものの、それは啓蒙的コンセプトのサプライズではない。賢明なインドネシア、健全なインドネシア、繁栄するインドネシアの実現を推進するイデオロギーをわれわれは必要としている。
ソース : 2010年4月24日付けコンパス
ライター : Komaruddin Hidayat シャリフヒダヤトゥラ国立イスラム大学学長


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『スリ・ムリヤニなしのインドネシア経済』

1961年デイビッド・マクレランドはThe Achieving Societyと題する有名な著作を発表した。その中でマクレランドは、政治面経済面を問わず帰属関係や権力分配といった動機でものごとを行なうリーダーが運営する国は没落の道を歩むと警告した。そのようなものでなく業績を志向する方向で国は運営されなければならない、というのだ。
その考え方は多くの国で受け入れられ、アメリカ・ドイツ・イギリスなどの先進国からマレーシア・タイ・シンガポールなどの国に至るまで実践されるに至っている。一方、インドネシアでは、業績を追い求めるひとは住むところを失って消え去るがままというありさまだ。スリ・ムリヤニに起こったのはそれなのだろうか?業績主義者が消え去ったインドネシア経済の将来はいったいどうなるのだろうか?
< 変革の犠牲者 >
インドネシアがもっとたくさんの変革者を必要としているのは疑いない。しかし変革は常にその親友たちに迎えられる。つまり抵抗・否定・反発・・・・。業績追求者たちの成果はいつも社会の笑いものとなり、かれらは法的な裁きを受けて罪人となる。真理のために闘った16世紀のコペルニクス、17世紀のジョルダーノ・ブルーノやガリレイ・ガリレオのように。
チェンジメーカーの大半は自分の同胞に裁かれ、獄につながれ、刑を受け、殺された。マーティン・ルーサー・キング、アブラハム・リンカーン、ガンディ、ムニールらがそうだ。一方経済分野でも、企業の中で変革を進めようとしたひとびとは企業から追い出された。1998年のクライシスでアストラインターナショナルの保全に成功したと評価されているリニ・スワンディは銀行界再建庁に悲惨な形でCEOの職を追われた。マスメディアはかの女にベストCEOの地位を与えたというのに。
2009年には三年間プルタミナのリーダーとして変革を成功させたと見なされているアリ・スマルノに同じようなことが起こり、そして今年は聞き苦しい罵詈讒謗どころか法的処罰を与えろという要求がスリ・ムリヤニに向けられているのをわれわれは目撃している。ところが海外でかの女は世界で有数の秀れた大臣であると評価されており、世銀がかの女を専務理事に指名した際の評価項目の中にも、経済危機への対処に成功し、改革を推進し、世界の諸方面から尊敬を得ているというポイントがあげられている。
非難したり裁こうとするのでなく、チェンジメーカーや業績主義者を受け入れてその成果を継続させる時代がきていることをインドネシアの政治家は悟らなければならない。ましてや誰の側の人間かといったことや権力志向を優先する精神は打ち捨てられなければならないのだ。それができないと言うのなら、かれらを笑いものにすることもこれで終わりだ。糸が一本ほぐれたからといって、あたかも布がばらばらに分解してしまったかのように上等な服を捨ててしまうような似非金持のまねはもうやめよう。
学術界の人間としてわたしは長い間インドネシアで繰り広げられている不合理を目撃してきた。食い違いの甚だしいスタンダードでひとびとは議論し、自分の思い通りにならないとすぐに腹を立てる。理解に苦しむ規準を使って非難することさえ普通だとわれわれは思っている。インドネシアのプロフェッショナルたちが国内でよりはるかに高く国外で評価されていることをわれわれは頻繁に目にしているものの、業績志向の国際機関よりも政治家のほうが信用されているとわれわれは思っている。スリ・ムリヤニ・インドラワティが直面している問題は、国内で落第したインドネシア人子弟が外国で成功している事例とまったく同じものだ。わたし自身がそれを体験している。国内で高い点数を得るのはどんなに難しいことか。ところが海外へ出ればわれわれは相応の評価を得ることができるのだ。われわれは自分の故国で自分が無能だと感じているが、それは能力が本当にないからでなく、リーダーたちが傲慢であるせいなのだ。
< 経済の未来 >
スリ・ムリヤニの後を継ぐことのできる頭脳優れたエコノミストはインドネシアにもちろんたくさんいる。しかしインドネシア経済をリードするには、単に頭脳が優れているだけでは力不足なのだ。正直・清廉潔白・国際社会からの信頼・遠い将来への洞察力・敏感で積極的な行動力・変革をなす勇気・省内から信服されること、それらは容易に得ることのできない条件だ。インドネシアは単に憎しみを吐き散らしたり口が巧いだけという人間を超えた人材を必要としている。レフォルマシプロセスは10年以上経過し、インドネシア経済はさまざまな利害の衝突する場になってしまった。バランスの取れたマクロとミクロのベースの上に構築されるべき経済は政治家が争奪するものになっている。われわれはまた、単にシステムの維持を最優先する官僚を超えた人間を必要としている。変革への挑戦に立ち向かうリスクテーカーが必要とされているのだ。
いまエコノミストは何も知らない人間のように扱われている印象が強い。ネオリベラル断罪の波が通り過ぎたあと、エコノミストたちはリングの周りにおとなしく座って経済が政治家によって動かされているのをただ見守るという姿勢を試されている。政治家の望むがまま忠実にインドネシア経済を操作しようとするひとびとやエコノミストのふりをする政治家たちによってリードされるなら、将来のインドネシア経済がどんなものになるのかわたしには想像がつかない。
インドネシア経済を発展させるために変革を推進する勇気を持つ頭脳優れた者が落ち着いて仕事できるよう、われわれはチェンジメーカーを犯罪者にすることをやめなければならない。わたしはスリ・ムリヤニが問題から逃避するのでないことを確信している。スリ・ムリヤニのように、そんな立場にある多くのひとたちはいま「この国を導いて何になるのか?」と考えている。かれらは怖れているのでなく、無駄な時間を費やすことに疑念を抱いているのだ。これは単なるゼロサムゲームに過ぎないのだから。
スリ・ムリヤニなしでもインドネシア経済は前進し続けるにちがいない。しかし頭脳優れたひとたちは変革を闘いとろうとするよりも安全を選択するがために、麻痺が密かにしのびよっている。インドネシア経済は大海原を航行するエンジンなしのボートのように歩んでいく。最新鋭航海設備を備えた外国船が知力のパワーで大海の大波の上を舞っているとき、われわれのボートは大波の渦の間を行方定めず彷徨することしかできない。
スリ、世銀への栄転、おめでとう。あなたが受けた試練の悲痛さがどれほどのものであろうともそれが変革の定めというものであり、どうかわが国への支援は継続してほしい。変革が新たなフェーズを必ず生み出すとは限らないが、しかし新たなフェーズは変革なくしては決して生まれないのだから。
ソース : 2010年5月6日付けコンパス
ライター: Rhenald Kasali インドネシア大学経営学教授


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『どういうゲームなのか、これは?』

バンクセンチュリー事件の完全糾明を迫り続けていた勢力は、スリ・ムリヤニがいなくなることを耳にして度肝を抜かれた。ふつうは時の流れとともにパズルの一片一片が明らかになっていくものだ。
ひとりひとりの解釈はもちろん異なっている。しかし大蔵省上層部の数人はジャカルタポスト紙に対し、スリ・ムリヤニ・インドラワティは現職から下りるよう強いられ、名誉ある退任の道として世銀の職を奨められた、と語っている。スリ・ムリヤニ・インドラワティは大蔵大臣辞任の意思さらさらなく、そして世銀への奉職願いを出したこともなかったが、大統領は先週月曜日、かの女に世銀専務理事就任を受けるよう告げたのだ。
実に奇妙な話だ。願書を一度も出したことのない人間を世銀の要職に就けたいとロバート・ゼーリック世銀総裁が大統領に直接許しを請うたなんて。世銀もそのストーリーを自己のインターネットサイトでオープンにした。ユドヨノはそれを肯定するだけだ。公式には、スリ・ムリヤニ・インドラワティが世銀に転出するのを祝福すると大統領が5月5日に表明した。
< ゴルカルは凍結 >
本当はどんなゲームがいま展開されているのかについて不審の只中にあるところにもってきて、ゴルカル会派議員プリヨ・ブディ・サントソがバンクセンチュリー事件糾明のための政治プロセスを凍結することを提案し、こんなせりふで飾り立てた。「法的プロセスの中でやってくれればいい。しかし政治的にそれは延期されうる。」
反対にグリンドラ会派事務局長アフマッ・ムザニは、スリ・ムリヤニ辞任を望む一部国会議員の希望が実現したことを認めながらも、バンクセンチュリー事件糾明の政治プロセスは決して終わらない、と強調した。
アクター・エージェンシー・戦術・対象や特定シナリオへの順守・中でもヒューマンコミュニケーションリサーチでのスミスとフィンクの分析(2010年4月)、といったさまざまな要素を分析すると、バンクセンチュリー事件のとらえかたに三つのカテゴリーを見出すことができる。
その第一はスリ・ムリヤニの辞任だけを望んでいた一派で、世銀への転出というハプニングが起こったのは全員(スリ・ムリヤニが真実そこに含まれるかどうかは不明だが)に向けられたハッピーエンドとして賀しうることと考える。この一派にとってバンクセンチュリー事件の本質は政治交渉と駆け引きのためのツールでしかない。ゴルカルの要人であるプリヨの表明はその方向性を明示しており、株式問題のためにアブリザル・バクリがスリ・ムリヤニを憎悪していた話へと民衆の思いは容易につながっていく。何十回否定されようが、ゴルカルがさっそくバンクセンチュリー事件糾明の政治プロセス凍結を言い出したことは何かを物語るものだ。うれしい人間はついつい余計なことを口にしてしまう。
ふたつ目は、バンクセンチュリー事件発覚は氷山の一角にすぎず、さまざまな大型の欺瞞が明らかにされるのを望む一派だ。水面下にまだまだいろいろ隠されているものがある。アンタサリ・アズハル事件も説明のつかない種々のパズルに満ちており、総選挙コミッションIT疑惑捜査計画に関連付けられている。いまだもってビビッ+チャンドラを拘置所に送り込んだ黒幕の正体が闇に包まれている汚職撲滅コミッション犯罪化事件もそうだ。ところが、かれらが提出した告訴状に対する憲法裁判所の判決文原案の中にその謀略が言及されている可能性がある。やはり水面下の氷山の一部として、汚職撲滅コミッション指導部への個人的な怨恨ということすら言われている。この第二の一派にとってスリ・ムリヤニ・インドラワティは決して犠牲にされてはならないものだ。事件は徹底的に糾明されなければならない。その全貌が明らかにされるか、それともそれがたとえ汚職撲滅コミッションあるいは憲法裁判所でストップしたとしても。
それにしてもメディアの実態は嘆かわしい。バンクセンチュリー事件がウオーターゲートをしのぐ凄まじい氷山の一角だったとしても、われわれにはボブ・ウッドワードもカール・バーンステインもおらず、おまけにかれらをバックアップした新聞社もない。わが国のメディアオーナーは第一の一派を支援こそすれ、第二の一派やスリ・ムリヤニをバックアップするようなことはしない。
< 部下を犠牲に >
第三の一派は、自分のコンフォートが保全されるなら部下をあっさり犠牲にしてはばからないグループだ。早晩、歴史は真実を物語る。いまは偽装で覆い隠されているものも、時至れば醜悪な裸形をさらすことになる。5月7日のコンパスコーナーでそれがもう始まった。スリ・ムリヤニの「リーダーは部下を犠牲にしてはならない」という言葉を引用してマン・ウシルがコメントした。「そりゃぼやかし言葉のたとえですかね、マダム?」
第四の一派を追加することもできる。スリ・ムリヤニが世銀で得たポジションのどれほど素晴らしいものかを賑やかに喧伝し、最適な後継者は誰かという議論に血道をあげているグループだ。かれらの目にスリ・ムリヤニは、現職をよろこんで辞任し、幸福に満ちてワシントンDCへの旅に向かおうとしている姿として映っている。
おお、嵐の中をひた進む傑女、あなただけがわれわれに物語ることができる。もしあるとするなら、いったいどんなゲームがいま展開されているのかということを。
ソース : 2010年5月10日付けコンパス
ライター: Effendi Gazali インドネシア大学政治コミュニケーション修士課程コーディネータ


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『ミステリー”スリ・ムリヤニ誘拐”』

スリ・ムリヤニ・インドラワティが世銀専務理事の職に就くため、現在の大蔵大臣の座を辞任したできごとは依然としてミステリーに包まれている。それがミステリーなのは、スリ・ムリヤニの親しい呼び名を使わせてもらうなら、まずアニーは世銀のどんなポジションであれ就任したいという希望を表明したことがない(2010年5月7日付けジャカルタポスト紙)こと。
第二は、ロバート・ゼーリック世銀総裁からSBY大統領宛ての要請状が2010年4月25日に出されていながら、大統領はそれを4月30日に受取っていること。2010年4月30日から5月4日までの間、ユドヨノ大統領は世銀から要請があったことを一度も公表しておらず、あたかもインドネシア共和国大統領と世銀の間でスリ・ムリヤニをインドネシアからアメリカにさらうための謀議がなされていたことを思わせる。
第三は、スリ・ムリヤニは世銀の新たな職に2010年6月1日付けで就任するため現職を辞任すると2010年5月5日に表明した。それはバンクセンチュリー疑惑に関する汚職撲滅コミッションの大蔵大臣に対する四度目の取調べが始まった次の日に当たる。ところがその前日にかの女は、国会の一部党派議員にいつまでもボイコットされては蔵相の責務が果たせないため、自分の法的ステータスを明確にしてほしい、と発言した。
第四は、もしロバート・ゼーリック世銀総裁がスリ・ムリヤニを、インドネシアをグローバルリセッションから乗り越えさせるのに成功し、インドネシア政府大蔵省内の汚職と闘って行政秩序を強化することにも成功した人物(2010年5月6日付けコンパス紙)と本当に評価しているのなら、どうしてスリ・ムリヤニをインドネシアからさらって引き離すことを世銀は平気で行なうのか?そしてまた、アニーがはじめての女性大蔵大臣できわめて有能に省内を導き、アジアのベスト蔵相と賞賛されていることを認めるのであれば、ユドヨノ大統領はどうしてスリ・ムリヤニを平気で手放そうとするのか(2010年5月6日付けスプタルインドネシア紙)?
第五は、スリ・ムリヤニの蔵相辞任とアブリザル・バクリの与党連合事務局長就任の政治ディールの関係をゴルカル党首アブリザル・バクリとデモクラット党首アナス・ウルバニンルムが否定する(2010年5月9日付けコンパス紙)のとは無関係に、大衆がその両者の結びつけに確信していることは想像に余りある。ましてやゴルカルがユドヨノ政権にとって魔物となっているバンクセンチュリー事件の棚上げを言い出したいまとなっては。
< 賛否両論 >
筆者の目から見れば、スリ・ムリヤニはスハルト独裁政権崩壊に直接的に関わりを持った大勢のインドネシア大学出身者のひとりだ。1998年当時インドネシア大学経済学部経営経済調査院理事だったアニーはインドネシア大学とバンドン工科大学出身者が催す討論会に積極的に参加しただけでなく、スハルトレジーム崩壊後の未来のインドネシア経済政策がどうあるべきかを討議する場所としてインドネシア大学経済学部の自分のオフィスを提供した。
アニーはまた、国税総局をはじめとする大蔵省内の行政改革に四方八方から投げつけられる批判の嵐に身をさらしながらも自分の信念への一貫性を維持した人間だ。日向でも日陰でも、かの女の行動は明確強固なものだった。眼光すら嵐に立ち向かう勇気と厳格さを示している。
< ナイーブ >
しかしアニーにも弱点はあった。その筆頭にして最大のウエイトを占めていたのは、かの女にスマラン人の性癖が強く窺われたことだ。実際にはジャワ文化の色濃いランプン州タンジュンカランの生まれだったにせよ、ジャワ文化のネガティブ面がかの女の性癖に宿っていた。"mikul nduwur mendem jero"つまり上からの命令は何であれ秘匿するのをよしとする。この姿勢は政治の透明性に反するものであり、バンクセンチュリースキャンダルの覆いを解き放つのを困難にする。失礼ながらアニーも"who cannot say no to her number one boss"のひとりだった。たとえボスのオーダーが間違っていたとしても。
1997〜98年に起こった銀行界の悲劇が繰り返されないようにというバンクセンチュリー救済方針は、支配権力層の家族やクロニーあるいは国有事業体がバンクセンチュリーに巨額の金を預けていたことに密接に関係していたのだろうか?破産するバンクセンチュリーを救済しなければ、支配権力層の周辺にいる預金者たちの金は「ひとたび去ってまた帰らず」となる。ただしバンクセンチュリーに数十億ルピアの預金を持っていた預金者の多くが自分の金をまだ取り戻していない現在、われわれのこの好奇心を支配権力層への疑惑と受取られては不本意だ。
その二、アニーは優れたエコノミストだが、またまた失礼ながら言わせてもらえば、政治というものにあまりにもナイーブだ。相手かまわず一貫性を持って徴税方針を貫こうとした闘いが、アブリザル・バクリ一族の所有する会社に対しては毎回失敗したのも無理はない。そこで湧いてくる疑問は、バクリの会社に対する徴税方針がかの女の上位にある政治権力によって打ち砕かれたとき、かの女はどうしてすぐに辞任しようとしなかったのだろうかということだ。
アニーのワシントンDCへの転出に関していまだに賛否両論が聞かれる。かの女が担う国務を世銀の場で遂行するために去らせてやるのがよい、という声。バンクセンチュリー問題・大蔵省内行政改革や大企業脱税問題などたくさんの未解決問題を投げ捨てて去るのを嘲笑する声。中でもきつい声は、国庫つまり国民の血税6.7兆ルピアの責任を負う犯罪者としてスリ・ムリヤニの出国禁止を叫び続けている一派からのもの。
アニーが自己の身柄の法的ステータス明確化を得てインドネシアを去りたいと望んでも、それは淡い夢でしかないだろう。かの女は深い失望を胸にインドネシアを去ることになるにちがいない。なぜならナンバーワンボスはかの女をかばおうと努めたこともなく、かの女が下した方針の責任を一緒に担おうともしなかったからだ。ユドヨノ大統領はバンクセンチュリー事件特別委員会の報告を検討する国会総会の前日に、バンクセンチュリー事件の責任は自分にあると表明しているが、それは単なる無意味な言葉でしかない。
われわれはスリ・ムリヤニが一層心を強くして世銀での新たな職務を果たすよう期待するばかりだ。それによってインドネシアの芳名も一層高いものとなる。もし世銀が借款を与えた発展途上国の貧困化を推し進めているのであれば、世銀の不品行を公表することを恐れる負け犬にならないでほしい。スリ・ムリヤニは卑怯な人間でないことを筆者は確信している。それどころか、2014年にかの女がこの国のナンバーワンになることだって不可能ではないのだ。
ソース : 2010年5月11日付けコンパス
ライター: Ikrar Nusa Bhakti インドネシア科学院インターメスティック学リサーチ教授


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『スリ・ムリヤニ退場』

専務理事に就任するため世銀に転出することがスリ・ムリヤニ・インドラワティにとって追放を意味しているのか、それとも救出を意味しているのか、わたしのようなただの観客にはよくわからない。それはきっと、当の本人がいちばんよく感じていることだろう。スリ・ムリヤニに向けられたいくつかのインタビューの中でかの女はきわめて不満げにこう語っていた。「上司になったら部下を犠牲にしてはならない。」われわれにはその上司がだれなのかよくわかっている。
かの女が犠牲にされたと思っているのか、それとも救済を求めていたのかは別にして、最近のスリ・ムリヤニのキャリアはたいへんにドラマチックだった。第一次団結インドネシア内閣で蔵相と経済統括相を兼務したスーパーミニスターから、第二次団結インドネシア内閣では国会第11委員会一部議員のボイコットに対してまったく無力と化したこと。SBY内閣最強の人材から一転して与党連合不和のお荷物と化したこと。スリ・ムリヤニ・インドラワティを襲ったさまざまなできごとからわたしの得た教訓がこの論説の骨子である。
このようなドラマは国政上級高官職に就いた専門家たちがこれまで何人も体験してきたできごとであり、決してはじめてのものでないだけにそれは注目に値することがらなのだ。これまでもインドネシア銀行高官が銀行界流動資金援助事件やバンクバリ事件に巻き込まれている。わたしが得た教訓というのを下記しよう。
第一に、スリ・ムリヤニ・インドラワティのような専門家たちは往々にして自分が座る椅子を専門家としてのものと誤解する。ところが大臣・インドネシア銀行総裁・その他類似の座は政治的なものなのだ。たとえそれらの座に専門家が起用され、日々の職務に自分の専門分野の能力が駆使されるにせよ、最終的にその職務上の責任は政治的な判断から免れることができない。だからバンクセンチュリー事件が政治の舞台に載せられたとき、スリ・ムリヤニとその仲間たちが駄々をこねたのは不思議としか言いようがない。
問題の処置に対する責任ということがらに至っては、経済のテクニカルな次元を超えてはるかに政治色の強いものになる。ハビビ大統領の業績責任を国民評議会が否定した理由のひとつはバンクバリ事件だった。それどころか配給事業庁事件は、法的に汚職が一度も立証されなかったにもかかわらず、アブドゥラフマン・ワヒッ大統領に悲劇的没落をもたらした。要するに経済財務分野のあらゆる政策や決定は政治的に責任が処理されなければならないということなのだ。公共政策は教場や経済学教授の前で責任を問われる必要がない、ということではなかったろうか?
< ユニークな事件 >
バンクセンチュリー事件はテクノクラートがあまりにも強く権力をふるおうとしたことできわめてユニークな事件だったと言うことができる。第一の失態は、政治権力者と政治的コミュニケーションを一度も取ろうとしなかった財務システム安定委員会の決定に関わっている。それどころか当時閣僚だった副大統領すらその決定を知らされていない。もっとひどいことに、財務システム安定委員会は蔵相が議長で中銀総裁がそのメンバーという構成になっていた。だからそのふたりがメインの標的にされたのも当然だ。銀行界再建庁は汚職のリスクがきわめて高かったにもかかわらず、排他的な決定方法を行なわず、国会と密接に政治コミュニケーションを取っていたために高官職者たちは法の網から免れることができた。
二つ目の失態は、バンクセンチュリー救済措置の決定が国会への相談も政治権力上層部への詳細な報告書もなしに行なわれたこと。同じころにデモクラッ党は潤沢なキャンペーン資金を擁して選挙戦の優位に立っていた。バンクセンチュリーの閉鎖的な処理とデモクラッ党の豊かな選挙資金を並べて見ることで他の政党に疑惑が生まれた。選挙資金の一部はバンクセンチュリーから出ているのではないだろうか?その疑惑はいまだに立証されていないものの、そのような疑惑が国会特別調査委員会結成を促す動機のひとつとなった。
次にスリ・ムリヤニは政治家や実業家の前でアカデミックな優位性をナイーブかつ過剰に示すことをあまりにも頻繁に行なった。博士や教授といったアカデミックなバックグラウンドは信用を押し上げるのには有益だが、相手を威嚇するためのツールではない。スリ・ムリヤニのコミュニケーションスタイルは侮蔑的な響きがあるとこぼす政治家や実業家の声をわたしはよく耳にしている。かれらは自分が頭の悪い人間のように思われていると感じているのだ。それどころか、同じ閣僚の中にさえ、そのようなコメントをした大臣がいる。そのようなことがらはパーソナルなものであり、深層心理に傷を残す。パーソナルな人間関係における嫌悪感がバンクセンチュリー事件の解決をむつかしいものにした。政治家たちはスリ・ムリヤニを会議の中でしばしばほめたが、それは皮肉るのが目的だったにすぎない。頭のよさは常に見せびらかすべきものではない。
三つ目、一貫性は政策の信頼性を支えるのに重要な部分であり、自由裁量を基盤におく公職者にとってもっともむつかしい部分だ。たとえば2008年11月21日付けコンパス紙第一面の写真では、経済状況を分析する20日の会議をユスフ・カラ副大統領が率いている姿が見える。会議のあと財務セクターの高官職者たちは国民に対し、状況は政府のコントロール下にあることを確信させた。その夜財務システム安定委員会は、経済状況が一層悪化していることを考慮してバンクセンチュリー救済措置を決めた。そのふたつのできごとは互いに矛盾しており、国民の論理に受け入れられるものではない。
< 本質の一貫性 >
経済政策も国家財政・行政・法曹面で本質の一貫性を持つことが求められている。しかし救済金額限度を明確に決めなかったことにはじまって、旧オーナー関係者への資金供与にまで至るテクニカルなミスが続き、2009年半ばになって既に供与された救済資金総額が6.7兆ルピアに達したのを知った国会は驚愕した。
バンクセンチュリー事件での一連のテクニカルミスは専門家としての責任を困難なものにした。おまけに会計監査庁の調査では、その救済資金供与は法的根拠がないとしてイリーガルの判定がくだされた。経済学のロジックや種々のアカデミックな斟酌は決定を下すプロセスの中で重要な部分だが、それは単に行なわれる措置が適切かどうかを決める部分でしかない。決定が下されたら、次は秩序立った行政と政治的サポートが役割を果たす番だ。救済の最初から政治サポートが付随していなかったということは、スリ・ムリヤニとその仲間たちはそのことを忘れてしまったのである。
だから会計監査庁がさまざまな法規からの逸脱を発見したとき、すべての誤りが決定者の責に帰せられたのだ。それは政治問題化ということとは異なっている。なぜなら全行政決定が法令と衝突しないことを保証するのが政治家の役目なのだから。
最後にわたしの結論を申し上げておこう。スリ・ムリヤニ・インドラワティを襲ったものは、形を模索している政治環境に対する適応力の不十分だったひとりの専門家の弱さの表れだったということだ。ワシントンの気候は多分かの女にとってもっと優しいものだろう。
ソース: 2010年5月11日付けコンパス
ライター: Iman Sugema ボゴール農大


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『オバマ訪問の意味』

バラック・フセイン・オバマは少年期にインドネシアで暮らす機会を持ったはじめての大統領である。かれが二年ほど前大統領に就任したとき、インドネシアへの関心がそれまでのホワイトハウスリーダーたちよりもっと大きなものになることが期待された。
ジョン・F・ケネディ以来すべてのアメリカ大統領の対インドネシア政策を目にしてきた高齢オブザーバーたるわたしは最初、その点に関するオバマの特異性を疑わなかった。しかし個人的な思いと大統領としての関心はまったくかけ離れたものとなりうる。既に何度も延期され、今回も1〜2日だけという訪問日程のオバマ大統領インドネシア訪問の長期的影響に関して、インドネシア=アメリカ関係における懐疑的な見方には強い理由が存在している。
要約するなら、現代グローバル政治の舞台でインドネシアはアメリカのはるか下に位置しているということだ。国際舞台でインドネシアは大プレーヤどころか中級にすらなっていない。細かく言うなら、もちろんインドネシア自身の利益を追求することが前提であるのだが、アメリカをサポートしあるいはアメリカと対抗するためにインドネシアが持っておりしかも活用できる政治資源は他の諸国にくらべてはるかに少ないということなのである。インドネシアは他のプレーヤたちに容易に見落とされたり押しのけられたりすることをそれは意味している。
< 評価が高騰 >
経済分野は重要なサンプルだ。アメリカが現在抱えている優先課題のひとつは、三年前の銀行クライシスに揺さぶられたあとの国内経済に成長スピードを回復させることだ。フランクに言えば、アジアでは中国だけがアメリカを助けることができる。30年前の共産主義から資本主義への経済政策転換のあと、中国経済は顕著な成長を見せた。だからオバマが昨年、アジア歴訪の第一歩を中国に印したのは容易に理解できる。もしインドネシアの銀行にドルがあふれていたなら、オバマはもっと早くからハリムプルダナクスマ空港の土を踏んだことだろう。
次いで重要なサンプルはアメリカの国家保安を脅かす過激派イスラム運動との間のコンフリクトだ。アメリカがいまイラク・アフガニスタンで戦争しているのは、2001年9月11日のニューヨークとワシントンで起こったアルカエダの攻撃に遡ることができる。あれ以来、アメリカ社会は過激派イスラム集団による大きな脅威を感じ続けている。
オバマのインド訪問は一部その関連で見なければならない。なぜなら数十年にもわたってインドの不倶戴天の敵であるパキスタンの協力がアメリカとアフガニスタンの戦争でたいへん必要とされているためだ。アメリカが舞台裏で仲介者となることによって、パキスタンにとりついているインドに対する強迫観念が徐々に緩和されるようにというのがオバマの希望だ。
自国の利益をはかるというコンセプトの中で、インドネシアはどこまでアメリカをサポートできるのだろうか?これまで、特に2004年以来のスシロ・バンバン・ユドヨノ大統領政権の最初から、両国の協力関係は特に過激派イスラム集団に対して密接に行なわれてきた。テロ行動に関与したジュマアイスラミヤの活動家が多数射殺され、あるいは逮捕され裁かれた。テロリスト網粉砕に成功したムスリムマジョリティ国家としてインドネシアの評価は高騰した。
しかしこの分野の協力には限界がある。インドネシアは世界最大のムスリム国民を擁し、インド・アメリカに次ぐ第三の民主主義国家である。しかし、世界イスラム人口の大半が住んでいる中東・中央アジア・南アジアに影響力を持っているということとそれとはつながりがない。インドネシアはムスリム世界の民主的勢力にとって一種のロールモデルでありお手本であるという多数オブザーバーや高官たちの主張は、それらの国々でまったく鳴り響いていないのだ。イスラム大衆に向けられたオバマの最初のスピーチはジャカルタでなくカイロでなされたのである。エジプトは現在ワシントンが嫌っている酷薄な独裁者の支配下にあるとはいえ、イスラム文明のひとつのセンターとして一般に認められている。
インドネシアの読者よ、もっと落ち着いて、誤解しないように。わたしは、インドネシアやアメリカ大統領の訪問を軽んじるつもりはない。それどころか反対に、インドネシア人がオバマ政権へのアプローチにおいてより冷静且つ敏捷になるよう、その訪問を現実的な枠組みの中に置こうとしているのだ。
オルバ崩壊後インドネシアは完全に、民族国家としてまたウエイトを持つ国際プレーヤとしての将来を決める歴史的なモダン化プロセスに入った。そのプロセスには、民主的な政治機関と国内外市場に親和的な経済機関の設立というふたつの次元が含まれている。
個人的に親近感を持つ大統領の下でアメリカ政府は、たとえば教育・自然環境保護・気候変動・通商・投資などレベルアップされ、あるいは新規に検討されている様々な共同プロジェクトを通して多くの支援を与えることができる。
しかし最大限の成果は、アメリカとその大統領は移り気だということに対するインドネシア人の自覚如何に依存している。それゆえに、インドネシア政府と国民は能動的集中的に状況を見つめ、インドネシアにとっての目的が達成されるようアメリカの政策に働きかけまた方向付けるべく継続的な対応姿勢をとるべきなのである。
ライター: アメリカ合衆国オハイオ州立大学政治学教授 R ウイリアム・リドル
ソース: 2010年11月3日付けコンパス紙"Makna Kunjungan Obama"


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『オバマの無意味な訪問の意味』

本論は2010年11月3日付けコンパス紙に掲載された「オバマ訪問の意味」と題するウイリアム・リドルの議論に向けられたものである。リドルの議論が、バラック・オバマのインドネシア訪問はアメリカにとって無意味だがインドネシアにとって意味がある、という印象を与えているために「無意味な」という言葉をあえて挿入した。ただしインドネシアにとって意味があるのは、「インドネシア政府と国民が能動的集中的に状況を見つめ、インドネシアにとっての目的が達成されるようアメリカの政策に働きかけまた方向付けるべく継続的な対応姿勢をとるならば」という条件付きであり、近い将来アメリカの政策を方向付けるようなことは起こりえないから、オバマの訪問はインドネシアにとっても実際は無意味なものになる。
アメリカにとってのインドネシアの無意味さということを詳細に論じてからリドルは「インドネシアの読者よ、もっと落ち着いて、誤解しないように。」と締め括った。しかし読者の一人としてわたしは、アメリカはインドネシアを意味ある相手と見ていないことを認識してしまった。
< インドネシアを軽んじる >
リドルはインドネシアの国と国民の弱点について教えようとしたが、それはもう周知のことだ。その認識が正しいことをこれから明らかにしていこう。
第一、リドルによれば現代グローバル政治の舞台でインドネシアはアメリカのはるか下に位置している。インドネシアは大プレーヤどころか中級にすらなっていない。アメリカはもちろんグローバル政治の舞台で大プレーヤであることを国際社会は知っている。ましていまの国際政治パターンはふたつの超大国が構成する二極構造でなく、アメリカだけが超大国で世界の警察となっている一極構造の姿をしているのだから。EU、中国、インドなどが将来アメリカの対抗勢力になると見られているものの、それはまだ実現していない。
二国関係において最初から一方は自分を大国視し、相手国を小国扱いするなら、そこから一体なにが期待できるだろうか。国際関係において二国間の良好な関係を作り出す条件のひとつは対等な交渉ポジションだ。アメリカ=インドネシア関係は対等な関係でない。インドネシアにはまったく太刀打ちできないテクノロジー・財政力・知的人材・天然資源・戦略的ポジション・軍事力などアメリカはすべてのものを持っている。互恵的関係が成り立たないおそれは大きい。
第二、リドルはアメリカの課題を「三年前の銀行クライシスに揺さぶられたあとの国内経済に成長スピードを回復させること」と断定した。そしてまた、30年前の共産主義から資本主義への経済政策転換のあと、中国経済は顕著な成長を見せたから、中国だけがアメリカを助けることができる、と論じた。その論からは、インドネシアがアメリカの経済不振を助けることができない、という理解が生じる。つまりインドネシアは存在が軽視されたわけだ。だったら、インドネシアにあるフリーポート・エクソン・カルテックス・モービルオイル・マクドナルド・ケンタッキーフライドチキンそして一連のアメリカ経済エンティティは何の意味を持っているのか?
もしインドネシアの銀行にドルがあふれていたなら、オバマはもっと早くからジャカルタの土を踏んだだろう、と言う。つまりインドネシアは貧しくて、アメリカはたくさんドルを持っている豊かな国だけを訪問するということなのだろう。インドネシアの銀行界が近い将来大量のドルを放出することはありえないので、オバマのインドネシア訪問がまた取り消されるかもしれない。
第三、国家保安を脅かす過激派イスラム運動とアメリカとのコンフリクトに関連して、インドネシアはどこまでアメリカをサポートできるのだろうか?世界最大のムスリム国民を擁するインドネシアは世界イスラム人口の大半が住んでいる中東・中央アジア・南アジアに影響力を持っていない。だからリドルはオバマのスピーチがジャカルタでなくカイロでなされたと言うのだが、その文章はアメリカとイスラム世界の架け橋をつとめる能力すら世界最大のイスラム国民を擁するインドネシアにはない、という印象を与える。その文章には、インドネシアはアメリカにとって意味がない、ということ以外の理解は何も含まれていない。
ところがもしこの問題を熟視するなら、オバマのスピーチ場所選択は自国利益のためにアメリカが行なったものなのである。アメリカがエジプトをその場所に選んだとしても、インドネシアがイスラム世界に受け入れられていないことをそれ自体は示していない。エジプトはアラブ=イスラム諸国の中で最初にイスラエルの存在を認め外交関係を結んだ国であり、他のアラブ諸国イスラム諸国がその足跡に従うようアメリカがエジプトに高い評価を与えるのは当然なのである。
< センシティブな問題 >
二国間の良好な関係を育むほかの条件は、相手国のセンシティブな問題に触れないことだ。ところがリドルが論断したのはすべてインドネシアにとってセンシティブな問題なのである。大半のインドネシア国民はインドネシアが国際政治の舞台における大プレーヤでなく、域内でさえ大プレーヤでないことを自覚している。それは近隣諸国、特にマレーシアの国境におけるインドネシアの主権を尊重しない態度からも明らかだ。かつてスハルト大統領は「わずか一寸の土地でも生命にかけて守らなければならない。それは民族の自己尊重のしるしなのだから」と教えた。いまわれわれは国境の主権維持に力が足りないため、苦渋をなめるはめに陥っている。このインドネシアの能力不足をリドルは、誤解しないようにと言い添えているものの、見下すような雰囲気で指摘している。
大国でありスーパーパワーを持つ国であるアメリカはインドネシアにとって隣国との関係維持のための仲介役・促進役をつとめるべきだ。それは東南アジア地域における平和の維持につながるものだ。ところがその反対にアメリカは、最終的にマラッカ海峡の保安維持に自国の参加を受け入れさせようとして、インドネシアが近隣諸国の間で弱体のままでいるよう放置している印象がある。
経済的能力不足問題も実はインドネシアにとってセンシティブな問題である。インドネシアの銀行がドルを持っていないという表現はインドネシアが貧困国であることを明示するものだ。その言葉は、アメリカとの協議の場で、大統領を含めてインドネシアのあらゆる外交官に対する人格破壊をもたらす。教育・環境保護・気候変動・通商・投資などその協議が何であれ、インドネシアが貧困国に位置付けられたことでインドネシアの交渉力は弱体化してしまう。
インドネシアが1万8千キロの海岸線を持ち、1万7千5百の島々から成り、2億3千5百万の国民人口を擁している大国であっても、貧困であるがゆえにアメリカはインドネシアをひとつの勢力と見なさない。アメリカはドルをたくさん持っている国とだけ関係を結びたいのだ。
国民の大多数がイスラムを信仰しているとはいえ、インドネシアは宗教的に複合国家であり、本当は協力して検討しあえるさまざまな分野がある。ところが実際は、アメリカとの協力は過激派イスラム集団壊滅行動にとどまっている。
過激派イスラムに分類されたイスラム集団の存在に大多数のムスリムは不快を感じている。しかしインドネシア警察の過激派イスラム壊滅方法をアメリカはどうして問題にしようとしないのか?かれらはもはや組織立っておらず、しかも武器すら持っていないというのに、かれらに銃弾を浴びせかけて殺さなければならないのだろうか?過激派イスラム壊滅におけるインドネシアの評価は認められているものの、アメリカはまだ不十分だと考えている。おまけにイスラムを過激派や中道派に分類する行為はイスラム社会から安心感を失わせ、アメリカやその同盟国に入国する際に困難を引き起こしている。
インドネシアは貧しい。しかしインドネシアが直面しているあらゆる複雑な問題に対する感受性をわれわれは持っている。連続して発生している自然災害が上乗せされているいま、銀行界が持っているドルに目をやらないで協力する用意のある国にインドネシアは関心を振り向けるべきではあるまいか。
Mau dibawa kemana hubungan kita kalau engkau selalu menunda-nunda.......(おまえがいつも先延ばしばかりしていれば、われわれの関係はどうなるのだろう・・・・)
最近インドネシアで流行中のヒットソングの歌詞の一部、オバマ訪問に実にぴったりではないだろうか。
ライター: ガジャマダ大学社会政治学部および博士課程教官 シティ・ムティア・スティアワティ
ソース: 2010年11月9日付けコンパス紙"Makna Kunjungan Tak Bermakna Obama"


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『輸入映画悶着の裏側』

数週間前、インドネシアの映画館からハリウッド映画をすべて引き上げるとの突然の表明にわれわれは驚かされた。米国映画協会はインドネシア政府が輸入映画に対する課税を27パーセントに引き上げたことに強い難色を示したのだ。その結果、諸方面、中でも消費者、が政府の方針に反対を表明したことから、政府はその釈明に大わらわとなった。
輸入映画への課税は国産映画制作をバックアップするものだという政府の論議に従って、国内映画産業関係者の中には映画館からハリウッド映画が姿を消せば国内映画人たちは国産映画の勢いをもっと強める機会を得ることができると考えるひとたちも出現したが、本当にそれほど簡単に実現するようなものなのだろうか?
< 論理の飛躍 >
輸入映画への課税が自動的に国産映画に対する政府の支援になるというロジックがどこから来たのか、それに関する明白で詳細な説明は一度も出されていない。ブディ・イラワントが2004年に著した映画産業の抱える問題配置図を見ると、国内映画人が心から待ち望んでいる政府の支援は映画学院設立、映画処理技術への投資、国産映画の維持保存への投資、といったものである。
ここでは、スローガンは現実行動よりも司令官になりがちだ。映画はインドネシアのクリエーティブ産業セクターに組み入れられているものの、実際に映画人たちはスポンサー探しを含めて映画制作プロセスの一切合切を、政府の支援などなにひとつなく自分の力でやりとげなければならない現実を嘆いている。あるとすれば、それは往々にして映画制作者側を損なうことのほうが多い映画検閲機関くらいなものだろう。映画検閲の代替案としての映画区分に関する話題は数多くの意見が述べられているというのに。インフラを構築する役割を政府が果たしていないのなら、畏敬されるにふさわしいクリエーテイブ産業をどうやって構築しようと言うのだろうか?
米国映画協会の威嚇に対して、われわれは純粋な姿勢でそれを分析する必要がある。米国映画協会がインドネシアに圧力をかけたのはこれがはじめてではない。スカルノ時代に米国映画協会のインドネシア事務所が閉鎖されたことに関連しての抗議に触れなくとも十分だろう。それは20年も前のできごとだ。
あたかもインドネシアの民族文化を保護しようとする姿勢を示したオルバ体制下には、国内で流通させる外国映画、特にアメリカ映画、のタイトル数制限政策が出現した。1990年代はじめ、輸出攻勢をかけていた米国映画協会はその政策に反抗し、その政策の緩和、更には政策撤廃を要求した。政府がその要求を拒否すると米国映画協会は逆にインドネシア政府を威嚇した。インドネシアからアメリカへの繊維と合板の輸出ルートを閉鎖して報復すると言う。インドネシア政府は結局折れてでて、ハリウッド映画の流入はますます盛んになった。
アメリカ映画産業研究者ジャネット・ワスコは2003年のHow Hollywood Works という著作の中で、ハリウッド映画の世界各地への進出は20世紀はじめから起こった、と書いている。ハリウッド映画の優位は歴史・経済・政治・文化の諸要素が一度に合体したことによる。忘れてならないのは、かの女も指摘しているように、アメリカの娯楽産業が輸出稼ぎ頭のナンバー2であるということだ。国外でのアメリカ映画の販売は年を追ってその比重を高めている。それゆえに、国がどこであれ、ハリウッド映画の国内映画市場への制限に対してアメリカは米国映画協会のネットワークを通じ、あらゆる手を尽くして反対するのが当然だということが理解できる。それがカナダ・フランス・韓国・タイ・インドや他の多くの国で起こったできごとだ。制限なし・統制なし・利益が流れ込むことが最重要、という純粋な商業ロジックがそれだ。
< インドネシアの側 >
輸入映画の課税を引き上げたインドネシア政府の行動はふたつの側面から見ることができる。ひとつは、輸入映画セクターに課したターゲットがかなり重いことで、それは多分国税収入目標に関係しているせいだろうということ。しかしここにも疑問が生じる。輸入映画に対する課税が27パーセントというのは妥当なものなのだろうか?その数字はどこから出てきたものなのか?政府のより詳細な説明が求められるところだ。
もうひとつは、その課税が映画市場の保護を可能にするものであり、世界貿易機構の規定の中で認められていることがらである、という政府の議論だ。その意味においては、政府の意向は国内の映画市場を保護するという高貴なものだと言える。
しかしその反面、これが映画産業を進歩独立したクリエーティブインダストリーに発展させるためのシステマチックな計画を伴わないステップであることを思えば、これはスマートな戦略なのかという疑問が湧く。ハリウッド映画がインドネシアの銀幕から撤退すれば、インドネシア映画人により大きなチャンスが転がり込むというのは本当なのだろうか?いや、そうとは限らない。
金をかけず、二束三文のテクノロジー、セクシーな俳優たちが起用されて幽霊話を盛り込んだり、ドタバタコメディを注ぎ足したりしたストーリーのあいまいなシナリオというような、インドネシアの映画制作における数多くの問題を見てみるがよい。この種の映画がインドネシア映画界のご主人様となるのだろうか?残念ながら、わたし自身そんなことになるのを望まない。
ブディ・イラワンの著述に戻ろう。インドネシアの映画制作プロセスの全ステップにわたって問題が秘められている。映画法規にはじまり、創造性と検閲問題、映画配給問題、映画資源や映画鑑賞そして映画の記録保存に至るまで。つまり映画産業の抱える問題配置は古くから述べられてきたのだが、そこで指摘されている諸方面は宿題を行っているのだろうか?本当はそれが問題の核心なのだ。
インドネシアは巨大なアメリカ映画市場であると見られていることから、ハリウッド映画が本当にインドネシア市場から撤退するとは、わたし自身もありえない話だと思う。とはいえ、われわれ自身も消費者として十分な主権者になっているのだろうか?同様に、映画制作者として十分な主権者になっているだろうか?
つまりこれは暫定的な駆け引きに過ぎず、その先にインドネシア政府と米国映画協会の双方で、新たな交渉をはじめるための合意が出現するだろうとわたしは考える。これはナショナリズムの問題でなく、より正確には商売人と不労所得者の間のことがらなのである。商売人は売りまくりたい。不労所得者は金をたくさん徴収したい。それだけのことだ。
ライター: 文化産業問題オブザーバー、ジャカルタ青年学生研究機関所属、イグナチウス・ハリヤント
ソース: 2011年2月26日付けコンパス紙"Di Balik Kisruh Film Impor"