[ 性は売り物 ]


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『ジャカルタの少女売春』

ジャカルタのABG(未成年者)層の売春は昔からある。気がかりなことではあるが、下の二つの意見に従うなら、その原因をなしているさまざまな背景のゆえに、単純に白黒を言うのはむつかしい。だからといって無関心ではいられない。これは深刻な問題なのだ。


[ コンシューマリズムの大きな影響 ]
Apong Herlina = 児童保護機関勤務

ジャカルタでのABGたちによる売春は、もう昔から続いています。1995年に行われた調査は、売春に関わっている少女たちはたいてい高校生の年代で、相手は「おじさま」族であることを物語っています。
その背景はさまざまであるにせよ、経済問題がトップに上がっています。テレビの宣伝の中に見られるコンシューマリズム文化の影響を強く受けており、宣伝の中に映し出されているきらめく華麗な生活を親が満たしてくれないためにABGたちは別の方法を取るのです。
哀しむべきことに、最近では中学生年代の少女たちまでが関わりはじめており、その子たちの動機もほぼ同じで、コンシューマリズムに動かされています。少女たちはおじさま族を狙います。最初は単に靴やシャツのショッピングにモールなどへ誘われてついていくのです。言ってみれば、環境がその子たちをそう仕向けているのです。お金はないけれど良い格好をしたいということのために。
女性は外見を重視する傾向にある、というのは本当です。ところが、外見のための費用は高くつくので、しばしば夫婦喧嘩のもとになったりします。すべての女性がそのような価値観を持っているわけでもありませんが、見解の相違の問題なのでしょう。

最近のジャカルタのABGはトレンディな格好をし、みんなきれいです。週に2回も3回もモールへ行き、高価なレストランで食事します。それは高額の予算を必要とする消費志向のライフスタイルですが、親には満たすことができません。コンシューマリズム文化はABGだけを襲うのではありません。親も子供も同じです。そして、子供は「あのテレビみたいなキャンディ」を親にねだるのです。
今、わたしたちは、テレビの宣伝が倫理に沿っているかどうかについて注意を向けなければなりません。そこには規準が必要なのです。なぜなら、わたしたちの社会はまだまだ合理的でなく、思考もまだ論理的でなく、容易に欲望に駆られるのが普通だからです。ABGがコンシューマリズム文化に襲われれば、その消費者(ABGを買う男たち)もその状況を利用します。
いやABGだけではありません。今では夫婦の中にさえそんな方法で逸脱する者が増えています。収入が少なく感じられるために、サイドジョブで補おうとして妻がふたつの役割を演じる傾向が生まれています。

ABG売春は圧制か、という問いに対しては、どちらとも答えられません。搾取がなされたなら明らかにそれは圧制ですが、組織的売春もあれば、モールなどで行われている、そうでないものもあるのです。売り手と買い手が合意し、一方が金を払って他方がサービスし、合意が守られる限りは、倫理上の問題は別にしてそれを圧制と呼ぶのは困難です。
事実上、売春施設があり、上納金や部屋代を取るやくざ者がいます。売春婦が受け取る金がはるかに小額のものであるなら、それは搾取なのです。被害者は居所をあてがわれたりしているために、そんな搾取に対しては無力です。売春婦が強姦されるということも、なんら奇妙なことではありません。警察はそのような問題を知らないのです。

インドネシアでは、女性に対する法制度が大まかにしか規定されていません。ましてや刑法典には、夫が妻を強姦しても罰を受けないと解釈しうる条項すらあるのです。ジャカルタの法執行者も従来から一貫性を示していません。時おりABGの検問手入れを行いますが、ふだんは緩めたままです。
親の役割は重要なのに、親たちが行っているのは競争です。父も母もキャリアーの競争をしていますが、子供に対してどちらが責任を持つのかはっきりしていません。父は夜帰宅し、母はもっと遅い。子供には夜出歩くチャンスがたっぷりあります。今の時代は、思春期の子供を持つのはややこしく骨の折れることです。ABG売春ばかりか、違法薬物の問題もあるのですから。そのふたつの問題の距離は決して遠くなく、要点は親の子供に対するコミットメントに再び戻ってくるのです。
アメリカの親は合理的で、セックスはオープンに話し合うため、子供たちには備えが形成されていきます。子供がキャンプに行くとき、母親は避妊ピルやコンドームを忘れないで持って行きなさい、と言うのです。
インドネシアで、わたしたちは勿論そこまで極端になれませんが、重要なのは小さい頃から子供をオームにするのではなく、価値観を植え付けるというこのなのです。つまりコミュニケーションを大切にするということなのです。

少女売春を撲滅すべきかどうか、というのはジレンマのある問題です。組織的に行われているところでは、多くの人間がそれに養われています。撲滅すれば、大勢が生計手段を失います。かつてバン・アリが売春施設からの税を資金にしてジャカルタ建設を行ったことは決して奇妙なことではありません。


[ 偽善者的わが社会 ]
Drajat S Soemitro = 社会心理学者

Q 売春隆盛の現象をあなたはどう見る?
A 一般的にかの女らは経済貧窮階層の出身で、またその多くが10歳から13歳の時期に性的暴行を受けている。強姦、大人による性的ないたずら、時には自分の親によって。
他にも、めくるめく、贅沢な、容易に手に入る現世的快楽の誘惑がある。かの女たちはそれが快楽であり、同時に金を手に入れるためのものと見ている。あるいは、自由を、本当に自分の欲求のみに従って決まりや時間に束縛されずに働くことを望む人々も売春をする。これは世界最古の職業なのだ。

Q 人類発生以来、ということだそうだが。。。。。
A へえー。しかし、この職業はとても矛盾している。社会はそれを必要としていながら批難する。なんでABGか?売春問題は社会における需要の問題だから、それを用意する人間が出てくる。最近は大勢が性的能力に不安を感じているから、ABGがより必要とされているようだ。昔、ビクトリア王朝期はセックスがタブーにされたから、のぞき趣味やら女装趣味やらといった逸脱が出現した。つまりタブーが病的なものを生んだのだ。
ところが、現代工業社会にタブーはなくなった。人は自由にセックスについて話す。性的行為に対する障害もない。ただ、性的不能、異性への興味減退、同性への欲求、充足を求めて関係にバラエティを持たせるといった問題はある。

Q ではABGは性的能力を確かめるために使われている、ということ?
A コンシューマーはABGを劣等なものと見下すことで自分の優位を感じる。そのような需要があるために、大勢のABGが売春にリクルートされている。

Q それは逸脱行為?
A 社会の規範に反していれば、社会は逸脱と見なす。

Q じゃあ、逸脱に含められる。
A 違うとも言える。たとえば、売春はバリエーションを求める人、自尊心の高い人、運転手、セールスマン、エグゼキュティブなど仕事でよく旅をする人たちの需要を満たす。かの女ら自身は異常さや問題を抱えているわけではないが、社会からは圧力を受けている。

Q じゃあ、その逸脱行為は、社会がどう評価するか次第?
A 違う。売春婦が社会の見解をどう評価するか次第だ。自分が社会から烙印を押されたと思うかどうかだ。西洋では、これはひとつの職業と見なされている。セックスワーカーは他の仕事と同じように労働力を売っている。われわれは、国がきわめて・・・・どう言うのか、たとえばサウジアラビアのようなら、これは逸脱行為であると言うことができる。
ところが、われわれの社会では、受容されている規範のスタンダードと現実のセックス行動の間に広い距離がある。モラルに関して素晴らしい話しをするが、現実にはホモセックス、オーラルセックス、アナルセックス、マスターベーション、オナニー等々、異常なセックス行動がいっぱいだ。われわれは勿論、偽善的姿勢をはぐくんでいる。

Q その偽善は売春に何をもたらすのか?
A 売春婦だけでなく、それを買う者にとってもだが、それが規範に背く行為であることをみんな知っていながら、それでも行っている。その結果、かれらは自己コンフリクト状態に置かれる。

Q そのコンフリクトの結果は?
A 罪の意識だ。常にコンフリクト状態に置かれれば、人は神経を病むだろう。

Q もし売春婦に異常なところがないなら、人はだれでも売春婦になれる?
A もちろんちがう。本人の持つ価値観次第だ。ただ、生理的重要度が損なわれる状況下では、モラル上の決まりは二の次にされる。人は売春婦にも、強盗にも、何にでもなれる。しかし売春婦になるのは貧困で腹をすかしている者ばかりではない。われわれよりもっと良い車を持っているのもいる。

Q 法執行者の手入れのターゲットに頻繁にされているのは、法の眼から見て罪があるということ?
A 法的に罪があるのは、かの女らを働かせている元締めだ。捕まれば、元締めが罰せられることになっていると思う。しかし、その手入れもさっき言った偽善だ。撲滅したいが、同時に税もたくさん取り立てたい。

Q その職業は放置しても大丈夫?
A ああ、多分管理したり、育成したりして・・・・。

Q 西洋みたいに正式の職業に位置付ける?
A (笑い)ここじゃ、まだ無理だ。

Q かの女たちはその仕事から離れるだろうか?
A ああ、歳をとりゃ止めるよ。

Q 若いうちはやめない?
A 可能性はある、かの女たちをひきつける仕事があるのなら。今の仕事が気に入っている者や他に転職するのが困難な者もいる。ましてや、生きるためにその方法しか知らない者にとっては。

Q かの女らのターゲットはどうしてジャカルタ?
A ジャカルタは大都市で、工業都市で、性的能力に不安を感じている人が大勢いる。それで、毛を長く伸ばしたり、ヴァギナを手術するご婦人など、みんなさまざまだ。
ソース : 1999年5月4日付けワルタ・コタ


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『女、そしてセックス・コモディティ』

婦女売買という言葉の意味は明白だ。性的側面を利用するために婦女を売買するという意味である。売買されるのだから、婦女は商品だ。わたしたちにはまったくなじまない商品ではあるが、あらゆる商品と同じように需給法則に従う。市場メカニズムがよくわからないのは、それが法的に禁じられ、闇に包まれたブラック・エコノミー活動に関連しているからで、だから「年間のセックスワーカーの需要はどのくらいか?」などといった質問が出ることに対して奇異の念を禁じえない。

そんな質問が出されるのは倫理的に不適切であるとはいえ、世の中の現実では若い女性が特定の金額で売買されており、需要と供給のバランスが形成する市場メカニズムが存在していることを示している。需給の二つの側面は常に関連し、また相互に規定し合っており、それゆえこの禁じられた商行為撲滅にあたっては、戦術的にも戦略的にもそのふたつの側面に沿って並立的に進められるべきものである。つまり供給ルートの撲滅と需要ネットワークの撲滅だ。どちらか一方だけをターゲットにしても、成功の可能性は薄い。


1996年に出されたCommercial Sexual Exploitation of Childrenという国際報告書は、供給サイドの発生を学ぶ手引きになる。そこに記されている発生要素は、経済状況、家族の生計補助、都市集中化現象、求職面での男女比不均衡、消費志向への誘惑、家族内部での価値観の低落、家庭崩壊、教育レベルの低さ、技能の未熟さなどだ。
その報告書にある需要サイドの要素としては、セックス産業を組織化する犯罪組織の存在、売春を取り扱う公職者の汚職、セックス観光の増加などが上がっている。

若い女性がどうしてセックス商品に成り下がっていくのか、大きく見てふたつの要因があるとわたしは思う。ひとつは本人の意思、もうひとつは自分以外の者からの強制だ。
第一グループに入るものとして、経済圧力がある。若い女性をセックスワーカーに仕向ける最大の理由がこれだ。フェニ―の暮らしはその例のひとつだろう。年齢はやっと15歳。ソロで中級以上の客を対象に身を売るようになって一年ほど経つが、ベッドの技についてはかなりの経験を持っている。中部ジャワ州ウンガラン生まれのこの少女は、中学1年までの教育しか受けていない。これ以外の職業なんて考えもつかない、と本人は語っている。(ガトラ 2001年5月号より)
地元の民間団体が1990年から2000年までに集めたデータに加えてさまざまな調査結果を分析したILOは、フェニ―のような未成年少女を供給する県がある、と報告している。西ジャワ州はインドラマユ、スカブミ、カラワン、中部ジャワ州はジュパラ、パティ、プカロガン、東部ジャワ州はジュンベル、バニュワンギ、サンパン。ジャワ島外では北スマトラのビンジャイとべラワン、西スマトラはパリアマン、東南スラウェシではクンダリなどだ。

本人の意思というグループに属すものに、違法薬剤等の中毒になってセックスワーカーを仕事に選んだ者がいる。中毒者の需要を満たす、つまり麻薬などを買う金ほしさに自分を売る女は少なくない。この自主的な動機を持つグループには、セックス異常者がそれから逃れようとして身を売るといったように、明らかにセックスを純粋に求める者もいるが、その数は決して多くない。少女たちの間に、快楽を得ることを目的にして身を売る者が増加しているようだが、それに関するインドネシアのデータは残念ながらまだない。このカテゴリーについては、日本の中高生少女たちのエンジョコーサイというのが有名だ。その言葉が意味するのは、自分の好みに応じて選んだ男へのセックスサービスを通じて金品の報酬の形で快楽を求めるというもので、Sex in Asiaレポートを最初に報道したタイム誌2001年3月19日号には、実に興味深い語句が掲げられた。"GIRLS JUST WANNA HAVE FUN"
その記事には、一千人の女性の中で2〜4人のセックスパートナーを持つのは香港32%、韓国39%、タイ32%、フィリピン32%、シンガポール35%というデータが上げられている。インドネシアは推定数値すらまだないが、現代の東南アジアの一部エリアで若い女性の性生活が許容度を増す一方であることをそれは反映しているはずだ。それらのデータが事実であるなら、コンシューマリズムの勢いに押されてセックスが束の間の快楽追求の道具にされていることを奇とするにはあたらない。

他人のゆえに自分を売る第二のグループは、まず家族に強制されて売春する者、更には家族がその娘を売るというのすらある。その例としてかなり知られているのは南洋商報の元通信員ワン・インさんの経歴で、かの女は12歳のときに父親に5千元で売られたのだ。その体験は自伝The Child Brideにつまびらかにされている。
インドネシアでは、親たちが罪の意識もなく娘たちを村はずれの売春所に連れて行く。かれらの売春に対する見方は、金になる良い仕事、というナイーブなものだ。(ガトラ 2001年5月号より)
次に、バタムのMやジャカルタ・バリのHなどといった元締めが組織するシンジケート、あるいは最近北ジャカルタ市警察プンジャリガン署が摘発に成功した少女売買シンジケートなどによって無理強いされるものがある。その摘発された事件では、三人の容疑者が主犯として逮捕され、セックス商品にされていた17人の女性被害者も同時に解放された。被害者のほとんどは二十歳未満であり、プカロガン、チアンジュール、ボゴール、ランカスビトゥン、チレボン、チレゴン、スカブミなど出身地は多岐にわたっていた。


供給側の要素だけを見ても、セックスワーカー婦女の売買を撲滅するのがどれほど困難なものか想像できる。おまけに、国境をまたぐ婦女売買は近年、さまざまな仮面の下に一層盛んに行われているのだ。
婦女売買者が国境を越えて女を送り込む最大の目的地のひとつがサクラの国だ。毎年数万人の婦人や少女が不法に日本に密入国させられ、日本のGNPの1%、4億ドル市場と女性活動家たちが推定するセックス産業の中で働かされている。(テンポ 2001年5月13日号より)


アジア・パシフィック地域で国連が1994年に行った紅灯界に関する調査結果を見ると、女性セックスワーカーがもっとも多い国はタイの280万人で、次いでインドの230万人となっているが、インドネシアについては国内のセックスワーカーが65,582人おり、またセックスをサイドジョブにしている者は50万人にのぼるという推定まで示されている。インドネシアのセックス市場の豊かさは12.7〜36億ドルと見込まれており、それは1995年度政府会計予算の4〜11%に該当している。
そんな市場規模を見れば、婦女売買需要の高騰は大人に対する慰安環境の充実と所得の繁栄が影響を与えていることを否定しきれない。セックス事業経営に与えられる自由をそれらの要因に加えれば、その地に向かって婦女売買が増加していくのは疑いもないことだ。国内で言うなら都市部、国で言うなら、その例のひとつは日本だろう。セックス産業の繁茂は日本政府が与えるダブルスタンダードに支えられている。1958年以来の売春禁止法で日本政府はあらゆる形態の売春を禁じているが、セックス産業は娯楽ビジネスに関する法令の庇護の下に、日々安穏な事業を行っているのが実態だ。


このことだけについては、わたしたちは日本を見習わないようにしたいものだ。国内や海外で生計の糧を求める、技能や教育レベルの低い女性たちの悲しい物語りはあまりにも多い。かの女たちの一部は奴隷にされている。奴隷とされたという事実だけでも、法の執行者が婦女売買者にもっと厳しい措置を取らせるに十二分の理由とされて良いのではないだろうか。
ソース : 2001年10月1日付けコンパス
ライター: Tb Ronny Rahman Nitibaskara  インドネシア大学犯罪学


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『悪くないマルピは負けちゃ駄目』

「おじさん、買ってよ。ねえ、おじさんったら、・・・・・。買ってよ。」
東ジャカルタ市のとある公園でテボトルを売っている同年代の一群の少女たちの間から、13〜14歳くらいのその娘は駆け出してきた。徐行している一台の車に走り寄って行く。少し向こうで車は停まり、車の窓が開く。20分くらいしてから、ケケケケ・・・・という嬌声が聞こえてきた。運転者の手がさっきの娘の上半身を撫ではじめたのが、街灯の薄明かりの下でおぼろに見えた。
公園に接する道路際で、車やバイクがテボトルを買いに立ち寄るのを待ちながら、一群の少女たちはふざけあっている。少女たちの年齢は13〜18歳で、厚化粧をし、中には身体を官能的に見せる服を着ている者もいる。ときに道路を走る車が轟音を立てると、娘たちの笑い声がそれに応える。公園の中では、おぼろな明かりの下でカップルが忘我の境に入っている。それが、その周辺一帯での見慣れた夜の光景だ。
「手入れがあるのがわかれば避難するの。安全になったらまた出てくわ。」
夜を路上で過ごすようになってもうすぐ一年になるサンティはそう話す。サンティは明るい肌と魅力的な顔立ちを持っている。身体つきは小造りだが、特有の部分部分は13歳なりの成熟度を示している。一年前、この娘はジャカルタで働くために、ジャティバランのある村からともだちに誘われてやってきた。

「仕事を探してやるってともだちに誘われてジャカルタに来たの。あたしが出てったらカンプンの暮らしが少しは楽になるだろうと思って、家族は賛成したわ。ジャカルタで何の仕事をするのか知らなかったけど、いまはこんなことやってる。こんな仕事・・・・・・。」17歳のユユンは言葉を途切らせた。この娘は道端でテボトルを売ってもう三年になる。バンドゥンワンギの会で子供たちに接しているアンナ・スリカは、ユユンは客たちのセックスの相手をだいぶ前からしている、と語る。


金曜土曜の二日間、バンドゥンワンギの会財団がジャカルタで公演を行った音楽劇「ピンクのマルピ」は7月23日の世界子供デーを記念しての活動だった。この劇はサンティやユユンのような数百人の少女たちの生活を描いたものだ。エイズや伝染性性病の危険にさらされながら働いている婦人や少女の生殖機能の健康保護とそんな女性たちに対する活性化の分野で非営利団体として活動しているバンドゥンワンギは、およそ百五十人のそんな少女たちに接しながらその子たちの暮らしを見守っている。バンドゥンワンギとは、援助、サポート、友情、相互保護の言葉を縮めたもので、1995年に発足し1999年に法人となった。設立者はヌルシャハバニ・カチャスンカナ、ナフシア・ンボイ、キンディ・マリナ・ルビスなど人権・女性・子供運動の活動家たちであり、リスクに満ちたそんな仕事に就いていた経験者たちが組織されて日常の活動を推進している。
バンドゥンワンギはまた、社会衛生学、社会学、心理学、医学、経済から社会福祉に至るまで、また病院、医療クリニック、健康保全に関連する諸組織、人権・女性・子供の保護団体に至るまで、各界専門家との間に幅広いネットワークを持っている。そのドラマを演じた13〜18歳の子供たちは、生殖面での健康を損なうばかりか、若者、そして大人としてのトータルな発展すら損なう危険をはらんだ仕事に就いている本人たちなのだ。この少女たちにとって夜は親しいものになっている。抱えているリスクは、かの女たちの厳しく無惨な人生に耐える方法の中の一部と化している。

「ピンクのマルピ」は単純なストーリーだが、子供たちの心身を破壊する結末に至る複雑な問題をはらんでいる。だから、この公演をドラマトゥルギーの面からのみ見てもだめなのだ。この音楽劇は、押し殺してきた子供たちの声、中でもマルピのような不運な子供たちの声を響き渡らせるための場としての視点で見るべきものなのだ。
これは、都市で働く誘惑に欺かれた、貧しい村のひとりの少女の物語りだ。都市に来たマルピはまるで品物のように扱われた。売春元締めはこの娘の処女を客に三百万ルピアで売った。マルピは最終的に、路上に投げ出される。わが身をどうやって守ればよいのかわからないまま、マルピはエイズに冒されてしまう。差別的な医者のさげすみと世間のシニカルな姿勢はマルピを窮地へと追い込み、破滅に向かわせた。マルピの人生はエイズビールスが終わらせたのではない。この娘は毒をあおったのだ。ところが、この世での問題解決の方法が誤っていたとされたために、マルピの魂は天上に迎え入れてもらえず、生前自分がしていたような仕事をしている子供たちを守るという務めを与えられ、目に見えない天女の姿で地上に戻される。いくら少女たちがふざけあい、笑い声を立てていても、本当の人生の舞台はそれほど暗いものなのだ。天女はおとぎ話の世界にしかいない。少女たちをあやつるこのビジネスに関わっている大人たちは、若さと喜びを奪うばかりか、少女たちの欲求にさえ偽りを与える。保護され、愛されたいという子供たちの欲求に向かって。


「一本売ると千ルピアもらえるのよ。」しばらく前に出会った、道端でテボトルを売るサルミはそう言った。
「4千ルピアはマミーに渡すの。」マミーとはこの世界で元締めをさす。サルミは毎月小遣い5万ルピアと毎日の食費3千5百ルピアをもらう。寝泊りし、休息を取る場所は、マミーが良い人だから家賃を払わないでいい、とありがたがるサルミは、それが自分に対して向けられた拘束の手段であることを知らない。
「自分を誘いたい男が来ると、マミーに知らせなきゃいけないんです。その子たちの料金はだいたい10〜15万ルピアで、取引きは客とマミーが直接行います。客のセックスのお相手をした子供たちは、客からチップを得るだけなんです。」とアンナは説明する。
そんな少女たちに対する需要はなかなか高い。売春をさせられている少女の実態をクスマ・ブアナ財団で調査しているジェレミアス・ウトゥンは、その需要は強精や若さ維持の神話に関係していると語る。「ほかにも、子供はまだあまり汚れていない、病気の移る可能性が小さい、などということを客は信じているが、かれらは自分こそが子供たちにそんな病気を移していることを考えようともしない。」とジェレミアスは、常に不足を感じ、他人をスケープゴートにしたがる一部の人間の存在する事実を訴えようとする。かれらの牙は、社会構造の中で自分より弱い立場にいる者に常に向けられる。
この需要の高さは少女の処女性に対する需要の高さに示されている。ジャワ島北岸部のある町の周辺にある、セックスワーカー供給地として知られている村々には、どの親を口説けば娘を差し出してくるかを探るスパイ活動が行われている。

「この道端の仕事は客へのセックスサービスを与える職業への入口です。」ヌル・アジザ、バンドゥンワンギの会会長はそう語る。しかし、子供たちひとりひとりが客と性交渉をもったかどうかを知るのは難しい。真似をするのは容易だが、少女たちのだれもが客にセックスサービスを提供しようとしているわけではないからだ。
「それがもう普通になっている子でも、わたしたちと何度も会っているのに『そんなことはしていない。』とたいてい否定するのです。歩くことすら困難になり、わたしたちに助けを求めるようになってはじめて正直に打ち明ける子もいます。」と言うヌルに、アンナもつけ加える。「この前は、前と後ろに出血している子が来ました。病院へ連れて行って治療してやりましたがそのうちに来なくなり、探したけれどどこかへ移ったらしく、見つけることができませんでした。」

少女たちは生殖器官がまだ弱いため、エイズをはじめとするさまざまな性病にかかりやすいことを、活動者やボランティアたちは良く知っている。しかし、そんなリスクを抱えて仕事をしている少女たちがどのくらいいるのかはよくわかっていない。とはいえ、小学校中退者約8百万人、中学校卒業失格者6百50万人という数字をさまざまなデータが示しているが、その数の大半は女子なのだ。
世の中の一部の人間を利しようとする経済政策の結果、混迷を深める経済社会状況に加えて、さまざまなマスメディアに登場する広告宣伝攻勢がもたらすコンシューマリズムの誘惑は、大勢の子供たちをこの危険な活動に引きずり込む推進力になっている、と諸方面は確信している。
売春の現実を隠そうとするベクトルが働いているのはエイズ蔓延との関連付けのせいであり、バンドゥンワンギは1987年4月から2001年5月までの間に、1,454件のHIVと502件のエイズ罹患者を累計で記録している。そのうち120件は18歳未満の少女であり、その一部はコマーシャルセックスビジネスの網にかかった者であることは疑いもない。セックスワーカーは客からビールスをもらい、別の客にそのビールスを移していく。
客のマッピングは、残念ながらはなはだ難しい。常にセックスワーカーが悪者視される文化と倫理上の価値は、客がだれかという話しをいつもタブーにする。しかしその客こそ、その次に死のビールスを恋人や妻を含む大勢の人々に移す高い可能性を持っているのだ。
大人のセックスワーカーと同じように、少女たちも病気以外のリスクにさらされている。恋人やひも、治安維持職員や「そんな不良少年少女を撲滅する」ために機能しているすべてのシステムがもたらすリスクだ。そして売春元締めは、大人のセックスワーカーが受ける搾取よりはるかに大きなものをあからさまに子供たちに向ける。
「少女たちははるかに扱いやすいので、すぐに騙されてしまいます。恐怖心は強く、反抗する勇気もほとんどありません。」と語るアンナ。ところが、その次にあるのは、このビジネスを行っている者に対する沈黙なのだ。匿名を希望する元セックスワーカーのひとりは「売春の元締めや売春客に対する手入れなんていったいどこにあるの?」と述べている。おまけに治安維持職員は法の名のもとに、まるで犯罪者を捕らえるような非人間的な捜査逮捕を行っているが、少女たちの何人かはかれらと性交渉を持ったことを告白している。
「悪徳治安維持職員と見られるひもが行った暴力行為のケースをいくつか扱っていますが、金と心をさらい尽くすこと以外にも、少女たちはメンスのときですらひもの性欲を満たしてやらねばならないために、そんな暴力は肉体的と性的の両面を含んでいるのです。」とアンナの言葉は続く。


この少女たちをそれ以上踏みつけにしないどんなシステムがあるというのか?以前は手入れで捕まった少女たちを東ジャカルタのチパユンやパサルボで請け出す事ができた。そのためには少年保護委員会と少年愛護フォーラムのリコメンデーションさえあれば良かった。ところが今は、子供たちはそのまま郡役所へ連れて行かれ、チャクンで裁判される。請け出すにあたって、ひとりにつき35,600ルピアの費用がかかる。最近10人の子供が捕まったので、子供たちを帰宅させるために35万6千ルピア用意しなければならなかった、とアンナは話してくれた。
わたしたちの心の目が盲いていないなら、日々ありありと目にすることのできるドラマがそれだ。公演実行委員長キンディ・マリナの言葉を借りるなら、「ピンクのマルピは、わたしたちみんなの現実世界、哀しく暗い世界についての物語り」なのだ。
ソース : 2001年7月23日付けコンパス


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『少女売買シンジケートの活動』

主婦ニョニャ・スリスティアワティが自分の娘ふたりを含む6人の少女を売買した事件が2001年11月に摘発されたが、それは氷山の一角に過ぎない。その種のことはあふれるほど起こっているが、官憲の目に触れていないだけだ。フォード財団の協力下にガジャマダ大学で催された調査研究を筆者は最近終えたところだ。

調査研究が示しているのは、少女売春シンジケートにリクルートされた者たちの大半は、仕事がもらえるとの言葉に騙されてのものだった。他には脅かされてといった強制、借金のかた、身近な人間や養育責任を負う者(義母や実の親)の手引きなどでリクルートされている。リクルートを行うのは売春婦、恋人、売春元締め、出稼ぎ先で知り合った者、出稼ぎ先で困っている被害者に救いの手を差し伸べた者などであり、売春婦がターゲットにするのは従姉妹や姪など親族関係にある者たちだ。ときには恋人ですら自分のかの女を売春元締めに売る。そうなると被害者は、自分はもう処女でないために自分の人生には意味がないと感じて、恋人の要求に従ってしまう。


[ 発生要因 ]
少女売春の隆盛をもたらしている要因はさまざまだ。
まず消費者(少女を買う男)が抱いている、子供と交わると強精になる、若さが保てる、好運を呼ぶ、などといった迷信の存在がある。
つぎに、子供はまだ性病で汚れていないし、あまり「使い古され」ていないので、消費者の嗜好を増進させるという見解が存在している。
それらはどちらも子供との性交を好むぺドファイル的見方だ。
三つ目に、親はときとして子供を大きな利益を招く資産と見なし、とりわけその処女性に高い値がつけられることから、実の親が平気で自分の娘を売る。
四番目は、性に関する価値観の中で処女性にあまりにも重い価値を持たせているために、処女でなくなった者から自分の身の振り方を決める機会を奪っていること。恋人に強制されて婦女売買シンジケートの手に落ちたふたりの回答者のケースがその実例だ。
五つ目として、借金のかた。ときに親が、金貸しをしている売春元締めから高利の借金をする。返済期限が来て借金が返せないと、金貸しは「娘をうちで働かせろ。」と要求する。その仕事は、実は男の性欲への奉仕なのだ。その仕事場が遠いところであったりすれば、その旅費までが借金に組み込まれて増やされるとともに、その旅の期間さえ金利がかけられる。
六番目は、抑鬱とフラストレーションの元になる構造的な貧困と家庭内不和だ。そんな環境の中で、親の存在は感情の上では消失してしまい、単なる物理的な存在としてしか見られなくなる。家が楽しくない子供たちは保護してくれる人を探すようになり、売春シンジケートの手中に落ちる結果となる。


[ マーケティングの場所 ]
少女売春が行われる場所としては隔離売春地区、特にスマランでは床座り喫茶所であるレセハン・テポチ、寮、マッサージパーラー、ディスコ、一般民家、稀に美容院などが使われる。特に盛んなのは隔離売春地区、寮、ディスコ、レセハン・テポチなどであり、追跡しやすいのは隔離売春地区やレセハン・テポチ、反対にもっとも発見しにくいのは一般民家だ。その活動の円滑さをサポートするために、消費者へのセックスサービスを行うホテルなどの場所へ被害者を送込むためのタクシーや自家用車の交通手段やコミュニケーションのための携帯電話といった設備が用いられている。被害者の売り込みにはさまざまな手が使われる。国際的な客層には映画の終わりに、あるいはメニューにはさんだり、名前と連絡先電話番号を記した名刺のようなカードをばら撒いたり、名前を添えた写真アルバムやパンフレットを用意したりして、タクシーの運転手、隔離売春地区周辺の食べ物キオスや屋台商人、売春宿で働いている者、売春婦、売春元締めや女衒たちが被害者の売込みをはかる。
被害者は女衒や少女売春シンジケートに依存するような状況に置かれる。当初、被害者は自分の生計、そして親の生計援助を自分の活動の目標に据えるが、シンジケートの手に落ちた被害者はその目標が満たされるようになるため、かの女たちの必要性は複雑なものに変えられて行く。
世の中の物質主義の波はかの女たちの容姿に鮮やかに投影されている。きれいに見られるようにと、ブランドものの靴、サンダル、服をいつも着ているし、綺麗なスタイルでいられるようにと、しょっちゅう美容院へ行く。また、アルコールを飲むように仕向けられることも稀でない。被害者のひとりは、美容院の支払いがひと月80万ルピアになり、食費、衣料費、健康診断費、買い物、美容院、口利き屋や用心棒へのチップ、ディスコなどの総額を集計すればひと月350万ルピアにはなる、と語っている。

めくるめく暮らしが習慣的になるにつれ、かの女たちはそれまで憧れすら持たなかった新しい世界を楽しむようになる。ストックホルム・シンドロームと呼ばれるこの状況が、人身売買の被害者だったかの女たちを人身売買実行者に変えて行く可能性は、決してないとは言えない。「今日は被害者、明日は加害者」という警句は有名なものだ。


[ 人身売買に向けられる政策 ]
現在でもまだ、人身売買は政府や法執行者の真剣な関心を得ておらず、そのために法の網を犯罪者にかぶせるのが不十分という問題を呼んでいる。たとえば刑法典第297条は、売買の目的や売買対象が少女という明示なしに、未成年男女の売買を禁止している。一方、第290条(3e)は、15歳未満の子供を説得して他人と性的遊戯や性交を行わせることを禁じているし、第293条(1)は、未成年の者に対して金品による報酬を約束したり、その者との関係が持つ影響力を利用したり、だましたりして性的遊戯を行うことを禁止している。少女売春には、それらの条項がもっとも深く関連しているが、こうして見るとわが国の刑法典は少女売春行為禁止に対して十分対応しているとはまだ言えない。

その他にも、15歳という子供の限界年齢が低すぎるという問題がある。少女に対する性暴力は、被害者が12歳未満であれば届出を待たずに法執行者が直ちに事件を取り扱うと第287条(2)には謳われているが、1990年の大統領令第36号で批准された1989年の子供の権利国際協定は18歳を子供の境界としており、国際協定は国連全加盟国の原則とされているため、その定義は世界共通とされねばならない。
今現在でもインドネシアは少女売買に関する特別な法令も政令も持っていない。国際協定は各国連加盟国が早急にその協定に調印し、あるいは国内で法制化することを宣言するよう求めている。子供の権利国際協定にせよ、ストックホルム宣言にせよ、各国でのフォローアップとして法律の即時施行が要請されており、ストックホルム宣言にいたっては、各国が法律を制定するだけでは不十分で、より強い政府のポリティカル・ウイルの存在を要求している。
ところが、国家警察では女性と子供暴力事件ユニットが既に編成されているものの、少女売買シンジケート撲滅はその部門の職務の中でターゲットのひとつにもなっていない。このような状態はいつまで放置されるのだろうか。
ソース : 2002年2月18日付けコンパス
ライター: Suyanto スマラン、ディポヌゴロ大学文学部教官


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『わが子を売るのも平気』

「もうこりごりよ。」
11月21日、スリスティアワティ32歳はスマラン・トゥグ支署でそう言った。普段リスと呼ばれているこの女性は、未成年の娘を売ったために警察の拘置所で毎日を過ごさねばならなくなったのだ。3x4メートルの取調室で、かの女は懊悩しているように見えた。まぶたから溢れ出ようとする涙を時折り手でこする。
事件はこの一週間、スマランの街を震撼させた。リスは自分が生んだ娘FL13歳とRS14歳のふたりを、セックス目的で売ったのだ。その代価として6百万ルピア近い金が転がり込んできたものの、告発された罪は決して軽いものではなかった。

リスは単独で犯行を犯したのではない。親しみを込めてポンと呼ばれているポニサ35歳も逮捕された。ポンはリスの娘の買い手を捜し、その仕事でふたりの娘が得た金のほぼ三割を受け取った。
この未成年者人身売買事件は、17歳のNat....が家から出奔したことに端を発する。その娘が二日間消息不明となったために、親がスマラン・トゥグ警察支署に捜索願いを提出した。Nat....の妹からの情報で、セックスを目的とした少女人身売買組織の存在を警察は嗅ぎ出し、先週土曜日に行われた捜査で、セックスワーカーにするためのABG組織の手中にいたNat....が発見された。他にもリスとポンのネットワークに落ちていたニナ、カルヴィン、トゥティなど17歳の少女たちも同時に救出された。

警察の取調べで、リスが自分の子供をセックスワーカーとして売ったことが明らかになった。4人の子持ちのリスは、わが娘FLとRSを好色な男の餌食にしようとしてポンに依頼したのだ。最初、RSはトゥマングンのホテルで5百万ルピアの価格で売られ、一方FLはジャカルタのマンガブサールでアンディという名で知られる男に150万ルピアで売られた。
「もうおしまいね?おしまいね?」
警察の取調官が尋問を終わらせようとする気配を感じ取ったリスは哀願し、取り調べの調書には内容を見もしないでサインした。


ポンとリスのこの事件は、セックス目的の少女売買事件という長い記録に新たに加わった一ページだ。1998年に報道された、リアウ州タンジュンバライ・カリムンで売春を強いられていた2百人のABGに関する事件、そのしばらく後、バタムに送り込むための少女売買シンジケートを摘発して、ジャワ出身者が大半という113人のABGを警察が解放した事件。
少女がセックス奴隷の境遇に落ちていくのは、誘拐、FLやRSのように家族に売られる、あるいは仕事を世話してやると騙されて、などのようなプロセスを経る、とスマランにあるプリサイ財団のファタ・ムリアは語る。家族が娘を売るというケースは経済的な事情が背景にあり、第三世界諸国では頻繁に起こっていることだ。タイではそれどころか、親が子供を赤ん坊のときに売る。その赤ん坊を買い集めてストックしておき、一定の年齢に達したらその買い手は外国人観光客相手の売春組織に子供たちを再販する。タイではそんなことまで行われており、親たちは子供を餓死させるよりは売春の方がまだマシだ、と考えている、とファタは言う。

リスもそれと同じようなことを言った。十年程前、FLとRSの父親、ストリスノは、一銭の金も残さずにリスと子供たちを置いて姿をくらました。揺らぐこの一家は、その後新たな一家の大黒柱となるドゥイ・ヘンダリヤントと出会い、結婚式を挙げることなくリスの四人目の子シンディが生まれる。
リスは、警備員として働くドゥイの月給25万ルピアを頼りに6人の生活を続けたが、食費すら他人から借金しなければならなかった。「もらってきた給料は、借金返済のためにすぐその場でなくなった。」とリスは語る。
リスは4人の子供たちとスマランのパサデナ中級住宅地区に住んだ。隣人たちの話しでは、2001年4月頃からリスの暮らしは急に目立って羽振りがよくなったそうで、それはふたりの娘を売りはじめたことと時を同じくしている。RSにはいつも金をくれて、大人になったら結婚しようと約束している男がいる、とリスは仄めかしているが、娘らをポンに委ねたとき、そのことはもう忘れるしかなかった、とも述べている。
「どうすりゃいいのさ?あたしゃ持たざる人間なんだよ。」
FLとRSを買い手に渡すために送っていったときの気持ちをリスはそのように語っているが、娘たちが務めを果たす一時間を待っていたリスの気持ちはどうだったのだろう。

ポンをこのビジネスに引き入れたのは金の誘惑だ。それまでかの女は、スマランのとある警察寮の食堂で手伝い婦をしていた。そのときの13万ルピアという月給は、一発当たれば数百万という新ビジネスとは比べようもなかった。学校に上がったことのないポンは、リスがふたりの娘をセックスワーカーとして委ねたときに巨利を策謀したらしい。警察の話しでは、リスの娘を売ったときポンはおよそ2百万ルピアを手に入れている。セックスワーカーになるよう強制されたのではない、と証言するFLとRSも、「二人の子供に対する経済搾取が行われた」という告発には同意した。警察に対しても、健康状態を調べた医師に対しても、家族の暮らしを助けるためだったらあんな仕事でも喜んでする、とふたりの少女は告白している。

「強制はなかった。」と申し立てているとはいえ、FLやRSのような幼い子供が性行為を決断するのはふさわしくないと思われるため、スマランのスタラ財団のオディ・サラフディンは、その面からのリスに対する法的処罰は可能だと言う。
この未成年少女売買事件においては、15歳未満の子供を言い聞かせて他人と性的関係を結ばせたり、性的遊戯の相手となるよう勧めたと見られるリスには最高5年の実刑が待ちうけている。刑法典第295条に基づけば、その行為が習慣的あるいは生計手段としてなされる場合に、その刑罰の三分の一が加算される。子供売買の禁止は、刑法典第297条に6年の懲役という刑罰で禁止されているが、残念ながら各界はその条文は不十分だと見ている。その条文は少女売買には当てはまらないと考えられているのだ。実際には少女たちこそがこの悪業の最大の被害者だというのに。


FLとRSは健康面で高いリスクにさらされている。一般に、子供ポルノの被害者は精神の動揺と生殖器官の病気にかかる高いリスクを抱えている。心理的な障害のひとつとして、FLとRSは強度の対人恐怖や自己卑下を抱いている。二人の健康状態を調べたプラスティアワン医師は、ふたりに質問する際には細心の注意を払ったことを認めている。
「まず、二人の世界にわたしも入らなきゃいけない。二人が持たされた精神的トラウマの大きさを思えば、ポイントをストレートに二人に問うことは不可能だ。」と語る医師。
二人は好むと好まざるとに関わらず、同年代の子供たちとは違ってしまったという事実に向かい合わねばならない。その違和感は、はじめての性体験が暴力をともなっていた場合には特に、その一生にわたって継続していく。子供たちの記憶がまだ新しいだけに、そのおぞましい記憶を消し去るのは容易でない。おまけにエイズをはじめとする伝染性性病や未成年での妊娠、あるいは未発達な生殖器官の成熟面での障害などといったさまざまなリスクをも抱えている。プラスティアワン医師はそのようにコメントしている。
ソース : 2001年11月26日付けコンパス


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『より重要なのは、シンジケートの鎖を断ち切ること』

タンジュンバライ・カリムンの売春施設が拡充されているという問題は、その部分だけの独立したことがらではない。人口162,829人でムラユ・リアウ種族が6割を占めるこの島に売春を盛えさせている要因はたくさんある。
カリムンの売春隆盛要因を説明する学術研究などまだないが、シンガポールとマレーシアを隣地とする地理的ポジションは、誰しも思い浮かぶ大きな要因だろう。シンガポールからは、往復15万ルピアを払えば、フェリーに85分間揺られるだけでカリムンに週末を過ごしに来ることができる。マレーシアからだと往復10万ルピアで、フェリーに揺られるのは45分で済む。おまけにシンガポールドルとマレーシアリンギッがルピアより強いために、かれらは毎週でもカリムンに遊びに来ることができる。そしてかれらは多分、支払いをシンガポールドルやマレーシアリンギッでするだろうから、セックスワーカーたちはひきもきらずにカリムンにやってくるという寸法だ。
更に、バタム工業地区の発展がバタムに出入りする人の往来を盛んにしたが、そんな社会的影響はバタムからおよそ1時間の距離にあるカリムンに向かう人の流れをも生んだようだ。バタムが人口稠密度を増し、社会的な競争の激化や犯罪の多発化が顕わになっていく中で、諸地方から出てきたセックスワーカーたちがカリムンを落ち着く先の選択肢に加えているのは大いにありうることだ。

バタムに比べてより安全なカリムンの状況を見れば、セックスワーカーがカリムンにひかれるのも無理はないし、シンガポールの人々がカリムンを新たな行き先として選択するのもよくわかる。
ムラユ・リアウ・アダッ機関のバフルム・アリ理事長は、カリムンの売春の歴史は1970年代に遡る、と話してくれる。最初の売春宿はプリピッ村のワッ・ケロン商店区にあり、店はオーナーのケロンの名がつけられて人口に膾炙した。その頃カリムンへやってきた客は、カリムンに寄港する漁師たちだった。
ところが、周辺住民の反対にあって、売春宿はそこからおよそ1キロ離れたカリバルに移転させられた。当時のカリバルは住民せいぜい数万人の地区だったが、錫鉱公社がトゥルッ・ウマに建設されるとともに売春も盛んになっていった。売春事業家はやってくる客を収容するために新たに売春宿を建てはじめた。そのため、周辺住民がまた動いた。
「カリムンのご婦人方の抗議で移転が要求され、最終的にパセラブにセックスワーカーのための隔離地区を作るという方針が出された。それ以降、セックスワーカーになるためにカリムンへ来る外来者はパセラブに入れられる。」カリムン生まれのバフルム理事長はそう語る。

1990年代に入ってシンガポール人が大勢やってくるようになると、カリムンへ働きにくるセックスワーカーの数もうなぎのぼりになった。シンガポール人は海賊が怖いためにタイへは向かわず、政府間の関係が良好でないためにマレーシアへも行きたがらないので、必然的にカリムンが目的地として急上昇した。以後今日まで、シンガポール人はカリムンを訪れるのを好み、ホテルやナイトスポットは活況を呈している。
カリムン観光局のデータでは、シンガポール人マレーシア人のカリムン訪問の増加にともなってホテルの数が急増した。1989年以来、今では49軒のホテルを擁し、二つ星クラスホテルは2軒、一つ星クラスも2軒、残りはジャスミンクラスホテルであり、総客室数は1,531となっている。
「毎週末は全室フル稼働だ。土曜にカリムンに来ると部屋はまずないよ。」とエディ・ソフィアン観光局長は語る。来訪者数も増加の一途で、1996年は130,195人であり、そのほとんどはシンガポール人だった。1997年には208,036人に増え、1998年には301,896人となった。1999年は311,150人で2000年は366,009人とまた増えている。2000年では毎月3万人が訪れた計算になる。

しかし、シンガポール人が大勢やってくるとはいえ、カリムンが外国人観光客に自由に性欲発散の場を提供しているということでは決してない。「カリムン島とはその名が意味するとおり『高貴な島』だ。背教的不品行を行うための場所ではない。そんなことは明らかにアダッとイスラムに反しており、民衆が行動を起こすのを待つ必要などないのだ。」と断言するバフルム理事長。
ムハンマド・サニ、カリムン県令はその問題について、セックスワーカーが公共の場で自由に働き、アダッやイスラムに背いた行為を行っているのを規制する法令が至急公布される予定であり、またナイトスポットでのセックスワーカーに対する検問も毎週実施される方針だ、と述べている。
「規定に違反したナイトスポットやホテルの経営者に対して具体的な法的措置が取れるよう、倫理違反に関する法令を準備している。」と語る県令の言葉に対し、県議会PDIP会派のリナ・ドゥイ・レスタリ事務局長は「倫理違反法は、カリムンで盛んに行われている売春を取り締まるための法的ツールのひとつに過ぎない。」と言う。
「それよりもっと重要なのは、問題の根、つまりセックスビジネスシンジケート、中でも少女たちをセックスワーカーとして売買するシンジケートを摘発することだ。これだけは防止しなければならない。絶対に放置しておいてはならないのだ。」バンドン・パスンダン大学社会政治学部を1996年に卒業したリナ事務局長はそう述べている。
ソース : 2001年8月21日付けコンパス


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『小雨がダゴを濡らすとき』

二週間前の週末の夜近く、バンドン市内ダゴ通りを小雨が濡らした。往来はややひっそり。一軒のファクトリーアウトレットの前に、若い娘がふたり立っている。そこへキジャンが一台近寄ってきた。「さあ行こうぜ、お嬢さんがた。」運転席から30歳前後の男が誘う。娘のひとりがおずおずと運転席のドアに近づいた。しばらく会話が交わされたあと、娘は言う。「いいえ、あたしBIPへ行きたいの。」BIPというのは、バンドン市の中心部に位置する有名なショッピングエリア、バンドンインダプラザのこと。
「そのひと、つまんないもの。すぐやりたいだけ。あたしたちのこと、セックステスト用女と思ってんのよ。」デシが言う。それでどう違うというのだろう?楽しみのためのセックスと商売のためのセックスの差はもちろん紙一重。これがその世界の風景画の一部分。
さっきのキジャンを運転していたような粗野な性格の男とは合わない、とデシと友達のノラは言う。かの女たちの言葉で言えば、ムードが合わない、となる。BIPにあるレストランのひとつで、ふたりは隅っこに場所を取り、食べながら行き交う人々に視線を走らせる。

そのテーブルに記者が近づいたとき、ふたりは戸惑っているように見えた。会話がふたりの個人生活に触れると、この娘たちは用心深くなった。デシはふたり姉妹の長女、ノラは四人兄妹の末っ子。ふたりともバンドン市内の私立高校三年に在学中。
デシは、一年前に恋人に去られた、と語る。
「思い出すたびにすごく悔やむの。自殺したいくらい。すべてを与えたのよ。妊娠しなかったのがラッキーだったわ。」セックスしたとき妊娠をすごく心配したが、恋人は必ず責任を取ると言ってかの女を安心させた。「バンドンにはその手の場所がいっぱいあるんだって。」その手の場所とは堕胎ができるところ。
デシはその恋人からブルーフィルムやポルノ書籍を教えられ、そしてはじめてのセックス体験を与えられた。処女でなくなったとき、デシは自分が大きな変化を体験したと感じた。前は恥ずかしがりやで、セックスの話題を話すなんてとても、という娘だったのが、いまはもうそうじゃない。それどころか、信心深いふりをしている多くの若者の姿勢を批判さえする。「学校では信心深くふるまってるのに、外へ出たらあたしよりすごいかもね。」そうデシは言う。


デシとノラのストーリーはバンドンだけにあるものではない。25歳のアントは、中学一年生だった13歳のときにセックスの味を覚えた。初体験は、女のクラスメートのひとりが一緒に勉強しようと誘ったことから始まった。
「同じクラスだったけど、その子はオレよりふたつ年上だった。家を借りて姉さんと一緒に住んでたけど、実はその姉妹はふたりともコールガールだったんだ。」最初は怖かったが、好奇心が怖さを蹴散らした。それ以来アントはセックスなしではすまなくなり、少なくとも週一回は性欲を娼婦に発散させることに努めた。アントの宗教はその行為を破戒としているが、かれ自身はそれを罪とは考えていない、と語る。
アントがジャワの大学で学問を続けたときも、セックスアドベンチャーは続いた。そこでは恋人がかれの相手をした。妊娠を防ぐためにかれは、未熟パイナップルから避妊ピル、そして外出し射精まであらゆる手を使った。
パレンバンへ戻っても、かれは習慣を変えなかった。「オレは外出しても、親が信用してくれるだけの十分な成績を取っていた。」筋肉質の身体で、キャンパスでは学生組織の活動家だったアントの弁だ。
かれは22歳のテシャと知り合ってここ一年ほど、セックスの習慣を止めている。「あの娘を大事にしたいから、あの娘とはセックスしない。あの娘だってそんなことはしたくないんだ。性欲はまだコントロールできている。礼拝してるのが役に立ってるかもしれない。」そう語るアントだが、ふたりの関係には最終的に破局が訪れた。テシャがアントの過去を受け入れることができなかったのだ。

26歳のフェンディは、7年前にとある農園地区からパレンバンに出てきた。中学校以来セックス描写満載のポルノ小説を読んだりブルーフィルムを見ていたが、はじめて女と交わったときはとても受身だった、とかれは回想する。いま大学生のかれは、5年前に高校一年生の女生徒と知り合って、婚前セックスを知った。その高校一年生の女生徒で始まったかれのセックス遍歴は、大学のクラスメートからOLまで何人もの恋人との間に培われた。
「大学のクラスメートと何回もデートしたけど、お互いに約束なんかしたこともない。恋愛関係とも言いにくいな。お互いにセックス相手を必要としているときにやるだけだから。」学費稼ぎのアルバイトに精出すフェンディはそう語る。妊娠予防にかれが励行するのは、コンドームの使用か外出し射精。
ぜんぜん悔やんでいない、とかれは婚前セックスについて告白する。妹に対しては、もうお互いに大きいのだから、それぞれが自分に責任を持つのだ、と主張する。「オレは偽善はいやだ。頭を使わなきゃ。愛だけじゃだめなんだよ。育て間違えたということじゃない。親が自分の子供を抱え切れていないだけさ。もう昔の親の時代じゃないんだから。」フェンディの弁だ。


セックスに対する許容的な姿勢は、インドネシアの若者世代の暮らしにおける縮図なのか?二週間前に民間団体がパレンバンの大学生の婚前セックスに関するサーベイ結果を公表したとき、この町をショックが襲った。要するにサンプル抽出と集計の有効性を問題にしてサーベイ結果を否認しようとするものだったのだが、婚前性交体験を持つ者が17%もいるという報告の、その数字が大きすぎるというのが父兄の印象だった。しかしPKBI(全国家族計画の会)が各都市でもう何回も行っているサーベイ結果は、いつも20%台を示しているのだ。PKBI本部のグントロ・ウタマディによれば、パレンバン以外にもチレボン、タシクマラヤ、クパン、シンカワンでサーベイが行われており、その結果は今まとめているところだそうだ。結果は多分、パレンバンと大差ないだろうとグントロは予測している。「チレボンからの報告では、村民が家庭でポルノ映画を見るのが当たり前になっている村がチレボン市郊外にあるらしい。夜7時になると、大人が子供たちと一緒にテレビでポルノ映画を見ている。」とグントロは語る。
もっと恐るべき事実があったらどうしよう、という恐怖のゆえに、往々にしてわれわれの眼をありのままの現実からそらせる徴候がそこに見られる。1980年代、大学生たちのルーズなセックス行動が報告されたとき、ジョクジャの町は揺れた。同じストーリーは今でもある。
スマトラの両親に見送られてジョクジャの大学にやってきた19歳のシスカの物語は、決して唯一のものではあるまい。メンスが2週間も遅れ、医師の診断で妊娠1ヶ月であることがはっきりしてから、シスカはジョクジャのPKBIにやってきた。かの女の相手は、一つ屋根の下で同じ下宿暮らしをしているジャカルタ出身の、別の大学に通う学生。
ブディ・ワヒユニ、ジョクジャPKBI副理事は、男女の場を厳格に分離せず異性の客を部屋に泊めることを禁止しない下宿の環境は、多分男女の双方が望んだであろう性行為の実現を容易にしている、とコメントする。
セックスに関する環境について言うなら、下宿という場がそれを実現させる唯一のものというわけではもちろんない。下宿生活をしていない者でも、同じようなことは起こっている。ジョクジャに住む高校二年生のデウィ16歳も、同じ高校の先輩とのセックスで身ごもってしまった。デウィの親は、娘のカレが毎週末の夜、客間に詰めるところまでしか許さなかったが、その若者たちは学校帰りにとある安宿をショートタイムで利用し、結局ふたりの道を求めたのだ。カレと両親との関係が親しさを増すと、両親も警戒心を解き、ついにはデウィの部屋のベッドでふたりの交わりが展開された。

思春期の子供たちから男女交際の告白話を聞けば親は仰天し、内心ひそかに萎縮してしまうに違いない。
「キス?そんなものふつうだよ。」メダンの高校一年に在学するデニーは反射的にそう答えた。同年代の女の子50人の唇を知っている、とかれは言う。恋愛感情など伴わない、単なる友人関係でのキスだそうだ。デニーのデート相手は同じ年頃の少女で、一緒にシボラギッのキャンプ場に行く。性交にまで至らないように、デニーはまだ自分を抑制できている。「要するに、お腹から上だけ。」とデニーは言う。
メダンの高校三年生ノラ18歳は、キスの上手さが恋人にするかどうかの条件のひとつだ、とためらいもなく言う。「愛情を表現し、そして必要を満たすためよ。」とノラはその理由を説明する。ノラはまだそこまで至っていないが、8人の仲間のうち5人はセックス経験を持っており、中の一人は頻度が激しかったので4回も堕胎した。その娘は毎回、メダン周辺の異なる場所で堕胎措置を行っている。助産婦が一回、二軒の病院、そしてドゥクンでも。その娘は頻繁に高校を休んだので、ついには退学してしまった。

17歳のボイの話はまた違う。中央ジャカルタ市カンプンバリに住むこの若者は、あまりにも豊かなセックス経験のために、初体験がいつだったか覚えていない、と言う。「正直に言えば、一週間でセックスしない日はせいぜい二日だ。」とボイは言う。セックスする場所はボイの女友達の家、ボイの家、タナアバン地区の安モーテルなどが使われ、相手はひとりではない。4人いるその相手は、ふたりはもう結婚しており、ひとりは大学生、そしてもうひとりはOL。「金をもらってやってるんじゃない。お互いにそれをしたくてやってるんだよ。」麻薬常習のボイはそう語る。妊娠予防にはカレンダーシステムを使っている、とかれは説明する。セックス相手一人一人のメンスのスケジュールを記憶しているのだ。相手にねだられると拒めないが、性行為の最中には何も感じない、とかれは言う。
20歳のティダルは、宗教勤行を厳格に実行する孤児院で仲間からもらったポルノ写真をはじめて見た中学生のとき、生まれて初めて性衝動を感じたと回想する。自慰で性的快感を覚え、少しずつ貯えた小遣いで高校一年のとき娼婦を買ったのがセックスの初体験。
かれはいま、16歳のアリナと一緒に二ヶ月前からプガメン(訳注:路上の流し芸人)をしながらふたりで宿無し暮らしを続けている。その前かれは、建築家の父親と携帯電話会社で秘書を勤めている母親を両親に持つルシを恋人にしていた。「ルシって娘は束縛されるのがいやで、自由に生きるのを夢見ていた。やってることはブロッケムプラザでとぐろを巻いていただけ。」ルシとの最初の出会いをティダルはそう物語る。ルシと結婚したいというかれの希望はルシの両親の受け入れるところとならず、ルシは結局ティダルの友人と結婚した。
一方、アリナがティダルと出会ったのは、南ジャカルタ市タナクシル地区にある自宅からアリナが逃げ出して一月後の、いまから二ヶ月前。「父さんは、金がないと癇癪を起こして殴り、あたしを賤しめた。素手やバックルでぶつのよ。6回もやられた。あたしをセックステスト用女だと言い、『出て行け。売り飛ばすぞ!』って怒鳴るの。」9歳のときに母が亡くなり、その後父親が再婚したアリナはそう話す。
アリナはときおり、家出したことを後悔するが、ほかに方法がなかったと思っている。クバヨランバルのブミ通りにある中学校では、いつも3番から5番の成績だったというのに。アリナの学費、制服、教科書は、学校の成績がよく、そして父親は定職がなくて金に困っていたために、いつも奨学金でまかなわれていた。仕方なくアリナは、中学三年生のときに退学したのだ。「あたしもどうして初めてのものをティダルにあげたのかよくわからない。でも必ず結婚するんだって確信があったから、あたしがそれを望んだの。ティダルとのセックスはまだ二三回くらい。ただあたしたちには宗教手続事務所へ行くお金がないのよ。必要なのは35万ルピアなんだけど。」とアリナは語る。

かれら若者たちの目から見れば、計算は多分『まだ二三回だけ』というような数量的なものかもしれない。もちろんこれは、あちらこちらに人差し指を突きつけて誰かを悪者にするよりは、鏡を通してわれわれみんなに自分自身や時代を秤にかけさせるものであるべき一枚のポートレートに過ぎないのだ。
ソース : 2002年4月14日付けコンパス


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『もしあたし向きなら、あんただってあたしの恋人になれるのよ』

バンドンにあるその私立大学二階の教室は静粛な雰囲気。学生たちは講義に意識を集中させているようだ。しばらくして、教室の外でピーッと長く尾をひく口笛が鳴った。同じ口笛がもう一度鳴ったとき、教室内にいた美人女子学生がひとり、窓の下をのぞいてささやき声で言った。「あと少しよ・・・・」
さっきの口笛は客が待っているという合図。これはもちろん、売春の話だ。

およそ15分後にさっきの美人女子学生が、キャンパスの向かいにあるテント屋台に姿を現した。「何があるの?」背にしょったバッグの位置を直しながらかの女は話し掛ける。さっき口笛を鳴らした同じ学生仲間、デデンは微笑み、そして、そこからおよそ20メートル離れた場所に停まっている銀色ボディに黒い窓の一台のセダン車を指差す。
「気の毒に、あのバパはもう待ちくたびれてるぜ。」と言うデデン。その美人女子学生ソフィーはデデンの指が示す先を目で追う。身長およそ165センチ、黄白色の肌を持つソフィーはデデンと一緒にその車に向かい、そしてふたりとも車内に消えた。
それからおよそ10分して、デデンはまたその屋台に姿を現した。こざっぱりしたかっこうのこの大学生は軽い微笑を浮かべながら、飲み物を手にして記者との会話を再開する。何が起こるのかを実地検分するにはその屋台で待機していればいい、と記者は言われていたのだ。「おれはただ付き添っただけさ。だってひとりで行くと疑われるじゃん。」デデンは解説する。
だったら、さっきデデンが一緒に車内に入ったのは、カモフラージュをより完璧にするためだったのだ。あまり離れていない最初の十字路でかれは車から降り、ゆらりゆらりと歩いて屋台まで戻ってきたのだそうだ。口笛の合図は、特に芝居がかって見せようとしたわけでなく、それがいつものやり方。いまは教室内で携帯電話の使用が禁止されているので、とかれは言う。しかし記者の目からは、口笛そして教室の窓から美女の顔が現れるというこの趣向は「ばっちりサイコー」なのだが・・・・
自分は美人局じゃない、とデデンは否定する。単なる仲介者でしかないのだそうだ。さっきの仕事でかれが得た報酬は5万ルピアのチップだが、ソフィーがキャンパスに戻ってくればもう一度チップが手に入るに違いない。「女の子はたいていすぐに戻ってくる。二三時間したらまたここに現れるよ。」そうかれは言う。かれが女子学生からもらうチップは『交際金』と呼ばれている。デデンのコレクションにあるのは、同じキャンパスで学ぶ10人の女子学生の名前。「この子たちとはたまたま知り合ったんだ。」と語るデデン。


一部の人にとって、そのような悦楽売買の世界に身を投じた女子学生の話は、単なる噂話以上のものではないのかもしれない。一方、あちらこちらを泳ぎ回るのがお好きな人は、事細かに物語れる独自のストーリーを持っている。そんなストーリーはバンドンだけにしかないというものでは決してなく、ジャカルタでもジョクジャでも、ほかの大きなどの町ででも手に入れることができる。
たとえばジャカルタ。その手の用向きにナンバーワンと言われるキャンパスがある地区をいくつかあげることができる。東ジャカルタではむかし、あるアカデミーが有名だった。講義が終わる時間帯になると、期待を胸に秘めた男たちが集まってきて、キャンパスから出てくる制服姿の学生の中を、車をゆっくりゆっくり走らせる。この大都市での快楽主義の進化は、そんな風景をいたるところにばら撒いた。そのような光景はもはや、ひとつやふたつのキャンパスの占有物ではなくなっている。
「わたしのキャンパスでも、そんなふうに誘える子が何人かいたわよ。」東ジャカルタの国立大学を最近卒業したある女性は物語る。「わたしの下宿仲間はおじさまのメカケになってた。その子をメカケにしてたのはひとりじゃなくて、ふたりが同時に。わたしが知ってたのはそのふたりだけなんだけど、ひょっとしたらもっとたくさんだったかも・・・・」

それとも「猥褻センス」豊かなみなさんは、特に夜半に活発になる街娼たちでむかしから有名な、南ジャカルタのある通りをきっとご存知に違いない。更なる開発の進展のあげく、その通りは昼間も夕方も、近くにあるキャンパスの女子学生を含めてお遊び相手を求める出会いの場となった。
「その通り一帯にいる、デートに誘える女子学生を見分けるのは簡単よ。」近くのオフィスに勤める女性はそう語る。毎日そこでの実態を目の当たりにし、また知り合った何人かの女子学生たちとの交際の結果から、上で述べられたような行動を取る女子学生は容易に見分けられるし、また見かけからでもわかる、というのだ。「その子たちのかっこうって、たいてい身体にピッチリ貼り付くような服着てるのよ。タンクトップって知ってるでしょ。そう、そういうのを着てるの。わたしの経験だと、教室では薄手のセーターかなんかを上に着てそれを隠すけど、外へ出たらセーターは脱いでバッグに入れたり、腰に縛ったりしてる。」というのがその女性のコメント。その南ジャカルタにあるキャンパス周辺の下宿屋には、かれら自身がキャンパスチキンと呼んでいる女子学生が暮らしている。男女数人の学生が入っている下宿に住む男子学生のひとりは、同じ下宿にいる地方出身女子学生についてこう語っている。「かっこうは質素で田舎のオクテの子みたいだけど、毎晩夜中まで外出してるし、ときどきは朝帰りだ。」


本当のところ、セックスビジネスの中味は何で、だれがそれに従事しているのか、という問題はそれほど先鋭化してはいない。どの階層がモラル上でどれより優れていて、どの集団がどれより堕落しているといった仮定をする必要はなにもない。だれもがそこに入ることができ、それに触れ、密かにそれを享楽する一方それを非難し・・・・。明白なのは、セックスとそのセンセーションを示す必要が常にあること。女子学生とのお遊びは、三流カフェに座っていたり道端に立っていたりする非女子学生とのそれよりもグッとくるに違いない。ソロのような文化都市でもそれは同じ。王宮に属する人との火遊びというセンセーションがある。だから、ある短編作家がかつて小説を書いた。大都会から来た男がソロで泊まるとき、「王宮の姫君」と一夜の夢を結びたいため、ベチャ引きに頼んで、どうしてもそれを実現させようと必死になった。そしてその男は一大センセーションを体験することができた。「王宮の姫君」は、実はベチャ引きの知り合いのフツーの女性であったことが小説の中で明らかにされるのだが。
他人の脳裏に息づいているイマジネーションに、いったいだれがブレーキをかけることができようか?

ジョクジャのとあるホテル内の薄暗いカフェで、記者が待つテーブルにスリムで上背のある女性がひとり、近づいてきた。しばらく話をしたあと、記者はいたずら心で「学生証はどこ?」と尋ねた。かの女はすぐに反応を示そうとしなかったが、そのうち結局学生証を取り出した。ある私立大学の4年生だ。
翌朝電話が来た。
「わたしをブッキングするの?」
「しないよ、高すぎる。」
「あらあ、だったらサルケムに行ったら?」
料金問題に対するコメントは邪険な口ぶり。
「わたし、大学生なのよ、お兄さん。」
中部ジャワ州プルウォクルト出身のその女子学生は、そう付け加えた。ちなみにサルケムとはジョクジャの非公認売春地区を指している。
女子学生だと自認する別の娘ネティは、あるホテルを稼ぎ場にしている。自分はソロ出身で、ジョクジャの私立アカデミー学生だ、と自認しているこの娘は、ソロで大手実業家に囲われたことがあり、そして韓国人と契約結婚したことがあり、またオーストラリア人男性に囲われたこともある、と告白する。
「もう卒業したの?」
「あら、まだよ。勉強だってしたことないわ。学校が今じゃ、パートタイムみたいになってる。」


タバコをふかし続けているその娘はマヤ。バンドンのロンボッ通りにあるカフェで友人のディアンと一緒に会ったとき、落ち着かない顔を見せた。
「あたしの携帯、もう一ヶ月近く発信できないのよ。」マヤの言葉に、ディアンは会話の方向を敏捷に操縦する。「ここにお兄さんがいるじゃん。すぐにアクティブにできるわよ。」
マヤとディアンをカフェに誘うのは、難しいことではなかった。ある仲介者に頼むと、二十歳前後のこの娘たちはすぐにオーケーした。「夕方ね。講義が終わってから。」時間を要求されたが、約束はきちんと果たしてくれた。このふたりは積極的な娘のカテゴリーに入る。ふたりとも私立大学の女子学生で、秘書科と情報科に在学中。ふたりの会話からは、かの女たちがどれほどきらめく派手な暮らしを望んでいるかがよく見える。ふたりはキャンパスの仲間について語る。携帯電話を使わない人間は古臭いと思われるのだ、と。
毎月の親からの仕送りが学費、下宿代、食費で消えてしまうディアンははじめ、自分が携帯電話を持てるようになろうとは想像もできなかったそうだ。そして、仲間たちの『お手本』を真似て、ついに携帯電話が持てるようになった。「要するに、あるのよね。まっ、これは個人の秘密。」と言うディアン。
一方マヤは、「あたしは前から自分自身をだますのはいやだったの。誘われてどっかへ行くのは、ムードがよかった場合だけ。遠出だってかまわないわ。いまはもう、キャンパスは仲間探しと見せびらかしの場みたい。仲間の何人かは同棲してる。でもみんな素行の良い子たちよ。」と物語る。
この娘は積極的にあれやこれやと話してくれる。「インダがさる高官のメカケだなんて、思いもよらなかったわねえ。車も家も持ってて、衣装も豪華。以前おばさまがキャンパスに来てあの子を探し回り、ふたりして喧嘩が始まったのにはびっくりしたわ。」
「マヤ自身に恋人はいるの?」
「いっぱあああい」
ステーキを賞味しながら、そう言うマヤ。
「もしあたし向きなら、あんただってあたしの新しい恋人になれるのよ・・・・」
そして、ヘヘヘへッという笑い声が続いた。
ソース : 2002年6月2日付けコンパス


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『ファイブスターホテルを稼ぎ場に』

「お疲れでしょう?横におなりなさいな。あなたがぐっすり眠るまでわたしがマッサージしてあげますよ。お目覚めの時には、身体すっきり。」33歳のニケンは優しく微笑みながら言う。客が横になったのを見て、この色白の美人はゆっくり、いろんな話をはじめる。ジャカルタの交通渋滞から、傲慢なアメリカ、伝染病SARS、そしてモナス公園に放される鹿にいたるまで。
クニガン地区のとあるファイブスターホテルでマッサージ係として働いているかの女の言葉は上品で、整然としている。ときどき英語を織り交ぜるが、それは正確だ。この女性からは大学で学んだことがあるような印象を受ける。客がぐっすり寝込むと、ニケンは床に正座して客が目を覚ますのを待つ。その間およそ1時間半……。

「わたし、ここで働いてもう一年。客はたいてい、ただマッサージを要求するだけじゃないんです。いいんです、わたしはそれを演じるだけ。こんなとこで働く以上、それは当然計算に入れとかなきゃ。」恥ずかしそうにニケンはそう語る。
客の特別オーダーを受けるのに料金いくらと決めたことはない、とニケンは言う。客は自分でわかっているから、一回のサービスにたいてい百万ルピアのチップをくれる。日がよければニケンはその種の客を一日三人得ることがあり、そんな日には3百万ルピアの現金を手にすることになる。それとは別に、職場からも仕事の報酬が与えられる。かの女がひと月に稼ぐ金は3千万ルピア。手取りだ。ニケンの収入はジャカルタの大企業の重役にひけを取らない。
そんな収入があればこそ、かの女が一番上の子を入学金だけで6千万ルピア以上もする小学校へやれたのも当然のこと。末っ子は毎日英語を使う幼稚園に通っている。ニケン自身は、スナヤン地区のとあるホテルで爪の手入れとフィットネスに興じ、四日に一度クリームバスをし、どこへ行くのも運転手付き。車はBMW325iで、住んでいるのはアパートメント。身体には高級香水をふりかけていて、いつも好い香り。ニケンのような職業をしていて、かの女と同じくらい稼いでいる女性は多い。かの女たちはたいていみんなチャーミングだ。


首都の売春現場で働く女性の数がどのくらいなのか、はっきりした数字はない。ある警察幹部は2千5百人と言っているが、人口9百万人のこの大都市に住む色好み男性は並みの数ではないと思われるため、その数字は過小評価としか思えない。
ジャカルタには、ニケンのような女性は多い。職業は慰安婦なのだが、ハイスタークラスホテルのマッサージ師の姿をしている。五星・四星級ホテルにはその種ビジネス管理ネットワークが築かれており、整然とビジネスを行っているため、官憲の捜査の手から免れている。その世界で働きたい女のリクルートもそのネットワークが行っている。
ここ数年、首都のホテル業界は疲れやすいジャカルタ男性の性質を読んでおり、マッサージのための特別室やそれに関連したネタを用意している。一時間当たりのマッサージ料はたいてい10万ルピア以上だが、それ以外のサービスに関する料金は、サービス者との直接交渉。つまりサービス者へのチップについて、ホテル側は関わり合いを一切持たないことをそれは意味している。
ホテルは10万ルピア程度のマッサージ料金だけ受け取ることで、赤線ビジネスを行っているという疑いを否定することができる。ゴールデントライアングル地区の五星ホテル職員、スサント・ラハルジョは、いまやスタークラスホテル経営者はたいていフィットネスセンターに隣接して設けられるマッサージ室をオープンせざるを得ない状況に追い込まれている、と語る。そうしなければある顧客層が寄り付かなくなる。ところがそんな施設をオープンするのはプライドを犠牲にしなければならず、八方ふさがりだ。そしてとどのつまり、勝つのはプライドや良心でなくビジネス精神なのだ、とスサントはコメントする。
タナアバン地区のホテルに勤めるマッサージ係りスリ・ララサンティは、このビジネスは倒産なしだと言う。「ジャカルタの人も地方からくる人も、疲れを感じやすく、そしてアレが好きなので、ここみたいな場所にやってくる。ものすごいケチもいれば石油王みたいに金離れのよい人もいるわ。でもほとんどは石油王みたいな人たちよ。そんな人たちの中に、わたしたちのような女を囲う人も何人かいる。わたしたちへのお手当ては、食費、交通費、香水、年一回の香港旅行などで十分よ。」と話すスリ。


そんなセックスワーカーは「フツーの人」階層出身者ばかりではない。シネトロンの世界で名前を売っている者、銀幕に登場したことがある者なども、この世界最古の職業をいとなむ。そのような女性たちの中に、この職業をいとなんでいることを明らかにしようとする者はいない。たいていかの女たちは、整然と秩序だって仕事する仲介者を通すのを好む。既婚の色好み男性がそんなハイレベルのセックスワーカーの巣を訪れても、まずバレることはない。身を売るシネトロンスターが大衆の知るところとなる可能性もうすい。
仲介者たちはたいてい女っぽい声の男。あるいは作り声で女っぽく話す。「名前からしてハイクラスよ。この世界で遊ぶ人は財布がぶあついの。たとえば政府高官、大商人、有名弁護士、株で勝ち続けてる人、月給3千万ルピア以上の人などよ。」女っぽい声で仲介者ワワンティは語る。
アーティストの料金は目玉が飛び出すに十分。銀幕登場経験のある者、シネトロンによく出演する者、ゴシップタブロイドにプロフィールがよく掲載される者、などでだいたい5百万ルピア。名前のもっと売れている者なら1千万ルピアを超える。実業家が政府高官あるいは会社にとって重要な人をもてなそうとするとき、そんなアーティストをよくオーダーする。オーダープロセスは上で述べたように整然としており、売る側も買う側も大衆の目は届かない。
それらの事実から、この地の破戒行為を撲滅するのが至難の業であることをあらためて語る必要はないだろう。官憲が頻繁に手入れを行っても、このビジネスを根絶させるのはきわめて困難だ。需要が出現すれば、供給はいつも怒涛のように流れ込み、この職業は絶えることなくはためき続ける。全市民が宗教の教えに深く服従すれば、需要は突然減少し、ゼロポイントに近づくだろうから、売春行為はひとりでに消滅するのだが。
ソース : 2003年4月9日付けコンパス


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『南海岸の女たち』

「申し込む?お兄さん」男の袖を引きながら、43歳のトリヤニはささやく。男はかの女を相手にしない。ひとりのやせた男がかの女を相手にしてくれるまで、トリヤニは何人もの男を誘い続けた。しばらくタワルムナワル(訳注:値段の交渉をすること)が行われ、折り合いがついて、そしてふたりは海岸べりの竹編壁の小屋をさして急いだ。
古新聞を貼った竹編壁で仕切られた狭い部屋の中で、男と女は欲望を発散させた。5ワット電球の明かりが、その狭い部屋の中をほのかに照らしていた。
その最初の客へのサービスが終わると、ジョクジャ特別州バントゥル県クレテッ郡パラントリティス村にあるチュプリ・パランクスモ遺跡群に参詣に集まる男たちの中から次の客を得るために、トリヤニはすぐ化粧を直す。中部ジャワ州ジュパラ出身のかの女は、5月中旬の南海岸を吹く風の寒さが気にならないようだ。
「あたしのような年代の女は、敏捷さがないとだめ。じゃないと若い子に勝てないのよ。ただでさえ最近は、新顔が増えてるんだから。」トリヤニは波打つ縮れ毛をしばりながら、あけっぴろげに話す。

バントゥルの南海岸で身を売るPSK(コマーシャルセックスワーカー)はおよそ5百人。女たちの数は、スラサクリウォンやジュマアックリウォンの前夜、あるいはスロ月1日の前夜など、参詣の聖なる夜になると跳ね上がる。そんな霊験あらたかな夜には各地から数千人のひとびとが、マタラム王国開祖パヌンバハン・スノパティと南海の女王ラトゥキドゥルの出会いの地であるワトゥギランに詣で、ごりやくを授かろうとして祈るためにやってくる。神秘的な雰囲気とそのふたりの恋愛神話を、享楽的な儀式のために大勢が利用している。
パランクスモだけでなく、この13.8キロにわたる南海岸一帯に売春行為は広がっている。東部の売春局地化地区はクレテッ郡パラントリティス村ンボロン部落に集中している。中部ではサンデン郡スリガディン村サマス部落、西部ではスランダカン郡ポンチョサリ村パンダンシモ部落に多い。それらの場所での、日々の光景は独特なものだ。海岸沿いにオープンテラスのある家が並んでおり、表では食べ物飲み物を売っている化粧の濃い20代から40代くらいの女たちが座ったまま男を誘う。その一帯には昼間から夜中まで、数十台の四輪二輪の自動車が駐車し、大人の男だけがあたりを徘徊している。

南海岸における売春の歴史は、その美しい海岸の観光発展史と共に歩んできた。1989年にジョクジャ市とパラントリティスを結ぶクレテッ橋が完成してからというもの、PSKの数は増加の一途をたどった。1997年以来悪化した経済危機も、そこでの売春を盛んにするのに手を貸した。それは仕方のないことなのだ。貧困と売春の間に相関関係があることは言うまでもないのだから。
ジョクジャ州社会局のデータによれば、バントゥルのPSK人数は州内の他の4県より多い。2000年には376人で州全体の28%を占めていたが、2002年にはそのシェアが32%になっている。2002年のバントゥル県女性社会紊乱者は2,182人で、州内5県全体の20%だというのに。


かの女たちはなぜわが身を売るのだろう?幽明の世界に落ちて行かざるを得なかった女たちの理由は、経済的必要に迫られて、というのが一般的だ。大きな心痛を体験した離婚やひとりぼっちで子供の世話をする負担などを同時にあげる者も何人かいる。
「家でボーっとしてるよりは、と思って、あたしは友達についてここへ来たの。思いがけず、同じ運命の人がたくさんいたわ。それで結局、そのまま居ついちゃった。」三年前からパラントリティスのンボロン部落で稼業をはじめたクドゥス出身のリナ27歳はそう話す。肌のきれいな愛くるしいかの女は、一回遊んで5万ルピアという料金設定だ。繁盛すれば一晩で客が4人は取れるので、日収20万ルピアになる。売春宿の元締めと分配したあと、自分の手取りの一部は化粧品や衣服の購入にあて、一部は家にいる子供に与えるために分けておく。そして子供の学費のために、残りを積み立てている。
パンダンシモ海岸の竹編小屋に住んでいる中部ジャワ州ソロ出身のナルティ42歳の料金はもっと安くて3万ルピア。しかし男たちはかの女を年寄りと見るために、客はあまりやってこない。そのためにかの女は、あちらこちらから借金して日々の必要を満たす。
かの女の心をもっともさいなむのは、経済的必要性がもたらす圧迫と、罪の意識と、そして世間から蔑まれることの間に起こる葛藤が生み出す精神的プレッシャー。「最初の三ヶ月間、客の相手をするたびにあたしはいつもしくしく泣いた。ひりひり痛むのよ。あたしの運命ってこんなだったの?どうしてみんな好きなようにあたしの身体に触れるの?」以後のナルティの人生は、いっぱいのジレンマに引き裂かれた道を這いずり回るようなものだった。まるでティティ・プスパが歌う「夜の蝶」に描かれたものそのままに。

これは夜の蝶という名の女の人生
全身全霊でぶつかり、働く
かの女の仕事は罪なのか?
やって来る者は清いのか?
女にわかるのは、ただ自分が生き永らえること

これまでナルティは、二人の子供の教育のために自分が犠牲になることに甘んじてきた。自分の犠牲は無駄にならず、子供たちは早く卒業して安定した仕事に就けるように。いつもかの女はそう祈る。「苦しむのはわたしだけで十分。わたしはいつもそっと家を出るの。母親がこんな汚い仕事をしてるってことが子供たちにわからないように。村の人たちは、わたしがレストランのウエイトレスをしてると思ってるのよ。」ナルティはひっそりとそう語る。
この地のPSKはたいてい、バントゥル南海岸に運をためしにきた各地からの出稼ぎ者。ほかの選択肢を持たず、故郷で圧迫を受けたとき、かの女たちは自己存在と稼ぎの場を求めて故郷を離れるのだが、その逃避行は依然として心をさいなむパラドックスを蔵しているのだ。
たとえばトリヤニ。かの女は聖なる夜だけパランクスモにやってくる。ほかの日は、ひとり娘を育てながら、家で縫い物をして日を送る。世間とのつながりを維持するために、礼拝を励行し、時折は隣人とのクルアン読経にも参加する。しかし礼拝のあとで、しばしばかの女は声を嗄らして泣く。「偽り続けるのは心苦しい。よく自分が憎くなるわ。早くやめてしまいたい、と思いながら、でもいつもそれができないのよ。」嘆息まじりにそう語る。
サマス海岸を根城にするスマラン出身のスミアティ30歳を、それとよく似た不安が襲う。スミアティはもう何度も、帰郷する資金を熱心に貯めた。ところがその意図は、いつも良くわからない理由で挫折した。「あたしは時々、自分がもうまともな生活が送れないんじゃないかって感じるの。たとえできたとしても、故郷の人たちはあたしを受け入れてくれるのかしら?」
売春は多分シャブと似ているのかもしれない。もっとも危険な側面は、依存のとりこになることだ。経済的にはしばらくそれに気付かないでいられても、一方では奇妙で消しがたい罪悪感に取りつかれる。


バントゥル県庁は、更生育成プログラム、芸能トレーニング、遵法作戦、軽犯罪裁判などでこの問題に対応しようとしてきた。2001年にはPSK24人に育成指導を与え、ひとりひとりに小売、ワルン飯屋、養鶏などの事業資金として50万ルピアと必要な資材などを与えた。ところがその成果は限りなくゼロに近い。
スリ・ハディ、バントゥル県社会課長は、県のさまざまな更生プログラムに従ったPSKのうちで何人が更生したかという確かな数字を語る気にならない、と言う。かれが言えるのは、県の育成施設で自立を学んでいる元PSKが今現在ひとりいる、ということだけだ。
ガジャマダ大学地域開発研究センター研究員スダルヨノ博士は、行政側のプロジェクト的、偶発的、構造的なさまざまな更生プログラムは、この隠れた問題の解決に一度も効果を発揮したことがない、と語る。「行政は社会プログラムを一貫的に本気で展開する傾向を持っていない。」との談。
女たちは往々にして、自分を見捨てた社会、文化、経済、政治システムの犠牲者として、南海岸に世を避けてやってきていることを忘れてはならない。既存のシステムがかれらに選択の機会や行動の余地を与えない限り、かの女たちは売春の世界から離れるのが困難なのだ。売春婦たちが周囲にいる社会集団との間に共生関係を生む社会経済ネットワークに入るとき、問題はいっそう複雑になる。商人、ごろつき、駐車番、そしてその影のビジネスのおこぼれにあずかる地元住民たちがそんな社会集団を形成する。そこで構築されるネットワークは相互に保護しあい、互いを強化するため、PSKたちはそこで働くのが居心地よく、そして安全だと感じるのだ。
ガジャマダ大学社会心理オブザーバー、クンチョロ博士によれば、きわめて複雑な売春問題を解析するのに単一の解答はないそうだ。だから更生プログラムは、包括的、根本的、一貫的、人道的な諸アプローチでなされなければならない。
「売春問題を扱う者はだれでも、PSKの暮らしの中に潜って解決を求めるしかない。かれらは時間の制限なしに意識変革を推進するソシアルワーカーになることが求められている。」との博士の言葉。

パランクスモ海岸の東の水平線に赤い陽光のかげがさしはじめた。トリヤニは一晩中7人の客を相手にして、疲労と睡魔に襲われている。乱れた縮れ毛がまだらになった頬の白粉に何本か貼り付いている。ジュパラに帰るため、トリヤニはパランクスモバスターミナルでのろのろとバスに乗る。
バスはゆっくり動き始めた。中学生の娘の明るい顔を目にするのももうすぐだ。買ったばかりのミカンひと袋をしっかり抱えてトリヤニは微笑む。まるでティティ・プスパの歌にあるようなその微笑はどう推し量ればいいのだろうか?

ときに女は涙の中で微笑む
ときに女は微笑みの中で涙する
ソース : 2004年6月23日付けコンパス
ライター: Reny Sri Ayu Taslimo


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『ジャカルタの売春 ― 路上から下宿まで』

先週末のある雨上がりの夜、西ジャカルタ市タマンサリラヤ通りにある二階建ての家の前に数台の車が止まった。車から降りた男たちは、その家の客間に入る。そこは客間兼陳列場だ。男たちは遠慮なしに吟味し、眺め、値踏みし、そして選ぶ。これからデートに誘う娼婦を。

たてよこ5x10メートルのその客間は、同じ広さで二つに区切られている。ひとつは娘たちがブッキング(デートに連れ出されること)されるのを待つ場所で、そこには14インチテレビが置かれ、テレビの前にあるL字型ソファーにかの女たちは座っている。商店のショーケースよろしく、娘たちのいる場所は明るく照らされており、客はその顔やボディをはっきりと眺めることができる。その夜陳列されていた娘は15人。
かの女たちは客が来たことなど歯牙にもかけず、穿孔ゴヤンで一世を風靡したイヌル・ダラティスタが歌うテレビを見ながら、仲間同士でふざけあっている。
区切られたもう一方の場所はわざと真っ暗にしてある。客はその闇の中で何の気遣いもなしに娘たちを眺め、そして選択することができる。この『粉飾』娼館のオーナーは客をお大尽扱いしたいようだ。暗闇から明るく照らされた場所を見るのはたいそう魅惑的でもあり、そして明るいショーケースの中にいる娘たちには客の姿がはっきりわからない。
相手を選んでいるとき、客には接客係りがつく。お好みの相手が決まると、客は接客係りと支払いの手続き。それが終われば、接客係りは客のお目当ての娘を呼ぶ。まるで商品のように扱われていたその娘は、脇の通路に置いてあった自分のバッグをすばやく手にすると、注文主を追う。その間2分とかからない。注文主は接客係りとの手続きを終えると、車で待っているのだ。

「たいていホテルよ。」
いつもどこでデートするのか、と尋ねられて、テッタはそう答えた。客がデートに誘う場所はたいていここ、とパサルバル地区にあるホテルの名をかの女は言う。そのホテルはちなみに、宿泊料一泊10万ルピア。先週末のある夜、本紙がそのホテルに着いたとき、駐車場内は百台を超える車で満たされていた。夜中の11時ごろ駐車場内に入ってきた車は、中がもういっぱいで停めるスペースなどないため、バックで引き返す始末。
テッタは西ジャワ州インドラマユの出身だと言う。高校を出てから、故郷の隣人に誘われて2002年に上京し、すぐに西ジャカルタ市のディスコで働き始めた。「ディスコで働いてたときも、客に誘われてホテルに付き合ったりしてたのよ。」と告白する。背中にまで垂れた長くてまっすぐな髪。身体はスリムで上背がある。容貌はすばらしい美人と言えないまでも、目を引くタイプであることは言うまでもない。鼻筋が通っていることもそんな魅力のひとつだ。

料金は三時間で15万ルピア、一泊つまりオールナイトだと30万ルピア。客が娼婦を選んでから接客係りに支払う料金がそれ。その全額は粉飾下宿屋オーナーのマミー(訳注:売春事業主女性あるいは雇われマダム)に渡り、テッタには自分の仕事の報酬としてその半分が戻される。客からのチップはテッタの収入になる。
繁盛する日なら娼婦たちはひとり一日三人から四人の男を相手にするが、閑な日だと客はせいぜいひとりだけ。三人から四人の客を得るためには、朝10時から深夜まで、ときには早朝まで働かなければならない、とテッタもかの女の仲間たちもそう語る。
娼館オーナーはタマンサリ地区にある三軒の家でこの事業を行っている。二軒は朝開いて夕方閉める。一軒だけは朝から翌早朝までの開業だ。「昼間は夕方閉める家にいて、夜になるとずっと開いてる家にみんな集まるの。」飾り気もなくテッタは話す。
実態は娼館であるその三軒の家に関して、地元住民はなんら気にする様子がない。というのも、その家が会社勤め女性たちの下宿屋だとしか住民たちは思っていないからだ。利用者にとってその家の娼婦たちは、衛生上安心できる。なぜなら客とデートするとき、かの女たちは常にコンドームを携帯しており、性交のさいには客にそれを使うよう求めるから。


実態は娼館である粉飾下宿屋はタマンサリにだけあるのではない。タマンサリあるいはコタ地区、マンガブサールやその周辺で、似たような娼館は数十軒ある。首都の隅々まで数えれば、とてもそんな数では終わらない。
娼館はジャカルタ売春ビジネスのタコ足の一本。売春行為はほかにも、路上、モール、ホテルなどで簡単に見つけ出すことができる。安くてオープンな路上売春の行われている場所はいくつもあげることができる。中央ジャカルタ市ハヤムルッ通り、南ジャカルタ市ブルガン。真昼間でさえ街娼は、MTハルヨノ通り、ドクトルサハルジョ通り、DIパンジャイタン通り、Aヤニ通り・・・・まだいくつもいくつもあげられる場所に立っている。

ブルガン地区では夜9時ごろから明け方まで、デートに誘って、と自分を売り込む数十人の女たちが道端に並ぶ。それはパンリマポリム通りからブルガン通り、そしてムラワイ通りまで続く。まだ思春期の娘たちも、そんな街娼の中に混じっている。街娼はたいてい5〜6人の小グループに分かれており、各グループには客との交渉の手助けをする周旋屋がついている。その周旋屋はたいていが口喧しいおかまだ。おかまを相手にする場合、客は値段交渉を巧みに行わなければならない。おかまたちはかなり高めの値段を吹っかけるのが普通で、中には1時間30万ルピアなどと言うのも稀ではない。うまく運べばそれは15万ルピア前後まで下がることもある。「要するに、ワンプレーなのよ。」としなを作っておかまのひとりは言う。

娘たちが夜の蝶に身を落とした背景はさまざま。23歳のリダがタマンサリの娼館で身を売らざるをえなくなったのは、無責任な田舎の夫のふるまいに絶望したから。妊娠初期のリダを残して、生活を支えるべき夫は姿をくらました。いったいどこへ去って行ったのだろうか?
よくあるお定まり話のように、その後のリダの人生の軌跡も言い当てることができそうだ。途方に暮れ、思い乱れる中で、知り合いからジャカルタで働かないか、との誘いを受け、そして夜の人生へと転落していった。「あのときはほかに選びようもなかったの。仕方なく、まだお腹の中にいた赤ちゃんをおろしたのよ。」目を潤ませ、腹をさすりながら、西ジャワ州チレボン出身のリダは自分の過去を物語る。
肩にかかる長い髪、歌手ユニ・サラに似て小柄なかの女は、苦悩を隠すことができない。眼は遠くを眺め、ホテルの部屋にあるテレビの番組ボタンを行ったりきたり、押し続ける。素朴な質問や、時に優しい言葉を投げかけられると、物思いが途絶える。もういちど可愛がってもらいたい、リダが切望しているのはそれ。しかし生活が圧迫の度を強めたとき、その思いは霧消した。妻がいようが独身だろうが、セックス好みの男たちの相手をする職業は、それを拒むことが許されないのだ。
四人兄妹の三番目であるかの女がジャカルタでの生活を維持するために行っている仕事がそれだ。リダは心の中で、夫の行為に復讐するための選択として、破戒の世界に踏み込む決意をした。それが娼婦になることを意味していたとしても、自分は自立して生きていくのだ、と自覚している。
はじめリダは、月収5百万ルピアという高給の仕事を与える、と約束する男に知り合った。「正直なところ、のどから手が出たわ。ましてあたしは、ジャカルタのきらめきを見たくてしかたないただの田舎娘。あれよ、テレビのシネトロンでよく見るやつ。」ジャワ語のアクセント濃く話すリダ。経済的な必要性と傷つけられた心への復讐心に突き動かされて、リダは2002年にジャカルタの土を踏んだ。暗黒の谷間にリダを輝かせようとしている男の申し出を、かの女は受け入れたのだ。
ジャカルタに着くと、いまや同業者になっている女性たちにリダは紹介された。その女性たちは最初、ふつうの友達のように接してくれた。つまりリダのジャカルタ暮らしをみんなしてエンジョイさせてくれたのだ。きらめく世界の息吹、ディスコ、パブ、カフェなどにあるナイトライフの喧騒が、かの女の生活の中に次第に大きな位置を占めるようになり、タバコ好きの仲間からは、一本また一本とその習慣に誘われていった。
この策略はさらに、リダに対して少ずつイネクス(訳注:ineks、エクスタシーの別名)を呑んだあとのトリッピングの悦楽を教えるところまで進んだ。「おにいさん、トリッピングしたことある?」リダが問う。ホテル客室内のテーブルに置かれた小さいバッグをリダの小造りの手が取り上げて、身体が楽になるように、とためらいもなくイネクスを数粒取り出す。しかしどうしたことか、かの女はそのイネクスを呑むのを思いとどまった。そしてリダは、スタンダードサイズのベッドに戻ると端に腰掛け、ふたたび媚をまじえて、ジャカルタがどれほど残酷に自分を卑賤の谷に引きずり込んだかについて愚痴りはじめた。
「考えても見て。あたしは毎日、時間なんかおかまいなしに、セックス好き男の相手をしなきゃいけないのよ。メンスのときしか仕事を休むことはできないの。」

奇妙なのは、かの女もその世界を享楽しており、自分をジャカルタに連れてきた女衒の手から逃れたいという意志を持っていないように見えること。女衒の手はあたかもたいへん緊密に女の生活の自由を束縛しているようで、そんな暮らしを続ける以外に選択の余地はないのかもしれない。


婦女子売買は組織的国際犯罪の一部。女性に対するこのバイオレンス行為は地域や国を超越する。
『国際的パースペクティブでのジャカルタにおける基本的人権の確立』と題してしばらく前に行われた討論会で、女性に対する暴力反対国家コミッション議長サパリナ・サドリ博士は、ジャカルタというようなひとつの場所だけで婦女子売買を見るのは適切でない、と語った。
「インドネシアの女性の地位はきわめて弱いことを認めなければなりません。わたしたちには法律の規定がないのです。インドネシアは、女性の尊厳をたいそう卑しめる婦女子売買を禁止し統制するための法的ツールを持っていないのです。今、インドネシア政府は人身売買に関する法案を煮詰めていますが、その検討ももう既に長い時間がかかっており、一方売春シンジケートが舌先三寸のいろいろな誘惑で行う婦女子売買は止むことがなく、それどころかいっそう憂慮される状況になってきているのです。野蛮さの犠牲者たる女性たちは、もう一度そんな状況の犠牲になっているのです。」博士はそのように説明する。
基本的人権の限界に触れるこの社会問題の克服にとってより重要なのは、婦女子売買を減らすための目に見える厳格な措置を法執行界が示すことだ、と博士は強調する。部分的対応や指先だけが温かいような心のこもらないものではだめなのだ。厳格な措置とは、司法プロセスの方向や法的処罰のフォローがはっきりしない、ただの警察の手入れに終わるようなものでは決してない。まして警察は、野蛮な婦女子売買行為の犠牲者であることがはっきりしている女性を悪者にしているのだ。
実態は売春スポットであるカモフラージュ下宿屋についてサパリナ教授は、特定の場所で行われている婦女子売買の根を知っているひとはだれでも、それを警察に届け出るべきであり、警察もそれを放置してはならない、との見解を示す。
「手入れが行われたあと、婦女子売買の犠牲者女性たちは、自分の故郷へ帰されたり、社会更生機関に収容されたというニュースがときおり聞かれるだけで、売買犯罪容疑者の法的プロセス自体は明らかにされたことがありません。」法的事件の解決に中途半端な姿勢を見せる法執行界を、サパリナ博士は残念に思っている。
ソース : 2003年4月9日付けコンパス
ライター: Osa Triyatna, Adi Prinantyo


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『ブレスパン』

カラオケバーウエイトレスたちの一部はプロの恋売り娘を兼ねている。後者の仕事は前者の仕事がハネてから。近年はやりの言葉ではブレスパン。しかしブレスチンもブレスコルも負けてはいない。かの女たちのメインターゲットはドルハント。

深夜午前一時。南ジャカルタ市ムラワイ地区は夜市さながらのにぎわい。客待ちタクシーが何十台も長い列をなし、自家用車も取替え引換え駐車場を往来する。送迎用自動車も店の表でスタンバイ。夜の慰安、特に日本・中国・韓国スタイルのレストラン兼カラオケが立ち並ぶこのエリアは、まるで夜の美姫のように身を飾る。
身体の線をピッチリと浮き出させた服装の娘たちが立てる甘え声が、深夜の冷気をかき混ぜる。三人の美女がクラブDSのドアから一緒に出てきた。かの女たちはドナ24歳、リスカ23歳、ヤンティ23歳。みんなとてもセクシーなスタイルだ。ドナはミニスカートで、突き出た胸が大きく割れた服。リスカはジーンズでふくらはぎまで覆い、腹とへそを見せるシングルストリングのシャツを身に着けている。ヤンティはキャミソールとピチピチのスラックスで身体を包み、髪は崩れて肩にかぶさるにまかせている。
その娘たちは、ガウルカフェから出てきた思春期の若者たちでもなければ、ディスコのフロアーで楽しく揺れていたグループ仲間の子供たちでもない。まったくそんなものじゃないのだ。かの女たちは、毎晩客の相手をするカラオケパブのウエイトレスにほかならない。乾いた笑い声がはじける。
どうやらかの女たちを、男が三人、車の中で待っていたようだ。「ハロー、わたしたち、このまますっぽ抜けよね?」ドナはシートに身を投げ出す。ムラワイ地区の駐車場を埋めている車はミニバスから高級車までさまざま。ドナ、リスカ、ヤンティのほかにも、仕事がハネた娘たちが何十人も見える。まっすぐ送迎用車両に乗り込む者もいれば、その一帯のいたるところで商いをしているカキリマ商人から買った食べ物を賞味しながら仲間同士で一心にふざけあっている者も。
そんな時間にその一帯を行き来する車も数多い。中にいるのはまず男。眼光を周囲に走らせ、美しい娘が眼にとまれば、誘惑の言葉が捧げられる。はたまた、カラオケパブから出てきて、そのまま車に向かうカップルもいる。


ブレスパン、ブレスコル
深夜のそんな情景は、ブレスパンの一シーン。ブレスパンとはつまり、bubaran restoran Jepang(訳注:日本レストランの閉店)の略。いったい誰がそんな言葉を編み出したのか?ともあれ、美女を求める夜の冒険者たらんと望む男たちには、もう定着した言葉だ。
美しい女たちはカラオケパブにいる。アドベンチャー男たちは、かの女たちの多くがダブルプロフェッションであることを知っている。ひとつの職業はエスコートレディ別名カラオケウエイトレスで、もうひとつの職業は、セックス取引にいつでも応じる娘。勤務時間中かの女たちは、アジアの各国からやってきた客の相手をする。日本、韓国、台湾あるいは中国。インドネシアの男でさえ、常連客になる者もいる。第一の仕事は、ソファに座って相手の客にできるだけたくさん飲み物を注文させるように仕向け、たくさん金を使わせること。客の相手をするあいだ、妥当な範囲で飲み食いの相伴をすることがかの女たちには許されている。要は、客と一緒になって酔っ払ってはいけない、ということ。
ムラワイやマンガブサール地区では、レストラン閉店のあとはたいてい、かの女たちを誘って情熱の世界をさすらいたい男を乗せた車が何台も何台も外で待っている。だからアドベンチャー男には、同じ「ドル援助者」同士の間で会話を簡単にすることのできるスラングがあるのだ。ブレスパンやブレスコルの意味を知っているあなたはきっともう、夕方はレストランのウエイトレスとして働いている娘たちを誘うことになれているにちがいない。
ブレスパンがbubaran restoran Jepangなら、ブレスコルはbubaran restoran Koreaであり、ブレスチンはbubaran restoran Cinaというところ。つまりブレスパンとは、閉店後に別の肉体労働をサイドジョブにしている日本レストランのウエイトレス娘を意味しているのだ。
セックスサービスを売ることを専業にしている純粋なセックスワーカーとは異なり、かの女たちは素人、あるいはパートタイマーと呼んで良いのかもしれない。すなわち、かの女たちは毎晩このエクストラビジネスを求めたり、取引に応じたりするわけではない、ということなのだ。だからブレスパンやブレスコル娘を探すのは、必ず一夜のデートに誘えるフルタイム専門セックスワーカーのように簡単にはいかない。
日本レストランがひけてから出てくるかの女たちは、だれでもデートに誘えるわけではない。つまりかの女たちも相手を選り好みする。客の選択を決していい加減にはしない。概してかの女たちは、既に見知っており、親しくなっている客を選びたがる。ましてや先例があるなら、なおさらだ。

ドナにとっては、普通のレストランよりも日本のパブレストランでウエイトレスをする方が簡単に金が稼げる。遠いパレンバンから出稼ぎに来たこの娘は、本当にそう感じている。カフェレストランで働いた経験では、給料と客のチップからなる月収は百万ルピアにも満たなかったそうだ。「そんな程度のお金は、ジャカルタじゃあ何の意味もないわ。」セクシーな服を好むかの女は本音を語る。DSパブで働くようになってから、ドナの収入は跳ね上がった。日本、韓国、中国から来た在住外国人で毎晩にぎわうDSは、あふれんばかりの糧を約束してくれる。客がくれるチップは、月給をはるかに上回る、とドナは言う。
「お客にどんだけ上手に甘えられるかの問題よ。」DSではダブルの利益が手に入る。客が飲食にたくさん金を使うほど、かの女たちのもらえるボーナスも大きくなる仕組みなのだ。
「チップは店の売上には入んないの。直接本人のポケットに入るのよ。他人のポケットに入るなんて、とんでもない。」冗談っぽくドナはそう言う。
セックス取引はどうなの?
要求は常にある、とかの女は認める。でもすべての客の要求に従う必要はない。つまり、かの女の側にもいくつかの検討項目があるということ。行き着くところは所詮金なのだが。
「百ドルとか二百ドルくれるっていうのなら、別にカッコよくなくても、断ることなんかないじゃない。」大きい胸をしたこの娘はそう語る。しかしもちろん、ベッドがすべてというわけでもないようだ。多少の議論のあと、恋の取引は経済状況が切迫したときだけ、と説明した。「ベッドだけってわけじゃ決してないのよ。カラオケでも、うまくやればたくさんお金が手に入るもの。」

ジャカルタ生まれの24歳で、ムラワイのカラオケパブMJのプリマドンナのひとりであるリスカの場合は違う。身長162センチと上背はないが、セクシーな体形と一見中国系の顔立ちをしているかの女が大勢の常連客を持っていることは言うまでもない。そのほとんどは韓国人と日本人。
ウエイトレスに他ならないエスコートレディの仕事中に、もう一つの仕事を受けるのはしょっちゅうよ、とリスカは明かす。言わずもがな、店がハネたあとのデートの誘いだ。「条件が合うなら、何でしないわけがあるかしら?」挑戦的な言葉。美しい顔立ちのおかげでリスカが得をしているのは、かの女が頻繁に外国旅行に誘われる事実が証明している。最近でもかの女は三週間にわたって、客に同行してシンガポールに行った。客はその間、一日いくらという、リスカが要求する金額を支払った。
「一日百ドルよ。MJで働いた場合の一晩の収入を計算すると、それくらい。」MJでリスカはフリーランサーだから、毎日出勤する必要はない。MJでは、マミーの下で毎日の仕事と勤務時間を監督されている。「好きなようにやってるわ。ブッキングがある場合は行かなきゃいけないけど。常連客はキープしなきゃ。」ショートヘアーの娘はそう語る。


ドルハンター
レストランが飲食の場だということは、誰でも知っている。カラオケはテレビスクリーンを見ながら歌う場所だ。しかしレストランとカラオケが合体すると、ましてそれが日本・韓国・中国カラオケレストランであるなら、ニュアンスは違ってくる。飲食や歌だけでなく、その中にはエキストラのサービスが用意されている、つまりセックスだ。
ビジネスだから、レストランはサービス係がなければやっていけない。ところが日本・韓国・中国カラオケレストランは、ウエイトレス・プラスがいなければ客は本当に寄り付かない。そしてそんなウエイトレス・プラスがかき集める収入は、レストランの公的な売上に匹敵することも起こりうる。かの女たちの存在は、密売春というカテゴリーに入れることができる。かの女たちの公的な仕事は、客の話し相手になり、そして客がたくさん飲むように媚びて勧めること。非公的な仕事が上であげたセックスサービス。
カラオケレストランの営業が活発になるのは夜9時以降。ウエイトレスたちは夜7時にもう店にやってくる。日本・韓国・中国レストランの仕事時間は、夕方からオープンしている普通のレストランとは違う。
ウエイトレス・プラスたちのステータスは、必ずしもレストランの従業員として登録されているわけではない。労働省に届けられているウエイトレスの人数と実際にレストランで働いている者の数がまったく違っているということはありうる。その大半はフリーランサーだ。ヤンティはレストランマネージャーにだけ登録してあり、わずかな指示をもらってすぐに仕事につく。自分でそこが良いと思えば、かの女はずっとその店で働く。

今日に至るもいまだに明けないクライシスのさ中、かの女たちの収入が減少していないというのは大変なことなのだ。それどころか、為替レートのおかげで収入は増えている。なぜなら収入のほとんどはドルやその他の外貨、特に円やウオンなのだから。客の大半が極東の国から来たビジネスマンやインドネシア在住の外国人であれば、それはあたりまえ。時にはアジアのニュータイガー国から船員の団体もやってくる。
カラオケレストランでのドル流通は激しいものがある。ムラワイ地区にある韓国カラオケレストランMSKのウエイトレスでデポッに住むチャチャ24歳は、その仕事を始めてから土地家屋自家用車まで購入した。ヤンティも、どこへ行くにも携帯電話を手放さず、運転手が送り迎えする。ヤンティが一晩で掘り起こす金は数百ドル。それを客がルピアでくれても、数十万から数百万の金額になるのは変わらない。
ウエイトレス・プラスの一部は、収入が十分すぎるほどだと告白する。日本レストランLLのウエイトレスをしているアデ20歳は、収入は毎晩上下して一定ではない、と語る。客がくれるチップの大小がその収入を決めるからだそうだ。スリピ地区に住む独身娘のアデは、自分の仕事は客の話し相手になり、客ができるだけたくさん飲むように仕向けることだと話す。そして、そんな仕事の中で、頻繁にドルのチップをもらう。「たいていは50ドルとか100ドル。中には300ドルもくれた人がいたわよ。」1ドル1万ルピアで計算すれば、100ドルは百万ルピアになる。
アデの仕事仲間で離婚経験のあるイフォン25歳もアデの話に同調する。子供を一人持つグラマーな身体つきのかの女は、チップはたいてい20万ルピアから50万ルピアになる、と言う。「ときには50万ルピアを超えることもあるわよ。」と媚びた笑いを見せる。そんなチップはたいてい親しくなった常連客がくれる。もらうのはドルが多く、円やウオンは珍しいそうだ。「今はすごく得するわよ。」と笑いながらつねる。
アンチョルのカラオケレストランHLで動く金の方が絶対に大きい、と語るのはスシ21歳。一晩三組から五組の客について、そのたびに手に入るチップは百から二百ドル。「上手に客を喜ばせてあげればね。」と開けっぴろげに語る。
レストランで客の飲食に付き合うだけで?
「ううん、違うわ。」とリスカと同業で、ムラワイ地区の韓国レストランMJのウエイトレスをしている19歳のエカは言う。仕事のメインはレストラン客の相手をすることだが、閉店後は両者の合意にゆだねられる。「金額が大きければ、いやと言うわけがないわよ。」というのが結論だ。


トップスリー
もしあなたがドルをしこたま持っていて、セクシーでグラマーな女たちに博愛を施したいと思ったとき、どこへ探しに行けばよいだろう?いちばん簡単なのは、カラオケレストランへ行くことだ。フルサービスを提供してくれるレストランはどこにあるのか?あなたの仲間の外国人男性がやってきて毎日にぎわう場所は少なくとも三つある。
クマン地区?いや、ちがう。クマンはカフェが軒を並べ、西洋人エクスパットの倉庫だと自認しているが、特別サービスを約束してくれる店はあまりない。ましてや、特別サービスとはセックスサービス女性だ、というのなら。
南ジャカルタで特に有名なのはムラワイ地区、つまりブロックMだ。そしてコタ地区のマンガブサールと、ジャカルタ北端のアンチョル。ムラワイ地区の賑わいは昼と夜とで大違い。昼間のムラワイ地区は、さまざまな商品を売る商人でいっぱいになる。ところが月が地球をかき抱くとき、ムラワイはいっそう活発で華やかな場所に変身するのだ。
セックスワーカー女性がたくさんいるカラオケレストランは十軒を超える。そのいくつかはゴールデントゥルーリー・デパートの周辺にある。ほかには旧ローラーディスコやBCA銀行の並びにも。それらのレストランは昼間、ランチ客のために数時間開き、その後は夕方まで閉店する。夜7時が近づくと、ひとりふたりと客が来る。だが客が大勢やってくるのは、ディナーの時間帯が過ぎたころ。サパーを取りながら、客たちはレストランのウエイトレスに相手をしてもらってカラオケを楽しむ。驚くべきは、ウエイトレスだというのにかの女たちは、客と一緒にレストランから出て行くことができる。いったいどこへ行くのだろう?さもなければ、深夜までカラオケレストランで時間をつぶし、閉店のあと、店内で相手をした客と一緒にどこかへ消える。
外見上それらのカラオケレストランは普通のレストランと変わらない。それどころか中には店舗住宅のような建物もある。しかしそうでなく、普通のレストランのように明るくてオープンというのとは正反対の、真っ暗という店もある。暗い不透明ガラスを使っているばかりか、表扉も常に閉まっている。まるで客はお呼びでない、と言っているみたい。そこがレストランであることを示す唯一のものは、韓国語や日本語の張り紙だけ。
そのようなカラオケレストランの内部はごちゃごちゃ。内装がはっきりしたコンセプトで統一されているカフェ一般とは違い、そこはごちゃ混ぜガドガド風で、不粋。一方、日本・韓国・香港・台湾などから来た客がたくさん訪れるカラオケレストランは、ほとんどが日本風や中国風の装飾で店内を飾っている。外見は日本や韓国のレストランなのに、中国風インテリアになっている店があるのには苦笑する。
真っ暗で、まるで閉まっているかのようなカラオケレストランはマンガブサール地区にも多い。そんなカラオケレストランがセックスワーカーを提供するかどうかを簡単に知るための印がときどき付けられている。たいてい英語で、それに日本語や中国語が添えられている。「You must be over 21 years!」
閉め切ったカラオケレストランはアンチョル地区にもたくさん出現しており、たいていは表にかけられたカラオケの看板が派手なネオンサインで作られ、真夜中に至るまで色とりどりに明るくきらめいている。
それらの三地区にくらべて、プルイッ地区はもっとオープン。昼間から普通のレストランのように店開きし、来客の賑わいは昼も夜も変わらない。そんなカラオケレストランは昼間、家族で食事する場にも使われており、料理がおいしいために人気を博している。プルイッ地区のカラオケレストランの多くは中国語を話すひとたちのもの。台湾・香港・マカオ・中国のビジネスマンやインドネシア在住者、そしてプルイッ地区周辺に住むひとびとのためのものだ。そんなカラオケレストランの中には、営業時間を自主規制している店もある。まるで夜間外出禁止令といった態だが、それでももし情熱に火がつけば、そんなものは打ち払うまでだ、ということなのだろうか?
ソース : ジャカルタアンダーカバー(2002年)
ライター: Moammar Emka


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『近道の精神「すぐにイーキモチ」』

スマランのディポヌゴロ大学心理学教官ダルマント・ジャットマンは、かつてデートに誘える女子学生のものと思われる携帯電話番号の追跡を行ったことがある、と語る。かの女たちにコンタクトするのはとてもむつかしいそうだ。かの女たちは自分が知っている番号からの電話にしか出ようとしない。コンタクトしてきた相手が本当に金を払う人間かどうかをはっきりさせたいにちがいないことは明らかだ。コンシューマリズム型ライフスタイルの誘惑と手を握った経済的なプレッシャーは、女子学生とのデートという、一部の人にはセンセーショナルに思えるにちがいないセックスビジネスを生んでいる。

これはおよそ一年前の実話。中央ジャカルタ市のとあるディスコの喧騒の中で、記者はひとりのウエイトレスにつれづれなるままに尋ねた。ダンスフロアーで身体を揺らしている大勢の女たちの中に混じっているような、その店内でうごめいているセクシーな服装の娘たちの中に、デートに誘える子はいるのか、と。
「あの連中は白人にしかついてかないわよ。」ウエイトレスは冷ややかに言う。われわれはそのウエイトレスをそばに来るように招いた。「われわれは金持ちなんだよ。」とウエイトレスにささやきながら、かの女の手の中に札を滑り込ませた。ウエイトレスは驚きをあらわにした。たたいた大口の仕上げをするため、われわれはパリとバリの住所が書かれている友人の名刺をかの女に渡した。ウエイトレスはますます呆然の態。
「かんたんよ。」ウエイトレスはにこにこしながら言った。しばらくしてから、数人の女を連れてかの女はわれわれのテーブルに戻ってきた。「どの娘がいい?」と尋ねる。
そこで紹介された女たちの中に、自分は大学生だと認める者がいた。その娘は本当は、その店で夜中に数分間出演するダンサーだった。その店でのダンサーとしての報酬は、1万数千ルピアしかない、とその娘は言う。だからかの女は、このような客の相手をするのに慣れているに違いない。ましてや飲み放題にさせてくれる客に誘われれば、自分は金持ちの相手をしているのだと思い、夢中になる。このような行為の第一の動機は言うまでもなく、物質的なもの。


ダルマントが自ら観察したところでは、かの女たちはある特定階層だけを狙っている、とこの心理学者はそうコメントする。下宿代を払うといった、単に物質的な利益を得れば十分だとかの女たちは考えているのだそうだ。そんなやり方を取るのは、ひとつには経済的プレッシャーに追われている一方で、将来のために安全な方法をも求めているからだ、とかれは言う。
「中庸さ、必要なだけ、なければならないだけ」というジャワ哲学に多分かの女たちは従っており、将来を危うくしようとはしない。売春というレッテルを貼られることをとても嫌っている。ダルマントはそう解き明かす。
ただ、どこまであるいはどれほど、かの女たちみんなが「中庸さ、必要なだけ、なければならないだけ」哲学を持っているのだろうか?その公式は、最新の社会コンシューマリズムのあらゆる領域で有効なのだろうか?
大都市社会における生活を描いた小説スーパーノヴァで知られた、バンドン・パラヒヤガン大学卒のデウィ・レスタリは、大都市型ライフスタイルへの憧れが、女の子たちを強くキャンパスチキンに仕向ける要因だと語る。「わたし、AさんがあるいはBさんが使える、っていう言葉をよく耳にするの。」この手の話は耳学問だけだと断るデウィは、そう物語る。特定の交友界に受け入れられるために、ひとは携帯電話やクレジットカードなどその種のシンボルを持たなければならないことをデウィは目撃している。「特定の交友界の中でひとりの人間として扱われるための競争は熾烈さを増しており、セックスはその近道のひとつにされています。セックスという手段でそれを満たすのが、いちばん手っ取り早いのよ。」とデウィは語る。デウィが、そして多くの若者たちが使う用語はイージーマネー。つまり簡単に手に入る金という意味だ。
そこから、多分それまでは中庸でしかなかったものがくせになり、必要になり、そしてネットワークに発展することも稀でない。ジャカルタのラジオ局MSトゥリの番組、キャンパスダイナミズムのプロデューサーで、大学生との接触が多く、かれらの打ち明け話をよく耳にしているインダは、キャンパスチキンは組織としても個人としても活動しうる、と言う。「パピ(訳注:おとうさん)と呼ばれる美人局が写真を見せて女をオファーし、条件が合えばコンタクト先の電話番号を教える。そんなキャンパスチキンたちの外見は、普通の大学生と変わらない。「その子たちはきれいよ。今の若者言葉で言うと、透きとおってる・・・」
かの女たちの動機はさまざまだ。学費が本当に必要な娘、あるいは悦楽を追い求める娘も。同じ交友界の中で、コストのかかるライフスタイルで輝き続けたい。そんな女子学生は低経済階層出身者だけと思ってはいけない、とインダは言う。エリート層出身で、贅沢な暮らしから抜け出せない者も珍しくない。たとえば、バッグは8百万ルピアもするプラダじゃなければならない、というように。そんなライフスタイルはもちろん残酷だ。精神的に強くなければ罠にはまってしまう。


現実にそのコンシューマリズム問題は、若者たちたちの暮らしに近いひとたちがもっとも注目している。今はカナダ在住の、若者向けポップ小説や映画シナリオをいくつかものしているザラ・ゼティラも、そのような現象のすべてがマテリアリズムをベースにして生まれていることに憂慮する。「たとえばカッコよい車に乗る厚い財布の憧れのカレとデートするために、娘は一番根本的なものを含めてすべてを喜んで犠牲にしなければなりません。あるいは、トレンディと見られていることに従わないと、すぐに田舎者で偽善者だとレッテルを貼るピアプレッシャー。」ザラは国際電話の向こうでそう話す。

社会的環境について、自分の目で見たカナダの若者の世界が、自分が知っていたインドネシアのそれと大きく違っていることに驚いた、とザラは話す。「かれらは、前からわたしが描いていたイメージとは違っていました。思春期の子供たちの自由交際なんてほとんどなし。かれらは実績を追求する活動の方を好むのです。同棲や婚外セックスを行っているのはたいてい大人になってから。言い換えると、そのようなことを行う者は精神的感情的にもっと熟しており、自分が何をしているのかということを知っているのです。」そうザラは語る。
そこで起こっているのは、外国の多くの観察者がコンシューマリズムやライフスタイル現象に関して分析しているような、一種の消費ステップだ。その際に、多くの発展途上国で起こっている大量消費と、多くの先進国で起こっている成熟消費を区別しようとする意見がある。成熟消費とは大まかに言えば、コンシューマリズムの流れに対して批判的な姿勢が取れる段階に社会が達しているような消費レベルを意味している。文化研究コンセプト作成者たちがもっとも多用している例は、環境、自然保護、健康生活等々への意識から過剰消費に反対するというもの。そのような批判的姿勢を持ちうる消費レベルにまだ入っていない国では、日々の状況や実態と必ずしも一致しない欲望や夢がただあふれているばかり。たとえば魅惑のプラザスナヤンがオファーしている消費レベルをいったいだれが本当に実践できるのだろうか?批判のバランスが取られないコンシューマリズムの怒涛の中で、それが達成できないとき、娘たちが自分をあえてセックステスト用生物の位置に押しやるのも、決して不思議なことではない。


一般的に十三四歳から結婚適齢の二十五歳ごろまでは、男女ともリビドーにとって危険な年代だ、と言うインドネシア大学心理学者サルリト・ウィラワン・サルウォノが述べる理論はもちろん依然として有効だ。親は子供が若年で結婚することに賛成しない反面、子供の恋愛交際をも許さない。だから子供たちは近道を探す。かれらはもう大学生になっているから、その近道発見はキャンパスで起こる。しかし本当は、そんな危険な年代であれば、公務員でも工場労働者でも、どこでも似たようなことは起こりうるものだ。
別の可能性として、ライフスタイルの変化や科学の進歩につれて、セックスに対する人間の見方の中にも変化が起こる。6月1日にジャカルタで催された「セックスと現代女性」と題するトークショーで、ウインピー・パンカヒラ教授がそれを述べている。神聖にして生殖活動としてのものであったセックスが、さまざまな避妊具の発明によってレクレーションに変化している、というのだ。
「今では、性行為は悦楽や享楽を得るためのレクレーションになっている。社会団体インドネシア福祉家族と雑誌ハーワールドが一緒に行ったサーベイ結果を見ると、現代女性にとって性交はレクレーション風になっていることが明らかだ。」そう語ったウインピー教授は、社会に消費的姿勢をあおる広告に注意する必要がある、と警告する。発展途上社会が消費的になるように煽られると、結局不合理な行動を取ってしまう。そんな社会が負担しなければならないリスクがそこにある、とかれは説く。

現代社会がもたらすさまざまな要素の関連付け、世界観の変化、批判的思考でバランスが取られないコンシューマリズムの流れ、リビドー問題、心理学者が理論付ける心理学の発展。それらは最終的にひとつのことがらに向かって流れ込む。「近道」がそれだ。よく知られた言葉を使うなら、「すぐにイーキモチ」
ソース : 2002年6月2日付けコンパス