「行楽旅行2006・7年」


「首都圏の年越しの夜」(2006年1月4日)
12月31日大晦日の夜、首都圏各地は大勢の人出で賑わった。例年、花火と音楽ショーで都民の足を引き寄せるジャカルタ北海岸部のアンチョルドリームランドでは、夕方4時ごろから続々と都民が訪れ、入園者数28万人という過去最高の数字が記録された。おかげで、ドリームランド入園券とドゥニアファンタジー入場券販売だけで58.9億ルピアの売上となり、通常は切符販売の40〜50%に達するノンチケット売上やスポンサーの協賛金などを合わせれば膨大な利益が上がっているだろうと、同園では大晦日大繁盛の慶び。同園がこの大晦日のイベントに費やした経費20億ルピアは十二分に元が取れたかっこう。都民の多くはテントやビニールシートを園内に持ち込み、0時の打上げ花火を鑑賞した後も帰宅せず、徹夜で新年の到来を楽しんでいた。このたいへんな人出にアンチョル周辺の道路では激しい交通渋滞が発生し、道路を埋めた四輪車の列は明け方まで続いた。
特になんらかの催し物が予定されていたわけではない都心部のモナスやHI前ロータリーでも大勢の都民が集まり、モナスでは深夜の凧揚げで遊ぶ人も出て、明るい光の下で思い思いに新年を祝っていた。
例年大晦日にはダンドゥッの競演をはじめさまざまな趣向のプログラムが催されて入場客を楽しませてくれる首都南部の行楽地タマンミニも、今年の入場者数は10万人を超えた。ダンドゥッ2006分間ノンストップ演奏や、モスク太鼓打ち連続記録挑戦などが行われ、太鼓打ち優勝者は22時間51分という驚異的な記録を実現した。
大勢の都民が夜っぴて都内を往来したために、都内では時ならぬ交通渋滞が発生し、スディルマン〜タムリン通りを筆頭に、ガジャマダ通りやハルモニー周辺、モナス周辺や都内随所の交通ネックでは週日の通勤時にまさる混雑が展開された。
郊外では、ブミスルポンダマイで打上げ花火見物のためITCに大勢が集まり、一時その周辺では身動きが困難な情況になった。プンチャッ街道でも自動車が数珠繋ぎとなり、ボゴール警察が随時一方通行化を行って交通を捌いていた。バンテン州アニェル海岸では、夜になって風と波が強まったが、ホテルやビラは宿泊客の年越しの催しで賑わっていた。


「年越しはお目出度い」(2006年1月4日)
年越しのセンセーションが首都ジャカルタを覆った。深夜を過ぎるまで大勢の都民が思い思いの場所で時間を過ごし、カウントダウンと花火や光のページェントに歓声をあげ、都内各所は昼間のようにひとびとであふれ、新しい年の誕生を祝った。そんな中で大金を手に、「おめでとう」を連呼したひとびともいる。都内の高級ホテルや観光地でショーを演じたアーティストたちがそれ。年末の桁違いの入場料をかき集めた主催者たちは、当然その巨額の分配をアーティストに行う資金力を手に入れたということなのだろう。
今年はスナヤンのホテルムリヤで、若手のアグネス・モニカと別々にショーを打ったアーティスト界の稼ぎ頭であるKDことクリス・ダヤンティのギャラはいったいいくらだったのか?人気グループのピーターパンは3億から4億ルピアの間との噂だが、マネージャーをはじめ、財布の中身を洩らす人はだれもいない。そのギャラを払ったアンチョルドリームランド側は、全アーチストへのギャラ支払いは総額7億ルピアだと明かしているが、はて誰がどのくらい?


「ボロブドゥル観光にガイド争い」(2006年2月6日)
ボロブドゥル遺跡は依然として世界中から観光客を招き寄せている。一昔前に比べて周辺地区の整備も進み、運営も秩序付けられてきたが、観光客数の減少のおかげで、観光産業に従事している者たちの気が立っている。
ボロブドゥル寺院を擁するマグラン県は2002年の県条例第17号で、県内の観光施設におけるツアーガイドは地元ガイドに限ることを決めた。地方自治進展の中における、自治体のエゴ優先の一事例ではあるが、それなりの背景もからんでいて単純に断罪するのが難しいことでもある。観光客が潤沢にあって、地元ガイドたちもそれなりに潤っていれば、条例が百パーセント守られなくとも問題はなかったのだが、観光客が減ってくれば、地元ガイドたちはその利権を主張するようになる。そこにきて、県観光局がその条例施行を厳格に行うようにとの指導を回状で観光業界に流したため、ジョクジャにやってきた観光客のツアーガイドが一手に全観光をお世話できない、という構図がそこにできてしまった。ジョクジャのガイドがボロブドゥルに客を連れて行けば、現地で奪い合いが起こるかもしれない。
ジョクジャの観光業界も、マグラン側の態度に困ってしまった。なにしろ、ジョクジャの観光客誘致プロモーションの大きい目玉のひとつがボロブドゥルであり、ラトゥボコやプランバナンの遺跡なのだから、投資回収に他県が割り込んでくるのに良い顔をするはずもない。ジョクジャ自体も登録ツアーガイドは全盛期に4百人を数えたが、今稼動しているのは80人程度。ボロブドゥル遺跡の施設管理と観光運営を行っているPTタマンウィサタチャンディボロブドゥルのデータでは、訪問観光客の40%はジョクジャのガイドが連れてきており、観光客を無理やり地元ガイドに引き継がせるのは、ガイドのクオリティに不評を呼ぶ懸念があるため、賛成できないとの意見を表明している。マグランのガイドがすべて低クオリティであるという報告があるわけではないが、経験をベースに物事を見れば、ジョクジャのガイドと比較した場合、やはり見劣りするということのよう。だがツアーガイド界では、ジョクジャのガイドが身体的リスクを感じはじめており、もし何か事が起こればボロブドゥル観光に大きな痛手を与えることは必定であるため、観光業界はその情況に対する穏便な解決を模索している。
ウィボウォ観光局長はその回状について、ボロブドゥル周辺地元民の福祉向上を目的としたものだ、と説明する。1984年のボロブドゥル遺跡修復事業に際して、周辺地元民はその土地を手放すことを強いられた。「子供のころ、周辺地元民はルバランにボロブドゥルに集まって祝祭を行い、また子供たちは夕方になると、ボロブドゥルで自由に遊んでいた。でも今はもうそれはできない。わたしらはボロブドゥルを遠くから眺めるだけだ。」地元民の一人はそう語る。ユネスコの世界遺跡保存プログラムが実施されてから、周辺地区は5つのゾーンに区分され、第三ゾーンは住民の居住を認めるものの、工業活動は保存事業に悪影響が懸念されるために禁止されている。周辺地元民の生計を支えるための活動に制限を受けているため、かれらのために確保できるビジネスを増やしたいというのが県側の考えでもある。
それとは別に、今回のツアーガイドエクスクルシブ化問題は、ジョクジャの観光協会がボロブドゥルツアーガイドを一括4万ルピアでマグランのガイドに請け負わせる目論見を裏に秘めたものだという業界者の証言も出されている。観光客をはさんでのガイド間の立ち回りなどは是非とも御免蒙りたいものだ。


「ジャズフェスティバル開催間近」(2006年2月14日)
3月3日から5日まで都内スナヤンのジャカルタコンベンションセンターで開催予定のJakarta International Java Jazz Festival は、開催日まで指折り数えるばかり。ことしのステージでは1千人を超えるミュージシャンが、ポップ、フュージョン、クロスオーバー、ソウル、R&B、ブルース、ヒップホップ、ロック、ゴスベル、エスニックなどさまざまなジャンルがジャズと溶け合った華麗な音楽の世界を堪能させてくれる。1千人中4百人はこの催しに出るために海外からやってくる。パティ・オースティン、クール&ザギャング、デイブ・コッツ、リー・リトナー、ボブ・ジェームス、ジェフ・ローバー、エリック・ベネット、ブランドニューへビーズ、タワーオブパワー、インコグニート、メゾフォルテ、オマー&カーリーン・アンダーソン、テイク6、マーク・ド・クライブ-ロウ、ヒロミ・・・・外タレリストはまだまだ続く。昨年の目玉のひとつだったジェームス・ブラウンは残念ながら、今年は欠席することが確定している。
国内からも大所のブビ・チェン、ルルッ・プルワント、エルファ・セシオリア、ベニー・リクマフア、ギラン・ラマダン、ドゥイキ・ダルマワン、エロ、グレン・フレディ、モッカ、カヒッナ、ルッ・サハナヤなど出演者リストはまだ長い。
終日、生き生きとした音楽の中に身を浸したいジャズミュージック愛好家には、絶対見逃せないこの機会。入場券は一日券が35万ルピア、三日通し券90万ルピア、スペシャルショーの入場券はそれとは別に15万ルピア。高いという声もあるようだが、普通の音楽ショーの多くは1時間半で50万ルピアあたりが相場になっている昨今、12時間も音楽漬けになって35万ルピアは高いのかなあ、と興行主のぺテル・ゴンタは洩らす。今年は三日間で来場者6万人、と読んでいる主催者側の期待に応えたいものだ。


「コモド国立公園入園料値上げ」(2006年3月10日)
コモドドラゴン観察ツアーは観光客にとって一度は行ってみたい魅力あるツアー。そのコモド島は国立公園であり、一般者が入るときは入園料を納めなければならない。その入園料を2006年5月1日から値上げする、と国立公園管理側が決めた。外国人入園料はこれまでの2万ルピアから15米ドルになる。ところがインドネシア観光代理店業協会西マンガライ支部がその値上げに反対している。一気におよそ7倍もの値上げはあまりにもドラスチックであり、また告知期間もあまりにも短いため、外国人観光客のキャンセルを招きかねない、というのがその理由。「われわれは5月1日からの値上げ実施に反対する。西マンガライ県にある旅行代理店の大半が1年先までツアーを販売し、契約を取り交わしている。わたしのところでもそうだ。わたしのところは4月、7月、8月、9月、12月に外国客受け入れを契約しており、料金は言うまでもなく現行入園料をベースにしてある。既に契約を交わした料金を変更すると、観光客は契約自体をキャンセルする可能性が高い。そればかりか、インドネシアの観光政策に一貫性がないことを関係者たちが強く感じるだろう。」テオドルス・ハルン同協会支部長はそのように述べている。


「ガルーダもEチケットシステムを開始」(2006年3月15日)
ガルーダ航空がEチケットシステムを3月1日から開始した。第一ステップとして選ばれたのはジャカルタ〜スラバヤ線。この航路ではもう紙航空券は発行されず、電子データによる搭乗受付に切り替わっている。ガルーダ航空は最終的に、国内外を問わずすべてのルートで紙航空券を廃止する計画であり、IATAが提唱している通り2007年末にはその100%実現にもっていく日程計画を組んでいる。
Eチケットの支払いは全国のガルーダ航空券販売所あるいは契約旅行代理店でこれまで通り行える。予約はガルーダ航空券販売所もしくは24時間営業のガルーダコールセンター電話08171807807あるいは021−2351−9999で行える。座席がコンファームされると支払いステップに移り、支払いが完了すれば予約者のデータや搭乗予定がコンピュータ内で管理され、予約者はそのプリントアウトをもらうという仕組み。
チェックインの際にはそのアイテネラリレシートとアイデンティティを証明するものを提示すれば、カウンター担当者がその内容をチェックして搭乗券を発行してくれる。搭乗券を手にしたら、そのあと飛行機に乗るまでは、従来からのシステムと何ら変化はない。


「ローコストキャリアーで失敗しないために」(2006年3月17日)
インドネシアで廉価料金航空会社が雨後のたけのこのように登場してきたのは2001年9月11日事件のあと。その事件が先進国の航空産業界に構造変革をもたらし、ダブついた機体を安く発展途上国の航空会社に貸し出したことで、インドネシアにもたくさんの航空会社が誕生した。中にはそんな中古レンタル航空機を二機しか持っていないという航空会社が設立され、認可を取ってすぐに運行を開始したというケースもある。それまで国内航空路は数社の寡占状態でしかなかったところに多数の新設会社が参入してきたため、乗客争奪は激化し、料金は低下して行った。ジャカルタ〜ジョクジャ間の鉄道料金が18万ルピアというところに、20万ルピアという飛行機料金がぶつけられ、飛行機乗客はお金持ちというこれまでのステータスが崩壊し、中低所得層まで飛行機に乗れる時代が到来した。おかげで普段着にゴムぞうりをつっかけ、ひもでしばったダンボール箱を手にして、自分が座りたい場所を探して機内をうろつく乗客がたくさん搭乗するようになり、飛行機大衆化時代が幕を開けた。
廉価料金航空会社は、徹底的なコストダウンを図って、低料金での採算を工夫している。乗客への食事コストダウンをすべての航空会社が行っている。調査によれば、乗客が食べるのは飛行機に積んだ食事のわずか20%という報告がある。極力軽い食べ物を量を減らして乗客に与えることで、乗客ひとりのコストが1〜2ドル節約できる。年間55万人の乗客からそれだけのコスト節減ができれば、たいへんな金額になることはまちがいない。ライオンエアーは、ファーストクラス乗客に出す食事にアルミフォイルを使うことをやめた。2003年に食事関連でライオンエアーが達成したコストダウンは1千2百万ドルだそうだ。バタビアエアーも月間25億ルピアのコストセーブができている。ガルーダ航空のローコスト部門として編成されたシティリンクでも、水とキャンディしか出てこない。食事の世話をしなくてよいから、客室乗務員数は最低限でよくなる。B737−300でキャビン乗務員は3人だけ。乗客クラスはエコノミーだけにし、また全路線で使用する機種も単一にして合理化とスケールメリットを追求した。空港施設の利用も節約する。ボーディングブリッジも空港内旅客バスも無料では使えない。機体をエプロンのなるべくターミナルビルに近い場所に着け、乗客には徒歩でターミナルに入ってもらうのが一番安上がりということになるのだが・・・。そのようにして下げたコストの対極に、超廉価料金がある。
超廉価チケットは、言うまでもなく、さまざまな条件がつけられている。ノーマルチケットだと3ヶ月以内のリファンドが可能だが、超廉価版はそれが認められない。また発券もノーマルよりずっと早いタイミングで行われる。週日と週末の料金が異なっている。もうひとつ特徴的なのは、同じ飛行機の同じクラスなのに、料金がさまざまに異なるフレクシフェアが使われていること。2004年に創設42周年を迎えたムルパティ航空は、国内線で4万2千ルピア、国際線で42ドルの切符を42日間オファーした。全ルートで各フライトにその料金の座席が5つだけ用意され、購入希望者の間で抽選を行って販売した。この企画は好評で、ジャカルタのムルパティ事務所には毎日平均80人が詰め掛けたそうだ。ライオンエアーは超廉価座席を週日は50%、週末は20%用意した。廉価チケット料金も一律でなく、最大60%までのディスカウントが与えられた。また低料金を実現させるために比較的高いロードファクターを設定している航空会社は、乗客数が経済性に合わないと「テクニカルプロブレム」を理由にしてフライトを取り消し、乗客を次ぎのフライトに移してロードファクターを高める傾向があり、そのせいでフライトスケジュールは一日5便あっても、実態は3便しか飛んでいないということも起こりうる。外国の廉価料金航空会社も積極的に安い料金をオファーしている。マレーシアのエアエイシアはメダン〜クアラルンプルを109,999ルピアという驚くような価格で販売した。ただし、新聞に大々的に掲載された破格の料金が一律のものでないことに注意する必要がある。その料金の切符はたとえば10枚しか販売されず、他の座席はもっと高い料金になっている。新聞に出ている料金を単一のものと勘違いし、価格を確認しないで発券させると後でいろいろ面倒なことになる可能性があるので、注意する必要がある。インドネシアでは何かを買う際に、価格が表示されていても売り手に値段を確認するほうが間違いが起こらない。またキャッシュオンデリバリーが売買の基本であることも、生活上の鉄則としておいたほうが良いだろう。


「ローコストキャリアーで失敗しないように(その一)」(2006年3月21日)
2006年1月21日19時30分バリ発ジャカルタ行のAwair航空QZ7513便は、エンジン不調のため乗客の安全を優先して飛行を取りやめる、とジャカルタのAwairから宿泊中のホテルに電話が入った。会社の研修ツアーでバリに来ているアデの一行は81人。Awair側は提案した。11人を14時発の便に早め、残り70人は次の23時50分発のフライトに変えてはどうか、と。
「それは無理だわ。だってプログラムが全部終了するのが17時なんですから。それに23時50分発だとあまりにも夜遅くて、ジャカルタに着いた後困ります。女子社員もたくさん混じってるんだから、そんな夜中に女性がひとりで空港から自宅に帰るなんて、考えられませんよ。もし何かあったら、誰が責任を取れますか?こうしてはどうかしら。みんなもう一泊して、あしたのフライトでジャカルタへ帰るようにしてくれません?ホテル代はAwair持ちで。」アデの逆提案は言下にノー。他に選択の余地はなく、81人が23時50分のフライトに変更となる。スケジュール通りホテルをチェックアウトしてグラライ空港に行ったが、4時間も余分に時間をつぶさなければならず、夕食も予定外の出費となる。23時50分が過ぎても搭乗アナウンスはなく、眠気と不安で朦朧としている中、0時5分にやっと搭乗が開始され、テークオフは0時15分。順調な飛行で無事にスカルノハッタに到着したものの、夜の夜中の空港からみんなどうやって家まで帰ろうかと相談し、結局バスを一台チャーターして深夜の都内をぐるぐる回る結果となった。廉価航空券で安上がりと思っていた81人は、最後の最後でとんだどんでん返しに遭ってしまった。
2006年1月2日、エディはクアラルンプルからエアエイシアAK938便でメダンに戻ってきた。メダン空港に着いて、ターンテーブルから機内預かりにしたバッグを取る。驚いたことに、ファスナー式なので錠前をつけておいたそのバッグから南京錠が姿を消していた。エディはすぐにバッグを開いて中を確認する。マレーシアで土産に買った腕時計二個は中にあった。でもちょっと変だ。よく調べると、時計のパッケージはあるのに、中味が消え失せている。その腕時計は安いものではなかった。その二個の値段は、エディがエアエイシアの切符に支払った金額より高かったのだ。KLでチェックインしたときの荷物監視の厳しさから、まさかこんなことになるとは夢想もしていなかっただけに、エディは怒りと失望で腰が抜けてしまった。これをクレームしたところで、エアエイシアが賠償するはずもないだろう、と思いつつ、エディはエアエイシアのウエッブサイトにその苦情を書き送った。そして案の定の返事が来た。航空会社からの返事は「あなたの苦情は確かに承りました。」という冷たいものだった。


「ローコストキャリアーで失敗しないように(その二)」(2006年3月23日)
ジャカルタに住むノファは、オーストラリアのシドニーに住んでいる姉のところでホリデーを楽しもうと計画した。だがフツーの会社員であるノファの貯えは潤沢でない。「どうすれば安く行けるかしら?」と探し回った挙句、バリの航空会社エアパラダイスを使うことにした。往復の航空運賃がプロモ料金で454米ドル。これより安い料金は、他の航空会社では見当たらない。ノファはエアパラダイスのオフィスで2005年11月26日発の切符を買った。そしていざ、その日が来た。空港へ来たノファはチェックインカウンターを探す。しかしカウンター内に係員の姿は見られず、カウンター周辺に他の乗客の姿も見えない。不審な思いでカウンターに近付いたノファは、そこに一片の紙が貼られているのに気が付いた。2005年11月23日をもってエアパラダイスは閉鎖した、という案内だ。困っているノファに事情を察した空港職員が声をかけた。「エアパラダイスの客はあっちの航空会社で引き受けてくれるよ。料金も安くしてくれる。」
ところがそこへ行ってみると、エアパラダイスの切符を払い戻してくれるわけでもなく、追加料金を取って運んでくれるだけということがわかった。しかしエアパラダイスの切符代とその追加料金をトータルすれば、他よりも高い料金になる。ノファはエアパラダイスの事務所に電話したが、ただ呼び出し音が続くばかり。しかたなくそこまで足を運んでみたが、表扉はロックアウトされており、経営に行き詰まったので閉鎖したことを顧客に詫びる内容の張り紙だけがそこにあった。エアパラダイスを利用する予定だった顧客はこちらへ連絡ください、という電話番号に問い合わせてみたところ、「エアパラダイスから流れたお客は当方が引き受けます」という割には、しっかり別料金を取る商魂のたくましさ。「この切符はどうなるのよ?」と泣くに泣けないノファ。
2005年12月18日、プルナワンはパレンバンからジャカルタのスカルノハッタ空港にアダムエアーで飛んだ。12月25日にバンドンで結婚式を挙げる予定なのだ。ところが、ルンルンだったかれは失望のどん底に突き落とされることになる。出発が2時間半遅れたことにでなく、かれの花婿衣装を詰め込んだトランクが紛失したことに。そのトランクがパレンバンで無くなったのか、ジャカルタ到着後になくなったのか、はっきりしたことはわからない。ただ、スカルノハッタ空港でのバゲージピックアップは、アダムエアー職員のクレームタグチェックも行われておらず、他人のトランクを好き勝手に持っていくことも容易にできる状況だったことをかれは自分の目で見ている。プルナワンのクレームに対してアダムエアー側は、2005年12月31日付の封書で回答をよこしてきた。乗客の荷物に関するクレームは受けられない、と航空券に記してある通りです、と。


「ジャカルタにも歌謡学校」(2006年3月27日)
ボーカルを教える機関は、はるかむかしからインドネシアにあった。カラオケが盛んになる以前からあったものは合唱団を基盤にしたものが普通で、メンバー養成を含めて子供や大人に歌うことを訓練する場所だった。中でも老舗は故プラナジャヤ先生が率いたビナフォカリアだろうが、今ではエルファ・セシオリアやプルワチャラカのボーカルスクールも人気を博している。加えて市井では、音楽の先生が片手間に塾を開いたりということも世界中のほかの国と同様に行われている。そんな中で、北ジャカルタ市クラパガディンのクラパガディンパークビューにあるオフィス住宅内に、今年1月28日から歌謡学校がオープンしている。正式名称はSanggar Seni Menyanyi Rumah Bintang 。オーナーは美人ファッションモデルで、近年TVプレゼンテーターとしてめきめき売り出しているオルガ・リディア。かの女たち、まだうら若き女性セラブリティは、カフェやレストラン、あるいはこの歌謡学校といったように、積極的にさまざまな副業を営んでいる人が多い。
このルマビンタンの特色のひとつは、夜に勤め帰りのエグゼキュティブたちが集まってくること。仕事柄、パーティなどで隠し芸を所望されるのは洋の東西を問わないし、今やカラオケが常識となった時代であれば、プロ並に歌がうたえることもパーソナリティを強化することに役立つ。レギュラーコースは全6回のレッスンで、料金は2百万ルピア。生徒は教室と先生の空き時間から自分で日と時間を選び、レッスンを受けたい歌を自分で持参する。歌は複数でも構わないのだが、学校なのでカリキュラムがあり、歌の実地訓練と並行して歌唱テクニックも訓練される。独学カラオケ派は普通、ヒット曲を有名歌手が歌っているように模倣する。それはそれでいいのだが、人にはそれぞれ個性があり、歌をうたうという場で他人の真似をするだけよりは、自分自身として歌ったらどうか、という提案がルマビンタンの方針に盛り込まれているのだ。自分の個性で歌えるレベルに達したら、職場のパーティどころか、友人知り合いの結婚披露宴で歌のプレゼントをするのも大受け間違いなし。
レッスンの中で、自分の歌唱を録音して聞くことも行われる。カラオケVCDやDVDに自分の声をのせて録音する場合、一曲3万ルピア、3曲7万5千ルピア、6曲13万ルピアという料金だが、生バンドをご希望の場合にはルマビンタンバンドの伴奏で6万5千から20万ルピアという料金になる。
ルマビンタンにはいま42人の生徒が通っている。子供から大人までさまざまで、入会時にオーディションを受けてベーシック、ミドル、アドヴァンスのいずれかのコースに振り分けられる。プライベートレッスンも希望できるし、二三人から四五人までのグループレッスンでもよい。アドヴァンスまで上れば、クラシック、ダンドゥッ、クロンチョン、ブルースなどあらゆるジャンルの歌唱をひととおり習うことになる。カラオケ派のあなたも、一度覗いて見てはいかが?


「サリパシでゲタウエー」
中央ジャカルタ市タムリン通りに面するホテルサリパンパシフィックは、The Getaway と銘打った週末宿泊パッケージをオファーしている。この家族向け週末宿泊パッケージは、フィエスタレストランでの朝食、フィットネスファシリティ・サウナ・水泳プールの無料利用、12歳未満のお子様にチェックイン時にプレゼントがあり、そしてサリナデパートでのお買い物10%割引の特典もついている。朝食は大人二名12歳未満のお子様二名がこのパッケージに含まれている。料金のほうは、一泊パッケージが45万から75万ルピア、二泊パッケージが85万から145万ルピア、三泊パッケージは127.5万から217.5万ルピアで、料金に幅があるのはスタンダード、デラックス、パシフィックという客室のランクによるため。最高級のパシフィックルーム利用客は、他にもいくつかの特典が与えられ、同ランク顧客専用のパシフィックラウンジで朝食を取ることも可能。尚、料金は税サービス料別とのこと。[ 2006年4月 ]


「モナスでひどい目にあう〜コンパス紙への投書から」(2006年4月27日)
拝啓、編集部殿。2006年3月5日17時20分ごろ、わたしと妊娠二ヶ月のわたしの妻、そしてやはり妊娠三ヶ月の兄嫁とはじめてモナスに登ったわたしの姑はたいへんなショックを蒙りました。いや、わたしどもだけでなく百メートル以上の高さから非常階段を歩いて下りた数十人の入場者ともども。
わたしどもはその日16時ごろ、ムルデカスラタンの駐車場に着きました。そしてトイレに入ると、わたしの故郷であるアチェの田舎の礼拝所のものよりひどい様子にうんざりさせられました。陶器製の男性用便器は隣の人から自分の性器が丸見えなのです。16時25分ごろ、わたしたちはモナスの頂上に登るため切符を買いました。ひとり5,100ルピアに加えて保険料100ルピア。4人で2万8百ルピアになるのに、窓口の係員は2万1千ルピアを払えと言うのです。200ルピアは、週末になると一杯になるあふれんばかりの入場者数を掛けなければ汚職するには小さすぎる金額かもしれませんが・・・。16時半ごろから列に並び、およそ30分後にやっとリフトに乗ってモナス頂上に登りました。そこからわたしどもは、裸眼でジャカルタの眺望を楽しみました。備え付けの望遠鏡は柱しか残っていないのですから。
17時20分ごろ、まもなく閉館になるので入場者はリフトの前に並ぶようにとアナウンスがありました。リフトの前で大勢が並んでいると、突然リフトが停止したのです。入場者はパニックになりましたが、いったい何が起こったのか場内アナウンスの説明は一言もありません。何人かが携帯電話で外と連絡を取りました。わたしも連絡に努め、電波がドロップしていましたが、なんとかガンビル警察署にコンタクトできました。
何の説明もないまま一時間以上経ち、モナスの頂上は暗くなり始めました。そしてようやく技術者だと自称する人がひとり、非常階段を上ってやってきました。いったい何が起こったのかを言うように迫ると、モナスの下請けをしている会社の職員であるその技術者は停電だと言うのです。しかし下を見ると、モナス公園内の電灯は輝き始めていました。つまり、リフトに流せる電力はあるということではありませんか。その技術者はしばらく休んだあと、頂上にいた人たちに、非常階段を伝って降りるように言いました。しかし非常階段を使うというのは百メートルもの高さからリフトの周囲を螺旋状に回りながら下りるということなのです。わたしどもは、頂上から降りる最後のグループになりました。若い妊婦がふたりもいたからです。責任を果たそうとする職員はいませんでした。地上では、気絶しているひとりの婦人が床で横になっているのに、何の医療措置も与えられていませんでした。もしものことを回避するために、救急車が用意されていてもおかしくないというのに。[ ブカシ在住、ナザル ]


「プラウスリブを巡る観光船」
ジャカルタ湾に散りばめられたプラウスリブ。その島々の中で比較的近いプラウビダダリとプラウアエルを巡る観光船が走っている。もともとは帆船であるフィニシ船にエンジンを装備した5百トンのこの船は、南カリマンタン州バトゥリチンで5百立米のウリンとチークを使って建造され、スラバヤでの儀装工事後完成した。総工費は30億ルピア。シーサファリ8号と命名されたこの船は全長40メーター幅10メーター舷高5メーターの船体を持ち、言うまでもなく高さ25メートルの帆柱も立っている。乗客定員2百人を収容できるこの船にはレストランや休憩室も用意されている。
タンジュンプリウッ港シンダンラウトマリーナを午前10時に出発するシーサファリ8号はビダダリ島とアエル島を巡る観光船で、ツアーのお値段は大人23万5千ルピア子供15万ルピア。この船のオーナーでシーサファリクルーズ観光事業を行っているPT Pelayaran Wisata Laut Varuna Sakti 社は、先にプラウスリブの海を走っていたシーサファリ5号に替えて新鋭船8号を投入した。シーサファリ5号はバリに回送されて3号、6号、7号とともにコモド島や東ヌサトゥンガラにかけての海を走っている。[ 2006年5月 ]


「自然保護地区指定の島を観光開発」(2006年5月2日)
バンテン州パンデグラン県スムル郡に属す広さ5Haのウマン島と4Haのオアル島が民間会社のオーナーに売り渡されていたことが明らかにされた。問題はそれらの島が自然保護地区に指定されていたことで、またしても発生した一貫性のない行政にバンテン州議会はむしろ困惑の態を見せている。
その二島を購入したのは不動産開発会社PT Griya Sukses Mandiri 取締役社長クリスティアン・ハリムで、かれは1980年に地元民から土地を購入し、土地証書も当人名義による所有権が確立されている。そしてまずウマン島をリゾート地として開発するために島の40%ほどが既に切り開かれており、原初の自然は消え失せている。パンデグラン県庁の用地管理許可局長は、いったいどのような手続きが踏まれてそうなっているのかわからないが、その二島はクリスティアン氏の所有であることは間違いない、と法的な状況について確認している。ところがその状況が法的に合法なのか違法なのかという問題について、州議会の中に明快な答えを持っている議員がいない。誰に尋ねても、とりあえず法制度を検討した上で態度を決めようという姿勢。
実はスンダ海峡に浮かぶサンヒヤン島で、類似の状況の先例がある。セラン県アニエル郡チコネン村にあるサンヒヤン島は国連がハビタット保存されるべき世界遺産と指定したにも関わらず、PT Pondok Kalimaya Putih 社が森林省とセラン県庁からの開発許可を持って同島を買収した上、島の観光開発を行った。同社の開発に対する行政上の管理はむしろ放任と称する方がふさわしく、そのために同社は自然保存を一顧だにせず規定にも従わない開発を行い、その結果サンヒヤン海中公園の生態系がひどく破壊されてしまった。バンテン高等裁判所がボゴール農大の助言を得て見積もった損害額は2兆ルピアとされている。


「コモドドラゴンに会おう」
野生のコモドドラゴンに会うためには、コモド島へ行かなければならない。フローレス島西マンガライ県ラブアンバジョ(Labuan Bajo, Kabupaten Manggarai Barat)がコモド国立公園(Taman Nasional Komodo)への入口であり、そこに至るにはバリを訪れるのがもっとも早い。これまではムルパティ航空(Merpati Airlines)だけがデンパサル〜ラブアンバジョ間にフォッカー27型機を火・木・土の週三便飛ばしていたが、今ではゲルマニアトリシリア航空(Germania Trisilia Air)も木曜以外の毎日、その区間を運航している。
ラブアンバジョ港からはチャーター船でコモド国立公園に向かう。最近のコモド島の話題は「コモド国立公園入園料値上げ」(2006年3月10日)でも報道されている。コモド島(Pulau Komodo)・リンチャ島(Pulau Rinca)・パダル島(Pulau Padar)がコモド国立公園に指定されたのは1980年3月6日のこと。1千種を超える魚類、260種のサンゴ、70種のスポンジなどで満たされたこの海中国立公園の美しさは世界でも屈指のもので、さらに鯨5種・イルカ10種・ジュゴンなどがこの海域を通過するため、観光客にはバラエティ豊かな場所として評価されている。チャーターしたフィニシ船が島を目指して波を割って進む間、青い海原から緑色のサバンナ(草原)を戴いた大小の島々が出現する。まるで太古の昔にタイムスリップして行くようだ。
ガイドがコモドの習性を面白おかしく語ってくれる。「コモドは獲物を襲撃するとき、相手の様子を盗み見ながらじっと待つ。相手が油断するのを忍耐強く待つのだ。そして獲物に襲い掛かると、相手をかんで傷を負わせる。唾液に隠れている数十種のばい菌に感染して獲物が死ぬのをコモドはじっと待つ。ところが、待っても死にそうにないと見るや、今度は獲物を立ち木や岩や地面に叩きつけて全身の骨を粉々にする。その方が呑み込みやすいということもある。コモドが常食にしているのは、鹿・猪・野生の水牛や馬などだが、人間が襲われることもなきにしもあらず。」巨体を揺すりながら時速20キロで走るので、もし追いかけられたらジグザグに走れ、とガイドはアドバイスする。コモドの視野は狭いために、視界から頻繁に消える獲物を追いかけるのが困難になるからだ、とかれは付け加えた。
島に着いてサバンナをトレッキングする際には森林警官の護衛を受けなければならない。森林警備者であるかれは枝分かれした木を一本、自分の武器として持つ。コモドが襲ってきたとき、その枝分かれした部分で首を抑えて口を開けないようにするためであり、またコモドの弱点である鼻面をひっぱたくためでもある。こうして野生コモドとのご対面となるのだが、全身のアドレナリンが根こそぎ奪われてしまうようなこの体験は筆舌に尽くしがたいものであるそうで、自分で出かけて行って体験するしかないようだ。[ 2006年5月 ]


「スマトラ象に会おう」
スマトラ象と言えば、ランプン(Lampung)州ワイカンバス(Way Kambas)にある象訓練センター。ワイカンバスはランプン州東海岸にある国立公園で、海岸から低地ジャングルまでを擁する13万ヘクタールの保護地区だ。そこではスマトラ虎、スマトラ犀、スマトラ象など絶滅の危機にさらされている動物たちも保護されている。中でも最大規模の象訓練センターには野生スマトラ象が350頭おり、人間との共生のためにさまざまな訓練を受けている。訓練のおかげで象は人間によく馴れており、人間を乗せて散歩したり、芸を見せたりしてくれる。象のサッカーを見るのも一興にちがいない。
ジャカルタからランプンには、バンテン(Banten)州ムラッ(Merak)からフェリーに乗って海を渡る。対岸にあるのはバコフニ(Bakauheni)港。そこからおよそ30キロの距離に観光地として人気の高いカリアンダ(Kalianda)海岸がある。カリアンダの町はランプン湾とラジャバサ(Rajabasa)山に面した静かな町で、美しい海岸のパノラマを楽しませてくれる。そこから州都のバンダルランプン(Bandar Lampung)までは9キロの距離だが、その間に見逃すことのできない絶好の観光地がもうふたつある。そのひとつがムラッブラトゥン(Merak Belatung)海岸で、ここは小さい入り江になっており、それを取巻く白砂とブルーの海の景観を楽しみ、また水泳にも絶好だ。もうひとつはマリナ(Marina)海岸で、ここは砂浜でなく岩浜の奇景が楽しめる。さまざまな形と大きさの岩が砂浜と海の間を埋めており、大岩が作り出す崖は見る人をひきつけずにはおかない。崖の上には天然の穴がうがたれ、まるで海水をたたえたプールのよう。ワイカンバス国立公園へはバンダルランプンからメトロ(Metro)を通れば105キロの距離で、およそ2時間で到着できる。もしシルバウォノ(Sirbawono)とワイジュパラ(Way Jepara)を抜けて行けば1時間半だ。国立公園に至るとそこがプランイジョ(Plang Ijo)で、公園の入口にあたる。右に向かえば9.1キロ先に象訓練センター、まっすぐ進めば8.2キロ先に犀の養殖場がある。象訓練センターへは一本道で、そこから先は道がない。犀養殖場も行き止まりだが、道路は枝分かれしてワイカナン(Way Kanan)保護ポストに達する。そこまでは13.5キロの道程だ。そしてやはりそこが終点になっている。それ以外の場所へ行こうとすれば、河を船で移動することになる。[ 2006年5月 ]


「カンプンツアーはチナンネン」
ボゴール農大ダルマガ(Darmaga)キャンパスからおよそ3キロ。ヘステル・バスキ(Hester Basoeki)がオーナーのHBガーデンゲストハウスボゴール(HB-GGHB)はチナンネン村(Desa Cinangneng)にある。カンプンウィサタ(Kampoeng Wisata)つまり観光村と称しているこの施設がユニークなカンプン帰郷ツアー(tur Poelang Kampoeng)を催しているのだ。このツアーはスンダ地方の農村での暮らしを実体験するためのもので、実にさまざまな活動がメニューの中に用意されている。ガムラン(gamelan)演奏、ジャイポガン(Jaipongan)踊り、チャピン(caping)作り、ワヤン(wayang)作り、クエ(kue)作り、田植え、籾乾し、脱穀、川での水牛洗い、そしてカンプン巡りツアーは水田から畑・果樹園などを回った後、家内工業の豆腐生産プロセスを見学する。見学ツアーが一段落すればティーブレークだが、お茶は農家にお呼ばれで、近在農家でお茶とスンダのおやつを振舞われる。出てくるのはシンコンゴレン(singkong goreng)、ピサンゴレン(pisang goreng)、ウビゴレン(ubi goreng)など。実に様々な活動が山盛りだが、丸一日のツアーで夕方には終了するから、必ずしも宿泊する必要はない。しかし宿泊をご希望なら、HB-GGHBが8室を備えたスタンダードゲストハウスになっているからスンダの丘陵の一夜を楽しむこともできる。宿泊客は三食に夕方のハイティ、そしてチナンネン川から引いた山の冷たい天然水のプールで水泳もできる。日が落ちたあと、油の灯火を手に夜の村を見回るツアーまで用意されている。スンダの山村の暮らしに触れてみるのも、滅多に体験できない思い出になることだろう。[ 2006年5月 ]


「ジャボタベッのホテル営業状況」(2006年5月8日)
インドネシア銀行が発表したジャボタベッ地区のホテル営業状況サーベイ結果によれば、3月の客室稼動率は3星級が2月の65%から68%に、4星級は62%から70%、5星級は47%から60%にアップした。客室稼動は全般的にアップしたにも関わらず、一泊あたりの宿泊料金は4星級ホテルで2月の415,285ルピアが376,061ルピアに、5星級では735,266ルピアから713,157ルピアに低下している。


「乗馬の楽しみ」(2006年5月11日)
東ジャカルタ市プロマスには競馬場がある。1970年代には馬券が売られ、競馬で賑わったがそれも今はむかし。ワルンブンチッ通りの南ジャカルタ市移民局の向かい側には馬場があった。これも今はむかし。いま乗馬を楽しみたい人はジャカルタ南部が主な活動の場になっている。馬に乗りたい都民が訪れるのは、下のような乗馬クラブ。
Arthayasa Stables : Blok Tengki, Desa Grogol Limo, Depok 16512, Tel 021-7547024, 7547025, http://www.arthayasa.com
Athena Stables : Jl Duren No 77, Parung Bingung, Desa Rangkapan Jaya Baru, Kec Pancoran Mas Depok, Sawangan 16434, Tel 021-7793462
Trijaya Equestrian : Jl Trijaya 23 Ciganjur, Jakarta Selatan 12630, Tel 021-7863063, 78880176
Jakarta Polo and Equestrian Centre : Jl Raya Pasir Maung, Desa Babakan Madang, Citeureup, Kab Bogor 16810, Tel 021-87961569
またバンドンには乗馬学校もある。
Sekolah Berkuda Balaturangga : Jl Kolonel Masturi, Asrama Kavaleri Dankavkud Parompong, Lembang , Bandung
この乗馬学校は月謝がなんと30万ルピア。アルタヤサでも初心者向けの練習料金は低価格。会員になれば一回8〜12万ルピアで馬に乗れる。頻繁に行けないという人は会員にならなくても大丈夫だが、料金は17〜22万と割高になる。


「アンチョルが変わった」
海岸線の上をロープウエーが走っている。ロープウエーのターミナルを出ると、海洋館Gelanggang Samudraが目の前に。1980年代に国内レクレーションのアイコンとなったイルカショーは当時、「アンチョルのイルカショーを見ずしてジャカルタを語るな」と言われたものだ。イルカショーは今も健在だが、海洋館にはもっとたくさんのお楽しみが用意された。失われた王国を探訪するツアーがそれだ。New Gelanggang Samudraはいまやテーマパークに変貌したのだ。1001 Night Legends, Carribean Adventures, Aztec Landの三エリアから成っているスペースを来園者はシーキャトルに乗って探訪する。1001 Night Legendsでは、千一夜物語のストーリーを楽しみながらアッバス朝時代の町並みの中を抜けていく。アラディンとヤスミン姫の物語の中でイルカやあしかが巧みな芝居を演じてくれる。Carribean Adventureでは古きよき時代を謳歌した海賊たちの暮らしを学び、Aztec Landではアステカ族の黄金時代をたどる。独特の装飾に彩られたピラミッドの中では超大型スクリーンに投影される東南アジア最大の4Dシネマを楽しめる。そのスペシャルエフェクトは観客に一大センセーションを体験させてくれる。
海洋館から出て次のテーマパークに入ると、そこはAtlantis Water Adventure。ここは人工波のプールで、大海原で泳ぐ気分を味あわせてくれる。そして子供たちには数千個のボールに混じって泳ぐセンセーション。水に飽きたらDunia Fantasi。Istana Boneka, Halilintar, Bianglala, Kora-kora, Arung Jeram, Niagara-gara, Perang Bintangなど楽しいパビリオンがお待ちかね。そして今最高の人気はMeteor Attack。乗り物に乗って7分間のシミュレータシアターを訪れれば、流星群の間を抜け、エイリアンの攻撃を逃れ、宇宙空間を超高速で飛行することができる。
家族連れでのんびり海の空気とそよ風を楽しみたい向きにも、まだまだ他の場所が用意されている。Ice World, Marlin Beach, Marina Coast Royal Residence, Bandar Jakarta 等々。新装なったアンチョルドリームランドはまだまだ楽しめる。[ 2006年5月 ]


「ジャカルタには歴史の楽しみ」
本当は、ジャカルタも観光スポットに事欠かない。ただしその大半は歴史に結び付けられたものだ。歴史嫌いの人々はアンチョル・ジャカルタベイシティ(Ancol Jakarta Bay CIty)やタマンミニ(Taman Mini)に繰り出すし、そしてこちらの方が圧倒的に首都圏の行楽客を引き付けているのも確かなことではあるが、最近は歴史観光プログラムも続々と出現している。
都内にはおよそ30のミュージアムがある。その中で人気の高いのはタイ国王が寄贈した白象の像をシンボルとする国立博物館(Museum Nasional)、オランダ植民地時代初期にステートハウスだった歴史博物館(Museum Sejarah/Fatahillah)、そして最近は博物館に改装される前マンディリ銀行(Bank Mandiri)だったオランダ時代の建物であるマンディリ博物館といったところだろう。いまはナイトツアーが顕著な増加を示しており、Wisata Malam Museum Sejarah Jakarta やWisata Malam Museum Prasasti、そしてWisata Malam Museum Bank Mandiri などが積極的にプロモーションを行っている。
歴史博物館が2005年2月から企画を開始した歴史ツアーは、グロドッ(Glodok)のチャイナタウンを探訪するWisata Kampoeng Toea を皮切りに、さらには独立宣言前後の歴史をひもとくレンガスデンクロッ(Rengasdengklok)〜カリジャティ(Kalidjati)〜バンドンというコースまでが組まれた。都内にある歴史関連ミュージアムは歴史博物館を筆頭に、ワヤン(Wayang)、造形(Seni Rupa)、陶器(Keramik)、海洋(Bahari)、石碑(Prasasti)、繊維(Tekstil)、45年闘争館(Gedung Joeang '45)、MH タムリン(Thamrin)、そしてジャカルタ文化歴史情報院などが目白押し。
ワヤン博物館は昔の古オランダ教会だった建物で、1975年から世界中のワヤンを集めて展示している。ファタヒラ公園の一角をなしている造形博物館と陶器博物館は、インドネシアの著名な画家たちの作品やインドネシア各地で作られた陶器を展示している。陶器製作で有名な地名はKasongan, Plered, Malang, Palembang, Singkawang など。またかつて大海原を越えて行われた交易の主要商品でもあった中国・日本・ベトナム・タイやヨーロッパの陶器も見ることができる。海洋博物館はパサルイカンに近い場所に建てられたVOCの香料倉庫の一部が使われており、海洋活動の歴史を見せてくれる。45年闘争館はメンテン通り31番地の古い建物で、独立戦争期の写真、絵画、英雄の像や旗などが展示されている。スカルノ大統領ハッタ副大統領公用自動車も貴重なコレクションの一部だ。中央ジャカルタ市クナリ通りにあるタムリン博物館はイ_アの独立に貢献したMHタムリン個人に関わる文物が展示されている。独立広場北通りにあるジャカルタ文化歴史情報院にはジャカルタの発展史を示すさまざまな資料が展示されている。
東南アジアでもっとも古くから高い文化を周辺諸国に発散させてきたジャカルタには歴史が厚く埋没している。一見古臭く小汚い街並みに隠されているさまざまな歴史的ストーリーを発見するのは、とてつもなく大きな楽しみをもたらしてくれることだろう。[ 2006年5月 ]


「地震観光!?」(2006年6月1日)
5月29日月曜日朝、ヨグヤカルタ特別州(DI Yogyakarta)南にあるパラントリティス(Parangtritis)海岸に観光客の姿はひとりもなかった。いつもならいつ行っても人の姿があるこの海岸をインド洋の荒波がただ寂しげに洗っているばかり。オートバイ一台3千ルピアの入場料を取る料金所にも人気はない。
ところがふだんはパラントリティスに往来する観光客がただ通り過ぎるだけのパラントリティス通りとイモギリ(Imogiri)通りの方が人と車で賑わっている。ここ二日間、ジョクジャや中部ジャワの各地からバントゥル(Bantul)県東部へとたくさんの人が集まってきているのだ。観光資源に乏しい貧しい農業地帯であるバントゥル県が思いがけなく、まるで観光ツアーの舞台に一躍踊り出たようだ。パラントリティス通りの路肩に並ぶ四輪二輪の自動車。ひとびとはカメラ付き携帯電話、デジカメ、ハンディカムを手にして地震で崩れ落ちた家屋や被災した村の生々しい光景を映像に納めている。パラントリティス通りからだけでも地面に平たくはいつくばった家屋が目に入ってくるが、脇道に入って近くの村を訪れたらもっとドラマチックな光景に出会うことになる。突然の人出になにがしかのお恵みを求めて街道にやってきた被災者たちを潜り抜け、地震観光者たちはめったに見ることのできない歴史的光景に感動し、カメラのシャッターを押している。
人気の観光スポットになったのは、パラントリティス通り沿いの、南周遊路から5百メートルほど離れたBPKP事務所。この三階建ての建物は劇的なポーズで崩壊直前の姿をさらしている。屋根は地面に接しており、三階と二階は大きく傾いているが、一階はまだしっかりとそれらを支えているのだ。周辺に散らばった屋根瓦がその光景を更に生々しいものにしている。建物周辺道路は俄カメラマンを乗せた車で埋まり、通行はたいへん困難になっている。いや、そこばかりではない。バントゥル通り、パラントリティス通りからイモギリ通りまで、道路上はたいへんな賑わいによる交通渋滞だ。ルバランの時期よりも車の数が多い。
プルウォレジョ(Purworejo)からソロ(Solo)へ帰ろうとして南回りの道を取った一家は、その渋滞の中に巻き込まれてしまった。「わあ、道を間違えてしまったよ。北の道を通らなきゃいけなかったんだ。」ハンドルを握っているバパはそう苦笑いする。街道がそんな状態であるために、ジュティス(Jetis)、プレレッ(Pleret)、イモギリ、プンドン(Pundong)、バンバンリプロ(Bambanglipuro)などの被災地へ救援物資を届けるためのトラックも立ち往生だ。しかしかれら観光客も人情を忘れてはいなかった。インスタントラーメンや米を小分けした袋を車に積んできており、被災者に分け与えている。オートバイ集団もやってくる。若者たちが10台のオートバイで隊列を組み、バントゥル県の僻地まで食糧や毛布を届けようとしている。人で詰まったマイクロバスを運転しているバパは、クブメン(Kebumen)から地震見物に来たと言う。かれらも水や食糧を車に積んできているのだ。地震観光客たちのお気に入り目的地はイモギリ、プレレッ、ジュティスなど、マスメディアで最も地震の被害が大きかったところと報道されているからだ。わずかながら被災者への救援物資を届に来た地震観光客はいまジョクジャ南部を往来している。


「愛惜、チャンディプランバナン」(2006年6月6日)
5月27日早朝に発生したジョクジャ中部ジャワ大地震で、ジョクジャを中心とする一帯にあるきわめて重要な歴史的文化遺産のいくつかが被害を受けた。歴史的価値という意味でもっとも被害の大きかったのがプランバナン寺院(candi Prambanan)だ。遠望すれば、プランバナンチャンディ群は以前と変わらぬ姿で聳え立っているように見えるが、構内にはいるとチャンディ上部から落下した巨大な石彫が地上に散乱して痛々しい。他にも被害が出たのはチャンディプラオサン(candi Plaosan)とチャンディソジワン(candi Sojiwan)で、チャンディソジワンは土砂崩れを危惧して移転させたというのに、皮肉なことに今回の地震で完全に崩れ落ちた。北プラオサンのメインチャンディでは、大ストゥパは東向きに倒壊し小ストゥパ群は西に向かって倒れている。顕著な被害を蒙ったのはその三つだけであり、イジョ(Ijo)、ラトゥボコ(Ratu Boko)、バロン(Barong)、サンビサリ(Sambisari)など他のチャンディでは損傷が見つかっていない。
プランバナンチャンディ群の三大チャンディであるブラフマ(Brahma)、シワ(Siwa)、ウィスヌ(Wisnu)はすべて被害を受け、またアンサ(Angsa)、ナンディ(Nandi)、ガルダ(Garuda)の付随チャンディ群も無事には済まなかった。チャンディブラフマの損傷状況は、頂冠が転落し、チャンディ内部への入り口にあるテラスも崩れて入り口を塞いでいる。一番大きいチャンディシワはあちらこちらにひびが入り、建造物の中心はおよそ4センチほど移動したようだ。付随チャンディ群は頂上が傾き、頂冠がいつ落ちてくるかわからない。
修復されてスカルノ大統領が1953年12月20日に完成を宣したプランバナンチャンディ群はヒンドゥ教に則って紀元850年に建造されたもので、建立者がまだ確定されていない。初期マタラム(Mataram)王家第二代の王ラカイ・ピカタン(Rakai Pikatan)あるいはサンジャヤ(Sanjaya)王家のバリトゥン・マハ・サンブ(Balitung Maha Sambu)が建立者に擬せられているもののまだ定説がない。このチャンディ群はユニークな特徴を持っており、ほとんどの壁がハスの花の彫刻で満たされている。チャンディを人体にたとえるなら、足の位置はすべてにハスのつぼみが描かれ、腰や胸から頭までもが水生植物であるハスの花で飾られている。ヒンドゥ教だけでなく仏教もそうだが、ハスの花はマクロコスモスのシンボルであり、水と空気と土地を核とする現実世界あるいは生命を象徴している。白、紫、赤のハスの花は生命の美だ。
ジョクジャ州古代遺跡保存庁のアグス・ワルヨ(Agus Waluyo)長官はその修復が考古学者だけでは不完全にしかできないと考え、ガジャマダ大学の地学・測地学・建築学などの専門家に協力を呼びかけた。チャンディブラフマの表側地面には新しいひび割れができており、チャンディの基礎に影響が及んだのかどうかもまだ不明だ。ガジャマダ(Gajah Mada)大学土木工学部地質学教授は、地表ではほんの小さいひび割れでも、地中に大きな洞穴があいている可能性もある、と説く。同大学測地学教授は、精密な計算を行わなければチャンディが移動したかどうかを断言できない、と言う。ジョクジャの多くのモールが激しい損傷を受けているのに比べて、高層だが上へ行くほど小さくなっているチャンディは損傷を受けたとはいえまだしっかりと大地の上に屹立している。その様子に建築学専門家は、古代の巨大構造物建設に使われた叡智がこの違いを生み出しているにちがいない、と語る。チャンディ建築物の基礎は、粘度の高い土を何層にも重ねて置くことで地面の揺れを吸収するバンパーの機能を持たされているし、チャンディの石組みはテクトニクス型やボルカニック型の揺れあるいは重力や風力の影響を考慮して相互に固定し合う積み重ねが行われている、とドゥタワチャナ(Duta Wacana)キリスト教大学の建築学教官は説明している。
修復費用がどれだけかかりまたその費用がどこから出てくるのかはっきりしたことはまだなにひとつ判らないものの、ジョクジャ州古代遺跡保存庁は大学関係者の協力を得て、まずできるところから人類遺産の修復に着手しようとしている。スラヤティ同庁保護課長は、プランバナンの修復には数十億ルピアかかるのではないかと推測している。


「チアテル」
バンドンの街からだと32キロ、およそ45分の道のり。ジャカルタからだとチカンペッ(Cikampek)自動車道を出てからプルワカルタ(Purwakarta)方面に進み、チャンパカ(Campaka)の三叉路でスバン(Subang)方面に曲がる。チプララン(Cipularang)自動車道を通ってもよい。スバン県チアテル(Ciater)にある温泉観光施設「サリアテル(Sari Ater)」の入場料は一人1万ルピア、自動車7千ルピア、オートバイ5千ルピア。庶民向け観光施設をモットーとするサリアテルは、休日など2万3千人の入場者がやってくる。
チアテルを流れる湯はタンクバンプラフ(Tangkuban Perahu)火山を水源としている。水温は44度だが、サリアテルの水浴場に引き込まれたあとは37〜40℃。この湯はカルシウム、マグネシウム、塩素、硫黄、ミネラル、アルミニュウムなどを含んでおり、ペーハー度は2.45で、身体の麻痺やリューマチ、神経や骨の障害に効果があると言われている。サリアテルには公共用の水浴場が10ヶ所用意されているが、プライバシーを求める人には個室浴場も用意されている。滝の下で湯を浴びる工夫もなされており、樹木や岩に囲まれた中で滝に打たれるのも野趣満点。
サリアテルにはホテルやバンガローも用意されており、宿泊は40万から250万ルピアまでさまざま。建物は竹の壁にシュロやウリンの屋根で作られており、ローカル色を心行くまで満喫できる。そして各部屋にも温泉が導かれ、いつでも好きなだけ湯浴みを楽しむことができる。しかし山の冷気に包まれて夜空の下で一夜を明かしたい人はテントを借りることもできるし、貸しゴザも用意されている。
お湯に浸かってばかりいないで西ジャワの山間部の自然を楽しみたい人には馬に乗っての散歩、体操、絵画、陶器制作、テニスなど徒然なる時を過ごす活動もお好みのまま。[ 2006年6月 ]


「ジョクジャ観光においで」(2006年6月10日)
ジョクジャ中部ジャワ大震災の結果外国人観光客のジョクジャ向けツアー4百件がキャンセルされたため、地元観光収入が今月は20億ルピアも減少するだろうと推測されている。インドネシア旅行代理店協会(ASITA)ジョクジャ支部長は、今月入っていた予約の90%が大地震のために取り消されたと発言した。ジョクジャのホテル業界は6月第2週までに地震の被害からの復旧を完了させることを目標にしており、6月〜8月のピークシーズンを7月〜8月に取り戻そうと計画している。同支部は6大ジョクジャ観光市場である日本、オランダ、イギリス、フランス、ドイツ、韓国の旅行代理店を招いて現地の状況を直接見てもらおうとの企画を組んでいる。フランスの旅行代理店Asia Voyagesは、この先二週間に8百人の旅行者をジョクジャ観光に送り込む予定だと語っている。王宮、タマンサリ、チャンディラトゥボコ、チャンディボロブドゥルを見て回るがチャンディプランバナンとイモギリ王宮墓地は訪問先から外すことにしているとの由。


「バタビア時代の市街整備でジャカルタに観光スポットを」(2006年6月19日)
Old Batavia。植民地、外国人支配、搾取、独立といった一連の流れから離れたところで、インドネシア人自身が大きな郷愁を抱いている言葉のひとつがどうやらそれのようだ。オランダ植民地支配のシンボルであり、太平洋戦争でこの地を占領した日本軍の軍政が開始されたとき早々に手が付けられたのがバタビアという名前の改称だった。しかし新生インドネシア共和国の首都はオランダの名称をやめてしまったが、バタビアの名は歴史書籍以外の場所でいまだに折に触れて目にすることが多い。
ともあれ、政府関連の公式名称にその名が使われることはなく、数百年を経たバタビア時代の街を都庁はインドネシア語でKota Tua Jakarta と称している。17世紀から18世紀にかけて、アジア域内でもっとも繁栄した交易都市として黄金時代を築いたバタビア、今で言うジャカルタ旧市街を歴史的観光資産として活性化させようという企画は昔から語られてきた。これまで断片的散発的に行われてきただけの旧市街保存整備が、スティヨソ都知事引退の花道を飾る事業としていま浮上してきている。
「旧市街活性化プログラムは現中銀上級副総裁のミランダ・グルトム(Miranda Goeltom)がコーディネートする。旧市街包括整備は長い時間が必要とされているが、2007年には優先的に進められることがらがいくつかある。」都知事のその言葉に関連してリトラ・タスマヤ(Ritola Tasmaya)都庁秘書官は、プラザファタヒラ(Plaza Fatahillah)建設がそのひとつだと説明した。ジャカルタ旧市街地区とはグロドッ(Glodok)地区からコタ駅(Stasiun Kota)、ファタヒラ公園(Taman Fatahillah)そしてスンダクラパ(Sunda Kelapa)港に至る地域と定義されている。その活性化とは単なる施設と文化の保存のみならず、地域内における経済活動振興によって社会生活の価値を向上させることまで含んでいる。このプログラムを実施するために都庁では文化博物館局、都市整備局、運輸通信局、公園局、観光局の5局に対して2005年12月にその推進が命じられた。
アウロラ・タンブナン(Aurora Tambunan)文化博物館局長は、その活性化プログラムの一環としてファタヒラ博物館周辺道路の改修を計画している。いまあるコンクリート舗装をやめて8〜12センチ厚の安山岩敷石を敷き詰め、地中への雨水浸透を高めること。波打つ路面は自動車の往来スピードを遅くするため、歩行者にとってより安全快適な環境が作り出される。この工事はPintu Besar Utara通りから着工されるので、ファタヒラ博物館からワヤン(Wayang)博物館そしてKali Besar東岸エリアに至る歩行者の往来が容易になる。この工事は年内に完了する計画になっている。そのエリアを早く通り抜けたい自動車はKali Besar通りのほうへ導かれ、ゆっくり石畳を走りたい車だけがそのエリアに入ってくることになる。同時に電気電話などのケーブルも地上のものをすべて地中に埋め込む計画。それらの工事が終了すると、ファタヒラ博物館からワヤン博物館、造形美術博物館(Museum Seni Rupa)、カリブサール地区などにある歴史的建造物をめぐるヘリテージトレールが設けられる予定で、要所要所の建物にはその歴史の概略を記した案内板が置かれることになっている。
それとは別にグロドッ〜パンチョラン(Pancoran)からピナンシア(Pinangsia)にかけての一帯を中心とした中華街の活性化も優先プログラムとして焦点が当たっている。その地域の住民はかつて1950年代から70年代ごろまで盛んだったパサルマラム(Pasar Malam)の伝統を再現させようと計画を練っている。夜市を意味するパサルマラムは往時の中華街に欠かすことのできないナイトライフの一部であり、中華街住民の経済活動はそれによっていやが上にも活性化した。最初はまずプラザグロドッ(Plaza Glodok)とプラザピナンシア(Plaza Pinangsia)の周辺がそのロケーションに予定されており、食べ物屋台が並び路上商人が道端で品物を商う昔ながらの繁華な賑わいをわれわれも体験することができるにちがいない。


「ジョクジャのホテル客室稼動はダウンせず」(2006年6月23日)
ジョクジャ中部ジャワ大震災後のホテルは依然としてヨーロッパを主体とした外国人観光客で満たされており、ホテル業界はこの状況が今後も継続するだろうと見て安堵の胸をなでおろしている。Yogyakarta Plaza Hotelの営業担当取締役によれば、同ホテルでは地震後もフランス、オランダ、ドイツからグループツアーが続々とやってきており、地震のために取り消された外国客の予約は個人ツアー客が三人だけとのこと。ホテル側が悲観的になったのはむしろムラピ火山の噴火が迫っているというニュースが流れた地震前の時期で、そのときはキャンセルが相次ぎ、宿泊予定外国人客のキャンセル数が850人に達したそうだ。しかし地震の後は客数が少しも減らず、ホテルビジネスに悪影響は出ていない、と同取締役は述べている。
地震の直後、ペシミズムに包まれたジョクジャ地区のホテル業界はその対策のために旅行代理店業界に大幅な値引き客室料金を提示したが、地震後のビジネス状況悪化が全般的にあまり顕著でなかったために、そのときのコミットメントに対して手のひらを返すようなことをしているホテルが少なくないという噂が流れている。旅行代理店業界は地震の後、観光客の宿泊をソロのホテルに移してキャンセルを最小限にしようと努めたが、ジョクジャホテル業界のそのような姿勢はソロからジョクジャに宿泊客を移すことを困難にしている、と批判している。
今回の地震の直後、文化観光省はジョクジャ観光業界を主体にしたシンガポール・マレーシア・タイへの訪問団を編成して、それら三国の観光業界に情況報告を行った。各国の旅行業者はインドネシアの地理を良く知らず、最大の被害を受けたバントゥル(Bantul)はいつの間にやらバンドン(Bandung)が壊滅した話となり、またバリを訪れた経験を持つ業界者はその話を聞いてバリのバドン(Badung)が大きい被害を受けたというイメージにすり代えられ、一般客の頭の中にイ_アの大半の観光地が壊滅した印象を与えていたらしい。訪問団が行った各地での旅行代理店業界に対する説明会でそれらの誤解が正されたために、予約取り消しはあまり出ていないとのこと。


「ムラピ山噴火観測ツアー再開」(2006年7月18日)
7月12日にムラピ(Merapi)山の火山警報ステータスがawas からsiaga に下がったため、ジョクジャ州スレマン県は7月16日からカリアデム(Kaliadem)観光ルートを再開した。カリアデム部落はスレマン(Sleman)県チャンクリガン(Cankringan)郡クプハルジョ(Kubuharjo)村の最北端に位置してムラピ山頂にもっとも近く、6月14日に大規模熱雲の被害をもろに受けた場所。カリアデム部落への一般者立ち入りは7時から16時までに限られ、観光訪問者は靴を履くことが義務付けられている。現地の観光運営者はマスクを用意して観光訪問者を待っている。観光運営は地元管理者に委ねられており、収益は地元集落が活用して良いことになっている。ムラピ山頂から半径6キロの範囲内は立ち入り禁止となっているが、その外側では自由に噴火の爪あとを観測して構わない。カリウラン(Kaliurang)地区も同じように観光ルートを再開する。ただしカリウラン観光林に入ることはまだ禁止されている。


「スンダ海峡沿いリゾートに閑古鳥」(2006年7月24日)
19日に起こったウジュンクロン南方を震源とする地震が津波の噂を招いたために、バンテン州スンダ海峡沿岸部にある多くの宿泊施設から宿泊客の姿が消えた。アチェ地震のあと同じような状況が発生してこの地域の観光業界は大打撃を受けたが、その後は他の地域で災害が発生しても影響はあまり出ていなかった。やはりバンテン州の各地で地面が揺れたことがひとびとに緊迫感をもたらしたようだ。
スンダ海峡沿いにはアニエル(Anyer)、チャリタ(Carita)、ラブアン(Labuan)、パニンバン(Panimbang)、タンジュンルスン(Tanjungg Lesung)、そしてスムル(Sumur)とリゾート地があり、ホテルやビラが並んでいる。アニエルのあるホテルでは、19日に発生した地震のあと、津波という単語がひとびとの口から洩れ、宿泊客が続々とチャックアウトしたために全126の客室は空っぽになってしまった、とその経営者は物語る。そればかりか、8月9月に既に入っていた予約にまで影響が及び始め、取り消しが続いているとのこと。地学気象庁からアニエルは津波がないという公式発表でも出ない限り泊りには行けない、と話す客もあるそうだ。このため、海峡沿いの観光事業主たちは、地学気象庁に対してスンダ海峡の状況に関するコメントを公にするよう求めている。
バンテン州のセランやチレゴンでは翌日、住民の警戒意識を高めさせるために行政広報車やモスクあるいはムソラのスピーカーで地震と津波に警戒するよう呼びかけを実施したが、中にはセランのあるムソラで「午後1時ごろ地震と津波が起こる」という放送が住民をパニックに駆り立てたり、セラン県庁でも15時ごろに地震と津波が来るとの情報が伝えられて多くの職員が慌てて自宅へ帰る光景が繰り広げられた。地学気象庁はそのような情報を一切出していないため、何者かのデマによるものと見られている。


「聞くたびに高くなる切符料金」(2006年7月25日)
2006年6月28日付コンパス紙への投書"Vaya Tour Mengecewakan"から
拝啓、編集部殿。わたしは2006年5月始め頃、西ジャカルタ市クブンジュルッ(Kebun Jeruk)のファヤトゥルにSQの切符を注文しました。ジャカルタ〜シンガポール6月1日、シンガポール〜LA6月4日、LA〜シンガポール6月18日、シンガポール〜ジャカルタ6月19日というスケジュールです。わたしの注文を受けた担当者のロシさんは料金が1,275ドルだと言いました。次に予約状況の問い合わせをすると、別の担当者のアニさんは、料金は1,280ドルだといいました。そのあとまた問い合わせるとシルリさんが出て、スケジュールが変わったことを教えてくれました。シンガポール〜LA6月5日、LA〜シンガポール6月19日、シンガポール〜ジャカルタ6月20日という内容です。料金は1,280ドルのままで変更ありません。5月22日に電話するとアンガさんが取り、予約コード番号を教えてくれました。電話するたびに前の担当者につないでもらおうとするのですが、席をはずしている、セミナーに出ている、有休を取っているなどといろんな理由で毎回別の人になるのは驚きです。5月23日にはまたロシさんに当たりましたが、かの女は5月26日までに切符を発行しなければならないと言いました。5月26日にわたしはまた電話して、電話に出たフェリーさんに切符を発行するように依頼し、切符は5月29日に取りに行くとも伝えました。そして料金を再確認したところ、なんと1,292ドルだと言うのです。最初にロシさんが言った料金は1,275ドルだったではありませんか!
5月29日になって、切符をピックアップするためにわたしはひとをファヤトゥルにやりました。するとファヤトゥルのレアさんから電話が来て、わたしの予約はキャンセルされていると言うのです。そして再予約するので結果は明日連絡するということでした。するとそのあとシルリさんから電話が入り、SQにまだ空席があったので抑えておいたと連絡してくれました。5月30日朝、わたしがファヤトゥルに電話するとフェリーさんが出て、切符料金は1,310ドルだと言います。いったいこれはどういうことなのでしょうか?最初は1,275ドルでそれが1,280ドルになり、1,292ドルになって最後は1,310ドルとは・・・?フェリーさんの説明では税金が上がり続けているからだそうです。わたしはファヤトゥルクブンジュルッ店のサービスにがっかりしました。切符の発行すら忘れて予約が取り消され、そして料金もどんどん高くなっていくのですから。[ 西ジャカルタ市在住、リラ・プスパ・アスリム ]


「今年の独立記念日にホテル宿泊パッケージ」
独立記念日が今年も近付いている。今年の8月17日でイ_アは独立を宣言してから61歳を迎えるので、南ジャカルタ市ラスナサイッ(Jl HR Rasuna Said)通り南にあるグランメリアホテル(Hotel Gran Melia Jakarta)が特別宿泊パッケージを用意した。名付けて61st Independence Day Package というこの企画の一部屋一泊の料金がなんと61万ルピア++。この料金にはデラックスルームでの宿泊とカフェグランフィアでの朝食が込みになっており、もし二泊以上する場合はやはりカフェグランフィアでのビュッフェ式夕食もサービスされる。ホテル滞在中に無料で利用できるファシリティもたくさんで、プールやフィットネスセンターの利用はチャージされない。フィットネスセンターには最新鋭のエクササイズ機器がそろえられ、またサウナ、スチームバス、ジャクチも完備されており、おまけに3階には220メートルのランニングコースまで用意されているので、「運動のためによそへ行く必要はまったくありません。」とホテル側は強調している。宿泊客は駐車料金がかからず、また朝は有力全国紙も無料で配達される。
今年の独立記念日は8月17日が木曜日、そしてウイークエンド明けの21日月曜日もイスラミラジの休日になっており、場合によっては5連休も不可能でない。そのため同ホテルでは、この特別パッケージを2006年8月15日から22日まで適用することにして、全428室が埋まることを期待しつつ顧客の到来を待ちわびている。[ 2006年8月 ]


「バタビア時代の市街整備が始まる」(2006年8月31日)
ジャカルタの旧市街、いわゆるKota Tua Jakarta 再活性化プロジェクトの基盤となる歴史博物館周辺の道路舗装工事が8月27日から開始された。この工事は今のコンクリート道路を安山岩の石畳路に換えて自動車の交通量とスピードを抑制するのを目的にしており、歩行者により優しいエリアが形成されることを目指している。路上には10x18センチの安山岩の板が敷き詰められ、道路幅も狭められてセミ歩行者道路に作り替えられる。
このプロジェクトはピントゥブサール通り(Jl. Pintu Besar)北側からワヤン博物館前を経てカフェバタビア横までを第一期、郵便局からクニル通り(Jl.Kunir)を経て造形博物館と陶器博物館までを第二期、そして最終はカリブサール(Kali Besar)地区での工事が行われて完了する。このエリアはジャカルタ旧市街観光地区となるため、そのエリア内にある古い建物のオーナーには観光芸術活動を行うよう都庁は指導している。同時にグロドッ(Glodok)地区の繁華街のひとつであるパンチョラン通り(Jl.Pancoran)でも同様の道路舗装工事が進められ、歩行者に優しいエリアに作り替えられる予定。


「世界では当たり前、イ_アでは非常識」(2006年9月4日)
2006年8月3日付コンパス紙への投書"Waspadai Bagasi AirAsia"から
拝啓、編集部殿。2006年7月13日から16日まで、わたしは家族みんなでバリへの休日に出かけました。航空会社はエアーエイシアを使いました。行きも帰りもバリにいる間も問題はひとつも発生せず、快適な休日を楽しむことができました。ところが予期せぬトラブルは、7月16日15時ごろ、ジャカルタのスカルノハッタ空港で起こったのです。バゲージピックアップで預けたトランクが出てくるのを待っていましたが、バリで買ったみやげ物を入れたトランク1個が最期まで出てこないのです。ベルトコンベアが止まり、他の乗客がみんないなくなったのに、そのトランクは影も形もありません。わたしはそこにいたエアーエイシアの職員に問題を訴えました。すると驚くべき返事が返ってきたではありませんか。「ここに職員はふたりしかいないので、お客さんの預けた荷物をすべてコントロールするのは不可能です。乗客は何百人もいるし、荷物の数も数百個なんですから。」それじゃあエアーエイシアに預けたトランクは、ベルトコンベヤから誰でも好きなように持って行けて、そのチェックもなされないということではありませんか。「どうして職員を増やさないのですか」とわたしが尋ねるとその職員は「その質問は上司にしてください。」と答えました。「その上司はどこにいるんですか?」とわたしが尋ねるとその職員はただ黙っているだけです。
不安と不満で途方に暮れたままおよそ半時間ほどそこで待っていると、出口の方からトローリーを押してひとがやってきました。なんとトローリーにはわたしのトランクが載っているではありませんか。そのひとは「知らずに車まで持って行ったんだけど、自分のものじゃないトランクが混じっていたので返しにきました。さっきはチェックする人がだれもいなかったもんで。」と言うのです。わたしのトランクからはバゲージタッグが取り払われていました。善意の間違いで起こった事故だっただけに、わたしはまだラッキーだったと言えるでしょう。故意に他人のものを持って行くような人間の手につかまれていたら、いったいどうなったことでしょうか。わたしはやっとバゲージを6個揃えて出口に向かいましたが、それらが本当にわたしのものであるかどうかをチェックする職員はいませんでした。エアーエイシアのマネージメントはどうなっているのですか?[ ボゴール在住、ジャウハリ・ムストポ ]


「チビノンの森で植樹はいかが?」(2006年9月4日)
LIPI(インドネシア科学院)ボゴール植物園植物保存センターが全国から集めた樹種で巨大な森を作ろうと計画している。森を作る場所はボゴール県チビノンにあるLIPIチビノン科学センター内のエコロジーパークで23Haの面積を持っている。このエコパークは30Haまで広げる予定だが、今植樹できる場所は7Haしか用意されていない。全国にあるイ_ア原生の樹種をここに植えて名実共にインドネシアの森を作りたいとLIPIは考えている。
LIPIのCibinong Science Center の前身は1964年にスカルノ大統領が開所したLIPI Life Science Center だ。総面積およそ190Haという広大なエリアをグリーンゾーンにし、イ_アの植物研究のメッカにするのが今の夢である。エコパークの森にはだれでも植樹ができる。イ_ア国民であろうと外国人であろうと区別しない。植樹される苗はエコパーク側が2千本ほど用意して希望者が訪れるのを待っている。ただし実際の植樹は雨季まで待たなければならないので、早くても9月以降の実施となる。植付け場所の穴はもう掘られていて、希望者は苗を選んで手ずから植樹し、年間一木1百米ドルを納めてその木のフォスターペアレントとなる。企業やグループの場合、エコパークは1千米ドルの寄付金額を期待している。フォスターペアレントの資格は1年間で、1年過ぎればまた寄付金を納めて延長することができる。
植樹の申し込みは:
Pusat Konservasi Tumbuhan KRB-LIPI
Jl Ir H Juanda No.13, Bogor
お問い合わせは:
Sugiarti
Tel. 0251-311363, e-mail jasin@lipi.go.id
(インドネシア語でどうぞ)
フォスターペアレントになると、一年間その木の下に名前を張り出してもらえる。また御本人にはサーティフィケートが授与され、植樹者として名前が記録される。木の世話はエコパークが行うので、フォスターペアレントは何もしなくてよい。現在エコパークには8百本の木が植えられているが一般のフォスターペアレントはまだおらず、この雨季から一般参加者が植える木がどっと増えて賑わいを増すことが期待されている。


「飛行機のチェックインはお早めに」(2006年9月21日)
2006年8月4日付コンパス紙への投書"Jadwal Loket Melapor AdamAir"から
拝啓、編集部殿。わたしども家族はバタム経由でシンガポールへ行くことにしました。2006年7月13日午前8時ジャカルタ発バタム行きのアダムエアー便は予約ステータスがOKでした。その朝、空港には午前7時に着き、まっすぐ出発ロビーのチェックインカウンターへ行きましたが、バタム行きの掲示がどのカウンターにも出ていません。職員に教えてもらってそのカウンターへ行ったところ、受付はもう閉められたことを知って驚きました。わたしどもの切符はアダムエアー担当者が空港の切符売場に持って行きました。そして戻ってくると、誰にも言わないなら追加チャージなしで次の12時発の便に乗れるようにしてあげよう、と言います。わたしたちは納得が行かず、口論になりました。その職員はわたしどものチェックインの時間が遅れたと言い張り、航空券に7時17分と書きました。ところが、わたしどもがそのカウンターに行ったときは7時10分だったのを時計で確認しています。更にその職員は、カウンターは出発時刻の45分前に閉めた、と航空券に書きました。
わたしどもが本当に遅れたのならあきらめて引き下がりますが、これはわたしどもが遅れたのでないことは明らかです。そのとき、チェックインから締め出された乗客はわたしども以外にもたくさんいました。幼児と老齢の母親を連れた婦人も同じ目にあいましたが、かれらはひとり49万ルピアの追加を払って12時の便に乗りました。
4時間も遅れたので、わたしどものスケジュールは時間のロスが出ました。飛行機の故障などといった理由であれば諦めもつきますが、わたしどものチケットを他の客に売るようなことをされては納得できるわけがありません。アダムエアー経営者はときどき現場に降りて従業員の仕事をチェックしたらどうですか?[ バンカ在住、テディ・コヤント ]


「アンチョルのルバランプログラム」
ルバラン大祭の長期休みにアンチョル・ジャカルタベイシティは特別プログラムを用意している。まず首都圏各地からアンチョルまでの足は首都圏近郊電車とタイアップして特別パッケージが用意される。ボゴール、タングラン、ブカシ方面からアンチョルまでの電車切符料金(往復)とアンチョル入場券がセットになったこのパッケージは、ボゴールからがひとり22,500ルピア、タングランとブカシからは19,500ルピア。広大なアンチョルの中は無料バスが運行しているので、自家用車で来なくても心配いらない。
パーク内ではいろいろな催し物が企画されている。10月24〜30日はパンタイフェスティバルで毎日ダンドゥッの生ステージが予定されており、首都の歌手やバンドが入れ替わり立ち代り出演する。ドゥニアファンタシでは10月24日〜11月5日の間、毎日ロシアサーカスの公演が14時と17時の2回予定されている。アトランティスウオーターアドベンチャラーでは10月25日にクリスパティとラジャ、26日にはチョクラッとエレメンが出演する。
さまざまなエンターテイメントの他にもアンチョルにはパダン、ジャワ、中華などのレストランがファーストフードとは別に完備されており、食事も行楽の一環として楽しめるようになっている。アンチョルの平日の入場者数は3万5千人で週末には5〜6万人に膨れ上がるが、アンチョル側はこのシーズンに一日7万人の入場客が訪れることを期待している。[ 2006年10月 ]


「ルバラン期に外国人観光客はイ_アを避ける」(2006年10月20日)
今年のルバラン帰省での空の足利用者は昨年から2割減だ、と旅行代理店協会会長が語った。今年は航空運賃が昨年からアップしていることや消費者の購買力が回復していないことが原因で帰省者はより廉価な鉄道やバスにシフトしており、今年の売上は昨年から20%ダウンとなりそうだとのこと。一方ルバラン期間中の海外旅行受注は好調で、販売は1万5千パッケージに達する模様。旅行先はシンガポール、中国、香港、ヨーロッパがメイン。価格は中国向けがひとり1千5百米ドル、ヨーロッパ向けはひとり2千米ドルといったレンジにあり、ルバラン期の海外旅行は一家総出で出かけるのが特徴的。反対に外国人観光客の国内受け入れについては、国内の観光地が国内観光客で混雑するため、外国人はルバラン期にイ_アへの旅行を避ける傾向がある、と同会長は述べている。


「市内観光ツアーのない街、ジャカルタ」(2006年10月27日)
世界中どこの都会でも都内・市内観光ツアーのないところはない。ところがジャカルタにはそれがない。シティツアーサービスを行う業者がだれもいない都会としてジャカルタは世界に稀な場所になってしまった。
「90年代にはさまざまな観光会社が都内観光バスツアーを用意し、フリーの個人旅行客がそれぞれそのサービスを利用していた。一台のバスがホテルからホテルを回って利用客を乗せ、スンダクラパやタマンミニ、アンチョルなどを巡ってかれらに観光ツアーを提供していた。ところがいまや都内の道路はいたるところ渋滞と混乱に満ちており、観光バスツアーを運行させるのは不可能なありさまだ。一方都庁は都内観光資源の活性化を図り、観光産業を盛り上げようとしている。であるなら、都内のバスウエーネットワークを観光バスも通れるようにし、観光客を都内あちこちの観光スポットに案内できるようにしてはどうだろうか。」イ_ア旅行会社協会首都支部役員はそのように提案している。


「ルバラン期に観光出国者が増加」(2006年11月4日)
今年のルバラン期に海外旅行に出かけたインドネシア人は昨年から10%増加した模様。運通省空運総局がスカルノハッタ、ジュアンダ、ポロニア、グラライの四大国際空港からの出国者データを集計したところでは、イドゥルフィトリ休日の7日前にあたる10月17日に出国したイ_ア人が26,168人に達しており、イドゥルフィトリをはさんで前後約一週間の中での最高値になっている。次に多かったのはルバラン二日前の10月22日で25,912人が出国している。それら四空港からの平常期出国者数は一日平均1万3千人前後なので、イドゥルフィトリ前の7日間は平均して一日およそ5千人あまりの増加。イドゥルフィトリを超えてからの出国者数は平常期並の数値に戻っている。増加した旅客をさばくために航空会社もその期間増便を行っており、ライオンエアーとガルーダがシンガポール、香港、中国向けフライトに臨時便を追加している。


「ムアラジャンビ遺跡」
11月9日から18日までの間、中央ジャカルタ市南部にあるブンタラブダヤジャカルタ(Bentara Budaya Jakarta)で開催されている古代遺物が出土したジャンビ州ムアラジャンビ遺跡への一般者のアクセスは、道路の破損状況のためにたいへん困難になっている。古代ムラユ王国の遺跡であるムアラジャンビ遺跡はムアロジャンビ県マルセボ郡ムアラジャンビ村(Desa Muara Jambi Kecamatan Marosebo Kabupaten Muaro Jambi) にある。この遺跡は既に発掘が進んでいて多くのチャンディ(石造建築物)が修復されており、歴史的文化財としてたいへん価値のあるものだ。発掘されたたくさんのストゥーパも復元されて並べられている。修復された遺跡群は周辺を囲い、ゲートを作って遺跡公園の態をなしているが、ゲートも壊れたまま放置され、またそこに至る道路は波打ったり大きな穴が開いたりして通行がたいへん困難な状態になっている。
ジャンビ市からこの遺跡公園に向かう際にはバタンハリ第1橋(Jembatan Batanghari I)〜スマトラ東岸街道(lintas timur Sumatera)〜バル村(Desa Baru)〜ムアラジャンビ村(Desa Muara Jambi)というルートを経るのが最適な方法で、およそ30キロの道程に1時間かかる。特にバル村からムアラジャンビまでの4メートル幅の道路は破損がはなはだしい。遺跡公園は文化観光面で重要な観光資源だが、そこに至るまでの道路に行き先表示はほとんど無く、道路はたくさんに分岐しているために個人観光客に時間の無駄を強いる可能性が高い。別のルートはジャンビ市からクミンキン(Kemingking)に至り、船でバタンハリ川を渡るというものだが、乗り物は渡河する際に置いていかなければならず、全長25キロのこの行程はあまりお奨めとは言えない。もうひとつの方法は船外機付きボートをチャーターするもので、これでムアラジャンビ村までバタンハリ川を遡行することもできる。[ 2006年11月 ]


「マカッサルのアイランドリゾート開発」
南スラウェシ州を訪れる観光客の多くはタナトラジャ(Tana Toraja)を目的地のひとつにしている者が多い。しかし南スラウェシの表玄関であるマカッサル(Makassar)のハサヌディン(Hasanuddin)空港からタナトラジャは遠い。バスで8時間もかかれば、これは貴重な旅行日数の一日が消費されることになる。一方で、タナトラジャの方も、観光客にその面での便宜が提供できれば訪問客は増えるだろうと期待する。こうしてタナトラジャ県庁はパロポ(Palopo)県にあるルウ(Luwu)空港を拡張整備し、バリあるいはジャカルタとの間に航空路を開設する企画を発表した。ルウからタナトラジャへは1時間半で到達できる。ルウ空港改装オープンは2007年に行われる予定。
これまでマカッサルを通過ポイントとしてだけ利用していた観光客の多くは、そうなればルウ空港へ直行する可能性が高くなる。必然的にマカッサルは訪問客を失うということになる。ましてや国際空港であるハサヌディン空港は、唯一の国際航路であるシンガポール〜マカッサル航路をガルーダが廃止したために国際直行フライトがなくなっているのが現状なのだから。こうして観光客減を防ぐためにマカッサルも新たな観光資源の整備と確立が求められることになった。マカッサルに豊かな観光資源のトップはマリーン観光。スラウェシ島西部のマカッサル海峡側には120の島々があり、スペルモンデシェルフ(Spermonde Shelf)と呼ばれる比較的浅い海底に乗っている。そのうちの11島はマカッサル市に属しており、マカッサル市の観光産業充実にはもってこいのターゲットだ。海岸から一番近い島はスピードボートで15分、もっとも沖合いは4時間という距離にある。その中でカヤガン(Kayangan)島とコディガレンケケ(Kodingareng Keke)島は行楽地としてほぼ出来上がっている。リゾート、レストラン、多目的建物、遊戯施設、スポーツ施設。訪問者は水泳、魚釣り、シュノーケリング、そして白砂の浜を楽しむことができる。今現在は地元行楽客の観光目的地という趣が強い。カヤガン島の施設は恒久的なものだが、コディガレンケケ島の方はまだ暫定的な設備。サマロナ島では地元民が民宿を経営している。
マカッサル市庁はそれらの島を含めた全11島に対してアイランドリゾート企画を掲げてはいるものの、どこまで本腰が入るのかを見極めようとして島の観光開発参加を望む民間資本は待ち状態。ごく最近、ジャカルタのブロッケム(Blok M)に店を構えるPT Pasar Raya がラエラエ(Lae-Lae)島の観光開発に関して市庁と結んだ契約を解消した。それが他の民間投資家に不安な印象を与えている。[ 2006年11月 ]


「ジャカルタでウオーゲーム」(2006年12月4日)
ゴーグルで顔を覆い迷彩戦闘服に身を固めた数人がひっそりと動く。少し離れた場所に置かれているドラム缶の陰に隠れている人影を見つけた。リーダーに手まねで命じられたメンバーのひとりが狙撃銃の銃口をそちらに向ける。十分な狙いをつけて撃った弾丸はあやまたずにその人影を襲った。死んだはずの人影が叫んだ。「ヒット!」
インドネシアでもウオーゲーム愛好者は増えている。エアソフトガンから戦闘服、ベスト、ブーツ、ベルト、ホルスターなど一式を買い揃えて戦場に臨む。戦場はジャングルウオーもあればシティウオーもある。たまには遠出して大自然の中でというのもよいが、街中のビルを使うことも頻繁だ。建築中のビルが使われることもあり、既に営業しているビルが使われることもある。建築中のビルやまだ居住者がいない住宅地だと昼間遊ぶことができるが、既に営業しているビルとなると真夜中にしか使えない。エアソフトガン愛好者たちが集う組織のひとつクラブブラックオプスは、ITCファッマワティ、デルタマス住宅地、あるいはまだ建設中のショッピングセンターなどを利用している。使用許可と料金はそれらの施設管理者に交渉する。ウオーゲームはプレーヤー相互の安全を確保するためにさまざまな決まりを守らなければならない。使われる銃器は6ミリのプラスチック弾丸を圧搾空気で撃つエアソフトガンで、弾丸は秒速400フィートで飛ぶ。日本製エアソフトガンは最低でも一丁4百万ルピア。他の装備など一切合財を揃えるためにはおよそ2千万ルピアの予算が必要だ。
最近では女性のゲーム参加者も増えている。南ジャカルタ市クマン地区にあるX"Toys CQB Field ではシティウオーを遊ぶことができる。7百平米という広さのこの施設は迷路型になっていてスリルとサスペンスも倍加するという趣向。2002年から営業を開始したこの施設では、手ぶらで行っても装備をレンタルしてもらえる。施設の利用料金はひとり当たり一時間10万ルピア。もしジャングルウオーをお望みならそこのカウンターで頼めばよい。パシルプティやランチャマヤまで案内してくれるので、大自然の中で大戦争ができる。その場合の料金はひとり一時間30万ルピアとのこと。


「ガルーダ航空のグループ割引」(2006年12月19日)
ガルーダ航空が小グループ割引料金を発表した。このプロモーションは2006年12月から2007年2月28日までの期間限定で、小グループとは最少5人が同一フライトに乗るのが条件。ジャカルタ発国際線の目的地別ひとり当たり料金は下のようになっている。
Kuala Lumpur USD125から
Bangkok USD155から
Saigon USD240から
Hongkong USD240から
Guangzhou USD190から
Shanghai USD390から
Beijing USD400から
Tokyo/Osaka USD480から
Perth/Darwin USD290から
Brisbane/Melbourne/Sydney USD390から
2〜11歳の子供に適用される子供料金は大人料金の75%。上の料金には税金と燃料サーチャージが含まれていない。
お問い合わせは24時間コールセンター電話0807 1 807807 または(021)2351-9999。詳しい情報はwww.garuda-indonesia.comで。


「マレーシア航空もスペシャルオファー」(2006年12月20日)
マレーシア航空がジャカルタ発国際線のスペシャルオファーを行っている。ジャカルタ〜クアラルンプル一日5便運行が2006年12月1日から開始されたのを記念して出されたこのスペシャルオファーは販売期限が2007年1月31日までで使用期限は2007年3月31日まで。ただし2006年12月20日から31日までの期間は使用できない。この料金はエコノミークラスに限定され、また税金とサーチャージは含まれていない。目的地別往復料金は次の通り。
Kuala Lumpur USD88
Bangkok, Saigon, Cebu USD208
HongKong Kunming USD288
Beijing, Shanghai, Taipei, Kaohsiung, Seoul, Tokyo, Nagoya, Osaka, Karachi, Delhi, Mumbai, Hyderabad, Male, Chennai, Bangalore, Dhaka, Colombo USD388
London, Paris, Zurich, Rome, Stockholm USD588
お問い合わせと予約は最寄の旅行代理店あるいはwww.malaysiaairlines.com にとのこと。


「ジャカルタでもフットサル」(2006年12月21日)
空き地があれば子供たちが泥まみれになって一個のボールを蹴り合っている姿がかつてありふれたものだったジャカルタでも、空き地がなくなりあるいは不法占拠されないように塀で囲われて立ち入り禁止となった街中ではもうそんな子供たちの姿をみることもあまりない。いまや子供たちは屋外で走り回るよりも賃貸しプレイステーションやゲームボーイに熱をあげている。そんな時代だからこそフットサルが人気を集めはじめているのかもしれない。もちろんフットサルをプレイするのは子供たちでなくオフィス勤めの大人たちだ。
1930年にウルグアイのモンテビデオでホアン・カルロス・セリアニが考案した5人1チームのサッカーは今や世界中で楽しまれており、その波がジャカルタに押し寄せて来るのも時間の問題だった。しかし25x15メートルという屋内グランドを必要とするこのゲームは、ジャカルタでやっとその端緒についたというところ。ジャズ歌手レザ・アルタメビアと離婚した国会議員アジ・マサイッはAdjie Massaid Futsal Clinic を2002年に開設した。子供の頃からフットサルに親しんできたというアジはこのクリニックを中心にしてインドネシアにフットサルをプロモートしようとしている。
少人数で手軽に楽しめるフットサルは会社勤めの人々の間で広まりつつあるが、場所がまだ少ないのがつらいところ。都内クニガン地区にあるPlanet Futsal、カサブランカエリアにあるDe Futsal、クラパガディン地区のCosmo Futsalなどがいまのところブレイグランドを提供してくれている。今年8月にオープンしたDe Futsal は14.5x26メートルのコート2面を擁し、午前8時から深夜1時まで毎日営業している。学生や勤め人で賑わうのは17時から深夜までで料金は1時間20万から32.5万ルピア。Cosmo Futsal にはイギリス人コーチのジェラード・ホワイトが詰めており、ルールやプレイテクニックの指導を受けることができる。こちらはコートが4面あり、本格的設備を誇っている。ロッカー・シャワー・カフェ・レストランも完備されていて、プレイのあともゆっくり寛ぐことができる。


「航空会社の立場は強い」(2006年12月27日)
2006年10月7日付けコンパス紙への投書"Denda Sepihak Adam Air"から
拝啓、編集部殿。2006年9月14日、わたしはメダンからジャカルタに戻るため、ポロニア空港出発予定時間16時45分のアダムエアーKI0227便に乗ろうとしていました。わたしがチェックインしようとしたときは5分前にカウンターが閉められたあとであり、アダムエアー職員は明日のフライトにするかそれとも罰金28万ルピアを払って今日の便に乗るかと尋ねてきましたので、わたしはとても無念な思いを抱いて罰金を払うことにしました。そして待合室に入ったところ、なんと出発が30分延期されたではありませんか。チェックインに遅れた乗客からは罰金を取るくせに、自分が遅れてもアダムエアーは乗客に罰金を払わないのです。わたしはそんなアダムエアーの乗客に対する仕打ちにとても不愉快で損をさせられた気持ちです。
飛行機に乗ろうとしている消費者は航空会社をよく選んだ方がいいですよ。もし罰金のための十分なお金を持っていなかったらいったいどうなったことでしょう。一方、航空会社のほうはどんなにスケジュールを変更しても乗客に損害の賠償はしないのです。それではあまりにも一方的すぎませんか?アダムエアー経営者の注意を喚起したいと思います。[ タングラン在住、アビダン・シマヌンカリッ ]


「新規映画館チェーンがオープン」(2006年12月27日)
かつてインドネシア人の娯楽のナンバーワンは映画という時代があった。オランダ時代から映画館は若者たちにとって人気のある場所で、都内各町の繁華街にはたいてい映画館があった。今はくすんでしまったが往時の建物のまま映画館として営業を続けているところも少なくない。パサルバルのグドゥンクスニアン(Gedung Kesenian)でさえ一時期は映画館になっていたこともある。1987年に全国で2,306スクリーンを数えた映画ビジネスは1990年に3,048スクリーンに増加したが、1994年には2,292スクリーンに減少し、1998年には1,143スクリーンにまで縮小してしまった。今全国で営業している映画館は118軒441スクリーンで、そのうち319スクリーンがスタジオ21、122スクリーンは非スタジオ21という業界の配置になっている。そのような映画産業没落の中で業界を支えてきたのがStudio 21 であり、今はCineplex 21 と名前を変えているが、ひとり気を吐くこのチェーンだけが新着洋画の上映を進めてきたため独占という非難が常についてまわったのはあらゆる業界ジャイアントに共通の宿命。ともあれ最近まで新着映画を鑑賞するならスタジオ21とされていた常識がいま新たなライバルを迎えて崩れつつある。最近バンドンにオープンしたBlitzmegaplex がスタジオ21グループに対抗しようと乗り出してきたのだ。より広い客席により大きいスクリーン、そして上映ナンバーも洋画・国産から個人制作ものまで豊富にしかも他より安い料金で。
ブリッツメガプレックスは映画館というより総合エンターテイメントをお客に提供することを使命に掲げている。そのため館内にはバー・ビリヤード・音楽ダウンロード・キャンディバーなどが設けられ、お客を長居させようというポリシーがひしひしと感じられる。一号館はバンドンで営業を開始したが、来年はジャカルタへの進出を計画しており、都内SCBDのパシフィックに一千二百席の館を、さらにグランドインドネシアには3千2百席の館をオープンする予定にしている。


「国民の国内観光旅行は右肩上がり」(2007年1月5日)
2006年の国内観光客旅行状況を文化観光省が公表した。それによれば1億1,439万人が延べ2億1,650回の旅行を行って78.7兆ルピアを支出したとのこと。これは2005年実績である1億1,270万人が2億1,330万回の旅行をして77.5兆ルピアを支出したという数字を上回っている。一方外国人観光客は1月〜10月間で390万人を数え、今年年末までには470万人に達すると推測されており、こちらも昨年実績の420万人を上回ると文化観光省は見込んでいる。しかしこのセクターの外貨収入は43.7億ドルで2005年の45億ドルを下回りそう。


「ウオーターアドベンチャー」
タングラン(Tangerang)のブミスルポンダマイ(Bumi Serpong Damai)通称BSDシティのセントラルビジネス地区に2006年12月9日にオープンしたオーシャンパーク・ウオーターアドベンチャーは子供たちを水に親しませるのにもってこいの場所。8.5Haの広大な敷地に作られたこのウオーターパークは子供たちのイメージを刺激しながら水に親しませるという個性的な楽しみを提供している。もちろん多くの施設はアンチョルベイシティ(Ancol Bay City)をはじめさまざまなウオーターパークと大同小異と言うこともできるが、インドネシアではじめてという設備も揃えられている。たとえばパシフィックウエーブと命名された大型ブールでは一時間ごとに15分間、高さ30センチから150センチという波にもまれる体験を味あわせてくれる。波発生装置はカナダから輸入されたものだ。
一時に4千人を収容できるこのウオーターパークは2歳から12歳までの小児向けエリアと非小児向けのエリアに大別されており、小児向けエリアには三つのプール、そして非小児向けはアドベンチャープールが用意されている。アドベンチャープールには11メートルの高さかららせん状に滑り降りてくる全長126メートルのスパイラルスライド、長さ56メートルのレーススライドを筆頭に随所に滑り台が備えられているが、大型スライドの利用には年齢12歳以上身長120センチ以上という制限が設けられている。全長1.5キロの水路ではゆったりと水が流れており、レイジーリバーと名付けられた水流に乗って大型浮き輪で川下りとしゃれこむこともできる。波でもみくちゃにされるパシフィックウエーブもアドベンチャープールの一部だ。
6立方メーターの水がたまるとその水を滑り台の上でぶちまける巨大バケツや、沈没した海賊船を模したトンネルの中を通り抜ける探検ルートなど子供のイメージを刺激してお楽しみを倍加させる趣向も取り入れられている。またパーク内の保安と入場客の安全を監視するために40人ほどがライフガードとして要所要所に配備されている。終日水に浸かって入場客を飽きさせないこのウオーターパークは月曜から金曜まで11時から19時までのオープンで入場料は2万5千ルピア、土日と祝日は7時から19時までで入場料は4万ルピア。ロッカー使用料は5千ルピアだがコイン式になっており、一度開くと再びロックするのにまたコインを入れなければならない。大型浮き輪を借りるのはひとつ1万ルピア。入場客は外から飲食物を持ち込むことができず、飲食はパーク内の売店やレストランを利用しなければならない。ただしパーク内で現金を携帯する必要はなく、入場客は必要に応じてペイカードを購入してパーク内での支払に使う。このペイカードは残高の払い戻しが可能だし、また自宅に持ち帰って次回遊びに来たときに使うこともできる。とはいえ有効期限は3ヶ月間なので、焦げ付かせないようにご用心。
巨大タコ愛称グルグル(Gurgur)をシンボルとするこのウオーターパークでは百人を収容できるパーティ会場もウオーターエリアの外に設けられているので、お子様の誕生パーティなどに利用できます、と同パークを運営するシナルマスデベロッパー&リアルエステート側は宣伝している。2007年3月にはみやげ物売店などを備えたオーシャンプラザがオープンする。2006年のクリスマスホリデーには一日で8千人の入場客がパーク内を埋めた。BSDシティへは有料自動車道でジャボデタベッ一円からの連絡が向上しており、BSD住民だけでなく首都圏にお住まいの皆さんはぜひ一度お越しください、と同パーク側は呼びかけている。お問い合わせは電話021−5370009まで。[ 2007年1月 ]


「車椅子乗客の不幸」(2007年1月15日) 2006年12月16日付けコンパス紙への投書"Fasilitas Bandara untuk Pengguna Kursi Roda"から 拝啓、編集部殿。2006年11月15日、わたしと夫と子供は一家でバリに旅行しました。わたしは身体が弱いので車椅子で飛行機に向かわなければなりません。国内民間航空会社のその飛行機は、航空会社の費用が嵩むからという理由でターミナルから離れた場所に止まっており、ボーディングブリッジを通って機内に入るようなわけにはいきません。結局夫はわたしを抱えて階段を昇り、機内に入りました。バリのグラライ空港でも同じことが繰り返されました。わたしの車椅子を押してくれた空港職員が言うには、空港管理会社は車椅子の乗客を機内に入れるための昇降機を持っていないとのことでした。ケータリング会社が使っている、機体の高さまでコンテナを持ち上げることのできるあの車輌のことです。 何年か前に国内航空会社でスマランへ行ったときのことをまだ覚えています。インドネシアでボーディングブリッジを通らないで飛行機に乗った最初の体験がそれでした。空港職員は先に機内に入るわたしに夫が付き添うことを許しません。それでわたしは航空会社の職員ふたりに付き添われて飛行機に向かいました。飛行機の乗降階段の下までくると男性乗務員がふたりそこにいました。わたしを機内に運ぶための器材も存在しないことがわかりました。そこで何が起こったかというと、乗務員のひとりはわたしの左右の足首をつかみ、もうひとりは後ろからわたしの腋の下に手を入れ、そんな態勢で機内への階段を上がっていったのです。 あれ以来、飛行機に乗るときわたしはいつも夫と一緒に先に機内に入るようにしています。外国では必ずボーディングブリッジが装備されているので、そのような体験をしたことは一度もありません。オーストラリア、ヨーロッパ、アメリカのどの町に行ってもわたしは快適に旅行することができました。どんなに小さな田舎の町へ行っても、飛行場がジョクジャのアディスチプト空港くらい小さくてボーディングブリッジが装備されていなくてもです。どこへ行こうとも、人力で担ぎ上げられるようなことは一度もありませんでした。インドネシア以外の飛行場はどこも、車椅子の乗客を機内に入れるための特別コンテナ昇降機を用意していて乗客が不愉快な目にあうことはまずありません。 みずから国際空港だと名乗る飛行場が持っていなければならない設備に関する国際規定はないのでしょうか?障害を持つ乗客の安全に関する規定はないのでしょうか?わたしは身長155センチ体重45キロの身体ですので、インドネシアの標準的体格の男性ならわたしを容易に抱え上げることができますが、それは偶然だと考えてもらわなければなりません。[ 南ジャカルタ市在住、ニルマ・ユリアンシャ ] 「ベルーガがやってきた」(2007年1月18日)
シロクジラあるいはシロイルカと呼ばれているベルーガが12月17日に北ジャカルタのアンチョルベイシティにやってきた。ウクライナから送られてきた二頭のベルーガはどちらもメスでまだ6〜7歳という若さ。体長4メートル体重6百キロという巨体をグランガンサムドラのプールに浮かべている。ベルーガは白を意味するロシア語のビエルーカに由来しているそうだ。若いベルーガは皮膚の色が灰色だが、年を経るにつれて白くなっていく。ベルーガの寿命は30〜40年で、年経た者は全身が真っ白。
生えびや冷凍エビが大好物というベルーガは今後数十年間にわたってグランガンサムドラでいろいろな芸を見せてくれるにちがいない。


「ラグナン動物園のシュマッツァー霊長類センター」(2007年1月22日)
ジャカルタの南部にあるラグナン動物園は広い。総面積140Haのそのラグナン動物園の中にシュマッツァー霊長類センターがある。この霊長類センターはシュマッツァー女史とギボン財団によって2002年に開設され、2006年5月にその運営が首都に移管された。13Haの広さを持つこのセンターには、ゴリラ、オランウタン、ジャワテナガザル、 スマトラ産オナガザル、ルトゥン、クロザル、ワウワウテナガザル、シアマンなど2百種の霊長類が飼育されている。このセンターにいるゴリラはインドネシア生まれで、イギリスで大きくなってからインドネシアに里帰りしたそうだ。
同センターの開場時間は8時から17時までで、そこではさまざまな霊長類を観察することができる。このセンターはラグナン動物園の中にあるとはいえ、そこへ入場するのにまた切符を買わなければならない。ラグナン動物園の入園料はおとな4千ルピア子供3千ルピアプラス保険料3百ルピアとなっているが、センターに入りたい人はさらに5千ルピアを払わなければならないのだ。飲食物は一切持ち込み禁止で、入場するときには入口で持っている飲食品を預けなければならない。途中で喉が渇いたら・・・とご心配の向きには、センター内であちらこちらに飲料水が出る水飲み場が用意されていてその水はそのまま飲んでも問題ないそうだ。またベンチも至るところに置かれており、疲れを癒すのはむつかしくない。途中でおなかがすいたら・・・とご心配の向きには、プアサをしていただくしかなさそうだ。


「プラネタリウム」(2007年1月25日)
中央ジャカルタ市タマンイスマイルマルズキ通称TIM。農夫の像から東に向かって一方通行のチキニラヤ通りをしばらく走ると左側にティムの入場門が姿をあらわす。ここにはインドネシアで数少ないプラネタリウムと天文台がある。インドネシアで一番古いこのプラネタリウムは1964年9月9日にスカルノ大統領の肝いりで建設され、1969年3月1日に都庁に移管されて一般公開がはじまった。ここの天文台には天体望遠鏡が3基あり、プラネタリウムの運営に必要な観測を自ら行っている。二番目に作られたのはスラバヤの海軍アカデミーのプラネタリウムで、ここも一般公開されている。そして一番新しいのが東カリマンタン州クタイクルタヌガラ県テンガロン市に2003年4月にオープンしたプラネタリウム。インドネシアにプラネタリウムはこの三つしかない。
ジャカルタのプラネタリウムでは火曜日から金曜日まで毎日16時半から一日一回ショーが行われ、土日は午前10時半から一時間のショーが5回催される。大人7千ルピア子供3千5百ルピアの入場券は当日その場で購入できるが、350席のシートが満席になれば入場できない。切符の販売は開演の30分前から。ホール内での飲食は一切禁止。ホールに入って明かりが消され、ショーがはじまると興奮もいや増す。西の空に太陽が沈み、ジャカルタの空にあるはずの天体が徐々に直径22メートルのドームに映し出されて行く。日本とは異なる南半球の夜空は見る者を飽きさせない。残念ながらショーのナレーションはインドネシア語だけだが、現実には見えない星空を眺めているだけでも夢見ごこちに陥りそう。


「ジャカルタでアイススケート」(2007年1月29日)
ジャカルタで唯一アイススケートリンクを備えているのが西ジャカルタ市スリピ地区にあるモールタマンアングレッ。Taman Anggrek というのは蘭園を意味しており、昔はそこに文字通り蘭園があった。その蘭園はいまやタマンミニに移され、その跡地にモールとコンドミニアムのセットが建設された。
7階建てのモールタマンアングレッがオープンしたのは1996年で、床は高価な大理石とタイルが使われて豪華な内装を印象付けている。エントランスの回転ドアも当時としては斬新なものだった。このモールは526軒のテナントスペースを用意し、ワンストップショッピングコンセプトを採用して衣料品、書籍、家具、家庭用品、化粧品、ブライダルから自動車に至るまでありとあらゆるものをこのモール内で購入できるようにしている。ゾーニングシステムが使われて類似の品目を売る店ができるだけ近い場所に集められているため、消費者が店を巡って品比べをするのも楽だ。飲食店は3階と4階に集まっており、ブライダルショップはアッパーグランド、電気製品は3階といったかっこう。衣料品はChic Simple, First Stop Boutique, Simplicity, Mango, The B Club, Zara, Giordano, U2, G2000 などの著名ブティックが看板を並べ、アクセサリー宝飾品ではCoco Jewel, Da Vinci, Paris Jewelery, Aily Diamond Boutique、メガネならLily Kasoem Optical, Prooptik, Optik Seis 、また娯楽ならTime Zone や映画館Anggrek 21 が顧客の来店を待ち受けている。そんな中でSky Rink と名付けられたモールタマンアングレッのアイススケート場はアイススケート愛好家たちで賑わっている。ここではアイススケート教室も開催されている。
平日は4万人、休日は6万人の来店客で賑わうモールタマンアングレッは都内環状有料自動車道路沿いにあって西ジャカルタの主要ショッピングセンターのひとつに位置付けられている。


「ジャヴァジャズフェスティバル2007」(2007年1月30日)
2007年3月2,3,4日に開催が予定されているジャカルタインターナショナルジャヴァジャズフェスティバルの、特別ゲストのショーのための前売り券発売が始まっている。
チャカ・カーンは1月16日〜2月10日が15万ルピア、2月11日〜3月3日が25万ルピア
セルジオ・メンデスは1月16日〜2月10日が15万ルピア、2月11日〜3月2日が25万ルピア
ジェイミー・カラムは1月1日〜1月31日が25万ルピア、2月1日〜10日35万ルピア、2月11日〜20日50万ルピア、2月21日〜2月28日65万ルピア、3月1日〜4日80万ルピア
お求めは下の場所、あるいはオンラインwww.javajazzfestival.comで
Simprug Gallery ticket box
Jalan Teuku Nyak Arief 10 Jakarta
Hotline +62 21 68823102-03


「ジャジャンジャズ」(2007年2月1日)
タングランのBSDシティにタマンジャジャン(Taman Jajan)というカキリマ(kaki lima)零細商人たちのためのビジネスエリアが設けられている。ジャジャンとは外で買い食いすることを意味する言葉で、その名の通りそこには飲食品を販売するカキリマ屋台が集まっている。そんな場所を利用する低階層庶民にジャズを楽しんでもらおうとジャズ愛好者が生演奏を始めた。BSDに住むユヌス・アリフィンが友人のジャズミュージシャンを誘って2006年3月に立ち上げたのがそのジャジャンジャズ。発起人となったのはドラマーのタウフィッ・シス、ギタリストのモルガン、ベーシストのジェフリー・タハレレ、ドラム制作者のハリ・ムクティら。かれらは毎月最初の木曜日の夜をジャジャンジャズの日と決めた。木曜日の夜というのはジャワでmalam Jumat と呼ばれ、その夜は悪霊が徘徊すると信じられている。
最初のはじまりからハイブラウな音楽というステータスで導入されたインドネシアのジャズは高級ホテルのラウンジや一流レストランでワインやステーキの添え物にされるのが似合うイメージが一般に定着しているが、ジャズというものは本来そんなものではなかったはずと歴史の源にさかのぼり、下層庶民がカキリマで甘いテパナス(teh panas)をすすりこってりしたロティバカル(roti bakar)に食らいつくときのツマにしてもらおうと反逆精神をふりかざした発起人たちが選んだ公演日はやはり反逆精神に満ちたものだったようだ。ジャジャンジャズのステージに上がってもギャラはない。これはビジネスではなく、社会活動なのだ。ジャズアーチストがジャズを社会に植え付けるための、自分の存在をかけた仕事なのである。
ジャジャンジャズの場所と雰囲気がジャズに関心を持つ若い音楽家に気安さを与えた。かれらは物怖じしないで人前でジャズをプレーする機会をそこに見出したのだ。こうして若いジャズミュージシャンの登竜門という位置付けに置かれたジャジャンジャズは、人前で発表する機会の少なかった若者たちにジャズをプレーする自信を与えることになった。シニアミュージシャンたちもこのジャジャンジャズに賛同した。アバディ・ススマンやベニー・ムストファたちがその登竜門としての機能を高く評価した。「若者たちにはポジティブな活動の機会を与えてやらなければならない。そうしなければかれらはネガティブな行動に溺れて行く。ジャズグループのバンド活動はとてもポジティブなものだ。」ベニーはそうコメントする。
ジャズ演奏が終わるとひとりの少女がアバディ・ススマンに近寄って話し掛けた。アバディがうなずき、少女はマイクを握る。一介の素人が自分の才能を示してみたい。シニアジャズミュージシャンがそれをサポートする。そんなシーンはジャジャンジャズでしか起こりえない。一年近く続けられてきたジャジャンジャズから数十人の若いミュージシャンやバンドが世に出た。関係者たちはこの活動が継続し、ジャズ音楽が一般庶民の生活に密着したものとして定着することを期待している。


「セイル・インドネシア」(2007年2月2日)
今年も7月22日から10月22日までセイル・インドネシア(Sail Indonesia)が開催される。2001年に第一回のステップストーンを敷いたヨット愛好者の国際クルージングラリーはオーストラリアのダーウィンを出発地としてインドネシアへはクパンから入国し、アロル、レンバタ、リウン、マカッサル、バリ、カリムンジャワ、クマイなどに泊まりながらバタムに向かい、バタムでインドネシア海域から去っていく。大自然がそのままの形で残された美しい景観の中で参加者たちは心行くまで操艇技術を競いながらクルージングを楽しむことができる。
2006年は22カ国から330人が100隻のヨットで参加し、インドネシアの僻地を訪れて経済振興に貢献した。今年は3月から受付を開始するというのに、早くも150隻が参加の意思表示をしている。主催者によれば、今年の参加者は120隻4百人に絞る予定にしている。


「ムカルサリ果樹パーク」
ジャカルタからボゴール・チアウィ(Bogor-Ciawi)方面にジャゴラウィ(Jagorawi)自動車専用道路を南下するとほどなくチブブル(Cibubur)ゲートに達する。そこを出てからチルンシ(Cileungsi)方面に向かい、チルンシフライオーバーをくぐってジョンゴル(Jonggol)方面に進むとジョンゴル街道KM3エリアに広大なムカルサル果樹パーク(Taman Buah Mekarsari)が出現する。264Haという広大な敷地に全国津々浦々から集められたありとあらゆる果樹がそこに植えられていて、ここにある44科362種の果樹コレクションは変種を合計すれば1,463にのぼる。きっとインドネシアで最大のものであるにちがいない。ドリアン、マンゴ、パイナップル、ランブタン、マンゴスチン、ブリンビン、ナンカなどをはじめ、一般的なスイカやメロン、そしていまや希少果実であるマトア、サウォケチッ、ガヤム、ブアノナ、クスムッ、ナムナム、クプル、クマン、あるいは世にも珍しいナンカとチュンプダッを交配させたナンカダッという新種まであって果物好きにはこらえられない楽しみだ。
1995年にオープンしたこのムカルサル果樹パークは、首都郊外に散らばるさまざまな行楽施設の中で遅れをとってしまった。もっと行楽客に楽しんでもらえる要素を盛り込まなければならなかったのだ。果樹に興味を持ち、果実の知識を、そして味覚を楽しむためにそこまでやってくるひとは少なかったのである。こうして営業方針を修正した同パークの運営者PT Mekar Unggul Sari 社はムカルサル観光パーク(Taman Wisata Mukarsari)コンセプトを打ち出した。ファミリーで楽しめる場所にしなければほかの行楽施設に負けてしまう。いまやさまざまな施設や催しもので盛りたくさんとなったこの果樹パークはかなりの集客レベルに回復している。
入場券はおとなひとり1万ルピア、子供は9千ルピア。広大なパーク内を巡る周遊バスに乗るのはひとり3千ルピアだが、お好みの場所で一度下りても次にやってくる車に乗るときはもう乗車賃を支払わなくて良い。パーク内では種別にわけてあちらこちらに果樹林が設けられており、果実の採り入れどきともなれば来園者が手ずから実をもいで味わうこともできる。ただしそれは有料になっているので、別に料金を支払わなければならない。もし採り入れシーズンを過ぎてしまった場合は樹になっている実をもぐことはできないが、パーク内インフォメーションセンター館周辺の売店でパーク産果実を買うこともできる。
果樹に飽きたらファミリーパーク。ここには小さいお子様向けのミニ動物園や遊び場があり、また馬にも乗せてくれる。子供を遊ばせておいてお母さんは野菜園で採り入れ、お父さんは釣堀で魚釣りという趣向も可能。野菜園は入園料が3千ルピア、釣堀は釣り道具の使用料と餌に6千ルピアを払う。いずれも獲れた獲物は重さに応じての買取となる。
青少年向け教育プログラムも実施されている。子供たちはポリバッグに入った苗を植木鉢に移し替える正しい方法を教えてもらう。その植木鉢は自宅に持ち帰って毎日水をやるように約束させられる。植物の成長を見守りながら毎日世話をする責任感と規律を子供たちに植え付け、同時に自然を愛好する感受性を養ってもらおうというアイデアだ。このキッズファーマーと名付けられたプログラムは火曜日から金曜日まで最小催行人数4人で開かれており、参加料金はひとり3万7千ルピアになっている。更に専門的な植物栽培や植物分類、植物生物学などのセミナーや植物ラボ見学といった教育コースも同パークは行っているが、これは30人以上の参加者を条件にした学校や大学向けのプログラムだ。パーク内にはガーデンセンターもあってお土産に観葉植物・苗・肥料などを買って帰ろうという来園者を待ち受けている。[ 2007年2月 ]


「バタムのナイトスポット業界にかげり」(2007年2月28日)
Maxim Pub, Crown Karaoke & Pub, Dwi Crown Pub, Rio Rita Karaoke & Pub, Apollo Pub, Astronot Pub, Ozon Discothique, Legend Discothique, Sensasi Pub, Indah karaoke, Louis Pub, Coin Center Pub, Crown Discothique, Queen Bees Pub, Bovo Karaoke & Pub, Station Pub, Wisma Bahari III, Hotel Gajah Mada, Hotel Sahid Rashinta, Hotel Bukit Mutiara, Hotel Oasis, Hotel Nan Tongga, Hotel Osaka。
長大なこのリストはかつてバタムの夜を不夜城に変えていたナイトスポットやホテルの名で、ここ数年間に店をたたんでしまったもの。2002年までバタムの夜は明るく華やかに彩られており、週末になればシンガポールやマレーシアからツーリストが、そして地元のエクスパトリエートたちが、島内のナゴヤ、ジョド、バロイ、ウインザー、バタムセンターなどの繁華地区で夜を徹して遊び、翌日は休養を取ってからまた次の週の仕事に備えるというパターンが続けられていた。かれらの多くがパブやディスコに繰り込む前、島内の別の場所でギャンブルに興じるというのが一般的なお遊びコースになっていたのは有名な話だ。清廉なイスラム国を標榜するインドネシアで賭博は禁忌であり、それはバタムでも例外でない。そしてバタム警察が2003年になって賭博の粛清を開始した。それ以来警察の手入れが頻発するようになり、闇賭博は激減してそのあおりがナイトスポットに向かったのである。比較的安い金額で遊べる格好の週末スポットがそれまでのお楽しみを提供できなくなったために、ツーリストが減った。夜の繁華街がさびれ始め、紅灯街の明かりがひとつまたひとつと消えていった。三年ほどの間にナゴヤ地区で10軒、ジョド地区で3軒、バロイ地区5軒、バタムセンターでは1軒。加えてスター級やジャスミン級のホテルも7軒がそれに追随している。
そんな状況に流されないで確固として営業を続けているPacific Discothique, No Name Pub&Cafe, G&G Pub, Tampico Pub といった店もある。その一方で慰安業種の盛衰を示すかのように、繁華地区にスパとマッサージの看板が増えてきた。バロイ地区で2005年に閉店したオゾンディスコティック脇の住民は、盛んなときは夜明けの四時ごろまで賑やかだったが閉店してからこの一帯は寂れてしまった、と語る。「この地区が寂れ始めたら、小屋を建てて不法居住していた連中も賑やかな場所を求めてここから引っ越して行ったよ。」との談。


「ガルーダが国際航路再編を計画」(2007年3月5日)
エミルシャ・サタル、ガルーダインドネシア航空代表取締役は2月22日の国会公聴会で、2007年の会社事業計画の中で損益状況の改善をはかるために大幅な運行計画再編を予定していることを明らかにした。要点は赤字路線の縮小と黒字路線の拡大に尽き、特に国際線運行における赤字線の整理と黒字線の増便が予定されている。従来からのドル箱だった日本とオーストラリアの二航路はバリ第二次爆弾テロ事件の災禍からまだ十分に回復していないものの2007年の乗客輸送目標は253万人と設定されており、これは2006年実績から15%のアップになっている。A330機の使用はリース費とメンテナンス費が高額であるために同社は妥当な経済効果をもっと追求する必要を感じている。2006年にガルーダ航空が運行サービスを行った国際線24ルートのうちで純益黒字は9路線しかなく、他は赤字という結果だった。2005年は29ルートを運行し、黒字は16路線で残りは赤字だった。一方国内線は、2006年の運行ルートは27で21ルートが黒字、2005年は25ルートのうち9路線が黒字という業績だった。
今年の運行計画のポイントはオーストラリア・中国・アセアン域内数都市などの黒字路線で便数を増やすこととインドへの航路を開設することだ、と同代表取締役は説明する。今年ガルーダは新たにボーイング737−800NG型機2機を160万ドルの予算でリースする予定にしており、第三第四四半期にガルーダ航空の編隊が強化されることになる。長期計画の中でガルーダはこのB737−800NGを25機使うことにしている。


「チアルトンの碑」(2007年3月21日)
横幅1.6メートル高さ1.5メートルほどの大きな石には人間の足形が彫られ、パラワ文字で刻まれたサンスクリット語の文章がその脇に添えられている。「ウィスヌ神の足形のようなこのふたつの足形は勇敢にして高名な世界の王者のもの、プルナワルマン、タルマヌガラの支配者」という四行詩がそれ。プルナワルマンは先王ダルヤワルマンの王子で、紀元395年から434年まで在位したタルマヌガラ第3代の王だ。プルナワルマンは王位に就くと、すぐに王都をそれまでのジャヤシガプラ(Jayasingapura)からもっと北の場所に移し、そこをスンダプラ(Sundapura)と名付けた。ジャヤシガプラは今のボゴール県ジャシガ(Jasinga)郡にあたる。
プルナワルマン王の足形が彫られた石はそれが発見された場所の名を冠してチアルトン(Ciaruteun)の碑と呼ばれている。この石は18世紀にチサダネ川の支流チアルトン川の流れの中で見つかった。チタルム川の合流地点から百メートルほど下ったチアルトン川南岸に近い場所だ。この石は1981年までその場所に置かれたままだったが、その年の6月に地上に引き上げられた。8トンもあるその大石はチアルトン川北岸に上がり、今では屋根がかぶせられて雨ざらしは免れている。更に文化遺産であるために番人が置かれて心無いいたずらから守られる態勢がやっと作られたが、時既に遅しというものかもしれない。この貴重な文化遺産は1千数百年の間に愚かな者どもの手でさまざまないたずら書きが彫り込まれており、無残な姿に成り果てている。
チアルトンの碑の番人はバンテン州セランの古代遺跡保存院職員アッマ氏53歳で、公的報酬は月20万ルピアしかなく、見学客からもらうチップがかれの生活を成り立たせているようだ。このチアルトンの碑が置かれている住所はボゴール(Bogor)県チブンブラン(Cibungbulang)郡チアルトンイリル(Ciaruteun Ilir)村ムアラジャヤ(Muara Jaya)部落で、その場所はボゴール市からおよそ20キロほど離れており、ルウィリアン(Leuwiliang)に向かう街道を通れば車でおよそ1時間の距離。ダルマガ(Darmaga)のボゴール農大キャンパスを超えるとチアルトンへの行き先表示がある。右折してチアンペア(Ciampea)市場を超えたあと今度は左折しシンコン畑と果樹園にはさまれた狭い道をひたすら走ると果樹園の合間にこの大石を置いた小屋がある。ちょっとした郊外ドライブの目的地のひとつに選んでも悪くないかもしれない。


「首都圏のトレッカーに朗報」(2007年3月23日)
首都ジャカルタの南部を取り巻くグデ〜パンラゴ山系(Pegunungan Gede-Pangrango)。標高2千数百メートルから3千メートルに達するこの山に分け入って山歩きするひとの数も増えている。そんなトレッキングファンのためのガイドブックが世に出た。インドネシア科学院が3月10日に出版したこのガイドブックは四種類に分かれており、ポケットサイズで地元に関する数多くの情報が盛り込まれ、おまけに約7キロ四方を描いた縮尺1:16,667の付属地図は耐水紙が使われていてトレッカーにとって使いやすいものになっている。Puncak Trek Guidebook と題するこのガイドブックはCiawi, Cisarua, Cipanas, Cugenang の四エリアに分けられたシリーズもので内容は120ページあり、、それぞれ2千2百部が印刷され、4冊セットの価格は50万ルピアだが分冊購入も可能で、分冊の場合は一部13万ルピアとなる。
このトレッキングマップの出版は山歩きを趣味とするアメリカ人アレックス・コーンズのアイデアから始まった。1991年以来グデ山周辺を歩き回っていたかれは、山稜から出て谷を渡るさいに一度通ったことがあるものの見つけにくいポイントがいくつかあることに悩まされ、トレッキング用地図の必要性を痛感していた。このアイデアがインドネシア人トレッカーにも伝わり、インドネシア大学数学自然科学部地理学科の学生やOBたちが加わってトレッキング地図の作成に乗り出した。かれらはグデ山とパンラゴ山をそれぞれ4回も巡って推奨コースを選び出し、8年がかりでガイドブックの出版にこぎつけた。USAIDやフォード財団からの援助もその企画の実現に大きく貢献している。2007年3月10日に出版された4種のトレックガイドを見てアレックスは、「インドネシアでトレッキングマップを見たのは今日がはじめてだ。」とジョークを飛ばした。この制作チームは2003年からボゴールのパクアン大学やデポッのグナダルマ大学の学生たちとともにWahana Informasi Pariwisata Alam (自然観光情報フォーラム)を結成して現場の情報収集に努め、滝、歴史的文化財、学校、ワルン(売店)、景勝地点、野生動物遭遇場所などの細かい情報をガイドブックに盛り込むことに成功している。ガイドブックは英語とインドネシア語の二国語表記。
シリーズはそれぞれ四つの推奨コースを記載している。たとえばチサルアの巻を見ると、8.9キロのCiteko ルート、6.9キロのSampai ルート、11.1キロのMandalawangi ルート、9.3キロのGedogan ルートがあがっており、半日から一日がかりのトレッキングコースとして奨められている。これまでは山に入る多くのひとが山頂を目指していたが、今回のトレッキングガイド出版でホリゾンタルな山歩きの楽しみもインドネシアに広がるのではないかと有識者たちは期待している。


「国内の植物園が12ヶ所に増える」(2007年4月6日)
インドネシアで世界的に著名なボゴール植物園はインドネシア語でKebun Raya Bogor と呼ばれている。Kebun Raya というのは植物の生きた標本を学術目的に集めたもので、コレクションに関して原産地や植樹して以来の移植、開花、結実、枯死などといった履歴の詳細な記録が作られている。Kebun Raya というのはそのような学術活動を行う場所であり、単なる自然公園であるTaman とはそこが異なっている。ところで政府はいま国内四ヶ所にある植物園をさらに増やすプログラムを募集し、それに応じて全国から8ヶ所が手を上げた。まずジャンビ州ブキッサリ(Bukit Sari)、中部ジャワ州バトゥラデン(Baturraden)、東カリマンタン州バリッパパン(Balikpapan)、南スラウェシ州エンレカン(Enrekang)、西ジャワ州クニガン(Kuningan)、ランプン州リワ(Liwa)、中部カリマンタン州カティガン(Katingan)、南スラウェシ州プチャ(Puca)がそれ。それらがクブンラヤとしてひとり立ちすればインドネシアにやっと12ヶ所の植物園ができることになるが、アメリカは3百ヶ所、イギリスや中国、オーストラリアなどは1百ヶ所を超えており、インドネシアはまだまだその足元にも及ばない。
中でもカリマンタンに設けられる予定の植物園には地元原産の樹種を完備させて後世に残すことができるよう期待がかけられている。森林破壊の進行でメランティ、クルイン、ウリンなどの木はもともとのハビタットで姿を見ることが稀になっており、またカリマンタン固有のランや果樹などもその数が減っている。この新たな植物園設立はボゴール県チビノンのエコロジーパーク内を本拠とするインドネシア科学院ボゴール植物園植物保存センターの指導のもとに進められることになる。同センター関係者は、地方の植物園設立に携わるひとの中に植物園とドゥニアファンタシを混同しているひとがいる、と語る。ドゥニアファンタシ(Dunia Fantasi)は北ジャカルタ市アンチョルにあるドリームランドの施設のひとつ。すでに創設以来190年を経過したボゴール植物園には年間で140万人の来園者があるが、関係者の中にはそんな経済面の思惑を優先的に見ているひとがいるようだ。ともあれ、植物園設立準備から開園までに要する経費は一千億ルピアが見積もられており、豊かなフローラをいつまでも野放しにしないで管理保護していこうとする政府の方針はいまやっとその端緒についたと言える。


「ライオンエアーが運賃2割引きを予告」(2007年4月13日)
新型機B737−900ERによる運行が開始されれば運賃は現状から20%下げることができる、とライオンエアーが公表した。B737−900ERは4月29日にインドネシアに到着し、5月から運行サービスに使われる予定。この値下げは新型機の投入によって得られるコストダウンと収益向上の結果であるとのこと。この新型機は今使われているボーイングの他の機種やマクドネルダグラス製のものより20〜30%も燃料消費が小さい。更に機内の座席数はそのサイズの機体が一般的に160シートほどであるのに比べて213シートを擁しているため、一回のフライトで得られる収益性にかなりの違いが出る。B737−900ER型機にとっては滑走路が1千6百メートルあれば十分であり、また24時間飛ばし続けることができる。ライオンエアーはこの飛行機を一日15〜18時間稼動させることにしている。
燃料消費の節減、収益性の向上、機体が新しいためにメンテナンス費用が小さくてすむといった好経済条件のために運賃を2割下げても十分ペイすると同社経営陣は考えている。ライオンエアーが操業を開始してから2年後の2002年に同社は空運業界に革命を起こした。それまで損益分岐点を40%としていた空運旅客業界はライオンエアーの廉価運賃戦略で空運旅客数が40%増加し、平均ロードファクター80%が達成されたことに関して同社PRマネージャーはそうコメントしている。同社は今回の新型機導入による運賃値下げがふたたび革命を誘発することを期待している。


「ボロブドゥル見学のあとはゴルフ」(2007年4月13日)
中部ジャワ州マグランのブキッティダル(Bukit Tidar)に国際級ゴルフ場がオープンする。ボロブドゥル国際ゴルフカントリークラブ(Borobudur International Golf & Country Club)は広さ40Haに18ホールを持つパー72の国際級ゴルフ場で、2007年4月14日にグランドオープニングが行われる予定。このゴルフ場の誕生でマグランにはボロブドゥル見学とゴルフプレイというふたつの国際級観光活動が用意されることになる。周囲が山に囲まれた高原にあって涼風の中で気持ちよくゴルフをエンジョイすることのできるこのゴルフ場はもともとマグラン陸軍アカデミーが持っていたゴルフ場であり、今般2百億ルピアをかけて国際レベルのものに改装された。14日のオープニングはジョコ・サントソ陸軍参謀総長が出席して行われることになっている。


「プランバナン訪問観光客が回復傾向」(2007年4月16日)
2006年5月のジョクジャ中部ジャワ大震災でチャンディプランバナンを訪問する観光客が大きく減った。地震後の数ヶ月は国内外観光客の姿を目にすることがほとんどなくなった。プランバナンばかりでなく、ボロブドゥルへの訪問客も減少した。それら観光施設の管理運営に携わっているPT Taman Wisata Candi Borobudur Prambanan Ratu Boko 社のデータによると、2004年2005年の観光客数は年間280万人だったが2006年は180万人に減少している。しかし今年に入ってからそれら観光施設を訪れる国内外観光客は増加傾向にあり、今年第一四半期では45万人を記録している。中でもプランバナンを訪れた外国人観光客はひと月3千人程度に回復しており、ボロブドゥルへの外国人観光客数も4〜5千人で、ことしは年間で15万人の訪問客が期待されている。一方国内観光の方は石油燃料大幅値上げ後むしろ後退気味であるとのこと。


「首都の高級ホテルで大幅値引き」(2007年4月27日)
ジャカルタのホテル業界はルームチャージの値引き合戦が激しくなりつつある。今年最初の4ヶ月間を見ると、4〜5星クラスホテルの一泊料金は公表価格が100〜140米ドルであるのに対して実質料金は70米ドル程度に落ちており、その料金レベルは3星クラスホテルのものであるためにより低いクラスのホテルもそれに押されて値下げを余儀なくされている。それでも客室稼働率は60%前後で、従来からのレベルが維持されていると言える。
ホテルパークレーンの販売担当重役は、都内20の4〜5星クラスホテルは外国系企業のコーポレートゲストがメインの顧客となっており、外国系企業がそのバーゲニングパワーを使って激しい値引き圧力をかけてくるために公表価格を維持できないのがその原因だ、と語った。おまけに外国系企業が使う対米ドル交換レートはホテル側に不利なものであるため、実質受取りルピア金額は十分な利益をもたらしてくれない。都内に数ある4〜5星クラスホテルもたいていは需給のアンバランスをかこっていることから買い手優位の市場状況が続いており、ホテル側は仕方なく値引き料金に応じているとのこと。業界者は現状がホテルの健全経営に大きいリスクをもたらしていると警告している。


「リッポチカランで水遊び」
緊張、興奮そして快感。アドレナリンが全身に漲って、普段眠っている神経が爪先まで張りつめる。17メートルの高さから流れ落ちる水といっしょになって滑り降りるチャレンジは、よそでは味わえない体験だ。リッポチカラン(Lippo Cikarang)にあるWater Boomをはじめて訪れたひとは、そんなセンセーションとは不似合いな緑したたる穏やかなウオーターパークの雰囲気に心奪われる。バリ風の石造構造物や像があちこちに点在しカンボジャの白い花が咲き乱れる落ち着いた空間に身をひたせば、「自分はバリにいる」という思いがふと意識の上に伸び上がってくる。
ワーテルボム・リッポチカランはジャカルタからおよそ35キロ。チカンペッ有料自動車道路を東進してチカラン料金所で降り、右折してしばらく走りつづけると大きな十字路に至る。そこを左に曲がれがリッポチカランコンプレックスだ。首都圏にウオーターパークは少なくない。BSDシティにあるオーシャンパーク・ウオーターアドベンチャーはすでに紹介済みだが、ほかにもチブブルのLaguna Wisata 住宅地区にあるEldorado や老舗アンチョルドリームランドのAtlantis Water Adventure などが首都圏の行楽客争奪にしのぎをけずっている。7年前リッポチカランにオープンした3.4Haのこのウオーターパークの売り物は高さ17メートルの滑り台と園内を埋める豊かな緑。
ここを訪れる行楽客は若いカップルから子供連れまでさまざま。大人は緑滴る庭園内のガゼボでリラックスしたり、ホワールプールの水流で全身マッサージを愉しみながら水上バレーボールを見物し、フローティングカフェでリフレッシュメントを取ることも可能。あるいは浮き輪に乗って深さ1.2メートル全長280メートルの水路を川くだりとしゃれこむのも一興。Buai Apung-apung という名のこの水路くだりでは、木々の緑がトンネルを作り、滝の水が水路を叩いて来園者を飽きさせない。浮き輪のレンタルは2時間で1万ルピア。そして保証金としてさらに1万ルピアを預託する。お子様向けにもJeram Berang-berang と名付けられた川くだり水路が用意されており、こちらは深さ60センチ全長160メートルでクジラやイルカあるいはカメの像やうすぐらい20メートルのトンネルをくぐるといった楽しい趣向がめぐらされている。
しかしなんといってもこのウオーターパークの大看板は高さ17メートルでぐるっと360度を全周する特大ウオータースライド。ここでは安全のためにゴム浮き輪の使用が義務付けられている。もうひとつ高さ14メートルのジュニア滑り台も設置されていて、こちらはゴム浮き輪が義務付けられていない。それらのウオータースライドはいずれもがBuai Apung-apung に着水する。滑り台はどちらも歩いて階段を登らなければならないので、センセーション体験を味わおうとするひとは前もって足腰を鍛えておいたほうがよいかもしれない。来園者の中には、「上まであがったら足が疲れてしまってせっかくの醍醐味が半減してしまった。リフトを設置しなけりゃダメだ。」と不満を語るひともあるそうだ。
首都圏に数ある行楽施設に対抗して、このウオーターパークにも水遊びだけでなく野外運動設備が取り入れられた。インドネシアでoutbond と呼ばれるアスレチック活動に関してワーテルボム・リッポチカランがお勧めするのは綱渡り。地上6メートルの上空に張られた綱の上を9メートル歩き、そのあと綱を伝って地上に降りる。こうして一日のお遊びが終わると、パーク内にあるアクアスパ(Aqua Spa)で身体のお手入れ。リッポチカランのワーテルボムは一日たっぷりとあそばせてくれる。[ 2007年5月 ]


「チボダスで桜の花見」(2007年05月23日)
西ジャワ州チアンジュル県にあるチボダス植物園に桜の林が作られる。2.5Haのこの桜林は2007年5月いっぱいかけて造園工事が完成する予定で、そこには245本の桜の木が植えられることになっている。熱帯のこの植物園では桜が4月と9月の2回開花するので、一年に二回お花見ができるようになるにちがいない。
チボダス植物園では、オランダ植民地時代の1936年に桜の原産地と言われているネパールのヒマラヤ山系から桜の木が移植された。その後、日本との交換研究が進められてチボダスの桜コレクションは増加した。2003年にはジャカルタと東京が姉妹都市の縁を結んだことから、日本政府が桜の木を寄贈している。この植物園では桜の木が数十本になったというのに、別々の時期に別々の場所に植えられていたため開花しても一面がピンクに染まるというようなインパクトを来園客に与えることができなかった。一方同植物園の研究者たちは桜の苗木を数百本に増やすことに成功しており、今回広大な桜林を造成して花見の楽しみを国民に味わってもらおうとの企画が実現した。桜林に植えられる若木は0.5メートルから1.5メートルとまだ丈の低いものだが、中には先月すでに花をつけたものもある。
数年前からチボダス植物園では桜の開花時に「日本へ行かなくてもここで花見ができます」と国民に来園をPRしていたが、いよいよ名実ともに花見の趣を楽しめる段階に入ってきたようだ。


「ガルーダ航空日本航路は好成績」(2007年6月22日)
ガルーダ航空はインドネシア〜日本航路の売上が2006年から8.3%アップして1億3千万ドルになるのを今年の目標にしている。2年前、バリ第二次爆弾テロ事件の影響によって日本航路の営業成績は大幅に落込み、2006年いっぱいかかってもまだその後遺症から脱し切れないでいるものの、今年第一四半期の状況は順調な回復を示しているとガルーダ航空日本・韓国・中国・アメリカ担当リージョナルマネージャーが語った。東京線に週8便、大阪線は週7便をB747−400型もしくはA330−300型機で運行させているガルーダは、2007年第一四半期の売上が目標の3千万ドルを大幅に上回る4千万ドルに達し、またロードファクターも目標の70%より高い75%となった。最も怖れているのは、爆弾テロがインドネシアで発生することだ、と同マネージャーは語る。今年3月7日にジョクジャで発生したGA200便の事故や米連邦航空局が4月16日にインドネシアの航空安全カテゴリーを1から2に落としたことなどの影響は営業活動の中でひとつの障害になっているとのこと。ガルーダ航空は今年のプロモーションターゲットを企業セグメントとエコツーリズムに置いている。バリでのウエディングとハネムーンパッケージを今年7月末からプロモートする計画はエコツーリズムプロモと相まって良い成績を出せそうだという見込みが出されているものの、上であげたようなネガティブな出来事のために企業セグメントへの売り込みは難しい面を抱えており、ある大手自動車メーカーとの交渉ではまだ合意が得られないでいる。
ところで米連邦航空局の審査に基づいてアメリカ政府が出したインドネシアの航空会社の安全性に関する自国民向け声明のために、ノースウエスト航空はガルーダとの運行提携を破棄した。ガルーダ航空本社はその提携再開を強く望んでおり、その実現のために関係諸方面に働きかける意志を明らかにしている。


「プラウスリブで潜水中に死亡」(2007年6月28日)
6月24日午前9時半ごろ、プラウスリブ海域のプラムカ島東側の海でスキューバダイビングを行っていた26歳の女性が死亡した。この女性は国会事務局に勤務するベアトリクス・グルトムで、ベアトリクスの遺体は海面下35メートルの海中でマスクがはずされた状態で発見された。かの女が使っていたボンベの中の酸素はまだ3分の2くらい残っており、全国潜水連盟(POSSI)会長を勤めているスリブ諸島海中国立公園管理事務所長はこの事故について、窒素酔いか何かで意識を失ったのが死亡の原因ではないか、と述べている。そのような現象は30メートル以上の深さまでもぐると往々にして発生するものであり、潜水経歴10回でPOSSIのA1ライセンスを最近取得したベアトリクスがその深さまで潜水するのはたいへん危険な行為だった、とのこと。A1ライセンス保有者は海面下18メートルまでの潜水が限度であり、またダイブマスターの付添いがなければならない。
ベアトリクスはマリーナアンチョルとムアラアンケからニグループに分かれてやってきた13人の友人たちのトリップコーディネータを務め、23日はプラウスリブのスマッダウン島の海でダイビングを楽しんだ。そして翌24日午前9時ごろからプラムカ島の海でダイビングを楽しんでいた矢先の事故だった。


「インドネシアの全航空会社に対して欧州乗り入れ禁止措置」(2007年7月2日)
欧州委員会が世界の安全でない航空会社に関するブラックリストを発表した。危険とされた航空会社はEU諸国への乗り入れが禁止され、またEU諸国民に対してもそれらの航空会社を使わないよう警告が出されることになっている。このブラックリストにはインドネシアのすべての航空会社をはじめ、アンゴラ、ブルガリア、モルドバ、ロシアの航空会社の名が記されている。EU運輸委員会によれば今回の措置はEU航空安全委員会のアドバイスによるものであり、運輸委員会はブラックリスト航空会社の乗り入れ禁止と国民への警告措置を行うよう全27加盟国に要請することにしている。
インドネシア政府はこの措置に対する事前の対応として6月22日に欧州委員会本部での総会で事情説明を行ないたいと申し入れていたが、その努力は実現せず先にブラックリストの発表がなされてしまった。その後総会での事情説明の機会は2007年10月に実現する目処が立ったため、そのさいにインドネシアが行っている航空安全に関する改善努力を強くアピールする考えでいることを運通省空運総局長は表明している。またそれまでの間にICAO、FAA、航空機製造会社などに支援を求めて欧州委員会に対するロビー活動を展開する計画を立てている。

ところで現在インドネシアから欧州に乗り入れているインドネシアの航空会社はひとつもないことから、今回の乗り入れ禁止措置によって空運サービス利用者が巻き込まれるであろう混乱は避けられた。かつて欧州線を運行させていたガルーダ航空は2004年末に経済性の問題からその路線を廃止したまま現在にいたっており、欧州向けはマレーシア航空とのコードシェアリングを行っているだけ。つい先日運通省空運総局が安全基準カテゴリー1に位置付けたばかりのガルーダ航空は今回の措置に面食らっているようす。2008年にアムステルダム線を再開させる計画を組んでいたガルーダは、欧州委員会の決定は情報不足に立脚したものであるにちがいないと見て国際機関を通じてEUに対する働きかけを強める意思を明らかにしている。


「さあ学年休み、行楽地は人の海」(2007年7月4日)
2007年7月1日のアンチョルは10万人の人出となった。そのメインは言うまでもなくアンチョルベイシティにあるドゥニアファンタシがお目当て。トルナドやハリリンタルなどの人気設備をはじめとしてほとんどすべての乗物類には長蛇の列ができ、また園内の空間はひとで埋め尽くされた。2006年学年末休暇の人出は一日の最高が7万5千人だっただけに、今年の人出は30万人という大晦日の状況に迫るものだったと言える。家族連れ以外にも、会社が従業員とその家族のために慰安催事を企画して観光バスを連ねてやってきたケースも少なくなく、一社で2千人を送り込んできたというところもある。
アンチョルの対抗馬はタマンミニ。普段の休日は2万人の人出というタマンミニも7月1日には4万人の入場者があり、園内はたいへんな混雑をきたした。タマンミニでもさまざまな娯楽設備で長蛇の列が作られた。人気の高いのはロープウエーやタマンアクアそしてケオンマスシアター。また新しいものではショットガンなどが入場客の興味を引いていた。学年末休暇期間中の土曜日と日曜日の夜にタマンミニ側は花火大会で雰囲気を盛り上げることにしている。
しばらく前BSDシティにオープンしたオーシャンパーク「ウオーターアドベンチャー」にもおよそ1万人の行楽客が殺到した。6月30日の入場客数は7千人で、7月1日にはジャワ島の地方部やスマトラなどの遠隔地からも行楽客がバスを連ねて押し寄せてきた。
バンテン州ルバッ県チベベル郡チスンサン村チカランギラン部落で7月1日に開催されたセレンタウン(seren taun)の伝統儀式にも首都圏やバンテン州西ジャワ州から数千人の行楽客が見物に訪れた。セレンタウンは年に一度大収穫を祝って催される伝統儀式であり、儀式が滞りなく催されたあとは現代風な演芸や音楽のさまざまなプログラムが演じられ、また夜には夜市が開かれて行楽客は手ごろなみやげ物を買い集めていた。
バンドンでも学年休み期間中のホテル予約状況は大入りの状態で、7月1日は市内にある270ホテルの客室総数9千5百がほとんど埋まるという最近では稀な状況が出現した。由緒あるホテル・サボイホマンでは145の客室がすべて埋められた。その大半は家族連れで、このホテルではお休み期間中に子供たちを対象にした「シェフと一緒にお料理教室」という特別プログラムを実施している。バンドン市観光局長によれば、7月1日にバンドン市内に入った自動車は17万台に達し、ホテルもほとんど満室状態で、中には一部屋に生徒が6人宿泊するというケースも出ているとのこと。宿泊客の多くはジャカルタ・スマトラ・中部東部ジャワなどから来ており、市内の行き先はチアンプラスのジーンズ衣料品センター、チバドゥユッの革靴製造販売店、ダゴやリアウ通りのファクトリーアウトレットなどがお気に入りのコースになっている。パサルバルのショッピングセンターはマレーシアやシンガポールからの買い物客の姿も目立った。


「インドネシア観光業界はパニック」(2007年7月6日)
インドネシアの51航空会社が安全でないとしてブラックリストに載せられ、欧州委員会はそのリストを公表するとともにEU加盟国に対して国民がそれらの航空会社を利用しないよう警告を出させたことで、インドネシアの観光業界は大きなパニックに襲われている。インドネシアのあちらこちらの観光地からはキャンセル続出の悲鳴が聞こえ始めた。
ある旅行会社のフランスの提携先は、インドネシアの国内航空会社をつかわないようにという警告を政府が出したためにすでに組まれていたインドネシア向けツアーの処理に大わらわで、来年の観光旅行メニューにはインドネシアを入れないと語っている由。ところが欧州委員会の決定はヨーロッパだけでなく日本にも影響を及ぼしており、日本のツアーオペレータも何軒かバリや東部インドネシアへのツアーのキャンセルをインドネシア側に申し入れてきている。
昨年70万人あったヨーロッパからの観光客はその30%がIsland Hopping ツアーの購入者であり、このツアーはバリだけを訪問するのでなく、最初はジャカルタに入りバンドン〜ジョクジャ〜スラバヤ〜バリと回るコース、最初はスマトラに入ってからジャワを経てバリにいたるコース、バリに入ってからロンボッやマカッサル・マナド・マルクなどを訪れるコースなど国内移動に必ずブラックリスト航空会社が使われるものとなっている。国内各地を回る費用はヨーロッパでひとりあたり1千4〜5百ドルという料金が付けられていて、そのため理論的には年間20万人のアイランドホッピングツーリストが来なくなり、ひと月2千5百万ドルの収入が消えていくということになるのだが、旅行代理店協会首都支部は今回の問題が業界にもたらす損失は3.5兆ルピアになるだろうと見積もっている。


「海岸でテント泊ツアー」
ジャカルタ湾に浮かぶ1千の島々、プラウスリブ。とは言うものの、島の数は実は110程度しかなく、おまけに海食作用と海面上昇で沈没が進んでいるのが実情だ。そうは言っても、プラウスリブは依然として首都ジャカルタの重要な観光資源であることは言うまでもない。プラウスリブ観光でここ数年間ネックになっているのは、人数が集まらないと船を出さず、必然的に島の宿泊施設も船が来ないからオープンしないというドミノ論理の支配下に陥っていること。おかげでプラウスリブリゾートへの旅行はグループツアーの様相を呈するようになっているから、気楽に遊びにも行けない。
経済性を無視すれば、アンチョルのマリーナ海岸(Pantai Marina)から45人乗りスピードボートをチャーターすることは可能。距離によるが、往復で8百〜1千万ルピアで行きたい島に行くことができる。もしその船の運航に合わせるなら、一回の乗船賃はひとり10万ルピア。ムアラアンケ(Muara Angke)の埠頭からもプラウスリブへ行く船がある。kapal ojek kayuと呼ばれる小型木造船をチャーターすれば350〜400万ルピア。島々の住民は船の航路に合わせて乗っている。ひとりなんと2万5千ルピアで。
旅行社スターフィッシュアドベンチャーが企画したビラブサール(Birah Besar)島一泊ツアーには多くの申込みがあった。海岸にテントを張って星明りの下でごろ寝しようという野趣満点の企画だから、外国人の希望者も少なくなかったらしい。20名が定員で大勢が無念の涙をのんだそうだ。御一行は2時間半かけてプラウスリブ県庁のあるプラムカ(Pramuka)島へ行き、そこから15人乗り小型木造船をチャーターしてビラブサール島へ。
ビラブサール島は面積20Haの比較的大きい島で、リゾート施設が建てられてかなりの観光客が訪れていたが2005年に倒産したそうだ。その後この島は放置されたままになっている。上陸して一休みしてから参加者は早速シュノーケリングツアーに出発。行く先はビラブサール島周辺の小島、マタハリ(Matahari)・マチャン(Macan)・マチャントゥトゥル(Macan Tutul)の島々。それらの島々の中ではマチャントゥトゥル島のエコシステムがもっとも感銘を与えたようだ。そうしている間に太陽は西に傾き、みんなは島に戻る。21時ごろ花火で遊び、あとは海岸に張ったテントに入りあるいは持参した寝袋にもぐりこむ。ほんの数メートル先を波が洗い、リズミカルな潮騒と降るような星に包まれてテントの中で眠りに落ちる。一方の寝袋組みは木造の桟橋で。
翌朝は帰り支度を整えてから、ふたたびシュノーケリングを満喫しにスマッダウン(Semak Daun)とバリッラヤル(Balik Layar)の島々に向かう。前日の感銘よりもっと大きな感銘を味わって参加者はご満悦。こうして御一行はプラムカ島に戻り、本土に向かう船へと乗り換えた。[ 2007年7月 ]


「スラバヤのホテル客室稼動は低調」(2007年7月12日)
スラバヤの今年上半期ホテル客室稼動状況は前年同期に比べて悪化している。東ジャワ州の3〜5スター級ホテルとゴルフクラブの業界団体であるカサグランデのユサッ・アンソリ会長は2007年上半期の客室稼動率が各クラスで前年同期実績からダウンしたことを明らかにした。同会長によれば各クラスの状況は下の通り。
スター級 / 2006年上半期 / 2007年上半期
3スター / 70.7% / 65.5%
4スター / 72.6% / 70.4%
5スター / 58.6% / 53.5%
スラバヤツーリズムプロモーションボードの専務理事でもある同会長はその原因について、今年1月から3月ごろまで相次いで発生した航空機事故の影響、新しいホテルのオープン、アパートが一泊契約方式で客を取っていることなどをあげている。
今年6月にスラバヤでは学年末休みにあわせてスラバヤビッグセールを開催したことでスター級ホテルの客室稼働率は5月の64.4%から6月は69.5%へと上昇したものの、今年1〜4月の低調さをカバーすることは困難だったと同会長はコメントしている。


「エアーエイシアが廉価ホテルを設立」(2007年7月19日)
廉価航空会社エアーエイシアがその廉価方針を空運旅客分野からホテル業分野に拡大しており、既にマレーシアで行っているような廉価ホテルをインドネシアにも設ける計画であることを公表した。このホテルは2〜3スター級の設備を持つが宿泊料金は一泊7万5千から10万ルピア程度が予定されている。マレーシアのエアーエイシアがインドネシア側に求めているのはジャカルタをはじめいくつかの都市に廉価ホテルを運営することで、マレーシア側は宿泊料金を一泊5万〜7万5千ルピアと希望しているがインドネシア側は、その料金レベルでは無理だ、としている。
マレーシアで今年はじめにオープンしたこのコンセプトによる廉価ホテルは市場からたいへんポジティブな反応を得ており、営業状況も好調に推移している。インドネシアエアーエイシアもそのコンセプトは国内市場に適したものととらえ、まずジャカルタに第一号ホテルをオープンする予定。このホテルはスター級ホテルのファシリティを備えるが、顧客がそれを利用すれば料金がチャージされるという方式であるため何も使わなければ宿泊料金がどんどん小さくなっていくという合理性を顧客に与えるもの。このホテル網を利用してインドネシアエアーエイシアは宿泊込みパッケージツアー販売に乗り出す計画を組んでいる。


「新しいコンドテルがスラバヤに」(2007年8月9日)
東ジャワ州スラバヤ市内でもコンドテルの建設が進められている。コンドテルというのはコンドミニアムホテルの略称で、コンドミニアムのユニットを所有するオーナーがコンドテル運営会社に委託してホテルとしてそのユニットを稼動させ、オーナーが使用しない時はホテルとしての家賃収入が手に入るというもの。コンドテル購入者の大半はそのような家賃収入と再販時のキャピタルゲインを狙った資産投資を目的にしている。
スラバヤでいま建設中のコンドテルはふたつあり、ひとつはアストン・インターナショナルがPT Adco Graha Sejahteraと組んで建設中のAston Place Twin Tower、もうひとつはPT Lippo Karawaciが建設しているThe Regency Kondominium。アストンプレースツインタワーはスタジオタイプのユニットが基本デザインになっているとのこと。一方、City of Tomorrow (CiTo)スーパーブロックエリアに建設されるリージェンシーコンドミニアムはプリセールも順調に進展しており、2007年7月末時点で82%が売却済みであるとのこと。


「コモド国立公園の海を漂う怨念」(2007年8月29日)
東ヌサトゥンガラ州コモド島のロウエンチ岬でコモド国立公園管理館所属のパトロール艇「トラニ号」を銃撃した一味を州警察は追っている。東ヌサトゥンガラ州警察は西ヌサトゥンガラ州警察と共同して捜査を続けているが、まだ成果はあがっていない。コモド島は東ヌサトゥンガラ州の西端にあって西ヌサトゥンガラ州と境を接しているため、この共同捜査は犯人を追い詰めるのにきわめて効果的と見られている。パトロール艇が銃撃された事件では人的被害は出ていない。警察は銃撃犯をコモド島一帯で鹿の密猟や海で爆弾漁を行っている住民の仕業ではないかと見ている。銃撃事件はこれがはじめてでなく、犯人には徹底的に対抗していかなければかれらが降服することはありえない、と警察側は厳しい対決姿勢で臨むことを明らかにしている。しかしインドネシア環境フォーラムはコモド島でのパトロール艇銃撃事件について、その根底には人権侵害問題が横たわっていると解説する。
1980年に設立されたコモド島国立公園は最初コモド島とリンチャ島だけから成っていた。これはその二島がコモドドラゴンの主なる生息地だったからだ。つまりこの国立公園はコモドドラゴンだけをフィーチャーして作られたものだったと言える。ところが地域漁民による爆弾漁やシアン化合物を使う毒物漁あるいは過剰捕獲などが盛んになってきたことから1995年以来エコシステム維持と保護に政府は力を入れるようになり、こうして国立公園管理館の中にThe Nature Conservancy(TNC)の協力で高速パトロール艇を擁する海上パトロールユニットが設置された。そしてさらに、森林農園大臣が国立公園拡張提案を受け入れて2000年大臣令第172/Kpts-II/2000号で海域13万2千Ha陸地4万Haの広大な地域を国立公園としての規制区域に指定したのである。その理由のひとつにされたのが同海域の豊かな海中生物相であり、その詳細をコモド国立公園管理館はフローラ102種ファウナ185種と報告している。これまで自由にその海域で漁労を行ってきた地元漁民は突然広大な海域が規制対象となったために従来の活動が困難になり、国立公園域内で無許可操業すればパトロールユニット隊員である国軍兵士や航空水上警察隊員と対面しなければならない状況になってしまった。その海域で官憲の銃火に命を落とした地元漁民は少なくない。漁民が国立公園域内で活動したい場合はコモド島のロリアン国立公園管理館ポストに届け出て許可を得なければならず、また漁労に使用してよいものは釣竿のみとされ、その他の漁獲器材は使用が一切禁止された。
海上パトロールユニットは地元漁民に対して抑圧的な姿勢で臨んだ。オルバ期に取られた住民統制方式がこの地域ではレフォルマシ時代になっても相変わらず続けられたのだ。2002年11月10日23時ごろビマ県サペ村所属の機船に乗っていた25歳と35歳の漁民ふたりがパトロールユニット隊員に銃撃されて死亡し、ほかの乗組員14人は捕らえられてパトロール艇の上で暴行され虐待を受けた。このような事件はそれがはじめてのものでなく1980年代以来何度も繰り返されたことがらであり、これまでにパトロールユニット隊員の銃撃によって死亡した者は13人、捕らえられて裁判もなく虐待されあるいは脅迫された者は数十人にのぼる。
2002年11月の事件でビマ県サペ村住民がコモド国立公園管理館パトロールユニットの不当行為を告発した。村民たちは銃撃実行者とその命令者を法廷で裁くよう要求し、ビマ県庁もその後押しをするために事件調査チームを結成した。しかし調査チームは事件の立証段階で足踏みをしており、事件内容の公表や当局側への起訴など次のステップに進むことがまだできないでいる。国立公園管理館はその事件に関して、パトロールユニットの活動は合法的なオペレーション規準に合致したものであの夜の事件はその規準の不幸な帰結にすぎず、当事者にその行為の責を帰せることはできないしまた公園管理館にも責任はないとの声明を出している。それに対して、海上パトロールユニットは国立公園管理館の責任下に行動しておりまたTNCがその資金協力を行っていることから、公園管理館とTNCが責任を取らなければならないという見方が社会的に強まりを見せている。2002年11月の銃撃事件に関する取調べはまったく進展しておらず、州政府も州警察もこの事件を取り扱うことを避けている印象が強い。人権国家コミッションさえその使命をおざなりにしている感があり、そのためにサペ村民はサペにある国立公園ポストを襲って焼き払うという行動に出たこともある。明るい陽光と澄んだ海の上を漂っている怨念はパトロールユニットに対する復讐の引き金を折にふれて引かせようと待ち構えているようだ。


「成田行きガルーダ機でハイジャック」(2007年9月11日)
2007年9月4日、スカルノハッタ空港で搭乗中のジャカルタ発成田行きガルーダ航空GA479便に4人のテロリストが闖入した。機内はその四人に制圧され、既に搭乗していた乗客37人と乗務員7人が人質にされた。コックピットに入った賊のひとりが管制塔に呼びかける。「われわれは機内を制圧し、乗客と乗務員を虜にした。首都警察に捕らえられているわれわれの仲間をすぐに釈放し、また現金1百万ドルをここへ持って来い。われわれは第2ターミナルに爆弾を仕掛けており、1時間後に爆発するようセットしてある。」
この情報が報告されるや空港保安委員会はただちに緊急態勢に入り、現場を遮断すると同時に空港警察に連絡を取った。連絡を受けた空港警察は即座に警察爆弾処理部隊グガナユニットと反テロ実戦部隊である反テロ88特殊別働隊やK−9などに出動を求め、爆弾と航空機乗っ取りへの対応を進めた。空港保安委員会は救急車と消防車に現場へ急行するよう命じる。空港警察はまた飛行機を乗っ取ったテロリストグループとの交渉役に適切な人材を探して交渉に当たるよう命じる。第2ターミナルの爆弾に対する処理を終えたグガナユニットと88特殊別働隊は乗っ取られた航空機に全力を集中し、事態の回復に努める態勢に入った。テロリストグループとの交渉は難航したが、粘り強い努力で人質の女性三人を解放させることに成功した。だがテロリストは乗客のひとりを撃った。
空港警察署長は最終的に反テロ88特殊別働隊に対して機内への侵攻を命じた。テロリストの隙をうかがって機内に突入した特殊別働隊は15分間にわたる激しい銃撃戦の末に賊ふたりを射殺し、残るふたりにも傷を負わせて戦闘力を失わせた。乗客13人と特殊別働隊員2人も銃弾で怪我をした。そのようなシナリオでこの日の反テロ対策シミュレーションは幕を閉じた。JICAの支援を得て行われたこの日の演習はインドネシアのいくつかの空港で行われることになっている空港緊急対策プログラムの一部を成しており、JICAはインドネシアの空港緊急対策プログラムをサポートするために2006年12月以来7人の要員をこのプログラムに投入して計画の推進に当たらせている。今回行われたような演習は2007年2月にスラバヤのジュアンダ空港とバリのグラライ空港で既に実施されている。


「ダンデルスの道をクラシックカーがパレード」(2007年9月13日)
1811年にダンデルス総督が建設させたジャワ島横断道路を75台のクラシックカーがパレードする。アニエルからパナルカンまでの2千5百キロを2007年9月1日から8日までの間に踏破するこの企画はインドネシアクラシックカー愛好会が立てたもので、クラシックカーをガレージに寝かせてばかり置かずに実際に道路を走らせてその健在な姿を社会に示そうというのが趣旨であり、これは同時にインドネシア独立記念を祝う催しも兼ねている。75台のクラシックカーは1930年から1960年までの間に作られたもの。このパレードはアニエルロールからバンドン、そしてチャダスパゲランスメダンを抜けてジャワ島北岸街道を通り、最後はシトゥボンドのパナルカンを終点とするもの。


「シドアルジョの熱泥は新観光資源」

東ジャワ州シドアルジョ県ポロン郡にあるラピンドブランタス社採掘現場から噴出した熱泥は住民居住地・工場・事務所・店舗そして水田など575Haを広範に埋め尽くしてたくさんの難民を出現させる大型災害となっているが、どうやら人間はだれしも災いを福となす能力を持っているらしく、最近増加しはじめた熱泥見物にやってくる観光客に対する被害住民たちの零細観光事業も上り調子のようす。これまでも、せっかく通りかかったのだから、とルートをそれて熱泥現場を見に来る通過オートバイや乗用車があったが、最近ではその見物を観光コースに含めてやってくるひとびとが増加しており、土日には観光バスさえもが近くの路肩に停車している。
熱泥噴出現場を見るには、スラバヤ方面から自動車専用道路を南下してポロン料金所で一般道に下り、そして道路破損の激しいポロン街道を南下する。ポロン市場の手前で路肩に自動車を停めれば熱泥観光のはじまりだ。もちろんいまだに熱泥災害を受けたあるがままの状態だから観光整備が行われたわけでもない。だから多少の危険を冒すことは覚悟の上。
車から降りた観光客はまず徒歩で鉄道線路を乗り越えたあと、熱泥の氾濫を阻むために造成された堤防に登っていく。この堤防は高さが6メートルあり、その頂上からは熱泥の溜池が一望のもと。1.5キロほどかなたにある熱泥噴出口からはいまだに熱いどろどろした熱泥が噴出しており、水蒸気がたなびいている。ただし噴出は水面下なのでドラマチックなパノラマを期待すると失望することになる。もっとそばまで近寄りたいひとは堤防の上で普段30台ほど待機しているオートバイオジェッに乗って噴出口にもっとも近い堤防に連れて行ってもらうことができるが、それでも噴出口は1キロほど離れている。オジェッ料金はひとり一回3千ルピア。日曜日になるとオジェッは百台くらいに増加する。
観光客が増えたので、周辺住民はいつの間にか観光産業化に取り掛かり始めた。自動車の駐車は有料になり、それを世話する駐車番が車を誘導する。ここの駐車料金は一台なんと5千ルピア。堤防の上まで上がるのに入場料が徴収される。ひとりなんと2千ルピア。飲食品を販売するワルンが並び、中にはご当地土産の熱泥記録VCDまで制作されて売られている。VCDはふたつのバージョンがあり、一枚ものは1万ルピアで2枚ものは2万ルピアとのこと。この民衆による観光産業収益はこの先どれくらい伸びていくだろうか?[ 2007年10月 ]


「ルバラン期はホテルも閑散」(2007年10月11日)
大勢のひとびとが都会から田舎へ帰省するルバラン期には都会のホテルも閑散となる。今年のルバランを前にして都内のホテルは客室稼動ががた減り。中央ジャカルタ市にある4星級のHotel Santika Jakartaは平常期80%の客室稼働率を維持しているが、ラマダン月に入って以来稼働率は低下し、ルバランまであと一週間という昨今は30%を割り込んでしまった。8月から9月中旬ごろまでは客室稼動率が99%まで達した日があるだけにこの転変の激しさには戸惑わされる。南ジャカルタ市のスマンギ立体交差に接するスナヤン角地のHotel Sultanでは、ルバラン休暇が始まると客室稼動が少しアップするだろうとホテル側は見込んでいる。電話による宿泊料金等々に関する問い合わせがここ数日増えており、それがすぐに予約に結びついているわけではないものの、ルバラン休みに家を閉めてホテルでのんびりしたい客層がホテル探しをはじめていて、かれらはあちこち問い合わせして条件を比較検討しているところではないか、と同ホテルのマネージャーは語っている。昔のHotel Hiltonだった5星級のホテルスルタンもラマダン月前の客室稼働率40%はラマダンに入ってから30%に落ちている。
タムリン通りのHIロータリーに近いHotel Nikkoは平常月に380室の90%が稼動しているのが普通だが、ラマダン月が進むに連れてそれが70%まで低下した。ラマダン月に入って低調になった都内ホテルの客室稼動はルバラン日に多少の回復が期待され、それを過ぎたあとはルバラン後の一週間雌伏の時を送ってから状況が復旧するのを待つことになる。


「ホテル新設計画」(2007年10月12日)
国際ホテルチェーンふたつがインドネシアに進出してくる。そのひとつはStarwood Hotels and Resort Worldwideの子会社St. Regis。同社はバリ州ヌサドゥアに8.8Haの地所を確保して81ホテルスイート・41リゾートビラ・14豪華邸宅を擁するSt. Regis Resort and Residencesを建設する計画。さらに次のステップは都内スティアブディ地区にSt. Regis Hotel and Residencesを設ける計画にしており、170客室と284豪壮アパートメントは2011年の開業予定。
もうひとつはアメリカのフェニックスを本拠とするBest Western International Inc.で、インドネシア全国20ヶ所にホテルを開業する計画を立てており、この先2年間で4ヶ所をスタートさせる予定。
都内での新規ホテル建設はふたたびブームが始まっており、2009年までに下のように9軒のホテル建設計画が公にされている。
2007年 : Orchardz 3星級 グヌンサハリ地区
2008年 : Patria Park-Ibis Hotel 3星級 DIパンジャイタン地区、 Hotel at mall of Indonesia 3星級 クラパガディン地区、 Aston Grand SOHO Slipi 4星級 スリピ地区、 Aston Mangga Dua 4星級 マンガドゥア地区、 Aston Marina Ancol 4星級 アンチョル地区
2009年 : Equator Hotel 4星級 ラスナサイッ地区、 Hotel Menteng Group 4星級 ラスナサイッ地区、 Novotel Sophie Martin 4星級 TBシマトゥパン地区


「ジャカルタの深夜族はどこへ行く?」(2007年10月18日)
ジャカルタは巨大なカンプン(kampung)と呼ばれて農村型ライフスタイルに特徴的な早寝早起きが一般的だったが、インドネシア最大の都市であるジャカルタにはやはり大都市の名に恥じず深夜族が徘徊するスポットも誕生している。昔から特定のロケーションには青灯紅灯の巷があって一部特定消費者を誘蛾灯のように誘っていたが、深夜族の集まる場所とは多少色合いが異なっていた。
いま都内にはヤング深夜族が集まる場所が生まれている。タムリン通りに面したプラザサリナ(Plaza Sarinah)は安全性とアクセスの便から筆頭に位置付けることができる。サリナビルには24時間営業のレストやカフェが入っており、深夜族に人気の高いスポットのひとつだ。そこから北東に向かうとサバン通り(Jalan Sabang)そしてもう少し先にジャクサ通り(Jalan Jaksa)があり、庶民的でローカル色の濃いナイトスポットを楽しむこともできる。ただしこのエリアはカキリマ屋台やプガメンがあまり秩序なく個々に商売を営んでいる場所であるため、高い期待を抱くのは禁物だろう。
同じ中央ジャカルタ市だがもっと東のメンテン地区にも深夜族の集まる場所がある。チディティロフードパーク(Cik Dik Tiro Food Park)がそれだ。ここにはde Kampoengs, WB Sop Iga Bakar, Wr Bulik, Yogurt Cisangkuy, dim sum, nachosなどバリエーションに富んだ食の楽しみに加えてライブ音楽やワイドスクリーンのサッカー中継を見物する愉しみもある。チディティロフードパークはシンプルなスンダ様式の邸宅の庭が使われていて気取らない快適さが受けている。椰子の繊維イジュッを屋根に使った素朴な家屋のたたずまいは饗される料理が家庭料理の趣を漂わせている点に相通じている。フードパーク運営者は、仲間たちやカップルでやってきたヤング層がおしゃべりしながら飲食する姿が朝まで絶えない、と語っている。
南ジャカルタ市に下ると今売り出し中のクマンフードフェスト(Kemang Food Fest)がある。4千5百平米のオープンスペースにMangkok Putih, Sushi Misei, Raja Bubur, Olalaなど15軒のキオスクが並び、中には朝まで営業する店もある。オープンエアーのアウトドアフードコートというコンセプトで設けられたのがこのクマンフードフェストで、都下で最高のエクスクルーシブナイトスポットだと運営者は自賛している。ユニークなのはここにJingga Boutiqueという若者向けファッションブティックが営業していることで、多くの客がふらりと立ち寄って品定めに余念がない。ここはアルコールオフリミットなので、ここに来る深夜族は朝までしらふで楽しんでもらうことになる。週末にはライブ音楽も演じられている。


「ゴミに埋もれたボロブドゥル」(2007年10月24日)
ユスフ・カラ副大統領が示唆したように、2007年ルバラン後の長期休暇は地方部の観光地における大量の行楽客動員を成功させたようだ。中部ジャワ州マグランにあるボロブドゥル遺跡を10月13日から21日午前までに訪れた行楽客は201,330人に上り、2006年ルバラン明け休暇時から65%もアップした。中部ジャワ州バニュマス県にあるバトゥラデン(Baturraden)観光地でも、ルバラン休暇中の来訪者は8万5千人に達して目標の6万人を大幅に超え、運営管理者を喜ばせた。
一方、チャンディボロブドゥル(Candi Borobudur)観光管理者は遺跡の随所にゴミが散乱している有様を嘆いている。ゴミは飲食物の容器やタバコの吸殻がメイン。『飲食物持ち込み禁止』の表示がなされ入り口でも係員が注意するものの飲食物を手に提げてそこを押し通っていく入場者も少なくない。おまけに遺跡内の各所に置かれた65のゴミ箱はあまり使われず、行楽客たちは普段の習慣通りその辺りにゴミを投げ散らかして移動する。ゴミは石を敷き詰めた床の上にだけ散乱しているのでなく、積み上げられた石の隙間にまで押し込まれている。
管理者側は、このような現象は国内行楽客の来訪が増えるルバラン休暇や学年末休みの時期になると繰り返されることで、今回に限ったことではないとコメントしている。ゴミ箱は普段の40個から65個に増やし清掃員も増員してゴミの対応に備えたが、結果は毎回似たようなものであるらしい。


「ルバラン休暇中のホテル客室稼動は好調」(2007年10月25日)
都内タムリン通りに面したホテルニッコーでは、380の客室と11スイートの今年の稼働状況が昨年のルバラン休暇時に比べて65%もアップしたとのこと。同ホテルは今年のルバラン休暇パッケージ料金を、スペリアールームは平常の一泊80万ルピアから55万ルピアに、デラックスルームは通常一泊料金120万ルピアを85万ルピアに下げて宿泊客の誘致をはかった。平常時の宿泊客は9割方が企業関係だという同ホテルはこの期間に限ってビジネス客の姿があまり見られず、家族客が大半という珍しい情景が見られた。
国内あちこちの観光地に散らばっているアコーホテルズ傘下の諸ホテルはルバラン休暇中客室稼動100%を記録したところが多かった。ジョクジャ・バリ・ロンボッ(Lombok)は満員御礼となったがバリッパパン(Balikpapan)は80%の稼働率で終わったとのこと。
西ジャワ州チアテル(Ciater)のSari Ater Hot Spring Resortも10月21日のルバラン休暇最終日まで客室稼働率は100%だったそうだ。温泉と高原の自然を売り物にしたこのリゾートには日帰り客も訪れる。今年の来訪者は昨年から2割増で、ルバラン明けの5日間で13万8千人が訪れた由。それほどの規模の集客は普段から想定されておらず、駐車場スペースが不十分であったことから自動車が長蛇の列を作った。
都内スディルマン通りのホテルサヒッジャヤ(Sahid Jaya)はルバラン期間中の客室稼働率が50%だった。ジャカルタの高星級ホテルはたいていが企業関係者をメインの顧客にしており、サヒッジャヤもその例にもれない。こちらもホテルニッコーと同様に特別パッケージ料金をオファーして家族客の誘致を図った。デラックスルームは平常時の一泊70万ルピアから大きく下がった48万ルピア、そしてスペリアールームはもっと安い44万5千ルピア。その結果今年は昨年のルバランより客室稼働率が向上したとのこと。


「ルバラン期の外国旅行はますます盛ん」(2007年10月26日)
旅行代理店業界者のひとりは、外国へ観光旅行に出るインドネシア人のほうがインドネシアへやってくる外国人観光客よりも多いのではないか、と語る。パノラマツアーズ代表取締役は、今年のルバランシーズンに海外旅行を同社から買った客は5〜6千人ある、と述べている。実際、10月12日から21日まで10日間の超大型連休のおかげで出国者が大量にインドネシアをあとにした。ガルーダ航空は言わずもがな、インドネシアに乗り入れている多くの外国系航空会社までもがこの時期増便や大型機への変更を行っている。従来からの定番である香港・シンガポール・マレーシア・中国といった観光先に、今年はロシアとトルコが加わった。その新規観光先に対する顧客の反応はきわめてよく、パノラマツアーズはこのシーズンにそれぞれ5グループを送り出した。1グループは平均25人から成っており、トルコ向けはひとり3千ドル程度、ロシア向けはひとり4千ドル程度という旅行代金。宿泊ホテルは4〜5星級で一日三度の食事に現地でのツアーや観光地入場料などが込みになっているデラックス旅行。インドネシアからのツアー送り出しはイドゥルフィトリ日の5日前から始まったそうだ。しかし今年のルバラン期グループツアーの一番人気はヨーロッパ周遊。パノラマツアーズがこのシーズンに送り出したヨーロッパ向けグループは20に達した。料金はひとり2千7百ドル。
巨額の旅行代金を払って外国観光に出かけるたくさんのインドネシア人たち。かれらは訪問先で地元庶民がめったに行かない高級ブティックを訪れて高価なブランド商品を買い漁る。パリのデパート「ギャラリーラファイエット」でもインドネシア人は上得意だそうだ。ラファイエットの従業員はインドネシアが貧困国だという話を信じない。


「ムラピ山溶岩ツアーはアブナイ」(2007年11月13日)
ジョクジャ特別区北端で中部ジャワ州と境を接するムラピ山は2006年6月に大噴火を起こし、その後も小康状態ではあるものの火山活動は継続しておりいつまた災害を引き起こすかしれないという状態。一方そんな危険な状態であればこそ、普段めったに見ることのできないものを近くで見学したいという望みを人間であればだれしも抱くもの。ムラピ火山の勇壮な姿を眺めるための展望台は数ヶ所用意されているが、噴火したあとの火山の生々しい姿をすぐ近くから見ようというツアーはセンセーションを求めるひとびとに絶好の売り物で、溶岩ツアー(Lava Tour)と銘打った観光ツアーが噴火後一般観光客向けに売り出された。このツアーはムラピ火山南側中腹のチャンクリガン郡クプハルジョのカリアダム(Kaliadem)村まで登って火口に近い場所からムラピ山を見学しようというものであり、昨年の噴火時に地元民の避難を応援するためにカリアダムまで登った男性ボランティアふたりが逃げ遅れて避難所バンカーの中で死体で発見されたニュースが全国報道されて話題を集めたが、そのバンカーも観光コースの重要なポイントに組み込まれている。しかしこの溶岩ツアーも今年のルバランシーズンには6,866人が訪れただけで、2006年ルバランシーズンの14,105人という賑わいから大きく後退してしまった。
溶岩ツアーは確かに山麓の寒村に金を落としてくれるありがたい産業であるものの、ムラピ火山がいつどう動くか予想が難しく、特に大勢の観光客が山に入っているときに火山泥流や熱雲放出が起これば統制が取れずに大災害となるおそれが高いため、ジョクジャ火山学自然災害軽減センター火山技術R&D館が地元観光業界に対して溶岩ツアーは大々的にプロモーションしないようにし、教育や調査といった学術的なものだけに限定して実施するように勧告を出した。スレマン県観光文化局観光課長はそれに応じて、40ミリを超える雨が2時間連続して降れば火山泥流が発生する可能性はきわめて高く、一般者の観光は常時最大の警戒態勢を取らなければならないと業界者に警告し、カリアダム地区への観光を禁止はしないがより安全な地区に観光先を移すよう要請してムラピ山北西のムルディコレジョ村のトゥルンポン(Trumpon)地区を推薦した。カリアダム地区のキャンプ場は既にグラガレジョ(Glagahrejo)に移されている。


「溶岩こぼれるアナクラカタウの麓で夜営するフランス人」(2007年11月15日)
火山活動が活発化しているスンダ海峡のアナクラカタウ(Anak Krakatau)火山は2007年11月10日、山頂からの小規模な噴火が数分ごとに起こるという断続的な活動になり、爆発音が轟くたびに南側に広がった新しい火口から焼けた火山弾が山の周囲に撒き散らされ、その後は細かい火山灰粒子から成る黒煙が山頂から数百メートルの高さまで立ち昇った。そのような状況は翌11日一杯まで継続しており、山頂の噴火口も従来の直径70メートルから今では150メートルまで広がっている。火山の爆発震動が起こす地震は11月7日に471回、8日411回、9日390回、10日399回と推移している。
ところで火山警戒警報で最高レベルが発令されて一般人の接近が禁止されているというのに、フランスからやってきた12人のグループ観光客は11月9日にアナクラカタウ島に上陸してその夜現地で一泊した。その夜テントを張って野営したこのグループはかれらの寝所のすぐ近く、およそ3百メートル上で溶岩がこぼれ落ちているというスリルとセンセーションに満ちた夜を満喫したにちがいない。このツアーを企画したフランスの旅行代理店Aventure et Volcansの経営者はガイドとしてこのグループに同行しており、噴火している火山に登った経験は豊富で何も心配いらない、と語っている。
一方ジャワ島西岸のセラン(Serang)県アニエル(Anyer)〜チナンカ(Cinangka)からパンデグラン(Pandeglang)県チャリタ(Carita)地区にかけての海岸は大勢の観光客がバスを連ねて訪れており、アナクラカタウ噴火以前の週末と変わらない賑わいを呈している。観光客の大半はセラン・チレゴン・パンデグラン・タングラン・ジャカルタからやってきたひとびとで、火山の噴火におびえる気配はさらさらなく、むしろ噴火を遠望する楽しみが増えたことを喜んでいる。


「大晦日ショーの都知事規則がやっと出る」(2007年12月21日)
料金に関する都知事規則が出ないために予約販売ができないと苦情が出されていた大晦日のショーの入場券販売がやっとできるようになった。ニューイヤーイブの催し物に関する2007年都知事規則第166号では、催し物実施者によって徴収してよい最高金額が規定されている。4星・5星級ホテルの新年前夜祭催し物はトップ歌手やスターが登場するディナーショーが話題をにぎわすのが常で、今年のその種の催し物入場料はひとり1千5百万ルピアを超えてはならない。これはもちろん食事等を含んだもの。2星・3星級ホテルはそれがひとり6百万ルピアとなる。更にジャスミン級ホテルでは4百万ルピア。ナイトクラブとディスコはひとり5百万ルピア、映画館の新年ミッドナイトショーはひとり60万ルピア、レストラン・食堂・カフェ・バー・パブ・貸パーティ場などはひとり2百万ルピアが上限とされた。それらの催事場所別上限料金は食事・飲み物・税・サービス料などを含むもので、要するに客からそれ以上の金額を徴収してはならないということ。
首都のナイトスポットの60%が集まっている西ジャカルタ市では、12月17日現在催し物許可申請は10件届いているだけだ、と市庁観光局長は言う。その10件は高級ホテルばかりだそうで、昨年は20件の許可を出したから今年はまだ申請が来るのではないか、とのこと。西ジャカルタ市にはバー76店、マッサージパーラー65店、ディスコ51店、スチームバス9店、スピードボール等8店、ナイトクラブが6店登録されている。もしニューイヤーイブの催しに外国人アーティストを出演させる場合は、国家諜報庁から集会許可を得なければならない。許可を得ないで催し物を開催した場合、最高30日間のショー実施禁止措置が与えられることになる。


「ジャカルタでボーリング」(2007年12月28日)
ボーリングはインドネシア語でboling。発音はボーがあまり長くならずわれわれの耳には「ボリン」と聞こえるから、はじめて耳にしたひとはbowlingと咄嗟に結びつけるのが困難で阿呆ヅラをさらすことになりかねない。いや、それはわたしだけかも知れないが・・・・。
bowlingからbolingへのインドネシア語化がなされたのは1983年のことであり、当時のアフマッ・タヒル観光逓信大臣が全国ボーリングクラブ選手権大会会長を務めたときにそれを定めた。モノノホンによればボールを転がしてピンを倒すゲームはエジプト文明の中に出現していたそうで、紀元前5千2百年ごろの子供の墓から現代のボーリング用ボールと類似の玉が発見されているという話だ。古代ポリネシアでも石のボールとピンを使うボーリングが行なわれていたらしく、そのときのリリースラインとピンの距離18メートルは現代の10ピンボーリングによみがえっているとのこと。現代の10ピンボーリングはオーストラリアのビクトリア州バララットで1885年に始まったらしい。10ピンになる前は9本だったのだろうか、アメリカでオランダ人が入植した地方ではカーツキル山脈のかなたから響いてくる遠雷を九柱戯の音にたとえる言い習わしがあるようで、ワシントン・アービングの名作リップ・ヴァン・ウインクルの中の話しは興味深いものがある。
インドネシアにはじめてオープンしたボーリング場はジャカルタのホテルカルティカプラザ内ボーリング場で、16レーンのボーリング場が1970年に幕開けしたあと、ホテルカルティカチャンドラに隣接するボーリング場やブロッケム、アンチョルなどにもボーリング場が続々とオープンした。しかしホテルカルティカプラザはジャカルタでの営業をやめて取り壊され、ホテルカルティカチャンドラ隣接ボーリング場はその後プラネットハリウッドに姿を変えてしまい、ブロッケムのボーリング場もアルディロンプラザの建て替えで姿を消した。1971年に北ジャカルタ市アンチョルにオープンした60レーンの巨大ボーリング場がジャカルタでは、そしてインドネシアでの、現存最古のボーリング場で、今ジャカルタにはボーリング場が8ヶ所あり、最新のものは2005年に4レーンで開業したPit Stop Kartingであるとのこと。
北ジャカルタ市モールアルタガディン(Mal Artha Gading)の最上階で21映画館チェーンと同居しているアルタガディンボーリングセンターはアンチョルのJaya Ancol Bowlingとオーナーが同じ。このモールは巨大な規模であるにもかかわらず南ジャカルタのモールほど客が集まっていないから、人間の海に生理的嫌悪感を抱く人にとってはゆったり過ごせるジャカルタの数少ない場所かもしれない。ともあれ、ジャカルタでボーリングもたまには良いものだ。