「ニャイダシマ」


1811年
 フランス革命がヨーロッパ全土を震撼させてから4年ののち、ルイ16世を処刑したフランス政府はイギリス、オランダ、スペインとの戦争を開始した。かつてオラニエ公家の支配に反抗して叛乱を起こし、失敗してバタビアの傭兵部隊に逃れていたフランス革命信奉者へルマン・ウイレム・ダンデルスは一個連隊を率いてフランス軍と行動をともにし、1795年にオランダの旧体制を崩壊させてバタビア共和国の成立へと導いた。オラニエ公ウイレム5世はイギリスに逃れて亡命政府を樹立した。
 VOCが管掌する東インドは当然のようにバタビア共和国が領有権を主張したが、VOC名誉総裁でもあったウイレム5世はイギリスに対して東インドにおけるVOCの資産と支配を保護するように要請し、同時に東インドにあるVOC組織機構のすべての管理者に対してイギリスへの協力を指令した。
 バタビア共和国内部での新旧両勢力の利害をからめた紛糾はかつての黄金期に蓄えられたオランダの国力がますます脆弱化していくことを予見させ、フランス傘下のこの共和国の前途多難を憂慮したダンデルスはついに武力蜂起を決行して純フランス寄りの体制を作り上げた。VOCは1799年にその息の根を止められ、東インドは政府直轄植民地へと移行する。

 1802年にイギリスと和約を結んで対外状況を落ち着かせると、破竹の勢いでヨーロッパ全土を平定してきたナポレオンがフランス国家指導者の地位に就いたが、これがまた新たな激動の源となった。
 バタビア共和国は1806年に改組されてナポレオンの弟ルイ・ボナパルトがオランダの王位に就いた。この国王は、自分がゆだねられた国と国民の福祉繁栄に善意で尽くしたようだが、皇帝ナポレオンの命令を取捨選択する自由がいつまで許されるものでもなかった。オランダがナポレオンのアキレス腱であると見たイギリス軍は、ワルヘーレン島への侵攻を試みたが撃退された。しかしそれを潮時と見たナポレオンは、1810年、オランダ王国を廃してそれをフランス帝国の直轄領に編入したのである。

 ともあれ、バタビア共和国がオランダ王国に変わってのち、東インドをイギリスの侵攻から守ることを第一のミッションとして、ダンデルスが東インド総督の座に送り込まれた。
 実際には1790年代から東インド海域におけるイギリス軍船のパトロールと海上封鎖は始まっていたが、フランスの東インドに対する援助はそれをかいくぐって続けられてきた。1796年にはインド洋におけるフランスの前進基地となったモーリシャスからセルセイ提督率いる7隻の船隊がバタビアに向けて送り出され、その船隊はイギリス軍に撃滅されるが、兵員と武器弾薬はバタビアに送り届けられて防衛力を強化した。一方1800年にはAJボール大佐指揮下の4隻のイギリス海軍船隊がマドラスを出帆してバタビアに向かい、プラウスリブにあるオンルスト島とキュイペル島を占領した。オランダが外洋船の造船所と修理所を設けていたその島で、イギリス軍はそこに集まっていたオランダの軍船や商船40隻をいとも簡単に沈め、燃やした。しかしバタビア侵攻の拠点として奪ったその島を、ボール大佐は最終的に見捨てることになる。インドからのバタビア侵攻軍は待てど暮らせどやってこず、その一方でイギリス兵士が続々と疫病に倒れるのにたまりかねたあげくの撤退だった。ボール船隊のこの作戦での被害は、戦死者3名、戦傷者12名、そして疫病による死者が151名だったという。

 1808年1月1日にバタビアに着任したダンデルスは、即座に東インドの防衛力強化に向けて対策を講じていった。バタビア城市の創建者ヤン・ピーテルスゾーン・クーンが1627年に完成させたカスティルと呼ばれるバタビア要塞は、2百年近い歳月を経たいま、もはや近代戦の使い物にはならず、要塞内の備蓄倉庫は湿気とカビで役に立たず、砲台に置かれた大砲は骨とう品というありさま。やはりクーンが建設を始め、十年以上かけて城市の周囲にめぐらせた城壁も厳しい気候に痛めつけられてすでに朽ち果てている。攻めるに安く守るに難いバタビア城市が持つそれらの防衛施設はアナクロニズム以外のなにものでもない、と判断したダンデルスは、それらを容赦なくとり壊していった。
 オランダ人の墓場と呼ばれた旧バタビア城市からさらに内陸のもっと健康的な場所へバタビアの街を拡大させることがダンデルスの目標となった。パサルバル南側の水路からガンビルとスネンにいたるウエルトフレーデンと名付けられた地区を行政と軍事の中心とし、また今のジャティヌガラにあたるメステルコルネリスにも軍事基地を設けた。そして今は大統領宮となっている総督庁を中心にして、モナス広場からウエルトフレーデンにまたがるバタビアの新中心地区に数層の防衛ラインを設定した。
 それとは別にダンデルスはジャワ島全体の防衛力向上をもはかり、ジャワの東西を縦断する1千2百キロにわたる軍用道路をアニエルからパスルアンまで開通させ、同時にスマランからスラカルタに至る南北路も建設して、伝令と軍隊移動のインフラを整えた。
 戦闘力に関しては、バタビアに着任したときには7千人の防衛軍しかおらず、しかもそのうち5千人はプリブミ兵士で規律や訓練も心もとなく、実際の戦闘時には何をするか信用すらできないというきわめて悲観的な実態に直面したダンデルスは、緩慢ながらもフランス軍の援助を受け、イギリスの封鎖をかいくぐって届けられる兵員と武器弾薬で防衛力の再構築をはかり、2年後にはヨーロッパ人4千5百人を含む総兵力19,316人からなる装備と訓練の行き届いた東インド防衛軍を作り上げた。歩兵9千人、騎兵1千人、砲兵2千7百人などからなるこの軍隊は、ジャワ島やジャワ外の要所要所に配備されてイギリス軍の侵攻に備えた。

 バタビア要塞や城壁を取り壊して得られた建築資材で建てられた代表的なものは、ダンデルスが東インド総督庁にしようと考えていたホワイトハウス(オランダ語でヘッ・ウィット・フイス)と後に呼ばれることになる、今のバンテン広場の東側に大蔵省本庁として聳え立っている建物や、現大統領宮殿の西側にある国家官房の地所に建てられていたクラブハウス『ハルモニー』などだが、ハルモニーは1985年に取り壊されていまではその北の交差点に名前が残るばかりになっている。ダンデルスが建築を命じたそれらの建物は、残念ながらかれの在任中には完成せず、結局イギリス統治時代にイギリス高官たちを喜ばせる結果になってしまったが、これも歴史の皮肉と言うものだろう。
 ウエルトフレーデンにはこうして壮麗な新都市が建設された。バンテン広場の周辺には行政の中心としてさまざまな建物が造られ、また広場の南側には一大軍事基地が作られて、数多くの兵舎が広大な敷地を満たした。

 ダンデルスはそれ以外にも、フランス革命の精神に基盤を置く開明的な思想を盛り込んだ政策をいくつか用意したが、それがVOC時代から連綿と続いてきた腐敗と利己欲で塗り固められた職員たちにすんなりと受け入れられるはずもなく、おまけにプリブミ社会に存在している旧来的封建構造の上に作られていたVOCの事業体制が破壊されることをよろこぶプリブミ支配層もいなかった。
 そんな開明思想はイギリス統治時代にラフルズの唱導で実施に移されるが、それがプリブミの社会構造に根付くまでの時間をラフルズが得ることはなく、ジャワがオランダ新王国に返還されてから四半世紀を経ないうちに、ファン・デン・ボス総督の強制栽培制度がかき立てた大きな波の中に消えて行った。そのあたりの状況は、1860年にオランダで出版されたドゥエス・デッケル著「マックス・ハフェラール」内のエピソード『サイジャとアディンダ』の中に刻銘に窺うことができる。

 ナポレオンがオランダ王国を廃してフランス帝国の直轄領に変えたとき、ナポレオンはダンデルスをその領地の経営に必要とした。ダンデルスは短い任期のまま帰国し、後任者ヤンセンス総督は、フランス帝国軍ジュメル少将と将校団、そして5百名の兵士とともに1811年5月にバタビアに着任した。イギリス軍のジャワ進攻を目前にしてのこの交替劇をダンデルスはどんな思いで受け止めたのだろうか。ダンデルスは着任後、ファン・イムホフ総督が1745年にバタビアの南およそ50キロの高原に設けたブイテンゾルグという名の総督別荘地に滞在するのを好んだが、帰国に際してそのVOC公有地を個人資産として、90万フローリンで東インド政庁に買い取らせている。かれの総督としての年俸は13万フローリンであり、東インド事情をしのばせる興味深いエピソードにはちがいない。


バタビアの戦争
 1811年3月14日、イギリス軍がジャワ島を征服する意志を明らかにした。イギリス東インド会社総督ミントー卿Gエリオットを補佐するラフルズ副総督がマラッカで、ジャワ島の住民あてに文書で通告を発したのがそれだ。そうしてジャワ遠征軍が同年6月11日にマラッカを発した。ミントー卿が総司令官として自ら出陣し、ラフルズが作戦の指揮を取った。この出撃に参加したのは戦闘船4隻、フリゲート船14隻、小型戦闘船7隻、巡洋船8隻、運搬船57隻、その他小型船数百隻の総数1千9百隻という大船団で、マラッカを出てからは風向きの関係からボルネオを回ってジャワ海に向かった。イギリス軍の戦力は2百人の将校を含むヨーロッパ人5,344人と将校123人工兵839人を含むセポイ兵5,777人の合計11,960人という大部隊だった。
先遣部隊はバタビアの東15キロにあるチリンチン沿岸に集結し、総司令官はバタビア政庁に降伏勧告を送ったが、反応がなかったために8月4日全軍に上陸命令が下された。

 ヤンセンス総督は1806年南アフリカでイギリス軍との戦争を体験しており、その体験がかえって、イギリス軍には勝てない、という臆病さを生んでいたようだ。ジュメル少将はナポレオンへのおべっかで成り上がってきた人物で、このような大きないくさを指揮する実力を備えていなかった。かれらは酷熱の中で重い装備を担ったイギリス兵があごを出し、疫病でばたばたと倒れてくれることを期待して、防衛戦は時間を稼げば自軍に有利な方向に展開するはずとの結論を出していた。そのせいだろうか、オランダ=フランス軍は橋のひとつも爆破し、道路に地雷を埋め、茂みに狙撃手を潜ませるといったイギリス軍の前進を阻むためのことを何一つ行わなかった。
 8月8日、イギリス軍は城壁のなくなった旧バタビア市内に東から侵入した。オランダ=フランス軍はその地域から既に撤退したあとで、イギリス軍はもぬけの殻の市庁舎(今の歴史博物館)に司令部を置き、ミントー卿とラフルズはそこへ入った。イギリス軍斥候やオランダ人フランス人の内通者たちからすぐに情報が集まった。オランダ=フランス軍はウエルトフレーデンで迎撃態勢に入っており、その戦力は歩兵6千5百、砲兵2千8百、騎兵8百、奇襲部隊1千2百の総勢1万1千5百だという。
 8月10日、イギリス軍は作戦行動を開始した。市庁舎周辺の建物に入って一日英気を養ったかれらは、ガレスピー大佐率いる騎兵1千名とセポイ歩兵45名を先発部隊として送り出し、その一団はピントゥブサールを抜け、モーレンフリート両サイド(今のガジャマダ通りとハヤムウルッ通り)を南下してウエルトフレーデンに押し寄せた。そこで発生した戦闘ではきっかり2時間後にオランダ=フランス軍の敗北が明らかになり、イギリス軍はメステルコルネリス方面に撤退する敵軍を追撃する部隊とウエルトフレーデンの兵舎を掃討する部隊に分散したが、ウエルトフレーデンでは多くの大砲と数百人の捕虜を収容した。イギリス軍は直ちに司令部をウエルトフレーデンに移し、未完成のホワイトハウス(バンテン広場の大蔵省建物)やオランダ軍兵舎などを利用し始めた。ダンデルスがウエルトフレーデンに設けた軍事基地は、今のバンテン広場南に位置するホテルボロブドゥルとそこからずっと南に下った今の海兵隊司令部や警察機動旅団司令部のあるプラパタン通りを両端にして、西はチリウン川、東はスネン地区で囲まれる広大なエリアだった。

 メステルコルネリスまで下がったオランダ=フランス軍は態勢を立て直し、チリウン川と水路そして濠や池と竹槍の垣や石の壁が四方を囲っている広さ数平方キロの基地に立てこもって持久戦の構えを見せた。大砲の数も多い。時おり行われる会戦では勝負がつかず、イギリス軍は最終的にその基地に対する総攻撃を行うことに決めた。
 総攻撃が開始されたのは8月26日深夜1時。激しく攻め寄せてくるイギリス兵を高い士気で撃退していたオランダ=フランス軍も防御線が少しずつ崩されていくにつれて動揺が広がり始め、フランス軍砲兵少佐ミュルデルが自ら火薬庫を爆破して多くの部下を道連れにしたことで戦意を喪失し、ついにイギリス軍に降伏した。オランダとフランスの兵6千人が捕虜となり、プリブミ兵士はいずこともなく姿をくらました。メステルのこの軍事基地は、今のマンガライ駅から東北に向かってチリウン川を越えた場所にあった。

 ヤンセンス総督とジュメル少将は数人の警護兵と共に騎馬で砦を脱出し、ブイテンゾルグに向かった。そこからさらにチレボンを経てスマランあるいはスラバヤを目指して別行動を取り、道中敗残兵を糾合して隊伍を組みつつ東に向かった。ジュメル少将はチレボンでイギリス軍に降伏し、ヤンセンス総督はもっと遠くまで逃れたが、結局サラティガの山砦で9月22日に降伏し、イギリスのジャワ島征服作戦はこうして幕を閉じた。
 捕虜となったフランス人はジュメル少将を含めてインドのカルカッタへ護送されたが、オランダ人とプリブミ兵士は将校もいっしょにジャワに留め置かれ、そのほとんどがイギリス軍ジャワ島防衛部隊の中に編入された。このようにしてインドからジャワ島征服作戦に送り込まれてきたイギリス軍兵士の大多数をインドへ帰還させることができたのである。

 東インドの経営権を手中にしたイギリス政庁は、バタビアを中心に従来から東インドにいた軍人文民オランダ人を数多く雇用した。ダンデルスの秘書官だったムンティングもその中のひとりで、ラフルズが行った政策の中にかれの献策が多く反映されている。
 ジャワ島占領軍のイギリス人将校たちは状況が落ち着いてくると妻や家族を呼び寄せ、オランダ人や中国人所有になる豪邸を借りてバタビアに住み、饗宴やダンスパーティを開いて昨日の敵だったオランダ人を招待し、華麗な夜を楽しんだ。オランダ人は妻や令嬢を同伴し、若いイギリス人将校は南国生まれのオランダ人令嬢や欧亜混血令嬢たちをダンス相手に得てロマンスの扉を開いた。若き将校たちは、相手の欧亜混血令嬢がかの女の母親のような愚かで粗野で退屈な女にならないようにする機会を自分にめぐり合わせてくれた自分の運命を心ひそかに祝福した、という。

 ラフルズの統治期に、VOC時代にあまり前例のないことが起こった。行政官吏から民間事業主への転換という流れが作られたことである。同時に、国営独占事業体だったVOC時代にはオランダが完全に掌握していたために入り込むすきのなかった流通分野に諸外国の商人が流れ込んできた。VOCの崩壊とそれに続くナポレオンの嵐が吹き荒れたヨーロッパの状況のせいで、東インドにおける生産は停滞し、商品輸出も進まず、金融も膠着していた。要するにオランダ人商人はおらず、海運事業者も銀行家も、そして農業生産事業者すらも存在しない状況になっていたのだ。そこへラフルズがチャンスを開放した。バタビアやほかのジャワ島の町に新しい農園事業主や海運業者として50人以上のイギリス人が来住し、かれらは親族や知り合いを本国から呼び寄せたので、ジャワ島在住イギリス人はまたまく間に数百人に膨れ上がった。1816年に短かったイギリスの統治は幕を閉じたが、東インドがオランダに返還されてからもこの地におけるイギリス人のビジネスは発展を続けて19世紀末には東インドにおけるヨーロッパ人ブルジョアジーの一角を占める確固たる勢力を築いていた。その人数は1千人を超え、英語の新聞が発行され、シンガポールとバタビアはかれらによって通商、交通、金融、通信などあらゆる面で強く結び付けられていった。


1813年
 タングラン県チュルッ。バタビアからおよそ30キロ離れたこの地区の広大な私有地にイギリス人エドワード・ウイリアムスが管理人として単身で赴任してきた。ゴム、コーヒー、カカオ、こしょう、そしてさとうきびなどを栽培する農園事業を管理するのがかれの主な仕事だ。農園事業に使われた労働者は私有地に住むプリブミだった。
私有地制度はVOC時代のはじめから行われ、バタビア周辺地域はほとんどが私有地にされた。バタビアから内陸のボゴールに向かっての地域、あるいはカラワンやバンテン地方でも私有地がたくさん作られ、ほかにもチレボン、スマラン、スラバヤなどの地方都市周辺部でバタビアと類似のことが行われた。私有地が発生したのは公的な土地が私人に寄贈されたり売られたりしたためだが、その理由はさまざまで、VOC初期にはバタビア一円の治安と秩序の維持に責任を負う人に街区の外の広大な土地が寄贈され、プリブミ首長にもヨーロッパ人より狭い面積の土地が与えられた。ボゴールの土地は代々の総督が領有した。
 私有地のオーナーはその土地にある一切を支配し、自分の土地にある人間を含むすべてのものを自分の所有物として扱った。私有地に住むプリブミは、収穫の一部を貢納し、労役に奉仕し、租税を納めさせられた。トアンタナ(Tuan tanah)と呼ばれた私有地オーナーは、地主とはいえ自分の望むものは何でも要求する権利を持つ地主であり、実態としては私有地居住民の上に君臨する『小領主』と呼ばれる方がふさわしいものだった。
東インド政庁は私有地に居住する農民を保護するための干渉権を持ってはいたが、富裕者で実業家であり、発言力も持つ私有地オーナーに行政下部機構の役人たちが飼い馴らされるのは世界のどこにでもあったありきたりのストーリーである。
 そんな私有地ではオンデルネーミンと呼ばれる大農園が経営され、中には収穫された商品作物を加工する工場も造られて、私有地に居住する農民がそれらの労働のために使役された。そのような事業を管理し、また資産を経営するために、私有地オーナーは管理人、監視人、徴税人などを雇用したのである。
管理人はトアンタナの代理人であり、私有地の中に邸宅を建てて住んだ。田舎の農園に設けられた豪邸に住む管理人は多くの使用人を雇った。まして単身でやってきたエドワードには、農園管理のアシスタントから身の回りの世話まで多彩な仕事をしてくれる多数の男女が必要だった。そんな人々の中に新たに雇われた少女がいた。色白の美しい娘、13歳のダシマだ。

 パルン郡は有名なゴルフ場のあるサワガン地区の南に位置している。パルン市場から南西に10キロほど行くと世に名の知れたチセエン温泉があり、そこからほんの数キロ南に下ればカフリパン村だ。ダシマは西ジャワ州ボゴール県パルン郡カフリパン村の農家に生まれた。今でもその地区を通ると、美しい顔立ちに明るい色の肌をした現代のダシマを道路沿いの農家の庭先に見出すことができる。スンダ地方は色白美人の産地なのである。
 女への成熟過程のさなかにあったこの美しくて聡明な少女にエドワードが心を奪われるのも時間の問題でしかなかったようだ。数年を経ずしてダシマにエドワードの手がついた。ダシマはエドワードのニャイになったが、それはどうやらダシマの家族も望んでいたことだったらしい。娘が富裕な外国人と家庭を持てば、生活のための経済的な苦労をする必要はなくなるのだから。
 ニャイ(Nyai)とはジャワでもスンダでも成人婦人に対する尊称として使われる言葉だが、外国人の妾になったプリブミ女性もその名称で呼ばれた。外国人とは伝統的に西洋人を指したが、時代が下ってきて経済的実権を握る中国人が増加すると、中国人のニャイになるプリブミ女性も増加した。つまりこの意味におけるニャイとは、正式な婚姻を経ないで外国人と夫婦関係に入っているプリブミ女性と言うことができる。

 イギリス人の生真面目さでエドワードはダシマを愛し、ダシマも自分を愛してくれるこのイギリス人に誠心誠意尽くした。二人の間に女児が生まれ、エドワードは欧亜混血の自分の娘にナンシーという名を付けた。エドワードの血を濃く引いたナンシーはどこから見ても西洋人の子供だった。
 愛する家族を故郷から遠く離れた熱帯の東インドに得たエドワードは、ダシマを愛するただひとりの妻として遇し、ダシマを喜ばせるために宝石の付いた装身具や黄金の飾り物、あるいはさまざまなデザインの絹のクバヤやソンケッ織のカインなどを何枚も買い与えた。そして家計を聡明なダシマにまかせて必要以上の金をこの若い妻に渡したので、浪費を嫌うダシマは余った金を貯えたが、エドワードは自分がダシマに与えたそれらの財産の
ことなどまったく気にも留めなかった。ダシマは財産をいくつもの木の櫃に収めて錠前を掛け、その鍵をいくつも胴着に吊り下げたので身体を動かすたびにジャラジャラと音がしたが、それが当時の富裕な婦人の習慣でもあった。
三人はチュルッで幸福な暮らしを送っていたものの、ある日、そんな三人の幸福な生活に転機が訪れることになるのである。

 ヨーロッパの激動はナポレオン帝国の命運を衰退へと押し流していった。ロシアの冬将軍に敗れて故国へ逃げ帰ろうとするナポレオン帝国軍を、イギリス、プロシャ、ロシア、オーストリアなどからなる反ナポレオン連合軍が追撃した。連合軍の進攻が1813年にオランダ国境まで達すると、オランダをフランスの専制統治下から脱却させるために運動していたファン・ホーヘンドルプを中心にして反フランス叛乱がオランダ国内に起こり、イギリスに亡命していたオラニエ公ウイレム5世の王子で、その後ウイレム1世として新生オランダ王国の君主の座に着くことになる人物が迎えられて国内体制が一新された。
 敗残のナポレオンが退位してエルベ島に逼塞している間にウイーンではポストナポレオン体制を構築しようとして会議が踊ったが、ナポレオンが再起した1815年の百日天下が再び連合軍に打ち砕かれたとき、ネーデルランド王国が成立した。
1816年、ポストナポレオン体制の中でイギリスは1811年以来領有していたジャワ島をオランダに返還する。この返還を最後まで反対していたラフルズも、建白がどうしても聞き届けてもらえず、涙を呑んでインドに帰還することになる。
この返還は東インドに多少とも変化をもたらさずにはおかなかった。東インドの行政がオランダ人の手に戻されるとオランダ人事業家が東インドでのビジネスを求めてやってくるようになり、いまや異邦人となったイギリス人との競合が開始される。

 そんな状況を背景にしてエドワードの身にも変化が訪れた。かれが管理人を務める私有地のオーナーが、その土地を別の者に売り渡したのだ。新しい私有地オーナーは別の管理人を雇った。次の職を探さなければならなくなったエドワードはバタビアのイギリス人社会に伝手を求め、バタビアのコタ地区にあるイギリス人経営の商店に職を得た。
 1821年、エドワードはダシマとナンシーを連れてチュルッからバタビアへ引っ越した。ウエルトフレーデンの中にチリウン川に面して建てられた豪邸が三人のスイートホームになった。その家からはチリウン川越しに多くの兵舎が望見された。この家があった場所は、今イスティクラル・モスクと道を隔てて向かいにあるプルタミナ本社と海運総局のビルが建っている敷地の中だ。この家はその後の長い歴史の中にその姿を消してしまった。

 エドワードは毎朝コタへと出勤しダシマは家でナンシーを養育しながら家政を切り盛りするという暮らしが続いてはや二年。若く美しい金持ちのニャイがいるという噂は、三人がバタビアの暮らしに溶け込んだころ地元プリブミ社会に広まっていた。このニャイを釣り上げて女の財産を自分のものにしたいと望む大勢のプリブミ男たちが、エドワードが仕事に出ている時間に年増女を使ってダシマの家を訪問させ、ダシマの心を誘惑するように口説かせたがダシマは不快感をあらわにして年増女たちをはねつけ、そして追い返した。そんな中で、奸智にたけた男がひとりいた。名をサミウンという。


バン・サミウン
 カンプン・プジャンボンに住むサミウンは地区自警団長パリダンの甥で色黒の醜男だったが、アヘン常習者や泥棒たちとの交際が多く、盗品の故買や盗んだ水牛の賃貸しなどを行っていたので金回りには困らなかった。金があり、水田や果樹園を持ち、チリウン川沿いの大きな家に住んでいたため、カンプン・プジャンボンでは有力者に位置付けられていた。泥棒仲間が盗んできた水牛を飼ってチュンパカプティの農民に賃貸ししたので、毎年多量の米がかれの家に届けられた。まともな生業など何もしなかったが金は簡単に流れ込んできた。その金は、家人、サミウン自身、そしてかれらの周辺の人間が湯水のように使った。かれらはみんな、金を持てば浪費家になった。

 どのようにすればニャイ・ダシマを誘惑して自分の手中に握ることができるだろうか?サミウンには考えがあった。かれは近所に住む年増女マッ・ブユンを家に呼んだ。
「マッ・ブユン、おれの得になることを手伝ってくれねえか?もし本気で手伝ってくれりゃあ、あんたにスペイン銀貨50枚やるぜ。」
「手伝うんなら、そりゃ本気で手伝うけど、善行でなきゃあたしゃやんないよ。」
「おお、こりゃ善行疑いなしだ。あんたが手伝ってくれりゃあ、おれに対して善行を施すだけじゃなく、ナビ・ムハマッへの善行にもなる。あんたもムハマッへの善行の義務を負ってるだろう?」
「ナビ・ムハマッへの善行になるんなら、そりゃ絶対やらなきゃねえ。」
「そうかい。マッ・ブユン、あんたニャイ・ダシマの噂を聞いてるだろう?気の毒にあの女、異教徒の男に囲われてイスラムの道から外れてるんだ。おれたちムスリムにゃあの女を正しい道に導く義務があるんだが、頑固にも異教の男をあまりにも深く慕ってる。あの女をあそこから引き出してやらなきゃならねえ。あんたはまず、あの家に雇われて住み込むんだ。給金なんかなしでもな。そうなりゃ、やりやすい。まじないをかけて異教の男を捨てさせ、そうやってナビ・ムハマッの教えに戻らせてやろうじゃねえか。」
「ああ、そりゃ素晴らしい善行だわねえ。あたしゃ喜んで引き受けましょう。明日の朝、あたしゃあそこへ卵を売りに行って、そのあと住み込ませてもらうよう頼みますよ。」

 翌朝エドワードが出勤したあと、マッ・ブユンは卵を数個持ってダシマの家に入り卵を買ってくれと勧めた。ダシマはその卵を全部買った上でマッ・ブユンに尋ねた。
「まあちょっとお掛けなさいな。家にはまだどのくらい卵があるの?」
「いいえ、あたしゃ貧乏人で、家にゃ何もありません。それどころか、このお屋敷で働かせてもらえないかと思って。ごみ捨てでも、尿瓶洗いでも、ニャイのご命令は何でもやりますよ。」
「ええ、そりゃいいけど、でもトアンのお許しをもらわなきゃいけないから、おばさんは夕方までトアンが帰るのをここで待って自分でお願いしてみたら?」

 夕方5時にエドワードが帰ってくると、ダシマはマッ・ブユンを引き合わせた。
「雇うんだったら力があって身体のしっかりしたもっと若い女のほうが好いんじゃないか。こんな中年女は使いにくいんじゃないのかね?」
「ええ、その通りですけど、このおばさんは身寄りがなくご主人もいない可哀相な人なんです。まず仕事を見てから、もし怠け者だったら暇を出したらどうかしら。」
「ダシマがそれでよければわたしはかまわないよ。」
こうしてその日からマッ・ブユンはその家に住み込むことになった。

 何日かたち、その間マッ・ブユンは勤勉な仕事振りを示しダシマにもいろいろと気を配ったので、ダシマはマッ・ブユンを徐々に信用するようになっていった。そうしたある日、マッ・ブユンは頃合をはかって切り出した。
「ニャイはまだイスラムを守ってるんですか、それとももう棄てたんですか?」
「わたしはまだイスラムに従ってるけど、なんでそんなことを聞くの?」
「怒らないで下さいね。ニャイがまだイスラムに従ってるのなら5つの行を求めるのが決まりなんですよ。イスラム教は礼拝、喜捨、アラーへの帰依などを命じてるんです。ニャイがもしイスラムをもっと学びたいならその知識に詳しい女のひとを知ってますよ。そのひとはきっとニャイにイスラムの教えを与えてくれます。ようくお考えなさい。ナビ・ムハマッは不信仰者に七つの地獄を用意していて、そのひとつひとつは5百年の幅と長さがあるんです。いちばん恐ろしいのはジャハナムと呼ばれる地獄で、そこではキリスト教徒や中国人などの不信仰者はだれもが炎熱で焼かれるんですよ。」
     ダシマはそれを聞いて黙りこくった。ダシマはほとんどと言っていいほどイスラムの正しい教えに関する知識を持っていなかったのだ。いずれの宗教にせよ、宗教的な教えをダシマに与えるということに関しては、エドワードに怠りがあったことは否めない。マッ・ブユンの話はダシマの心の奥底に恐怖を生んだ。 「来世で救われるためには何をすれば良いの?」
ダシマのこの反応にマッ・ブユンは内心ほくそえんだが、そんな気配は露ほども見せずすぐに言葉を返した。
「そうですわねえ、考えてみましょう。」

 翌朝トアンが出勤するとマッ・ブユンはダシマにプジャンボンの自宅をちょっと見てきたいからという理由で許しを請い、家を出た。そのときマッ・ブユンは密かにこれまで集めたダシマの髪の毛を、ダシマにわからないように持って出た。ダシマが知らないあいだにダシマの櫛から集めたもので、鶏卵ほどの大きさになっていた。
カンプン・プジャンボンに着くとマッ・ブユンはそのままサミウンの家に入った。
「バン、ニャイの気が緩んできたからそろそろまじないをかけちゃどう?」
マッ・ブユンの報告を聞きダシマの髪を受け取ったサミウンはその髪を小さい木箱に入れると、家の近くにいた馬車を雇ってプチェノガンに住むハジ・サリフンを迎えにやらせた。このハジ・サリフンは、ひとにまじないをかけることにおいては右に出る者のない優れたドゥクンとして当時バタビアで知らぬひととてなかった人物だ。

 ハジ・サリフンがサミウンの家にやってきた。まず豪華な食事で饗応する。そのあとサミウンはハジに頼んだ。
「ハジ、おれにゃあハヤティという名の妻がある。おれが第二妻を娶ることに同意するよう言い聞かせてくれ。この第二妻になる女は金持ちで、同意すりゃあハヤティは優雅な暮らしができるようになるんだから。」
ニョニャ・ハヤティはハジの眼前で、自分に優雅で楽な暮らしができるよう夫がほかの女を娶ることに同意する、と語った。サミウンの母親ンボ・サレハも、息子が第二妻を持つことに同意する、とハジの眼前で述べた。

 ハジ・サリフンはダシマとエドワードの日常生活に関して尋ねたあとマッ・ブユンに向かって、そのニャイの魂が天国に入ることができるようこの人助けをやりとげなさい、と命じた。
するとバン・サミウンはダシマの髪が入った木箱をハジに渡して言った。
「このひと財産をまずお渡ししとこう。おれの願いはあの女がおれの妻になるようにハジのお力添えを得ることで、これが実現したあかつきにゃあハジのご恩は一生忘れず、ハジがお困りのときにゃあおれがかならず恩返しをすると約束するぜ。」
そう言ってハジにスペイン銀貨10枚、マッ・ブユンには2枚を与えた。ハジはダシマの髪を受け取ると、4日後にまじないの効いた粉薬ができるからそれを取りにひとをよこしなさい、とサミウンに言った。その粉薬はマッ・ブユンがダシマにわからないように飲ませるためのものなのだ。
     時間が正午を過ぎたためにマッ・ブユンは戻ることにしたが、サミウンは立派なピサンラジャ・バナナ二房をマッ・ブユンに持たせ、サミウンの妻ニョニャ・ハヤティからニャイへの贈り物ということにさせた。



 サミウンの家から戻ると、マッ・ブユンはすぐにその贈り物をダシマに渡した。笑顔を見せてダシマは尋ねた。
「まだ会ったこともないのに、どうしてニョニャ・ハヤティはこのわたしに贈り物をくれるのかしら?」
「ああ、気にしなくて良いんですよ、ニャイ。バン・サミウンの奥さんのニョニャ・ハヤティはお金持ちで善い人なんです。そしてアラーの教えの中にある信仰のことも良く知ってるんですよ。それからバン・サミウンのお母さんもイスラムのことに詳しくて、ひとにいろいろ教えてるんです。ニャイはこのひととお友達にならなきゃいけません。行をおこなうひとになって、天国のナビ・ムハマッのもとに行けるようにならなきゃ。そこがいちばん好運で一番良い場所なんですから。」
「ああ、でもどうしよう。そんなひとを家にあげたら、トアンに怒られるかもしれないわ。」
「ニャイ、トアンに言っちゃいけません。トアンは朝8時に出かけて、夕方4時までは帰ってこないでしょ。お客を呼んで宗教を学ぶ時間はたっぷりありますよ。もしトアンがそれを知ったとしても、怒るわけがありません。善い人が妻のお客に来るのなら許すのは当たり前ですから。」
「ようく考えて見るわ。トアンの性格は知ってるの。わたしがカンプンのひとと交際するのをトアンはお嫌いなんですもの。」
「口答えするように思われるかもしれませんが、怒らないで下さいよ。確かにニャイはトアンに養われていますが正式な妻じゃありません。奴隷でもありません。こんな暮らしはありえないでしょう?ニャイはオランダでもないし、チナ(中国人)でもない。ニャイはイスラム者ですから、イスラムを求める義務があるんです。そうやってはじめて現世と来世で救われるんですよ。どっちつかずの不信仰者じゃいけません。」
「わかったわ、でも考えさせて。」
ダシマには、宗教を求める義務があるというマッ・ブユンの言葉が正しいように思えたが、しかしトアンを裏切って不快を招くことも嫌だった。揺れ動く心のはざまで、自分はどうすれば良いのかとダシマは自分に問い掛けた。苦しい数日が過ぎていった。

 ある朝エドワードが目覚めたあと、傍らのダシマに汗の浮いた顔で話し掛けた。
「恐ろしい夢を見たよ。大きな真っ黒い蛇がおまえの身体に巻きついていた。助けようとしたがどうにもできない。そしてその大きな蛇の牙がおまえののど笛に突き立てられ、わたしはただおまえが死んでいくのをつらい気持ちで見守っているだけ。こうしているいまでも目の前にその光景が浮かんでくる。」
「トアン、わたしはこのとおり、大丈夫よ。」
「わたしたちの間に悪いことが起こるのがとても不安だ。ダシマ、いつまでもわたしのそばにいてほしい。」
「ええ、いつまでもトアンのお世話をしますわ。」

 数日後、意を決したダシマは宗教を学びたいとマッ・ブユンに告げた。マッ・ブユンはハジ・サリフンの秘薬が届くころあいを見計らい、密かに家を出てカンプン・プジャンボンに向かった。バン・サミウンの家に着くと、ハジ・サリフンが薬を持ってきていた。
 粉薬はふた袋。そのひとつはニャイ・ダシマに飲ませるもので、かの女のかたい心を揺さぶってトアンを嫌いにさせるためのもの。ダシマがなにか食べたり飲んだりするたびに、その薬もそこに盛られなければならない。もうひと袋はトアンを服従者にするためのもの。ニャイが何を言ったりしたりしても、それをただ受け入れてニャイに服従するようにするためのもの。これもトアンの食べ物に盛られなければならない。マッ・ブユンはそれを手にしてお屋敷に戻ると、ハジ・サリフンの処方を忠実に実行し始めた。

 それからひと月が過ぎた。しかしダシマとエドワードの間に波風が立つこともなく、ふたりは以前通りの琴瑟相和す仲。術に名高いハジ・サリフンのまじない秘薬が効かない事実を目の当たりにして、マッ・ブユンは当惑を覚えた。おまけにダシマもあれ以来、イスラムを学びたいという話をしてこない。思い余ったマッ・ブユンはニャイの許しをもらってカンプン・プジャンボンに出かけた。
バン・サミウンの家に入って状況を報告する。ハヤティが意見を出した。
「じゃ、こうしたらどうかしらねえ。食べ物をわたしらで用意して、みんなしてニャイの家に届けるのさ。どうせそのうちわたしらみんな家族になるんだから、早くお目見えして親しくなり、宗教の話をしてやったらどうだろうね。マッ・ブユンがひとりでニャイに言ってるよりは大勢がやってきてみんなでその話をすりゃあ、ニャイの心もすぐに揺さぶられだろうから。」
「それよりほかの考えはないわさあ。みんなしてニャイに迫りゃあ、わたしらの計画も早く進もうってもんだよ。」とンボ・サレハも賛同する。ンボ・サレハはマカッサルの御香と白ジャンブひと皿をダシマのために、と言ってマッ・ブユンに持たせた。
戻ってきたマッ・ブユンはダシマに贈り物を渡すと告げた。
「もしニャイがンボ・サレハと嫁のニョニャ・ハヤティと知り合いになって宗教を学ぶのをお望みなら、わたしが取り持ちますよ。先方はぜひニャイとお近付きになりたいとおっしゃってますんでね。」
「ええ、ぜひお願いしたいわ。でも絶対トアンに知られないようにできるの?」
「そりゃもう、もちろん。この家の使用人は全員ニャイの味方をするようにわたしが手配りをしてありますから、絶対大丈夫ですよ。」

 それから三日後、ンボ・サレハとニョニャ・ハヤティがさまざまな菓子や果実を手にしてダシマの家を訪れた。ダシマに挨拶をして手土産を差し出すと、ダシマはふたりを中に上げて自分が焼いたオランダケーキとコーヒーを出した。世辞からはじまり、身の上を尋ねあい、親しさを増すなかでンボ・サレハはダシマに語った。
「あんたはなんてきれいなひとなんだろう。こんなきれいな女が白人の妾にされているのはほんとうにもったいないことだ。こんなきれいなひとは地位やお金のあるイスラムの男の正妻になるのがいちばんふさわしいっていうのに。だってそのほうがはるかにたくさんの尊敬を得られるんだもの。」
「わたしは運がいいんですよ。わたしにとても優しくしてくれる善いトアンに養われるよう、アラーがお導きになったんですから。わたしは衣食住に不足があったことはありませんの。」
「確かにそうね。でもニャイは家の中にいるばかりで、地位のある人と交際していない。尊敬されるためには地位のある人や富裕な人と交際しなくちゃ。ひとはこの世で何を求めているのか知ってますか?尊敬、財産、そして救いなんですよ。」
 ンボ・サレハの言葉にダシマはただため息をつき、返す言葉を知らなかった。客人ふたりは長い時間座り込んでいろいろ話しをしたすえに暇乞いをした。ダシマはふたりの手土産にスペイン産の布を一枚ずつ持たせた。

 客が帰ったあと、ダシマは考え込んだ。現世で生きるのは財産と尊敬を得て楽しく暮らすことだ、というンボ・サレハの言葉は確かにそのとおりじゃないのかしら?それに対して、いまの自分のこの生活は?でもいとしいトアンの生き方は違ってるみたい。そして愛する娘にとってはどうなのかしら。ダシマの心は千路に乱れ、懊悩に引き裂かれ、迷いと不安に満たされた。トアンを朝送り出したあと、沈鬱な面持ちで座り込むという日々がはじまった。


離別
「ニャイは最近お顔の色がすぐれませんが、お身体の具合でも悪いんですか?」
「いいえ、そうじゃないけど・・・。わたしは宗教を求めたいんだけど、トアンをご不快にするのが心配で・・・」
「どうしてそんなにトアンを怖がるんでしょう。もしトアンの心が本当にニャイにあるのなら、とっくの昔にトアンはニャイを正妻にしてるはずですよ。トアンは白人だから、もしトアンが白人の女を好きになれば、ニャイは捨てられてしまいます。トアンがもし故郷に帰ることになったら、トアンはニャイのお嬢さんだけを連れて帰りますよ。そうなったらニャイはひとりぼっちで、養ってくれるひとはだれもいない。ニャイとトアンの暮らしは正式に結婚していない不倫の暮らし。ナビ・ムハマッが命じているように、早く宗教を求めて将来に悔いを残さないようにしなきゃ。」
マッ・ブユンの言葉にダシマの心は大きくかき乱され、ダシマは決心して言った。
「わかったわ。宗教を勉強することに決めました。ンボ・サレハに月曜と木曜にここへきてわたしに宗教を教えるように言ってちょうだい。」
喜んだマッ・ブユンはすぐにカンプン・プジャンボンに出かけ、ムクナ、サジャダなど礼拝に必要なものを取り揃えて月曜日からダシマの家にイスラム5行を教えにくるようにとンボ・サレハに伝えた。

 エドワードに内緒でダシマがイスラムを学び始めてひと月ほどたったある日、スラマタンをするので祝い事にぜひ家に立ち寄ってほしい、とンボ・サレハがダシマを招いた。
「息子のサミウンの快気祝いにトペンダランを家に呼んだので、ニャイもぜひ家に来てお茶の一杯でも召し上がってくださいな。」
「まあ、それはお目出度いこと。これ、お祝いの足しにしてくださいな。」とダシマは10レアルをンボ・サレハに持たせた。

 スラマタンの日、迎えの馬車がダシマの家にやってきて、着飾ったダシマはマッ・ブユンに付き添われてサミウンの家を訪れた。家の表にはガムランが陣取り、客が踊り子の舞を見物するための席がしつらえられて美味な食べ物や果実がたくさん用意され、そこは既に大勢のひとでにぎわっている。馬車が着くと、ガムランがガラガンジュルを奏でる中でバン・サミウンとニョニャ・ハヤティがすぐに迎えに出て、ンボ・サレハに引き合わせるために家の中に誘った。家の中で数人の女をまわりにはべらせたンボ・サレハに挨拶したダシマに、ンボ・サレハは言う。
「ようこそいらっしゃいました、ニョニャ・ダシマ。篤信で信心深いひとになり、好運なニョニャになりますように。」
うれしい言葉を聞かされて歓喜に包まれたダシマに、微笑みを満面に漂わせたバン・サミウンがかいがいしく世話を焼く。家の表で演じられている芸能を見物するダシマの近くに座って、サミウンはシリを勧めたり、食べ物飲み物を持ってきたりして、ダシマを大切な客人として遇した。いまだかつてなかったこれほどまでの、他人に仕えられ、甘やかされるという体験をはじめて味わったダシマは、幸福というものの影をそこに感じた。
 およそ二時ごろになったのでダシマは暇を請い、マッ・ブユンがトペンを夜っぴて見物したいと言うので、ニョニャ・ハヤティがダシマを家まで送った。

 およそ半月が過ぎたある日、マッ・ブユンが遠慮がちに切り出した。
「ニャイ、怒らないでくださいよ。ちょっとお話があるんですが。こりゃあある人からニャイに伝えてほしいと頼まれたことなんだけど、言うとニャイは怒るかもしれないし、でも言わないとそのひとに悪いし・・・・」
「わたし、怒らないから、言ってみれば?」
「ええ、じゃあ言いますよ。バン・サミウンなんですけど、ニャイの美しい姿を目にしてから、心はもうニャイに抜かれたようになって、食べ物も飲み物ものどを通らないんですよ。ニャイが妻になってくれたら、ニョニャ・ハヤティを離縁して、ニャイが現世と来世で救われるように聖地メッカへ連れて行ってナビ・ムハマッに迎えてもらおうかなんて考えてるんですって。もしニャイのお許しがもらえるなら、ニャイからの愛情の印としてなんでもいいからニャイの手ずからの品をいただけたら、と願ってるんですよ。腐った雑巾の切れ端でもかまわないって。」

 そう聞いてダシマは胸を詰まらせた。動悸が高まり、息苦しくなってあえいだ。激しい息遣いがマッ・ブユンの耳にも届いた。
「ちょっと考えさせて。そう、三日待って。三日たったら確かな返事をしますから。」
マッ・ブユンがこれまでダシマに話してきたこと。ンボ・サレハから学んだ教え。サミウンの家で体験した、ひとから尊敬されること。ダシマの中で、エドワードとのこれまでの暮らしとその新たなものとが、原理の座に着こうとしてせめぎあった。ダシマの価値観は傾き、エドワードに対する嫌悪の情が心の中に忍び込んできた。

 三日後、ダシマはマッ・ブユンに告げた。
「バン・サミウンに伝えてください。『お気持ちは受け止めました。でもわたしをいつまでも大切にするって約束してください。わたしがいつも使っている絹のハンカチをわたしの心の印に贈ります。どうぞ、家に遊びに来てください』と。」
大喜びのマッ・ブユンは、その足ですぐにサミウンに知らせに行き、明日すぐにでもダシマの家に遊びに来なければいけない、と告げた。
 サミウンは翌朝、エドワードが出勤するとすぐにダシマの家に入り、効き目の高いまじないを使ってダシマの理性を狂わせ、恋する男の熱情でダシマの身体を求め、ダシマもそれに応えて身体を開いた。いまや身も心もサミウンに狂ってしまったダシマにサミウンとマッ・ブユンとンボ・サレハが一体となってお追従と脅しを使い分け、早くトアンを捨ててサミウンと結婚するようにとダシマの心を煽り立てた。ダシマの意志は、信頼する宗教の師と自分を求める男と自分が身近に感じている年増女の三人に完全に握られてしまっていた。

 ある夕方、帰宅したエドワードにダシマが硬い表情で切り出した。
「怒らないで聞いてください。わたしはイスラムに従わなければなりません。だってわたしの宗教なのですから。わたしは長い間あなたのものでした。でも結婚はしていない。これは不倫なのです。いつかあなたがあなたの国のひとと結婚するか、それとも故国にお帰りになれば、わたしのこの身体と心を養ってくれるひとはいなくなります。だからあなたが許そうと許すまいと、わたしはあなたと別れなければなりません。わたしは長い間あなたにお仕えしたので、いただいた品物やお金は持っていきます。子供はあなたが育てたいならどうぞ。でももしわたしが連れて行っていいなら、そうしてもいいんです。わたしはひとりぼっちじゃなくなりますから。」
 エドワードは夢にも思わなかったダシマからのその申し出に驚愕し、出す言葉もなく十数分突っ立ったままダシマをただ見守った。そしてダシマに言った。
「いまそんな話はしたくない。おまえに何も悪いところはないし、わたし自身もどこかに悪い部分があるという気はしない。」
「ええ、わたしたちふたりとも、どこも間違いなんかありません。ただわたしたちの縁はもう終わったの。わたし、もうこんなふうにあなたに養われていることができないんです。別れなきゃいけないの。」
エドワードは涙を流しながら言った。
「おお、ダシマ。おまえはもうそんなにわたしを嫌っているのか。わたしのどこがいけなかったのか?ふたりいっしょに楽しく暮らしてきたじゃないか?子供もできて。わたしの財産は全部おまえに渡してあるが、お金に不自由があったのか?もしおまえが賛成するなら、おまえをキリスト教に入らせて正妻にしようと考えていたのだ。尊敬される家族になるために。」
ダシマは叫び声をあげた。
「もう遅いわ!わたしは異教徒になんかなりたくない!わたしは自分の宗教を守るの。あなた、むりやりわたしがあなたを好きになるようにしむけないで。わたしを行かせて。あなたはまだ若いし、わたしよりもっと善い女の人を探して。」
両親の争いにたまりかねたナンシーが母親に駆け寄ろうとする。
「行っちゃだめ!行かないで。わたしを置いてかないで。パパがかわいそうよ。」
「だめ、そばにこないで。パパと一緒に暮らすのよ。わたしはもうみんなが嫌いなの。」
エドワードはついに折れた。
「わかった、ダシマ。どうしてもと言うのなら別れよう。でも明日まで待ちなさい。明朝、公証人を呼んでこの財産分けの証人になってもらい、また子供はわたしが引き取るという誓約書を作ってもらう。」
「いいわ、明日のお昼に出て行きますから。」
ダシマは部屋に入るとマッ・ブユンを呼んで、一緒に小声で祈りを捧げた。


魔の手中へ
 翌朝、マッ・ブユンは急いでサミウンに前夜の出来事を知らせた。快哉を叫んだサミウンは、もしニャイ・ダシマがお望みなら、サミウンの家に自分で馬車を雇ってくるように、とマッ・ブユンに言付けた。もしだれかが迎えに行ってエドワードに見つかるとあとで困るとの配慮からだった。
 エドワードは朝10時ごろ公証人を連れて自宅に戻った。そして一切の手続を終わらせると、ダシマにベッド一式と椅子6脚セットの?子を添えて与えた。 ダシマは馬車と人足を呼んでこさせるとエドワードに別れの挨拶をし、ナンシーにキスしてからマッ・ブユンと馬車に乗ってバン・サミウンの家を目指した。涙に崩れる父娘を尻目に、ダシマは冷たい顔をしたまま前方を凝視し、後ろを振り返ろうともしなかった。

 カンプン・プジャンボンのサミウンの家に着いたとき、ダシマを大歓迎が待ち受けていた。その夜から三日三晩、サミウンの家では祝宴が続けられ、食べ物が振舞われ、近隣住民が大勢やってきてにぎわい、ルバナが叩かれ、ジキルマウルッが詠われた。三日後には、ニャイ・ダシマがイマムの前でサミウンと正式に婚姻したという話がバタビアのプリブミ社会に広がった。だがダシマは、ハヤティの下の第二妻だったのだ。
 最初のひと月は大勢のイスラム社会のひとびとがお近付きになろうと訪れ、そしてかれらから尊敬される扱いを受けたが、しばらくするとサミウンがダシマに言った。
「イスラムじゃあ、妻の財産は夫が管理する義務を持つ。ましてクバヤやそのほかのニャイの衣裳は不信仰者のものだから、イスラム者にはハラムなんだ。あんたはカンプンの人が普通に着ているものを着なきゃいけねえよ。」
ダシマはその言葉に素直に従い、持ってきたダイヤや黄金の装身具、お金など全部を夫にゆだねた。ダシマには、ニョニャ・ハヤティが着古したシャム製花柄模様のクバヤと黒のカインが与えられた。ダシマが身につけていたダイヤの散りばめられたピアス、指輪、腕輪は貴石を載せたピアスと銀の指輪に替えられ、腕輪はもらえず、台所で料理の手伝いをさせられ、そして夫、姑、第一夫人に仕えるという、まるで奴隷のような境遇に落とされた。命じられた行いがかれらの気に召さないときには、ハヤティが怒り狂ってダシマを怒鳴りつけた。
エドワードに養われていたころの使用人や奴隷にかしずかれていた境遇をあんなふうに振り捨て、輝かしい暮らしを夢見てやってきた自分が落ちてしまったいまの境遇に、ダシマはエドワードを思い出すたびに深い後悔の念に襲われて涙するのだった。

 ハヤティはンボ・サレハのお気に入りだった。貴族の血を引くハヤティをぜひ息子の嫁に、という希望を実現させてきたンボ・サレハが、サミウンがハヤティを離縁してダシマを正妻に据えることを許すはずもなかったし、サミウンもそれは十分に承知していた。サミウンがどれほどダシマに惚れてみたところで、家の中の秩序をそのために破壊するようなことは考えもしなかっただろう。それどころかそんな値打ちを女の中に見出すようなこと自体がかれにとっては理解を超えることだったにちがいない。
ニョニャ・ハヤティのあまりの豹変振りにときおりダシマが口答えすることが起こっても、ンボ・サレハがその諍いに口をはさめば、かならず第一妻が肩を持たれ、ダシマに向かっては、その家の女奴隷クントゥムほどの値打ちもおまえにはない、という言葉が浴びせられた。

 第一妻と姑からの扱いに耐えかねたダシマはついに、涙ながらに夫に訴えた。
「バン、わたしはトアンを捨てろと追従されて、挙句の果てにこんなふうに虐待されるなんて思ってもみませんでした。ニョニャ・ハヤティはわたしをあまりにも憎んでるし、お義母さんはわたしをクントゥムと同じように奴隷扱いするんです。だからわたしはカフリパン村に帰りますから、わたしを離縁してください。わたしがここへきてバンと結婚したことだって、わたしが自分から望んだわけじゃなく、みんなしてわたしをトアンと子供から別れるようにと口説いたからじゃありませんか。だからバンがいやでもおうでも、わたしを離縁してくださいよ。」
「ダシマ、ようく考えな。一時の感情におぼれて将来に悔いを残さねえようにじっくりと考えるんだよ。」
「いいえ、もう何度も何度も考えたんです。ニョニャ・ハヤティとお義母さんにはもう十二分に賤しめられ、憎まれてるのを我慢してきました。そしてバンご自身もわたしがそんなふうにされることを放ってるじゃありませんか。言ってみりゃ、バンもわたしをわざと奴隷にし、災いに遭わせてるのと変わりません。だからわたしの物とお金を返してください。役所へ行ってバンとの離婚手続をしますから。」
「ほう、おめえが離縁を無理強いするというなら、おめえのすべての物と金でおれのタラッティガを買うんだな。二度と復縁なしのタラッティガをやるから、おめえは着の身着のままでこの家から出ていくんだぜ!」
「ええっ?バンがわたしを結婚するように口説いたのはわたしの財産を奪うのが目的だったのね!いいわ、わたしは自分の財産を取り戻すから。トアンの前に身を投げ出して詫び、判事に助けてもらうようお願いするわ。」

 サミウンはそれを聞いて驚き、慌ててダシマを抱き寄せて口を吸うとダシマの心を鎮めにかかった。
「えっ?いやいや、そんなつもりじゃねえんだ。なあダシマ、おりゃあおめえに夢中なんだぜ。離縁なんかしたくねえからああ言ったんだ。おれが悪かった。怒らないでくれ。ハヤティとおふくろにはあとでようく言い聞かせとく。おめえにもっと尊敬を示すようにな。だからもうちょっと我慢してくれ。みんな仲良く暮らすようにさせるから。」
ダシマは涙ながらに夫に訴える。
「バンはわたしに約束したじゃありませんか。わたしを大切にするって。それどころか、もしわたしと結婚したらバンはハヤティを離縁する、ってマッ・ブユンから聞いてるんですよ。いまじゃ、わたしはただ騙されただけじゃないの。」
「なあ、もうちょっと待ってくれ。ハヤティはまだ過ちを犯しちゃいねえから、法では離縁できねえんだ。すぐに臍を曲げるあの女、おりゃあ好きじゃねえんだよ。おれに考えがある。そのうちにあの女を捨てるから、それまでの辛抱だ。なっ、なっ、ダシマ、おりゃおめえが手放せねえんだぜ。」
サミウンはそう言いながらダシマを部屋に連れて入って可愛がったため、ダシマは機嫌を取りなおし、サミウンは危機を免れた。

 それ以来、サミウンは何日も頭を悩ました。ダシマの財産を処分するのは、ダシマがいては難しい。ダシマの性格の良さは気に入っているが、ハヤティを捨てるのはもっと難しい。母親がまずそれを許さないのは確実だし、おまけにハヤティはこれまでサミウンが犯してきた悪事の数々を知っており、捨てられた仕返しにおそれながらと訴え出られればサミウンの将来はない。ダシマはプジャンボンで知り合いも友達もおらず、ダシマの味方をする者などひとりもいない。ダシマが死んでも、かの女を探す者はだれもいない。


殺人
 ある夜、バン・サミウンはハジ・サリフンを自宅に呼んだ。やってきたサリフンに、ニャイ・ダシマを亡き者にするという考えについて、相談を持ちかけた。サリフンはサミウンに忠告を与えた。
「イスラムに入った者を殺すというのは実に大きい罪だ。しかしメッカへハジ巡礼に赴き、アルハラム・モスクで赦しを請い、大罪をあがなうために大金を使えば赦される。明朝、一緒にプコジャンに行ってグルに相談しよう。」

 たとえば殺人を犯した者が罪の赦しを得ようとするときはどうすれば良いのか、というサミウンの問いにプコジャンのグルは、心から神にすべてを委ね、メッカへハジ巡礼に赴き、その地で貧者に喜捨と善行を施せば、どんなに大きな罪でも清められる、と答えた。
その答えに気を強くしたサミウンは家に帰るとハヤティとンボ・サレハに自分の考えを話して意見を聞いた。ふたりは、サミウンが良いと思うことをすれば良い、と同意を与え、計画がなんの障害もなくうまく運ぶように、と祈願した。それ以来、ハヤティはダシマに良くするようになり、料理を手伝い食事を一緒にするようになった。自分に対するハヤティとンボ・サレハの態度や言葉使いも優しくなったために、ダシマはサミウンと結婚した直後の時期を思い出して幸福に浸った。
 ところがそんなふうに変わった最初の日から、一羽のクチチャ鳥が家の横にあるマンゴの木にとまって誰が聞いても下のように聞こえる鳴き声をたてた。
ダシマ ラリ ル マティ ダシマ ル マティ 
(ダシマ、逃げろ。お前は死ぬ。ダシマ、お前は死ぬ。)
不吉な思いを抱いた女奴隷のクントゥムが石を投げても、その鳥は逃げようとせずに鳴き続けた。

 そのころ、カンプン・クウィタンにポアサという名の猛者がいた。巨躯で上背があり、大力の剛の者で度胸もあり、警防の役人も怖がって近寄らないという犯罪者で世間に名の知れた人殺しでもあったが、役人すら怖れるポアサを密告してもあとの仕返しがこわいことからポアサの殺人を誰もが見て見ぬふりをするために、この男が官憲に捕まったことなど一度もなかった。広い胸、色黒の肌、血走った目の中の瞳は強い光を放射し、その目をまともに見る度胸を持つ者は少なかった。口は大きく、耳も巨大で、頬には刃物傷があった。サミウンはこのポアサにダシマ殺しの白羽の矢を立てた。

 「おれの第二妻のダシマを殺してくれりゃあ、スペイン銀貨百枚が報酬だ。」
ポアサはため息をつき、女殺しは引き受けたことがねえ、と言った。
「ニャイ・ダシマのことは知ってる。すげえ器量良しで、殺すにゃもってえねえ。男はいくらでもやってやるが、女はやったことがねえんだよ。でもその報酬にゃよだれが出るぜ。どうだい、アヘンを少し足してやっちゃあ。ほんの少しでいい。おれが満腹できるくらいで。だがなあ、バン・サミウン。考え直しちゃどうだい。その女、やっちまって、あとで悔やむことにならねえか?」
「そりゃあ絶対にねえよ。おりゃあもう何度もじっくり考えた。あの女を生かしてちゃあ災いの元で、おりゃあ大っぱじをかくことにならあ。こりゃあ考えたあげくの結論で、あんたはおれを助けてくれなきゃいけねえ。」
「ようし、わかった。しかし事はうまく運ばなきゃならねえ。誰にも知られねえようにやらなきゃ。その女をどこへ連れ出すのが、あんたにゃやりやすいんだい?」
「淋しい場所なら、川沿いのマ・ムサニッの家の裏手あたりだ。」
「現場を見られたり、だれかに判ったりするこたあねえかな?」
「そこは夜にゃだれもいなくなる。息子のムサニッとガニは夕方から遊びに出て夜中まで戻らねえし、マ・ムサニッと嫁は日が落ちたら家の外にゃ出てこねえ。」
「ようし、明日の夜おりゃああんたの家に行く。あんたはうまく事を運んでだれにもわからねえようにするこったぜ。」
話がつくと、サミウンはポアサに前金でスペイン銀貨5枚を渡し、そのまま家に帰った。ハヤティと母親を呼んで計画をひそかに明かすと、それを聞いたンボ・サレハは震え出し、明日は朝からマッ・ブユンを誘ってカンプン・ムラユに行き、四五日逗留してくる、と言った。ハヤティもサミウンの計画に最初は震えたが、そのあとは度胸を決めて夫に言った。
「アルハンドゥリラー」

 次の日の夕方、サミウンはダシマに言った。
「カンプン・クタパンでアミル・ハムザの話を聞かせてくれるんだ。おれたちゃそこへ招かれてる。おめえも一緒に行くんだよ。留守番はハヤティがするから。カンプン・クウィタンの知り合いが向こうまで送ってくれる。大通りを行ってもいいが、マ・ムサニッの畑を抜けていきゃ近道だから、そっちを行こうぜ。」
ダシマは夫が夜に自分を外へ誘い出してくれるのをたいそう喜んだ。着替えをし、髪を梳き、明かりを用意して外出の支度を済ませた。夜8時にポアサがナイフとタマリンドの木で作った棍棒を手にしてサミウンの家を訪れた。サミウンはポアサにコーヒーと菓子を出し、ポアサが飲み終わると四人で出発した。クントゥムが明かりを持って先頭を行き、サミウンがそのつぎ、ダシマはサミウンのうしろにつき、そしてポアサが最後尾を歩いた。四人は家の裏を川沿いに進んだ。一行がマ・ムサニッの畑まで来ると、ポアサが何も言わずに後ろからダシマの頭に棍棒で打ちかかった。しかしその一撃は頭をそれて背中を強打した。ダシマは叫んだ。
「助けて、バン。わたしは殺される!」夫に走り寄ろうとするダシマに、振り向いたサミウンがそれを押しとどめて言った。
「おめえの命はこれまでだ。もうあきらめな。」
ダシマは何か言おうとしたが、それより早く次の一撃がダシマの頭を襲った。頭の中央を強打したその一撃でダシマの右の眼が飛び出し、ダシマの身体は地面にくず折れた。棍棒を投げ捨てたポアサはナイフを抜くとダシマを仰向けにし、ダシマの白いのどを掻き切った。血が噴出し、ダシマの身体は綿くずのように地面に横たわる。ポアサの手際よい仕事に、サミウンはただ呆然とするばかり。クントゥムはその情景を目にして腰を抜かし、地べたに座り込んでなすことを知らない。

 ダシマの死体をサミウンとポアサがふたりがかりで川に投げ捨てたあと、ポアサは腰を抜かしてがたがた震えているクントゥムに近寄って言った。
「もしおめえがこの秘密をだれかに洩らしたりしたら、おめえもあんなふうになるんだぜ。」
「は、は、はい。いえ、いいえ。あたしゃ決してだれにも何も言いません。どうかお許しを。」
サミウンがマ・ムサニッの家を指差してポアサに言う。
「ここはあの家から近いが、だれかに聞かれたかもしれねえ。」
「心配するこたあねえ。事はマ・ムサニッの家の裏で起こったんだ。何か言やあ、てめえの首にお縄がかからあ。」
ポアサはこのまま家に帰って血の付いた衣服を洗うと言い、サミウンと別れた。サミウンとクントゥムも家に帰り、クントゥムは冷や汗でびっしょりのまま部屋に入った。サミウンは表のテラスで呆然と座り込む。ハヤティが中から出てきて夫に話し掛けた。
「全部無事にやりおおせたの?」
血の気の引いた顔でサミウンはため息をつくと、ハヤティに答えた。
「全部終わった。死骸は川に捨てた。だれかがニャイ・ダシマはどこへ行ったか尋ねたら、カフリパン村に帰ったって言うんだぜ。」


帰宅
 当時のチリウン川にはワニが住み、とかげや魚もたくさんいて、流れてくるけものの死骸がそれらの生き物の餌食になることが多かった。ダシマの死骸が川に捨てられたのは、証拠隠滅を殺人犯たちが期待したからだ。
だが憐れむべき運命のダシマがふたりの悪漢に生命を奪われたのを、すべてをお見通しの神が見捨てるはずもなかった。マ・ムサニッの二人の息子はたまたまそのとき、川岸で仕掛け針に魚がかかったかどうかを調べていた。数十メートルしか離れていない場所で繰り広げられた人殺しの現場を目にしたムサニッとガニの兄弟は、恐怖に身をすくませながらすぐにバナナの木の裏に隠れた。バン・ポアサに見つかれば、かれらもダシマの後を追うことになるのは火を見るよりも明らかだ。ところが、目撃者はそのふたりだけではなかった。マ・ムサニッの嫁ミダも殺人の現場を目撃していたのだ。ダシマの「助けて!」という叫びがすぐ近くから聞こえたのに驚き、ミダはそっと家の扉を開けて、そのおそろしい光景を目にしてしまった。ミダはすぐに扉を閉めると錠前をおろし、姑に一部始終を話して聞かせた。

 人間の生涯を導く神がまだその仕事を終えていない熱い死骸に触れようとする川の生き物はいなかったようだ。ワニも魚たちも、神がなにをしようとしているのかを知っていた。ダシマの死骸はチリウン川を流されて、エドワードの家の前にあるマンディ場の階段の外側を囲っている垣に引っかかったのである。

 翌朝早く、エドワードの女中がナンシーを川でマンディさせるためにマンディ場に降りた。そして垣に引っかかっている死骸に気付き、悲鳴をあげながら急いでトアンに知らせた。死骸は仰向けになって引っかかっており、目玉が飛び出し、のどが切り裂かれているのが川岸から見てさえ分かった。エドワードは使用人を使いに出し、町役と警察に事件を届けさせた。
ひとが集まってきて死骸が引き上げられたとき、エドワードの表情が硬直した。自分のこれまでの人生の中で愛情を捧げ尽くしたただひとりの女、ダシマがそこに横たわっているのだ。あんなふうに家を出て行ったダシマが、こんな姿になって家に帰ってくるなんて。ダシマが幸福になるならと思ってかの女の言い張るようにさせたのに、ダシマは幸福ではなかったのだ。エドワードの心に怒りが燃え上がった。

 エドワードは市長宛てにダシマに関わる一部始終の報告を出した。市長はエドワードの心情に共鳴し、警察のニャイ・ダシマ殺人事件捜査には力が入った。
ダシマはカンプン・プジャンボンに住むマッ・ブユンという年増女に操られて家を出たということが分かっていた。マッ・ブユンをはじめエドワードの使用人全員が取調べを受け、ニャイ・ダシマはカンプン・プジャンボンのサミウンという男と結婚したという情報がかれらから得られた。
     一方、エドワードの家の前で引き上げられた死骸がニャイ・ダシマだという噂が広まると、ムサニッとガニの兄弟も見物にやってきた。そして市長がこの事件の犯人を教えた者にはスペイン銀貨二百枚の賞金を与える布告を出したことを耳にし、すぐにおそれながら、と訴え出た。
マ・ムサニッの一家が目撃者として警察に見たままを供述した。その証言に従って、カンプン・クウィタンのバン・ポアサ、カンプン・プジャンボンのバン・サミウンとその家の女奴隷クントゥムを逮捕するために警察の一隊が走った。

 バン・ポアサはたまたまアヘンに酔って家で眠り込んでいたところを警察隊に踏み込まれ、暴れたものの巡卒が8人がかりで取り押さえたすえに全身を縛り上げてダシマの死骸に対面させた。証拠のナイフと血のついた衣服も押収された。はじめは白を切っていたポアサも、ムサニッと妻のミダ、そしてガニとクントゥムまでがこの男のしわざだと証言したため、ついには犯行を自供してコタにある裁判所裏の牢獄に放り込まれた。
 バン・ポアサはその後行われた裁判で絞首刑による死刑の宣告を受け、市庁舎前の広場で刑を執行されて40歳の生涯を終えた。バン・ポアサが住んでいた家は、今のクウィタン通りがチリウン川と交わる角にあるグヌンアグン書店が建っている場所だったという。

 一方、バン・サミウンは捜査の手が伸びてくるのを予感し、警察の一隊がやってくる前に家から逃げ出して行方をくらました。当時、軍病院はまだプジャンボンの向こう岸に造られておらず、プリンス・フレデリック要塞があるノルドウェイクの水門近くにあった。その一帯はうっそうたる森で、まだ現在のように開けてはいなかった。このプリンス・フレデリック要塞のあった場所には1961年、イスティクラル・モスクが建造されている。
 サミウンはその森に隠れた。かれは途方に暮れ、どこへ逃れてよいかわからず数日その森の中に潜んでいたが、挙句の果てにあっさりと巡卒に発見されて捕まってしまった。まるで、捕まえてもらうために自分から出てきたかのようだったとサミウンを捕らえた巡卒は話している。サミウンは取り調べの中ですべてをありのままに自供した。