「バビ・アンジン・モニェッ」


イヌ、サル・・・・・・ブタ?・・・・・
 そうです。これは桃太郎説話ではありません。これはインドネシアで他人をののしるときの蔑称にたとえとして使われる動物たちなのです。その順番で軽蔑の度合いが下がってくるという話ですがどうやらそれほど単純なものではなく、それぞれが持つニュアンスには同じカテゴリーの中に入れて比較するのに難しい面があるようにわたしには思えます。

 まずトップにいるブタ君は、日本語文化の中でも見た目みにくくブヨブヨして鈍重、そして頭のネジのゆるんだウスノロというイメージが漂っています。古代ギリシャの賢人に太ったひとが本当にいなかったかどうか疑わしいところですが、正の頂点に位置付けられた痩せっぽちのソクラテスに対置させて負のどん底におとしめられたブタ君のことを知らないひとはいません。このブタ君、わたしたちの目からはどう見たところで危険のキの字も感じさせるものではありませんが、回教徒の口からその名が語られるとき、そこに漂う『悪魔の化身』とでもいうようなかなり攻撃的な色彩に驚かされたのはわたしばかりではないでしょう。ブタがイスラム宗教禁忌の筆頭株の栄誉を授けられているのは誰もがご存知でしょうけれど、人間を襲って食い殺すブタのイメージはどこかおどろおどろしくて鬼気迫るものをわたしたちにも感じさせてくれます。

 インドネシアはムスリムが大多数を占めている国であり、ブタはイスラム教の宗教禁忌だからブタの居る場所などないだろうとお考えの読者は、実は大きな誤解をしています。ブタはインドネシアでバビ(babi)と呼ばれ、山のほうへ行けばbabi hutan があっちでうろうろこっちでもちょろちょろ。バビフタンというのは猪のことで、地方によってceleng あるいはbagong などという名でも呼ばれています。ちなみにインドネシアでは貯金箱のことをcelengan と言いますが、これはいったいブタの形をした焼き物の貯金箱に由来したものなのかどうか・・・・・?ともあれ猪は、イスラム渡来前はもとより現代でもインドネシア地元民たちにとって狩の対象になっているのです。猪もバビですから宗教禁忌の対象ですが、スマトラやジャワの地方都市からジャカルタにいたるまで折にふれて悪徳商人がパサルで売る牛肉に猪肉を混ぜて売るようなことを行い、篤信ムスリム市民たちの間に大きな騒ぎをもたらしているのはよく聞く話です。バビはそれほどインドネシアムスリムの身近にいる動物であり、だからこそジャワではバビゲペッ(babi ngepet)という超常不可思議譚が昔から語り伝えられているわけです。
 このバビゲペッの話はジェイピープルというサイト内にある「現代インドネシア1001景」というコーナーの2006年11月20日と27日付け記事で紹介されていますので、www.j-people.net/news1001/news0611.htm を是非覗いてみてください。

   さてバビというやつは悪魔の側に属す動物であってアラーの愛と慈しみを一身に受けた人類にあだなす存在であるというニュアンスがムスリムたちの間に行き渡っていますから、そんなひとびとに対して「おまえはブタだ」とののしるのはブタにそのような意味付けをしていないひとびとに対してそうするのとはまったく異なる効果を招くであろうことを十分に理解しておく必要がありそうです。

   二番手に控えるイヌもムスリムにとって宗教禁忌の対象になっていますが、ブタほど強く悪魔視されているわけではないように思えます。イスラムがイヌを避けるよう信徒に勧めているのは狂犬病がその理由であることが広く啓蒙されており、「イヌの唾液にさえ触れなければ宗教禁忌を犯すことにならない」とムスリム有識者は言います。それでも「悪魔の中には黒イヌの姿をしたものがおり、なかでも目の上に白丸斑点のあるイヌはもっとも邪悪な種類なので、見つけたら放っておかずにすぐに殺せ」と預言者ムハンマッは命じていると説くムスリムもいて、やはり悪魔がらみの恐怖感や嫌悪感はついて回っているようですね。たいていのムスリムはイヌを怖がります。身体の大きい獰猛なイヌばかりか、見知らぬ人間に吠えかかろうともしない身体の小さめでおとなしいイヌに対してもそれは同じです。そんなムスリムの中に恐怖が嵩じて憎悪を抱く者がおり、わざとちょっかいを出してイヌを怒らせ、吠えかかってきたところをいじめぬいてひどい目にあわせるのを好むような者が混じっているのも事実です。

 そんなイヌが蔑称として使われる場合、日本語では「お上のイヌ」という言葉に代表されるように権力者の手先になって無辜の民をいじめ秘密を嗅ぎ出して密告するような卑怯者を意味するケースが多いのですが、インドネシアでも権力者にへつらっておべっかを使い、権力者の権威をかさにきて同僚や下の者を踏みつけにする人間を指して用いられています。そんなきわめて近い意味付けがなされているにもかかわらず、日本語文化の中で使われる「イヌ!」にくらべてインドネシアのひとびとが使う「Anjing !」のほうがこころなしか憎悪感がより強く感じられるのは、宗教禁忌が影を落としているからなのでしょうか?それともこの地のひとびとの感情表出が日本人にくらべてきわだっているせいなのでしょうか?

 ノーベル賞を受けたオーストリアの動物学者コンラッド・ローレンツ博士は、「今をさるおよそ一万年くらい前に進化の過程にあった狩猟生活を営む猿人が、自分の不足している能力を補ってくれてしかも敵対性よりも協調性を示したイヌとパートナーシップを結んだのが人間とイヌとの関係のはじまりだ。」と説いています。ほかの動物とは比べものにならないほど道具の使用に進歩を遂げた平均身長1メートル数十センチで二足歩行し知能と視力にすぐれた集団性のサルと、サルに欠けている嗅覚・聴覚・疾走力を高いレベルで補完するイヌというこの二種類の高等哺乳類の混成集団は地球上に併存していたいかなる生物よりも優れた戦闘軍団と化し、かれらはそれ以来現代にいたるまでほかの生物を狩り取って地球上を支配してきたのだと博士は言います。イヌは自ら進んで人間社会に溶け入り、人類とともに繁栄しました。イヌがヒトを主と見立てて忠誠を尽くすのは、もともと群生集団であったイヌ自身のなかにリーダーを求めて服従しようとする習性があるからだとローレンツ博士は説明していますが、イヌはほんとうにおべっか使いでヒトの手先となり、頭をなでてもらうためにほかの者を踏みつけにするような動物なのでしょうか?
 
 イヌの行動を見ていると、「ご主人様に仕えよう。良い子になって頭をなでてもらおう。」とする心的傾向は強いように思えます。ところが『何をして?』という段になるとイヌの思惑とヒトの思惑は必ずしも一致しないように見えます。しゃがませたり跳躍させたり、さらには投げた棒切れをくわえて来させたりというように芸を仕込んで頭をなでてやり、おやつをご褒美に与えたりするのは互いの思惑が一致する部分のようですが、餌の残り骨を埋めるためにせっかくきれいに花の咲いた花壇を掘り返してめちゃめちゃにすることはいくら叱ってもやめようとしません。おまけに子犬が青年期になってくると父イヌとの闘争がはじまります。はじめは反対にやり込められ、庭の片隅に逃げ込んで小さくなっていたのがだんだんと対等にやりあうようになり、こうなると双方ともに生傷の絶えることがなくなり、こうして気力体力ともに下り坂の父はついには日の出の勢いの青年イヌに敗れ去り、テリトリー支配者の交代劇が演じられていくのであります。子犬はこのような試練を通して自己の力を実証し、名実ともに一匹の成犬としてひとり立ちしていくのではないでしょうか。ヒトの反抗期と成人への脱皮に酷似した成長過程を持つイヌの生態はわたしたちを感嘆の思いで満たしてくれます。

 イヌは、だから、野生の頃から培ってきた習性をヒトには向けない部分でかたくなに保ち続けているのではないでしょうか。であるからこそ、ヒトの生活に密着していながら首輪を解かれて野に放たれても自分の力で生き続けることができるのでしょう。いやわたしは、捨てられた元飼い犬が野良犬となって人間社会の残飯を漁って生きている姿を指摘しているのでなく、南極探検隊に随行したあげく一年間無人の白い荒野に置き去りにされ、それでもしぶとく生き続けたタローとジローのことを言っているのです。残飯を漁って生きている動物は食物を得るということに関してしょせん人間社会に養われているにほかならないからで、その意味でイヌは、ヒトに飼われることで野性を捨て去って寄食の徒になりはてたネコやその他の動物とは違い、いかにもヒトの手先になったように見えながらもヒトに依存しきるのを拒み、ある種の対等性を保持し続けているようにわたしには思えるのです。

 ところで、一万年にもおよぶヒトとイヌとのそのような関係に影響されたのかどうかわかりませんが、インドネシアには先祖がイヌだったと自認する種族がいます。ジャワ島中部の王都ジョクジャカルタ近郊にあるプランバナン遺跡は2006年5月のジョクジャ中部ジャワ大震災で被害を蒙ったため、プランバナンヒンドゥ建築物群の中で一番の見ものとされているドゥルガ女神像を納めたチャンディシワ(シヴァ)は修復工事のためにチャンディ内に入ることができません。チャンディというのはヒンドゥ教や仏教の祭祀のための石造建築物で、仏塔あるいは神殿などと日本語に訳されています。
 9世紀に建てられたと言われているこのプランバナン遺跡チャンディ群の中央に位置する最大のシワ神を祭るチャンディの中に置かれたドゥルガ像のモデルが当時絶世の美女とうたわれたロロジョングラン王女であったという話ですが、暗いチャンディの中にたたずむ美女の顔は壊されていて痛々しさを感じさせます。都内中央ジャカルタ市チキニラヤ通りのレストラン「ロロジョングラン」には店名にちなんでロロジョングランの像が置かれています。しかし、灯明の中に浮かぶその美女の像は必ずしもプランバナンのドゥルガ女神像の再現ではないという話でした。ともあれ、ロロジョングランとは「ほっそりした乙女」を意味する言葉であり、言うまでもなくそれが王女の本名であったとは思われません。

 かつてプランバナンの巨人王ラトゥボコの王女ロロジョングランは、諸州に喧伝されたその美しさのために各地の王侯貴族がこぞって自分の妻にしようと望みました。古来からジャワにあった女性観に従えば、女は男にとっての宝飾であり、美しい女たちを自分の周りに従えることが男の値打ちを高めるひとつの方法であったのです。ところがどれほど権勢すぐれた強国の青年王も、どれほど繁栄を謳歌している富裕国の王子も、自分のプロポーズに対してロロジョングランの首をたてに振らせることはできませんでした。そうしてある日、知力胆力に優れて超能力にも秀でた王バンドン・ボンドウォソがロロジョングランをもらいうけたいとラトゥボコ王に使いを送ったのです。バンドン・ボンドウォソに一目置くラトゥボコ王は嫌がるロロジョングランを説得しました。一戦構えて運悪く王国が滅びれば、王女ロロジョングランは奴隷にされるかもしれません。ロロジョングランは父に条件を出しました。「もしバンドン・ボンドウォソが千体の石像を備えた宮殿を自らわたしのために一晩で造ってくれるのなら。」
 その返事を聞いてバンドン・ボンドウォソはほくそえみました。自信はたっぷりあったのです。「ならばわしがひとりでプランバナンに宮殿を造って見せよう。だれもわしの手助けをしてはならぬぞ。」臣下にそう命じたバンドン・ボンドウォソはひとりプランバナンに向かいました。ラトゥボコ王の宮廷ではもうその話でもちきりです。灼熱の太陽が西に沈むとバンドン・ボンドウォソは瞑想をはじめました。そうやって大勢の精霊を呼び集めたのです。バンドン・ボンドウォソに命じられた精霊たちは石を積み上げあるいは石像を彫って宮殿建設に励みます。バンドン・ボンドウォソも自ら槌と鑿を手にして石像を彫りはじめました。夜明けにはまだ数時間もあるというころ、宮殿がもうすぐできあがりそうだという報告を聞いてロロジョングランは慌てました。宮殿建設を挫くにはどうすればよいのだろうか?そう、精霊たちを追い払ってしまえばよいのです。ロロジョングランは召使いたちを呼び集めると王宮を明るくさせて木臼でもみを搗くように命じました。王宮が明るく賑やかになったために近隣の鶏が一斉に起き出して時を告げました。鶏の声を聞いた精霊たちは慌ててやっていた仕事を放り出し、異界に逃げ去って行きます。太陽の光に灼かれたなら自分の身が危ういのですから。
 「あともう少し」と一心不乱に仕事に没頭していたバンドン・ボンドウォソは完成前に夜明けが来てしまったと落胆し、力を失ってすべてを投げ出してしまいました。そのとき宮殿はもうほとんど完成しており、そして石像も九百九十九体まで出来上がっていたのです。かれはできたばかりの誰もいない宮殿にがっくりとひとりでしゃがみこみ、失敗を悔やんで自分を責めさいなんでいました。ところが時間は流れて行くというのに、まだ夜明けの訪れる気配がありません。バンドン・ボンドウォソはそのとき、ロロジョングランの魅惑溢れる姿態の裏に隠された、欺瞞に満ちた狡猾な心をはっきりと見たのです。怒りに燃え上がったかれは憎しみに満ちた呪いをロロジョングランに向けてつぶやきました。「おまえはその冷たい石のような心にふさわしい一千体目の石像になるがよい。」

 こうして一千体の石像という王女の出した条件は自分自身の身体で完成させられる結果になってしまったという話ですが、他にも語り伝えられているロロジョングラン王女のエピソードを聞くと、この美女はどうもあまりよい性格を持っていなかったような印象を受けます。婚約したり結婚したばかりの幸せカップルはロロジョングランの嫉妬で呪いを受けるから、ふたり一緒にプランバナンには行かないほうがよい、という話をしてくれるひともいます。
 ほかにも王女の性格の悪さを示す話があり、その中にイヌが登場してきます。この話によれば、ロロジョングラン王女はたいへんな怠け者だったということです。かの女はある日、機織の最中に手にしていた杼を落としてしまいました。拾いに立つのが面倒だった王女は「その杼を拾ってくれた者はわらわを妻にできようぞ。」と言ったそうです。するとさっそく一匹のイヌがその杼をくわえて王女のそばまで持ってきたではありませんか。王女は約束通りそのイヌと契り、子供をもうけました。その子がわが種族のルーツなのです、とジャワのカラン族は語り伝えています。

 ジャワ島西部のスンダ地方にも、高貴な王女がイヌと契る話が語り伝えられています。バンドン郊外で今でも煙を吐いている活火山タンクバンプラフにまつわる説話がそれなのです。
 スンダの王女ダヤン・スンビは愛犬トマンと交わって子供を産みます。生まれた子供サンクリアンは思春期に達したとき出生の事情を知って父トマンを殺し、王宮を去って放浪の旅に出ます。そうして十数年が経過し、山中に隠棲していたダヤン・スンビとめぐり合ったサンクリアンは相手を母と知らないで恋に落ち、自分の恋情をせつせつと訴えました。自分を求める若者が自分の息子であるのを知ったダヤン・スンビはふたりの本当の関係を押し隠し、サンクリアンに難題を突きつけました。「わらわを妻にしたければ、チタルム川をせき止めてその湖の上に巨船を浮かべ、婚礼の祝宴を張る用意を一夜のうちになさりさふらへ。」
 このスンダ版オイディプス王悲話はロロジョングランと似たようなストーリーで進行しますが、人格高潔なダヤン・スンビが石像にされることはなく、反対に不幸な息子を追い払って涙にくれるのです。神は愚かな人間の行為を怒り、巨船をひっくり返して山に変えました。タンクバンプラフという言葉は「船がひっくりかえったもの」を意味しています。そして婚礼の祝宴の料理を作るために船の中で燃やされていたコンロの火が消えなかったために、山の中央に穴をあけて今でも燃え続けているのだというオチで話が終わります。

 イヌと交わる物語がこうたくさん出現してくると、古代インドネシアのやんごとなき姫君たちは獣姦を好んだのか、などという下世話の疑問を抱くひとがあらわれるかもしれません。一説によれば、王女たちの身辺警護や身の回りの世話に携わっていた下賎の男たちの中に姫君が心を寄せた者ができると、その間で男と女の関係に進んでも身分の違いからそれをまともなものとして扱うことができず、外聞を憚って相手の男をイヌにたとえるということが行われていたのだそうです。
 こうしてみるとロロジョングラン王女の話は、杼を拾わせて愛しい下賎の男と公然と睦み、その仲を裂かれたくないためにバンドン・ボンドウォソからのプロポーズを詭計を用いて退けようとしたひとりの娘のひたむきな愛というふうにも思えてきます。ボンドウォソの怒りのために愛しい下賎の男との関係を短い生涯の中で終わらせざるをえなかったロロジョングランが幸せそうなカップルに嫉妬を向けるのもうなづけるような気がしますね。
 現実にヒトの女性がイヌの精子を体内に受けても懐妊しないそうですので、イヌと交わって子供を生むという話が何かの象徴であるのは明らかです。ともあれ古代から連綿と続いている南国女性たちの奔放な恋情と行動をわたしはそれらの説話の中に見てしまうのですが、わたしはあまりにもロマンチストなのでしょうか?

 話は転々としますが、一万年にわたって築かれてきたとローレンツ博士の説くヒトとイヌのパートナーシップの中に食犬の風習は含まれているのでしょうか?数千年にわたってありとあらゆるものを口の中に入れてきた中国文化の裾野にいるからなのでしょうか、韓国にも越南(ベトナム)にも食犬の風習があります。東南アジアのほかの国でのこの習慣をわたしはあまり知りませんが、インドネシアでも北スマトラ州のバタッ、北スラウェシのマナド、バリなど非ムスリムのひとびとも食犬の習慣を持っています。ムスリムはきっと、宗教禁忌に触れる動物を食べるわけにはいかないのでしょう。自分の文化が持つ規準をまったく異なっていてもしかたのない他の文化のひとびとに当てはめて、自分の文化で否定されることをしているから劣悪だと断じるのは人間の持つ偏狭な独善主義のあらわれだろうとわたしは思っていますが、もともとが雑食性の狩りをするサルはその長い歴史の中でありとあらゆる他の生物を食べてきたにちがいありません。だから何人が何を食べようと、それはいらぬお節介というものではないかとわたしは思うのですが、どんなものでしょうか?

 このあと登場するサルも人間の食の犠牲から免れることはできませんでした。中国大人たちの珍味とする小猿の脳みそは別にして、インドネシアでもある荒涼として貧しい地域に住む種族の弓矢を使った狩猟の標的がなんと樹上生活をしている小型のサルだそうで、かれらの口に入る数少ない蛋白源がそのサルだというからその苛酷さには驚かされてしまいます。西ジャワ州西端に位置する野生動物保護区ウジュンクロン周辺の森林で銃を持ってスポーツハンティングをし、撃ち落したサルを地元住民に与えるとかれらは喜んでそれを食うという話をインドネシアに来て間もないわたしに語ってくれたインドネシア人がありました。今ではさもありなんという気がしないでもありませんが、この話の事実を確認する機会がいままでなかったので、その点お断りをしておきたいと思います。

 昆虫を食べるのも人間のタンパク質補給の一環です。アンデスの山中では大型のアリを食べるし、タイの特定の地方ではセミをはじめ種々の虫が人間に食べられています。経済危機のせいだと言われていますが、タイの田舎のひとびとに食虫習慣が拡大したために捕食されるそれらの虫に絶滅の危機が訪れているとマスメディアで警鐘が鳴らされていたのをご記憶の読者もいらっしゃるのではないでしょうか。ヒトに食われて絶滅していった生物の歴史が現代にも繰り返されようとしているのです。
 ジャワでもバッタを食べ、羽アリを口に入れます。収穫前の水田がバッタに襲われてあらゆる緑が食い尽くされると、農民はそのバッタを食べるのです。何年か前にランプン州の地方部を襲ったバッタ害にジャワ系の州知事が「みんなで精出してバッタを食べよう。収穫を失った農民にとっては食糧確保の一助となるし、それでバッタが減れば被害の拡大が阻止できて一石二鳥というものだ。」と呼びかけましたが、ジャワ系移住農民以外はその呼びかけにあまり乗らなかったようです。バッタを食べて中毒を起こし、病院に担ぎ込まれたという新聞記事を目にすることもあるので、バッタ食はどうやら命がけのようです。

 さていよいよサル君の登場です。インドネシア語でモニェッ(monyet)と言えば小型のサルを意味しており、サル全般を指すクラ(kera)とは区別されています。つまりゴリラやオランウタンをモニェッと呼ぶのは正しい言葉の使い方ではないそうなのです。さてモニェッと呼ばれている小型のサルどもの態度行動を思い出してみましょう。日本でもサル山へ観光に行ったことのあるひとは少なくないでしょうが、神々の島バリでもサンゲェへ行けば善意にあふれた観光客から帽子・メガネからはてはバッグまで奪って逃げるサルどもにお目にかかることができます。ヒトに近いと言われるゴリラ・チンパンジー・オランウタンなどと違って、これはまたなんとガサツで野蛮な連中でしょうか。油断している人間の隙を突き、アグレッシブにそして敏捷に他人のものを奪って行きます。他人への尊敬や遠慮など爪の先ほどの持ち合わせもなく、エチケットや事の善悪などどこ吹く風、他人がなんと非難しようがおのれの欲望の駆り立てるところニタリとほくそ笑みながら攻撃的に悪行をしかけてくる悪ガキというイメージがかれらにオーバーラップしてきます。それに比べれば、日本のエテ公のイメージなどまだ可愛いと言えるかもしれません。

 サルについてのイスラム宗教禁忌は食猿が禁じられているくらいで、バビやアンジンという言葉が含んでいる憎悪感はモニェッには見当たらず、ただひたすら侮蔑感の一本道という感じがします。バビやアンジンのように憎悪の混じった軽蔑とはそこが違っているようにわたしには思えるのです。サルがヒトへの進化過程で落ちこぼれてしまった種なのだという観念が日本と同じようにインドネシアにもあるのかもしれません。「お世辞じゃないよ」bukan basa basi という宣伝コピーを大ヒットさせた某タバコ会社の一連の広告の中に、チンパンジーの顔写真アップにSusah jadi manusia というコピーを添えた社会風刺的なものが混じっていましたが、これはその観念を証明するもののひとつではないかという気がします。一方で、人間はアラーが創り給うたものというイスラムの教えに背くものとしてダーウィンの進化論が比較的最近まで国民教育の中に取り上げられていなかったことも事実です。アカデミックな定説を取り入れて、同じ先祖でありながら進化が遅れた落第種とサルを見なすか、あるいは敬虔なムスリムとして、ヒトに似ているが神が創り給うた劣等種と見なすか、その問題はさておいていずれにせよサルをヒトより劣っているとして侮蔑する意識は世界中変わらないようです。

 最近この「モニェッ!」という罵り言葉の好例を体験しましたので、ここでご紹介しようと思います。
 ある日わたしはわが家から表通りへ出て事務所へ行くためにタクシーを拾いました。タクシー運転手のおじさんが、「表通りが渋滞しているので裏通りを行くぞ。」と言いましたのでわたしは「ボレ、ボレ」と返事。この裏通りはアンコッの路線で、いつも渋滞が当たり前という道。対向二車線道路で狭く、おまけにいつも南行きが四輪車で数珠繋ぎとなるので南行きの二輪車が道路中央の分離帯をこれも数珠繋ぎでパレードというインドネシアならではの光景が展開される場所であり、反対に対向する北行きはけっこう空いていてときどきは交通が途絶えるような道路なのです。さてタクシー運転手のおじさんはおもむろにその北行き車線に乗り入れました。こちらの道は空いていますが南行き車線は四輪車でびっしりのありさまで、おまけに正面からは二輪車がセンターラインを乗り越えながらあとからあとからやってくるので、北行き道路は空いていてもゆっくりとしか走れません。そんなとき真正面からアンコッが一台走ってきたではありませんか。言うまでもなくそのアンコッを運転するオニーチャンは道路を逆走しているわけであります。『のんびり渋滞の尻なんかに並んでいられるか。右から車が来ないのを幸い、道路を逆走してごぼう抜き。どっか割り込めるところへ割り込んじゃえばいいのさ。』オニーチャンはきっとそう考えて突っ込んできたのでしょう。そうしてタクシーと鉢合わせ。アンコッはきまり悪そうに、並んでいる他のアンコッに「入れてくれ」と手で合図。そうして前の車が少し動いたので割り込みに成功しました。その間進路をふさがれたタクシー運転手のおじさんはむっつりと仏頂面。アンコッが本来の車線にもぐりこみタクシーの進路がやっとあきました。すると運転手のおじさんはするすると運転席の窓を開き、アンコッのオニーチャンに一言「モニェッ!」と吐き捨てるように罵りました。
 公共秩序などかえりみず、エゴをむき出しにして他人に迷惑をかけながら自分の望むものを手に入れようとアグレッシブに振舞う者こそ、「モニェッ!」という罵詈に似つかわしい対象であるにちがいありません。

 インドネシアにはsudah jadi manusia という表現があります。これは成長過程を終えて「いっぱしの人間になった」「成熟した人間になった」という意味合いで用いられているとわたしは理解していますが、きっとその意味でのマヌシアにまだなっていない者に対してmonyet という言葉を当てはめているのではないかという気がわたしにはします。人間は共同生活を営むものであり、共同体がひとつの社会をなすときその人間集団を統率する秩序が必ず存在するわけで、その秩序を維持しようと行動するのが文明の光を浴びた人間であり、自分さえよければいいという顔をしてその秩序を傷つける者がモニェッだということではないでしょうか。
 そういう捉え方をするなら、オルバ期にはガス抜きと呼ばれていた総選挙時のキャンペーンで行われる大暴れやサッカー競技のあとで負けたチームの応援団が繰り広げる破壊行動などは徒党を組んで行うモニェッ行為と言うことができそうですし、ペイントスプレーを手にして深夜に他人の家の塀に落書きしたり、尖ったものを手にしのばせて駐車中の自動車のボディをえぐるような行為もモニェッ行為に属すものでしょう。しかしそのような落書きやえぐり行為は一般にiseng と呼ばれており、退屈しのぎのいたずらと見なされています。イセンを行うのは未成熟な人間にとって当たり前のことなので、そのように攻撃的破壊的なイセンであっても問題にするひとは少なく、そのようなことをするまだ年若いかれらに対してモニェッという罵り言葉はあまり使われていないような気がします。
 そのようにまだマヌシア未満の人間が抱く恋愛感情はcinta monyet と呼ばれます。子供の頃に異性に抱くほのかな恋愛感情ですので、日本語の初恋に相当させることもできますが、小学三年生でミヨちゃんに抱いた初恋のあと中学一年でノリちゃんを好きになっても、いずれもチンタモニェッにちがいはありません。ただ最近はほのかな恋愛感情だけでは物足らず肉体関係に突き進んでいくという少年少女が増えているという話で、チンタモニェッの定義も少し修正が必要になっているかもしれませんね。

 カリマンタンとスマトラを生息地とするオランウタンは世界的な保護動物であり、ムラユ語源のその名称は英語に取り込まれていてアメリカ人がオランガタンと発音するのには面食らってしまいました。orang utan はorang hutan と同じで、森あるいはジャングルの人を意味しています。しかしどうしてこの獣にオランという言葉が冠されたのでしょうか?

   サルからヒトへという進化の過程の中で、現代という大海に注ぎ込む河口にかなり近いあたりで流れが枝分かれしてしまい異なる運命をたどるようになったかれらの間で、進化の先頭を切ってヒトに成り上がった連中がついには言葉を得て他の動物たちと画然たる一線を引くようになったとき、ジャングルにいたそのサルにヒトはいったいどうしてオランという名称を与えたのでしょうか?ヒトは自らをオランと称したわけで、ヒトが言葉を操り始めたその時期にヒトとオランウタンはまだ似たような姿をしていたということなのでしょうか?しかし古代の想像図を見るかぎりでは、猿人はあまりオランウタン風に描かれていません。一説では、もともと原住民はこの動物をオランウタンとは呼んでおらず異なる部族がそれぞれ異なる名称で呼んでいたものを、白人がマレー語を使ってそんな名称を付けたのだと言われています。そうであるなら、これは白人の倣岸さを示す一例というようにも思えてきます。
 hutan はマレー語ですが、同じマレー語でジャングルを意味するrimba という言葉もあります。hutan rimba という熟語としても使われ、規模や程度の異なる同義語を並べて広義の概念を表しているようです。ともあれ、オランウタンはスマトラとカリマンタンにそれぞれ亜種が住んでいます。カリマンタンのオランウタンは人間さえいなければカリマンタンの支配者となったにちがいありません。一方スマトラにはトラや象など獰猛な動物がいるので果たして支配者になれたかどうか。ともあれスマトラにはorang hutan (orang utan)がおり、そしてなんとorang rimba もいるのです。オランリンバはもちろん人類。かれらはジャングルの奥深く、文明を拒んでひっそりと暮らしているひとたちで、さまざまなアダッによって秩序付けられた共同体で生活を営んでいます。スンダ地方にいるバドゥイ族と似たような境遇ではないでしょうか。オランリンバはヒトであるのにオランウタンはサル。そしてそのいずれもがオランと呼ばれている。何か考えさせられるものがあるような気がするのはわたしだけでしょうか?
 オランはマレー語源の言葉ですがオランと同じ意味で使われるマヌシアはサンスクリット語源です。サンスクリットではマヌがアダムと同じように人間の祖先にあたり、そのマヌの子孫がマヌシャと呼ばれているのです。

 インドネシア文化の中に悪名高い三匹の動物たちをご紹介しましたが、ここで取り上げておきたい動物がもう一匹います。既出の三匹に比べてインドネシア文化、中でもムスリムたちにたいへん「受け」のよい動物がこれで、三匹の悪党とは反対に可愛がってやるべきトップグループに属しています。それはなにかと言えば、つまり「ネコ」。
 インドネシアにお暮らしのみなさんは先刻ご承知でしょうが、ここには実にたくさんの野良ネコが暮らしています。いや実際のところはノラなのか飼われているのか判然としません。一般的に言ってインドネシア人の日常生活にあるのは、個人生活を厳然と区切ろうとしないファミリー共同体とムラ社会を基盤に培われてきた地縁共同体が作り出している社会です。その構成員が持っている個の観念はかなり独自のもので、必然的に個人所有の観念も独特なものです。自分が包含されている共同体の外に対しては門戸を閉じることも厳しさを与えることも厭いませんが、共同体の内ではとてもオープンで暖かくソフトです。そんな社会では飼いネコと野良ネコの区別は必要なものでなく、だれもが適当に餌を与え、ネコがどこに住み着こうとみんながおおらかにそれを許します。そのために、飼い主などいないはずの工場の片隅にいつの間にやらネコが住み着いて子供を産み、従業員みんなが餌をやっていたりするのです。そして勤務時間中に生産現場で働いている従業員の足元をネコが悠然とうろついていたりすることも起こります。
 日常生活の中でネコをまるで空気のように遇するのは、体が小さいのでどこに住み着こうがあまり邪魔にならないという物理的な側面もあるのでしょうが、実はそれ以上にかれらがネコを可愛がるわけがあったのです。

 エジプトからパレスチナ一帯にかけて棲息していた野生の山猫がしだいにヒトの暮らしに溶け込むようになり、四千年ほど前からエジプトでヒトに飼われるようになったのがネコとヒトとの関係のはじまりだと言われています。ヒトとの付き合いはイヌと比べればまだ日が浅いようですね。飼いネコの風習はアラビア半島へも例外なく広まり、イスラム教最初にして最後の預言者であるムハンマッもネコを慈しんだのだと聖典アルクルアンは記しています。預言者ムハンマッが生あるものを慈しんだ例として聖典に書き残されたのはこんな逸話だそうです。
 ある日ムハンマッが座っていたときネコがやってきてあのゆったりと身体を覆うアラブ衣装のすその上で気持ちよさそうに眠ってしまいました。ムハンマッはどこかへ行くために立ち上がろうとしましたが、眠っているネコを追い払うのに気がひけました。ムハンマッははさみを持ってきてくれと頼み、持ってきてもらったはさみを手にすると、自分の衣のすそを眠っているネコのまわりだけジョキジョキと切り取り、立ち上がってその場を去りました。
 イヌは宗教禁忌の対象なので負の色彩を帯びるのは仕方のないことです。一方ネコはそうでないからニュートラルかと思っていたら、なんと偉大なる預言者に愛された動物だったのです。負のイヌとは正反対の正の色彩に輝いているのがネコだったということのようです。だからわが家の敷地内に侵入してくるネコに片っ端から襲い掛かって行くわが家の番犬タローはきっと近隣の鼻つまみ者だったにちがいありません。まあ、タローにしてみれば、自分の縄張りに侵入してくるよそものに対して野性の本能をふるっていただけのことなのでしょうけれど。

 わが家の番犬タローはネズミ狩りをします。これもやはり自分の縄張りに侵入してくるよそものに対する本能的行為なのかもしれません。イヌがネズミを獲るというこの事実も、インドネシアへ来て驚いたことのひとつです。ネズミは本来ネコが狩るものであり、イヌはそのネコをいたぶって三者の間に奇妙な三角関係が構築されるものと信じてきたわたしには、もはやトムとジェリーのTVアニメを素直な目で見ることができなくなってしまいました。
 イヌがネズミを獲るくらいだからネコもさぞ活躍しているだろう、と期待をこめて注目していたにもかかわらず、家の表通りで夜な夜なうろついているネコのすぐそばをネズミが走り抜けても、ネコはのほほんと知らん顔をしているではありませんか。だったらネコは日がな一日何をしているのかとその行動をよくよく観察してみたところ、ただブラブラ、ノンビリ、と時間を過ごしているばかり。時おり表のゴミ箱をあさって中の台所屑を撒き散らし、色気付くとミャアミャアギャアギャアとまるで人間の赤児のような気色悪い声でうるさく鳴き、相手をつかまえると快楽の頂点にまっしぐら。生産性という観点からはほど遠いところにいるような気がしてしかたありません。
 地元のひとびとに話を聞くと、昔はインドネシアでもネコはネズミを獲っていたそうです。「しかしどうも最近はあまりネズミを獲らないようだ。」とかれは言い、そして「だってネズミがすごくでかいもんだから。」と即座に弁護がついてきます。「豹は自分より身体の大きいヌーやシマウマさえ倒すぞ。」というような皮肉は言わないで、わたしはにんまり笑って聞き流すだけ。日本でもわたしが子供の頃はネコが確かにネズミを獲っていたのを目にしているのですが、最近はそんなシーンをあまり見聞きしたことがありません。どうやらネコ族はここ数十年の間にグローバルなぐうたら時代に突入したのではないかという気がしますが、日本とインドネシア以外の国々での状況はどんなものなのでしょうか?
 一説では、ヒトに飼いならされることで野性を置き去りにしてきたネコは、ジャングルやサバンナの仲間たちが親から仔に伝授教育し続けているハンティング技術を放棄し、人間社会に完全に寄食する決心をしたそうです。飼い主から餌をもらおうが自分でゴミ箱をあさろうが、人間社会の中で暮らしている限り食うに困ることはないでしょう。文明の進んだ地域においてネコはこのようにしてネズミの敵であることをやめてしまい、野性を捨て去って人間に寄食するペット動物としての道を歩むようになってしまったに違いありません。人間が文明を発展させて豊かな社会を築けば人間に関わっている動物たちも野性から離れていき、文明的な進化の道を歩むというのがこのネコの例かもしれませんね。