「責任」


引き受けて応えること

責任という日本語に該当する外国語を調べてみたところ、ラテン語系は総じてresponse に由来する言葉になっていた。英語もそうで、respons+ible つまり「応えることができる」という意味を持っている。ゲルマン系は「約束」という言葉をベースにしたものだった。これは応える対象にポイントを置いているのかもしれない。日本語は中国語と同じらしく、責は義務や職務、任は引き受けるという意味だそうだ。つまり義務や職務を引き受けるということを言い表している。それらのことからわたしは、責任というのはものごとを主体的に引き受けてなされるべきことがらを遂行し、約束に応えて優れた結果を出すということではないか、と考える。つまり既述の諸概念を統合しただけのものだが、それほど外れているようにも思えない。
アジアのほかの言語については勉強不足が否めないものの、責任にあたるインドネシア語を吟味してわたしは驚いた。tanggung jawab という言葉はtanggung 「引き受ける」とjawab 「応える」を組み合わせたもので、上のわたしの定義をここまで端的に言い表している単語はほかで目にすることがなかった。ほかの言葉はどれもその定義の一面を言っているだけでしかない。
 わたしの定義は国語辞典に記されているものとはちがう。ためしに大辞林を開いてみると「自分が引き受けて行なわなければならない任務、義務」と書かれており、それでは責任と義務が同義語になってしまう。実際、大勢のひとが「責任」と「義務」を明快に弁別しないまま世の中で使用しているため、経験論的には「ほとんど同義語に近い」と言えるにせよ、わたしの本能は奥深いところでそれを否定している。明快に弁別しないままそのふたつを使っている大勢のひとたちも同じようで、同じではないがよく似ているものと受け止めているようだ。「義務」は「権利」という対応語を持っているが、「責任」は対応する言葉を持っていない。「権利と義務」「自由と責任」という対を作って話をするひとが少なくないものの、意味論から見るならその後者の括弧は正しいカップルとは思えない。ともあれ、責任と義務はオーバーラップしている部分があるにせよ異なる概念なのだという理解をわたしは持ちたい。

 インドネシアの若いひとたちにtanggung jawab の説明を求めたことがある。「しなければならないことをきちんと成し遂げること」あるいはそれに類似した表現の答えを言ってくれるひとたちが多かったが、「それは義務の意味なのではないか?」と反論するとかれらは困惑した。「しなければならないこと」は「義務」という言葉の定義になっている。義務をきちんと成し遂げるというのであれば、それは「義務の完遂」という表現のほうが妥当であり責任という単語が使われる必然性はないように思える。「だったら、義務と責任はどう違うのか?」と追い討ちをかけると、かれらはますます混乱した。インドネシア人も日本人と同じで、責任と義務の弁別が困難なひとびとだったのだ。
 「無責任」とは行為の結果に対する思慮が欠けている状況を指して使われることが多い。それがヒントになった。行為の結果が示すクオリティに「責任」のほうが「義務」よりも深く関わっていると感じることのできる者は優れた人間にちがいない。責任が生み出す結果と義務が生み出す結果を比べてみると、義務はミニマムであり責任はマキシマムだという違いが感じられる。義務は権利とともに他者から与えられるものであり、一方責任はみずから主体的に引き受けるものだ。あるものごとが他人から押し付けられたなら、そこに責任という言葉を使ってはならない。それは義務なのだから。実態が義務であるものを責任と呼べばそこに二面性が出現する。責任と呼ばれるものは、本人が最高の結果を出そうと意図して主体的能動的に引き受けるものなのではないか?
 義務にも責任にもなされなければならないものごとが生じる。何が違っているかと言えば、そのなされなければならないものごとへの個々人の関わりあい方だろう。責任としてのそれは自律的内在的なものであり、自分自身・他者あるいは世間一般などその根源がだれであるにせよ自分がそれをなしてある結果を出すことに期待がかけられていると感じ、それに応えるために自分が主体的能動的に関わっていくことなのだ。ところが義務としてのそれは他律的外在的であり、何のためにそれをするのかという動機が百八十度異なっている。だからこそ義務が生む結果はミニマムであり、責任が生む結果はマキシマムだと言える。優れた結果を出そうとすれば、結果に対する配慮も必然的に強いものになる。本人の行動は意志によってより統合的・合目的的に統御される。責任感が強いと言われる人間はより優れたクオリティを結果に注ぎ込もうと努める人間であるにちがいない。
 「責任を与える」という表現がある。これはきっと、ある職務にひとを抜擢することを意味しているのではないだろうか。言うまでもなく抜擢された者は、主体的能動的にその職務を引き受けて抜擢した側が期待する結果を出すように努めるということなのだろう。腕を振るう場、自分を実現する場が与えられたことをよしとする意識がそこに漲るように責任を与えた側は期待しているはずだ。もし抜擢された者が受動的にそれに関わるなら、責任を与えたにも関わらずそれを受けた者は義務として受け取るわけで、その期待と実態のすれ違いはわれわれが往々にして職場で体験するものでもある。ましてや「責任を与えられ」た者がすぐに「自分の権限は何か?」と尋ねてくるのに辟易しているわたしの同志もきっとインドネシアに多々いらっしゃるにちがいない。


結果を求めない社会

 責任という概念がそれほどまでtanggung jawab という言葉の中に端的に表れているこのインドネシアで、ひとびとはあまりその言葉通りの行動を示していない、とお感じになる読者も少なくないのではあるまいか。確かにインドネシアの首都圏で生活し働いているわれわれの目に、ものごとを主体的に引き受けて期待されている結果を出そうと努めるインドネシア人の姿が映る機会は稀だと言ってよい。
 実際、わたしがこのテーマで会話したすべてのインドネシア人は、tanggung もjawab も言葉の意味は十二分に理解しており、tanggung jawab という連結語が英語のresponsibility、日本語の責任に当たることも知っている。だが「引き受けて応える」ことだというわたしの定義にうなずいてはくれても、実践は文化の中にある諸要因がそれをサポートしないかぎりその実現を期待するのは不可能に近い。
 社会の中で形成されている文化が社会構成員の価値観を構築し、その行動パターンにひとつの傾向を与える。会社の中で部下に職務要項を指示し、その仕事を主体的に自分のものとして引き受けてもらい、上司としてあるいは会社マネージメントとして期待する成果を出してもらいたいと希望して責任を与える。ところが会社のために成果をあげてくれるどころか、損害をもたらしてくれることがある。そんなとき、もっとよい成果を出してもらいたいと思って「責任を果たしてくれ」と言うと、かれらはその言葉をたいてい「その損害を弁償せよ」という意味に取る。そのすれ違いはどれほど口を酸っぱくして説明してもなかなか理解してもらえない。わたしはインドネシア文化の中に、ひとの行動が生み出す「結果」「成果」を重要視しないという価値観を感じるのである。

 政府から会社そして家庭の中にいたるまで、問題を討議し意見を述べ、そして解決策を引き出す、という行動を取ることはインドネシアでも決して劣っていない。全員がとは言えないにせよ、さしたる内容があるわけでもない意見を真摯に物怖じせず発表する姿に接するのはむしろ気持ちのよいものだ。そうしてその解決策の実践段階へと移る。日月を重ねている間、その実践がまだ進行しているはずとこちらは思っているのに、進捗管理や報告が行なわれることは稀であり、いつの間にかその進行が終わっていて、そしてその結果がどうなったのかをだれも問題にしない。そこに見られるのはものごとを行なうことを重視する文化であって、そんな文化においてはものごとが行なわれたならそれでよしとされるにちがいない。前回の「責任 引き受けて応えること」で見た内容に当てはめてみるなら、責任は結果に強く結びついているのに反して、結果への希求が弱いのは義務である場合だ。インドネシアのそんな現象を見ると、その意味での責任はきわめて影が薄く、そしてひとがなさなければならないものごとは総じて義務として受け止められていると言うことができるのではあるまいか。ひとの行為の結果は、責任として行われる場合はマキシマム、義務として行なわれる場合はミニマムだという定理をわれわれは既に見出している。世の中でわれわれがふだん目にしている、ものごとの結果が示しているレベルの低さはそんな因果関係で説明することも可能だろう。

 一般的インドネシア人の行動パターンをわたしが観測したかぎりでは、管理者は遂行者に対してしなければならないことをしたかどうかを尋ねはするが実現されるべき結果のできぐあいがどうであるかについて遂行者と話し合うことはあまりなく、やり方がどうであるかは本人まかせになっており、結果が不十分であってそれを行なった意味がほとんどないようなケースでもそれを問題にしてやり直させようとする管理者は数少ないように思える。やり方と結果のできぐあいの間に密接な関係があるものごとのほうが多いとわたしは思うのだが、結果を問題にし、さらにやり方まで検討の対象にして、結果のクオリティに心を砕くようなひとを、職場にせよ生活環境でにせよ、目にした記憶がない。面白いケースがある。植栽の水遣りの仕事を与えられた人間がいる。ところがかれが担当している植栽の一部が枯れた。乾季であり、明らかに水遣りが足りなかったのが原因だとしか思えない状況下でのことだ。かれの上司は尋ねた。「植栽が枯れてるじゃないか。おまえ、水を遣ったのか?」返事は「遣った」。その質問だといつのことを尋ねているのかまるでわからないし、返事も枯れたことに関連付けての回答かどうかはっきりしない。質問者は枯れたことの因果関係を問いただしているつもりなのだろうが、担当者は植栽が枯れたあとの昨日今日の水遣りを主張しているかもしれない。植栽が枯れる一週間ほど前に担当者がどんな仕事をしていたのか、それは担当者本人と植栽自身とそしてこの宇宙の創造主にしかわからない。なされるべきことがなされなかったのかもしれないし、なされたが水の量が不十分だったのかもしれない。
 植栽を枯らすために水遣りという仕事を与えるようなことはありえない。だとすれば植栽が枯れたという異常な状況がどうして起こったのか、どうすれば再発が防げるのか、そんなことを検討する必要があるため状況を具体的に検証しなければならない。しかし管理者と担当者の会話はそれだけで終わった。管理者は担当者に対し、植栽が枯れたということがらを追及する姿勢を微塵も見せなかった。

 何のためにそれを行っているのかという目的意識の欠如している人間にとっては、しなければならないことはすべて義務でしかなく、その行為から生み出される結果のクオリティレベルは低いものでしかない。目的意識が欠如しているということは結果に対する考えを持っていないということを意味している。遂行者にとっては行ったという事実が義務という心理的負債の完済とイコールであるにちがいない。インドネシアの文化が「行うこと」を重視する文化であるなら目的意識の欠如は当たり前のことであり、結果のクオリティから個々人のやり方までをとやかく言う人間はこの文化の中で異端者・非常識という目で見られることになるのではあるまいか?


制裁を引き受けること

 甲の運転する車と乙の運転する車が事故を起こしたとき、「どちらに責任があるのか」という表現が出現する。この場合の責任は、行為や結果から生じた損失についてだれに制裁を負わせるかという意味で用いられているようだ。つまりここでは、責任とは制裁を負うあるいは引き受けるという意味を持っている。この用法において、「責任を取る」「責任を取らせる」「責任を負う」「責任を追及する」「責任逃れ」「無限責任・有限責任」「製造責任」「管理責任」・・・・といった言葉が続々と登場する。インドネシア語でもtanggung jawab という言葉に同じニュアンスが持たされているのは、「責任:結果を求めない社会」でも書いたようにかれらが「その損害を弁償せよ」という意味に取っていることから明らかだ。
 これは義務を果たさなかったり満たさなかったりしたときに罰が与えられることとよく似ており、だから義務を怠ったので責任を取らせるという表現が出てきて結果的に「義務」と「責任」という言葉の明確な区別を難しくしている面があるようにわたしには思える。既に見てきたように責任というものは社会の中に存在している義務に対して個々人がどう関わるかという姿勢の問題ではないだろうか。社会通念として、ある立場に付随している義務がある。大臣としてなさなければならないことあるいは取らなければならない姿勢、つまり大臣としての義務、あるいは国民としての義務、総務課長としての義務、電話オペレータとしての義務、警察官としての義務、乗合バス運転手としての義務、町内会長としての義務、商店主としての義務、親としての義務、妻としての義務・・・・・
 世間は当然ながら、個々人がその義務を主体的に引き受けて世間の期待に応えてくれるようにと願っている。つまりは責任を果たすということだ。しかし人間というのは千差万別であり、中には義務を拒み免れようとする者もいないわけではない。社会はそのような人間に責任を取らせることを求めている。こうして世の中における責任の取り方取らせ方がひとつの文化を形成するようになる。
 盗みを働いた者に手を斬り落すという制裁を与えている文化がある。手や足は自分の意志実現のツールとして人格を持つ一個の人間が使っているものでしかないという考え方からすればその論理は的外れであるように見えるが、それは制裁でなく再発の予防だととらえるならその対応措置は理解しやすくなるかもしれない。しかしどうしたことか世間では一般的に、「手が悪事を働いたから手に制裁を加える」という復讐論法が人口に膾炙している。
 人間が集まってひとつの組織が形成された場でも、それとよく似た問題を見出すことができる。組織内個人が組織の名のもとに行った行為であっても、それが第三者に与えた損害に対して組織が責任を取らないことは日常茶飯事に起こっている。組織への帰属意識が緩い社会であれば組織と構成員間の相互所有意識は低く、結果的に構成員の罪は構成員のものという論理が常識化することになるようだ。これはひとつの線引きの問題であって、個人が徹底的に組織の中に抱え込まれる別の文化と比べて見るならそこにひとつのアンチテーゼを見出せるにちがいない。管理責任・指導責任といったことがらが重い価値を持つのは後者の文化においてであり、前者の文化ではそこまでの関わり合いを組織も構成員も求めていないように見える。

 社会的な責任の取り方のひとつに引責辞任というものがある。東アジアの諸国で公職者や民間組織の最高責任者などが折に触れて行っているその行動をインドネシアの知識人たちは憧れのまなざしで見つめている。東アジアでは比較的一般的な、そして欧米でも多々例のあるその行為は、社会と社会リーダーの間で展開されるインターアクションゲームだとわたしは思う。インドネシアにはそれがないと知識人たちは言うのだが、いったい何がちがっているのだろうか?スタラ学院創立者のベニー・スセティヨは「辞任文化」についてこう論評している。


辞任文化

 職責を果たすのに失敗したために高位の官職から辞任するという行為はまだわれわれの文化になっていない。われらが高官職者の辞書から姿を消してしまった恥の文化も同様で、世間は自分の履歴に墨を塗って忘れようとしないから辞任は恥辱だとかれらは思っている。辞任したら自分の公職生活は世間から失敗者としか見られないために恥辱になるのだとかれらは見ているのだ。日本では、高官職者や企業のトップは自分が間違っていたり間違ったことをしたと感じたら即座に辞任を決意する。そこに違いがある。かれらは世間に対して恥ずかしい思いを抱く。辞任は日本で共通観念になっており、恥辱ではない。イギリスの政界では、辞任は英雄的で男らしい行為であり、間違いを犯したり職務を遂行するのに失敗したことに対する恥ずかしさを表明する行為だと考えられている。自分の権力がどれほど大きく、あるいは政治的地位がどれほど強力であり、それに比してその失敗がどんなに小さかろうと、その慣習はそんなことを斟酌しない。アメリカでもオーストラリアでも同じような例はたくさんある。権力倫理の中でかれらは恥の感覚を強く持っている。
 われらが高官職者たちは多くのことがらにおいて、世間が考えているものは自分自身の内面にあるものと同じだと思っている。主観的でまた単純だ。見解は往々にして客観性に欠け、且つ的を射ない。かれが正しいと思うことは世間の大勢のひとびとが間違っていると感じ、またその逆もしかりなのである。職務遂行の失敗のために辞任することが本当に恥辱になるかどうかをためしてみようとする高官職者はあまりいない。引責辞任の習慣を政界に植え付けるのは不可能なのか、またどうして困難なのかという疑問が湧く。若返りや職責を果たすのによりふさわしい人間を選ぶといった効用のほうが、辞任は恥辱などという議論よりはるかに論理的な理由になるではないか。

 引責辞任がどうしてわれわれの文化を構成する要素にならないのかという問いに対するシンプルな答えは、ある高位の官職が何に由来しているのかについて立ち返ってみることで得られるにちがいない。高官職や高官職者は高貴な地位と見られている一方、その地位に不自然な方法で就任することが往々にして起こっていることをわれわれは知っている。ひとは建設的な目的に自分の頭脳やエネルギーを捧げたいとして高官職に就任するのでなく、わずかな頭脳やエネルギーで自分自身を建設したいがためにそうするのだ。その結果、高官職というポジションの中に自分や一族やグループを富ませる数え切れないポテンシャリティが秘められているために高官職者は辞任することをよしとしないのである。高官職は名誉や崇拝を受ける「聖なるもの」と世の中で見られている。高官職者は自分自身の力量に関して自分の普段ありのままの自分の姿に目をやることなく、権力追従の罠に落ちる。
 だれもが自分の能力を測ることなく高官職者になろうと競い合う。そうなるためにありとあらゆる手段が使われる。自分の良心、ましてや公序良俗に反していても、陰に隠れてこっそりと。高官職は力量でなく権力であると意味付けられている。力量至らないがゆえに辞任するという文化がそこに生じるのはむつかしい。なぜなら辞任は権力を捨てることであって力量の有無にかかわっていないからだ。高官職者は辞任を嫌い、自分の公職における汚辱に満ちたさまざまなできごとから大衆の記憶をそらせようとする。われわれが高官職者たちのしくじりに対して忘れっぽいこととそれは相関している。「責任ある」政治倫理は足踏みだ。すべての問題に対して責任を持とうとする意欲のあるリーダーの意識の次元に関わるべき倫理は、権力への次元があまりにも大きいために死産する。自分はその職責を果たせなかったということを認める騎士道的精神は生まれない。

 ファジャル誌にジャラルディン・ラフマッが書いたように、われわれは恥の意識を喪失してしまったがために偉大な民族になるのに失敗してしまった。日本は高度の恥文化を持っているために強固な民族となった。成文法などなくとも、恥意識は社会の倫理行動を統御する最大のモラル価値なのである。辞任と更迭はまるで正反対の文化だ。辞任は職責を果たせなかったことに対する自覚に能動的に関わっている面が強い。更迭はより上位の権力者が失敗の責任を部下に担わせるという面が強い。責任をなすりつけあい、最後には責任を無視する。責任を押し付ける側はもちろん、より強大な権力を持っている。そういうことだから、辞任も更迭も恥辱であるという理由などどこにもない。そのいずれも行き着くところは高官職者の首のすげかえだ。つまり、しくじりには交替が待ち構えているということなのだ。ところが、自分の職責に取って代わることのできるより良い人材がいるにちがいないという自覚をもって自分の至らなさを認めることがどうしていまだに困難なのだろう?わが民族は高官職者たちの優れたお手本を必要としているというのに。[ スタラ学院創立者、ベニー・スセティヨ ]


クーリー民族

 インドネシア共和国初代大統領スカルノ愛称ブンカルノは国民に対し、「わが民族は決してクーリー民族になってはならない」と頻繁に語って聞かせた。その言葉はいまだにインドネシア人が同朋に語って聞かせる警句になっている。クーリーはインドネシア語で「kuli 」と書き、自分の肉体を元手に(港や駅での荷役などを)働く者、と説明されているがもともとはインド語に由来しており、支配者であるイギリス人に仕えるhired servant に端を発して英語に取り込まれ、「coolie 」と綴られた。それが中国に入って「苦力」と記され、今ではめったに目にしないが日本語の中でも使われていた。
 クーリーとは賃雇い肉体労働者であり、金をもらって言われたことをするだけという職業だ。ふた昔ほど古い言い方をするなら、低賃金で酷使される肉体労働者なのである。貧困の中に生まれ、自分の生活を改善するべき教育を受ける機会もなく成長し、自分にあるのは肉体とそれが持つエネルギーだけであるためにそれを毎日安い報酬で切り売りしながら恵まれない一生を送ったのがクーリーという名の職業に就いた者たちだったと言えよう。
 クーリーはロボットのようにただただ言われたこと、つまりしなければならないこと、を行うだけであって、与えられた仕事を自分で工夫したり考えたりして「こうすればもっとよい結果が出る」などと提案をすることはない。雇う側はそのようなことをいっさい期待しておらず、また行う側も十二分にそれを承知している。命令者の意のままに「言われたこと」を黙々と遂行するのがクーリーの役目なのである。クーリーという役割の本質が持っている要素は義務だけであり、責任ではない。

 インドネシアの会社には必ずオフィスボーイがいる。いや、会社だけにかぎらず学校・病院・役所・警察・商店・・・・・人間が集まって活動をしているありとあらゆる場所にはまず例外なくオフィスボーイがいる。オフィスボーイというのはひとことで言えば雑用係で、組織が必要とする組織内人力サービスを提供するのがかれらだ。とはいえ、組織構成員に対する個人的サービスまでかれらは行う。これは一種の公私混同だが、インドネシア社会でそれが問題にされることはない。かれらはトイレ掃除から事務所の清掃、お茶汲み、切れた電球の取り替え、事務所備品や文房具の買い物、さらには組織構成員の昼食まで買い物に行く。ある役所では書類のタイプ打ちまでオフィスボーイにやらせているところがあった。雑用という言葉の捉えかたがひと様々であればふさわしいかどうかというきわめて感覚的な線引きがその限界を決めることになるにちがいない。このオフィスボーイというシステムはインドネシア社会の中で深く根付いている習慣であり、労働というものを担う人間とそうでない人間を分離するコンセプトに由来しているようにわたしには思える。インドネシア文化は労働というものに対してほかの文化とはコンセプトが異なっているようだという印象がわたしにはある。
 オフィスボーイというのは英語だ。ジャカルタではいまや概してこの言葉が広範に使われているが、昔使われていたのは「pesuruh 」あるいは「pembantu 」といった言葉だった。suruh は何かをせよと命じあるいは言いつけることを意味しており、pesuruh は命じられたことをする人間である。bantu は手伝うことであり、pembantu は手伝いをする人間を指している。pembantu rumah tangga というのは家庭で主婦あるいは主人のお手伝いをする人間だが、最近は会社や役所などでpembantu と言えば主となる人間の補佐をする者を指し、対応するオランダ語に由来するasisten という言葉を耳にすることも多い。pesuruh とpembantu は日本語に直せば内容的にかなりの隔たりを感じるが、わたしがインドネシアで見聞した組織内pembantu たちのマジョリティはむしろpesuruh に近いものだった。遂行することがらのレベルは違っているものの、どちらも「待ち」の姿勢が強い点に共通性が見られた。そのような点から、pesuruh にせよpembantu にせよ、自分で行為の結果を考慮しながら自ら行動するという原理に即したものでないことに読者はお気付きになるにちがいない。命令する立場の人間とそれを遂行する立場の人間という二極分化がそこに生じている。インドネシア文化、というよりこれはジャワ文化というべきかもしれないが、の中にあるその二極分化構造は「わたし命じるひと、あなた遂行するひと」という役割分担を引き起こし、遂行されることがらの結果は命じる側の問題とされる。遂行するひとは結果のクオリティに責任を負わない。一方結果のクオリティが劣悪であれば、命じたひとは遂行者をスケープゴートにできる構図がそこに用意されている。

 この二極分化構造は役職者と従業員というインドネシア語の中にずばり表されているようにわたしは感じる。インドネシア語では従業員を「pegawai 」と呼び、管理職を「pejabat 」と呼ぶ。gawai もjabat もジャワ語源の言葉で、gawai は労働や任務、jabat はある部門を管掌することを意味している。つまりpegawai は労働を担う者でありpejabat はpegawai に対して命令を与える者だ。どこの国へ行こうと現代社会ではその通りなのだが、このふたつのジャワ語源インドネシア語からはそのような機能面でのコンセプトよりむしろ、地位を意味付けるニュアンスが強く感じられる。それはかれらの日常行動を見ればよくわかる。

 プラムディヤ・アナンタ・トゥルがその著作「浜の娘」の中で主人公の口を借りて指摘したように、ジャワの伝統文化にある価値体系に従えば高貴な人間は労働をしない。労働をしなければしないほど高貴であると見なされる。自分は一切の労働をせず、命令を出し、そして遊んで暮らす。高貴な人間は労働を担う者がお仕えしてその雑用を果たす。果たされるべき雑用が多ければ多いほど大勢の人間がお仕えすることになる。こうしてその者の高貴さはいやましに高まっていく。これは世界の歴史の中で封建文化を体験したすべての民族が一度は手にしたシステムではないかと思われるが、ジャワの労働観はその名残をいまだに強く引きずっているようだ。
 管理職は偉いひとであるため、事務所の床に落ちているごみを自分で拾うことはしない。従業員たちはプガワイだがオフィスボーイよりは地位が高い。ごみを拾ったり床を掃除するといったクーリー労働はオフィスボーイの仕事なのだ。事務所内でレイアウト変更を行うときには非能率が頂点に達する。数十人いる従業員のデスク配置を変えようとしているのに、オフィスボーイは十人もいない。オフィスボーイたちはあっちへうろうろ、こっちへうろうろ、と休みなく動いているのだが、何時間たっても新しい配置が見えてこない。労働はそれを担う者が行うことがらであり、しかも労働の種別で事細かに細分されてそれぞれに主管者がいるため、そのような社会構造に秩序の乱れを引き起こさないよう命令する側は配慮しなければならないにちがいない。偉い人はみずから企画を立てるがそれを働く者に命じるだけであり、自分が動いてはならないのだ。仕事の結果は自分だけのものではないのである。ほかの人間との共同性を原理に持つ社会のオリエンテーションは個人を完結した自己として成り立たせない方向に向かう。クオリティの高い結果を求めてものごとを能動的に引き受けようとする姿勢が自己完結性の欠如から生まれるのはむつかしい気がわたしにはする。


自立社会の果実

 会社が採用したひとたちの中に、責任感の強い者と弱い者がある。世界中どこの国へ行こうがそれは同じだろうが、わたしはインドネシアについて書いていることをお断りしておこう。責任感の弱い、つまり責任の持てないひとも決して頭が悪いわけではなく、同じように意見を表明し、アイデアをひらめかせることもある。責任の持てるひとと持てないひとの差は思考レンジの長短に表れているような気がする。つまり責任の持てるひとはそうでないひとよりも先までものごとを読んでいるという点に表れているようだ。どうしてか?
 責任はものごとを能動的に自分の問題として引き受ける姿勢がもたらすものであり、もうひとつの意味である制裁を引き受ける面についても同じことが言える。因果関係が正当であるかぎり、責任感の強いひとが制裁を逃れようと悪あがきをする例をあまり目にしない。引き受けて自分の内面に位置付けるか、それとも永遠に自分の外側に置いて強制力が働いているから仕方なく義務としてそれを行うだけなのか、その違いが責任感の強弱を生んでいるように思われる。その差はいったいどこから来るのだろうか?責任感の強いひとは自立心が旺盛で、反対に弱いひとは自立心が少なくつまり依存心が旺盛なのではないかという仮説をわたしは抱いている。ものごとを取捨選択する中であるものごとを自分のものとして引き受ける姿勢を持つには主体的能動的に自分を律する能力が必要だ。自律は自立の必須条件ではあるまいか。
 そのような能力は言うまでもなく本人の意志しだいではあるものの、幼いころからその個人を育んできた環境がそこに強い影響を与えているのは言うまでもない。社会が個々の人間の従うべき価値観を教育して個人個人を形成させ、その社会が持っている価値観を植え付けられた人間が成長してからまた社会を形作って行く。それがその社会の持つ文化というものであり、文化の骨組みをなしている価値観が、時と場という限定が付随するにせよ、人間のビヘイビヤにひとつの傾向を与える。個々の人間が持つ善悪観をはじめとする価値観は幼少期から植え付けられたものであるため、成長してからそれを自分の意志で問い直し、より優れた理念を取り込んで自分が信じてきた価値観に変革を加えるようなことをすべてのひとができるとは思えない。時と場の変化に応じて自分を適応させることはたいていのひとが行っているにせよ、その程度問題に関してやはり自律他律の問題が顔を出す。

 社会が持つ価値観を子供に教え込んで行くことが社会構成員としての人間を育てることであり、社会にあるメインストリームの中で家族親族が持つ価値観のバリエーションがその子供に反映されることになる。自立心を持つよう教育された子供とそうでない子供の間でこの問題に関する能力の違いが出るのは当然だ。だが社会のメインストリームがどちらを向いているのか、それによって家族親族が持つ教育方針のオリエンテーションも異なるものになる。インドネシア文化のメインストリームははたしてどちら向きなのだろうか?
 インドネシア人のビヘイビヤを見ると、自立性は低く依存性が高いように思える。どうやら自立はインドネシア社会であまり高い価値が置かれていないようだ。自立という言葉を知らないわけではない。スカルノ時代にはberdikari = berdiri di atas kaki sendiri という標語が使われ、「自分の足で立つ」ということに社会的価値を置こうとする運動が出現したがそれは社会の原理が依存性に置かれていたことの反証明にほかならない。スハルト時代後半からはmandiri という言葉が盛んに使われるようになった。今ではその言葉がインドネシア最大の銀行の名前につけられている。しかし社会のすみずみまでありとあらゆる局面で人間のビヘイビヤを支配している社会原理が掛け声だけでそう簡単に変わるわけがない。インドネシア人がマンディリという言葉を使う場合たいていは経済的自立を意図しており、人格の自立はまだそこに含まれていないように感じられる。人格の自立は成熟した人間の間の対等性を要求するため年齢・性別・職業・地位などに影響されない本質的に同格の人間関係を生むことになるのだが、インドネシア社会の対人関係は異なる姿を映し出している。
 社会というのは共同生活を営んでいる人間の集団を指し、その構成員の間には仲間あるいは同類の意識が介在しているもので、言いかえればその構成員の間に共通に存在する何らかの要素を互いに認識し合ってお互いを仲間あるいは同類と見なす集団が社会と呼ばれている。古来、人間は血縁・地縁をキーとして自分の所属する社会を規定してきた。自分が所属する社会の外は弱肉強食のジャングルであり、社会に属すことで社会はその構成員に保護を与えてきた。その社会が人類史の流れの中で地縁・血縁から種族、職業、階層、人種、文化、民族、国家、宗教、人類というようなコンセプトスケールの拡大を進めたがために、社会の外のジャングルは縮小の一途をたどった。人類文明が実現させた観念の進歩のひとつがそれであるにちがいない。しかし観念がどうあれ、人間が共同体を営んで毎日暮らしているその社会の構造原理はこの地球上でさまざまに異なっている。

 インドネシアのひとびとは家族に最大の価値を置く。インドネシアの家族は毎日共同生活を営んでいる血族がセンターをなすものの、めったに合わない遠い親戚までそのファミリーの中に含めて特別扱いする。インドネシアには「兄弟は他人のはじまり」という言葉も観念もないようだ。老齢に達しても兄弟姉妹が連絡を取り合い、行き来しあい、助け合う。血縁関係にないひとを家族扱いするというのは、インドネシアの社会生活において大きい美風と位置付けられている。構成員のひとりが外の世界と対立したときファミリーは理非を問わないでその者を支援するのが当たり前であり、反社会的な行為を大勢がバックアップするということも起こりうる。ファミリー構成員の欠点や不始末あるいはほかの構成員への迷惑などネガティブな要素はあまり厳しく糾弾されないで、互いに赦しあうことを優先する。家族主義社会で家族の縁が切られるというのはライオンの檻の中に投げ込まれるようなものであり、たいへん重大な意味をもたらすために非難の対象となる。だからこそファミリーの中では構成員間の決定的決裂を回避しようという強い意志が働き、パーミッシブな風土が醸成されて行く。

 インドネシアで結婚は夫と妻という個人同士の間で行われるものでなく、ふたりはそれぞれのファミリーを代表する人間として結婚し、同時にそれぞれのファミリーが縁を結んで親族に加わる。家族の構成員は赤児・少年少女・青年・夫妻・父母・祖父母と立場が変化していっても、常に自分が育ってきたその家族を現役で構成している。一生涯を家族という社会の中で送るこのあり方には巣立ちということがらが存在せず、自立を個々人に求めるモメンタムが欠如している。

 家族に最大の価値が置かれているインドネシアでは会社よりも家族のほうが優先される。夜中に子供が突然熱を出せば、翌朝の重要な会議はすっぽかされて子供を医者へ連れて行くことが最優先事項となる。妻子の待つ家庭には仕事が終わればすぐに帰るのが当然の姿勢であり、残業は家族への背信というネガテイブな負担が夫の肩に乗る。妻子は夫父が自分たちを愛することを期待し、その証明を要求する。土日の家庭サービスは夫が社会的価値を遵守していることを証明する重大な機会であり、自分の存在のすべてを妻子に提供してかれらに幸福を感じさせることが家族至上主義者の義務となる。
 社会の内と外は無条件で保護が与えられるかどうかの境界であり、敵味方という対立区分がそこに生じる。味方になってくれる内なる世界は血縁関係にある家族とオーバーラップしているため、この社会の中では愛情関係が人間関係のベースとなる。家族主義社会という広がりの比較的限定されたスペースを満たす愛情が無条件で境界の外へ流れ出ることはあまりなく、いきおい社会内での人間関係は情愛の濃いものとなる。つまり家族主義社会というものは保護と愛情をベースにした共同体であると言える。そこにある親子・夫婦・兄弟姉妹といった人間関係では、母親は子供に対して親の役割を演じるが自分の父親に対しては娘の役割を演じるというような複合的関係が存在し、年々年齢が上昇してもその関係の形は維持される。45歳の母親は65歳の祖父にとっていつまでも娘であり、その母親の25歳の息子はたとえ既に一家をなしていても母親にとっては子供でしかない。家族主義社会の中にあるのは、その役割に応じて自分はだれの命令に従いまた自分の命令にはだれが従うのかという人間関係だ。基本的にそれは固定されていて社会秩序を支える規範となっている。子は親に従い、弟妹は兄姉に従い、男尊女卑の家父長原理によって妻は夫に従うのが社会が守っている美徳なのだ。人間関係の中にある服従原理は従の者が主の者、つまり愛情と庇護を受けるクライアントがパトロンを世話するという要素をも含んでいる。だから人間関係はすべからくパトロン・クライアント関係となり、常にどちらが上でどちらが下かを認識しなければ人間関係がぎこちなくなってしまうということが起こる。このような構図の中に人間の対等関係は生じない。対等でない愛情関係とは依存関係にほかならない。保護ユニットである家族社会の維持存続を図ろうとするなら、構成員には依存心を持たせて自立を抑制することがその論理に叶う。
 子は親孝行をしなければ社会から後ろ指を差されるという負債を心に持つ。だから自分の父母に対して服従者となる。たとえ40歳になろうと50歳になろうと、親がしろと言ったことには従わなければならない。アメリカのレストランに厨房の下働きの職を得て数年間単身で出稼ぎに出た40代前の男がいる。家族はジャカルタに置いてアメリカで働き、無駄使いをせず余らせた金をジャカルタに仕送りしていた。数年たち、インドネシアの経済レベルではかなりと言える貯蓄額になったころ、銀行預金通帳を預かっていた高校生の娘が覚せい剤に手を出して貯蓄を使い果たしてしまっていたことが明るみに出た。かれの母親はその40代前の自分の息子にアメリカでの仕事を捨てて帰国するよう命じた。明らかに経済観念に欠けている母親の命令に息子は諾々と従い、収入の道もアメリカに家族を呼び寄せて一緒に暮らすという可能性もすべてを棒に振って帰国してきた。いまかれは極貧の生活をしており、母親も貧しい日々を送っている。

 家族というユニットの内と外の境界は、他の文化では内を私と位置付けてその外を公の世界が取巻いているという見方を取る。境界の外にあるフォーマルな世界を世の中あるいは社会と呼び、私の世界を踏まえながらひとりの人物として世に立つことが人間の完成度・成熟度の指標と見なされるようなものの見方がそこにあったように思う。そんなフォーマルの場で私の世界にいるように振舞えば、小児性向の持ち主として人格的劣者の烙印が押されてもしかたのない価値観がそこに形成されていたのではあるまいか。ところが家族主義社会に住むインドネシア人にとって境界の外は弱肉強食のジャングルであるため、その家族親族血縁の世界がかれらにとっての主たる世の中であるというコンセプトになっているように思われる。言うまでもなくインドネシアでもファミリーの中でだけ生きて行けるものではないためかれらも境界の外へ出ていくが、出て行った先を擬似ファミリーに変えていくということが行われている。会社でも役所でも軍隊でも、ひとの所属する組織や集団は常に家族にたとえられ、組織を挙げて何かをするときにはKeluarga Besar xxxの語がすぐに飛び出して来るし、組織内の日常活動でも一切のことがらが家族的に遂行され処理されるのを理想としている。上長は家長になぞらえてバパ(Bapak)と呼ばれ、部下は子供に擬せられてアナッアナッ(anak-anak)と呼ばれる。これは拡大家族主義コンセプトであり、血縁を超えた人間の共同体をあたかも血縁であるかのごとく擬するという方法によって血縁家族主義の限界を超越しようとしているかのようだ。そもそも人の名前の前に付けられる敬称に家族の中の関係を示す語がそのまま使われているという社会習慣そのものが、血縁関係のない他人の中に入ってもまるで家族の中にいるような環境を用意してくれているためにひとは同じメンタリテイのまま境界の外で活動を営むことができる。外国人の目から見ると、インドネシア人のビヘイビアは公私が弁別されておらずすべからく私が優先され、公観念は曖昧模糊としているように目に映る。つまり公私混同が当たり前の世界になっているという印象が強い。境界の外がフォーマルの場になっていないインドネシアでこの地のひとびとはフォーマルをインフォーマルの延長線上に置こうとし、フォーマルとインフォーマルの間に一線を画すことを人間性の問題として拒否する。これも家族主義社会原理が生んでいるひとつの現象であり、その原理に育まれてきたこの地のひとびとの性格の一部であるとわたしは思うが、このテーマは本題からそれるので別の機会に譲りたい。

 さて情愛の濃い家族関係の中で、愛情はどのような形を取っているのだろうか?ホットな情愛を強く感じさせるものがこの社会では賞賛されている。つらい、苦しい、きびしい、冷たい、などといったものはネガティブなことがらであり、大事にし、優しくし、世話をしてあげるという形が優れていると見なされているようだ。赤児とほかの者との関係を思い出せばよい。赤児は自分で何もできないから周囲の人間が世話してあげる。赤児は依存性のかたまりなのである。赤児に対するときのような、愛情に動機付けられた働きかけの形が、インドネシアではもっとも優れたもてなしの形とされているように思える。大切な相手にはそのひとに可能なかぎり何もさせないでもてなす側がお世話してあげようという形がそれだ。そのように振舞うことをインドネシア語では「memanjakan (マンジャにする)」と表現する。マンジャとは甘えや溺愛を意味しており、マンジャにするとは甘やかすの意味だ。つまりインドネシアでは、ほかの人間を甘やかすような愛情の示し方に優れた社会的価値が置かれていると言うことのようだ。だから赤児の時期を過ぎて自分のことは自分でする習慣をつけさせる年齢に差し掛かっても、インドネシアの子供の多くはマンジャをいつまでもたっぷりと身に浴び、過保護の中で成長していく。子供たちは自立を知らず、自分の世話をしてくれる周囲の人間に寄りかかり、成長するにつれて相互に依存し合う形を日常のものとするようになる。甘えとは依存心の別名ではなかったろうか。
 自分の力でできることを他人にしてもらうということが習慣化すると、ひとは自分の力に対する信頼をゆるがせ、ひとりでものごとに直面することに不安が生じ、他人に頼ろうという気持ちが強まって依存性へのサイクルに落込んで行く。主体性を持たせられないで成長した人間は自分でものごとを決断することに大きな不安を感じ、他人に決めてもらおうとする傾向を強く持つ。
家族主義社会の中でよらしむべき対象にされているのは女と子供だ。子供は少年〜青年と成長していっても、親や上長の指示をもらってその通り実践する者にanak manis という社会的な賛辞が与えられ、その一方で、他人の言うことを聞かずに指示や命令に逆らってでも自分のやりたいことを行う者にはanak nakal という非難が投げつけられる。家族主義社会の秩序維持を目的とする社会的価値観から引き出されてくるのがそれらの評価だ。指示を与えられれば熱心にスマートにそれを行うanak manis 型社員に向かって「自分で考えて行え」と突き放してやると仕事の成果が上がらなくなり、anak nakal 上がりの社員に「自分で考えて行え」とやれば経過報告など一切ないまま宇宙の果てまで突っ走ってしまうということも起こる。

 インドネシア女性の多くは上で見てきた家族主義社会の中で強い依存性を持たされて成長しているため、限られた人間に対して濃い情愛を向けること、自分が依存する相手つまり自分を支えてくれる(であろう)人間に媚びたり魅了しようとすること(愛情を求める人間はだれでもそうしようとする欲求を持っている)、社会秩序の中で自分が世話するべきとされている人間に仕えまたその相手に対してマンジャ的にそれを努めること、など見方を変えれば鐘太鼓で探したくなるような性質を持っているのも事実である。ただしそれだけが結婚生活のすべてではないから、若い男性読者諸君はこの一文に目をくらまされないように気をつけていただきたい。

 甘やかしを対人関係における価値の中心に据えたこの文化においては、他人に愛情を降り注ぐのが社会で優れたことと位置付けられ、しかも降り注ぐ相手をマンジャにすることがその愛情の至高の表現形態であるとされている。だからいくばくかの自立心を植え付けられて育ってきた異文化人の中に自分でできることを他人がしてくれたときの困惑に満ちたアンビバレンツに苦悩する者が出るのも無理はない。インドネシアでは、マンジャにされればそれを受けて「ありがとう」を言うのが礼儀作法なのであり、相手の愛情を享受することで相手が自分に向けてくる好意を味わい且つ又それに感謝するという良好な人間関係発現の場に参画することなのだ。ラフな言い方をすれば、相手が善行を行うのに協力しているわけである。だから、「いえ、自分でできるから自分でします。」とマンジャを拒否する態度を示せば相手が与えようとしている愛情を否定することにつながる。そのような拒否の姿勢を前にして、ひとりよがり、独善的、社会性欠如、傲慢、他人との愛情交換のない干からびた人間性、といった批判が脳裏をよぎるインドネシア人もきっと存在するとわたしは思う。拒むほうはまるで異なった要因によってそうしているのだが、この価値観のすれ違った異文化交流は容易に相互理解に達するようなものではないにちがいない。そんな拒否に対して「ひとの親切は受けるものだ」という常套句が口にされる。マンジャ文化における社会倫理の真髄はそうなのだろうが、セルフコントロールを惜し気もなく捨て去ってマンジャの悦楽にのめりこんでいける異文化人ばかりとも思えない。
 このマンジャ文化原理が奇妙な「もてなし」というかサービスを出現させている事実にお気付きのひともいらっしゃるにちがいない。空港やレストランでトイレに入ると、手を洗ったあとトイレ番がティシューやトイペの切れ端を差し出してくることがある。それで手を拭いてくださいということなのだ。路端に停車して客待ちをしているアンコッに乗ろうと老婦人がやってくると、周辺にいた若い衆が行き先を尋ねて老婦人の乗るべきアンコッまで案内してあげる。「自分でできるけれど、お世話してくれてありがとう」の世界がそれなのである。感謝する側はそのありがとうを形に示すためにチップをあげる。そのいずれもがインドネシア社会の中に成立している善行の形式なのだ。ところが、それが嵩じておためごかしの見え透いた親切を示してチップをもらったり金をねだろうとする行為があとを絶たない。スカルノハッタ空港でそのような現象を目の当たりにしたことがあるひとも少なくないのではないだろうか。マンジャを受けるのが美風という文化に自立の根付く場所がはたしてあるのかどうか、それに悲観的になるのはわたしばかりではあるまい。