「あいさつ〜インドネシア文化考」



ダ〜〜
     仲良く夕方まで遊んでいた子供たちがバイバイと手を振りながらそれぞれの家路をたどっていくという別れの習慣はいつごろ日本に定着したのだろうか。いや、女子供はそのような振る舞いをしても、大の男はそんなしぐさをしないものだという通念がかつてはあったように思うのだが、いまはどうなっているのだろうか?(誤解を避けるために一言: 旧社会には人間の成熟という価値観があり、大人の男性に対する評価基準をなしていた。大の男はおとなの世界に住み、少年たちはその世界の一員として受け入れてもらえるよう切磋琢磨した。子供は男女とも、女性は老若を問わず、その評価基準は基本的に適用されなかった。これはその旧社会が築き上げた文化の一項目であり、さまざまな人間観や社会的価値観がそこから枝葉を伸ばしている。平等原理から見ればそのようなあり方は差別であるとも言えるが、人間的に成熟した優れた者と成熟していない劣った者との間の競争・勝敗そしてその結果としての差別待遇は社会の質的向上を推し進めるのに一役買ったし、劣者として育てられた女子供をその土俵に乗せないという保護待遇は別の意味での平等であったとも言える。戦闘行動あるいは暴力行為が日常的であった時代に女が劣者として育てられるのは必然性のなせるわざで、単純にジェンダー差別を叫んで否定すればよいというものでもあるまい。ともあれ、人間は現実に成熟度が異なり、内面的な深さや奥行きが異なっている。高い成熟度を持つ人間的に優れた女性がたくさんいることもわたしは知っている。外見的に同じ人間の姿をしているからどの人間も同じだという平等主義には、だから疑問を感じる。)

     同じようなことがインドネシアにもある。女子供たちの間で別れのあいさつに「ダ〜〜」と言いながら手を振るということが行なわれていた。ところがほんの十数年前ごろまでは「ダ〜〜」が一般的だったのに、ここ十数年の間にそれが「バイバイ」に取って替わられつつある。「ダ〜〜」はインドネシア語で書けばdaagとなる。語源はオランダ語で正式綴りはdagだ。別れのときに使われる挨拶言葉としてインドネシア語化してしまい、しかも別れのシチュエーション下に使われるものだからダ〜〜と長く母音を伸ばすのが通例であるため上のように綴られているようだが、そのような綴りの言葉はオランダ語の中に見当たらない。おまけにインドネシア人はそれを朝でも夜中でも使っている。
     おもしろいことに、この別れの挨拶表現が大人同士の間で用いられているのをインドネシアで目にしたことがない。だからこれは日本でもインドネシアでも、女子供がファッションとして取り入れた非アジア的ビヘイビヤではないか、という気がわたしにはする。昔のインドネシア語教本では「Selamat jalan!」「Selamat tinggal!」を別れの挨拶と教えていたが、インドネシアに来てみればそんな表現は長の旅路に立つひととの別れにしか使われておらず、たいていの場合、日常的な別れの挨拶は出会いの挨拶と同じものが使われている。わたしはかつてオフィスから外出するスタッフには「Selamat jalan!」と声をかけ、残業するスタッフがまだいるのに先に帰宅する場合は「Selamat tinggal!」とかれらに声をかけていた。みんなは「道中ご無事で」「居残りごくろうさん」という意味に取ってくれていたようで、奇妙な別れの挨拶を言ういかがわしい日本人という目で見られなかったのは幸いだった。

     さて、女子供の別れの挨拶言葉がオランダ語の「ダ〜〜」から英語の「バイバイ」に変化してきたことは上で触れた。これまで英語が占めていたリンガフランカの座をグローバリゼーションの波がますます強化している昨今の流れとこれは歩を一つにするものだろう。おまけにバイバイの後には別の言葉まで添えられるようになってきたため、昔は赤ちゃんまでもが参加していたお別れシーンでの「ダ〜〜」は失われ、替わっていまは「キスバイ」と呼ばれている投げキスを親たちが赤ちゃんにさせている。インドネシアにおける女子供のお別れシーンはいまや「ダ〜〜」から「バイバイ、テンキュー、ヤ〜」に変化したのである。


テンキュー
     「バイバイ、テンキュー、ヤ〜」をインドネシア語で書くと「Bai-bai, tengkyu, ya!」となる。これは「Bye-bye. Thank you!」という英語のインドネシア語化である。インドネシア人の耳と舌にかかると英語のサンキューはテンキューとなるのだ。おまけにインドネシア語の接尾辞「ヤー」までが添えられて完璧にインドネシア語にされている。
     さて、ローカルなオランダ語「ダ〜〜」がインターナショナルな英語の「バイバイ」に取って変わられつつあるということだが、ちょっと待って欲しい。それらはいずれも外来語ではないか。民族主義礼賛者ではないわたしでさえ、ユニークな地元文化があるのにこうまでして・・・・という思いに襲われる。ましてやトゥリマカシ(terima kasih)という日常語があるというのにどうしてテンキューまでが外来語で言われなければならないのだろう。

     挨拶というのは、世界各国文化の中で人間社会が培ってきた対人関係パターンに則して行なわれ、人間関係を円滑にさせる働きを持つものだ。簡単に言ってしまえば、別の人間との間に感情的一体感を醸成する働きを果たしている。それが人間共同体社会の中でエンパシーを生み出すことからいずこの文化でも挨拶の励行が奨められている。インドネシアのように対人関係の基本が水平方向でなく上下関係をメインとする垂直方向原理で動いている文化では個々人がそのポジションと相手との位置関係に応じて挨拶を使い分け、それを実行することで社会の中での互いの位置関係を相互に確認するという機能をも果たしている。この挨拶という言葉のインドネシア語にわたしはミステリーを見出した。
     挨拶というのは上述のような機能と効果を得るために共同体社会の中で行なわれるさまざまな言葉やしぐさの交換を指している。ところがインドネシア語における挨拶という語は「salam」という中東系の渡来語が借用されているのである。もちろん、挨拶の言葉を言うこと、握手すること、抱擁すること、などという挨拶の個々のしぐさを指す言葉は自前の言葉で存在しているが、それら全体を包括する抽象概念としての挨拶には自前の言葉がなかったということをそれは意味しているのではあるまいか。つまり中東系の文化がムラユの地に到来してはじめてこの概念が誕生したということであるように思える。辞書の中には「salam」という語に加えて「tabik, tabek」も記されているが、「tabik, tabek」はミナンカバウ語であってムラユ語でもジャワ語でもない。ムラユ文化の中に存在している、対人関係を彩るユニークな価値観をこの事実ひとつから感じ取るのはオーバーアクションだとあなたは思うだろうか?

     ところで、テンキューにせよトゥリマカシにせよ、インドネシア人は感謝の言葉をあまり口にしないという話がある。特に多くの外国人はインドネシア人サービス業就業者が客に対して「トゥリマカシ」を言わないと批判している。それはいったいどうしてなのだろうか?


トゥリマカシ
     メルボルン大学で長い間教鞭を取っていたアリエル・ヘルヤント教授は、自分が成人するまで自分の周辺にいるひとびとは親密な者同士の間で「トゥリマカシ」を言わないのが当たり前と思っていた、と述懐する。教授は純粋なインドネシア生まれのインドネシア人だ。インドネシアに住むほとんどの外国人はその暮らしの中で利用するサービスレベルの低さに憤懣をもらしているし、店員や係員がトゥリマカシを言わないことはいつも問題点のトップグループに置かれている。タイでは四半世紀前ツーリズム振興を目的に、バス乗務員がバス乗客に対してタイ語でありがとうを言う習慣をつけさせるために政府が一大キャンペーンを展開した。どうやらインドネシアにも同じような根が横たわっているようなのだが、政府が国民の生活習慣を変えるために全国的な精神変革キャンペーンを行なって成功させたという歴史はインドネシアに見当たらない。政府は国民に教育を与えて現代化させようという考えを持っていない、と多くのインドネシア人知識層が語るのもそんな事実に結びついている。

     アリエル・ヘルヤント教授の両親はロワーミドル階層の出身で、仲睦まじさでは人後に落ちないとかれ自身語っているような間柄であるとはいえ、そのふたりの間でも確かに「トゥリマカシ」の言葉が口から出たことはなかったそうだ。そのように親しい関係の大人同士の間でトゥリマカシを言わないという事実を教授は外国人学者の指摘を読んではじめて覚った。その外国人学者は、インドネシア人がトゥリマカシを言うのは三つのシチュエーションで三つの相手に対する場合に限られていると記している。
1)祈りの中で神(TuhanやDewa)に向けられるもの
2)公的スピーチの中で抽象的集団として把握された一般大衆に対して
3)高位官職者や畏敬すべき相手に宛てられた公的文書の中で
アリエル教授はそれに加えてもうひとつ、インドネシア人がトゥリマカシを言うシチュエーションを書き足した。それは自分の身近にいる人間が自分の希望や威厳を傷つけたとき、その不満や怒りをソフィスティケートに示す場合だそうだ。つまり「よくもあんなことをしてくれて、ありがとうござんしたね。」と言うようなケースなのだろう。
     やはりメルボルンに長く住んでいるインドネシア生まれのかれの友人も、故郷に帰ってみんなと話していると大勢が「生まれはどこだ?」と尋ねるのに閉口した、と洩らしている。きっとサンキューを頻繁に口にするオーストラリア人の習慣に染まってトゥリマカシを連発するようになったかれが背負わなければならないカルチャーショックがそれだろう、とアリエル氏は評している。

     インドネシア人は自分の文化の中で、他人が自分に何かをしてくれても感謝の言葉を口にしない。それはそのような文化だからだ。では、インドネシア文化の中にある対人関係はどのような原理を基盤に据えているのだろうか。


ダプル・スムル・カスル
     インドネシアにある対人関係原理は、対等な人間同士のつながりという水平方向への拡張性よりも上下関係が層をなす垂直方向の階層構造を主体にしている。社会を構成する個々人は性別・年齢・血縁・地縁・貧富・職業・家庭内のポジション・共同体内のポジションなどといったさまざまな要素を持ち、その個々の分野で垂直方向のポジションのどこかに位置付けられる。自分はだれより上のポジションでだれより下のポジションか、自分と同じポジションはだれなのか。そのような要素が対人関係の中での自分のビヘイビヤを決める。自分が取るべきビヘイビヤを決めるのは社会だ。個々人は相手に対して自分の望む形で接するのでなく、その社会通念が定めた役割を自分が演じるという形で相手に接することになる。このようなありかたは世界の歴史の中で、ほとんどあらゆる封建社会で行なわれてきたことであり、インドネシアに限ったものではない。

     ひとはそのポジションに付与された社会通念に則して振舞う。親は子に対して、子は親に対して、どう振舞わなければならないのか。どんなことをしたら世間は何と言うだろうか。親の絶対支配権の下に置かれる子供は親の言い付けに服従しなければならない。親に反抗する子供は「親不孝者」の烙印を社会が押し、その者を社会的賎民と位置付けて処遇する。だからそんな烙印を押されることを恐れる貧困家庭のローティーン少女たちが親の言いつけに従って売春の世界に入って行く。インドネシアの子供たちのマジョリティは反抗期を経ないまま成人し、三十代四十代の年齢に達して一家を構えていながらも、年老いた親の言うがままに自分の人生の道程を選択している。夫と妻の間における自分の役割は何なのか、会社の先輩後輩の間では、同僚関係でも男と女では・・・・・・。社会の中で築き上げられた社会通念が社会構成員に教え込まれ、しつけられる。ひとびとはその原理に従って行動し、そしてその原理を自分の子供に教育し躾ける。自分と相手との感情的なつながりによって行動がコントロールされる部分はあまりなく、その自由度も狭い。
     そんな社会通念の中に、たとえば妻は夫に三つのurを奉仕せよというものがある。dapur(台所)sumur(井戸)kasur(マットレス)がそれで、つまり妻としての役割は夫に食事を与え、夫の衣服を洗濯し、ベッドで夫の相手を務めることであり、その義務を果たせば妻は社会的に良妻と認められることになる。だから結婚した女は夫がどのような人間であれ、社会が命じた役割を果たすことが自分の優先課題となり、自分が奉仕する相手に対して自分が抱く感情がどうなのかということがらの重要度は低くなる。つまり妻が抱く感情的な一体感や好意あるいは愛情はその奉仕が行なわれるためのメインの駆動力になっているのではないということをそれは意味している。もちろんエンパシーを強く抱いてそれらの奉仕に嬉々として身を入れる妻もあるだろうが、いつも笑顔を絶やさずそれらの奉仕を行なっている妻の本心には夫への好意など微塵もなかったというケースもあるだろう。
     そのようなメカニズムの中で、奉仕を受ける人間は自分に奉仕してくれる人間にはたして感謝の念を抱くだろうか?


ポジティブ感情不在社会
     夫婦生活においてさえそれだ。現代日本に育った青年男女にとっては想像を絶する夫婦関係かもしれないものの、日本の歴史をたどっていけばどこかでそのような構図に行き当たるはずだ。これも歴史の中で大半の国々がたどってきた道程だとわたしは思う。
     すべての人間が上下関係の中で振り分けられた「だれがだれに奉仕し、だれがだれの奉仕を受ける」という役割は決して一方向でのみ存在しているのでなく、上から下への庇護もその裏側に置かれている。これはつまり双務的なパトロン=クライアント関係の中の片割れなのだ。このような社会的役割に即して動いている社会は一種のポジティブ感情不在社会であるとも言える。ひとはネガティブな評価を受けないように努めるがゆえにマイナス座標にさえいなければと考えてゼロラインにしがみつく。最大限の成果を出すことの歓びはそこになく、自分に与えられたジョブディスクリプションに従って行動するという義務を果たしているにすぎない。社会が構成員にその役割に応じた行動を義務付け、構成員は義務を果たすことで自分の存在価値が全うされると考える。義務感は行動の結果にミニマムレベルの成果しかもたらさない。人間の主体性から生まれる責任感だけが結果をマキシマムにしようとするのである。

     ともあれ、そのような役割行動による奉仕で働きかけられる側の人間は、相手がしてくれることを単にその者が自分の役割を果たしているだけだとしか思わない。かれは自分が夫だから、男だから、父親だから、ジェネラルマネージャーだから、役所の局長だから、他の人間がそのような役割行動を取るのだという感覚を持つだけだ。気持ちのつながりや、愛情や、好意や、連帯感といった感情を相手が選択的に抱き、そのために自分に何かをしてくれるという決断をして手をわずらわしてくれたという感覚が生まれることはめったに起こらないだろう。しかし感謝の念が生じるための背景にはそれがなければならないのである。自分に何かをしてくれる人間は自分と対等のポジションにあり、本人は行動選択の自由を持っており、そうしてなんらかのエンパシーをもとに自分に対して好意や愛情を抱いて何らかのことがらをしてくれた。そのような思いのあるところではじめて感謝の念が湧き、そして感謝の気持ちが表現されるものだとわたしは思う。本人が自分の義務を果たしたという充足感を抱きたいがためにあなたに何かをしてくれたとしても、ましてや本当にあなたが何を望んでいるのかということを尋ねもせず考えもしないで何かをしてくれたとしても、あなたはそれに対してどれほどの感謝の念を抱くことができるだろうか?いや、もちろんあなたは森羅万象に感謝の念を抱く悟りの境地にまだ到達していなくてかまわないのだ。

     インドネシアの社会生活でトゥリマカシがあまり口にされないこと、インドネシアでの顧客サービスレベルが低いこと、インドネシアでの業務モチベーションが盛り上がりにくいこと、会社の中で自分のジョブディスクリプションを要求し同僚との連携はあまり考えずに自分の職務だけを行なってよしとしていること、務めを果たそうとする姿勢は強いが業務成果の質的レベルを気にかけないこと、・・・・・・それらの現象の根はそのような社会構造にあるのではないかとわたしは考えている。


パトロン=クライアント社会
     インドネシアがパトロン=クライアント社会であることは、どちらが上でどちらが下か、言い換えればどちらが命令者に立ちどちらが遂行者の立場になるのかという位置付けを確認しようという意識がかれらの対人関係の中に必ず働くことからもわかる。社会的に対等関係にある場合は、だから自分が相手より上に立とうとする傾向を生じがちだ。なぜならそれはかれらのハルガディリに関わることがらになるためだ。そのために他の社会で見られるような対等な人間関係が生じるケースは限られてしまう。友情というもので結ばれた対等な友人関係が日本では近世までほとんど存在しなかったという話のカギをわたしはこのような構図の中に感じている。
     パトロン=クライアント社会はインドネシアのすみずみにまで存在している。家庭、職場、地域社会。職場で上長がバパと呼ばれ、部下はアナアナ(anak-anak)と称される。会社の従業員だからもちろん子供であるはずがない。地域社会でも似たようなものだ。統率者がいて、その指示に従う追従者がいる。追従者は統率者の指示を実際に遂行する義務を負う。統率者は自からその遂行に加わることはしない。パトロン=クライアントは日本で言えば親分子分の関係であり、その言葉が示すとおり、擬似的な親子関係になる。子は親に尽くし、親は子を庇護するという双務関係がそれだ。

     少なくともパトロンは肉体的に楽だと言える。あらゆることを、それが他の社会では「自分のことは自分でする」という範疇にはいるプライベートなことがらであってさえ、それをするようにクライアントが命じられたならそれはなされなければならない義務となるのだから。このような文化とは異なる社会で育った外国人がインドネシアへ来ていきなりパトロンの立場に立たされたなら、あらゆることに戸惑いが生じて当然だろう。自分が育った社会にもたとえばお抱え運転手という仕事はある。しかしお抱え運転手と雇い主との間の関係は基本的に対等な人間関係の中での契約条件に即したものだ。だがあなたがインドネシアでお抱え運転手というクライアントを持つパトロンになったら、運転手にカバンを持たせてオフィスに入って行くのもなんらおかしなことではなくなる。それは女中に対しても同じことが言える。外国人が女中に気を遣い、おそるおそる何かをしてくれと頼む姿勢は、インドネシア人雇い主が女中にためらいもなく「あれをしろ、これをしろ」と命じている姿とは天地の開きがある。ただしそれに関連する5W1Hが人道的な見地から見てネガティブなものにならないよう、パトロンも普段から配慮している。結局のところ、それは庇護と奉仕という双務関係なのだから。

     クライアントがパトロンの庇護を得ようとして要求することがらのトップグループに入るのは借金申し込みだろう。女中や運転手が雇い主に、会社の従業員が上司に、つまり自分が子分として尽くす相手に金銭的支援を求めるのである。もちろん借金という言葉が使われるものの、擬似的親子関係の中に街中の金貸しから借金するような意識は生じない。だから女中を自分と対等なポジションにある一個の人格を持つ他人として接すると、とんでもないすれ違いを体験することになるのだ。子分に保護を与える義務が親分にはある。だが子分が要求するものをすべて与えて子分の言いなりになれとインドネシア社会は義務付けていない。親分が子分に与える庇護は、親が子に与えるようなものであれば十分なのだ。金持ちの親も貧乏な親も、親は親なのである。カルチャーギャップに直面した外国人のにわか親分が、子分に対する奉仕要求とのバランスを欠く過保護な親のごとく振舞わないように案ずるばかりである。


スマートなパトロンになるには
     女中の扱い方だけにとどまらず、インドネシアにやって来たとたん突然他人を使用する立場に立たされることになる外国人が知っておくべきことがらについてもう少し触れておこう。

     インドネシア社会を律しているのは個々人が生活共同体の中で抱く(ように教え込まれた)義務感であり、相手と自分との対人関係において自分に割り当てられた役割行動を演じるのがインドネシア人の行動原理である。相手と自分との対人関係は必ず上下に位置付けられ、その上下関係にパトロン=クライアント原理が付き従う。義務というものは人間の行動モチベーションとなるが、それはネガティブな精神構造を伴うもので、そうであるがゆえに義務を行なうという行動面が第一優先的関心事となり、「義務を果たしたか果たしていないか」「行なったか行なっていないか」というポイントに強いスポットライトが当たり、行なった結果のクオリティレベルを問うことは二の次にされる。インドネシア社会は行動の結果にあまり目を向けない社会であるという点をわたしは既に指摘した。それはたとえば、このようなケースからもうかがい知ることができる。ひとりのインドネシア人がその者の義務と見られていることを実行したのに、その行ない方がずさんであったり周辺状況との関わりを無視したり、あるいは行なうタイミングがまったくミスマッチであったりしたために周囲のひとびとにマイナスの結果をもたらした場合でも、周囲のひとびとはその者に対する批判を口にせず、責任を追及せず、プラスの結果が出るまでやり直せとその者に迫ることをしないというのがインドネシアで見聞される日常的な姿なのだ。

     もうひとつのポイントは、パトロン=クライアント関係の中で行なわれる奉仕行動が親分のお気に召すように洞察を働かせて行なわれているのでなく、(例外はあるだろうが)大半は義務を果たそうとする奉仕者側の欲求によって行なわれているだけで、親分の満足がどこまでその視野に入っているかについては「無関心」というレベルの女中が現実に存在していることから明らかなように、われわれにあまりたいした期待を抱かせてくれない。かれらは自分が奉仕する相手の満足感に感情移入することを知らず、相手が満足したかどうかということは自分と無関係の問題と見ているようで、だから不満であれば文句を言うのは当たり前の人間行動だととらえるようだ。
     このような社会で育ったひとびとはしなければならないことに対して強い意識を向ける一方、したことの結果に対して向ける意識はそれと雲泥の差を示す。要するに自分はしなければならないことをしたというところで意識が幕引きとなるようにわたしには思えるのである。だから女中にせよ工場のワーカーにせよ、かれら子分に対して親分は自分が望むクオリティレベルの結果が出されるまで口やかましく言い立てなければならない。それでさえ、一回それが成功したから二度同じことをしなくても相手がその体験から学習するだろうと思うと大間違いというケースは枚挙にいとまがない。よその文化では一個の人格を持つ良い年齢の大人に対して振舞ってよい態度や行動の標準が定まっているはず(それがクラッシュやデフォルメされつつあるという話はここで取り上げない)だが、インドネシアの文化は基盤からしてよその文化と大きく異なっていることを忘れてはならない。パトロン=クライアント社会は一個の人格を持つ大人を育てるような文化ではないということであり、だからその社会に育てられた人間はよその文化で失礼とされることがらを蒙っても同じように感じるとは限らないのだ。いや、よその文化で失礼とされることをインドネシア人に対して行なってよいのだとわたしが言っているわけでないのは、賢明なる読者諸氏には明らかだろうと思う。ともあれ、親分が行動の結果について子分にうるさく言い立てたとしても子分がそれで親分を失礼でひとを賤しめる人間だとは思わないだろうし、反対に親分がその結果に何も言わなければ子分は勝手に親分がその結果を了承したと第三者に吹聴さえするのだから、子分の面子を慮って何も言わなければとんでもないすれ違いを招くことになりかねない。
     よその文化で「分別のつく年齢に達した大人」「十分に年齢の行った大人」だからとその年恰好だけを見てよその文化の人間と同じように見なし同じように扱おうとするのはリスクが高い。大人なんだから「言わなくてもわかるだろう」「少しヒントを与えておけば結論は自分で見つけるだろう」といった姿勢は行動が生み出した結果のクオリティを重視する文化の中でしか正しく機能しない。ましてや発展途上国の人間に能力をつけさせる云々を理由に大人扱いしようという姿勢では、優れた業務成果はなかなか生み出されないだろう。それらのことがらはすべて、行動の結果を重視しそのクオリティに対する認識力や判別能力を共通項として持てるようにした上ではじめて効果を発揮するものだという気がわたしにはする。だからその前提条件が整わないうちに業務を、部署を、あるいは家庭の台所をかれらに「まかせる」のは無謀のそしりを免れないのではあるまいか。

     子分としての行動習慣をたっぷりと身につけた依存性社会の人間に自己裁量の機会をあまり早く与えるのは考えものだ。そもそも親分子分社会における子分としての行動習慣をたっぷり身につけた人間は年齢がいくらであろうがよその文化における大人の個性からほど遠いところにいるわけで、そのようなひとびとがよその文化の中で行なわれている「おとな扱い」をされないからといって「失礼だ」「侮蔑だ」「賤しめだ」「屈辱だ」などと感じることはないにちがいない。

     さて問題はパトロン=クライアント文化人間とどのように人間関係を維持し、かれらを使ってどのように満足できるクオリティレベルの結果を引き出すかということがこの地に仕事をしに来ている外国人の共通関心事だとわたしは思う。それに対する万能薬をわたしは語ることができない。なぜなら10人の人間がいれば45種類の人間関係が発生するということがらを指摘すればご理解いただけるものと思う。パトロン=クライアント文化人間との人間関係の維持は、インドネシア人子分に対して時に罵詈雑言を浴びせたとしても子分に擬似親子関係の人間的つながりが断絶していないことを感じさせることさえできればそれでよいのではないかという気がする。決して子分におもねる必要はないし、過保護に扱う必要もない。子供を過保護にして後で困るのは親なのだということは世界中のどこへ行こうが真理だろう。あとは子分をどのように働かせてパトロンで指揮官たる読者と一緒にどれだけの成果を出せるようにするかという問題が残るのだが、それは読者の創造性と努力におまかせしたいと思う。


レズキ
     パトロン=クライアント社会に特徴的な現象をもうひとつあげておこう。それは実家が裕福でない夫あるいは妻を持ったたいていの外国人が頭と心を悩ませる問題のひとつなのである。つまり伴侶の親族縁者に対する経済的援助がそれだ。ただしここでは、伴侶の実家の生活費補填のために送金するというケースには触れない。ここで取り上げるのは、みんなが特に頭と心を悩ませていると思われる親兄妹やおじ・おばから遠い親戚といったひとびとに対するもてなしに関するものだ。

     そのようなひとびとが折に触れて田舎からやってきては長逗留し、たいていは片道切符とわずかな現金だけ持ってやってくるから逗留中の費用一切はホスト側の負担となる。食費から当座のお小遣いまで客人の生活費のすべてにはじまり、町へやってきたからどこかへ遊びに行きたいと言われたらアゴアシの金を持たせ、時には嫁や婿がガイド役を務め、知人を連れて帰ってくればそのもてなしまでやらされた上、いざ物見遊山を満喫して実家へ戻るときには道中のアゴアシから当面の実家の生活費まで渡して帰らせる。現代日本に育った若いひとたちにとってこれは常軌を逸した横暴とその目に映るのではあるまいか。
     しゅうとやしゅうとめの場合はそれでもまだ良いかもしれないが、おじやおば、あるいは遠い親戚というひとたちまでが同じようにふるまい、金を無心して帰って行く。そんなケースでの金銭無心要請はもちろん「借りる」という表現が使われて客観的必然性のある借金の理由が語られるるものの、インドネシア語で理由という意味をあらわすalasanという語は別に「言い訳」という意味をも持っており、発言者の意識の中でそのふたつの意味は渾然一体となっているにちがいない。
     同じようなことは、夫婦が住んでいる地元の都市やその近郊に住んでいる親類縁者との間でも起こる。その場合は長逗留こそ起こらないものの、時間もわきまえずにやってきては「飯を食わせてくれ」「寝させてくれ」そして挙句の果てに例によっての借金申し込みだ。パトロン=クライアント社会における親子あるいは擬似的親子関係の中での借金依頼は、それを依頼する側が本気で債務関係の発生と思っていないことは先に女中のケースにからめて述べてある。不穏当な言い方で恐縮だが、金を持った親族に対して一見あたかもタカリのように群がってくるその振る舞いは言うまでもなく親分子分関係の中での子分の奉仕を求めて行なわれるものなのだ。

     外国人は金持ちだというのがインドネシア人の常識である。貧しく愚かで、世界でもっとも打ちひしがれた民族が自分たちなのだとかれらは言う。本国での経済力はどうあれ、インドネシアにまでやってくる外国人が金持ちでないはずがない、というインドネシア人の確信を覆すのはほとんど不可能に近い。ともあれ金持ちクライアントを婿あるいは嫁に得たパトロンが何を望むかについて、更に言葉を加える必要はないだろう。弟妹や甥姪にとっても同じことが言える。かれらも金持ちパトロンを得たのであって、パトロンから金銭的庇護を受ける権利をむざむざと放擲するはずもない。
     インドネシアでは一族の中に成功者が出ると、親族一同が寄ってたかってその者をふたたび貧困の世界に引きずりおろして行く、と一般に言われている現象がこれだ。このような金銭を介在させた庇護と奉仕の双務関係の中で義務を果たしながらつぶされないでいるためには巨額の金を継続的に生み出すことが必要とされる。コルプシをインドネシアからなかなか追放できないでいる実態は、こんな社会慣習が腐敗行為の駆動力として作動し続けているためではないかという感想は果たして的外れだろうか。もちろんそのような成功者が親族一同から搾取されるための肥えた豚になろうとして努力しているということでは決してない。インドネシアでは金持ちが世の中から見上げられるポジションを得る。金持ちかどうかはパトロン=クライアント社会で上下構造を形成しているさまざまな縦軸のひとつでもある。他の縦軸が年齢や性別といった本人の努力では変えるのが難しい要素で作られているのに対し、金持ちになることは本人の力で何とかなるものという面を強く持っている。そしてインドネシア社会で上のポジションに就くということは権力を手中にすることに等しいのである。

     さて、実家が裕福でない夫あるいは妻を持った外国人の例にもどってみよう。この夫婦は一族親類縁者の中で下にも置かれない扱いを受けることになる。親族のだれの家を訪れようが愛想満点のもてなしを受け、夫婦の金銭的奉仕を受けるパトロンさえもがスマイルをたたえてふたりににじり寄ってくる。この一族の中で夫婦の発言権は強くなり、事あるごとに相談がもちかけられる。除け者にされることなく、常に一族の中で中枢の座を占めることになるのだ。つまり一族ファミリーという血縁社会の中で社会的上部階層としての身分が与えられるのである。
     そのようなポジションを利して権力をふるうのはこの社会では当然のことであり、それは往々にして権力者個人の私腹に向かう財の獲得行動に至る。つまり金持ちになって権力を手に入れ、その権力をふるって更に自分の財を増やしていくということが起こりうる社会であるということだ。インドネシアでひとびとが金持ちになることを望むのは金銭そのものが与える贅沢な暮らし以上に、金持ちとしての社会的ポジションおよびそれが個人に与える権力のゆえであろうとわたしは思っている。

     インドネシア人は個人が持っている金銭を、その者が努力と汗で獲得した成果であるというように見ない。かれらの表現を借りれば、「神が当座その者の手に委ねただけのもの」となる。それは金銭だけにとどまらず、人間の生計を成り立たせるための財一切についても同じ観念が当てはめられる。この思想は「金は天下の回りもの」という考え方によく似ている。財がパトロン=クライアント関係の中で消費されるインドネシア社会のあり方は財に対する所有の観念を希薄なものにし、金銭はイージーカム・イージーゴーとなり、社会構成員の持つ経済観念をきわめて前近代的なものにする。計画性を持った生活設計や人生設計は空中の楼閣にしかならず、いつ出現するかもしれない庇護・奉仕要請を前にして本当に「暫時神から委ねられたもの」になってしまうのだ。それが他人より多く金を持った人間の金銭感覚だとすれば、インドネシア語で『ボケ(bokek)』と呼ばれる金銭不如意状態の者にとっても汗水流して働かなくとも金が手に入る機会がよその文化よりたくさんあるわけで、こんな要素が棚ぼた大王(aji mumpung)信奉者を大量生産しているようにわたしには思える。ましてや金銭をほかの人間にねだるあり方を社会が風習のひとつとして成立させているわけだから、よその文化とはきわめて様相の異なる金銭感覚を外国人がインドネシアで目にするのも当然だと言える。

     インドネシア人はそのように扱われる財をレズキ(rezeki)と称しており、この言葉は露命をつなぐ糧も、金銭も、そして財たりうるあらゆるものをその概念の中に含んでいる。レズキという単語を使った商店もたくさんあり、他人とレズキを分け合うことが庶民生活における社会的連帯と位置付けられている。


あいさつ
     発端の話からだいぶ大回りしてしまったようなので、話を戻そう。
     社会の中で体系付けられた価値観が生み出している挨拶を励行しているかぎり、世間は礼儀正しいという評価をその者に与えてくれる。しかし文化が異なれば価値体系が違ってくるため、礼儀正しさの規準もちがってくるのは避けようがない。Aの文化で礼儀正しいとされている振る舞いがBの文化では野卑で低劣なものとされるケースは星の数ほどあるだろう。

     たとえばインドネシアの子供たちが親に連れられて他家を訪問したとき、その家のトアンにみずから進んであいさつをしに来ないというシーンをわたしは何度も目にしている。では礼儀知らずかというとそうでもなく、その家を辞すときには子供たちがみずから進んでトアンにあいさつをしにくるのだから、この首尾不一貫はいまだにわたしの理解を絶する現象のひとつになっている。わたしが客として訪れた家庭の例を見ると、親と一緒にやってきた子供たちにその家のトアンが満面愛想に満ちた笑みをたたえ、赤児も泣き止むだろうというような優しい声音で子供たちひとりひとりに声をかけている。すると声をかけられた子供たちが進み出てその家のトアンにあいさつをするのである。それを見る限りどうやらインドネシアには、大人が子供に情愛を示すのを引き金として子供がその大人に接近する(あるいは、してよい)という行動習慣があるようにわたしには思える。これはその大人と子供の間に親密感がまだ育っていない関係の場合であり、すでに親密になっていれば子供はそんな引き金などなしにトアンにすり寄っていく。ここでわたしが子供と言っている中には、小中学校くらいまでの男女児とハイティーンの娘までが含まれている。高校生くらいの男児になるとそんな引き金を待たずに初対面でもあいさつしにくるから、ふたたび差別語を出して恐縮だが、インドネシア文化の中に存在している「女子供がトアンに対して示すべき姿勢」をそれは表わしているような気がする。つまり、女子供が呼ばれもしないのにしゃしゃり出ていっぱしのことをするのは礼儀に反することとされているのではあるまいか。
     一方、トアンが実に優しそうな表情や声音で子供たちに声をかける姿は、数百年前の王宮で広間に居並ぶ家臣や女官たちに玉座にすわった王が声をかけているシーンとわたしのイメージの中でオーバーラップしてくる。生殺与奪の権力を握る王はそのような絶対権を持つがゆえに下の者には優しく振舞うのが理想的な支配者のあり方とされていたようだ。ジャワのバパイズムの源流をわたしはそのようなところに感じるのである。


ホーレンソー
     似たようなことは会社でも起こる。部下のスタッフに「いつでも報告・連絡・相談をしにきてかまわない。もし自分にあなたがたの話を聞く余裕がなければそう言うから。」と口を酸っぱくして言って聞かせても、その言葉どおり素直に受け取ってこちらの期待する反応を示してくれる者は半数に満たない。大多数の者は「これぞそのホー(報)レン(連)ソー(相)のネタ」というものを思いついても、上司が自分に声をかけてくれるのをひたすら待つばかり。そうして5時の終業ベルが鳴り、かれやかの女のモチベーションは永遠に失われてしまう。かなり多数の従業員にとっては翌日になると日めくりの新しい真っ白なページがはじまるのが普通で、昨日何か解決されるべき問題があったとしても一夜明ければそれは夢の世界に置き去りにされてしまうようだ。
     だからホーレンソーのネタをみんな抱えていながらそれを上司に告知する者は数少なく、アブナイ問題が暗い水面下に毎日ひそかに堆積して行き、ある日思いがけなく船が座礁して「さあ大問題だ、困った。」というようなことが頻発する。既に指摘してあるように、Do's and Don'ts に違背することで引き起こされる結果にインドネシア人の多くは鈍感だという要素がここに影響を及ぼしているのだが、自分より上位の人間の邪魔をするのは礼儀に背くという観念が別の要素として存在し、かれらの手足をがんじがらめにしているようにわたしには思える。
     上位者は用があれば自分を呼ぶ。「呼ばれたときに上位者の問いに答え、上位者の役に立ちそうなことがあればそのときに耳に入れればよい。」というのがかれらの意識の中にある礼儀だろうとわたしは思う。かれらの目から見れば、上位者が自分の都合を下位者に合わせるというのは世にあるまじきことがらであり、自分がその元凶になるのは大逆の罪だと考えているにちがいない。少なくとも下位者が上位者に対して払うべき礼儀をそれは完全にぶち壊しているように思えるのだろう。だから上司はそう言っているものの、自分がホーレンソーをしに行ったとき上司がそれを受ける余裕があるのかないのかその判断がつかず、あるいは下手をして破廉恥な部下という烙印を押されるのも怖いために大多数のスタッフは椅子から尻があがらないのではないだろうか。


チウムタガン
     また話が横にそれてしまったが、インドネシアの子供たちが大人にするあいさつはインドネシア語でチウムタガン(cium tangan)と呼ばれるもので、大人の右手の甲に口づけをすることだ。これは子供が大人に、生徒が師に、平社員が重役に、臣民が王に、といったように年齢や社会的地位の低い者が上の者に対して尊敬を示すために行う振る舞いだ。この習慣はムスリムの間で一般的で、インドネシアムスリムの間ではそれを宗教の教えであるように思っているひとが多いのは、イスラム宗教師の多くも子供に対してチウムタガンを命じているためであるらしい。
     しかしこのチウムタガンは保健衛生上の不安を呼ぶものでもある。口づけするほうは相手の手が清潔かどうかに不安があり、口づけされるほうも子供のよだれでべたべたにされては気持ちよいものでもない。ましてや数人の子供たちがひとりの大人の手を通して間接キスをし合うような場合は親たちが眉をひそめるのも無理はない。だから親たちは子供に、本当に口づけはさせずにいくつかのバリエーションを教えている。口を近くまで持っていくがくっつけないという形式的なものから、口ではなく鼻、あるいは額、中には頬を相手の手の甲につけるというものまでさまざま。それらも本当にくっつける場合もあれば少し上まで接近させるがくっつけないという子までいる。インドネシア語のチウムにはキスをするのと臭いをかぐののふたつの意味があるため、「チウムタガンはこうするのだよ」と鼻を相手の手の甲近くまで持っていくように子供に教えればきっと子供は一生懸命その手の臭いをかいでいるにちがいない。辞書では、「cium」「berciuman」が互いに唇や鼻をくっつけあうこと、「mencium」が臭いをかぐこと、と区別している。

     チウムタガンが本当にアラブ固有の風習であったのかどうかは定説がないが、イスラム教がそれを義務付けていないのは明らかなようだ。ただかなり古くからサウジアラビアでその風習が行なわれていたことは確かで、この相当に封建色の強い風習をサウジ王家がやめさせたという話になっている。アッラーのみが超越的存在で人間はその前でみんな同じだというイスラムの基本概念にこの風習はそぐわないものであり、この風習も余所から入ってきた異文化のものだ、というのが廃止の理由とされている由。ウィキペディアによれば、ハンドキスは17〜18世紀にスペインの宮廷儀典作法として生まれたもので、それが18〜19世紀にヨーロッパの上流階層に広まったとのこと。一方ローマンカソリック協会では教皇や時に枢機卿に対する尊敬の表象としてかれらの指にはまっている指輪に信徒が口づけする習慣があり、そこからスペイン王宮との関連性がなんとなく伺われる。


スンピピ
     さてインドネシアに戻って、大人同士や子供同士で一般に行なわれているのはmenjabat tanganつまり握手。インドネシア人がふつう初対面の挨拶として行なっているのは握手しながら自分の名前を名乗るというスタイルで、特に「はじめまして」といった内容の言葉は聞かれない。中には握手した後、相手の手を放してから自分の手を自分の胸に持って行くというしぐさをする場合もある。男女間での初対面の挨拶は互いに握手する形式を必ずとるとは限らず、いくつかのバリエーションが行なわれている。ひとつは仏像を拝む時のように胸の前で両手のひらを合わせ、少し膝を折って軽く会釈するというスタイル。互いに拝み合うこのスタイルが行なわれると、自分は本当にインドネシアにいるのかという気になってくる。別のバリエーションは、その両手のひらを合わせたまま指の先を相手に差し出してくるもの。これをやられるとこちらも同じようにしてそれを受けなければならず、結局互いの指先同士を軽く触れ合わせるという形の挨拶になる。あるいは女性が右手を出してくるから握手してよいのかと思いきや、その手の指先を相手の指先にちょろっと触れてから自分の胸に持っていくしぐさをするケースもある。究極的なのは女性がまったく手を差し出してこず、ただ会釈するだけというもの。これはいずれも、奥床しい婦人は初対面の異性に肌を触らせないものという観念から来ているようで、いまやこのような挨拶をなさる女性はいずれもお年を召した方ばかりのように見える。
     ところがおよそ10年くらい前から、人ごみの中をものともせず街中で出会った知り合いと抱き合って頬をくっつけたり頬に口づけするという挨拶がアッパーミドル層の若い世代に急速に広まった。これは男と男、女と女、男と女というように性別まったく気にかけずに行なわれている。インドネシアではこれをsun pipiと呼んでいるが、スンはオランダ語でキスを意味するzoenがインドネシア語の中に取り込まれたもの。中東でも、西欧でも、東欧でも、男同士でさえ抱き合って顔をくっつけ合うような挨拶のスタイルは一般的に行なわれている。インドネシアでもスンピピはもっと以前から上流階層のひとたちの間で行なわれていたものとわたしは理解しているが、一般人の目に触れる機会は限られていたように思う。インドネシア人がチウムタガンにせよ、握手にせよ、スンピピにせよ、そしてムスリム間のアラブ語の挨拶さえも、ためらいもなく外来の風習を取り入れていくのは、モフタル・ルビスが言うように「インドネシア人というのはあらゆるものを取り込んで自分の精神が違和感を感じることなくそれらが共に生き続けることを放置するひとびとである。」という特徴の産物であるにちがいない。


キス
     オランダ語でキスは「スン」と言うし、「キュス(kus)」とも言う。ところがインドネシア語に取り込まれたのは「スン」だけという理由がよくわからない。日本でも、長崎出島商館長ドゥーフが1816年までかかって編纂した蘭和辞典『ズーフ・ハルマ』の中で、キュスを長崎方言の「ウマクチ」という語を使って訳している。「ウマクチ」とは甘口の意味だそうだ。そのウマクチに接吻という漢字が当てられた。接吻は中国語そのままで、マンダリン発音では「チエウェン」と言う。日本人にとっての接吻は、だから『ズーフ・ハルマ』にさかのぼる。だったら日本人はそれ以前にキスの習慣を持っていなかったのかというとそんなはずはありえず、平安時代の書物の中に「くちすい」という単語で出現している。「くちすい」は言うまでもなく「口吸い」だ。他にも「口口」とか口二つで「呂」などというようにひねりを加えたものも出現しており、おまけに郭言葉では「おさしみ」とも言ったようだが、これは生々しい。現代日本人にとっては「くちすい」も生々しいものだったのかもしれない。そのためかどうか、いまではキスや接吻の同義語として「くちづけ」という語が用いられている。たしかに接吻は文字通りなら口付けのほうが的確だろう。「口付け」を逐語的に捉えるならこれは儀礼的なキスやあまり性的でない愛情表現を指しているニュアンスが強く、ディープフレンチキスはあくまで「くちすい」と表現されるほうが正確ではないだろうか。
     唇を何かにくっつけて吸うと『チュッ』という音がする。そのために他人の唇を含めて身体の一部や何らかのものにキスするのを擬音語で表現するということも一般に行なわれている。日本では「チュウ」あるいは「チュー」するという言葉がキスの同義語にされており、既に江戸時代から「ちうちう」という表現が使われていた。インドネシア語でもまったくよく似た「クチュップ(kecup)」という言葉が使われているし、チュッと音を出して行なうキスには「チポッ(cipok)」という言葉もある。

     ところで自分の唇を他人の身体のどこかにつけるという行為が本能的なものかそれとも学習で得られた行動なのかということについて人類学者の間では議論が分かれているらしいが、いずれにせよほとんどの動物は口もしくは唇を使って摂食以外のことを行なっており、人間のキスも古今東西例外なく行なわれてきたようだ。人間界のキスで顕著な違いは、西洋を中心にした一角で公衆の面前で儀礼的に行なわれるキスが存在しているのと違い、どうやら東洋にはそのような習慣が存在しなかったように見えるのだが、それが東洋人はキスを知らなかったということを意味しているのでは決してない。なにしろ紀元1〜6世紀ごろに作られたとされている東洋が誇る性典カーマスートラには8種類のキス技法が紹介されている。東洋の歴史の中でキスは性行為の一部という位置づけがなされていたそうで、そのために公衆の面前で行なう儀礼的なキスという風習が成立しなかったのではないだろうか。それが証拠にアジアのほとんどの国ではその昔、西洋映画が入ってきたときにキスシーンで大騒ぎし、それにならってその国の前衛的な映画監督が自国のトップ女優を使ってキスシーンを撮影したらまた大騒ぎになり、口付けキスシーンが一般的になると今度は超リアル派映画監督が撮影したキスシーンで舌が入ったのどうのという諤々の議論が展開された。

     文化によって性行為あるいは性的行動が公衆の目から隠されなければならない極度にプライベートなものとされているケースもあれば、あるがままの人間の姿の表出だから白日の下にさらされようとも不都合は何もないとしているケースもある。インドネシア文化は後者の傾向を現代にまで持ち込んできているものの、「性は子孫を残すためのものであって人間の陶酔を目的にしたセックスは罪である」という教義を信奉する者もマジョリティを占めていて、そんな二律背反がインドネシア人の二面性の中にある。だから古来の東洋的な性的ビヘイビヤを昔から白日の下に行なってきた種族にインドネシア人マジョリティが向ける風当たりは強い。ところが今度は西洋文化の中で衆目から隠されなければならないとされてきた性行為としてのキスが白日の下に行なわれるように変化してきており、洋の東西を問わず至るところでアツアツカップルがチュッチュしている姿を目にするのが当たり前になりつつある今日この頃だ。そんな状況に対してインドネシアでは、上述のアジア的キス観にとらわれた一派がそれをポルノアクションとして弾劾しようという動きへと進んでいるのは「ポルノ!(1)」以降の一連の記事の中で紹介されている通り。


礼儀
     「社会の中で体系付けられた価値観が生み出している挨拶を励行しているかぎり、世間は礼儀正しいという評価をその者に与えてくれる」とわたしは「あいさつ」の中で書いたが、「行儀のよい」というのがもっと正確な表現かもしれない。これは日本語の中の混用例のひとつという気がわたしにはする。

     礼儀というのは人間集団が生活共同体の中で社会秩序と人間関係の円滑さを維持するために対面した相手に対して敬意と配慮を抱くところから始まっているものではないだろうか。人間集団の構成員がたがいに他人を食い滅ぼそうとするホモ・ホミニ・ルプス社会では集団が自滅してしまい共同体は維持されないにちがいない。だからこそ同一共同体の中の他人に対しては思いやりが必要となり、エンパシーが成育する。これは愛情ベースの集団生活と言える。だから他人に対するビヘイビヤが礼儀を持っているかどうかということを言うために礼儀のあるなしが語られる。そのような他人に対する敬意や配慮がひとつの形式として調えられたとき、それが行儀と呼ばれるものになるのだろう。だから文化の中で定められた形式としての挙措動作である行儀は、それに即しているかどうかという見方で計られるために「良いか悪いか」「正しいか間違っているか」という表現を伴う。もちろん他人に対する敬意や配慮のあり方が正しいか間違っているかという議論は成り立つものの、それはある特定文化が持つ価値観を基準に置いて対象文化における礼儀のあり方を評価するということのようだから、よりベーシックなレベルでの礼儀の有無に関する善悪ではないように思えるのである。だから本来なら挨拶を励行する者には「行儀のよい」人間という言い方のほうがより適切な気がするのだが、日本人の多くは(わたしを含めて)礼儀正しいと表現している。
     さて、礼儀とは人間が文明の中で築き上げてきた他人に対して抱くべき敬意や思いやりをより強く意味しており、敬意や配慮を表現する作法はより的確には行儀と呼ばれるがパラダイム次第では礼儀という言葉も使われているというのが上の結論で、和英辞典によれば礼儀はcourtesy、行儀はmannerあるいはフランス語のetiquetteとされているところにそのニュアンスの差異を感じることができると思う。つまり礼儀というのは人間が他の人間に関わる際に敬意や配慮をベースにしてどのように振舞うかということがらであるため、言うまでもなく人間とはどのようなものであるのかという人間観や敬意を払われるべき人間が持っているべき要素は何かという尊敬の価値観などといったことがらと無縁ではありえない。つまり文化の中にあるそれらの原理が異なっていれば表出される礼儀が異なってくるのは当たり前だと言えるのである。


ABS(アーベーエス)
     「あいさつ」でも「ホーレンソー」でも指摘したように、インドネシア人が持っている礼儀の感覚は多くの外国人にたいへんもどかしい思いを抱かせるものであるようだ。礼儀というものは生活共同体の中で対面する相手にたいして払うべき敬意や配慮から発したものと思われるが、現代世界の中にある諸文化の中での礼儀の表わし方、言い換えれば人間観、がこれほどバラエティに富んでいるのだという事実を目の当たりにしてわれわれが愕然とするのも当然ではないだろうか。

     人間がほかのいかなる要素よりも絶対的に優先して大事にされなければならないものだという人間観と、人間の生活における効率・経済性・人間の対等性や自己抑制といったことがらとの相対性を考慮する人間観の間にギャップが生じるのは疑いもない。前者では人間の社会性や経済合理性があまり顕著に現れてこず、より狭い範囲における人間個々人の感情が優先されて人間ひとりひとりが幸福感を抱くことに社会善としての焦点が集まっていく。そのような人間観が生み出す礼儀は往々にして対人関係の中で相手に不快な気持ちを起こさせないことを基本原理に据えようとするにちがいない。だから相手が嫌な気持ち・つらい気持ち・悲しくあるいは哀しい気持ち・淋しい気持ち・怒り・嫌悪・苦悩・不満などといったネガティブな感情を持たないようにすること、そのような感情を排除することに意を用いることになる。インドネシア人にとって満足に関わるキーワードがenak(心地よい)とnyaman(快適な)になっているのはそのためだろう。しかしそのようなありさまは後者の人間観から見れば人間の感情に対する過剰な配慮を意味しており、人間が構成している社会という生活共同体に対して個々人が持たなければならない厳格さの欠如した社会状況を生み出すことになる。そんな世の中には個々人のわがままが突出し、その一方で個人ひとりひとりの感情は抑制を欠き、精神は打たれ強くないひ弱なものとなり、人間性は軟弱になっていく。

     広がりの限定された拡大家族主義社会の中においては、構成員相互が相手に嫌な気持ちや不快な気持ちを抱かせないよう配慮するのを礼儀と考える。冷厳な現実を前にしてさえ個人の気持ちをネガティブにしないことが優先されるなら、良くない現実を直視してそれを改善するために必要とされる現実認識力の成育はあまり期待できそうにない。「インドネシア人の実像(18)」(2007年11月10日)の中で述べられているABS(Asal Bapak Senang =バパが歓びゃそれでいい)というモフタル・ルビスが指摘するインドネシア人の特徴のひとつはそこに関わっているようにわたしには思える。モフタルの論旨は支配者に対する被支配者の反抗という面からその問題を解析しているが植民地時代はともあれオルバ期にまでそのような構図が継続したようには思えず、わたしはむしろもっとポジティブな原理がそこにあるという立場からこの問題を見ている。集団を率いているボスにはすべてがうまく行っているというお追従を与えて歓んでもらい、悪い現実を知らせて不快の念を抱かないようにさせるのがこの人間観における善なのであり、礼儀をわきまえた人間が取るべき行動となるのだ。冷厳な現実を一切合財ニュートラルにボスに報告するのはそこでは悪行となり、現場にいる者が才覚を働かせて上に報告すべきことがらを取捨選択する。それでは統率者が現場の実態を把握できないために最善の結果が得られなくなるのだが、ここにもインドネシア社会は行動の結果にあまり目を向けない社会であるというポイントがふたたび顔をのぞかせる。


ヘピヘピ主義
     インドネシア文化が持っている「人間ひとりひとりが幸福感を抱くことが社会善である」という人間観社会観のとりこになる外国人は少なくない。日本の企業がいくら「あなたがいちばん大切なのです」というキャッチコピーを連呼しようとも、インドネシア文化の中にある人間を最優先で大切に扱おうという姿勢には及ぶべくもないだろう。インドネシアに惚れこむ外国人の心の琴線に触れるいくつかの要素の中でこの相はトップに位置しているのではないかとわたしは思う。これは共同体社会が個人より優先される社会に育った人間が抱いている原理に対するアンチテーゼではないかという気がわたしにはする。しかし人間が生きる世に「すべて善きもの百パーセント」というのはありえず、いずこの文化でも善きものと悪しきものが相半ばするのが普通の姿だ。先人が社会原理に据えた人間観のパターンを後世が維持と変革の選択をしつつ存続させ、社会構成員のほとんどはその原理が生み出す価値観にしばられてそれを実践しながら生き、そして死んでいく。
     人間存在が最優先される一方で現実認識力が低く現実意識の弱い文化には、今現在が楽しく幸福であればよいという享楽志向快楽志向が繁茂する。貧困が地上を覆い、高等教育は金持ちだけが享受でき、国政者たちは国家経営を自分たちを含む特定階層のためにだけ行い、個人は個人に対し集団は集団に対してエゴの優先と対抗者の破滅を優先重要事項とし、法規や社会制度は国政者の意図を国家権力として実現させる道具として用いられ、経済活動は政治権力者が行なう収奪のための狩場とされるといった現実を真正面からとらえてそれを改善する方向に向かうための現実認識力は薄められ、精神はそこから逃避する。そんな精神の向かう先が享楽主義快楽主義の、いわゆるヘピヘピ主義文化であるようにわたしは思う。そんな状況が日本の古い歴史の中にもあったような気がするのだが、はたして何世紀ごろのことだっただろうか?

     「オランインドネシア、ヘピヘピ」や「賢いってどういうこと?」に紹介されているように、インドネシアの人生ヘピヘピ主義は別の見方をすれば消費主義的であり刹那的でもある。毎日おもしろおかしく遊んで笑って暮らすのがヘピヘピ主義の本質であり、難しいこと・面倒なこと・嫌なことを避け、責任云々を言って他人を追及するようなことはせず、人間が必ず持っている悪いところ・劣っているところ・欠点などには光を当てず、内省的にならないで外にある刺激に反応してみんなでハッピーに毎日を送ろうとする姿勢をメインに据える。ヘピヘピ主義の根底をなしているのは自分の存在を含めて自分の存在している環境を絶対的に肯定するという強い現状肯定意識であり、現状を変革するために必要な現状否定意識は排除される。


察しの文化
     「アジア人は礼儀知らず」で紹介されている東洋と西洋の礼儀というものに関する感覚的相違はそれぞれの社会が原理に据えている社会観人間観の相克でもある。そのサーベイで取り上げられた三つのポイントはいずれも西洋文化が持っている対人関係内で理想とされているビヘイビヤであり、中でも見知らぬ他人とのフレンドリーな人間関係構築に高い価値を置いているアメリカ人がニューヨークをもっとも実践が行き届いた都市としているのはある意味で必然的であり、その観点からアプローチすればアジア諸都市は低位置に置かれるのも当然ではないかという気がする。アジアの多くの国に存在している対人関係原理は別のもので、そこから発生している礼儀のコンセプトは言うまでもなく欧米のものとは異なっている。そのギャップをガジャマダ大学社会学修士課程学生のひとりは、rural:communal:feudalとurban:cosmopolite:egaritarianという三つの相の対比から比較している。前者の性格を持つ文化では人間が支配権力のからんだ上下関係の中に規定されるために礼儀はその原理から離れることができない。社会は階層構造を持ち、個々の階層は互いに他の階層を必要とするという相互関係の中で、社会構造とそこでの人間関係を円滑にするための礼儀が形成される。そんな場で出現する他者に対する敬意というのはその個性や人格といった個人のクオリティに向けられるものでなく、社会構造の中に置かれた個人のポジションに向けられる。そのために個人は自分のポジションを表示するためのシンボルを必要とするのである。だからシンボルは本質的なことがらよりむしろ象徴的人工的な性格を強めることになる。一例として、ジャワ文化ではものごとをざっくばらんに、あけすけに語るのは失礼だとされており、だから伝えたい内容を他の言葉で包み、本質的に意味のないバサバシ(basa-basi)と呼ばれる世辞を多用し、話し相手に自分の意図を察してもらうことに努める。その結果オーストラリアに住んでいるジャワ人がオーストラリア人の友人宅を訪問した際に次のようなシーンが展開されることになる。

「ハイ、ハルトさん、いらっしゃい。何か飲む?」
「ああ、いやケッコーですよ。」
それじゃあ、ということで歓談がはじまり、オーストラリア人は喉が渇いたと言っては何か飲む。もちろん自分が飲むときに相手にも勧めるが、ジャワ人は習慣的に「いや、いらないですよ。」を続ける。そうしながら喉も渇いてきているから、『なんとか察してくれよ』と腹の中では思っているのに言葉に出して言うことができない。その結果3時間も歓談を続けて喉がからからになり、一滴も飲み物を口にしないで帰って行った。それに懲りたジャワ人は、次の機会に飲み物を勧められたら必ずイエスを言おうと決心した。そしてその機会がやってきた。
「ハイ、ハルトさん、いらっしゃい。何か飲む?」
「イエス」
するとオーストラリア人はその後も質問を続々と繰り出してきた。水か、ティーか、コーヒーか?コーヒーだったらミルクを入れるか?砂糖を入れるか?砂糖は何さじ?・・・・・
ジャワ人はふたたび『なんとか察してくれよ』と腹の中で思いながら閉口してしまった。


ムラスニュム
     インドネシアの田舎では数十年あまり前まで、家の前庭に飲み水の入ったカメやヤカンをいつも置いておくという習慣があった。これはそこを通りかかった旅人にせよ村人にせよ誰であれ、喉の渇いた人間が飲むために用意されたもので、つまり客をもてなすという精神に由来する慣習だ。インドネシアをはじめ東南アジアの多くの場所では遠来の客をもてなすという思想がかなり昔から実践されていたようだ。

     日本軍がジャワに上陸して戦意のない連合軍を瞬く間に制圧したあと、日本兵がジャワの各地に入って行ったときに受けた大歓迎をオランダの植民地支配から解放されたことに対するインドネシア人の歓びの表現と日本軍は見なしたそうだが、その要素がなかったとは言えないまでも外来者を歓迎する習慣がそのような反応を引き出しただけなのに日本軍はそれを過大評価するという勘違いを犯したのではないか、という意見をインドネシア人文学者が書いている。
     外来者を歓迎しもてなす精神はインドネシアへ来た外国人の大半が体験しているのではあるまいか。ただしその遠来の客をもてなそうという関わり方は人間間の接触という面に出現するものの、経済活動の分野では別の原理が働いているために「これが客に対するもてなしの仕方か?」というようなことも起こる。だからこそわたしが昔から言っているように、「インドネシアというのはお客になって遊びに来るところであり、仕事をしに来るところとしてはお勧めしにくい国だ。」ということになるのである。

     わたしはここで、『もてなす』という言葉を飲食や娯楽を提供するという意味に限定せず、相手を大切に扱うというもっと広い意味で用いていることをお断りしておこう。インドネシア文化における礼儀とは他者の感情を一番大切なものとして扱うことであるようだ、とわたしは先に指摘した。その原理を土台にした他者に対するもてなし行為のひとつとして世界的に有名なインドネシア人のスマイルがある。インドネシアはスマイルに満ち溢れた国なのだ。インドネシア人にとってスマイルは礼儀であり、また他者をもてなす精神の発露なのである。インドネシア語でムラスニュム(murah senyum)と表現される、もったいぶらないで他人に気安くほほえみを向ける態度はインドネシア人として優れた人格を意味し、また社会善のひとつと位置付けられている。他者にスマイルしない人間は他人と協調しない傲岸不遜で独善独高の人間というラベルが貼られることになる。


スマイル
     アメリカの文化は他者にフレンドリーに接することを善とする姿勢を対人関係の原理に据えており、見知らぬ他人に気安く声をかけて会話し、その際に相手にスマイルを向けるということが勧められている。しかし別の文化を見ると、スマイルはきわめて限られた親密な人間関係の中でのみ用いられるもので、場所も相手もおかまいなしにスマイルを他者に向ける人間は相手に干渉したり相手に言い寄ったりしようとする下心を持っているのではないかと勘ぐられる。

     日本でスマイルは、基本的にうれしいときに出てくる条件反射的な自然反応であり、意図的なスマイルは上であげたような下心や本心を隠蔽するための仮面もしくはアメリカ文化の影響を受けた空疎なマニュアルスマイルのように決して良い社会的評価の得られるものとされない。日本人にとってのほほえみは、だから感情に直結した自然反応であり、たとえば対面している相手に好意を感じるときにスマイルが顔に浮かぶというように本心とそのままつながっているものと一般的に見られているとわたしは思う。
     一方、インドネシア人にとってのスマイルは他者との間の礼儀でありエチケットである。日本人のように感情に直結して表出されるスマイルがないわけではないものの、それよりはるかに大きなウエイトで礼儀やエチケットとしてのスマイルが国中に満ち満ちている。スマイルを向けるべき他者は不特定多数一般の他人でなく、自分と関わりを持つ他人あるいは自分が接触する客人に限定される。だから会社の中では常にスマイルをたたえて同僚や上司に接している社員がひとりバス停で見知らぬ他人の中にいるときのむっつりした顔を思いがけなく目にしてその激しい表情の落差に驚かされるようなことが起こるのである。であるなら、会社の中で常にスマイルをたたえて同僚や上司に接している姿が地のままの本人の姿なのだろうかという疑念が湧いてくるのも無理はない。つまりかれやかの女のスマイルは行儀良く振舞おうという意図で作り出されたもの、義務感に従って演じられているひとつの顔でしかないのではないかということだ。社内で本人が見せるスマイルや笑顔が好意やうれしい感情から生まれたものでなく、意図的に作り出されたものだとすれば、そのようなスマイルは自分の感情に正直に振舞うことを善としている別の文化の中で偽善と位置付けられるものになる。つまりスマイルを礼儀の位置に置いたインドネシア文化は、不穏当な言い方をするなら、社会構成員に偽善を行なうようしつけている社会だと言えるかもしれないのだ。

     インドネシア文化ではスマイルだけに限らず、自分と関わりを持つソトの人間に自分の良い顔を示すのは礼儀でありエチケットである。愛想満面・スマイルいっぱい・上品な挙措や立ち居振舞い。地の姿がそれであるなら何ら問題はない。しかし普段から家の中ではガラッパチの顔を見せ、エゴセントリックで周囲の人間に押し付けがましい姿勢を示し、実際には年下なのに他の者にあからさまに自分のほうが上位者だという態度を取り、自分で物事を仕切り他の者を差配することに情熱をたぎらせている女性が、外国人で異性の友人が遊びに来たときや電話をかけてきたときにはお嬢様めいた上品な物言いやビヘイビヤに豹変する姿を目にすると見苦しい気持ちが湧き上がってくる。人間だれしも他人の目に映る自分のイメージを良いものにしたいのは洋の東西を問わないだろう。しかし自分の親族や近い友人には常に地の姿で応対しているのである。だからかの女は相手によって自分の異なる姿を演出していると見ることができる。それを見苦しいと感じるのは、人間の人格は一貫性を持ったものでなければならず相手によって姿を変える者は信用できないという原理を持つ文化にわたしが染まっているからにちがいない。

     常に他者との位置関係を上下で計り、上位者に対しては素顔を見せずに取り繕うのが礼儀・行儀であるという文化では、対人接触の場で自分の素顔を表出できる機会はきわめて限られる。上位者となって権力を握り、下位者に対面するときくらいしかその機会がないのではあるまいか。もうひとつのケースは、家族社会の中でトチ狂ったビヘイビヤを示す者の出現だ。その者のビヘイビヤは周囲の者がそんな人間に対してまで嫌な思いをさせないという礼儀を示すために矯正されることがない。上であげたようにその者は、家長や年上でもないのに周囲の者の礼儀に甘えて自分があたかも上位者であるかのように振舞うのである。家族社会は構成員のいかなる不都合もよほどのことがない限り赦して受け入れる。家族社会の構成員を追放するのはめったに起こることではなく、そのために家族社会はパーミッシブな性質をその基盤の中に持つことになるのだ。
     対人関係の中で自分の置かれた位置に応じてさまざまに異なる自分を演じて見せることが必要とされている文化では、状況に合わせて自分の姿を変えるほうが自分自身になることより価値が高い。ここにあるのは、自分の骨格を持ち、自分の人格を形成して、わたしはこういう人間だということを社会の中で示すことが求められていない文化なのだ。そのような文化の中で生きる人間にとっては、原理原則を持たず、周辺状況にアメーバのように融通無碍に対応するということが生活技術であり生存原理となる。そのように相手に応じて千変万化の姿を演じるのを礼儀としているひとびとがインドネシア人なのであるということを外国人は理解しておくべきであろう。ある日突然豹変されても驚かないような心構えを持つためにも。