「比類なきカオス」
ジャカルタの路上駐車


首都ジャカルタの交通渋滞は、公共運送機関が快適性に欠けまた危険度が高く、経済面での負担が高まったところで自家用車利用の方が自由が利いてメリットがあるとひとびとが考えているところにその原因がある。その考え方は何十年も昔から連綿と続いてきたものであり、経済危機からの回復が実業界再興よりも消費経済勃興に傾いたため、動産所有を勧める金融システム拡充が一般庶民に自動車購入の簡便さをもたらしたことでこの数年間ひとびとは夢の実現に向かって走りはじめた。その結果が国内の四輪車二輪車販売台数の急増と街中の交通渋滞激化という現象となって実を結んだわけだ。そんな構図を中心にして、四輪車所有は高いステータスシンボルを付与するもの、借金返済に対する楽天志向、自分が所属する共同体の外にあるホモ・ホミニ・ルプス原理、やらずぼったくり的性格の強い公共運送ビジネス、わがままのできる自由、などといった諸要素がその周辺にからみついて一般大衆の自動車所有を推し進め、自家用車が路上を埋める事態を招いたのである。

都庁はバスウエイを設けてひとびとの自家用車離れを誘ったものの、渋滞解消を実現させるまでの効果はなかった。既に東南アジア最悪という汚名の定着したジャカルタの交通渋滞をなんとかせんものと、都庁は次の作戦を打ち出した。路上の無法駐車取締大作戦がそれだ。2008年5月から開始とされたこの大作戦は、しかし1日が国民の休日だったために2日金曜日に首都警察の応援を得た都庁運通局が初出動してオペレーションが開始され、土日はお休みで5月4日に再開されるという少々間の抜けた立上げとなった。作戦対象地区に違法駐車している四輪車二輪車に違反切符を切り、また悪質な者には懲らしめの罰を与えてその地区から駐車車両を一掃しようというのがこの作戦の目的で、初日の成果は106台に違反切符を切り22台に車輪ロックをかけた。
都庁は重点対象地区を指定してそこに毎日オペレーションをかけ、ある期間実施して違法駐車がなくなったことを確かめた上で別の地区に移って同じことを行うという方針を立てている。言うまでもなく都下の全道路を対象にして一斉にこの作戦を行うだけの人手もなければ器材もないわけで、たとえば今回の大作戦に都庁が用意した車輪ロックは100個しかない。しかし果たしてそれでジャカルタの路上から本当に違法駐車を一掃できるのだろうか?行うことに意義があり、結果は重視しない、という国民性の影をそこに感じるのは、果たしてわたしだけだろうか?


違法駐車摘発作戦が開始されて三日目の5月6日、オペレーション実施地区の路上はクリヤーで交通往来はきわめてスムースだった。中央ジャカルタ市サレンバ(Salemba)のチプトマグンクスモ(Cipto Mangunkusumo)病院前は常に路上駐車で一車線から二車線が占拠され、客待ち都バスやアンコッ(angkot)がそれに加わって通行車両が円滑に流れない、都内有数の渋滞道路だった。それが二日間のオペレーションで駐車車両が一台もないクリヤーな状態になったのである。似たような状況はやはりオペ対象地区となったパサルバル(Pasar Baru)のサマンフディ(Samanhudi)通りやスディルマン通り南端のラトゥプラザ(Ratu Plaza)から国民教育省にかけての道路脇、あるいはクラマッラヤ(Kramat Raya)通りからパサルスネン(Pasar Senen)にかけての地区でも見られた。オペレーション大成功の評価が与えられてもおかしくないと誰しも思うところだが、そう即断するわけにもいかない。
「5月2日以来、駐車禁止標識のあるところで路上駐車取締が毎日10時〜14時の間行われるのがわかったから、午前9時からは歩道上の駐車しか受け付けないようにして、路上は一台も車を止めさせないようにしてる。いつもは4時間で10〜15台の駐車があるが、今は5台くらいに減るから収入はがた減りだ。でも14時を過ぎたらまた路上に駐車させてる。」サマンフディ通りのハルコ(Harco)やメトロ(Metro)沿いの道路で駐車番をしているひとりはそう語った。そのエリアには10人ほどの駐車番がおり、ライトブルーの制服を着て腕や肩にPemda DKI(都庁)と書かれたエンブレムを縫い付けている。

作戦部隊は四輪車だけを対象にしておらず、二輪車も当然ながら作戦の標的だ。駐車禁止標識の近くに止めてある二輪車も違反切符の対象となる。とはいえ、そこへ二輪車を止めたライダーが用を足して戻ってきたら周辺に都庁運通局職員が自分のバイクをマークしていたとなると、とりあえずは近寄らないで様子を見るに決まっている。虎の檻に手を差し込むような真似をする者はめったにいない。運転者がいなければ違反切符の切りようがないわけで、作戦部隊は困ってしまう。都庁が用意した車輪ロックは四輪車用なので二輪車に使うとなるとかなり無理をしなければならない。そこで考え付いたのが、二輪車後輪の空気を抜いてしまうというお仕置き。作戦部隊は15分待ち、二輪運転者が戻って来なければプシュプシュと空気を抜いていく。西ジャカルタ市グロドッ〜アセムカ地区では50台以上ものプシュプシュ戦果が上がったと報告されている。
違法駐車者への措置は違反切符を切って簡易裁判を受けさせ、罰金を払って『もう懲り懲り』という思いを味わわせるのが趣旨だが、運転者がそこにいなければ切符の切りようがない。そのため二輪車にはプシュプシュのお仕置きを与えるものの結局のところは無罪放免にしてやるだけであり、『懲り懲り』効果は薄い。四輪車はレッカー車で運び去るか車輪にロックをはめるというお仕置きを与え、いずれにせよ運転者は出頭しなければ自分の車にふたたび乗ることができないから否が応でも違反切符を突きつけられることになる。このあたりが例によって、四輪車に厳しく二輪車に甘い社会習慣を浮き彫りにしている部分だと言えよう。
ところが違法路上駐車を堂々と行い、はめられた車輪ロックの軸棒を鉄鋸で切断して逃げ去った豪傑が出現した。2008年5月15日午前10時ごろ、マスマンシュル(KH Mas Mansyur)通りをパトロールしていた作戦部隊は駐車禁止標識近くに止められているアバンザを発見して近寄った。運転者はいない。15分待った上で車輪ロックをかけ、データを記録してまたパトロールに戻った。およそ1時間後現場に戻ってきたパトロール班員は、ロックをかけたはずのアバンザ、プレート番号B8926MI、が姿を消しているのに気付いて驚いた。現場の近くで軸棒が切断されたロックが投げ捨てられているのが見つかった。「お上を恐れぬ不届き者!」と激怒した運通局長は首都警察交通局を通じてその車両のオーナーを探し出すことにしている。


マスマンシュル通りを北上していくとタナアバン(Tanah Abang)に至る。5月14日クブンカチャン(Kebun Kacang)地区で行われたオペレーションでは、路上違法駐車車両のうち二輪車73台が後輪空気抜き、もう20台はチェーン捕縛、四輪車5台に車輪ロック、18台に違反切符という成果があがった。しかしタナアバン地区を通ったことのあるひとには言うまでもないが、6時〜18時は駐車禁止で貨物積降は夜間のみと制限されているというのに道路の両端は数キロという長さでびっしりと駐車車両に占拠され、貨物トラックが真昼間から店の軒先で荷役を行うという、決まりが完全に踏みにじられている場所がそこなのである。そこに作戦部隊がやってきて、作戦行動を繰り広げてから去って行っても、このエリアがクリヤーになる気配はさらさらない。


都庁の無法駐車一掃大作戦はガジャマダ(Gajah Mada)通り・ハヤムルッ(Hayam Wuruk)通り・オットーイスカンダルディナタ(Otto Iskandardinata)通り・グヌンサハリ(Gunung Sahari)通り・プムダ(Pemuda)通り・ラヤパサルミング(Raya Pasar Minggu)通りなどで展開されているが、現在首都ジャカルタの路上駐車に関するベーシックな規則と位置付けられるものに都知事決定書第177号がある。そこでは駐車量の密なA級道路294、下級レベルのB級道路185が路上駐車可に指定されており、交通標識・路上マーク・駐車券発行・制服着用駐車番配置という四条件を満たすことで道路脇駐車エリア運営が認められている。

都議会第D委員会議員によれば、その都知事決定書を変更あるいは破棄しないでそれらの道路に駐車禁止標識を立てたのは違反行為に該当するとのこと。四角四面に言えば、その決定書第177号で指定されている道路は上の四条件が満たされているかぎりどこを駐車場所にしてもかまわないことになり、にもかかわらず都庁や首都警察が好き勝手に駐車禁止エリアを設ければ知事決定に対する違反行為となるのである。ましてやその駐車禁止エリアを根拠に市民の駐車行為を取り締まるなら、これは行政裁判ものだというわけだ。ただし市民の駐車がその四条件を満たした場所で行われているかどうかも問題で、もし四条件を満たしている場所がどこにもないのであれば、その駐車はやはり不法駐車だということが言える。同議員はそのあたりのロジックについて筋を通せと言っているのだが、どっちにしても違反で罰金を科されるのなら理屈はどうでもいいじゃないか、というのが大半の感覚だろう。国民総犯罪者化社会に育ったひとびとは「違反」に対するおそれの感覚を持っていない。

同議員のロジックに従えば、行政機関自身が都知事決定の四条件を満たさないまま路上駐車運営を認め、その一方で交通管制面から駐車可道路に駐車禁止エリアを設けるという法規無視を行ってきた。かつては都民が駐車料金を払うかぎり行政自身は路上駐車を承認するという伝統が営々と築き上げられてきたというのに、理由は理解できるにせよ身勝手な行政が抜本解決のめどもないような大作戦を行っている、というのが大多数都民の思いであるにちがいない。頭を低くしてじっと耐えていれば、この嵐も早晩収まるにちがいない。そんな落語のセリフをかつて聴いた気がする。


行政が法規を守らない事例はもうひとつある。都知事決定書第177号によれば、四輪車のA級道路駐車料金は1千ルピアでB級道路は5百ルピアとなっている。時間制は取られておらず、一回駐車すれば何時間置いておこうがその料金が適用される。ところが現実に、都内の路上駐車料金は平均して2千ルピアが徴収されており、図々しいお兄いさんが駐車番だと短時間でももっと高いことを言い、更に長時間止めればもっと払えと迫ってくる。都庁はそんな実態を放置して規則を守らせる努力を怠っている。法執行だ、法確立だ、という言葉が国政上層部の口から頻繁に出されるものの、ピラミッドの中ほどから下を見ればこのようなものなのだ、という実態はもっと外国人に認識されてよい。

現在都庁が定めている路上駐車料金は、セダン・ジープ等が1千ルピア、バス・トラック等が2千ルピア、二輪車5百ルピアとなっているが、実勢はセダン・ジープ等が2千ルピア、バス・トラック等が3千ルピア、二輪車が1千ルピアになっている。ファウジ・ボウォ都知事は路上駐車を減らすために駐車料金の大幅増を発案した。セダン・ジープ等を一挙に3千ルピアにしようというのだ。都知事はさらに時間制を導入して累進料金にしたい意向だが、へたに時間制など導入されれば1時間しか止めていないのにコワイお兄さんに5時間だと言われてとんでもない目にあうかもしれない。それに懲りて路上駐車者が減少するという可能性もありうるだろう。そこまで見越しての時間制導入案だとすれば、この深謀遠慮は凡人にはとても及ばないトゥパスリラだと言えよう。

余談はさておき、都知事のそのアイデアはモナス(Monas)・パサルバル(Pasar Baru)・ブロッケム(Blok M)・マイェスティッ(Mayestik)・グロドッ(Glodok)・クラパガディンのブルヴァルバラッ(Boulevard Barat)の6エリアで2007年8月から開始されている。そのエリアでは携帯型駐車券発行器を手にした駐車番が路上駐車車両に駐車券を出してくれる。四輪車は最初の1時間が3千ルピアで2時間目以降は1千5百ルピア、二輪車は毎時間5百ルピアという料金だ。都知事はこのシステムを都下全域に拡大し、2時間目以降を最初の1時間より高くしたい意向だが、実現の見込みは果たしてどうだろうか?